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日曜日, 7月 29, 2018

ライアン・マッギンレー『The Kids Were All Right』

ライアン・マッギンレーが解説する8枚の写真

MCA Denverで開催されるライアン・マッギンレー初期作品回顧展『The Kids Were All Right』。写真家自身が、個人的な思い入れのある8枚の写真について語る。 

 

 

ライアン・マッギンレーの初期作品を集めた『The Kids Were All Right』は、マッギンレーが1998年から2003年までに撮った作品に加え、これまでに公開されることのなかった同時期のポラロイド1,500点を展示する回顧展。

公開される作品の多くは、マッギンレーが自費出版でリリースした『The Kids Are All Right』に収められたもの。ダッシュ・スノウやダン・コーレン、アガサ・スノウといったアーティスト仲間たちの姿に混じり、イアスノットなどのグラフィティ・ライターや、その他ニューヨークのワイルドなクリエイティブたちが快楽主義的世界観のうちに捉えられている。これをきっかけに、2003年、当時25歳だったマッギンレーはホイットニー美術館でエキシビションを開催する機会を得た。彼の先人にあたるナン・ゴールディンやラリー・クラークが闇を心地よく捉えた世界観を築いたのに対し、マッギンレーは歓びの瞬間を捉えるスタイルを確立していった。「僕はどちらかというと陽気で、好奇心に満ちていたからね」と彼はいう。写真の被写体がどれだけ壊れていようと、彼らからは否が応でも自由と若さの歓びが溢れている。

マッギンレーの初期作品は、"ひとの集まり"をテーマとしていた(社会の気風が重苦しさを増し、仲間たちの薬物・アルコール中毒が深刻さを増すに従い、マッギンレー作品はスタジオ撮影によるものが多くなっていった。しかし本人は、その変化の理由を「ホイットニーでのショーで突如有名になってしまったため」としている)。マッギンレーは、そのテーマ性が映画監督ポール・トーマス・アンダーソンのそれに共通すると見られることを喜んでいる。ふたりはともに家族の感覚と、そこに生まれる歓びや思い出、心理劇を作品で扱っている。「インターネットが登場する前だったから、外に出て写真を撮ってる人間なんてそう多くはなかったんだ」とマッギンレーは言う。「僕と友達は、特定の理由のもと磁石みたいに惹きつけあって、ムチャクチャな家族みたいな関係を作り上げていた。
ニューヨークに移り住んで、そこで僕は彼らとファミリーになって、新しい自分を生み出すことができたんだ。何かをやりたいと思った」






大回顧展『The Kids Were All Right』に展示される作品から、特に思い入れのある作品をマッギンレー自身が8枚選び、それぞれにまつわる思い出を語ってくれた。



Dash (Manhattan Bridge) 2000年
「これは友達ダッシュ(・スノウ)をマンハッタン・ブリッジで撮ったもの。ダッシュは、橋の上で車から上半身を乗り出してグラフィティを描き始めるような男。僕は、反対側の窓から上半身を乗り出してその様子を写真に収めるような写真家。すごくニューヨークを感じさせる作品で、大好きなんだ」




Sam Ground Zero 2001年
「何か自分にできることはないかとグラウンド・ゼロに行ったときのもの。日が落ちる前に撮ったんだけど、ワールドトレードセンターが崩壊した後の煙が濃くて、まるで夜に撮影したみたいに見える。この男がTシャツで顔を覆ってるのは、息ができないから。見るも無残な光景だった。ジャック・ウォールズ(Jack Walls)に電話をして『タワーが崩壊した』って言ったら、ジャックは『知ってる』って。『ダウンタウンから離れろ』って言われたけど、『写真を撮りに行く』って答えたら、『そうするだろうと思った』って言われたよ」



Jack (Poetry Reading) 1999年
「ジャック・ウォールズと出会ったのは、彼がマジソン・スクエア・ガーデンのすぐそばに持つロフトでだった。ジャックが自己紹介してくれたとき、そこにロバート・メイプルソープの写真集が置いてあるのに気づいた僕は、『いま学校でこのひとの勉強をしてるんだ』って言った。そして写真集を手に取ってページをめくってみたら、ジャックが写ってたんだ! すぐに仲良くなって、よくアヴェニューAにあるCherry Tavernっていう飲み屋でグラフィティ・アーティストたちと一緒に飲むようになった。その後は必ず隣にあるゲイバーのI.C. Guysに行って、また飲んでね。日曜にはポエトリー・リーディングが開催されて、ジャックも自作の詩を披露した。メイプルソープのボーイフレンドとして知られていたジャックだけど、自分をアーティストだと考えたことはなかったらしい。でも僕がホイットニーでのショーにまでこぎつけるのを見て、インスパイアされたんだと思う。今じゃジャックは画家としても詩人としても素晴らしい作品を作り出してるよ」






 Dan (Bloody Eye) 2002年
「ある夜、パーティの最中に、ダン(・コーレン)が『ビール取ってくる』と言って立ち去ったきりいなくなったんだ。1時間半ほどして戻ってきたのが、明け方の3時45分ぐらい。60代ぐらいのポーランド人たちにボコボコにされたって言うんだ。一番背の高いやつが喧嘩を売られる——ダンはそういう男だった」







