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木曜日, 8月 23, 2018

Mario Luciano(マリオ・ルチアーノ)|インタビュー

 

マフィアの一族に生まれ、ヤクザ社会で生きた男の自伝「破界」


ふと書店でこの本が目に留まった。どう生きるかというテーマは表社会に生きる私たちだけが抱えているテーマではないだろう。暴力を共通言語として、命の取り合いをしながら生きている裏社会でこそ、むきだしでさらされているテーマではないのか。マフィアの一族に生まれ、ヤクザの世界で生きた男マリオ・ルチアーノの半生を聞いた――。


――『破界 山口組系組員になったゴッドファーザー末裔の数奇な運命』(徳間書店)はタイトル通り、あなたの数奇な半生を赤裸々に明かした本です。なぜ、書こうと思ったのですか。

「裏社会」で生きてきた人間が表に出るメリットはありません。過去やいきさつがありますから。実際、本を出してから、様々な人間が私のレストランに現れました。本を書いたのはたまたま縁があって、出版社から声をかけられたからです。どこで私の話を聞いたのかわかりませんが、「あなたの人生をまとめてみませんか?」といわれてね。私は裏社会から身を引いてから、ずっと自分が歩んできた人生について考え続けています。本を書くことで過去を整理できたら、と思ったのがオファーを受けた理由です。でも、本を書いて良かったのかどうか、いまも答えは出ていません。

――なぜ裏社会の道を歩むようになったのですか?

自分のことを特別な人間だと思ったこともありません。あなたと同じですよ。私の母がマフィアのファミリーに連なる人間でした。あなたがカタギの家に生まれて、カタギの世界で生きてきたように、私はマフィアの血を引く一族に生まれたのです。裏社会で生きていくことは自然なことでした。いいとか悪いとかの問題では語れないし、そこには自分の意志もありません。




――最初の仕事はマフィアの手伝いだったそうですね。

9歳の時でした。当時、私は父の仕事の関係でニューヨークに住んでいました。ニューヨークには母方の祖父や叔父ら「ファミリー」がいて、建設業や不動産業、飲食店など幅広くビジネスをしていました。祖父は地元の顔役でトラブルの処理や仕事の仲介もしていました。そんなある日、ファミリーに関わるマフィアの人間から、このかばんをある場所に持っていってくれないか、と頼まれたのです。後で知ったのですが、かばんの中身はカネでした。かばんを運ぶとお小遣いがもらえました。いまだからわかりますが、子供に「運び屋」をやらせるのは警察のマークを逃れるためでもあったのです。10歳になると、仲間とつるんで、駐車中の車からパーツを盗んで売り飛ばして稼ぐようになりました。その世界での才能をファミリーのメンバーからも認められて、彼らに囲まれる日々を送りました。

――23歳の時、来日しました。

それまで私はギリシャ、イタリア、米国、コロンビア、パキスタン……といろいろな国で生きてきました。日本に来る前は父とフィリピンで暮らしていました。当時のフィリピンは貧しくて、外貨を稼ぎに多くの人々が海外に働きに行っていました。父は彼らを海外に送り出す人材派遣の仕事をしていました。一方で、マルコス政権に食い込んで、マルコス大統領一族の資産を海外に移す手伝いもしていて、大金を稼いで優雅な暮らしをしていました。私は大学に通うかたわら、拳銃の密売を手がけていました。ところが、1986年にフィリピンで革命が起こり、マルコス政権が崩壊すると、私たち親子も一転して、命を狙われるようになったのです。父は日本のヤクザともコネクションがあり、彼らが「日本に来たら?安全だよ」とすすめてくれたので、脱出することにしたのです。最初に住んだのは兵庫県の芦屋です。

――その日本であなたはヤクザになります。最初は西海家総連合会系の組員になりました。

日本に来ても言葉はわからないし、知っている人もいませんでした。上京してぶらぶらしているときに、「会長」と呼ばれる人物と知り合いました。銀座のイタリアンレストランで食事をしているときに、別の席で食事をしていた会長から「どちらから来られたのですか?」と声をかけられたのがきっかけです。それから、会長の手伝いをするようになったのです。毎日、企業を回って集金し、集金したお金を会長に渡しました。支払いの名目はわかりませんが、その頃は企業も裏社会と関係を持っているところが少なくなかったのです。会長は右翼の大物でしたが、西海家総連合会系の組長でもあったので、組織に入ることは自然の成り行きでした。ずいぶんかわいがってくれてあちこち連れて行ってくれました。政財界の大物といわれる人物にもけっこう会いましたよ。

――次に日本最大のヤクザ組織・五代目山口組系の組員になります。

当時、私はブランドものの洋服や宝石の輸入販売をてがけていました。ファッションや宝石の販売・流通の一部はマフィアが握っており、そこから仕入れる必要がありました。でも、どんなジャンルでもそうですが、ビジネスや人間関係のトラブルは付きものです。そういうときにいろいろ助けてくれる山口組系の組織の人間がいて、盃を受けたのです。これも私にとっては自然な流れでした。組員になった効果ですか?もちろん、ありましたよ。山口組の代紋は絶大でしたから。組織に入るとすぐに「雑音」は消えました。





――本に書いてありますが、知人のヤクザの組長は、あなたがヤクザになったことを聞いて泣いたそうですね。

親しくおつきあいしていただいた山口組系組長のヒロシさんのことですね。そうです。ヒロシさんはがんで入院中でしたが、「お前バカだね。ヤクザなんかになったのか……」「俺は長年ヤクザをやったけど、いいことは一つもなかった……」、そういって怒りで体を震わせて泣きました。裏社会で生きていくことは厳しい。仕事でのトラブルや失敗は即、生命に関わってくる問題になります。だから、細心の注意を払わないといけない。緊張感もプレッシャーもハンパではありません。私が知っているヤクザのトップで、お酒を飲んでいる人は一人もいませんでした。

――あなた自身も襲われたことがあるそうですね。

いくら細心の注意を払っていても、どう思われるかは相手の問題ですから。思わぬことから恨みを買うこともあります。私も2回、刺されました。もちろん、被害届を警察に出したりしませんよ。事件になれば、面倒なことになります。日本の警察は優秀ですからね。医師には「店で仕込みをしているときに、誤って包丁を落とした」と言ってごまかしました。






――日本の警察はそんなに優秀ですか?

