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月曜日, 1月 16, 2017

Good enough living



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水曜日, 8月 19, 2015

米と日本人


米と日本人


「日本人の主食は?」と訊かれたら、多くの人はためらうことなく「米」と答えるでしょう。その一方で、朝はトーストをかじり、昼食でラーメンをすすり、夕食にもパスタやピザが登場するといった食事スタイルがあたりまえになっている現代人。それでも、「主食は米」と言う私たち日本人って、不思議だと思いませんか?

ごはんの不思議

阪神大震災のときの話です。最初のうち、避難所には救援物資として乾パンやパンなどが届けられていました。もちろん、そうした状況下で食べものにありつけることは、多くの人の救いや安心感になったことでしょう。しかし、避難生活が長引いてくると、被災した人々に疲労感が溜まっていきます。そんなときに供されたのが、暖かいおにぎりでした。すると、人々の顔が変わり、その場の空気が変わったというのです。記憶に新しいところでは、口永良部島の火山噴火で屋久島に避難してきた人たちのために、屋久島の住人たちが「せめて暖かいおにぎりでも食べて元気を出してほしい」と炊き出しをしているニュース映像もありました。
単に空腹感を埋めるだけなら、パンでも麺類でも事足りるはずなのに、なぜかそれだけでは充たされなくなる。いざというとき、「ごはん」の存在は、私たち日本人の精神的な拠りどころになっているのかもしれませんね。

「米を買う」から「ごはんを買う」へ

農林水産省の『食糧需給表』によると、平成25年の米の年間消費量は、一人当たり56.9キログラム。ごはんに換算すると、1日の消費量は344グラムで飯碗約2杯分です。また、家計の年間支出額で、米を買うためのお金よりパンを買うためのお金の方が上回った年もあり(平成23年総務省『家計調査』)、「主食は米」と胸を張って言える数字ではありません。
その一方で、外食や中食での米の消費量は安定しているとか。あるコンビニのおにぎりの売上げ推移を例にとれば、2006年には年間で11億500万個だった販売量が、2014年には年間18億7600万個に増加。日本の人口を1億2689万人として計算すると、赤ちゃんからお年寄りまでひっくるめて、年間に一人約18個のおにぎりを買って食べていることになります。

ごはんの簡便化

こうしたことから読み取れるのは、調理する手間を省きたいという簡便化への志向です。あるアンケート調査によると、子どもを持つ母親の72%が「朝食に"ごはん食"を食べさせたい」と思いながら、実行している割合は36%。その理由として、「ごはん食にはおかずが必要」「炊飯が必要な上に、1食分だけの炊飯はしづらい」といったことが挙げられています。炊飯については、前の晩に炊飯器のタイマーをセットしておく、急ぐときは炊飯器より短時間で炊ける土鍋などを活用する、といった工夫で解決できそうです。また、朝食のおかずには、納豆やみそ汁といった簡素な取り合わせこそが理想的。米と大豆を組み合わせることで両者が栄養を補い合い、必須アミノ酸のバランスを理想的にするからです。インスタントのみそ汁でもその効果を期待できるといいますから、賢く簡便化することを考えてみてもよさそうですね。

