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木曜日, 11月 12, 2015

HIROSHI SUGIMOTO 杉本博司 INTERVIEW .2|TS49



1.価値を普遍化して、欲望を喚起する

<杉本氏のSOURCE>
マルセル・デュシャン
撮影:マン・レイ 1920年
ゼラチン・シルバー・プリント
Courtesy of Hiroshi Sugimoto
日本の伝統「本歌取り」と「レディメイド」、駄洒落とユーモア好き、副業の古美術商と家庭教師…杉本氏自ら認めるソウルメイト。

近藤:杉本さんは、仏像とか日本の古美術をはじめ、いろんなものを収集していますけど、一個一個にまつわる歴史とは別に、買うものに共通するものってありますか。

杉本:やはり、手元に置いて時間をかけて見ないとわからないと思うものを買う。パッと見て「これは宗達の下絵で光悦の書で」というのは持ってなくてもいいわけで。吸血鬼みたいに滋養を吸い取るのに時間がかかるものを買う(笑)。向こうがこっちに取り憑くのか、こっちが向こうに取り憑くのかわからないけど……。

何千万円もするようなものもあれば、ただで拾ってきたようなものもある。それらを並べて見るのはとても心地よいことで、今、そういう展覧会を、大原美術館でやっている。拾ってきたものと買ってきたものを並列に並べてね。「収集」というのは、普通は収めて集めるんだけど、こっちは拾ってきて集める「拾集」(笑)。

拾ってきたものでも、自分の中では等価だから、逆に価値を普遍化して見せて人の欲望をどういうふうに喚起するか。そういういたずらを最初に考えたのはマルセル・デュシャンだね。「ファウンド・オブジェ」だって、拾ってきたものだよ。

近藤:拾ってきた便器にサインしたら、それがアートになったという……

杉本:それが「レディメイド」、日本語でいえば「おあつらいむき」と訳せる(笑)。

近藤:(笑)。自分が一番影響を受けたアーティストといえば、(マルセル・)デュシャンですか。ジオラマの作品を制作していた頃に、大ガラスの作品を見て「自分と発想が同じだ」と思われたとか……。

杉本:そうそう、「これでいいんだ!」とは思った。やっぱり若いころに、デュシャンには影響を受けたね。

近藤:デュシャンのほかに、同時代のアーティストなどで影響を受けた人はいますか?

杉本:はっきり言って、あまりいない。それがいないのが私の不幸だよ(笑)。私は孤独の中に、今、命絶え絶えに生きている(笑)。

2.アートと宗教:人間は何かを拝まないと生きていけない

Henry VIII
1999年
ゼラチン・シルバー・プリント
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi
絵画という記録法に代わり、蝋人形という形で記録された歴史上の人物たちを、当時の光そのままに、まるで生きているように撮影したシリーズ。

近藤:ところで、アートと宗教の共通点と違いは何だと思いますか。

杉本:アートも、宗教も、政治も、元々は同じルートから出ているものだよね。人間が一つの共同体を形成し、社会的な生活を送るようになる中での一つの規範。同じ神を崇めるということが、同じ集団をつくるということだから……

近藤:それが宗教の始まりですね。

杉本:そう。それが宗教の始まりで、同じ法律のもとに生きるということで、政治ができる。そして、同じ神を崇めるためには祭る必要があるということで、祭るための技術がアートだった。だから、みんな同根なんだ。

ところが、近代に至る過程で宗教の力が相対的に弱まってしまったので、神に仕えるための装飾をつくるアーティストが仕えるべき神が役不足になってしまった。そして近代化が始まり、アートが神から分離された形で、人間の心そのものの表出という、主なき世界に突入しちゃったのが現代美術なんだ。

<杉本氏のSOURCE>
十一面観音立像
平安時代 12世紀
木造著色
Courtesy of Hiroshi Sugimoto
杉本氏が若き頃、生活のため古美術商を営んでいたのは有名だが、今でも自身のための収集は続け、「一鉢の仏像を造る思いを成しながら現代美術にとり組んでいる」。

近藤:神に仕えるアートだったのが、個人の心の方に行ってしまったんですね。

杉本:施主がいなくなってしまった建築家みたいなもんだよね。何をつくってもいいんだけど、何をつくっても虚しい、誰も褒めてくれる人がいないという感じ。

でも、神が滅びたら美術も滅びるかというと、そうでもなく、美術は美術として残ってしまった。そして、昔は美術をサポートするパトロンは教会だった。教会というのは、金持ちが余ったお金、自分の悪業の至りのお金を浄財として寄付することによって、罪を免れるというシステムだった。

ところが、宗教の権威がなくなってしまった今、教会にお金を寄付しても何のご利益もないということで、金持ちたちは教会にではなく美術館に寄付するようになった。だから、今は教会のかわりに、美術館が1つの免罪符になっている。神さま抜きでのお金と免罪意識の循環が成り立つようになり、美術館に存在理由ができた。おもしろいことに税務署は教会に寄付しても美術館に寄付してもアメリカでは無税にしてくれる。人々はそこにお参りに行くわけだ。賽銭を投げるかわりに、入場料を払って。

印象派の絵などは、完全に偶像崇拝化しちゃってるよね。描いていた頃は値段もつかなかったようなものが、100年も経たないうちに偶像化してしまう。偶像がないと社会は成り立たない。人間というのは、イワシの頭みたいなものを信心したり、何かを拝まないと生きていけない。だから、天皇制もずっと続いている。だけど、拝まれちゃった方はいい迷惑だよね(笑)。私は少なくとも英国王室なみの天皇の人権回復をなすべきだとおもうし、天皇に京都にお帰りいただいく京都遷都運動に賛成しているのです。京都御所は150年近く空き家のままです。