そうです、優秀ですよ。捜査能力も高いし、物腰もスマートです。世界でトップクラスだと思います。私は米国やフィリピンにもいましたが、彼らのやり方は荒っぽい。いきなり拳銃を突きつけて、「動くな!」ですから。動けばもちろん撃たれます。米国は人種差別が強い国ですから、いやがらせもひどかった。やっていないことでも、証拠がなくても、彼らの一存で身柄を拘束されます。幸い私は一度も日本の警察に逮捕されたことはありませんが、一時期、ある案件に絡んで警察からマークされていたこともあったようです。後からそう聞いて、ぞっとしました。







裏社会で生きる者から見た表の社会は「汚い」


――裏社会で生きるあなたの目に、表の社会はどのように映りましたか?

これは私のような人間が口にすべきことではないかもしれませんが、一言で言うと汚い。裏社会のように組織の統制もありませんから、ある意味、めちゃくちゃ、自分の欲やお金のために何でもやるという感じですね。企業の経営者や政治家、弁護士、医師……特に社会のトップ層やエリートにずるくて汚い人が多かった印象を持っています。

――というと?

社会のトップ層やエリートたちは、実に巧妙に合法的に人をだましたり、裏切ったりしますからね。そもそも、裏社会で人を裏切ったり、だましたりするのはそれなりの覚悟が必要です。へたしたら殺されますから。でもカタギの世界では、人を裏切っても命まで取られることはないでしょう。だから平気で汚いことをするのです。裏社会は「暴力」の形が見えやすいだけ。表の社会でも、見えないだけで「暴力」はあふれているのです。とはいえ、私は裏社会を肯定したり正当化したりするつもりはありませんから誤解しないでください。私が見た世の中の現実とはそういうものだったということです。

――なぜ、裏社会はなくならないのでしょう?

仕事があるからです。この世の中を動かしているのは法律でもルールでも正義でもない。「もっとカネが欲しい」「権力や地位が欲しい」という人間の果てしない欲望です。日本の社会でも「自分の利益のためなら人のことはどうでもいい」と考える傾向は強くなっているように思います。裏社会のビジネスは、こうした表社会からのニーズから成り立っているのです。よく言われることですが、世の中にはお金を借りて返さない人がいます。彼らの多くは、はじめからお金を返すつもりがない確信犯です。餌食になるのはそんな彼らを信じて、事業や生活に必要な大切なお金を貸した人たち。時間も費用もかけて裁判で争っても、取り返すことは難しいでしょう。その間にお金を貸した人間の生活や人生が破綻(はたん)するかもしれません。どんな手段を使ってもいい、貸してしまった100万円のうち半分でも取り返せたら……と思ったとしても理解できなくありません。









――暴対法(暴力団対策法)、暴排条例(暴力団排除条例)によって取り締まりも厳しくなっていると聞きます。

暴対法や暴排条例による取り締まりもそれなりの効果はあるでしょうが、「悪いやつらはいなくなれ」というだけで、裏社会の人間がいなくなることはありません。シチリアのマフィアの歴史を調べてみてください。シチリアの歴史は他民族の支配と圧政の連続でした。搾取や貧困の中で、暴力はそれらに対抗し生きていくために必要な手段だったのです。

つまり、私が言いたいのは、裏社会が存在するのは社会が生み出している側面もあるということです。人は聖人君子でばかりはありません。生きていくのが困難な状況に追い詰められた人たちの中には、「悪」に手を染める人も出てくるのです。貧困、差別、格差、家庭の崩壊……日本でもいま、いろいろな問題が起きていますが、こうした社会の問題の中から裏社会の担い手は生まれてくるのです。最近は暴対法の適用対象にならない、組織に属さない人間たちがトラブルや面倒を起こすケースが増えていると聞いています。私には誇るべき人生もありませんが、もし、裏社会で生きてきた私の経験を語ることで、困っている若い人たちが悪の道に入ることを踏みとどまるために役立てるのであれば協力は惜しみません。

――話を戻しましょう。裏社会で生きてきたあなたは最後、家族に裏切られて、財産をだましとられてしまいます。

信頼していた身内に裏切られることはとてもつらいことでした。結果的に、父とも姉とも弟ともバラバラになり、私の家族は崩壊してしまいました。どんなに信用や忠誠を重んじ、結束を誇っていても、裏社会で生きる人間もまた利害打算で動く人間なのです。大金を動かしているうちに、欲でおかしくなることはありますし、人を裏切ることもあります。この世界では、どんなに羽振り良く暮らしていても、最後はカネを失い、人も去り、女にも逃げられ、孤独に死んでいく人間が少なくありません。








――いまの生活はどうでしょう。あなたはヤクザをやめて、一介のレストラン経営者です。平穏に暮らしているのでしょうか?

本にも書きましたが、私のこれまでの人生は「喪失の歴史」でした。家族も財産もなにもかも失いました。残ったものはありませんし、もうなにも欲しいと思いません。友だちも欲しくないし、誰とも会いたくない。いま、私を悩ませているのは私の過去です。ふりかえると、いろいろなことが頭の中をフラッシュバックして来るのです。私が人生を間違えて生きてきたことはわかっていますが、どこで自分が道を誤ったのか、どうしたらよかったのか、これからどうしていくべきなのか……なにもかもいまは答えられない。過去と向き合う作業はほんとうにつらく、眠れない夜もままあります。

――そういう時はなにをするのですか?

 夜中にドライブして海に行ったりして気を紛らわせています。

――気を紛らわせる?

 そう。いまの私にできる唯一のことです……。






マリオ・ルチアーノさん プロフィール〉
レストラン経営者。1964年、イタリア・シチリア島生まれ。映画「ゴッドファーザー」のモデルの一人、マフィアのボス、ラッキー・ルチア-ノの血を引く。幼少期をニューヨークで過ごし、23歳のときに来日。ヤクザ組織の西海家総連合会系組員、五代目山口組系組員になる。現在は裏社会から身を引き、都内でレストラン「ウ・パドリーノ」を経営する。著書は『破界』(徳間書店)のほか、『ゴッドファーザーの血』(双葉社)がある。

