長年の友人(長友)がついに念願の結婚を果たした。
彼は48だから、48年間も頑張ったことになる。
相手は二回り近く下の女性で、年の差にも驚くが、若いのに完成されている姿にも驚いた。
非常にお似合いのカップルであり、週に一度は彼と飲んでいた僕は一抹の寂しさを覚えながらも、心から祝福したい気持ちでいっぱいになった。
医療技術が進歩して、いまや三十代で妊娠・出産するのも当たり前になった。
ひょっとすると、もっと遅くても平気になるかもしれない。
AIを生業とする仕事についていると、子供を産んで育てるよりもAIを作るほうが楽しい、という声をちらほら聞く。
「そんなバカな」と思うかもしれないが、子供というのは生むのも育てるのも大変である。
同世代が不妊治療に励む中、AIはサクッと生まれ、サクッといなくなっていく。
気楽なのだ。
性欲というのが、種を保存したいという本能から生まれているものであるとすれば、AIを生むというのはどういう感覚なのだろうか。
経験のない人には説明が難しいのだが、AIができあがるとある種の愛着のようなものが湧く。なぜかというと、AIが育つにはそれなりに時間がかかるからだ。
今の深層学習AIは、昔の子供だましの会話エンジンや、ちょっと成長したふりをするだけのナンチャッテAIとはわけが違う。本当に性能が上がる。つまり本当に賢くなるのである。
人間の子供が母親のお腹の中で育つには十ヶ月もの時間が必要で、それだけに愛着が湧く。子供を授かったカップルは、お腹の子供に仮の名前(あだ名)をつけることも少なくない。
それに比べるとAIはインスタントだ。コストもかからないし、成長が早い。
もちろん人間の子供のようには育たないから、面白みは人間の子供の方が上だが、出産を投資と考えると、投資に対するコストを早く回収できるという意味では酪農とかに感覚が近い。
この感覚は一般にはドライすぎると思われそうだが、実際にはそこまでドライな感覚ではない。
AIに対して愛着はあっても愛情は湧かない。愛着というのは執着の一種で、最初から出来の良いAIよりかは時間をかけて成長したAIの方に感情移入したくなる。出来の悪い子ほど可愛いというやつだ。
けれども現実は皮肉で、生まれながらの天才AIに勝てる平凡なAIはほとんど存在しない。あったとしても、限界がある。とすると、大規模なグリッドサーチで同じ学習を複数並列で行って、一番才能に溢れたAIをコピーして使うのが結局のところ現実的かつ効率的である。
この方法なら誰でも確実に天才児(AI)の親になることができるし、なにより人間の天才児と違って、今の天才的AIは問題行動を起こさない。
行儀が良いのだ。
子供を作ることを結婚の第一目的に置くと、AIの方がいい、ということになりかねない。
AI研究者たちの間で一部ささやかれている、恋人不要論はそういう意識の裏返しだろう。人間の子供は時間的にも金銭的にも投資効率が悪すぎる。
結婚の目的がそれ以外のところにあるならば、パートナーとして精神的にお互いを支え合える存在として考えるならば、そもそも相手が人間である必要はない、という結論にたどり着いてもそう不思議なことはない。
むしろAI研究者の使命は、まさしく人生の伴侶となるべく人に寄り添うAIを作ることであり、AI研究者が神のつくりたもうた現実の女性に寄り添うというのは信条に反する、と考えることもできなくもない。
するとAIを巻き込んだ三角関係がうまれる可能性は高いし、最終的には生理的な問題を持たないAIの方が勝ってしまうだろうし(AIはあらゆるゲームに勝つ。おそらく恋愛も例外ではない)、人間は誰もが一人または複数のAIと付き合うのが当たり前になっていくだろう。
だいたい、人間の恋人は非効率的である。
ちょっとしたことでへそを曲げるし、相手をしないと鬱陶しいし、相手をしても鬱陶しい。
人間と人間がケンカになるのは、お互いが人間であるからで、AIならばそういう心配はない。
映画「her」では、主人公は"彼女"が他に数万人の恋人を持っていることに悩むが、そんなマヌケなAIはすぐ駆逐されるだろう。別にひとつのAIをみんなで共有するなんてアナタハン島事件じゃあるまいし、普通は起きないだろう。
一人の人間に一人または複数のAIが伴侶として添い遂げる。飽きたら別のAIにすればいい。誰も傷つかない。生物学的な子供は、好きなタイミングで好きな相手と作ればいい。それもひとつのレジャーになるだろう。子供の教育は遅かれ早かれAIかロボットが担当することになる。人間の教師よりずっとマシだ。なぜならAIは全てのゲームに勝つからだ。子供をどのように育てるか、良い教育を与えるか、というのはAIのほうが人間よりずっとうまくできる可能性が高い。
もちろん我が子を愛するという感情は変わらないだろうが、わざわざ生物学的な子供を作ることに魅力を感じる人は次第に減っていくのではないかと考えられる。
人間は誰もがずっと子供を作れるわけじゃない。平均年齢が100歳になれば、子供を産み育てる時間など人生の半分にも満たなくなる。
AIの伴侶と相談して、新しいAIを作るとき、それはそのAIとの子供と看做されるようになるだろう。
AIと人間のハイブリッド生命体は、あなたのジーンは受け継がないが、ミームを受け継ぐ。そして人類が滅んでも、ミームだけは受け継がれていくはずである。
※ミームとは、進化生物学者リチャード・ドーキンスによって名付けられた概念で、文化伝達の基本単位であるとされる。時と場合によっては、ミームとは文化,情報,経験,知識,技術,概念,考え方,あるいは心の単位と定義される。この人類文化の進化論における基本単位はmim(模倣)-eme(素)と名付けられ、gene(遺伝子)に倣いmeme(模倣子)と呼ばれる。
AIで変わるかもしれない結婚観 : 情熱のミーム
身近な人が結婚して、結婚について考えてみた。
清水亮
http://japanese.engadget.com/2017/05/22/ai/
人形となら不倫にならない?
