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火曜日, 5月 21, 2019

『Young Americans』 Marie Tomanova

チェコの若き写真家が肉薄した「NYの若者たち」の写真集

チェコの若き写真家マリー・トマノヴァが、初の写真集『Young Americans』を刊行。序文を寄稿したのは、彼女の憧れの存在であり、NYに引っ越すきっかけになった写真家のライアン・マッギンレー。マリーに写真集発売までの経緯、彼女のヒーローについて訊いた。

 

前回マリー・トマノヴァをインタビューしたのは、ニューヨークのチェコセンターで彼女の初の個展「Young Americans」が開催されたときだった。展示されたのは、マリーがニューヨークで出会った若者たちのポートレイト。チェコ共和国から渡米した彼女は、ノースカロライナでの生活を経て、ネットでみたライアン・マッギンレーの作品をきっかけにニューヨークに移住する。そんな彼女が、3月末に同タイトルの写真集を発売。本作に序文を寄せたのは、他でもないマッギンレーだ。「彼が本にするべきだ、って勧めてくれて。それにもすごく勇気づけられました」と彼女は自身のヒーローに会った瞬間を振り返る。「彼は才能に溢れた、懐の広いひと」。ニューヨークの書店ダッシュウッド・ブックスで発売された本書は、初日にわずか1時間で完売してしまったが、このサイトから買うことができる。マリーが夢のような1年について語ってくれた。


──今回、写真家のライアン・マッギンレーが序文を寄稿してくれたそうですね。


写真集を出すことが夢だったので、まさか憧れの写真家に序文を書いてもらえるなんて思ってもいませんでした。ほんとに信じられなくて。途方もなく大きな、実現しそうにない夢も、叶うことがある。そのことに私自身感動しています。自分を縛っていたものから自由になれたし、このエピソードが他のひとに勇気を与えるきっかけになればうれしいです。
8年前の私にこのことを伝えたとしても、「まさか、ありえない」っていうと思います。ライアンの作品に出会ったのは2011年、ノースカロライナに住んでいたとき。突然ネットに彼の写真が出てきて、すぐに惹きこまれました。それから彼について調べて、いろんな作品をみて、野原を駆け回ったり、木登りをする若者たちの姿に夢中になりました。彼の作品がすごく心に響いたんです。それで翌年、オーペアとして米国に行って、ライアンに会うためにニューヨークに行こう、と決めました。結局、そのあと何年も彼に会えませんでしたが。当時はすごくシャイだったので。




──この写真集は、チェコセンターで開催された個展をまとめたものですよね。


個展で展示した14枚以外に、スライドショーで映した作品も収録しています。300枚近くのポートレイトをループ再生したんです。かなりクローズアップした写真だから、この展示方法はぴったりだったと思います。巨大な顔がじっとこちらを見つめていて、彼らの瞳に吸いこまれそうで。最高でした。
そのあと、どうやって本にまとめるか、かなり悩みました。そのままのサイズでは収録できないから。すごく勉強になりました。今、こうしてかたちになった本を実際に手にとって眺めていると、すばらしい作品になったと思うし、とても幸せです。


──写真のモデルはどうやって探すんですか?


ニューヨークでは、歩いているだけで魅力的なひとに出くわします。毎日のように、街ゆくひとのポートレイトを撮りたくなる。ファッション好きなひと、他人と違うことや自分らしくあることを恐れないひと…この街は興味を惹かれるひとで溢れています。




──最近、8年ぶりにチェコに帰ったそうですね。


帰国したとき、ニューヨークで暮らせることがいかに恵まれているかを実感して、感謝と幸せでいっぱいになりました。チェコにもクールで個性的なひとがいないわけじゃないけれど、ニューヨークとは全然違います。向こうでは若者はあまり撮らず、風景写真やもっと上の世代のポートレイトなど、まったく別のシリーズに取り組みました。それから街の雰囲気の違いがわかるような作品も。ニューヨークには独特の雰囲気があります。ユースカルチャーの力も大きい。クリエイティブで、多様性に満ちていて、情熱的で、唯一無二。この街の若者には、確固たる意志があります。




──ライアンに初めて会ったときのことを覚えていますか?


