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金曜日, 1月 25, 2019

『We Margiela マルジェラと私たち』|Movie

 

マルジェラ初のドキュメンタリー映画

We Margiela マルジェラと私たち

天才の秘密に迫る

 

映画『We Margiela マルジェラと私たち』

ドキュメンタリー映画『We Margiela マルジェラと私たち』が、2019年2月8日(金)からBunkamuraル・シネマほか全国で順次公開される。






『We Margiela マルジェラと私たち』は、メゾン マルタン マルジェラ (Maison Martin Margiela)の創業者・デザイナーであるマルタン・マルジェラの秘密に迫る初のドキュメンタリー。

姿を消した伝説のデザイナー、
マルタン・マルジェラの素顔とは

ファッショニスタから熱烈に支持され、メディアには匿名性を貫いた「メゾン マルタン マルジェラ」のデザイナー、マルタン・マルジェラ。1997年~2003年にはエルメスのウィメンズ・プレタポルテのデザインも手がけ、ファッションの最先端を築いたマルジェラだが、2009年、表舞台から突然姿を消したーーー。

アントワープ王立芸術学院でドリス・ヴァン・ノッテンら“アントワープの6人”に先んじて早くから注目を集め、ジャン=ポール・ゴルチエに3年間師事したのち、1988年に自身のブランド「メゾン マルタン マルジェラ」をジェニー・メイレンスと共同で創設し、翌年にはコレクションを発表。それは“反モード”を掲げ、当時主流だったゆったりとしたシルエットがタイトへと転換する契機となった作品群だった。その後、軍服やユーズドジーンズをリメイクした“ポペリズム(貧困者風)”や、レコードや靴下などいわゆる“ファブリック”ではない素材を利用するなど、探究心とユニークな世界観に満ちた作品を次々と発表し、ファッション業界を揺るがせた。また、コレクションとは豪華な会場で最新のデザインを発表する場という慣習を破り、町はずれの空き地で近隣住民を招いて開催したり、過去のデザインを再構築するなど、高級志向に背を向けた唯一無二の“デストロイコレクション”に、刺激を求めるファッショニスタが熱狂した。


“白”に隠された秘密ー。
「私たち」の歴史が明かされる。

挑発的でコンセプチュアルな作品群を発表するマルジェラ自身はどんな人物だったのか。初のドキュメンタリーとなる本作では、彼と共に一時代を築いたメイレンスやクリエイティブチームの「私たち」が激動の20年間と、謎に包まれたままファッション業界を去った異端児について初めて語り出す。1997年に撮影された写真以降、公にされた写真は存在せず、インタビューは書面のみで行い、「I=私」ではなく「We=私たち」で答えたマルジェラ。オランダ出身のドキュメンタリー作家、メンナ・ラウラ・メイール監督は「私たち」が封印してきたモードの舞台裏と狂乱の歴史に鋭く食い込み、数々の貴重なアーカイブと証言を掘り起こした。そして浮き彫りになったのは、傷ついた天才と空中分解していくチームの葛藤の日々だった。「私たち」がタグの代わりにした白い布に込めた意味とは? 




証言からマルジェラ激動の20年間が明らかに




作中では、マルタン・マルジェラと共にモードを築いたブランドの共同創始者ジェニー・メイレンス、初期のデザインに関わっていたミス・ディアナことディアナ・フェレッティ・ヴェローニ、メイクアップ・アーティストのインゲ・グログニャール、自身のブランドを持つルッツ・ヒュエル、現在アレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)にて活躍中のハーレー・ヒューズなど、当時のクリエイティヴ・スタッフの「私たち」が、今まで語られることのなかった激動の20年間を語り始める。

数々のアーカイブと証言から、傷ついた天才と引退の舞台裏が明らかになっていく。

 


常に違った何かを求める欲求、つまりクリエイティブなリスクがこのブランドの原動力になっているという強いメッセージを受け取ることができます。
だからこそマルジェラ本人が中心ではなく、ブランドの“私たち”としてのアイデンティティを表す『We Margiela』が原題となっているのでしょう。