3.小田原プロジェクトについて

<杉本氏のSOURCE>
棘のある三葉虫 Boedaspis ensifer
オルドビス紀 5億500万年 _ 4億3800万年前
ロシア ヴォルチョフ川流域
Courtesy of Hiroshi Sugimoto
「写真とは現在を化石化する行為」という杉本氏は写真を使う美術家として、化石、ジオラマ、蝋人形…と連なる写真という世界認識の歴史を作品化してきたとも言える。

近藤:今、小田原で5000坪の土地に計画中のプロジェクトについて聞かせて頂けますか? 施設の中に舞台があって、冬至の日にだけ光が差し込むように設計されているということを聞きましたが。

杉本:土地は農地だから、そんなに高いものじゃないけど、農地転用して開発許可をもらうのが大変なんだよね(笑)。とても観念的なものなんだけど、思いついたものをつくるというのがアーティストだからね。石室の壁は、今集めている化石で全部を埋めちゃおうと思ってる。

近藤:壁全部をですか? 本物の化石ですよね。

杉本:そうそう。掘ったら化石だらけだったという設定で歴史を捏造するわけです、それぐらい量はある。あとは、海に張り出ているガラスの能舞台もあって、地下と地上の舞台がトンネル状につながっているというのを考えている。

能の構成というのは、前仕手と後仕手に分かれているんです。今の世界と生前の世界というか、今の時間と古代の時間。そして、能の舞台というのは、中世の舞台の中で、古代の話がメインテーマになっていて、そこを旅の僧が通りかかって、不幸にして死んだ人の霊を呼び覚まして昔語りをしていると、夢の中にその人が出てきて舞を舞うという構成になっている。これを複式夢幻能と言います。

だから、地下で生前の世界、地上で今の時間と両方やって、観客ごと地下から地上に移るというような構成。能形式における時間の飛び方というのかな。演劇空間なんか、それくらいのスケールで考えていかないとね。

近藤:最初、冬至の日に太陽光が差し込むというランドアート的な仕掛けを聞いて、ジェームス・タレルの「ローデン・クレーター」と重なる部分があるのかとイメージしたんですけど……。

杉本:あれは何だろう、もうひとつ理解してないんだけど、覗くと北極星とかが見えてどうのこうの……。

近藤:僕も実際に行ったことはないですが、直径300mくらいの大きなクレーターがあって、そこに星や太陽の光が届く部屋が10個ぐらいあって、天然のプラネタリウムみたいに、クレーターの外側の空がぽっかりと切り取られて星が見える、というような仕掛けらしいです。

杉本:じゃ、わざわざつくることはない。そこに行って見てりゃいいんじゃない? あまり詳しく研究してないんだけど、よく同じものを沢山作って稼いでるなと(笑)。

放電場 019
2007-08年 ゼラチン・シルバー・プリント
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi
ネガポジ法写真の発明者、タルボットの電磁誘導研究を引継ぎ、暗室での真鍮板上のフィルムへの直接放電実験によって生まれたシリーズ。

近藤:(苦笑)。直島にも、金沢にも、NYにもある、空がぽっかり抜けてるあの作品ですね。

杉本:私は、あれは「そら(空)みたことか!」と呼んでるんだけど(笑)。こっちは飽きちゃうよね。それに最近、直島で作ってるものはネオン管で色が出てたりする。自然の色の変化を見せるはずなのに、人工的に変な色を出すなんて逆行してるよね。

近藤:僕もあれは違和感がありましたね。でも、杉本さんも「海景」などは、初期からずっと撮っていて飽きたりしないんですか?

杉本:飽きないね。どんどん高く売れるようになるから全然飽きない(笑)。

近藤:そこですか(笑)。実際、いろんなところへ行けるから飽きないんですか。

杉本:まあ、そうだったんだけど、9・11以降、今は実質的に「海景」は撮りに行けなくなってしまった。なぜかというと、生フィルムで空港のX線の検閲を通るのは、ほぼ不可能なんですよ。飛行機を使わずに移動すれば撮れるけど、日本だと、夜でもイカ釣り漁船など、明りだらけなんです。だから、暗室の中でやれるような電磁誘導実験(「放電場」)をやったりしている。

近藤:そういう事情もあったんですね。


4.生意気な若者だった

<杉本氏のSOURCE>
ルナ3号による月の裏側写真
1959年10月 ゼラチン・シルバー・プリント
Courtesy of Hiroshi Sugimoto
11歳の時、ソ連の人工衛星による、それまで誰も見たことがなかった月の裏側の写真に興奮した杉本少年。大人になってそれを手に入れた時、ソ連は消滅していた。

米田:僕も、今日のインタビューに備えていろいろと読ませてもらったんですが、アメリカに渡られた時に、「一番上から攻めるのが自分の哲学だ」と、最初から自分の売り込み方を決めていたという杉本さんの考え方がすごく面白かったんです。トップのところに作品を見せて、ダメだったら下りていけばいいと。そこが自分の価値であるという。実際に杉本さんは最初からMoMAに行って成功するわけですが(笑)、それは、ご自身が言われるように、生意気な若者だった当時の勢いだったんですか? それとも、考えた末の戦略だったんでしょうか?