SACE 2000年
「ダッシュ・スノウはIRAKグラフィティのリーダーのひとりで、壁にSACERとかSACEと書くことで知られてた。僕は強迫観念が感じられる彼のグラフィティが好きでね。グラフィティを書くのに夢中なダッシュが好きだった。彼はよく、タバコを挟んだ指で宙にタグを描いてた——数あるダッシュの美しい思い出の中でも、あれはよく覚えてるよ。アヴェニューAにある寿司屋にふたりでよく行ったんだけど、最近になって僕のボーイフレンドとその店に行ってみたら、テーブルにSACERのタグが彫られてたんだ。もう亡くなった人がああやって『よ!俺だよ!』って語りかけてくるなんて素敵だよね。今でもいろんなところでSACERタグに出くわすんだ」






Ryan (Blood)  1999年
「ゲイへの暴力が絶えない時代だった。そこで『ゲイだってことで突っかかってくるやつがいたら、そいつらをボコボコにしてやろう』って思ったんだ。道でホモフォビックなことを言ってる男たちがいたから、頭突きを食らわしてやった。だからこの血は、僕のじゃなくてホモフォビックな発言をしてた男のものだよ。そいつを倒して、家まで歩きながら笑い転げたんだ。ゲイのキッズにボコボコにされるなんて、そいつら、思いもしなかっただろうからね」





 Agathe and Dash (Black Leather) 2002年
「アガサとダッシュは、僕に初めてプライベートのラブ・ライフを覗かせてくれたカップルで、それは僕にとってとても大きいことだった。ふたりは関係をとてもオープンにしてくれて、セックスや愛の営みを写真に撮らせてくれた。そうやって信頼してもらえたのが嬉しくて。あの部屋に入れてもらえたのがね。ヌード写真の分野に惹かれ始めた大きなきっかけのひとつになった」
















 『PARK GALLERY
東京・末広町にある〈PARK GALLERY〉は従来のギャラリーでなく、作品を介したコミュニケーションが生まれるサロン的な空間として若手作家から支持されている。今回は「絵」としてインパクトのある作家作品が集められた。その中で注目したいのが、カナイフユキの絵、エッセイ、漫画で構成されたパーソナルZINE作品『WAY』だ。〈PARK GALLERY〉代表の加藤淳也は「”個人的”な思いを、自分の持っている”技術”と”想像力”をもって最大限に表現しているところにある」とカナイの魅力を語った。表現者の自由と、読者がたくさんの選択肢から選ぶことができる自由、現在のメディアのあり方に対する起爆剤となる1冊だ。









https://i-d.vice.com/jp/article/d3p8az/the-kids-were-all-right-ryan-mcginley-looks-back-at-the-images-that-made-him-famous
































































































































木曜日, 8月 17, 2017

遠藤利克

 

『遠藤利克展―聖性の考古学』

 

美術家・遠藤利克が表現する、日本人が忘れていた芸術の本当の姿





『遠藤利克展―聖性の考古学』メインビジュアル(オフィシャルサイト



美術館の導線をつぶすほどに、身体を圧迫する巨大な彫刻群。どこか遺跡の発掘現場を思わせる、ほとんど建築にも近いこれらの作品を手がけたのは、遠藤利克。1980年代から制作と理論の両面で注目を浴び、国内外の芸術祭でも活躍する、現代日本を代表する彫刻家だ。
そんな遠藤の、関東圏の美術館では実に26年ぶりの大規模個展『遠藤利克展―聖性の考古学』が、埼玉県立近代美術館で開催されている。もの派やミニマリズムが台頭し、物語性が抑圧された時代に抗して、遠藤は自らの経験から、古代の世界における人間と物体、そして世界との交感を表現しはじめた。作品に一貫するのは、西洋から借り物の近代性を輸入した日本で、いかに「自前の美術」を作れるのかという途方もない問いである。
「聖性」や「原初性」を軸とする創造はいかに展開されてきたのか。関連トークイベントに登壇したヴァンジ彫刻庭園美術館の学芸員・森啓輔にも立ち会ってもらい、作家に尋ねた。




故郷ではずっと暗さを感じていたね。もう死にたいほど暗くて、そこから逃れたかった。(遠藤)



―今回の展覧会名にあるように、遠藤さんの作品では「聖なるもの」や、人間とモノや場との原初的な関係への探求が、大きなキーワードになっています。実際、展示を拝見すると、遠藤さんがこの30数年間、時代性や彫刻の枠組みをも超えて、美術をよりリアルなものにするために、これらの問題を扱ってきたことが見えてくる。今日は、これまでの歩みを振り返りつつ、遠藤利克という作家の思考をお伺いしたいと思っています。


遠藤:そもそも表現のはじめの記憶を辿ると、たとえば子ども時代には、砂遊びをするでしょう。砂で山を作って、そこに木の枝や葉っぱを置いてみると、どこかその場所が変わってくる。そこからなにか違う世界を作れるんじゃないかと漠然と思った。もちろん当時は美術の意識なんてないけど、そこが最初の記憶です。私の家は、宮大工の流れを汲んで仏像や木彫を作っていた家庭で、木材や道具は身近にあったんだけど。




遠藤利克



―遠藤さんは飛騨高山のお生まれですね。どんな環境でしたか?