水曜日, 2月 08, 2017

ROLA ローラ★ |INTERVIEW



ROLA ローラ★

超ロングインタビュー



ハリウッド女優デビュー決定後のローラの、初のロングインタビューをお届けします。






ROLA the NEXT morning

新たなる朝を迎えて



2008 年ViVi にデビューするやいなや瞬く間にトップモデルとしての地位を確立。誌面はもちろんバラエティ番組などTV で見ない日はないほどの人気者になったローラ。決してすべてがスムースだった訳ではないけれど「どんな壁にぶつかっても決して諦めない!」と本人も言う通り、強い気持ちで前に進んだ結果遂にハリウッドデビューという夢をつかみ取った……。今回はそれを記念して、ローラ初のロングインタビューが実現。幼少期のこと、モデルになったきっかけ、将来の夢etc.すべてを語ってくれました。





Vol.1

モデルの仕事を始めるまで




 最初はここで生き残っていこう” 
  と思っていたわけじゃなく、
  楽しいなっていう気持ちが一番だった  




―今回、初のロングインタビューということで、ViViデビューの頃からのローラのページをすべて見返していたら、改めて気づいたことがあったんだよね。なぜだか、「単純に元気でハッピーな子」という感じがしなかったの。そんな人にこんな繊細な表現は出来ないんじゃない?って思ったの。


R(ローラ以下同)「そうだね、ちょっと当たってるかも。6歳の時にベンガル語しか話せない状態で初めて日本に来て、言葉が何も分からないまま小学2年生として学校に入ったの。だから、会話はジェスチャーで乗り切る。そんな感じだったのを覚えてるけど、不思議なことにまったく嫌な思い出はなくて、コミュニケーションを取れなくてすごく大変だったという記憶がひとつもないの。楽しかった!という記憶だけ。毎日ザリガニを取ったり、ドジョウすくいをしたり、神社に行って遊んだとか、たまごっちやリカちゃん人形で遊んでたなとか――。

ようやく片言ながら日本語が話せるようになってきた小学4年の頃に、またバングラデシュに戻ったんだけど、今度はベンガル語を忘れてしまってて、現地の英語学校に入ったんだけど、英語の勉強も初めてだから、意味をバングラデシュ語で説明されてもわからなくて、結局その時覚えたのは発音だけだったの。あとは、ずっと美味しいフルーツ食べて、日本に戻ってきた。そんな記憶なの(笑)」

―今のローラというか、そこからさらに成長するきっかけになったことって覚えてる?


R「高校生になって、家のことも支えなきゃと思ってアルバイトを始めたんだけど、それはひとつの転機だった気がする。人と接することがさらに好きになったの。老若男女、いろんな人がお店に来て、そういう人たちとかかわれることが楽しくて、そ
こから一気に大人になっていったのかな~って。同時期にスカウトされるようになって、それまではスチュワーデスになって世界中を回るのが夢だったけど、モデルの道が目の前に突然現れたの」



―ちなみに、その頃には日本語もペラペラに?


R「アルバイトを始めた時には話せてたよ。中学2年の時に、友達にすごく一生懸命説明したのに『ちょっと何を言ってるのか分からなかった』って言われたのがすごくショックで、そこからかなり頑張って中3の頃には普通に会話も出来てたと思う」



モデルの仕事を始めた時って、どう思ってた? 


R「最初は“ここで生き残っていこう”と思っていたわけじゃなく、楽しいなっていう気持ちが一番だった。だけど、私って『一度これをやる!』と決めると、いいモノが出来上がるまで頑張りたいと思う性格で。だから、撮影した写真も必ず自分で見るし、『ダメだな……』と思うたびに悔しくて泣いて、毎月毎月がドキドキというか――。でも、それが勉強でもあって、落ち込んでは反省して『次こそは必ず!』って、誰に言われたわけではなくやっていたの。学校の勉強はあまり入り込めなかったけど、モデルの仕事においての、予習、復習みたいなことは全然苦じゃなくて、むしろどんどんはまっていった。やっと真面目に取り組めるものをひとつみつけた。そんな感じだったんだと思う」






Vol.2

ブレない姿勢






 ぽっかり空いていた穴を埋めてくれるような、
 そんな存在だったのかも。
 バラエティのお仕事は 

 


ローラは、心の中に収めてきた本音を話す時、必ずといっていいほど冗談めかして笑う癖がある。例えば、「嫌われてるっていう感覚があった」というような言葉を発する時ですら、そこに重苦しさはなく、明るいトーンのまま――。彼女はずっとこうして生きてきたんだろう。泣きたいくらい悲しいこと、辛いことがどれだけあろうが、それを訴え同情を誘うようなことはしない――。現実を嘆いたところで何も変わらない。自分の中で消化し、明るく振る舞うことで道を切り開き、自分の力で打破していくんだ。という姿勢にブレはない。


―インスタに料理をアップしたりしてるけど、そういう家庭的な一面って、小さい時から家のお手伝いをしていた影響なのかな?



R(ローラ以下同)「家事のお手伝いとかはしていたけど、料理は18歳で一人暮らしを始めてから覚えたの。自分で作らなきゃいけない環境になって作ってみたら楽しくて。モデルの仕事と同じ感覚で、盛り付けを考えたり、もっと美味しく作るには?って考えながらトライしていくのが楽しかったの」



―そこも、一度やりたいと思ったらこだわるっていう性格の表れだね。そういえば、以前、ViViに出ていたローラの部屋、すごく姫っぽかったけど、今もあんな感じ?



R「今はもっと大人っぽい感じだよ。昔の姫部屋は、仕事を終えて家に帰ったときに、現実から違う世界に切り替われるような部屋にしたいなと思って作ったの。あの家は当時の自分へのご褒美みたいなモノだったんだよね」



―そこに帰ってくると幸せだった?
 


R「うん。ペットを飼いだしたことで孤独や寂しさもなくなったし、ペットにはすごく助けられた」


―もしや、友達っていなかったの?
 


R「モデルをはじめてから数年は、撮影が終わったらお花屋さんとスーパーに寄って家に直帰。友達とご飯を食べに出たりっていうようなことをするようになったのはホントについ最近なの。その楽しさを知ったこともあるし、何より、自分の中に余裕が出てきたんだと思う」



―今は親友って呼べる人も出来た?



R「うん。最近ね。学生時代は出来なかった。仲のいい子はいたけどふざけ合う仲という感じで、内面の話を真剣にするような相手はいなかった。ふふ(笑)」



ホント、そういう時、笑うよね。笑うとこ違うから! 話を仕事に戻すけど、バラエティのお仕事についてはどう?