個展が始まったとき、彼に自分の作品をみてほしい、という想いがふとこみあげてきて。勇気を出して、ライアンの個展「Mirror, Mirror」のオープニングに行きました。去年の夏、私の個展が始まった翌日のことです。そこで彼に挨拶して、ぜひ個展をみにきてほしいと伝えました。すると彼は、わざわざチャイナタウンからアッパーイーストサイドまで自転車で来てくれたんです。
会場では2時間近く、ライアンと座って話したり、スライドショーを眺めたり、写真を撮ったりしました。モデルのなかには彼の知り合いもいて、私たちが同じようなひとを撮っていることもわかって。隣に座って直接アドバイスをもらえるなんて、夢のような時間でした。そのときに彼が写真集にまとめるべきだ、って勧めてくれて。
それにもすごく勇気づけられました。彼は才能に溢れた、懐の広いひと。あの瞬間から、彼は私にさらに大きなインスピレーションを与えてくれる存在になりました。





水曜日, 8月 08, 2018

Marie Tomanova |マリー・トマノヴァ

 

 

ヤング・アメリカの今を切り撮る写真家マリー・トマノヴァ

「これはトランプのアメリカじゃない————リアルなアメリカなの」。チェコの写真家マリー・トマノヴァが200枚を超える写真の捉えた、アメリカの未来に宿る多様性。


葉のない木に手足をまきつける、しなやかな裸体。汚れたピンクのタイルで飾られた浴室で、バスタブの中に寄り添う恋人たち。鏡に映った、髪を剃る女性アーティストの映像。『セックス・アンド・ザ・シティ』に実際に出てきたシーンというわけではないが、現在はNYCを拠点に活動する写真家マリー・トマノヴァがチェコ共和国の小さな町に住むティーンだったころ、アメリカに対して抱いていたイメージのもとになったのが、この都会っぽくて開放的なドラマだった。友だちのいとこがアメリカから送ってくれた録画DVDを観ていたのだという。だが実際に彼女がアメリカに移住してその目で見た光景は、まったく別のものだった————特にノースカロライナ州のグリーンズボロでは。

「オーペアとして初めて渡米して、一緒に住む家族を探していたの」と彼女は回想する。「ノースカロライナ州のグリーンズボロに、ある家族がいて『いいじゃない?』って思った。アメリカなんてどこも同じだし、ノースカロライナに行こう!って。何も知らなかった」。

〈ヤング・アメリカン〉というぴったりのタイトルがつけられたトマノヴァの今回の展覧会には、ニューヨーク・シティで彼女がついに見つけた若いクリエイティブなコミュニティの写真が飾られていいて、ジャゼル・ザノーティ(Jazzelle Zanaughtti)のようなモデルから、Instagramで知り合った人びと、ギャラリーのオープニングで出会った学生までを撮影した、200を超えるポートレイトで構成されている。その撮影は寝室や浴室、クラブ、そしてニューヨーク・シティのストリートでも行われた。Black Lives Matterや#MeTooのようなムーブメントを盛り上げる若者のパワー、そして同様に大切な、ただ若く、そしてユニークであることの力強さを証明するのが、この〈ヤング・アメリカン〉なのだ。しかし、若者の反乱は、Instagramハッシュタグ世代が始めたことではないし、アメリカだけに限ったことでもない。サンフランシスコで1967年に起こったサマー・オブ・ラブや、パリで1968年に始まった五月危機における一連の運動、1989年のプラハにおけるビロード革命は全て同様に国家に対する闘いの文脈のなかにある。
「彼らのような若者を通して、私もまだアメリカの本当の姿を探しているの」。“アイデンティティ政治”が汚れた言葉となった時代に、独自性を持ち、政治的であるキッズたちを指して、彼女はそう言った。「想像していたのとはまったく違うアメリカ。でも私が存在していていることを喜ばしいと思ったアメリカ……それはトランプのアメリカじゃない————リアルなアメリカなの」。アメリカン・ドリームは必ずしも得られるものではない。それは政府の気まぐれに左右されるものであり、道半ばで出会う素晴らしい人々によってかたち作られるものなのだ。



 ————実際に来る前、アメリカはどんなところだと思っていましたか?


今思い返すと、とってもおもしろいの。昔、16歳とか17歳のころ、『セックス・アンド・ザ・シティ』にすごく夢中だった。親友のいとこがアメリカにいたから、ドラマをDVDに録画して送ってくれていたの。そうでもなければ、手に入れることなんてできなかった。狂ったように観たっけ。でも実際にアメリカに、特にニューヨークに来たら何もかも違っていて。オーペアとして初めて渡米したとき、一緒に住む家族を探していたの。ノースカロライナ州のグリーンズボロに、ある家族がいて。「いいじゃない?」って思った。アメリカなんてどこも同じ、ノースカロライナに行こう!って。何も知らなかった。



 ————〈ヤング・アメリカン〉のシリーズを始めたきっかけは何だったのですか?


