ライアン・マッギンレーが解説する8枚の写真
MCA Denverで開催されるライアン・マッギンレー初期作品回顧展『The Kids Were All Right』。写真家自身が、個人的な思い入れのある8枚の写真について語る。
ライアン・マッギンレーの初期作品を集めた『The Kids Were All Right』は、マッギンレーが1998年から2003年までに撮った作品に加え、これまでに公開されることのなかった同時期のポラロイド1,500点を展示する回顧展。
公開される作品の多くは、マッギンレーが自費出版でリリースした『The Kids Are All Right』に収められたもの。ダッシュ・スノウやダン・コーレン、アガサ・スノウといったアーティスト仲間たちの姿に混じり、イアスノットなどのグラフィティ・ライターや、その他ニューヨークのワイルドなクリエイティブたちが快楽主義的世界観のうちに捉えられている。これをきっかけに、2003年、当時25歳だったマッギンレーはホイットニー美術館でエキシビションを開催する機会を得た。彼の先人にあたるナン・ゴールディンやラリー・クラークが闇を心地よく捉えた世界観を築いたのに対し、マッギンレーは歓びの瞬間を捉えるスタイルを確立していった。「僕はどちらかというと陽気で、好奇心に満ちていたからね」と彼はいう。写真の被写体がどれだけ壊れていようと、彼らからは否が応でも自由と若さの歓びが溢れている。
マッギンレーの初期作品は、"ひとの集まり"をテーマとしていた(社会の気風が重苦しさを増し、仲間たちの薬物・アルコール中毒が深刻さを増すに従い、マッギンレー作品はスタジオ撮影によるものが多くなっていった。しかし本人は、その変化の理由を「ホイットニーでのショーで突如有名になってしまったため」としている)。マッギンレーは、そのテーマ性が映画監督ポール・トーマス・アンダーソンのそれに共通すると見られることを喜んでいる。ふたりはともに家族の感覚と、そこに生まれる歓びや思い出、心理劇を作品で扱っている。「インターネットが登場する前だったから、外に出て写真を撮ってる人間なんてそう多くはなかったんだ」とマッギンレーは言う。「僕と友達は、特定の理由のもと磁石みたいに惹きつけあって、ムチャクチャな家族みたいな関係を作り上げていた。
ニューヨークに移り住んで、そこで僕は彼らとファミリーになって、新しい自分を生み出すことができたんだ。何かをやりたいと思った」
大回顧展『The Kids Were All Right』に展示される作品から、特に思い入れのある作品をマッギンレー自身が8枚選び、それぞれにまつわる思い出を語ってくれた。
Dash (Manhattan Bridge) 2000年
「これは友達ダッシュ(・スノウ)をマンハッタン・ブリッジで撮ったもの。ダッシュは、橋の上で車から上半身を乗り出してグラフィティを描き始めるような男。僕は、反対側の窓から上半身を乗り出してその様子を写真に収めるような写真家。すごくニューヨークを感じさせる作品で、大好きなんだ」
Sam Ground Zero 2001年
「何か自分にできることはないかとグラウンド・ゼロに行ったときのもの。日が落ちる前に撮ったんだけど、ワールドトレードセンターが崩壊した後の煙が濃くて、まるで夜に撮影したみたいに見える。この男がTシャツで顔を覆ってるのは、息ができないから。見るも無残な光景だった。ジャック・ウォールズ(Jack Walls)に電話をして『タワーが崩壊した』って言ったら、ジャックは『知ってる』って。『ダウンタウンから離れろ』って言われたけど、『写真を撮りに行く』って答えたら、『そうするだろうと思った』って言われたよ」
Jack (Poetry Reading) 1999年