杉本:まあ戦略的に考えていたよね。それが当然じゃないですか。逆に、下から這い上がっていこうと、何でみんなは思うのかと不思議(笑)。上から落ちていけばいいんじゃないかと。逆転の発想なんだよね。

近藤:それはなかなか持てないですよね。普通は、相手にされないんじゃないかと。

杉本:変な自信があったといえばあったわけだね。世の中のレベルと自分がやっていることは、どれぐらいの距離があるのか、どれぐらい新しいかとか、考えてね。だから、生意気な若者って昔いっぱいいたけど、実質的に何かあって生意気なヤツと、全く何もなくて生意気なヤツと両方いる。何もなくて生意気というのは、もうそれだけで消えていく運命だけど。私も生意気ではあったけれど、やっぱり意外とそんなに世の中甘くはなかったよね(笑)。

米田:そうですよね。杉本さんでも、やっぱり苦労されたんじゃないかなとは思っていました(笑)。

5.U2・ボノとの”STONE AGE DEAL”

U2のニューアルバム『No Line On The Horizon』に使用された杉本氏のSeascapes(2008年2月リリース)

米田:それから、U2のニューアルバム『No Line On The Horizon』(2008年2月リリース)のジャケットに杉本さんの「海景」の写真が使われて話題になりましたね。ボノとの交友について伺いたいんですけど、彼からはどんな感じで作品を使いたいと言われたんですか?

杉本:ある日突然、友人のプライベートジェットに乗ることがあって、南フランスのボノの別荘に連れて行かれちゃった。それでいかに自分があなたの作品を愛しているかと、告られた(笑)。それで、「ここから見える海を撮ってくれないか?」と頼まれたんだけど、「そんなの嫌だよ」って(笑)。それからも今日みたいにフランクな感じで英語でいろいろしゃべってたら、僕の発言をいきなりノートに取り始めたんだよね。「次のアルバムに使える!」とか言い出してさ。結構、あのU2に影響力を行使したわけだね(笑)。

米田:(笑)。ニューアルバムの制作中には、ダブリンのボノの自宅にも行かれたそうですね。

杉本:そう、彼の家に行って、アルバムのデモテープを散々聴かされて、1泊して次の日は、車で5分ぐらいのエッジ(U2のギタリスト)の家へ行って、同じような作業を一緒にやってという感じだった。

米田:ボノの家はダブリンからちょっと行った海沿いにありますよね。実は、僕も10年ぐらい前に、ボノの家にアポ無しで行ったことがあるんですよ(笑)。

杉本:へえー。中には入ったの?

米田:現地でタクシーの運ちゃんに聞いたりしながら、なんとか辿り着きました。で、僕と同じ考えのファンがいたんですが、もちろん本人はいなくてガードマンがいるだけで(笑)。

杉本:家の中に入ると、そんなに広くはないけど、庭から海岸までつながってるよね。あの海岸はプライベートで、次の日の朝、みんなでその海岸をずっと散歩したけどね。

近藤:ちなみに、ジャケット写真に載っているソフトバンクみたいなマークは、何なんですか?

米田:そっくりなCDジャケットが元々あったから、あのイコールのデザインを入れたという話もちょっと聞きました。


杉本:いや、それはあまり関係ない。ハーシュホンというワシントンの国立美術館で展覧会をやった時に、リチャード・チャーターという現代音楽のグループが杉本展のために作曲した曲というのがあって、美術館がCDを作ってカバーに偶然同じ写真を使ってたんだよ。だから、ネット上で、「ボノが盗作した」とか書かれちゃった。でも、こっちとしては別にそういう意識はなくて、どっちも金をもらってないし、使わせてあげているのだから。

その後、ボノとマネージャーのポール・マクギネスがCDジャケットのラフを持って、NYの僕のところにやって来たんだけど、「これ(写真の権利)、どうする?」という話になった。でも、面倒くさいなと(笑)。作品の価値や自分のイメージを100万で売るのか1000万で売るのか、そんなことは考えたくもない。だから、粋な計らいでいこうかと思って、こっちから、「それじゃ、これは”STONE AGE DEAL”(石器時代の取引)でいこうよ」と提案した。そしたら、ボノも「こんなの初めて!」ってびっくりしちゃった。

米田:物々交換ってことですよね。杉本さんが作品をU2に使用許可を与える代わりに、彼らの曲を使っていいことになったと。

杉本:そう、マクギネスがブツブツ言ってたから、物々交換(笑)。でも、CD1枚につき1円くれるとしたって、すでに500万枚売れたから500万入ってたことになる。1枚10円だったら5000万円入ってたんだ。もったいないことしたね!(笑)。

米田:ボノは実際はどんな感じの人ですか?

杉本:真面目なヤツだよ。よくいる有名人みたいに、なんとなくチャリティーをやろうなんて、そういうチャラけた感じじゃなくて、本気で問題解決を考えてる。

近藤:杉本さん自身は、チャリティーや人道支援には興味はありますか?

杉本:まあ、自分から始めようとは思わないけどね。人がやるのに参加してくれって言われれば、別に拒むことはないよね。

米田:ボノは必ず次、杉本さんに声をかけそうな気がするんですよ。「何かやるから手伝ってくれ」と(笑)。

杉本:声をかけられちゃったら、それは因縁だからしようがないね(笑)。

6.ショート質問連発!

<杉本氏のSOURCE>
アイザック・ニュートン『光学』初版
Courtesy of Hiroshi Sugimoto
ニュートンが『光学』を出版して300年後、杉本氏は「光は色によって屈折率が異なる」という発見とその実験方法を再現し、「影の色」という作品が生まれた。

近藤:最後に、まとめて短めの質問をさせてください。気軽に答えて頂ければ。
まず、人は何でものをつくるんでしょうか?

杉本:まあ、悲しい性だね。
人は、なんかやってないと間がもたないんだ。

近藤:知識人とは?