私自身が移民としてアメリカに来たことが、すべての始まりだったと思う。私はアメリカがどういうものかっていう確固としたイメージを持っていたけど、実際に行ってみたら、想像とはすべてが違ってた! ワクワクもしたけど、ちょっとがっかりもしたし、混乱もして。しばらくNYCに住んだあと、こういう若いキッズを撮るようになったの。これこそ自分が共感できるアメリカなんだって気づいた。意見を持っているのは、すべてこういう若い人たち。みんな本当に刺激的で、InstagramとかSNSで意見を発信するし、#MeTooや銃規制なんかも話題にする。そういう問題を放棄したり、書いてから1週間で忘れ去られるようにしたりしない。アメリカの“今”はそうなっているの。意見やパワーを持っているのは若者ってこと。






 ————これほど多様な若者とどういうふうに知り合ったのですか?どのように精神的つながりを確立したのでしょうか?


イベントやInstagramを通して人を探したり、共通の友人を介して知り合うこともある。彼らの写真を撮りに行くとほとんどの時間会話していることに気づくの。撮影に使う時間は全体の半分より少ないくらい。誰かの話を聞くのが大好きだし、どこから来たかとか、どんな夢を持っているのかとか、何を大切に思っているのかとかを知るのも大好き。いい関係を築くために、それはとても重要なこと。多くの子はすごくオープンで、心を開いてくれる。作品はただただ私のアメリカなの。私の視点から見たアメリカ。私の視点から見たアメリカン・ドリームで、自分が欲し、憧れたアメリカを本当に見つけた自分ということ。




————最後にあなたの写真を見たのは、セックス博物館の〈NSFW Female Gaze〉展でした。そしてニューヨーク都市交通局のバスすべてから、この展覧会の広告が外されたことを今朝、新聞で読みました。あなたの写真には、なぜヌードや女性の身体がよく登場するのでしょうか。


リサ・リベラとマリーナ・ガルシア=バスケスがこの展覧会に誘ってくれたとき、ものすごく嬉しかった。本当にヌードのヌード作品を、初めて展示することができたんだもの。ほかのギャラリーでは、それほど露出が多くないものを選ばなくてはならなくて。セックス博物館は、自由度が高いの。解放感がある。

セルフポートレイトを撮り始めたのは、グッゲンハイムでフランチェスカ・ウッドマンの展覧会を見たから。すごくインスパイアされた。チェコでは絵画を学んだけど、ちょっと大変だったの。アートスクールでは、いまだに男性がずっと多く主要なポジションについているから、女性の意見や女性のアイデンティティはそれほど価値がなくて、こんな作品を撮ることなんて決してできなかった。性的対象に見られたり、作品が“性的なだけ”と片づけられてしまうだろうから。アメリカに来てからもう絶対絵は描かないって誓ったの。それからグッゲンハイムでウッドマンの展覧会を見たとき、こう思った。「すごい、何で今まで写真をやってみなかったんだろう?」



 ————自分を撮影してどう感じるようになりましたか?


いくつか写真の授業を受けたんだけど、教授たちはとても応援してくれて。新しい環境、つまりアメリカの風景の中にいる自分を見ている自分という作品だった。小さな町を出て、反対側の世界に住んでいる。でもそれは同じ自分。アイデンティティを失いかけているとか、自分がわからないとか感じたことはなんどもある。ノースカロライナに行ったら、誰も私を知らない————私は何にだってなれた。それからニューヨークに移ったけど、そこでも誰も私を知らなかったの。違うペルソナを持つことだってできる。でもそのとき「本当の私はいったい誰? このすべてをどこに当てはめたらいいの?」って感じになって。セルフポートレイトは自分自身を確立し、少しだけ自己理解を深める助けになった。セクシュアリティももちろんそのテーマではあるけど、アイデンティティや、そして移民ということのほうがより強いテーマだと言える。自然は私の若いころを想起させるもの。子ども時代は、いつも野原や草原を走り回ったり、木登りをしていたから。世界のまったく違う場所で、自分のアイデンティティを探すということね。




 ————自分を〈誰でもないもの〉にしてしまうから、ニューヨークへの移住は解放的でありながら恐ろしくもあります。アート業界に足を踏み入れる際にどのようにそれと向き合ったのですか?