「ジャック・ウォールズと出会ったのは、彼がマジソン・スクエア・ガーデンのすぐそばに持つロフトでだった。ジャックが自己紹介してくれたとき、そこにロバート・メイプルソープの写真集が置いてあるのに気づいた僕は、『いま学校でこのひとの勉強をしてるんだ』って言った。そして写真集を手に取ってページをめくってみたら、ジャックが写ってたんだ! すぐに仲良くなって、よくアヴェニューAにあるCherry Tavernっていう飲み屋でグラフィティ・アーティストたちと一緒に飲むようになった。その後は必ず隣にあるゲイバーのI.C. Guysに行って、また飲んでね。日曜にはポエトリー・リーディングが開催されて、ジャックも自作の詩を披露した。メイプルソープのボーイフレンドとして知られていたジャックだけど、自分をアーティストだと考えたことはなかったらしい。でも僕がホイットニーでのショーにまでこぎつけるのを見て、インスパイアされたんだと思う。今じゃジャックは画家としても詩人としても素晴らしい作品を作り出してるよ」
Dan (Bloody Eye) 2002年
「ある夜、パーティの最中に、ダン(・コーレン)が『ビール取ってくる』と言って立ち去ったきりいなくなったんだ。1時間半ほどして戻ってきたのが、明け方の3時45分ぐらい。60代ぐらいのポーランド人たちにボコボコにされたって言うんだ。一番背の高いやつが喧嘩を売られる——ダンはそういう男だった」
SACE 2000年
「ダッシュ・スノウはIRAKグラフィティのリーダーのひとりで、壁にSACERとかSACEと書くことで知られてた。僕は強迫観念が感じられる彼のグラフィティが好きでね。グラフィティを書くのに夢中なダッシュが好きだった。彼はよく、タバコを挟んだ指で宙にタグを描いてた——数あるダッシュの美しい思い出の中でも、あれはよく覚えてるよ。アヴェニューAにある寿司屋にふたりでよく行ったんだけど、最近になって僕のボーイフレンドとその店に行ってみたら、テーブルにSACERのタグが彫られてたんだ。もう亡くなった人がああやって『よ!俺だよ!』って語りかけてくるなんて素敵だよね。今でもいろんなところでSACERタグに出くわすんだ」
Ryan (Blood) 1999年
「ゲイへの暴力が絶えない時代だった。そこで『ゲイだってことで突っかかってくるやつがいたら、そいつらをボコボコにしてやろう』って思ったんだ。道でホモフォビックなことを言ってる男たちがいたから、頭突きを食らわしてやった。だからこの血は、僕のじゃなくてホモフォビックな発言をしてた男のものだよ。そいつを倒して、家まで歩きながら笑い転げたんだ。ゲイのキッズにボコボコにされるなんて、そいつら、思いもしなかっただろうからね」
Agathe and Dash (Black Leather) 2002年
「アガサとダッシュは、僕に初めてプライベートのラブ・ライフを覗かせてくれたカップルで、それは僕にとってとても大きいことだった。ふたりは関係をとてもオープンにしてくれて、セックスや愛の営みを写真に撮らせてくれた。そうやって信頼してもらえたのが嬉しくて。あの部屋に入れてもらえたのがね。ヌード写真の分野に惹かれ始めた大きなきっかけのひとつになった」
『PARK GALLERY』
東京・末広町にある〈PARK GALLERY〉は従来のギャラリーでなく、作品を介したコミュニケーションが生まれるサロン的な空間として若手作家から支持されている。今回は「絵」としてインパクトのある作家作品が集められた。その中で注目したいのが、カナイフユキの絵、エッセイ、漫画で構成されたパーソナルZINE作品『WAY』だ。〈PARK
GALLERY〉代表の加藤淳也は「”個人的”な思いを、自分の持っている”技術”と”想像力”をもって最大限に表現しているところにある」とカナイの魅力を語った。表現者の自由と、読者がたくさんの選択肢から選ぶことができる自由、現在のメディアのあり方に対する起爆剤となる1冊だ。
https://i-d.vice.com/jp/article/d3p8az/the-kids-were-all-right-ryan-mcginley-looks-back-at-the-images-that-made-him-famous