杉本:知識があると思っている自惚れた人間。

近藤:杉本さんは知識人ですか?

杉本:いやぁ、そこまで自惚れてないよ(笑)。まあ、あえて言えば「痴識人」といったところかな。

近藤:「割烹すぎもと」(杉本氏自ら板長として、白金の自宅にゲストを招いて手料理でもてなすという)の最近のご自慢の料理は?

杉本:最近あまり開店してないけど、このあいだ、いとうせいこうが客で、空豆を発掘物の平安時代の猿投窯のはちで出した。それから土鍋で縄文風パエリアというのを食した。大昔はなんでもうまかったね。 

近藤:好きなお酒は?

杉本:やっぱり始めはビールがいいね。プレミアム・モルツはけっこううまいね。酒は吟醸はだめでただの純米酒。

近藤:広告は一切やらないという方針をずっと貫かれてますが、その理由を教えて頂けますか?

杉本:いやぁ「売春婦がキスだけはさせない」というのと同じ……変な喩えだね(笑)。でも、コマーシャルをやらないと言ってたら、結局は現代美術そのものがコマーシャルになっちゃった。変な話だよ(笑)。

In Praise of Shadows
1998年
モノクローム 8x10 ポジ
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi
人類が数百万年、照らされていた火の光。蝋燭が燃え尽きるまでの「蝋燭の一生」を1枚の写真に焼き付けたシリーズ。

近藤:自分を動物に例えると?

杉本:動物に例えると……人間という動物だよ。

近藤:これは失礼かもしれないんですが……著書にデュシャンの墓碑の話を書かれてましたけど、杉本さんも実はすでに自分の墓碑名を考えてあったりしていますか。

杉本:そろそろ考えなくちゃなとは思ってるけど、考えたとしても発表しないよ(笑)。仏教のこと何も知らない坊さんに変な戒名つけられちゃたまらないでしょ。「写真院神妙大師」とか。

米田:ところで、教育に興味はありますか? よく、芸術家は大学の教授になったりしますよね。

杉本:教育は全然嫌い(笑)。誰かに教えて、そいつが自分と似たようなものを作ったら、嫌じゃない(笑)。ベッヒャースクールとか信じられない。教えるよりも、自分で作ってる方が世の中にも貢献するよね。大体、教えるようになったら、アーティストは駄目になる。教えることで収入が安定して、暇な時間に自分の作品をつくるというのは、アーティストとしてプロじゃないよ。 

近藤:杉本さんも若い頃、収入のために古美術商をやっていたそうですが?

杉本:私がやっていた古美術商は、自分の教育装置だから。だから、本を読むのも骨董を買うのも同じような感じだね。骨董屋をやることで、心理学的に美術館の学芸員や館長とどうつき合うかわかった。学者より上へ行かなくちゃいけないから、相手が面白いと思うものより上をいくものを持っていって、「こんなのどうでしょうか?」という感じでね。

<杉本氏のSOURCE>
William Henry Fox Talbot ”Botanical Specimen”, Circa 1835. Photogenic Drawing Positive
2006年 ゼラチン・シルバー・プリント
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi
写真術の始祖、タルボットと杉本氏の関係も深い。「気がついてみたら、私はタルボットの研究を引き継いでいたことになる。写真も、古代研究も、放電実験も」。

近藤:実際、古美術に関する知識は、美術館のキュレーターや美術史家より上にいっているんじゃないですか。

杉本:だって東大の美術史やっていても、「私は琳派の末裔の酒井抱一のそのまた弟子の○○を専門にやってます」など、どうでもいい絵描きの一生を詳しく知ってるけど、世界の文化史の中でその人間がどういう位置にあるとか、他の美術史との関連とか、ヨーロッパやイスラムではどうだったかはあまりごぞんじない。

近藤:今、絵描きも科学者も自分の専門分野だけに専門化してしまっているのに、杉本さんは「歴史の歴史」を見ても、科学と宗教と美術と……人類の歴史を全部を引き受けようとしていますよね。

杉本:うん、広く浅くね。でもね、浅瀬に時々思ってもみない深みがあって、はまってしまうことがある。一度はまったが最期抜け出せない、あり地獄みたいなやつがね。

近藤:(笑)。では、最後にもう一度デュシャンにまつわる質問です。彼は晩年に人生をふり返って、「私は幸せでした。一生食いっぱぐれることもなかったし、金持ちにならずに済みました」と言ったそうですが、経済的に成功してしまった杉本さんはいかがですか?

杉本:全部骨董品に変えちゃったから、現金がない。コレクターにはなったけど、金持ちにはなれなかったね。デュシャンも、ブランクーシの作品を全部買い取って、それを少しずつ売りながら生きていたディーラーでもあった。ブランクーシの作品があまり評価されないで売買されるというのが許せなかったんだよ。だから全部買い取って、自分で市場をコントロールした。ホントに商売人、骨董商でもあったわけだね。

近藤:コレクターという点でもデュシャンと被っていたんですね……。そんなわけで、最後にざーっとランダムに聞く形になりましたが、非常に面白かったです。

杉本:でも、これだけ勝手に無駄話をしていたのをまとめるのって、大変じゃない?

近藤:無駄話のまま載ってるかもしれないですよ(笑)。

杉本:まあ無駄のない話なんていうのがあるのかね、無駄がないと話が成り立たない、神話なんかの起源も言語の実用的なコミュニケーションからはみだした、いわば無駄の部分が結語化したものだ。というよりも、無駄が最初にあって、無駄が実用にしだいに転化して言語が成立したと言えるのだろう。

近藤:そうですね。無駄なお話も無駄にしないように原稿にさせて頂きます。
今日はありがとうございました!