名前に見るライスサイクル

「米」という字を分解すると八十八になります。春先の「田おこし」から秋の収穫まで、八十八もの手間をかけて育てられるという米。それだけに思い入れは強く、収穫後の米にもそれぞれの段階で名前がつけられてきました。
「稲穂(いなほ)」から取ったままの、まだ脱穀していない米は「籾(もみ)」で、その籾殻(もみがら:外皮)を外してできたのが「玄米(げんまい=イネの種子)」。玄米をついて種皮や外胚乳などを取り除いたのが「白米」で、その過程で出るのが「糠(ぬか)」。白米を炊いたら「飯(めし)、ごはん」になり、水を多めに入れて炊けば「粥(かゆ)」に。普通のごはんや粥に使うのは、「粳(うるち)米」ですが、赤飯などに使うのは「糯米(もちごめ)」。その糯米(もちごめ)を蒸し上げたのが「おこわ」で、おこわを熱いうちに搗(つ)くと「餅」に。そして、ごはんやおこわを乾燥させて保存食にしたものが「糒(ほしい)」、今で言うアルファ化米です。昔から旅の携帯食としても使われ、『伊勢物語』のなかには、旅人が食事中に京の都を思い出して涙し、その涙で糒(ほしい)がふやけてしまったという話も出てきます。
こんな風に、その加工の過程や調理の過程でさまざまに姿を変え、それぞれに名前がつけられてきた米。「米」も「ごはん」もriceのひとことで表現する英語との落差に驚きますが、米に深く関わってきた日本人の歴史が、こうした言葉を生んだのでしょう。
しかし、米の食文化が単純化してきたことで、これらの名前や漢字は次第に忘れられようとしています。「米離れ」とは、米とともにあった大切な何かを手放すことなのかもしれません。
単に主食であるというだけでなく、儀礼や信仰とも深く関わり、日本の歴史のなかで特別な穀物とされてきた米。稲作農耕のなかから、先人たちはさまざまな文化を紡ぎ出してきました。そしてまた、水田の広がる農山村の風景は、たとえそこが故郷でなくても、日本人の原風景というべきものでした。
米離れが進み、農家の存続さえ危ぶまれる現実のなかで、主食としての米の位置づけも揺らぎつつある昨今。米は、経済活動の産物としてのみ語られてよいのでしょうか? 私たち日本人の心に深く根付いていたはずの米は、この先、どこへ行くのでしょう?
2015年8月10日(月)発行の小冊子くらし中心 no.15「コメの力」では、日本人とコメについて、さまざまな角度から光を当てています。全国の無印良品の店頭で無料配布すると同時に、「くらしの良品研究所」のサイト小冊子「くらし中心」からもダウンロードできますので、ぜひご覧ください。

木曜日, 12月 05, 2013

水引 ─むすぶ心─

水引 ─むすぶ心─

12月は、1年を振り返る月。いろいろな人を思い起こし、贈りものに託して感謝や愛情を表現することの多い季節です。贈りものの包みに掛けるものと して、最近ではもっぱらリボンが使われますが、日本には古くから「水引」という美しいツールがありました。今では、慶弔用の熨斗(のし)袋で見かけるくら いですが、注連飾(しめかざり)やお供え餅などのお正月飾りに使われているのも水引。お正月も近づいた今回は、水引の歴史やそこに込められた想いを、ひも といてみましょう。

聖徳太子の時代から

水引の起源は、遠く飛鳥時代にまでさかのぼります。聖徳太子の命を受け遣隋使として中国に渡った小野妹子(おののいもこ)が帰朝した際、隋の答礼使 が携えてきた贈り物に、海路の無事を祈って紅白の麻紐が結ばれていました。それ以来、宮廷への献上品には紅白の麻紐を結ぶことが慣例になり、その後、贈答 品やお祝いの品を美しい飾り紐で結ぶようになったのだとか。そして、室町時代には素材が麻紐から和紙に替わり、江戸時代に入って紙が豊富に供給されるよう になると、水引は庶民の生活に浸透。その時代時代に合わせて、暮らしの中で活かされ洗練されて、美しい形にまで高められていったのです。

「むすぶ」ということ

献上品として渡来したものが流布したというなら、よくある話です。しかし、献上品に結ばれていた紐の方に注目し、それが習慣にまでなっていったのは、なぜでしょう。そこには、「むすぶ」ことに対する日本人の思い入れがあったようです。
苔が生えることを「苔むす」というように、そもそも「むす」とは、生命が生まれてくる意味をもつ言葉。漢字では、「生す」「産す」という字があてられま す。万葉学者の中西進さんによれば、この「むす」が神秘的な霊力を意味する「ひ」と結合して、「むすひ」という言葉が生まれたのだとか。「むすひ」は「産 霊」とも書き、万物を生み出す霊力のことで、「 むす」「むすひ」は「むすぶ」と根が同じだと解説しています。「"むすぶ"もやはり、生命の誕生とかかわる言葉」であり、「"むすぶ"ことは、永遠への祈 りを込めた、特別な価値をもつ行為」だったのです。私たち現代人が、おみくじを引いたあと何気なく神社の木の枝に結ぶのも、そんなDNAを受け継いでいる からかもしれません。

