『優れた芸術家は真似(まね)、偉大な芸術家は盗む』
青の時代、キュビズム、ゲルニカと、あらゆる画法を「時代」と呼ばれてしまうくらい、「画家」と言われて名前が出てこないことはない、パブロ・ピカソの言葉です。
ピカソと言えば、フルネームが、
「パブロ、ディエーゴ、ホセー、フランシスコ・デ・パウラ、ホアン・ネポムセーノ、マリーア・デ・ロス・レメディオス、クリスピーン、クリスピアーノ、デ・ラ・サンティシマ・トリニダードルイス・イ・ピカソ」
という長い名前を持っていることでも有名です。いえ、まったく今回の話には関係ないのですが、偉大な人は、何か強烈なエピソードがあるものだと、常に思う訳です。
その偉大なる芸術家、ひとつの創造主であると思われる偉人が、「真似る」「盗む」と言い切っているところは非常に興味深いと言えます。
どのような人間でも、最初は「真似る」ことから始めます。
それは人間の本能です。
例えば、「あくび」。
良
く「あくびがうつる」と言いますが、実際に「あくび」は「うつる」、感染する、とほぼ実証されています。これは生物として、本能的に「模倣」である、との
説があります。特に人間はコミュニケーション必須の中で生きていますので、「真似る」ことが、ひとつの防衛本能として働いている、とも言われています。
だったら全ての行動がそうじゃないか、くしゃみはうつらない、あくびだけうつるのはおかしい、という反論はともかく、「真似る」ことは、生活の中で普通に
行われるものです。
当然、これはビジネスにも通じます。
「あくび」のように簡単に真似ることはできませんが、仕事をするとき、誰かの「真似」から始めるのは、近道の一つであることは間違いありません。
独自路線で進んでいるつもりでも、上司やライバルを基準や目標にして進むことは通常のことですし、決して卑怯な訳ではありません。
ピカソはまず、それを言っているのです。
優れた者は、迷わず「真似る」。
それが一番の近道だと知っているから。
しかし次に、そこで終わるか終わらないかは、「盗めるか」にかかっています。
やりかたを真似たら、それを自分のものにする。
それが「盗む」です。
自分のものにしてしまえば、盗んだものはさらに研磨されます。
それは決して、「真似て」いるだけでは起こらない現象です。
目標を超えるためには、対象と同じことをしていても不可能なのは自明の理です。
このあたりは意識の問題とも言えますが、「真似る」ときに、如何に自分の血肉にしようとするか、方法を探り、それ以上の方法がないのか、考えなければ「盗み」は起こりません。
つまりこれは、考えて行動しているかどうか。
そんな風に思えるのです。
投稿者 吉田 亮