遠藤:故郷ではずっと暗さを感じていたね。暗い路地が永遠に続いていて、家のなかも暗かった。井戸やかまどがあって、奥の方に土蔵がある。信じられないかもしれないけど、馬や牛がゴミの収集をしていたんだから。そこに父親や爺さんが飲んだくれて帰ってきては、暴れていた。もう死にたいほど暗かった。だから暗い人間にもなったし、暗い作品にもなったね(笑)。すごく封建的な土地で、そこから逃れたかった。

―そこで彫刻を学ぶ美大生として、まず名古屋に出られました。

遠藤:家業の後継として出されたんだけど、もちろん最初から後を継ぐつもりなんてありませんでした。卒業後は上京して、単価が安いから売れるだろうと版画を作ったり、具象彫刻を作ったり、はっきりしないことを続けていた。

だけどあるとき、過去を一挙に乗り越えるには、身体を晒すことだと思ったんです。当時は、状況劇場などの劇団が活躍をしていて、「路上の時代」だった。そこで、渋谷で白い紙を配るパフォーマンスをしました。これはマーシャル・マクルーハンの「メディアはメッセージである」という主張に影響されたもので、ビラ配りも内容ではなく形式がメッセージだという発想だったんです。



ビラ配りも含めたその一連の試みは、作家としてのひとつのイニシエーションだったと思う。(遠藤)


―その後の遠藤さんの作品で、巨大な作品が身体に与える感覚が重要な要素になることを考えると、パフォーマンスをされていたというのは興味深いですね。

:遠藤さんは同じ時期、ギャラリーに水を入れた水槽を置いて、来場者の靴の汚れを洗うというパフォーマンス要素のある作品も作られていますよね。




森啓輔(ヴァンジ彫刻庭園美術館・学芸員)


遠藤:それが、のちに重要なモチーフになる水を使った最初の作品でした。なにしろ、まだ自分のスタイルがわからず、東京に縁故もなく、美術の現場を回っても虫けらを見るような目で見られていた。

そんななかで、なにかひとつ点を打たないとと思って、そうした展示をしたんです。でも、ビラ配りも含めたその一連の試みは、のちに非常に有効に働いたと思う。結局、そこを通過することによって、なにをやってもいいんだと、ためらいがなくなったから。作家としてひとつのイニシエーションだったと思うね。

―一方で遠藤さんを語る際には、1970年に評論家の中原佑介(美術評論家、元京都精華大学学長、同大学名誉教授。2011年没)が指揮して行った国際美術展の『人間と物質』展や、先行世代の「もの派」との関係がよく触れられます。

遠藤:『人間と物質』展は名古屋に巡回したのを見て、衝撃を受けました。通っていた大学で中原佑介が講義をしていて、すべての学年の授業を聴講していました。それは大学で得た唯一の収穫だと思います。

上京したころが「もの派」の最盛期だったから、もちろん影響を受けたし、さきほどの展示で水を使ったのは、彼らが重視した最小限の素材や物質というところからきたものだった。だけど、もの派に影響をされて自分の作品を作るところまでは成熟していないわけです。彼らとは実力がまったく違っていたから。







:もの派の特徴的な姿勢に、「作らない」ということがあります。この空気感は、当時の美術界に非常に強く働いていました。でも、作らないで作品にするというのはある意味で矛盾していて、若手の制作には悩ましさがあったのではないかと想像します。

遠藤:そこが超えられるべき関所であってね、作らないことが当時はとてもラディカルだと受け止められていた。しかし、もの派も実際は作っているわけだ。具象彫刻や構成主義のようには作らないというだけで、それらを引き算して、ギリギリ成り立つ物体同士の関係性を見せることが彼らの仕事だった。

でも、作らないというところにいつまでもいたら、そこから先に行けない。私もそれで10年近く、無数の失敗や試行錯誤を続けたけれど、1978年の『所沢野外美術展』で『水蝕V』という作品を作ったことから、いまに至るひとつの方向性が見えてきたんです。

遠藤利克がいまに至る転機となったという、当時作品を成立させようと苦し紛れに行ったこと / 『ヴェネツィア・ビエンナーレ』の日本館が「ペラペラ」に見えるワケは?


 

たまたま立体だったから彫刻と呼ばれたけど、私にとっては、原初性自体に関わることの方が重要だった。(遠藤)



―遠藤克利さんのその後の転換点となった『水蝕V』とはどんな作品だったのでしょうか?

遠藤:このときも水を用意して制作をはじめたんだけど、どうしても作品が成立しなかったんです。そこで、苦し紛れで円状の穴を掘って、中心に水を入れたアルミ缶を埋めてみた。当時、私にとって作品が成立したことの指標は、作品から身体的に垂直性がすーっと突き抜けていく感覚を受けることだったんですが、それがあったんです。

さらに、メンテナンスをしたり眺めたりするうちに、この水が、それまでの作品で使ってきた水とは違うものだと思えてきた。これはある種、考古学的に発掘された遺跡のような水なんじゃないかという、個人的なひとつの幻想を見たわけです。





―つまり、もの派的な、純粋に対象化された物質とは異なるものに見えてきたと。

遠藤:水が、自分の幻想的なイメージと重なったんです。実際、日本では水はずっと象徴的に扱われてきた物質でした。この作品の水は、そうした日本という共同体のなかで、共同幻想として連綿と扱われてきた、言葉の集合としての水の文脈に近いものだと思えたわけです。そのとき完全に水の位相が変わり、もの派と決別しました。

もの派は、そうした物語性を孕んだ物質の捉え方はまったく許容しないんです。たとえば李禹煥(日本を拠点に世界的に活動している美術家で、もの派を理論的に主導した)が、ガラスに石を落として、その作用でガラスが割れた作品を提示するとき、そこには物語性は介在せず、ただ他者化された物質同士が出会って名状しがたい場が生まれたという捉え方をします。私はこの作品で、とくにタブーを犯すような意気込みもなく、そうしたもの派の捉え方をすっと通過したんです。


『Trieb-ナルチスの独房II』展示風景



:実際、その後の「寓話」シリーズで、遠藤さんの作品は一気に物語性を帯びていくことになります。そこでは水のほかにも、たとえば火の要素も登場してきますね。

遠藤:この領域を掘ってみようと思ったんです。「寓話」シリーズでは、蛇の巻き付いた桶を作って各地で水を汲んだり、船や壺を燃やす儀式めいたことをやったり、道具としての彫刻を作りはじめました。四元素(水、火、土、空気)に人間を加え、そこに男女の性や生死、共同体や共同幻想の問題が重なり、原初性に関わる構造が生まれた。それ以後の作品は、自分で仮設したこの構造のなかから生まれてきたものです。

―今回の展示作品もその延長にあるものですが、原初性に向かうことで彫刻のなにを考えたいと思ったのでしょう?