R「バラエティはね、20歳の時にオファーがきて、やってみたらすごく楽しかったの。実際に芸人さんと話してみたら、気質が似てる気がして居心地も良かったし、そもそも楽しいことが大好きだったから、笑いで溢れてることがすごく心地良くて、リビングに一緒にいるみたいなくらいの感じでリラックスできたの。人恋しさもあったのかもね。もちろん仕事ではあるんだけど、温かいなって――。今思うとだけど、ぽっかり空いていた穴を埋めてくれるような、そんな存在だったのかも。バラエティのお仕事は」

 

テレビでローラを見ない日がないというくらい色んな番組に出演してたけど、あれも自分で望んだこと?



R「そう。どんどんやりたいとお願いして、たくさん出させて頂いたんだけど、ある日『あれ? 私これでいいのかな?』って思ったの。レギュラーもたくさんオファーを頂いていて、本格的にバラエティをやっていくならレギュラーは絶対にあったほうがいいし。でも、それをやると決めたら、スケジュールはずっと先までそれで埋まってしまう。これからの自分というものを考えた時に、私はまだひとつに決めるタイミングじゃないなって――。他にも学びたいことがたくさんあるし、自分は何をやって生きていきたいのか、そういうことをしっかり考えて、実行に移していく時期がきたのかなって思って、徐々にいろんなレッスンに通いだしたのもその頃から――。実は、オペラもやってるんだよ。オペラ独特の世界観に入り込む感じがたまらなく好きで、将来はオペラも歌ってみたくて!」
 


―そうだったんだ。今回のハリウッドへのチャレンジも、そういう夢の実現のひとつ?



R「そうなの。いつかハリウッド映画に出てみたい。素敵な歌も歌ってみたい。そういう色んな夢をひとつずつ真剣に勉強しながらチャレンジしていきたくて、実は、今回のハリウッドの映画の話が来る1年前くらいから、LAと日本を行き来していたの。ただやりたいと言っても、日本にいるだけじゃきっかけも作れないし、環境にも慣れる必要があるし、まずは実際にLAに行って、本場のワークショップでレッスンをしたり、そういうことを去年一年やってたの」







Vol.3

ハリウッドデビュー決定の裏で……






 亡くなった猫ちゃんが 
 夢に出てきてね、
「もう泣かないで」って。




実は今回のハリウッド映画デビュー。たまたま舞い込んできたラッキーな話とはいえないほど、ローラは夢に向かって一歩づつ努力していた。その賜物だったのだ。そんな折、彼女はもう自分の居場所がなくなるんではないかと思いつめるような壁に当たった……。今、ローラがまた笑顔でみんなの前に立てるようになった理由を聞くと?
 


R(ローラ以下同)「緩やかな気持ちの変化かな。大丈夫だよ。って言ってくれる人たちもいたけど、大丈夫にはなれなくて。人前にどんな顔して出ればいいのかも分からなかった。せめて自分のことで迷惑をかけないように、やるしかないんだと続けていたら、その時間の経過と共に、少しずつだったけど、苦しさとか悲しい気持ちが和らいでいって――。そんな時に、6年間一緒に寄り添ってきた猫ちゃんも突然死んでしまったんだけど、それもひとつのきっかけだったかな」

―悲しみを持っていってくれたのかもしれないね。


R「私もそんな気がした。亡くなった猫ちゃんが夢に出てきてね、『もう泣かないで』って。私を空に呼んでるようなアニメみたいな、お部屋の中を浮きながら一緒にグルグル回って遊ぶ夢を見て、ビックリして起きたら、不思議と涙が止まって――。死を受け止めたというよりも、『もっと頑張って!』って猫ちゃんがチャンスを与えてくれた。そんな感じがして、霧が晴れたように悲しい気持ちがなくなってたの」


―毎日一緒に過ごしてきた家族だもんね。一番辛い時を支えてくれて、最後に悲しみを持っていってくれた。本当にそういう奇跡ってあると思うな。


R「高校生になって、家のことも支えなきゃと思ってアルバイトを始めたんだけど、それはひとつの転機だった気がする。人と接することがさらに好きになったの。老若男女、いろんな人がお店に来て、そういう人たちとかかわれることが楽しくて、そ
こから一気に大人になっていったのかな~って。同時期にスカウトされるようになって、それまではスチュワーデスになって世界中を回るのが夢だったけど、モデルの道が目の前に突然現れたの」

―ちなみに、その頃には日本語もペラペラに?
 


R「それから、本当に頑張っていたら、夢だったハリウッドの話が来たの」


ちゃんと頑張って積み重ねてきた人にだけ、開ける道がある。今、そんな言葉を思い出しちゃった。折れたり、諦めなくて良かったね。


R「私の事務所の社長は、私をスカウトしてくれた人でもあるんだけど、猫が死んだ時も一緒に泣いてくれるような優しい人なの。今までいろんなことがありながらも頑張ってこれたのは、そういう人との出会いだったり支えがあったからだなって本当に思う。仕事も人間関係も、ちゃんと培ってきたものは脆くない。そう改めて感じられることができたことは、私にとってすごく大きなこと」



  実際に、その一歩を踏み出してみると、
  頑張ったぶん素敵なことが待っていたし、
  刺激的で人生楽しいなって思えた 

 

―ちょっと話が前後してしまうけど、ハリウッドを目指して昨年からLAとの行き来を始めたのは、自ら決めたことだった?



R「事務所にも負担をかけてしまうことだから、そこは社長と一緒に決めたの。いろいろ考えたけど、順調ならこのままでいいやって思うことのほうが普通かなとは思う。挑戦することって大事かもしれないけど、リスクも大きいし、簡単じゃないから努力もしなきゃいけない。先が見えないぶん、怖くもある。私も、もちろんそうで、だからずっとためらっていたけど、やっぱり挑戦しなきゃって思ったの。そして、実際に、その一歩を踏み出してみると、頑張ったぶん素敵なことが待っていたし、刺激的で人生楽しいなって思えた」


―この先ってどんなことを考えてるの?




R「私が一歩踏み出して、楽しいなって思えたように、誰かのきっかけになれたり、刺激になるようなことをどんどん発信していきたいの。例えば、インスタで料理をアップしていると、たくさんの人がフォローしてくれる。若い人が料理するのが珍しいことであれば、そういう刺激を与えられたらいいなって思うし、ファッションや英語もそう。インスタで英語を使うようになったのは、私自身の英語の勉強にもなるし、日本がもっと英語社会になったらいいなって思ったからなの。実際に、英語に親しんだことで私の視野もすごく広がったし、自分がチャレンジして良かったなって思えたことだから、誰かの『やってみようかな』っていうきっかけになったり、一緒に楽しんでみようよ。っていう感覚なの」




―影響を与えたいというよりも、役立ちたいっていう感じ?