杉本博司

1948年東京生まれ。1970年に渡米、1974年よりNYに移り写真制作を開始。「劇場」「海景」などに代表される作品は、明確なコンセプトと卓越した技術で高い評価を確立し、世界中の美術館に収蔵されている。2001年ハッセルブラッド国際写真賞受賞。精力的に新作発表を続けながら2005年より初の回顧展が森美術館(東京)を皮切りに米国、ヨーロッパを巡回。また、杉本氏自身の収集品と作品によって構成された「歴史の歴史」展が東京に始まり米国、カナダ、金沢、大阪を巡回。



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4.20.2009



HIROSHI SUGIMOTO 杉本博司 INTERVIEW .1
HIROSHI SUGIMOTO 杉本博司 INTERVIEW .2

HIROSHI SUGIMOTO 杉本博司 INTERVIEW .1|TS49


TSと雑誌『広告』の連動によるスペシャルインタビュー第2弾は、杉本博司さん。
「海景」「劇場」「ジオラマ」シリーズをはじめとする、深い歴史認識に基づいたコンセプトと緻密な技術による写真作品ほか、近年では直島・護王神社や進行中の小田原でのプロジェクトで自ら図面を引くなど、建築の仕事でも知られる杉本氏。

70 年代からNYをべースにアーティストとして活動してきた彼は、日本の古美術をはじめとするコレクターとしても知られる。2003年に東京のメゾンエルメスで始まり、アメリカ、カナダなどでの展示を経て、大阪国際美術館での展示を終えたばかりの「歴史の歴史」展は、そんな杉本氏自身の収集品と作品によって再編集・捏造された人類の歴史でもある。

常にアートの狭い文脈に留まらず、人類がつくりあげてきた思想、文化、科学、宗教など歴史そのものを扱う杉本氏。日本の古美術への深い造詣をもちつつ、世界の現代アートシーンで活動を続けている彼だからこそ、僕は今回、雑誌の特集テーマとして考えていた「日本のものづくりの発想の源」について聞いてみたいと思った。

杉本氏の作品については、近年発売された2冊の著書(『苔のむすまで』『現な像』) に明晰に書かれているほか、作品カタログ、無数のインタビユーでも繰り返し語られているので今回は質問を省いたが、興味のある方はそちらも是非読んで頂きたい。また、TSでお馴染みのSOURCEについては、杉本氏の作品とその滋養となってきたSOURCEの集積ともいえる「歴史の歴史」展の中から、僕の方で杉本氏自身の発想の源を選んで書かせて頂いた。

僕自身、杉本さんに初めてお会いしたのは10年ほど前、NY留学から帰る直前にチェルシーの彼のスタジオを訪ねた時だったが、その後、TSを始めて以降、いつかインタビューをさせて頂ければと思っていた。ちなみに「たいていのインタビュー ではいい加減に答えてるよ」というのは、東京で本人と立ち話をした時に聞いた話。そんな常にユーモアと虚実の混じった答え方も、氏の作品そのものに通ずるものだと思う。果たして、今回のインタビューはどうだったのか……近藤ヒデノリ(TS編集長)

Sea of Japan, Rebun Island
1996年 ゼラチン・シルバー・プリント
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi
「古代人の見ていた風景を現代人も同じように見ること」を求め、世界各地の海を水平線が画面を二分するミニマルな構図で撮影したシリーズ。

1.不幸の新しい形

近藤:前号の雑誌『広告』の特集テーマは「幸せの新しいものさし」というもので、今という時代の幸せのあり方をいろんな方に聞いてたんですが……

季刊誌「広告」4月号


杉本:じゃあ、今回は「不幸の新しいものさし」にすればいいんじゃない?(笑)。「今、何が一番避けたいものか?」ということを特集にするということで。

近藤:(笑)。新しい不幸の形から、逆に現実が見えてきますよね。

杉本:そう。最近、ドイツやアメリカで高校生の連続射殺事件など、いろいろと少年による凄惨な事件が起きてるじゃない? 新聞にも、子供というのが今まで以上にクローズアップされてきていると出ていたけど、特に少年期に周りの同年代とのつながりが保てない人間がずっと孤独で生きていると、非常に不可思議な心情になって、とにかく全部壊そうとなっちゃう。そういうのって、現代に至るまではあまりなかったことでね。親とのコミュニケーションが断絶しているから、 家庭は孤独を癒す場所には全くならない。そして、同年代とのコミュニケーションも今はネットになってしまっているから、ネットからも排除されたときには気が狂うと。

近藤:不幸と言えば、以前にたしかヨーロッパで、天災や自動車事故などいろんなアクシデントを集めた「事故の博物館」(監修:ポール・ヴィリリオ)というのがありましたね。

左から,杉本氏、近藤、米田。僕らの当初の緊張も杉本さんの酒脱な語りで一気に和んだ(ギャラリー小柳にて)。
杉本:そういう事故現場とか死とかに、アンビリーバブルな興味を持ってね。「他人の不幸が最高の幸せ」って、昔からよく言われてるからね(笑)。近藤:ジャーナリズムは、ほとんどそれで食べてるわけですしね。

杉本:そう。幸せというのは、他人の不幸を見ることでもあるし、不幸に遭遇しないことが幸せなんだよ。つまり、不幸というのは他人の幸せを見ることだとも言える。だから、階級社会でなくなって、総体的に差がなくなってくることが人間にとって最大の不幸なんだよね。共産主義社会が100年かけて実験して、失敗した要因だよ。みんな同じだと、やる気がなくなっちゃうから、みんなが不幸になるというわけ。