映画の後半、記念撮影をした場所をチームの一人が紹介しています。
そこで撮られた写真には、マルジェラの“I”ではない“We”の全員が写っています
ジェニーは、全員で撮れる最後のチャンスだと、何度もマルタンを誘ったと話しています。
結局ジェニーの横は空席のままの写真となりました。
マルタンは最後まで「匿名性」を貫いたように写真では見えますが、ジェニーの最後の言葉に
この映画のすべてのメッセージが込められていると言えるでしょう。

居ないことが、在ることを示しているのよ」。
見えないからこそ存在する、“Weのマルジェラ”に会いにいきませんか。



詳細

映画『We Margiela マルジェラと私たち』
公開日:2019年2月8日(金) Bunkamuraル・シネマほか全国順次公開
監督:メンナ・ラウラ・メイール 
出演:ジェニー・メイレンス(声のみ出演)、ディアナ・フェレッティ・ヴェローニ(ミス・ディアナ)ほか 
原題:We Margiela


©2017 mint film office / AVROTROS 



金曜日, 11月 18, 2016

『マルタン・マルジェラ』

マルタン・マルジェラ

マルタン・マルジェラは、有名なファッションデザイナーです。
しかしマルタン・マルジェラ本人のことは、謎に包まれています。




マルタン・マルジェラ
ジャン=ポール・ゴルチエのアトリエで打ち合わせ

M2Mの「Anti Fashion」より




マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)
  •  
  • 1957年 (または1959年)ベルギーに生まれる(4月9日)
  • 1980年 アントワープ王立芸術アカデミーを卒業
  • 1984年 ジャン=ポール・ゴルチエのアシスタントとして働く
         (-1987年)
  • 1988年 「メゾン・マルタン・マルジェラ」を設立
         1989年春夏パリ・コレクションにデビュー
  • 1997年 エルメスのデザイン・ディレクターに就任
  • 2002年 ディーゼルのレンツォ・ロッソのグループ企業が出資
  • 2003年 エルメスでの仕事を辞める


わからないファッションデザイナー

カーディガン、プルオーバー、ドレス、ベルト マルタン・マルジェラ 1996年春夏
「FASHION A History from the 18th to the 20th Century」より
ISBN978-3-8365-5719-1


  • カーディガン、プルオーバー、ドレス、ベルト
    マルタン・マルジェラ
    レーベル:(白い木綿テープ)

    1996年春夏
    ブラウンのレーヨン・トリコットのカーディガン
    ナイロン・ネットのプルオーバー
    アセテートのワンピース・ドレス
    カーディガンとプルオーバーに転写プリント
    ビニールのベルト

 マルタン・マルジェラは、私には全くわからないファッションデザイナーです。
まず、マルタン・マルジェラがどのような人かわかりません。
いつまでデザインをしていて、いつメゾンから離れたのかもわかりません。
マルタン・マルジェラの服の良さも、私にはわかりません。
マルタン・マルジェラは、わからないことをたくさん残して消えました。



アバンギャルドか否か

 
ジャケット マルタン・マルジェラ 1997年春夏 「FASHION A History from the 18th to 20th Century」より

 

  • ジャケット
    マルタン・マルジェラ
    レーベル:(白い木綿テープ)

    1997年春夏
    麻の製造番号つきの人台をそのまま服にした
マルタン・マルジェラがデビューした1988年、私は「アバンギャルド」か「アバンギャルドではない」かの物差しかもっていませんでした。
私には、マルタン・マルジェラはアバンギャルドには見えませんでした。
本や雑誌には、マルタン・マルジェラについてのそれらしいことがたくさん書かれていました。
しかし、私にはその解説が全く理解できませんでした。
マルタン・マルジェラは過去に見たことのある服を構成し直しているように、私には見えました。
私は、ヨウジヤマモトがデビューする以前の服というものが嫌いでした。
ヨウジヤマモトのせいで、私は服好きになってしまいました。
そのような経緯もあって、古い服の再構成に見えるマルタン・マルジェラの服には私は魅力を感じませんでした。



マルタン・マルジェラが私に与えた影響

 