遠藤:当時、「彫刻とは何か」という問いが追及されたりもしたけど、私にはそれはなかったんです。たまたま立体だったから彫刻と呼ばれたけど、私にとっては、原初性自体に関わることの方が重要だった。

というのも、日本には西洋的な文脈での神的なもの=宗教は欠落しているのに、近代以降、形式としてのモダニズムだけが入ってきた。でも、私はモダニズムとキリスト教は本来一体であって、その背景を捨象して形式だけを輸入するのはおかしいと考えていたんです。だから、彫刻だなんだと言っても、それは借り物だろうと。





何回見てもペラペラなんです、『ヴェネツィア・ビエンナーレ』の日本館と韓国館は。(遠藤)


―そもそも「彫刻」というジャンル意識自体が、輸入されたものだということですね。

遠藤:そうです。だけど、その日本にとっての「近代」という問題は解決していないし、いまだに乗り越え難い深遠として続いている。そこに対してなにかの橋をかけなければ、自前の美術なんてものはありえないわけだ。みんな借り物の、発泡スチロールみたいな土台の上に建物を建てている。その土台を、なんとかしようという発想なんです。

宗教的なレベルや、超越的なものにつながらないで、美術をやるのは限界があるでしょう。その部分を、原初の次元まで立ち返って、仮設でもよいからひとつの場として設定することで考える。そこから、結果としての彫刻が生まれているんですね。



『泉』(東京都現代美術館蔵)展示風景 巨大な作品が展示空間の導線を遮るように置かれる


―その場合の原初性というのは、限定的に日本という土地に関わるものなのか、より普遍的なものなのか、どちらなんでしょうか?

遠藤:私は、日本ということは超えた意味での原初性を考えている。だから、手つきとして日本的なものは現れるけど、作品のなかにはそういうものは現れない。原初的な状況では、どの文明も私の考える時期を経験しているだろうという想定ですね。

―このインタビュー前に行われたトークイベント(遠藤利克と森啓輔、埼玉県立近代美術館館長の建畠晢が出演し、埼玉県立近代美術館にて行われた)で、かつて何度も『ヴェネツィア・ビエンナーレ』に通うなかで、日本館はペラペラだったと発言されたのが印象的でした。

遠藤:何回見てもペラペラなんです、日本館と韓国館は。これが世界のトレンドだと解釈したそのままを出しているけど、世界と比べると、そのトレンドから二歩三歩遅れたものしか出ていない。しかも、背景にあるべき根源的なものに対する問いかけとか、自分の文脈の尻尾を持っていないから、糸を切られた凧みたいに浮遊してペラペラなんです。






―本当は、その尻尾こそが重要だろうと。

遠藤:日本もいろんな知恵を持って生きてきたのだから、固有の尻尾が想定できるはずなんです。そこにキリスト教などのお仕着せのものを持ってこようとするから軽薄になる。宗教的なものに傾倒する心性というのは、普段は話題にしないけど、誰しもなんらかの局面で経験しているものです。そこに杭を打てばいいんだと考えてきたわけです。



遠藤作品はなぜこんなにも大きいのか、その理由にこそ作品の本質があった / 理解できていない人が多いと遠藤が言う「聖なるもの」の意味とは?




常識を超える過剰さは、位相が異なる身体と精神の経験を呼び起こす。聖なるものはつねに過剰なんだよ。(遠藤)


―遠藤さんの作品では、とりわけ近代以降の日本で、美術をやることの土台が問われている。一方で、そもそも日本には近代という時代がなかったという議論もあります。

遠藤:そう語る人は多いですね。だけど、日本では近代がはじまってすらいなかった、という議論で終わってはいけないと思うんです。仮設されたもの、捏造されたものでもいいから、魂のある場所を立ち上げていくことこそが、日本の近代だと思います。でも、それがやられていない。





:その仮設された場で、物語性を帯びた作品を作るとき、展示されていた「空洞説」シリーズのいくつかの作品に特徴的なように、円環という形態を多用されますよね。あのかたちはどこから発想されたのでしょうか?

遠藤:円環はそれ以上に還元できない、幾何学的には究極的なかたちで、世界のどの地域でもシンボリックに扱われてきた。それがなぜかを考えながら、この形態を扱ってきました。円環の作品は何度も作ってきたけど、その内部はたしかに外部と空気が違います。中心に入ると、垂直的な気体がすーっと立ち上がる。

そんな風に考えていたあるとき、石川で円環状の遺跡が発掘されて、その下に無数のイルカの骨が埋まっていたことを知って、驚愕すると同時に納得した。円環のイメージのなかで、殺戮と聖なる時空はどこか近い場所にあったんだと思ったわけです。