2.貧富の差があるから、文化も生まれる

Theaters, U.A. Play House, New York
1978年 ゼラチン・シルバー・プリント
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi
「映画1本を写真で撮ったとせよ」というビジョンから始まり、全米各地にある様々な様式の劇場内部を、映画1本分の光だけで撮影したシリーズ。
近藤:日本も今は不況になってしまいましたが、少し前までは、一部の金持ちと下流という格差社会が生まれていると言われてましたね。

杉本:それは元々、自由主義がもたらしたものだけど、日本なんて、社会主義革命が一番成功している国だと思う。小泉流の構造改革が流行って、アメリカ型の資本主義が、どんどん存在を大きくしかけたけど、完成する前に壊れちゃったというわけで。

今、世の中でこれが絶対に善であるとか、こっちの方向へ進むべきというのが無くなっているよね。たとえば、19世紀に共産主義が発明された時は、知識人がみんな共産主義を素晴らしいものだと思った。民主主義が18世紀フランス革命の頃に生まれた時も、そう思ったわけ。「自由、平等、博愛」なんて誰も文句がつけられないし、そんなことは起こり得るはずがないけども、とりあえず目指す道としてはよかった。

でも、実際の民主主義の究極は共産主義、人民による独裁という「階級がない社会」だから、それを実現してみたら、実はもっと恐ろしい不幸が裏に潜んでいて、とんでもない無気力社会、人間存在の根本を揺るがす死んだ社会になってしまったわけだ。結局は、独裁という一番悪い形でもって終わってしまった、と。

<杉本氏のSOURCE>
『タイム誌』昭和天皇
1945年5月21日号
© Time Inc. / Courtesy of Hiroshi Sugimoto
山下奉文が表紙になった戦前のバックナンバーを見つけて以来収集している。ジャーナリズムも、写真も、歴史も、「真実とは常に誰かの手によって捏造されるものである」。
近藤:それは結局、民主主義というもの自体が抱えていた問題だったんでしょうか?

杉本:民主主義というのは、資本主義と抱き合わせで発展せざるを得なくなってしまったけど、民主主義の平等の理念と、階級社会がないと成り立たない資本主義というのは、最初から、相反したものを抱き合わせにした自己矛盾なわけ。上っ面だけは、理想主義みたいに見えるんだけれども。

やっぱり人間というのは、階級社会というか貧富の差があるから、文化とかそういうのが生まれる。王様がいて、王宮を飾るために絵描きがいて、彫刻家がいる。それが、みんなが王様でみんなが召使だったら、文明というのは成り立たないわけだ。

米田:僕も同じことをよく考えています。最近、格差の負の部分だけがクローズアップされて喧伝されているような気がします。もちろん貧困の拡大は非常に問題ですが、逆に格差がないと、目指すものもなく、立ち上がっていけるチャンスもないんじゃないかと……。

杉本:だから、アメリカの建国の精神である「人間は生まれながらにして皆平等である」というのは、最初から嘘を前提にしているわけです。人間なんて、平等であるわけないじゃない? 生まれつき金持ちもいれば、頭の悪いやつも、いいやつもいるんだから(笑)。まさに、虚偽に満ちた国の始まりというか、猿芝居で国をつくったという(笑)。

3.何が専門であるという意識はない

Architecture, World Trade Center
1997年 ゼラチン・シルバー・プリント
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi
モダニズムの巨匠たちの建築物を、無限の倍という焦点距離で撮影したシリーズ。ぼけぼけになっても形が溶け残るかの「建築耐久テスト」でもある。

米田:でも、杉本さんは若かりし頃、なぜそんなアメリカに行こうと思われたんですか?

杉本:まあ、人生なんて成り行きだよ(笑)。日本に半年もいなかったら、もう帰るところがなくなっちゃうよ。

近藤:今はどのくらいの頻度で行ったりきたりなんですか?

杉本:それも成り行きで、呼ばれたところに行って芸をする、芸人というのはそういうもんだよ(笑)。ヴェニスの美術館に呼ばれば、行って何かするし、大阪に呼ばれば、行って何かする。行って芸をやっても、一銭にもならないんだけどさ(笑)。

近藤:いわば、商売のプロモーションですよね。

杉本:そう。直接は関係ないけど、それで作品が全体的に売れるように、評価が上がっていくといい。でも、あんまり上がり切っちゃいけないし。変なふうに持ち上げられちゃうと、村上隆さんみたいに急に落とされてしまう。マーケットとはつかず離れずということだね。社会とのほどよい距離というのを持つということを念頭に置いていかなくちゃいけない。こんなこと言いながら、博報堂の広報誌に出ていいのかというのはあるけど(笑)。

近藤:ほんと、杉本さんと『広告』ってのは、意外なとりあわせですよね(笑)。でも、大学時代には広告研究会に所属されていて、ポスターも作られたとか?

<杉本氏のSOURCE>
反重力構造展示風景
(国立国際美術館、大阪)
2009年 ミクスト・メディア
Courtesy of Hiroshi Sugimoto
四足歩行から二足歩行へ、そして文明の発展によるピラミッド、奈良時代の当麻寺東塔……重力に逆らうことで始まった人類の歴史は、反重力の歴史でもあった。

杉本:そう。広告研究会の制作部というのがあって、6大学の学生広告展というのがあって、一応、金賞とかもらったんだよ(笑)。学生運動の頃だったし、法政や立教の広告研究会は経済学部の教授陣がマルクス経済学者だったこともあって社会科学研究会みたいなグループがあって、広告を資本主義研究の対象として批判するというグループと、なんか遊び人が集まってるグループと2つに別れてたね。僕は両方に足を突っ込んでいたけど(笑)。

近藤:今の話とも少し関係しますが、杉本さんは他の面でも、写真と建築とか、日本とアメリカとか、どこかいつも2つ以上の領域に足を突っ込んでいるように見えるんですけど、その辺りの専門性の意識について聞かせて頂けますか?

