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木曜日, 7月 04, 2013

「ブルーノート・ビギナーに捧ぐ10曲」



“ミスター・ブルーノート”が厳選!

「ブルーノート・ビギナーに捧ぐ10曲」


1939年、ニューヨークで誕生したジャズレーベル「ブルーノート」。来年75周年を迎えるこの老舗レーベルが、いまあらたに注目を浴びている。なにがブルーノートを特別な存在にしているのか? その答えを探るべく、OPENERSでは今回、日本にジャズを浸透させた立役者、“Mr. Blue Note”こと行方均(なめかた・ひとし)さんに協力を依頼。若さと伝統が息づくレーベルの魅力に迫ろうとおもう。

ブルーノートのABCを頭に叩き込んだら、次は耳を慣らしていこう。ブルーノート・ビギナーに送る行方さんセレクトの10曲。とくとご堪能あれ。



※試聴は各45秒間、WMA(ウィンドウズ・メディア・オーディオ)形式のみ対応。2014年2月21日までの期間限定配信です
1. バド・パウエル「ウン・ポコ・ローコ」

『コンプリート・ジ・アメイジング・バド・パウエル Vol.1』
『コンプリート・ジ・アメイジング・バド・パウエル Vol.1』
1700円(TOCJ-7011)
パウエルの「ウン・ポコ・ローコ」を聴くと、ロックファンが4分後にジャズファンになる。これは経験者が言うからまちがいない(笑)。そういう呪文みたいな1曲。実際、打楽器的なピアノが、呪術のようにあたらしい世界へ連れていってくれる。

Bud Powell|バド・パウエル
1924−1966年。ニューヨーク生まれ。モダン・ジャズのピアノ・スタイルを確立した天才。超絶技巧と群を抜く表現力を持つ彼は、スイング・ジャズ時代のピアノ演奏の概念をくつがえし、緊張感あふれる思索的なアドリブを確立した。モダン・ジャズの革命を起こしたチャーリー・パーカーと同様に、絶大な影響力を誇っている。

2. アート・ブレイキー「チュニジアの夜」

『バードランドの夜 Vol.1』
1100円(TOCJ-8510)
アート・ブレイキーのライブ名盤から、ハードバップの誕生を記録したかのような1曲を。クリフォード・ブラウンという、天才的なトランペッターをニューヨークに紹介したというのも注目ポイントです。ジャズメンの楽器の鳴らし方を、最強のバンドで聴くことができますよ。

Art Blakey|アート・ブレイキー
1919−1990年。ピッツバーグ生まれ。モダン・ジャズ最強のドラマー。粘っこくアーシーなビート、ポリリズムを駆使したドラミングが特徴だ。1954年のアルバム『バードランドの夜』は、ハードバップの幕開けを告げた歴史的な傑作として絶賛を博した。

3. ソニー・クラーク「クール・ストラッティン」

『クール・ストラッティン』
1100円(TOCJ-8503)
スタジオにしか実在しなかったバンドが、売れに売れたジャズアルバムを作ったという、まさにブルーノート・マジックを実現させた1枚。なかでもこの曲は、日本のジャズ喫茶文化が生んだ大ヒット。ジャズ喫茶気分を家で味わいたかったらこれ!

Sonny Clark|ソニー・クラーク
1931−1963年。ペンシルベニア州ハーミニー生まれ。子どものころからラジオでブギウギ・ピアノを演奏するなど早熟ぶりを発揮。西海岸のジャズ・シーンで頭角をあらわしたあと、1957年にニューヨークへ進出。すぐにブルーノートと契約を交わし、看板アーティストのひとりとして多数のレコーディングに参加した。本国アメリカよりも日本で人気が高く、なかでも『クール・ストラッティン』は不滅の名盤として人気を博している。

4. アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ「モーニン」

『モーニン』
1100円(TOCJ-8504)
モダン・ジャズを世界音楽にした1曲。これがモダン・ジャズを、そしてブルーノートの名を世界に運んでいったわけです。当時は蕎麦屋がこれを口笛で吹きながら出前していたほど(笑)。この曲を聴けば、ファンキーがどういうものかがわかる。

Art Blakey & The Jazz Messengers|アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ
1955年に発足。モダン・ジャズの名門バンドとなり、約30年間にわたってジャズ・シーンをリードした。メッセンジャーズはリー・モーガン、ウェイン・ショーター、ベニー・ゴルソン、ウェントン・マルサリスなど、数多くの有名アーティストを輩出。1958年のアルバム『モーニン』は、ファンキー・ジャズのブームを巻き起こした。