むすびの形

祈りや願い、感謝や愛情など、昔の人は、さまざまな想いを「むすぶ」ことに託してきました。出雲大社では今でも、白紙のコヨリ(紙縒り)を榊(さかき)の枝に結び、玉串をつくる伝統があるといいます。
そして水引は、このコヨリを束ねて水のりを引き、乾かして美しい紐状にしたもの。人々は、贈りものに水引を掛けて結び目をつくることで、そこにさまざまな想いを込めてきたのです。
水引の結び方は、大きく分けて二種類。蝶結びとも呼ばれる「花結び」は、容易にほどいて結びなおすことができる結び方で、結婚以外の出産や入学など「何度 あっても良い」祝い事の全般に用いられます。もうひとつの「結びきり」は、いわゆる本結びのことで、一度結んだらほどけない結び方。婚礼や葬儀、病気見舞 いなど、「二度と繰り返さない一度きりの慶弔」に使われます。 かつては、水引の結び目のことを「鬼の目」ともいったそうです。それは、「鬼ほどに強い力が結び目に生まれ、相手を祝福すると考えた名残」と中西進さん。 振りかえって私たち現代人は、そこまでの「想い」を贈りものに込められているでしょうか。
熨斗袋の水引ですら、印刷で代用されているものが増えている昨今。私たち現代人は、自分の手を使って「むすぶ」ということをあまりしなくなりまし た。小さな子どもが靴紐を結ぶのに苦労するように、結ぶという行為には手間がかかります。ましてや、それを美しく結ぼうとしたらなおさら。だからこそ、暮 らしの中にそんな丁寧な習慣を取り戻したら、日常の風景が少しちがったものになるような気もするのです。
手を使うことは、心を使うこと。贈りものをする機会の多いこの季節、相手の顔を思い浮かべながら結んだ水引を添えてみてはいかがでしょう。
みなさんは、贈りものに想いを込めるため、どんな工夫をなさっていますか?


〇参考図書:「ひらがなでよめばわかる日本語のふしぎ」(中西進/小学館)

木曜日, 4月 04, 2013

左利きの道具


 
 レオナルド・ダ・ヴィンチ、ニュートン、エジソン、アインシュタイン、夏目漱石、正岡子規、梅原龍三郎、坂本龍一、王貞治…この人たちの共通点は何 でしょう?──実は、みなさん左利き。アメリカの歴代大統領にも左利きが多いそうです。左利きには天才や芸術家タイプが多いと言われますが、なんとなくう なずけますね。とはいえ、少数派ゆえに不便を強いられることも多いのが左利きの人たち。今回は、左利きの道具について考えてみましょう。

利き腕の自由

メイン画像は左利きの人が通常のトランプを持った場合、上の画像は左右どちらでも使えるように四スミに記号が入っています
左利きの割合は全人口の8%~15%といわれています。地域や民族でその発生率に大きな差異はないといいますが、欧米に比べて日本では少ないように 感じるのは、矯正されることが多いからかもしれません。
以前、左利きの人にインタビューしたとき、「すべて左手を使うけれど、左利き専用のものは一切持っていない」と答えた人がありました。20代のその女性 は、「幼いころから、あらゆる場面で右利き用を工夫して使いこなす努力をしてきた」といいます。その理由は、「右利き社会では職場や出先で常に左専用グッ ズがあるわけではなく、そのことで後ろ指を指されることに耐えられない」から。現実に対応しようとする積極性や努力は称賛に値しますが、人と利き腕が異な ることに後ろめたさを感じさせるような空気がその社会にあるとしたら、それはちょっと寂しい社会だと思いませんか? 画一的な教育を押し付けられず個を大切にされて育ったという意味で、「左利きの人がうらやましい」と言う人もいるほどです。左利きの人が左利きのままであ りのままに生きていける。そんな社会を後押しするのが、ストレスなく使える道具の存在なのかもしれません。

