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木曜日, 10月 08, 2015

叱られたい人々

叱られたい人々





地震・雷・火事・おやじ…
昔から「怖いもの」の代表として、語り継がれてきた言葉です。天災や火事とおやじが同列に並ぶなんて、と思いますが、たしかにかつては、怒ると「雷が落ちた」と形容されるほど怖いおやじをあちこちで見かけたものでした。いまではそんな人には滅多にお目にかかれませんが、そのせいかどうか、最近「叱られたい」願望を持つ若い人が増えているといいます。

叱られたがる若者たち

親や家族、近所のおじさんやおばさん、学校の先生、部活のコーチ、会社の上司や先輩…かつて、人は一人前になるまでの過程で、多くの人に叱られて育ったものでした。叱り・叱られる関係は、ごく日常的な風景。それだけに、わざわざ好き好んで「叱られたい」と思う人は、あまりいなかったと言ってよいでしょう。ところがここに来て、これまでの常識をひっくり返すように、「叱られたい」願望を持つ若い人が増えているというのです。

ネット上のブックストアで「叱る」「叱られる」をキーワードに検索すれば、関連本に続々とヒット。テレビ番組でも、しばしばそのテーマが取り上げられます。アイドルに怒られ続ける動画の再生回数は120万回を突破し、夜の街ではママが客を叱りつける店が大繁盛し、企業では上手な叱られ方を学ぶ研修もあるとか。中には、1時間千円を支払って"おっさんレンタル"を利用し、人生経験豊富な中年男性に叱ってもらうことで安心する人もいるようです。

不安の裏返し?


NHK が「叱られる」ことについて尋ねたアンケート(10代から30代の200人以上が回答)では、「周囲に叱ってくれる人はいますか」という質問に対して、半数を超える人が「いない」と答え、さらに、およそ4割の人が「叱られたい、叱ってくれる人がほしい」と考えていることがわかりました。

なぜ、そんなに「叱られたい」のでしょう? 同番組の街頭インタビューでは、「叱られないと成長できないと思う」「叱ってくれないと、自分のことを本当に考えてくれているのか不安になる」といった声が聞かれました。

「叱られたい」という人の多くはソーシャルネットワークでたくさんの人とつながっていて、友人にも恵まれているように見えます。でも、自分が弱気になった時や友人に叱ってほしいような時、「いいね!」という共感ばかりが返ってきて、リアルな感覚がないままに応援されても逆に不安になるのだとか。会社でもプライベートでも、自分を叱ってくれる人がいないという中で、叱ってもらうことが、自己確認のひとつの手段になっているのかもしれません。

「叱る」と「怒る」

 
とはいえ、ただ叱ればよいというものでもなさそうです。若者たちが求めているのは「怒り」ではなく「叱り」。では、「叱る」と「怒る」はどう違うのでしょう?

コミュニケーションや育児の世界では、「怒る」と「叱る」は使い分けられているようです。それによると、自分が腹を立てたことを相手にぶつける動作は「怒る」であり、相手に成長・改善の気づきや機会を与えるのが「叱る」。

叱り方にもコツがあるといいます。叱る関連本の中のベストセラー、『叱られる力』(阿川佐和子著/文春新書)によれば、その極意は「借りてきた猫」で、


か ・・・感情的にならない


り ・・・理由を話す


て ・・・手短に



き ・・・キャラクター(人格や性格)に触れない



た ・・・他人と比べない



ね ・・・根に持たない



こ・・・個別に叱る


というもの。人を「叱る」には叱る側の覚悟も必要で、そのあたりが、ただ感情をぶつけて「怒る」との違いなのでしょう。
同書には、「社会のルールを教えようと見知らぬ若者を叱ると、"それがきっかけで事件につながるケースもあるから、どうぞやめてください"とやんわり警察に諭された」という笑い話のような実話も載っています。多少の不都合があっても、見て見ぬふりをしてやり過ごす方が生きやすいとされる現代社会。「叱られたい」若者たちは、こうした社会の空気を感じ取り、何かを訴えているのかもしれません。

「ほめる」と「叱る」

先日の新聞には、大人を対象に行った「こんな言葉でほめられたい」というアンケート調査の結果が掲載されていました。

子どもに対して「ほめて伸ばす」のは、いまや子育ての常識とされていますが、ほめられれば嬉しいのは大人も同じ。「1位:頭がいい、2位:思いやりがある、3位:笑顔がいい…」と続き、ほめることによって社会に好循環が生まれると書かれています。そして、「ほめる技術の8割は観察力、2割が表現力」といった解説も。「肝心なのは、相手に関心を持ち注目していると伝えること」なのだそうです。(朝日新聞be、RANKING/2015年9月12日)

そう考えていくと、「ほめられたい」も、「叱られたい」も、おそらく、その根っこは同じなのではないでしょうか。「愛の反対は憎しみではなく、無関心」という言葉もありますが、人間関係の希薄になったこの社会で、深く人と関わり合い実感のある人間関係を持ちたいという気持ちが、「ほめられたい」「叱られたい」願望となっているような気もします。

つながっている人の数は多くなったのに、逆に個々の関係性は希薄になっているネットワーク社会。そんな現代社会の中で、私たちは実感のもてる人間関係をどう築いていけばよいのでしょう?