ジャケット マルタン・マルジェラ 1998年春夏
「FASHION A History from the 18th to 20th Century」より

  • ジャケット
    マルタン・マルジェラ
    レーベル:(白い綿テープ)
    1998年春夏
    ベージュのポリエステル平織り
    袖付けを前方に配置
    縫製後にプレスをかけている
それでは私はマルタン・マルジェラの影響を受けていないかというと、そうではありません。
服の作り方がわからない大学生だった私は、ヨウジヤマモトのような服を作りたくても作れませんでした。
そんなときに、マルタン・マルジェラがデビューしました。
マルタン・マルジェラの服には、
  • 紙でできたベスト
  • ペンキが塗られたデニムパンツ
などがありました。
これなら、私でも作れそうです。
私は持っていたリーバイス501を、黒いペンキで塗りました。
そして、紙をちぎってベストを作ってみました。
ベストは思うような形にならなかったので、最終的にダンボールでサンダルを作りました。
このサンダルを私は、東京大学先端科学研究センターの軽部研究室で履いていました。
サンダルはとても好評で、私がファッションデザイナーになりたいということを研究室の人がみんな認識してくれました。

コンセプト


コート マルタン・マルジェラ 1999年秋冬
「FASHION A History from the 18th to 20th Century」より
  • コート
    マルタン・マルジェラ
    レーベル:(白い綿テープ)
    1999年秋冬
    ダウンが入った白い平織りの綿
    端に茶色の綿のパイピング
    広げマルタン・マルジェラは、感覚的にいうとコム デ ギャルソンに似ています。
洗練とか完成度よりも、コンセプトが大事なファッションデザイナーだと思います。

私は装苑賞に応募していたとき、感じたことがありました。
私以外の候補者は、
  • 洋裁の技術を使って、オブジェを作っている
  • 服を再構成して、新しさを出そうとしている
  • 普通は服に使わない素材を使って、服を作ろうとしている
と思いました。
マルタン・マルジェラの服にも、私は同じ匂いを感じました。

まとめ


マルタン・マルジェラのアトリエの入り口
M2Mの「Anti Fashion」より

2009年の時点でマルタン・マルジェラは最近のコレクションに関わっておらず、かつて彼と仕事をしたデザイン・チームによるものだということが発表されました。
そしてその後、マルタン・マルジェラがメゾンを辞めたことが発表されました。
とても人気のあったマルタン・マルジェラですが、いつの間にか消えてしまいました。
多分、マルタン・マルジェラが消えてしまったことにすら気づいていない人もいるはずです。
ファッションデザイナーは、本当に大変な職業です。
アトリエの入り口の「SUCCESS」という文字が、寂しそうに見えます。


マルタン・マルジェラの写真は、Made to Measureの「Anti Fashion」から使いました。






服の意味を問う。孤高の天才デザイナー『マルタン・マルジェラ』にせまる。





アンチ・モード、脱構築、レディ・メイド、衣服の再構築・再定義衣などコンセプチュアルな服作りは、多くの人々に影響を与え、ファッション業界に衝撃を与え続けている『メゾン マルジェラ(Maison Margiela)』。その創立者である『マルタン・マルジェラ』は、ファッションの歴史に最も影響を与えた一人ともいわれる。
ただ、こんなにもブランドは有名になっているのに、創立者『マルタン・マルジェラ』の写真があまりにも少ない。
彼は一体どんな人物だったのか?既存の概念や価値観に常に再考をうながしてきた『マルタン・マルジェラ』にせまる。


メゾン・マルタン・マルジェラの誕生

創立者にして、デザイナーを担当してきた『マルタン・マルジェラ』は1957年4月9日、ベルギーのヘンクに生まれた。1979年にアントワープ王立芸術学院を卒業。
『アントワープの6人』と呼ばれるデザイナーとは同期だった。
彼らと同様、1980年代のパリコレクションで一世を風靡した『コムデギャルソン』(川久保玲)の影響を受けることとなる。その後、彼は3年ほどジャンポールゴルチエの元で修行をする。
1988年自身のブランド『メゾン・マルタン・マルジェラ』を立ち上げ、同年10月に初めてのコレクション(1989年春夏)をパリで発表。スレンダーなロングシルエットの洋服に身を包んだモデルが、マスクで顔を隠し、赤いペイントを施され、白いランウェイに色をつけながら歩いていく。
そんな斬新なショーを発表した『マルタン・マルジェラ』は、コレクション最後の顔出し(挨拶)はしなかった「ここにあなた方が見に来たのは、スーパーモデルでもデザイナーの私自身でもない。私のデザインした服である。」そう観客に視覚で訴えかけた彼のデビュー作。
彼の発表したコレクションは、それまで流行していたゆったりとしたシルエット、今までの常識を覆すものとなり、彼のスタイルは、『脱構築』、『デストロイ・コレクション』と呼ばれるようになる。