『空洞説-円環⇔壷』展示風景 巨大な「円環」の形態をとった作品



―聖性と暴力性は結びついていると。それで言うと、焼かれて炭化した表面やタールの香りもそうですが、作品の圧倒的な大きさも暴力性を感じさせるものです。

:通路を塞ぐように巨大な作品が設置されていて、非常にドラマチックであり、過剰さを感じさせました。美術館という場の性格をまったく変えてしまっていますね。



『空洞説』展示風景 空間を圧迫するように作品が置かれる


遠藤:スケールというものは、意味と位相を完全に転覆させるわけです。今回、「なにもあんなにでかいものを展示しなくてもいいのではないか」という意見も聞きましたが、大きさが違うと同じ形態でも身体経験としては、まるで違う。

ピラミッドでもなんでも、古代的なものは、すべて身体性に重きをおいて巨大に作られているわけです。常識を超える過剰さは、位相が異なる身体と精神の経験を呼び起こす。聖なるものはつねに過剰なんだよ。ジョルジュ・バタイユ先生も言っているように。









 

 

暴力も、生々しい性や悪の問題も、聖なるものにすごく密接に有機的に関与している。(遠藤)


―一方で、その過剰さが、遠藤さんの個展を美術館がなかなかやることができない一因にもなっているとも思います。今回も、大量の水流の音を聞かせる『Trieb-振動2017』という作品がありましたが、作品には美術館で敬遠される要素を含むものも多いですね。

遠藤:私の作品は、美術館からvすると非常に嫌われ者です。汚いし、でかいし。いつも個展をしないかという話があっては、途中で「やっぱりやめます」と言われる。展示設営も、ほかの作家より圧倒的に多くの時間がかかります。だから、埼玉県立近代美術館の学芸員は頑張ってくれたわけです。無謀な決断だったとは思うけど(笑)、そのおかげでできました。


『Trieb-振動2017』展示風景 静謐な展示空間に大量の水の音が響き渡る


―遠藤さんが聖性の問題をずっと扱ってきたことは承知の上で、それでも個展がこのタイミングで開かれたことには、時代的な意味があるようにも感じます。というのも、東日本大震災のような災害を経験して、あらためて死や、そこに連なる聖の問題を考えはじめた人は多いのではと思うからです。こうした意見をどう感じられますか?

遠藤:もちろん私は「いま」というより、聖性や原初性はもっと重要なものとして捉えられるべきだと、「つね」に考えてきました。日本に神はいないとか、宗教の問題はないとか言い切れないのは、日常を超えた凄惨なレベルを経験したとき、宗教に向かう心性は近くに発生しているからです。それはとても大事なことだと思う。

ただ、それを体系的に捉えて見る地点まで行けていないのが、「いま」だと思います。宗教というと、忌まわしさを排除したイメージがあるけど、そうではない。




―契機としては現れるけど、冷静には見られていない、ということですね。

遠藤:オウム真理教の問題が起こったときも、宗教ではなくて暴力だと言う人がいたけれど、やっぱり宗教です。暴力も、生々しい性や悪の問題も、聖なるものにすごく密接に有機的に関与している。それを理解できていない人が多い。しかし、そうした聖性や原初性についてあらためて思考して、体系化して、表現の土台にしていくことは、日本の美術を打ち出していくために欠かせないと思います。

―展示会場では、遠藤さんのその一貫した思考を感じることができますね。

遠藤:私の場合、ほとんど同じことをずっと繰り返しているわけです。微かでもいいから、なにか名状し難いものが伝わればいいかなと思う。その名状し難いものというのは、解釈ではない。「わかったわかった」という解釈ではなくて、わからないレベルが永遠に続くような経験をしてほしい。そんな場を作れたらと思っています。






 
遠藤利克(えんどう としかつ)
 
飛騨高山の宮大工の家に生まれ、少年時代に地元の仏師(ぶっし)に弟子入りし一刀彫りの技術を身につけたが、その伝統的な手わざに縛られ表現の可能性が狭まることをおそれ、立体作品の純粋な表現方法に移行した。『人間と物質展』(1970年)に触発され、原初的な物質、地・水・火・風のイメージの虚構性や幻想性に目を向けたという。1970年代より焼成した木、水、土、金属などを用い、『円環』、『空洞性』等を造形の核とし作品を発表。物質感を前面に押し出そうとしながらも、遠藤の問題意識は物質の背後にある身体感覚や物語性を追求する方向へと向っている。原美術館や欧米の美術館を巡回した『プライマル・スピリット展』などでもの派に続く世代と位置づけられた時代もあったが、もの派・ポストもの派の枠を超えて人間の生と死、芸術の根源を問う作品を発表している。



『遠藤利克展―聖性の考古学』
2017年7月15日(土)~8月31日(木)
会場:埼玉県 埼玉県立近代美術館
時間:10:00~17:30(入場は17:00まで)
休館日:月曜
料金:一般1,100円 大学・高校生880円
※中学生以下、障害者手帳をご提示の方と付添者1名は無料







インタビュー・テキスト 杉原環樹  撮影:豊島望 編集:宮原朋之

火曜日, 8月 30, 2016

「快楽の館」|Interview Kishin Shinoyama

Interview
Kishin Shinoyama

篠山紀信展「快楽の館」インタヴュー




篠山紀信「快楽の館」2016年 © Kishin Shinoyama 2016




アイドルから建築写真まで幅広いジャンルの被写体を撮影し、長年写真界の第一線で「いま」を切り取ってきた篠山紀信。と りわけ手掛けたヌード写真は、話題性とともに数多くのヒットを生み、一躍社会現象を巻き起こした。9月3日(土)より東京・品川の原美術館で開催される篠 山紀信展「快楽の館」は、そんな篠山のヌード写真の真骨頂を見ることができる。館内を撮影場所に、33名ものモデルを起用した76点もの撮り下ろし作品 は、5つの展示室や庭園に展示されることで、イメージの世界と現実が交錯するような鮮烈で幻惑的な鑑賞体験を生み出す。新作発表に合わせ、本展のテーマや 制作背景を聞いた。





―今回の企画展「快楽の館」は、どういう経緯で実現されたのですか?