5. リー・モーガン「サイドワインダー」

『ザ・サイドワインダー』
1100円(TOCJ-8511)
ビートルズがアメリカに上陸した年に大ヒットしたジャズ・ロック。初期のロック・ファンも虜にしたという、ある意味ビートルズと競い合ったジャズです。

Lee Morgan|リー・モーガン
1938−1972年。フィラデルフィア生まれ。トランペット奏者。18歳でデビュー・アルバム『インディード!』を録音し、天才少年と騒がれた。 1959年、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズに加入。在籍中にアルバム『モーニン』が世界的に大ヒットするなど、同バンドの全盛時代に中心メンバーとして貢献する。1963年にソロ・デビューを果たした『ザ・サイドワインダー』が大ヒット。ジャズ・ロックの一大ブームを巻き起こした。






6. ハービー・ハンコック「処女航海」

『処女航海』
『処女航海』
1100円(TOCJ-8505)
「サイドワインダー」の翌年、ジャズ史的にはほぼおなじ時期にあらわれた、ジャズのもう一方の可能性ともいうべきみずみずしい1曲。「サイドワインダー」がダンサブルで踊れるジャズだとしたら、こちらは聴くためのジャズとしてのひとつのピークと言えます。

Herbie Hancock|ハービー・ハンコック
1940年−。シカゴ生まれ。ピアニスト、キーボード奏者、作曲家。1960年代以降のジャズ・シーンをリードするジャズの第一人者。ストレートアヘッド・ジャズ、フュージョン、ジャズ・ファンクなど、常に多才なジャズ・スタイルの最先端を走っている。「ウォーターメロン・マン」「カンタロープ・アイランド」「処女航海」「ドルフィン・ダンス」をはじめ、ジャズ・スタンダードと呼ばれる多くの楽曲の作者でもある。

7. ルー・ドナルドソン「アリゲイター・ブーガルー」

『アリゲイター・ブーガルー』
1835円(TOCJ-4263)
これこそ踊るためのジャズ。インストですが、日本ではグループサウンズの人たちが、詞をつけてカバーしていました。わたしなんか、最初はグループサウンズのオリジナル曲だとおもっていましたから。とにかくノリノリのダンサブルな1曲で、最近の方が評価が高いですね。

Lou Donaldson|ルー・ドナルドソン
1926年−。ノースカロライナ州バディン生まれ。ハードバップ&ソウル・ジャズの人気アルト・サックス奏者。ハードバップ黎明(れいめい)期から活躍。 次第にファンキー&ソウルフルな傾向が強まり、ソウル・ジャズの人気アーティストになった。ソウル・ジャズ時代には1967年に発表したアルバム『アリゲイター・ブーガルー』が大ヒット。1990年代のクラブ・ジャズのブームでは、ソウル・ジャズ時代の作品がふたたび脚光を浴びた。

8. ドナルド・バード「ブラック・バード」

『ブラック・バード』
999円(TOCJ-50504)
フュージョンの大ヒット。フュージョンっていうのは1970年代に誕生した、ある種ソウルやポップスの方向に解放されたジャズです。その先駆けのひとつとなった1曲。

Donald Byrd|ドナルド・バード
1932−2013年。ミシガン州デトロイト生まれ。トランペット奏者。1955年、ジョージ・ウォーリントンのバンドに参加し、ニューヨークでデビューを果たした。以後1960年代にかけて、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズなどで活躍。70年代までの一時教職に専念したこともあるが、74年に『ブラック・バード』の大ヒットによりシーンにカムバック。デビュー当時はクリフォード・ブラウンの好敵手だった。

9. ノラ・ジョーンズ「ドン・ノー・ワイ」

『ノラ・ジョーンズ』
2548円(TOCJ-66001)
デビュー・アルバムのナチュラリズムが21世紀初頭の世界とマッチして、グラミー8部門を受賞するなど大ヒットとなりました。新生ブルーノートのテーマ曲として、ジャズのあたらしい扉を開けた1曲です。

Norah Jones|ノラ・ジョーンズ
1979年−。ニューヨーク生まれ。幼いころより母親のレコード・コレクションを聴いて育つ。10代よりプロのシンガーとして活動開始。名プロデューサー、アリフ・マーディンを迎えたブルーノート・レーベルの第1弾アーティストとして、2002年にアルバム『ノラ・ジョーンズ』で世界デビュー。 2003年にグラミー賞の主要4部門を含む全8部門を受賞。全世界で2000万枚を超えるセールスを記録した。