左利きの不便



世の中のもののほとんどは、右利き用に作られています。左 利きの人にとっては、あらゆる場面で左右が逆。中でも、ネジやキャップの開閉、ワインのコルク抜きなどの「ひねる」行為は、いかにも大変そうです。
他にも不便を感じるものは、ハサミ、定規、カッター、缶切り、片刃包丁、ビーター、レードル、ピーラー、急須、がま口、カメラなどなど。扇子はあおぐたび に閉じてきますし、ババ抜きをするときは右手でトランプを広げると2箇所しかない角の数字と記号が見えなくなります。また、ボールペンが使いづらいという 人も多いようです。文字を書くとき、多くの言語では左から右にペンを動かしますが、左手で文字を書こうとすると、左から右へとペン先を押し出すようなアク ションに。一般的に普及しているボールペンはペン先のボールが滑らかに回転することでインクが出る構造なので、左手で押し込むようにペンを動かすとボール が滑らかに動かないのです。
道具だけではありません。「日常生活で一番ストレスに感じることは?」と左利きの人にインタビューしたところ、多くの人が「駅の自動改札機」と答えまし た。たしかに自動改札機は、タッチパネルと切符の投入口が右側にあります。左手に定期券や電子マネーを持って改札を通過しようとすると、腕をクロスさせな ければなりません。考えごとをしていると、つい隣のレーンにタッチして扉に挟まれることもあるとか。毎日のことだけに、そのストレスは大きいかもしれませ ん。

専用と共用

日常的に使うもので左利きの人が不便を感じるのは、文房具とキッチン用品が多いようです。ところがこの二つ、性質が大きく異なります。
文房具は本来パーソナルグッズで、家庭内に複数個あってもいいものです。左利き専用のものを作れば、ある程度解決するでしょう。
一方、キッチン用品の多くは家族で共用するものです。週末はご主人が料理をするなど複数の人が使用する場合、右利き用と左利き用2個ずつあっても置き場所 に困ります。缶切りやワインオープナーなどのように不便さは感じるものの、使用頻度が少なければ我慢できる範疇のものもあるでしょう。この領域では、おの ずと、右利きでも左利きでも使えるユニバーサルなデザインへの要望が高まります。
通販サイトで「左利き」と検索すると、左利き専用のグッズが数多く売られています。しかし本来は、専用にしなくても、すべての人に使いやすいデザインや機 能というものがあっていいはずです。実際、2012年に実施した「左利き」のアンケートでは、約5000名の方からご回答とご要望をいただき、その多くは 「シンプルでユニバーサルなデザインのものを開発してほしい」というものでした。
ユニバーサルデザインとは、「すべての人のためのデザイン」を意味し、男女や年齢の差異、障害の有無などにかかわらず、最初からできるだけ多くの人 が利用できるようにデザインすること。左利きの人に使いやすい道具を考えることは、すべての人にやさしい道具を考えることにもなるでしょう。
あなたの周りに、左利きの方はいらっしゃいますか?


左利きの道具|くらしの良品研究所|コラム

木曜日, 1月 24, 2013

器の性別


    写真の茶碗は無印良品の商品ではございません 「夫婦(めおと)茶碗」と呼ばれる器があります。大ぶりのものとやや小ぶりのものをペアにした同柄の飯碗や湯呑みのことです。大きいほうを男物、小 さいほうを女物とし、それを夫婦に見立てたネーミングでしょうか。どうやら日本には、器にも性別があるようです。

器の大小は性差別?