 

篠山:まず、原美術館から展覧会を一緒にやりませんかというオファーをいただいたんです。構成を考える中で、もともとは1938年建造の私邸である 美術館全館を使って撮ることを思いつきました。裏庭とか屋上とか一般公開していないところも一杯あったので、面白いのではと思いましてね。写真というメ ディアにとって、場所は非常に大切ですから。「どうせやるなら、ここ(美術館)で全部撮って、ここに帰すってコンセプトが良いですね」なんてその時は興奮 していってしまったのだけど、あとから大変なこといってしまったと思って(笑)。美術館の中で撮るというのは意外と難しいんですよ。全館を撮影場所にする と、館内がガランと空いた展示換え期間中の数日間で行わないといけないですから。5月の中旬からの10日間で撮影しました。





撮影を通して感じた、篠山にとっての「快楽の館」とは…?







篠山紀信「快楽の館」2016年 ©Kishin Shinoyama 2016

―ヌードを美術館で撮影して、その写真を同じ美術館で展示するというコンセプトとは、随分思い切った企画ですね。

 

篠山:それは、個人美術館である原美術館ゆえでしょう。展示内容の判断が原俊夫館長に委ねられて、コンセプトに対して自由なわけですから。全館で撮影する「ヌード」というコンセプトとクリエイティヴの自由を受け入れてもらえたということが重要でした。
もう1点重要だったことは、原美術館の生い立ち。もともと個人の邸宅ですから、家の持つ歴史や時間の経過で蓄積されたもの、土地そのものが持ってい る力、そういった背景に対して、インスピレーションがどんどん湧いてきました。10日間の撮影でもアイデアに窮することもなく、最後の方はせっかく来てく れたモデルさんに「展示する所がないから」って帰ってもらうくらい(笑)、制作はスムーズでした。



―本展について「美術館は死体置き場、死臭充満する館に日々裸の美女が集う」とコメントされていました。生身の人間やヌードといった「生」を象徴する被写体を美術館で撮ることは、「生」と「死」の対比を表現しているのでしょうか?


篠山:そういう風にとらえる人もいるかもしれません。作品は生まれた場所から離れて、展示されるときは鑑賞物になるという意味で、美術館は作品の 「死体置き場」といえましょう。でも今回は、その場で作品を生み出し、その生まれたての作品を飾るわけですから死体置き場にはなってないんですね。入れ子 構造の展示なので、臨場感や生々しさ、不可思議さといった鮮明な鑑賞体験ができるという点で、従来の展示とは大きく異なると思います。
基本的に写真というのは、無から生まれるものではなく、カメラという機材を通して現実を利用しながら創るものですから、「現実との関係」が重要に なってくるわけです。なるべく展示の仕方も、現実との関係性がリアルに伝わる場所と見せ方が良いと考えました。私が印刷物の中でも週刊誌が好きなのは、 撮って刷ってすぐ消えるっていう存在だから。だから今回も展示のあとは、破いて棄てるしかないんですね。原美術館で、一回きりでやるから意味があるわけ で。一種の潔さが好きなんです。一回きりのライブイベントのようなものですから、実際に観て、「体感」してもらいたいです。



―いまではめずらしくなった独特の雰囲気を持つ古い洋館の中で、この規模感で撮影し、また同じ場所で展示する企画は、どこでもできるものではありませんね。


篠山:なかなかできませんよ。どこの壁に何を展示するかっていう展示構成も考えながら撮影できたので、特定の役者に向けた脚本を「当て書き」という けど、今回は「当て撮り」ができたわけで(笑)、そこも面白かった。広くて大きい壁面に対して、臨場感を出すために何が有効かを考えたとき、1980年代 に僕がよく使っていた「シノラマ」という手法がぴったりだったわけ。複数の写真をパノラマ状につなげて一枚の大判作品にする手法で、今回は初めてデジタル で「シノラマ」に挑戦しています。
プリントが等身大の大きさだと、鑑賞者が錯覚を起こすような、その場に迷い込んだようなリアルな引力が写真にはありますね。2012年に熊本県立美術館を皮切りに始まった巡回展「写真力」をした時の、美術館という特別な空間での展示経験が見事に生きましたね。





篠山とヌードの関係、そして50年間撮り続けてきたものとは?





篠山紀信「快楽の館」2016年 © Kishin Shinoyama 2016


―今回のロケーションである「館」と、ヌードの組み合わせは、あらゆる表現媒体のテーマにもなっていますが、色々なイメージを喚起しますね。


篠山:変態的に聞こえるかもしれませんが、そもそも原美術館が持つ空気感や建物がエロいんですよ(笑)。壁が曲がっていたり、丸みがあったり、真 四角で窓すらない一般的なホワイトキューブと違うでしょ。また、常設展示作品(森村泰昌、宮島達男、奈良美智など)とコラボレーションしたり、くめども尽 きぬアイデアを昇華するためには、やはりモデルも大勢必要だったわけです。数えたら33人もいた。写真を撮ることが楽しくて、「快楽の館」というのは結 局、私にとっての「撮る」快楽だったんじゃないかって(笑)。






 

―これまで膨大な数のヌードを撮られてきていますが、篠山さんにとってヌード写真とはどんな存在でしょうか?