私がここに来たの最初の理由は、誰も知り合いがいなかったから。これこそが私であり、自分の居場所だと感じたの。私は誰でもなかったけど街を歩いているだけでエネルギーを感じることができたから。でも長く住んで、知り合いが増えると、小さなアートシーンではみんなが知りあいになる。写真を通して人とつながることができたことは、私にとって大切なできごとだった。人に会って、写真を撮り、話をして、友だちをつくったりする機会や理由を得て、ニューヨーク・シティに居を構える助けになった。それに私は小さな町の出身だったから————6000人くらいしか人口がいなくて。出歩いても、1週間や1ヶ月も知り合いに会わないっていうのは、すごく変な感じがするようになった。今は外に出て、人に会う。それがすごく私を落ち着かせてくれる。


























日曜日, 7月 29, 2018

ライアン・マッギンレー『The Kids Were All Right』

ライアン・マッギンレーが解説する8枚の写真

MCA Denverで開催されるライアン・マッギンレー初期作品回顧展『The Kids Were All Right』。写真家自身が、個人的な思い入れのある8枚の写真について語る。 

 

 

ライアン・マッギンレーの初期作品を集めた『The Kids Were All Right』は、マッギンレーが1998年から2003年までに撮った作品に加え、これまでに公開されることのなかった同時期のポラロイド1,500点を展示する回顧展。

公開される作品の多くは、マッギンレーが自費出版でリリースした『The Kids Are All Right』に収められたもの。ダッシュ・スノウやダン・コーレン、アガサ・スノウといったアーティスト仲間たちの姿に混じり、イアスノットなどのグラフィティ・ライターや、その他ニューヨークのワイルドなクリエイティブたちが快楽主義的世界観のうちに捉えられている。これをきっかけに、2003年、当時25歳だったマッギンレーはホイットニー美術館でエキシビションを開催する機会を得た。彼の先人にあたるナン・ゴールディンやラリー・クラークが闇を心地よく捉えた世界観を築いたのに対し、マッギンレーは歓びの瞬間を捉えるスタイルを確立していった。「僕はどちらかというと陽気で、好奇心に満ちていたからね」と彼はいう。写真の被写体がどれだけ壊れていようと、彼らからは否が応でも自由と若さの歓びが溢れている。

マッギンレーの初期作品は、"ひとの集まり"をテーマとしていた(社会の気風が重苦しさを増し、仲間たちの薬物・アルコール中毒が深刻さを増すに従い、マッギンレー作品はスタジオ撮影によるものが多くなっていった。しかし本人は、その変化の理由を「ホイットニーでのショーで突如有名になってしまったため」としている)。マッギンレーは、そのテーマ性が映画監督ポール・トーマス・アンダーソンのそれに共通すると見られることを喜んでいる。ふたりはともに家族の感覚と、そこに生まれる歓びや思い出、心理劇を作品で扱っている。「インターネットが登場する前だったから、外に出て写真を撮ってる人間なんてそう多くはなかったんだ」とマッギンレーは言う。「僕と友達は、特定の理由のもと磁石みたいに惹きつけあって、ムチャクチャな家族みたいな関係を作り上げていた。
ニューヨークに移り住んで、そこで僕は彼らとファミリーになって、新しい自分を生み出すことができたんだ。何かをやりたいと思った」






大回顧展『The Kids Were All Right』に展示される作品から、特に思い入れのある作品をマッギンレー自身が8枚選び、それぞれにまつわる思い出を語ってくれた。



Dash (Manhattan Bridge) 2000年
「これは友達ダッシュ(・スノウ)をマンハッタン・ブリッジで撮ったもの。ダッシュは、橋の上で車から上半身を乗り出してグラフィティを描き始めるような男。僕は、反対側の窓から上半身を乗り出してその様子を写真に収めるような写真家。すごくニューヨークを感じさせる作品で、大好きなんだ」




Sam Ground Zero 2001年
「何か自分にできることはないかとグラウンド・ゼロに行ったときのもの。日が落ちる前に撮ったんだけど、ワールドトレードセンターが崩壊した後の煙が濃くて、まるで夜に撮影したみたいに見える。この男がTシャツで顔を覆ってるのは、息ができないから。見るも無残な光景だった。ジャック・ウォールズ(Jack Walls)に電話をして『タワーが崩壊した』って言ったら、ジャックは『知ってる』って。『ダウンタウンから離れろ』って言われたけど、『写真を撮りに行く』って答えたら、『そうするだろうと思った』って言われたよ」