10. ホセ・ジェイムズ「トラブル」

『ノー・ビギニング・ノー・エンド』
『ノー・ビギニング・ノー・エンド』
2300円(TOCJ-71459)
ホセ・ジェイムズというのは、クラブ時代のあたらしいジャズ歌手だとおもいます。リズムやメロディーよりも、グルーブで歌うというか。今後を牽引するであろうジャズマンだとおもいます。またこういういい曲を書くしね。本当に素晴らしいアーティストが仲間入りしてくれました。

José James|ホセ・ジェイムズ
1978年−。ミネアポリス生まれ。ジャズ・シンガー。14歳のときにラジオから流れてきたデューク・エリクトンの「A列車で行こう」を聴き、ジャズにのめり込む。ロンドンのジャズ・コンテストを訪れたとき、ジャイルス・ピーターソンと運命の出会いを果たす。ジャイルスは「15年にひとりの逸材」と断言し、この若き才能との契約を即決する。ボーカル・ジャズの歴史を塗り替えたとまでいわれる美声は世界中で大絶賛され、国内外のジャズ/クラブ・チャートを総なめにした。2012年にブルーノートへ移籍。2013年1月、通算4枚目となるアルバム『ノー・ビギニング・ノー・エンド』をリリースした。





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BLUE NOTE NOW!

BLUE NOTE NOW!


創立75周年を控えた老舗レーベル「ブルーノート」の魅力に迫る

第1章|“ミスター・ブルーノート”に訊け!
「ブルーノートが30分でわかる Q&A」


1939年、ニューヨークで誕生したジャズレーベル「ブルーノート」。来年75周年を迎えるこの老舗レーベルが、いまあらたに注目を浴びている。ノラ・ ジョーンズやロバート・グラスパー、ホセ・ジェイムズなど、これからのジャズを担う若手ミュージシャンが、次々に登場してきているのだ。衰退していくレー ベルも多いなか、なにがブルーノートを特別な存在にしているのか? その答えを探るべく、OPENERSでは今回、日本にジャズを浸透させた立役者、 “Mr. Blue Note”こと行方均(なめかた・ひとし)さんに協力を依頼。若さと伝統が息づくレーベルの魅力に迫ろうとおもう。

まずは行方さんに10個の質問をぶつけてみた。読めばブルーノートのすべてがわかる!?


1. ブルーノートはなぜ生まれた?

ブルーノートを設立したのは、アルフレッド・ライオンというドイツ人の青年でした。1939年1月、ニューヨークでのことです。とにかくジャズが大好きな 人でね。当時のヨーロッパ、特に彼が住んでいたベルリンでは、なかなかジャズのレコードが手に入らなかった。そこでジャズをより深く知るために、よくアメ リカへ出向いていたのですが、最後はナチスの台頭する故国を棄てて移住を決意したというわけなんです。

彼はレコード会社を作るというよりは、レコードを作りたかった。それを何度も繰り返しているうちに、気がつけばブルーノートになっていた、ということだと おもいます。

2. レーベル名の由来は?

黒人音楽にあって、従来のヨーロッパ的な音楽にないもの。それは「ブルース」なんですね。ブルース・コードとか、ブルース・ノートとか、いろいろ表現はあ るけれど、黒人的なブルースの音階や特徴があるんです。アルフレッドがジャズを気に入った理由も、根底にあるのはブルースです。ブルーノートとして最初に 録音したのもブギウギ()なんですよ。

黒人音楽のブルース感覚みたいなものに惹かれていたので、それを前面に打ち出したレーベルをはじめました。最初は「ブルースノート」、つまりブルースの音っていう意味の名前にしようって話だったんですけど、最終的には「聞こえがいいから」という理由で「ブルーノート」に落ち着いたんです。

※ブギウギ=1920年代にアメリカの黒人ピアニストによって創始された、ピアノによるブルースの演奏形式のひとつ。1小節8拍のリズムのうえに自由な旋律で演奏される。(出典:小学館「大辞泉」)


3. アルフレッド・ライオンについて、もっと詳しく!

ひとつ言えることは、自分の聴きたい音楽がなにかをわかっていて、そのことに非常に貪欲な人だったということですね。「ブルーノートは、アルフレッドの “ワンマン”レーベルだから、好きなものだけを録音した」って言われることが多いんだけど、好きなものを録音したというよりは、自分が好きなジャズをスタ ジオで作り上げていった。彼はそういう人だとおもいます。

たとえば、あるグループのライブの評判がいいから、それを録音するという方法もありますよね。どちらかと言えばそれが普通です。だけどブルーノートの“大 名盤”と呼ばれるレコードは、スタジオの外では実在しなかったグループやバンドのものが非常に多いんです。レコードを作るために集められて、スタジオで音 楽を作り上げたら「じゃあね」っていう(笑)。

それと同時にあたらしいものにもオープンでね。亡くなる直前にお気に入りだったのは、マイケル・ジャクソンだったそうですよ。やっぱりダンサブルな音楽が 好きだったんですね。レコーディングがうまくいくと、スタジオで踊ったりして(笑)。

4. どんな人たちがレーベルを引き継いだ?