篠山:目の前の被写体に感じた印象や思いや、イメージを写真にするときにヌードってとても使い勝手が良いんですよ。エロさだけじゃありません。例え ば、都市に裸を置く行為は、そこに有るべからずものが風景の中にあるという、日常の非日常だったり、既視感のあるものの別の側面を見せられることでもあり ます。いわば、自分自身の眼を覚醒させるための装置なんです。現代は、ヌードというと排除すべき対象ですが、やはり欲望を喚起するものなんです。



篠山紀信「快楽の館」2016年 © Kishin Shinoyama 2016


―長い間第一線でこれだけ色々なことをやられて、篠山さん自体が「時代の鏡」とも呼ばれていますね。


篠山:僕は何もない所からモノを創るアーティストではないですからね。写真家というのはカメラがあってレンズを向けた先に現実があるわけです。人 物や風景やモノとの関係性ですね。その時代時代の面白い人や突出したヒト、モノ、コトといった現実に果敢に寄っていって、良い角度から良いタイミングで撮 るってことを50年間ずっとやってきたと思うんです。結果、時代を撮ってきたっていう。



 ―時代とズレることなく足並みを揃えて、ハイファッション誌から週刊誌まで、幅広いメディアや被写体を撮られています。大衆にアピールする秘訣はあるのでしょうか?


篠山:秘訣をいいたくないとかではなく、それは言葉じゃいい表せない。ずっとやってきていることだから「才能」じゃないんですか?なんていうしか ない(笑)。ただし、モノを見ることに対する欲望は強いと思います。それから、仕事の注文主が僕に被写体の持つ魅力を増幅したり、新しい面を引き出したり する役目を期待して依頼してくるわけですから、彼らの要望に応えるように考えて撮りますね。それはアートとは違うでしょう。だけど最終的に昔撮った写真が アートとして美術館に飾られたりするわけだから、やっぱり時代に聞いてくれっていうしかないね(笑)。
 結局、経験で培った瞬時の判断力でしょうね。アスリートのように毎日の鍛錬がモノをいう。写真ってそういうところがありますね。なかなか写ってく れませんから。今回の企画も初めてのことでしたが、これを経ることで、初めての風景や違った景色が見えてくるかもしれません。そうやって成長していくもの だと思います。



 −いま一番何に興味がありますか?


篠山:うーんっと….時代に聞いて下さい(笑)。














タイトル

 

篠山紀信展 「快楽の館」


会期 2016年9月3日(土)〜2017年1月9日(月・祝)
会場 原美術館
時間 11:00~17:00(11月23日を除く水曜は20:00まで/入館は閉館30分前まで)
休館日 月曜(9月19日、10月10日、1月9日は開館)、9月20日、10月11日、年末年始(12月26日~1月4日)
入館料 【一般】1,100円【大高生】700円*原美術館メンバーは無料/20名以上の団体は100円引き
URL http://www.haramuseum.or.jp





IMA=インタヴュー・文








木曜日, 8月 18, 2016

「Progressland」|Andrew Zuckerman

 

 

NYで開催中の「フツーじゃない展覧会」

 

8月までニューヨークで開催されている「ちょっと変わったもの」が集まった展示「Progressland」。

その内容はわたしたちに「未来のヴェクトル」を考えるきっかけを与えてくれる。






ニューヨークにある小さくて風変わりなギャラリーChamberの最新展示「Progressland」。そのタイトルは、ウォルト・ディズニーに由来している。

1964年のニューヨーク世界博覧会で、ディズニーはドーム型をした3階建てのパヴィリオンProgresslandをつくり上げた。そのパヴィリオンは、われわれを取り巻く電子機器がどのように社会を発展させていくのか、あらゆる方向から披露するためにデザインされたものだった。

ゼネラル・エレクトリック(GE)がスポンサーとして名を連ねてはいたが、Progresslandはディズニーの描く「テクノロジーのユートピア」というヴィジョンそのものだった。そして、ウォルト・ディズニーはこのProgresslandをディズニーワールドに加えようと計画していたという。

結局それは実現こそしなかったが、Progresslandの建築模型はChamberで見ることができる。展示品にはたくさんの奇妙な品々があり、旧ソヴィエト時代の宇宙船の模型や、紀元前2,400年から1,700年に遡るフリント製の小刀、カラフルでモダンなセラミック製の骨壺などがある。キュレイターを務める写真家アンドリュー・ザッカーマンはこれらのものは「探求心と、自分の知識を超えて物事を見たいという人間の欲望の起源」を象徴していると言う。

昨年ザッカーマンがキュレイションした展示「Human|Nature」は、彼が言う「人間の根本的な起源」をテーマにしていた。つまり、わたしたちはどこからきたのか、という問いだ。

今回開催されているProgresslandの展示では、人類の功績を示す人工的につくり上げた物や芸術的なメタファーを用いることによって、それに答えている。ザッカーマンのこれまでのキャリアを反映するアプローチである。彼は7年間、アップルの一流のエグゼクティヴデザイナーたちと仕事をしてきた。彼らがデザインしたアップルのデヴァイスは人類の功績として歴史に名を残すだろうと、多くの人が信じている。

2013年以降、ザッカーマンは自身の映像スタジオに力を注ぎ、「人類と自然界の関係性」をメタファーを通して追求することに活動の重きを置いている。代表的な作品は、エキゾチックな動物たちを被写体としたものだ。