「叱る」ことが目的ではなく、叱ってあげられるほど相手を注視し、相手のことを思った上で叱ることができるか━━大人に問われているのは、そんな覚悟なのかもしれません。





水曜日, 10月 08, 2014

叱られたい心理

叱られたい心理


落ち込んで気分が滅入っているのに、嫌な思いをするのはわかっていても「叱られたい」と望む心理があります。矛盾するように思われる「叱られたい願望」は、どのように生じるのでしょうか。いくつかの心理的背景を紹介します。
一つは、自分を否定的に感じている感情と、外の世界で起きていることを一致させようとする働きからくるものです。自己否定を減らしていけると、叱られることを望まなくなるでしょう。
一つは、落ち込んだ原因に関連する感じたくない感情を回避するため、叱られることで別の問題を作り、心を守ろうとするものです。感じるのを避けていた核心の感情と向き合っていくことで、余計な問題を作らなくて済むようになるでしょう。
一つは、叱られることと愛情表現を結びつけていて、叱られることを愛情の代替品にしているものです。求めていたのは愛情だと気づけたら、叱られるのとは違う方法も選択していけるでしょう。 




自己否定 感じたくない感情 すりかえ 愛情 代替品   


「叱られたい心理」について

気分に波があり、調子が良い時と、落ち込んだ時の差が激しいです。
そして落ち込んだ時のことですが、何故か誰かに叱られたくなるのです。
自分でその気持ちに気付いた時、「私って変?変な性癖を持っているの?」と思いましたが、どうもそんな感じでもなく、実際に叱られたら凹むだろうし、悲しくなってしまうと思います。
それなのに叱られたくなるというのは、どういう心理なのでしょう?


 落ち込んだ時に「叱られたい」と望むのには、いくつかの心理的な背景が考えられます。


●自己否定が否定を求めている

失敗や失恋など、落ち込む原因を「なぜこうなったのだろう?」と考えた時に、「自分が悪かったから。」と納得する傾向を持つ方がいます。
中には、どんな些細なことでも「自分のせいではないか?」と気にしやすい方もいます。

このタイプの方は、常に自分を否定していることが当たり前になっていて、人から褒められてもピンとこず、人から叱られると「ほら、やっぱり」と感じやすいようです。

叱られるのは嬉しくないし傷つくのですが、心のどこかに「それが自分にふさわしい」と誤解している状態があると、不自然かもしれませんが、叱られることがしっくりくるし、叱られることで落ち着く場合があります。

私達には感情と現実を一致させたい欲求があるので、自分が自分を否定していると、自分を否定する気持ちを感じる出来事を求めやすくなります。そのひとつが「叱られたい願望」として現れることがあります。

このタイプの方が叱られたい願望をなくしていくには、自分を否定する気持ちを減らすために、「自分のいいところやできていることに目を向ける」とか「自分を否定している部分を異なる視点から再評価する」などに取り組んでみるといいでしょう。

また、「積極的にひどい感情を感じよう」、「叱られたい」と望む場合は、「落ち込むとはこんなもの」という自分なりの基準があって「そこまでいかないと落ち込んだ気がしない」、「心に痛みの感覚がないと落ち着かない」などと、ひどい感情になるための材料を収集することが癖になっている状態かもしれません。

これは、心理的に自己否定が非常に強い場合に起こりやすいようです。

心に強い痛みの刺激を感じることで、感情や自分の存在を確認しているようなものでしょうか。相当しんどいやり方ではないかと思います。

あまりにも自己否定が強い場合には、自分に「あなたは悪くないよ。」と言ってみるとか、少しだけ自分に優しくするのを許すとか、頑なな自己否定をゆるめるところからはじめてみてはいかがでしょう。
ひどい感情から抜け出す時間ができてきたら、以前よりも自分を認めやすくなっていくでしょう。


●感じたくない感情から心を守っている

落ち込む原因となった事柄に関連して、どうしても感じたくない感情がある場合、私達は「イカリ」や「別の痛み」を使って核心の感情を避けようとすることがあります。

例えば、取り返しのつかないことをした罪悪感や、切望するものが手に入らない悲しさ、あきらめるしかないやりきれない想い、情けなさや不甲斐なさ、自分をひどく責める気持ちなど、感じるのが辛すぎる気持ちがあると、その気持ちを感じなくて済むように心を守ろうとする働きがあります。

感じたくない感情と向き合わなくて済むように、誰かに対してイカリを感じたり、別の出来事で心を悩ませたりして、問題をすり替えることがあるようです。

もし、叱られることで紛らわせている気持ちがあるのだとしたら、叱られる苦痛以上の苦痛を心に抱えているのかもしれません。核心にある感情を避けるためには、叱られることが必要になっているのかもしれません。

「感じたくない気持ち」に何となく心当たりがあるのならば、勇気をもってその感情と向き合ってみると「叱られたい願望」を変えていけるのかもしれません。ただ、その感じたくない気持ちは、叱られる苦痛を背負ってまで避けたかったものでしょう。一人で向き合おうとせずに、カウンセラーなどに立ち会ってもらうといいかと思います。


●愛情の代替品にしている

叱ることが愛情表現になっていた人が身近にいないでしょうか。

例えば、まったく子供を褒めない父親がいたとします。子供は父親に愛されていると感じたいので、父親が自分を叱ることの中に「自分を気にかけてくれている」「自分を励ましてくれている」といった愛情を感じ取ろうとします。その結果、大人になっても叱られることと愛されることを結びつけて理解しようとする癖をもつことがあるようです。

「叱られるうちが花」といった言葉があるように、叱られることをポジティブに理解しようとする考え方もあって、確かに愛情のこもったお叱りというのも実在します。

叱られることと愛情を結びつけて理解しているとすると、「落ち込んだ時に叱られたい」のは、「落ち込んだ時に自分に愛情を向けてほしい」願望と言い換えることができます。落ち込んでいる時に誰かの愛情を求めるのは自然なことではないでしょうか。

叱られることで愛情を感じようとしていたことに気がつけば、別の方法で愛情を感じる選択肢をもつこともできるでしょう。

なお、叱られると嫌な思いもするけれど、同時に自分を奮い立たせる気持ちが湧いて成功した経験をもっていると、成功には叱られることが必須と結びつけることもあるようです。


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