体調に不安を覚えたアルフレッドが、一線から退いたのは1967年。ベルリン時代の仲間であるフランク・ウルフがあとを継ぎました。ふたり合わせると、ラ イオンとウルフ(=オオカミ)のコンビってことになるんですけど(笑)。数年後にフランクが亡くなってからは、ブルーノートというレーベル名に、宿命のよ うに導かれた人たちが引き継いできました。

大元にはアルフレッドが作り上げた、ブルーノート的なメカニズムが確固としてありますから、それをどうやってそれぞれの時代に落とし込んでいくかだとおも うんです。彼の亡くなったあとは、そのメカニズムをきちんと理解している人、あるいはそれに思い入れのある人が、その時代のその音を表現してきたというの が、答えとしては一番近いのかもしれない。



5. 世界中に名が知られるようになったきっかけは?

1960年代の終わり、「ファンキー()」の流れに乗って、アート・ブ レイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの「モーニン」が世界的な大ヒットになりました。で、まさしくこのとき、ジャズが“世界的音楽”になるんです。 ヨーロッパのクラシックの指揮者がジャズメンを絶賛したりとか、大衆音楽として世界中に広がっていったのがこの時期なんですね。

アート・ブレイキー〜というバンドが、その名のとおりジャズを世界中に配達して回ったというわけです。それに付随して「ニューヨークにブルーノートあり」 という噂も一般に広まっていきました。

※ ファンキー=ハードバップ・ジャズのなかで、特に黒人的なブルースやゴスペルの影響を受けたもの。1950年代末から60年代に流行した。アート・ブレイ キー、ホレス・シルバーなどが代表的なアーティスト。(出典:小学館「大辞泉」)
6. ブルーノートとほかのレーベルとのちがいは?

「ブルーノートとほかのジャズレーベルとのちがいは、3日間のリハーサルである」と言った人がいました。ジャズというのは即興の音楽だから、別に練習しな くてもできるわけですよ。実際に「そういうところがいいんだ」っていう人もいますしね。

だけど、ブルーノートはきちんと目的を持ってレコーディングに挑むんです。「こういう音楽を生むべきだ」とか、「普段別々に活動している人を集めて、今回 はこんな風に音楽を作るんだ」とか。あるいは、ヤク中でライブに出してもらえない人を呼んだり……。ジャズメンの才能を最大限に引き伸ばそうとしていたか ら、普段の演奏なんて概念がそもそもないんです。

「ちがいが3日間のリハーサル」という言葉の真意は、3日間リハーサルをしたから立派な音楽ができたわけじゃなくて、目的をもって集めた集団を、しかるべ きリハーサルをしたのちに、スタジオに連れてきたということ。レコード作りにかんして、きわめてわがままだったんですね。


それと「もう1テイク」録るんです。ジャズは即興だから、テイクごとに音がちがうんですよ。でも昔のジャズレーベルっていうのは、あまりテープを無駄にしたくないから、ほどほどのところで終わっちゃう(笑)。そこを、ブルーノートはもう1テイク録る。その結果生まれた名曲がたくさんあるんです。

7. ブルーノートのファンに“コレクター”と呼ばれる人が多いのはなぜ?

それにはまず、「ジャズ・ファン」と「レコード・コレクター」のちがいを説明しないといけませんね。ジャズ・ファンはライブを聴いているだけでもジャズ・ ファンなんだけど、レコード・コレクターというのは、素晴らしい音楽が素晴らしい形でパッケージされているものが好きなんです。アルフレッド・ライオン も、レコードを心底愛するレコード・コレクターでした。

そんな彼が設立した「レコード作りにこだわる」レーベルだから、すべてを集めたくなる、っていうのはあるとおもいます。音楽や音質はもちろん、ジャケッ ト、印刷に使うインク、解説まで、すべてにこだわっていますからね。音作りを任されていた、ルディー・ヴァン・ゲルダーという有名なエンジニアも、アルフ レッドと一緒に作った音に、強いプライドをもっていました。

レコードとしての完成度、つまりモノとしての完成度が非常に高い。だから音を聴くだけなら1000円とか2000円のCDで十分なのに、オリジナル盤を 20万円とかで買っちゃうわけです。とくに人気があるのは「1500番台」というシリーズ(1958年以降は「4000番台」につづく)。1956年から 58年までに発売された100枚で、モダン・ジャズ黄金時代の有名なミュージシャンのほとんどがここに入っています。「全部集めるぞ」というコレクターが多い理由です。




8. ブルーノートのスターといえば?