「『わたしたち人間』と『彼ら』という関係性を取っ払おうとしているんです」と、ザッカーマンは語る。彼のアプローチでは、自然に生息する環境ではなく、真っ白で明るい背景の前で動物を撮影する。エキゾチックというより、ニュートラルという呼ぶ方がしっくりくる。

Progresslandは、特に宇宙探検を大きく取り上げている。1980年代大半をスペースシャトルの中に置き去りにされた1袋のトマトの種や、NASAの 保温ブランケット、年代物のロシアの宇宙服の手袋などが展示され、それぞれ人類の功績を示すアーティファクトとして分類されている。

これら奇妙な作品をテキサス州とフロリダ州の「かなり変わったオークション」をあちこちあたって手に入れたというザッカーマン。これらの州は、宇宙飛行士の家族が身の回りの品々を売り払うことが多い州で、なかにはアポロ17号の月面探査計画で撮影されたフイルムが入った缶なども含まれていた。ザッカーマンは複数の画像をつなぎ合わせ、奇妙に違和感のある「月の画像」をつくり上げた。「粉っぽい灰色ではなく、星を見ているような占星術的な感じがするんです。驚異の念を感じます」と、彼は話す。



一風変わった展示ショー「Progressland」は、ニューヨークにある風代わりなギャラリーChamberで開催されている。現在の展示は写真家アンドリュー・ザッカーマン。この作品は、ブルックリンを拠点に活動している企業Final Frontierによって制作された、火星に着用するように設計されたタッチセンシティヴ手袋「EVAスペース」。

Progresslandは「探求心と、自分の知識を超えて物事を見たいという人間の欲望の起源」と写真家ザッカーマンは言う。この「スペース・ケース」は彼の作品だ。

1964年のニューヨーク世界博覧会、ディズニーによってつくられたドーム型をした3階建てのパヴィリオン・「Progressland」。

Progresslandのオリジナル建築模型。

陶芸家ピーター・ピンカスの飾り壷。 白い壺に虹色のストライプのバンドでそれを飾り、悲しむより人生を祝うべきと指摘している。

アルゼンチンのアーティストAlexandra Kehayoglouによる羊毛のラグ。展示用につくられた。

イアン・ステルの椅子「RollBottom」には、ちょっとしたトリックがある(次の写真)。

椅子を小刻みに動かして、デスクカヴァーを動かしていくと椅子になる。

フランク・オースティンによって、1931年につくられた「アリの宮殿」。

キュンツェル氏の祖母から受け継いだガラス製品をいくつか組み合わせた作品。保存用カプセルのような作品として生まれ変わった。

内部が見える「透明なスピーカー」

ハッセルブラッド500の実物大模型(米航空機メーカーグラマン社、1960年)PHOTOGRAPH BY CHAMBER GALLERY

椅子のような、スツールのような。デザイナーのコンスタンチン・グルチッチによる「360度チェア」(2009年)。

PHOTOGRAPH BY CHAMBER GALLERY

Studio Molenによる失われたTraffic Space Glove。

照明デザイナーの板坂諭による巨大な吊り下げ式ランプ。


アーティストの多くは、今回の「Progressland」のために新たに作品を制作した。陶芸家ピーター・ピンカスは、虹色のストライプが入った白いつぼをつくり、骨壺は人生を嘆くのではなく祝うものであるべきだという考えを提示した(ギャラリー#5)。

照明デザイナーの板坂諭がつくった巨大な吊り下げ式ランプは、ガラスの球体の外側を囲う銅線が中のいくつもの電球につながっている(ギャラリー#16)。「ワイヤーと電球は、卵子と出会う精子のよう」だとザッカーマンは言う。デザイナーのミミ・ユンの日本式の茶室を近代的につくり変えた作品では、来訪者は中に入ってしばらくの間、瞑想にふけることができる。




Progresslandは多くの作品を通して、深く考えるきっかけを与えてくれるが、具体的な事実を示したり明らかな問題提起はほとんどない。「(その目的は)未来にどんなものがつくられるのかだとか、そういうことではないんです」と、ザッカーマンは言う。「わたしたちはどこに向かうのか。それは新しいことへの挑戦、そしていままでにないことをやってみたいという衝動です。そして、それこそがテーマなのです






PHOTOGRAPHS BY CHAMBER GALLERY
TEXT BY MARGARET RHODES

WIRED(US)

金曜日, 6月 24, 2016

「BODY LOUD!」|Ryan McGinley

 

 

 

ライアン・マッギンレーによる待望の初個展

 

ヌード写真はどこまで進化し続けるのか。

 

 

国内外で圧倒的な人気を誇る写真家、ライアン・マッギンレーがついに日本での美術館初個展を開催。

まだ無名だった2002年に、自作のZINEを業界関係者に配ったことで瞬く間に注目を集め、翌年には若干25歳でホイットニー美術での個展を開催するに至ったのは有名なサクセスストーリー。その後10年以上を経た今なお、アートの垣根を越えて、音楽やファッションでも活躍する彼が追い求めるのはヌード写真の可能性。大自然の中を駆け抜ける開放的なイメージや、真冬の氷の中に佇む驚くべきヌードなど、誰も見たことのないイメージを絶えず創造してきた。本展は約500点のポートレイトによるインスタレーション「YEARBOOK」、秋や冬をテーマとした最新作など、マッギンレーがセレクトした作品が一同に会する。稀代のイメージメーカーにして時代の寵児となったマッギンレーの今を目撃しよう。

 

 


ライアン・マッギンレー「BODY LOUD!」
2016年4月16日(土)~7月10日(日)
東京オペラシティ アートギャラリー
東京都新宿区西新宿3-20-2

http://www.operacity.jp/ag/exh187/