R「そう! 小さいことでもいいから、そうなれることをどんどん発信していきたいなって思う。自分の仕事も頑張りつつ、それとは別の部分でね」







Vol.4

大事にしていること、恋のこと




 ぶっちゃけ、
 ぜんぜん恋愛してなかった。
 6年くらいはなかったかも 




発信=仕事ではないんだ。自分のライフワークってこと?。ローラはそこがハッキリ分かれてるんだね。ドサクサ紛れに聞くけど、そういう時って、恋愛ってどうなの?

R(ローラ以下同)「ぶっちゃけ、ぜんぜん恋愛してなかった。6年くらいはなかったかも。出会いの場にも行かないし、男性に連絡先を渡すこともまったくないし、モテなかったのかな(笑)」

でも、噂があった方もいたじゃない?


R「番組がきっかけで仲良くなったのは本当だけど、恋愛とは違う。あの時も、正直ショックだった。結局、楽しい時間もなくなってしまったから――。いまだに結婚とか記事にされるけど、それも誰かの作り話。結婚って女の子にとってすごく重大なことで、それを軽々しく扱っても欲しくないのに、気にするなと言われても、やっぱり傷つくし悲しい」


有名税とは簡単に割り切れないよね。芸能人といえど、ひとりの人間だし。良くも悪くも注目を浴びたり、晒される世界で、自分自身を見失わないように大事にしてることってある?


R「私が大事にしなきゃいけないと思ってるのは、強い心。どんなに強い風が吹いても流されない、折れない、そんな強い心が大事だなって思ってる」


 言い訳って、
 現実から逃げてる感じがして嫌なの 



その強さの軸になるものってなんだろう?
R「それは今までの経験なんじゃないかな。たくさんの壁にぶつかって砕けて、それでも諦めないでまた進んで――。それがあったから、強くもなれたし、ひとつ、ひとつ、乗り越えることでなりたい自分に近づいてこれた。あとは、言い訳しないことも大事だと思う。自分は◯◯だからいいや、とかじゃなく、こうだからこうしよう。って逃げずに向き合うこと。私だって自分の声やしゃべり方が好きじゃないっていうようなコンプレックスはたくさんあるけど、だから仕方ないっていう考え方が嫌いだった。ファッションもそうで、似合わないで絶対に終わらせないし、言わないの。『似合うような体になればいい』『似合うような髪型にする』『自分に合うものを見つける』とか、すべてに対してベクトルを転換してきたの」



それは昔から?



R「そう。言い訳って、現実から逃げてる感じがして嫌なの。逆にね、これはローラにしか似合わないよっていう言葉も好きじゃないの。どうしようっていう部分があっても、誰だって似合うようになれると思うし、チャレンジしてみようよって思う」

 

それを褒め言葉には取れないんだ?


 
R「ぜんぜん嫌(笑)。嬉しくない。ありがとうとは思うけど、私は背も高くないし実際はそんなことないでしょ。英語にしても、ちゃんとやる気があれば誰でも出来るようになると思う。私だって、いつも『仕事は10時からにして』ってお願いしてるのは、7時に起きて2時間は英語のレッスンしたいからだし」



それ毎日の日課? ちょっとビックリした!


 
R「うん。そうやって時間を作って努力しなきゃ覚えられないし、何かしたいことがあるならその時間を作ればいいじゃない?」



そうなんだよね、努力なくして何事も成しえず。


 
R「ホントそう。他にもいろいろやりたいことだらけで、今、ぜんぜん時間が足りないくらいなの」



恋愛する余裕もないくらい?



R「そこはね、最近はちょっと気になる人が出てきたりしたりして(笑)。やっぱり恋愛したいなって気持ちになってきたとこ♥」


 


目標がひとつ達成できたことで気持ちに余裕が出来たって言ってたけど、恋愛の隙間も生まれたと。それじゃ、ますます時間足りないはずだ!(笑)









Vol.5

ハリウッド・これから……




 今こうして私がここに居られるのは、
 差し伸べてくれる手があったり、
 諦めないでいてくれた人たちがいたから—— 




―ハリウッドでの撮影を終えて、初めての夢の現場はどうだった?
 


R(ローラ以下同)「ホントに最高の時間で、幸せすぎて死んじゃうかと思ったけど台本はすべて英語で書いてあるから訳したりするのは大変(笑)。でも、セットに入ったら、うわ~って舞い上がっちゃって。衣装もどれもすごく素敵だったし、何より、人が素晴らしくて共演者の人たちとも仲良くなれたのが嬉しかった。一緒にディナーに行ってお互いの国の話をしたり。ちょっと恋愛みたいなドキドキ感もあったり(笑)。毎日がすごく刺激的だった。ミラさんもすごく優しかったよ」



―英語で会話してたの?


 
R「したした! まだ勉強中の下手な英語なのにみんな理解しようとしてくれて、笑ってくれたり――。日本と同じであまり気を使わずに思ったことすぐに口にしちゃってたせいか、『ローラ、面白いからアメリカのテレビに出たほうがいいよ』とか、『こんな人、会ったことない!』『そんなこと言われたの初めて!』っていつも爆笑されてたの」

ローラの親しみやすさって万国共通なんだ

ね! すごすぎる! ちなみにどんな暴言を?
 

―ローラの親しみやすさって万国共通なんだね! すごすぎる! ちなみにどんな暴言を?




R「あなたの目は顔に対して大きすぎる。too much big eyes みたいなことをイケメンで有名な人に言ったり、すごくショックを受けてたみたいだけど、逆に仲良くなって、あの時は最高に楽しかったね~って」



ローラ恐るべし(笑)。そこで好かれてしまうのがローラたる所以なんだろうし、どこでも生きていけちゃうのが分かったけど、これからのローラってどうなっていくんだろう?
 

R「日本のバラエティも大好きだし、これからも日本のお仕事も続けていきつつ、アメリカでも次の映画を目指していきたい。基本的には女優のお仕事のキャリアを頑張って積んでいきたいけど、歌も歌いたいし、今はまだ1個に絞るよりも、自分の好きなこと、可能性のあることには貪欲に挑んでいきたい」



―さっき話していた“発信”もそのひとつ?