そして、大手メゾンブランドが一斉にクリエイティブディレクターを変更した90年代半ば、彼自身も1997年から2003年までエルメスのレディースプレタポルテのデザインを手掛けた。長く続く伝統的な技法を引き継ぎ、ハイクオリティな生地を扱いながらも、余分な生地は取り去りミニマルなシェープ、彼らしいデザインを提案していった。
そんな大役を任されながら、1997年にコンテンポラリーラインにあたる「ライン6」(後の『MM6』)、その翌年には自身のブランドでメンズコレクションを発表する。2002年には、ディーゼルの「レンツォ・ロッソ」のグループ企業から支援を受け、同年、ブリュッセルとパリでヨーロッパ発のブティックをオープン。
2005年、フランス国立モード芸術開発協会(ANDAM)の許可を得て、パリのパレ・ロワイヤルにあるフランス文化・通信相の展示用ウィンドウに『Artisanal』を展示。そうして、オートクチュール組合に加盟。
2006年春夏シーズンでコレクションを発表。ヴィンテージ服やアンティーク素材、アクセサリー(ベルト、革のバッグなど)を手作業で構築して、作り上げたラインである。
2009年、ブランド20周年を迎えた翌年に、マルタン・マルジェラはメゾンをレンツォ・ロッソグループのデザインチームに託し、ひっそりと退任した。
2014年からは、ジョン・ガリアーノがクリエイティブ・ディレクターに指名され、『Maison Margiela(メゾンマルジェラ)』に改名した。

ラベルに込められた『マルタン・マルジェラ』の真意とは

こんなにもファッション業界に大きな影響と驚きを与えた『マルタン・マルジェラ』だが、メディアへの露出を極端に嫌った。インタビューにはファックスでしか応じず、今現在、1997年に撮影された1枚を最後に写真が出て来ないことから、ミステリアスと呼ばれるようになった。
しかし、それも彼が世界に与えたかったブランドのコンセプトの一つなのだ。






私たちが普段目にするラベルは、ブランド名やデザイナー名が記されているものが多い。それが、デザイナーが「この服は私のデザインしたものだ」という証明証だからだ。
ここで私を含めた服を着る全ての人に問いたい。私たちはブランド名に踊らされ、服を購入していないだろうか?
「大手メゾンのものだから」「このブランドは有名だから」
そんな理由で、生地や、シルエット、デザインを軽視してはいないだろうか?マルジェラは、レディースラインしかなかった頃のラベルは、ブランド名も記さない、白い無地の布を縫い付けただけであった。
新たなラインが出てきている現在、それを白で統一し、0から23を黒字で記し、その服に当てはまるコレクションラインの番号に丸印をつけてある。服を管理するための数字ラベルは、角の4箇所をステッチで縫い付けられる。それは、私たちの手元に届いた時に、取り外してしまっていいように配慮されているのだ。
「ブランド名で選んだのではなく、その服の良さに惹かれて選んだのであれば、ラベルなどいらないだろう」
そんな、彼の強い想いが伝わってくる。





数字ラベルの説明

0,『ARTISANAL』
1,女性のためのコレクションライン
3,フレグランス(2010年誕生)
4,女性のためのワードローブ
8,アイウェア
10,2005年春夏より、男性のためのコレクションライン
14,男性のためのワードローブv
11,2005年秋冬からのアクセサリーライン
12,ジュエリーライン(2008年誕生)
13,1999年より、小物、出版物
22,シューズライン
6,コンテンポラリーラインは、現在「MM6」と呼ばれる。
MM6は、コンテンポラリーなカットとプリントによる型にはまらない、女性らしいカジュアルなレディースウェア、フットウェア、アクセサリー、レザーグッズを提案している。




『We Margiela マルジェラと私たち』|Movie

 

前編:ファッション史に最も影響を与えたブランド「Maison Margiela(メゾン マルジェラ)」の誕生から1999年を遡る。


後編:「メゾン マルジェラ」と孤高の天才デザイナー「マルタン・マルジェラ)」の2000年~映画「We Margiela」公開まで