杉本:自分は何が専門であるという意識はあまりないからね。だから「写真家」とか「カメラマン」と言われると「えっ、誰のこと?」っていう感じになることもある。最近は建築図面を書いている時間の方が多いしね。あまり専門にやっちゃうと飽きちゃうから、ほどよい距離感を持った素人としてプロの仕事を冷ややかに見るみたいな(笑)。

近藤:本来の意味でのアマチュアイズムですね。

杉本:プロになるとできないことがいっぱいあるんだよ。建築家になっちゃったら、ゼネコンとか建築の仕様とかに絡まれちゃうけど、「こっちは別にプロじゃないよ、アーティストだよ。俺がつくったのはアートだよ」と言えば、建築基準法に抵触しなかったり、「これは置いてあるだけだ、建ててないんだ」と言えるわけ(笑)。

4.無くなりつつある職人技術

Mathematical Form: Surface, 0003
Dini’s surface: a surface of constant negative curvature obtained by twisting a pseudoshere
2004年 ゼラチン・シルバー・プリント
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi
「芸術は芸術的野心のない物にも宿る」。東京大学に残されていた数理模型・機構モデルを撮影したシリーズ(東京大学総合研究博物館との共同企画)。

近藤:では、ようやく本題に入りますが(笑)、今回は雑誌『広告』の特集テーマが「日本の発想力」というもので、文学者や建築史家、科学者などに「日本のものづくりの発想とは何なのか?」を聞きに行ってるんですが、みなさん「日本的というのは曖昧なもので、結果的に日本的とも言える」というようなことを言われるんですね。例えば、建築家の石上純也さんにしても、「海外では日本的と言われるけど、特にそれを考えて作っているわけでもない」とか……。

杉本:彼はひ弱なだけだと思う(笑)。でも平安時代の貴族達もひ弱で、その中から藤原期のすばらしい「退廃の美」が生み出された。石上君にはひ弱さを徹底的に追求してもらいたい。

近藤:(苦笑)。そんな中で、杉本さんは以前から日本の古美術などを収集しながら、その滋養を作品に生かしていると思いますが、日本人のものづくりの発想の源は、何だと思われますか?

杉本:まず、日本人というのは、ものづくりは圧倒的に巧いよね。建築の現場ひとつとっても、アメリカで建築なんかできないと思う。職人意識というのがまずないからね。コンクリートを打つにしても、ミキサー車が半日遅れるのも普通だし、5時になったら掃除もせずに、やりっ放しで帰ってしまう。「掃除は俺の仕事じゃない」とか言ってね。
だから、アートもそうだけど、海外の現場ではよっぽど気を入れてやらないと精度が出ない。もちろん、特別に金をかければNASAのスペースシャトルのようなのもできるけど、ごく一般的なレベルでは、全くもう……。

近藤:緻密さも責任感も全くないんですね。

杉本:何かに特化した人たちはいるんだけど、日本みたいに一般的なレベルで、町の大工でもカンナがかけられるとか、ノミで削れるみたいなのがない。
ところが、それも今、日本でも無くなり始めている。住宅がプレハブという工場生産になってノコギリもカンナも必要なくなり、材木にほぞを彫ってうまく合わせるなど、そういう技術も必要なくなってしまった。プレハブ住宅が、日本をどんどん駄目にしていっていると思う。

5.長い縄文時代に育まれた、日本人のメンタリティー

Dioramas, Ordovician Period
1996年 ゼラチン・シルバー・プリント
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi
NYの自然史博物館にあるジオラマを片目を閉じて見たら本物のように見えた経験をもとに「どんな虚像でも、一度写真に撮ってしまえば、実像になる」ことを実験したシリーズ。

杉本:今まで日本は、トランジスタラジオでもカメラでもコンピューターでも、みんな緻密な作業をやってきたわけで、そういう日本人の特性は、日本の縄文文化が育んでいるというのが僕の考え。縄文時代というのは、旧石器時代から新石器時代で、1万年以上ずっと続いていた。普通は、それから農耕と牧畜と移っていくけど、日本はチャンスはあったのに、条件が整っていたのに、長い間そこへは行かなかった。

近藤:日本は縄文時代がやたらに長かったと。

杉本:というのは、移る必要がなかったから。温帯の島国で、モンスーン気候の中で、日本ほど恵まれた自然環境というのは世界中見てもない。中国大陸へ行っても砂漠だらけだし、フィリピンは熱帯雨林みたいな感じだし。だから、日本の自然は木でも何でも、見るとものすごく細かい。アメリカの杉なんて、でかくて大雑把で、切ってもスカスカして、節だらけ。日本の杉や檜のような育ち方をする国は他にない。山に入れば清流が流れていて、シダとか細かい植物が生えていて、苔むしていて……。

だから、縄文時代の生活というのは、狩猟採集で十分やっていけた。東京湾だって魚介類の宝庫だったし、高輪とか白金 が丘陵地帯、桜田通りというのは入り江だった。小魚がいっぱいいて、「海幸彦山幸彦」の伝説のようにね。だから、のほほんと、けっこう優雅に、楽しく1万年も過ぎてしまったと(笑)。