R「そう。LAに行くようになってから、日本のことを聞かれる機会が増えて、日本の食事や文化にもカッコいいものがたくさんあるし、それをもっと伝えたいなっていう発信もしていきたいし」



―なるほど。日本の中から見る日本ではなく、海外に行ったことで改めて感じた日本の良さがあったんだね。
 


R「そうなの。それを教えてあげたいし、逆にLAで知ったいいものも伝えたいなって。本当にいいなと思ったモノをシェアし合いながら、もっとビューティフルな世界があるよ。って、みんなで気づけたらいいよね!」



ローラのやりたいことの根底にあるものって、誰かの笑顔に繋がることとも言えるよね。それって、やっぱり自身の体験が影響してる?


R「それは、ある。事務所に入った時に社長さんに話した夢というか、最終的な目標があって――。お金がなくて勉強できない子供たちってまだ世界にたくさんいて、その気持ちは私もすごくよくわかる。自分が苦労してきた部分でもあって、私にとってはすごく現実的なことだから。そういう人たちの役に立ちたいの。ずっとその想いは変わってなくて、これからはもっと積極的にやっていきたい。今こうして私がここに居られるのは、差し伸べてくれる手があったり、諦めないでいてくれた人たちがいたから――。私も誰かのそういう手になりたいし、そのことを諦めたりもしたくない」

―ホント、よく頑張ってきたよね。



R「ありがと。でも、まだまだ始まったばかりだから。この仕事を始めて10年くらい経つけど、今までが下準備というか、料理で例えれば、下ごしらえがやっと終わった。そんな感じ。これから何を作っていくか――。美味しいサンドイッチを作って、みんなにパクパク食べてもらうことで、誰かの栄養になれたり、これいいね!って喜んでもらえたら嬉しい。今までの経験をどう組み合わせていくのか、新しいレシピを考えるみたいでそれもすごく楽しみ! あ、でも、こんな例えで伝わるかな?(笑)


―ローラらしくて、いいんじゃない?



「そうだよね、ふふふ。こんなに自分のこと話すことってそうないから、なんかスッキリしちゃった! 最後になっちゃったけど、いつも応援してくれる皆さん、本当にどうもありがとう。これからもっともっと頑張っていくので、よろしくね!」



~Fin







Photo/Eiki Mori Stylist/Shino Suganuma(tsuji) Hair&Make-up/Sayoko Yoshizaki(NAP) Interview/Takako Tsuriya Design/attik
http://www.vivi.tv/topics/2015/12/757/




「GO! GO! TAIWAN」価格¥1300(税別)

月曜日, 4月 04, 2011

嘘つきバービー インタビュー

 

 笑いとシリアスの狭間から

嘘つきバービーインタビュー


フロントマンの岩下が言葉で提示したお題に対し、ギターの千布がそのイメージからリフなどを作って答え、正解(と便宜上ここではしておく)が見つかると楽曲として固まっていく。新作『ニニニニ』でメジャーデビューを果たす嘘つきバービーは、そんな独自の作曲方法で個性的な楽曲を生み出すバンドである。シュールで、滑稽で、どこか悲哀も感じさせるその世界観は、本人が語るように『ごっつええ感じ』のコントのようで、その作曲方法は、松本人志がやっていた「一人ごっつ」の大喜利のようだと言えば、お笑い好きにはきっと通じるだろう(わからない人、ごめんなさい)。そんな特殊なバンドのインタビュー、徐々にその独自のスタンスに引き込まれて、次から次へと質問を投げかける、こちらもまるで大喜利のようなインタビューになっていった。そして、様々な質問というお題に対し、ひとつひとつ考えながらも、的確に答えを見つけ出していった岩下からは、自らを「歌詞人間」と呼ぶだけのことはある、言葉に対する鋭いセンスが感じられたのだった。



何も変わってないんですよね、ホントに。もうメジャーデビューしてると思ってましたし。


―僕この『ニニニニ』ってタイトルの意味がわかったかなって思ってるんですけど…

岩下:いや、これ意味はないんですけどね。1番意味のない言葉を並べようと思ってこのタイトルにしたんで。

―あれ、そうなんですか?(笑) 以前リリースした『問題のセカンド』って、ファーストアルバムであり、通算3枚目の作品であり、でもセカンドって名付けていたじゃないですか? だから今回もセカンドアルバムであり、アルバムとしては通算4枚目だから『ニニニニ』(ニが4つ)なのかなって思ったんですけど…。

岩下:なるほど(笑) でも、今回はタイトルで先入観を持たれたくないと思って、1番記号的な、字面も変化が全然ない、イントネーションもない、言いにくいっていうものにしたんです。

―そっか、残念です(笑)。では本作でメジャーデビューとなるわけですが、それに対する特別な気持ちはありますか?

岩下:何も変わってないんですよね、ホントに。もうメジャーデビューしてると思ってましたし。


岩下優介


―(笑)。2008年に『問題のセカンド』を出して、去年、一昨年はシングル1枚ずつのリリースでした。その間は継続的に曲作りをしていたんですか?

岩下:2枚目のシングル(『化学の新作』2010年3月発売)を出した後に、僕が病気を患って、2ヶ月ほど入院したんです。そこからリハビリも兼ねてライブをやっていきながらって感じですね。別に方向性を変えようとか、曲ができないとかじゃなくて、単純に「病気した」っていう。

―病気が結果的に何らかの変化をもたらしたりは?

岩下:『化学の新作』を作った後にレコ−ディングしようとしていた曲たちがあって、アルバムのコンセプトもあったんですけど、それをゼロにしてまたやり直しました。

―時期がずれて、やりたいことが変わったんですか?

岩下:ただ単に飽きたんでしょうね。

―ちなみに、どんなコンセプトだったんですか?

岩下:1〜2分の短い曲を20〜30曲入れてやろうと思ったんですけど、「それ全部ナシ!」ってお蔵入りにしました。



笑いとシリアスの微妙なとこをいってるんで、笑い色が強くなっちゃうと嫌だったんです。

 

―嘘つきバービーの曲の作り方って、まず岩下さんがストーリーを作って、それをメンバーに見せるところからスタートするそうですね。そのやり方は変わってないんですか?