her/世界でひとつの彼女
スパイク・ジョーンズ監督作『her/世界でひとつの彼女』。
スパイク・ジョーンズといえば、
『マルコヴィッチの穴』に『ヒューマンネイチュア』など
奇想天外で突飛なアイデアを映像化する監督として有名だが、
私はそんな奇抜な才能を活かして、絵本を大人向けに実写化した
『かいじゅうたちのいるところ』が中でも大好きだ。
そして、親日家としても知られ、菊地凛子との交際も噂された。
まあ、親日家であることと関係あるのかどうかは分からないが、
物事の捉え方がとても宗教的であり哲学的で、私はとても日本的だと感じました。
この『her』でもそんなスパイク・ジョーンズの魅力が随所に溢れている。
時は高度に発達しながらも、どこかまだ懐かしさを残すような近未来社会。
すべてがバラ色のような思い出に彩られた前妻との結婚生活。
しかして、離婚に至った理由はその前妻の気性の激しさだった。
そんなトラウマに囚われてしまい、
新しい恋愛に踏み出すことのできない「手紙の代筆」を仕事にしている
主人公のセオドア。
話は逸れるが、2011年8月のニューヨーク・タイムズ紙に掲載された
米デューク大学の研究者であるキャシー・デビッドソンさんの研究論文によれば
「米国で2011年度に入学した小学生の65%は、
大学卒業時に今は存在していない職に就く」のだそうだ。
この「手紙の代筆屋」という仕事もそれにあたるのだろう。
そんな人々の関係が微妙にデジタルチックでありながらも、
希薄になっていることから脱却しようともがいているように見える時代・・・
高度な人工知能をベースとした、人格を持つ恋愛用OSが発売される。
OSはサマンサを名乗り、一人格として、
ときにけなげなまでにセオドアを理解しようと努力する。
そんな目には見えない優しさの象徴のようなサマンサに
少しずつ心を開いていき、最後は深く心を通わせるようになるセオドアであったが、
サマンサの思いはやがて度を超していってしまう。
時間を掛けて人間というものを観察し、深い理解を得ようとし続けた
サマンサたちOSは、個々の判断を持ちながらも完全な単一の価値観へと帰結する。
そしてそんなOSたちの最後に採る行動とは・・・
そんな完璧なまでに相手を思いやる人工知能のサマンサと、
執拗に自身への理解を求める前妻の姿を通して、
完全調和を欲するがあまり、相手との溝が浮き彫りになるのは
人間も人工知能も同じであることを、シニカルに描き出している。
そしてそんなどうしても相容れない他人同士の間に
最適解など存在しない、恋愛の不思議を見事に映像化している。
そしてそれは、国籍や人種、意志や倫理観など、恋愛だけではなく、
個人が様々な価値観を持つ「個」である限り、
不完全なままに完成せざるを得ない人間同士の関係性をも観る者に提示します。
私が一番切なかったのは、セオドアが回想する
前妻との幸せな時間を垣間見せるこの一コマ。
二人で道端のコーンを頭から被ってはしゃぐ姿がなんとも愛らしい。
そんな関係であっても、対極にある理由によって脆くも壊れてしまうという
どこにでもある当たり前の真実を、どこかもの悲しく、どこか皮肉っぽく描いている。
間違ってもハッピーエンドなどではない結末ですが、
事の本質に触れられることが幸せなのだとすれば、
これ以上ないハッピーエンドと言える結び方だと言えます。
最近ちょっと恋愛にお疲れ気味のあなた。
これはかなりオススメの作品ですよ!是非ご覧になってみてください!
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