<杉本氏のSOURCE>
車輪石
古墳時代 4世紀
碧玉
Courtesy of Hiroshi Sugimoto
古墳時代に作られた、死者とともに埋葬するために作られたと思われる腕輪。「私たちが本来もっている形への希求がここにはある」。

その時に、恵みを与えてくれる自然に対して神としての宗教性を感じるようになった。そこに渡来人の弥生文化が来て稲作が広まるんだけど、もともとあった縄文的な神性というベースに合体しているから、弥生人が来て急に中国風になったわけではない。基本は、縄文人のメンタリティーと、自然の中で育まれた細かいスケールの単位にある。住んでいるスケールの単位が、西洋が1センチだとすれば、日本は1ミリ。その感覚が体に、血に、しみついているから、芸が細かい。近代化を果たした今でも、そういう細かさというのは日本人の特色だね。

近藤:今の日本人の細やかさは、縄文時代の自然自体の細かさだったというわけですね。

杉本:そうそう。日本に住んでいる人間は気が付かないけれども、僕みたいにずっと海外にいると、日本の自然というのは特殊だし、素晴らしいと思う。山が多いから、今でも3割とか4割しか開発されてないし、飛行機やヘリコプターで上から見ると「ここは絶対人が入れないな」というところが半分以上だしね。

近藤:ちなみに、杉本さんはずっと時間をテーマにしていますが、日本人と外国人で時間に対する意識は違うと思いますか?

杉本:日本人と外国人の違いもあるけど、個人差もあるし、ピグミーなど今でも古代の生活を続けているような部族は違う時間意識があるだろうし。インドに行けば、汽車が来ないから明日にしよう、という時間意識だしね。

日本人はその点、関西の電車が数十秒遅れただけでスピードを出しすぎて事故を起こしてしまったぐらいだからね。『ニューヨークタイムス』でも「数十秒遅れることが、命と引きかえにするほど大きなことなのか!?」って面白く書かれていた。トヨタのような車の生産にしても、1秒、2秒の単位でコストダウンを図って、アメリカの車を陵駕したわけだから。日本人の細かさというのは、時間の意識にもあると思う。

6.「いいとこ取り」の発想

近藤:日本人の美意識についても、やはり縄文時代にルーツがあると思いますか?

杉本:美意識というか、日本人には環境に対する独特の対応の仕方があるよね。今でも正月に神社にお参りに行くというのは、それが残っているわけで、「そんなのは迷信だよ」となったら、日本も終わりなのか? 違う形になるのか?…。「日本人は無宗教だ」と言うけれども、僕はそうではないと思う。やっぱり汎神教というか、全体が宗教観に覆われている。

近藤:そうですね。神社にせよ、お天道様とか、石や木への信仰とか。日本人の一番深く持っている精神性も縄文からになるんですか。


杉本:ルーツを探っていけば、太陽や自然崇拝があるけど、その中で日本は外来文明をどんどん取り入れていった。随から唐の時代に仏教と共に中国文化が入ってきた時もうまく立ち回って「いいとこ取り」だけして、宦官の制度など、中国の嫌なところは輸入しなかった。

日本人にはそうした、自分たちで利用しやすいものだけ受け入れて、それをまた100年ぐらいの間で咀嚼して、元から自分のものだったようにしてしまう特殊な能力がある。中国から大陸文明を受入れる前には、稲作文明の受入れがあったし、鉄器も青銅器も日本の場合は、ほぼ一緒に入ってきてしまったからね。

そうこうしているうちに、13世紀後半になってから中国で大混乱が起こり、騎馬民族に攻められた漢民族国家が滅びる。すると、南宗にいた五山の禅の高僧たちが、次々に日本に亡命して来る。将軍家がそれを受け入れたので、禅の正統がほとんど日本に移ってきて、中国では廃れていってしまった。

そして、禅文化というものが日本化して受け継がれ、武士の精神性みたいなのに絶大な影響を与えていく。宮本武蔵の『五輪書』とかが出てきて、封建メンタリティーの基礎みたいになっていった。そうやって、常に「いいとこ取り」をしていったわけだね。

唯一、賢かったのかどうかわからないけど、キリスト教の時だけは拒否した。キリシタン禁令にして。秀吉の目先が利いたのか……。でも、あれもチャンスと思えばチャンスだったと思うんだよね。もし、キリスト教を受け入れてたら、20万人か30万人の信者がいたわけだから。結局は、仏教信仰と習合してしまい、観音様とマリア様が一体化した、マリア観音ということになっちゃうんだよね。

米田:日本には、神社に十字架があったりしましたからね。

杉本:うん。だから、そのまま西洋文明のチャンネルをもっておけば、日本にもヨーロッパと同じ近代革命が起きた可能性はあると思う。仮想な話だけど、あの時に日本がスペインとポルトガルと組んでイギリスと対抗していたら、ルネッサンスが日本にも起こっていたかもしれない。もっとも、フィリピンや中国大陸と同じ目に遭って、インドのように英国の植民地になっていた可能性のほうが強いけど(笑)。



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杉本博司

1948年東京生まれ。1970年に渡米、1974年よりNYに移り写真制作を開始。「劇場」「海景」などに代表される作品は、明確なコンセプトと卓越した技術で高い評価を確立し、世界中の美術館に収蔵されている。2001年ハッセルブラッド国際写真賞受賞。精力的に新作発表を続けながら2005年より初の回顧展が森美術館(東京)を皮切りに米国、ヨーロッパを巡回。また、杉本氏自身の収集品と作品によって構成された「歴史の歴史」展が東京に始まり米国、カナダ、金沢、大阪を巡回。



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4.20.2009