岩下:“ファンタ”っていう曲は千布くんが楽曲を先に持ってきたんですけど、それ以外は基本的に変わってないです。今作に関してはストーリーではなくて、「こういう感じ」っていう情景みたいなもの、例えば(手元を見て)「灰皿とライターがけんかしたときの感じ」とか、そういう振り方ですね。そうやって単語と世界観を振って、それに対して千布が音で返してくれて、「こういう感じ?」、「違う」、「こういう感じ?」、「違う」っていうのを繰り返すんです。

―ストーリーから単語とか情景に変わったのはなぜなんでしょう?

岩下:僕がストーリーを書いて渡してしまうと、僕の中で明確なイメージが出来上がっちゃうんです。千布が持ってくるものが「どんなんやろ?」って知りたかったっていうのはありますね。

―1人の世界観ではなく、バンドとして有機的な作り方になったわけですね。千布さんにとっては、ストーリーから単語や情景に変わったことで影響はあったんですか?

千布:お題が出て、それに答えるっていうスタンスは変わらないじゃないですか。だから変わったっていうことはあんまりないですね。

 
千布寿也

 

―なるほど。岩下さんの独特な世界観も変わっていないですしね。ちなみにその世界観って、どんな影響源があるんですか?

岩下:多分お笑いから来てると思うんですよ。ダウンタウンがすごく好きで、そういうところから受けた影響は大きいですね。あとは漫画とか舞台とか。

―ダウンタウンからはどんな部分で影響を受けてるんですか?

岩下:ダウンタウンで好きなコントがあって、ババアとジジイが長い腸を家に持ってきて、「こんなもん持ってくるな!」ってケンカしてるって内容なんです。使い古された言葉だけど、「非現実の世界の日常」っていうのが、僕は好きなんだと思います。

―去年はライブのオープニングアクトに落語家を起用してましたよね。

岩下:漫才も考えたんですけど、嘘つきバービーと合わせたときに世界観が崩れると思ったんですよ。僕らは笑いとシリアスの微妙なとこを狙っているんで、笑い色が強くなっちゃうと嫌だったんです。それで、落語っていう、話を聞かせるものの方がいいかなって。お客さんも笑いを求めてきているわけじゃないし、僕らも笑わせるのが目的ではないので。


音楽じゃなくてもよかったです、正直。


―ちなみに、お笑いのネタを書いたりしたこともあるんですか?

岩下:ありますね。ただ僕は極度の恥ずかしがり屋なので、自分で漫才はできないんですよ。だから、本を書いただけなんですけど。

―でも、そんな極度の恥ずかしがり屋の人がバンドをやってるわけですよね?

岩下:でもバンドって、セリフとかないじゃないですか?

―ああ、演じるのは恥ずかしいけど、自分そのままならいいと。では、なぜお笑いや漫画や舞台が好きな人が、それらではなく音楽をやっているんでしょうか?

岩下:音楽じゃなくてもよかったです、正直。若かったから、普通にやっても面白くない、変なことがやりたいっていうのがまずあって。舞台とか小説は斜めから見たものがいっぱいあるけど、音楽はそういうのがないと思って始めたんですよ。深く追求していったら、実はいっぱいあったんですけど。

―消去法に近い感じだったんですね。でも音楽そのものの魅力もあったんじゃないですか?

岩下:あんまり好きじゃないっていうのが1番の魅力かもしれないです。好きだと追求し過ぎてしまうんで、逆にあんまり面白いものを作れなかったかもしれないですね。僕らの音楽は今でも「わかりにくい」って言われるんですけど、もし大好きなものを作ったら、もっともっと堅くなっちゃうような気がします。

―千布さんと豊田さんは音楽畑の出身ですか?

千布:僕も今でこそ音楽聴きますけど、始めた当初は全然聴いてなかったです。このバンドに誘われたのがきっかけなんで。もちろん、今は好きですけどね。茂(豊田)は最初から音楽好きだったんですけど。

―それぞれのスタンスがあるのが面白いですね。

千布:でも一個のものを作ろうっていう名目で集まってますからね。世界観を持ってるのはもちろんイワ(岩下)なんで、僕はそれの色づけというか、フィルターですね。豊田くん、いかがでしょう?


豊田茂
豊田:全くその通り。



岩下:今日はこれまで取材が2つあったんですけど、「全くその通り」を2回言っただけ。

―(笑)。でも先ほど千布さんが先に曲を作ったケースもあるという話でしたが、それはなぜ?

岩下:…痺れを切らしたんじゃないですかね。いつまで経ってもゴーが出ないというか、千布が持って来てくれたギターリフに「違う」、「違う」って結構言ってたんで、痺れを切らして1曲作ったみたいな。

―いつも難産なんですか?

岩下:今までずっとそうですね。取っ掛かりというか、僕の言葉と持ってきたギターリフが合えばすぐできるんですけど、合うまでがいつも長いんです。でも、そこを大切にしてるんで。

―その「合う」ってどういう感覚なんですか?

岩下:僕も一応音楽家なんで、イメージはあるんですね。そのイメージを超えてきたときですね。


突き詰めていけば引き算になるじゃないですか?


―ああ、なるほどなぁ。最初に短い曲ばかりのアルバムを作ろうとしたっていう話がありましたけど、短い曲ならどんどん作れるかなっていうのもあったんですか?

岩下:いや、違いますね。「20曲ぐらいやろう」っていうのが先だったんです。何か大百科みたいのを作りたかったんですよ。妖怪辞典みたいなアルバムを。ありもしない人とか情景を勝手に作って、それの説明文が20曲あれば、次のアルバムでそのありもしないものを単語として出せるなって。

―面白いですね。例えば今作の曲だと“イワとイイ関係”には「amami nigami」って単語が出てきますが、『問題のセカンド』に収録されてた“アマミとニガミ”との関連が感じられますよね。

岩下:そうですね。それは名残かもしれないです。“イワとイイ関係”の登場人物は、全部前のアルバムまでの登場人物なんですよ。これが1番最初にできた曲で、今までの嘘つきバービーを逆手にとれる曲ができたんで、これがあればアルバムにテーマ設定すら必要ないと思えたんです。

―じゃあテーマ性以外で、今回のアルバムでポイントになった部分というとどんな部分ですか?

岩下:今回のアルバムは音楽的になってるんじゃないですかね? 発想とかだけだったのが、音楽としてどういう風に変わりつつあるかっていう。



千布:昔はポンポンって発想が出てきて、それを組み合わせて完成みたいな、足し算で曲を作ってたんですけど、『バビブベ以外人間 / ねこ子』を作った後ぐらいから、引き算で作る方がかっこいいと思うようになったんです。1つ1つの音を突き詰めていけば、無駄なものはいらないじゃないですか?