たとえば、リバーサイドのスターはビル・エヴァンスとか、ヴァーヴだとオスカー・ピーターソンやスタン・ゲッツとか、あるいはプレスティッジだと、マイル ス・デイヴィスやソニー・ロリンズってことが言えるんだけど、ブルーノートはそれが言えないんです。それだけ素晴らしい音楽を聴かせてくれるアーティスト がたくさんいるということなんですけど。

ある意味、ブルーノートの主役はブルーノートという舞台なんですよね。アーティストによって、コロコロ色が変わることはなくて、舞台がしっかり用意されて いる。

いまだに根強いファンがいるのは、その舞台への厚い信頼感だとおもいます。劇場なんかもそういうところがあるんじゃないでしょうか。「だれが主役だろうが 変わらないよ」という姿勢。ブルーノートにも似たようなところがあります。

9. ミュージシャンとはどんな関係?

ジャズメンとおなじ目線で生活し、行動していたとおもいます。夜はジャズクラブに行って、昼はスタジオに行ってという。アルフレッドの場合、いろいろな アーティストと深い付き合いがあったみたいですが、たとえばマイルス・デイヴィス。1952年から54年って、マイルスにとってあんまり幸せな時代じゃな いんですよ。1952年は麻薬漬け、1953年はそこから抜け出しつつあって、1954年にクリーンな状態になるっていう。そのあとに彼の黄金時代が控え ているんですが、その前の暗黒時代をアルフレッドは支えつづけたんですね。ヤク中のひどい状態で、ほかのレコード会社はだれも相手にしないなか、ブルー ノートはその3年間をきっちり記録したんです。

ただ面白いのが、アルフレッドは必ずしも自分の育てたアーティストに執着しないんですよ。契約でアーティストを縛ることもない。いたければずっといていい し、ほかにいい条件があれば行ってもいいよというスタンスなんですね。マイルスも、コロンビアというメジャーレーベルへ“婿”に出されますが、のちにアル フレッドへの恩返しということで、1958年に当時のマイルスにとってベストと言えるアルバムを1枚だけ作るんですよ。それが『サムシング・エルス』とい う名盤です。

ブルーノートとアーティストのあいだには、契約とかそういったものを超えた付き合いがありますね。コルトレーンもそうです。彼の『ブルートレイン』も、ほかと契約している合間をぬって作ったものです。

10. “ブルーノートっぽいジャズ”をひと言であらわすなら?

バド・パウエル
ひと言では難しいですが、あえて言うなら、非常に本質的なジャズだということでしょうか。

それと、ブルーノートの音楽は常に明日に向かっています。若さと伝統が共存しているんです。伝統があるからいまの若い才能を送り出せるし、若い才能がそこ から出てくれば、過去の伝統なり、過去を築いてきたアーティストはさらに巨大に見えてくる。

そういう意味では、ブルーノートというのは、宿命的にあたらしいものをどんどんデビューさせなきゃいけないんです。レコードの作り方も、昨日どこかで見た グループをそのまま記録するというより、あたらしく見つけた才能の最高の形をスタジオで作るという。その発想自体が非常にクリエイティブですから、それが やっぱり音にも出てきているんだとおもいます。

じつは、わたしがはじめてブルーノートに出合ったのも、バド・パウエルの「ウン・ポコ・ローコ」。20年前に録音されたものでした。それが当時録音され た、ビートルズやピンクフロイドよりも刺激的だとおもったわけですから。そういう力を持っているのだとおもいます。




特集|老舗ジャズレーベル「ブルーノート」のすべて|「ブルーノートが30分でわかるQ&A」 08
行方 均|NAMEKATA Hitoshi
レコード・プロデューサー。「ブルーノート」および、その姉妹レーベル「サムシンエルス」をつうじて、数々の作品を内外に送る。編・訳書に『21世紀ブルーノート・ブック』(ジャズ批評ブックス)、『ブルーノート再入門』『ブルーノート・レコード』(ともに朝日文庫)ほか。来年の75周年に向けて 「BLUE NOTE NOW 2013」と題したキャンペーンを展開中。http://www.emimusic.jp/jazz/bluenotenow2013/


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