夫婦茶碗でなくても、男女で器の大きさが異なることはよく あります。銀座のある定食屋さんでは、女性客のご飯をやや小ぶりの飯碗で出したところ、ご飯好きの女性に「大きいお茶碗にしてください」と抗議されたとい う話もありました。どこに行っても画一的な茶碗で供されることの多い昨今、使う人に合わせて器を選んでいると見れば「さすが銀座」とも思えますが、これを 細やかな心配りと見るか男女差別と見るかは、意見の分かれるところなのでしょう。 こうした器の大小、特に夫婦茶碗の大小は、「性差別の象徴」として槍玉にあげられることもありました。大きいほうを男性が、小さいほうを女性が使うことが 多いため、器の大小が「虐げられた女性の社会的地位を表わしている」というわけです。とはいえ、家庭の飯碗を見れば、家族全員のものを同じ大きさで揃える ことのほうが珍しいのではないでしょうか。そして、その大小は身体の大きさや食べる量によって変えているように思われます。

手に持つ食器

日本の器の大小は、実は日本の食事スタイルと関係しています。そもそも、日本の文化は床の文化です。西洋風のテーブルがなかったのはもちろん、 「ちゃぶ台」が出現したのも明治になってからのこと。それまでの長い時代、日本人は箱膳(一人分の食器を入れておく箱で、食事のときは膳にするもの)を床 に置いて食事をしていました。料理と口との距離は相当離れていますから、必然的にお椀や皿を手で持って食べる、というスタイルになります。食器をテーブル に置いたまま食べる「皿料理」に対して、日本人の食事は手に持って食べる「椀料理」です。 手で持つということが大前提ですから、器の大きさは手の大きさに合わせて違ってきます。たとえば塗りのお椀は、男物で直径4寸(約12.1cm)、女物な ら3寸8分(約11.5cm)というのが標準的な寸法。片手で握るようにして持つ湯呑みは、お椀よりはずっと小さくて、男物で直径2寸6分(約 7.9cm)、女物で2寸4分(約7.3cm)が標準的な寸法だとか。使う人の手のサイズから割り出した寸法が、そのまま器の性別をつくりだしていたので す。

手で味わう

熱々のお茶や甘酒などを湯呑みでいただくとき、私たちは無 意識のうちに、掌でその温かさを感じながら飲んでいます。手で包むようにして持つ湯呑みを使って気づくのは、石物(磁器)と土物(陶器)では感じる熱さが 違うということです。石物の中に熱々のお茶が入っていたら、とても手では持てません。火のように熱く淹れろといわれる番茶器に土物が多いのは、そんな理由 から。一方、玉露は50~60℃くらいのお湯で入れますから、煎茶器は石物でも手で持てるわけですね。
工業デザイナーの秋岡芳夫さんは、その著書「暮らしのためのデザイン」の中で、「分厚い土物の湯呑みでコーヒーを飲んだら、さぞうまかろう」と書き、「ぼ くらの手には味覚があって、器のぬくもりで器の中身の味を味わうことができる。日本特有の食の伝統、手で器を持って食事をし、飲み物を楽しんできたその長 い歴史が、ぼくらの掌に、知らず知らずの間に『手の味覚』を育てている。毎日、味噌汁・煎茶を手で味わいつづけてきたおかげで、コーヒーを煎茶碗でおいし く飲む能力がぼくらの手には備わっている」と続けています。
いとおしむように手で持つことで、生まれ育まれてきた日本人の食文化。それは、ほどよい大きさで手になじむ器があったからこそ、と言えるかもしれません。
大柄な女性が増えた現代では、器の大小で男物・女物を分ける必要性は薄れてきているのかもしれません。いずれにせよ、大切なことは、自分の手になじ む心地よい大きさの器を選ぶこと。
みなさんは、「器の性別」についてどんなふうに思われますか?

http://www.muji.net/lab/living/130123.html?sc_cid=em-cmr-mujinet-C130123_05