―わかります。

千布:昔は1個1個リフがあって、次々にリフが変わって目まぐるしい感じだったんですけど、今はすごくシンプルになってますね。要は歌詞を大事にしたいんです。
岩下:そう言っておいて、次のアルバムでは目まぐるしく展開するような曲を作るバンドです。

―(笑)。

千布:面白ければいいんですよね、結局。普通は次の作品で同じことはやらないけど、わざと全く同じことをやったりとか。そのときの発想と今までやってきたものを見ながら、楽しんで作ってます。

ロックに心酔している人の滑稽さとかっこよさ


―では、具体的に曲についても聞きたいのですが、“音楽ずるり”には「どうですか これがロックンですか」「しっしっロックンがうつる」という、ある意味挑戦的にも受け取れるような歌詞がありますよね。この歌詞はどういう意図で書かれてるんですか?

岩下:単純にカテゴライズが嫌いだし、ロックに心酔している人の滑稽さとかっこよさ、両方ですね。僕的にはけなしてるとか、批判してるつもりもないですし、僕の考えを言ってるだけ。僕、この曲で初めて自分の感情を入れたんです。

―ああ、そうですよね。



岩下:内田裕也さんとか、ロックの人たちって、認めたものに対して「ロックだね」って言うじゃないですか。それのおかしみみたいなのをどんどん破綻させていこうと思って。でも、少しもぶれることなく彼は8ビートを刻んでるっていうのは、かっこいいと思う。

―極度の照れ屋である岩下さんが初めて自分の感情を入れたのはなぜなんでしょう?

岩下:なんでしょうね…でも、必死じゃないからいいなって思ったんです。必死に「ロックだせえよ!」とか言ってるわけじゃないし。

―なるほど。この曲はロックを題材としつつもいろんな解釈ができる曲ではありますが、あえて聞くと、そもそもロックはお好きですか?

岩下:どうなんですかね…あやふやでしょ? ロックって。この言葉自体がダサいって思うから出したっていうのもあるんですけど…

―嘘つきバービーって、ロックの文脈において「ポストゆら帝」みたいな言われ方してるじゃないですか? 実際にゆら帝が解散して、嘘つきがメジャーデビューとなると、ますますそう言われる可能性があると思うんですけど、そう言われることに関してはいかがですか?

岩下:音楽で表現しようって決めたときに、たまとかゆら帝に惹かれて模写した部分もあるから、似てるって言われたら「でしょうね」って。まあ、ポストゆら帝って言われると、「そうですかねえ?」って思いますけど。

―今日話しててバンドとしての成り立ちが全然違うんだなっていうのはよくわかりました。
岩下:めっちゃ好きですけどね、今も。



映画とかと違って、曲って何回も聴くもんなんで、何回見ても違う方向から見れる歌詞を目指してますね。

 

―ちなみに、岩下さんの音楽的なルーツっていうとどの辺なんですか?

岩下:バンド始める前は、昭和歌謡曲とかめっちゃ聴いてました。あと童謡は今も好きですね。

―好きなポイントっていうのは、やっぱり言葉の魅力なんですか?

岩下:どうですかね…80年代の、百恵ちゃんの歌詞とか面白いと思います。今売れてるバンドの歌詞よりも、モーニング娘。とかアイドルの歌詞の方が面白いと思いますし。規制がないというか、何でも言うじゃないですか? 逆に、ビジュアル形バンドを否定するつもりはないですけど、「雑踏」とか、「一輪の花がどうのこうの」とか、「これ使っとけば80点取れる」みたいな単語があるのはちょっとなって。

―洋楽は全然聴かないんですよね?

岩下:洋楽は全くですね。世界観というか、歌詞が全くわからないんで。歌詞人間なんで、僕は。

―ベーシストとして音楽を聴くことは?

岩下:聴くのとやるのは違う感じがあって、やるときはもちろんリズムとか意識するんですけどね。

―じゃあボーカリストとしてはどうですか? 歌ってるのか、言葉を伝えてるのか、発語の快感が大事なのか?

岩下:はあ…今日1番に難しいですね…。「歌」っていうお題ですかね。「歌」っていう中でどうするかっていうお題があって、それに答えるっていうことですかね。うん、お題でしかないですね。

―なるほど。じゃあ歌詞は聴き手にどう伝わってほしいとかってありますか?

岩下:フワッて絵を浮かべてもらえればいいかなと思ってます。あと映画と違って、音楽って何回も聴くもんなんで、何回見ても違う方向から見れる歌詞を目指してますね。高校生が普通に聴いて「これは明るい歌だ」と思っていたのが、ババアとかになって「あ、明るい歌じゃないわ」ってなるような。だから一見明るいけど、実は暗いみたいなのが多いです。

―そういう表現に惹かれるのはなぜでしょう?

岩下:うーん…人間って本質は全部暗いんじゃないかと思うんですよ。暗いんだけど、明るく振舞おうとして必死になってるやつとか、そういう情景のほうが僕には面白いってことですかね。たとえば鳥が海に浮かんでるのを想像したときに、実は海中で一生懸命に足をバタバタさせてる、そっちを見る方が僕には面白いんです。

―なるほど。何となく、嘘つきバービーの真実が見えてきた気がしました(笑)。これから更にどんな作品を作ってくれるのか、期待して待つ喜びがありますね。今後の展望はありますか?

岩下:僕ら作品ごとに作風を変えていくんで、その発想が続けばいいですね。だから音楽をこれ以上好きにならずに、かといって嫌いにもならずにいたいですね。

―好きになり過ぎちゃうとつまらなくなっちゃうと。

岩下:それに気づき始めてる自分もちょっと嫌なんですけど。

 

 

 

 

 

嘘つきバービー

岩下優介(Ba,Vo)、千布寿也(Gt)、豊田茂(Dr)らによって2002年に長崎県佐世保市で結成され、2007年にミニアルバム『子供の含みぐせ』でデビュー。2008年に『増えた1もグル』、『問題のセカンド』をリリース。その後、期間限定シングル(DVD付)「バビブベ以外人間/ねこ子」(2009年)、「化学の新作」(2010年)をリリース。音楽のみならずその破天荒なライブパフォーマンスも話題をよび、ライブイベントでは入場規制やソールドアウトを記録。


 





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