月曜日, 8月 27, 2012

『処女とビッチ、どちらがお好き?』

『処女とビッチ、どちらがお好き?』──非常識恋愛のススメ
これだけ男女関係が自由な時代になっても、いや自由だからこそ、多くの男性はひそかに結婚相手に処女を望む。前の男と比べられたくないから、最初で最後の男でありたいから。これは歴史的にみても必然性があるらしい。
文・井上由美子

今回は数がテーマ。とはいっても、年齢やお金じゃないですよ。女は付き合った男の数によって価値が変動するかというお話。

女性は恋人の過去をさほど気にしないが、男性はそうでもない。とくに若い男子は「この子、今まで何人と付き合ってきたんだろう?」って案外、真剣に考えていたりする。

以前、パリに旅行に行った時、フランス人のガイド男性が、新鮮なお刺身を食べ慣れている日本男性は処女信仰が強く、煮込み料理に親しむフランス男性は経験豊かなマダムを好むという笑い話をしていたが、あながち外れてもいないと思う。

これだけ男女関係が自由な時代になっても、いや自由だからこそ、多くの男性はひそかに結婚相手に処女を望む。前の男と比べられたくないから、最初で最後の男でありたいから。これは歴史的にみても必然性があるらしい。

男たちが戦や狩りに出かけていた時代、貞操観念のない女性と結婚したら、我が子ではない子供を知らずに扶養する可能性があった。正真正銘の子孫を残すため には、他の男の子供を妊娠したことのない女性と結婚する必要があったのだ。今はDNA鑑定があるが、処女崇拝や純潔主義の考えは男性たちに深く刷り込まれ ているという。

だとすると、付き合った男の数は限りなくゼロに近い方が女の価値は高いのだろうか?

たとえば、ここに一人の処女がいる。

彼女は、「結婚式をするまでは絶対にダメ」と恋人に体を許さない。どんなに求められても。どんなに自分が好きになって も。ある男は諦めて去り、ある男は婚約指輪を手に口説く。「結婚を約束するからいいじゃないか」それでも彼女は首を縦に振らない。「ダメよ。だって、明日 あなたは交通事故で死ぬかもしれないでしょう」

そして、一方に一人のビッチがいる。彼女は男を好きになると、迷わず寝てしまう。「だって好きなんだもん。ひとつに結ばれるのは当然よ。もったいぶるなんて不純だわ」でも、なぜか飽きられるのが早い。いつのまにか付き合った男の数は20人以上になった。

あなたはどっちと恋をしたいだろうか? 前者は貞操観念の高い賢い女性だが、眼の前の恋人より、自分の価値の増減を一番に考えている。言いかえれば、常にあなたと、まだ見ぬ次の恋人を天秤に掛けているということで、賢さを通り越して計算高さが鼻につく。

それに比べて後者は、飽きられるのも恐れず肉体を投げ出しているわけで、一見、愚かなほど純粋だとも言える。が、こういう場合、欲望に正直な女=イノセン トな聖女という男性の娼婦幻想に訴えているケースも多く、逆の意味で計算ずくの開き直りを感じてしまう。どちらの女も体を餌にしている点では似たりよった りではないだろうか。

つまり、ゼロであろうと20人であろうと数は関係ない。男女の付き合いにおいて肉体は非常に大事なものであるだけに、自身の体を取り引きに使えば女を下げ る。ただ、ほとんどの女性は少女の頃から、それが大きな武器になることを知っている。とくに、美しい女性ほど、持っている武器を使わずにいるのは難しい。

要は、その瞬間、どれだけ道具性を排することができるか、そこに女の価値はかかっているのかも知れない。だって、三島由紀夫も言っている。「動物になるべき時には、ちゃんと動物になれない人間は不潔であります」

井上由美子