Jack (Poetry Reading) 1999年
「ジャック・ウォールズと出会ったのは、彼がマジソン・スクエア・ガーデンのすぐそばに持つロフトでだった。ジャックが自己紹介してくれたとき、そこにロバート・メイプルソープの写真集が置いてあるのに気づいた僕は、『いま学校でこのひとの勉強をしてるんだ』って言った。そして写真集を手に取ってページをめくってみたら、ジャックが写ってたんだ! すぐに仲良くなって、よくアヴェニューAにあるCherry Tavernっていう飲み屋でグラフィティ・アーティストたちと一緒に飲むようになった。その後は必ず隣にあるゲイバーのI.C. Guysに行って、また飲んでね。日曜にはポエトリー・リーディングが開催されて、ジャックも自作の詩を披露した。メイプルソープのボーイフレンドとして知られていたジャックだけど、自分をアーティストだと考えたことはなかったらしい。でも僕がホイットニーでのショーにまでこぎつけるのを見て、インスパイアされたんだと思う。今じゃジャックは画家としても詩人としても素晴らしい作品を作り出してるよ」






 Dan (Bloody Eye) 2002年
「ある夜、パーティの最中に、ダン(・コーレン)が『ビール取ってくる』と言って立ち去ったきりいなくなったんだ。1時間半ほどして戻ってきたのが、明け方の3時45分ぐらい。60代ぐらいのポーランド人たちにボコボコにされたって言うんだ。一番背の高いやつが喧嘩を売られる——ダンはそういう男だった」







SACE 2000年
「ダッシュ・スノウはIRAKグラフィティのリーダーのひとりで、壁にSACERとかSACEと書くことで知られてた。僕は強迫観念が感じられる彼のグラフィティが好きでね。グラフィティを書くのに夢中なダッシュが好きだった。彼はよく、タバコを挟んだ指で宙にタグを描いてた——数あるダッシュの美しい思い出の中でも、あれはよく覚えてるよ。アヴェニューAにある寿司屋にふたりでよく行ったんだけど、最近になって僕のボーイフレンドとその店に行ってみたら、テーブルにSACERのタグが彫られてたんだ。もう亡くなった人がああやって『よ!俺だよ!』って語りかけてくるなんて素敵だよね。今でもいろんなところでSACERタグに出くわすんだ」






Ryan (Blood)  1999年
「ゲイへの暴力が絶えない時代だった。そこで『ゲイだってことで突っかかってくるやつがいたら、そいつらをボコボコにしてやろう』って思ったんだ。道でホモフォビックなことを言ってる男たちがいたから、頭突きを食らわしてやった。だからこの血は、僕のじゃなくてホモフォビックな発言をしてた男のものだよ。そいつを倒して、家まで歩きながら笑い転げたんだ。ゲイのキッズにボコボコにされるなんて、そいつら、思いもしなかっただろうからね」





 Agathe and Dash (Black Leather) 2002年
「アガサとダッシュは、僕に初めてプライベートのラブ・ライフを覗かせてくれたカップルで、それは僕にとってとても大きいことだった。ふたりは関係をとてもオープンにしてくれて、セックスや愛の営みを写真に撮らせてくれた。そうやって信頼してもらえたのが嬉しくて。あの部屋に入れてもらえたのがね。ヌード写真の分野に惹かれ始めた大きなきっかけのひとつになった」
















 『PARK GALLERY
東京・末広町にある〈PARK GALLERY〉は従来のギャラリーでなく、作品を介したコミュニケーションが生まれるサロン的な空間として若手作家から支持されている。今回は「絵」としてインパクトのある作家作品が集められた。その中で注目したいのが、カナイフユキの絵、エッセイ、漫画で構成されたパーソナルZINE作品『WAY』だ。〈PARK GALLERY〉代表の加藤淳也は「”個人的”な思いを、自分の持っている”技術”と”想像力”をもって最大限に表現しているところにある」とカナイの魅力を語った。表現者の自由と、読者がたくさんの選択肢から選ぶことができる自由、現在のメディアのあり方に対する起爆剤となる1冊だ。









https://i-d.vice.com/jp/article/d3p8az/the-kids-were-all-right-ryan-mcginley-looks-back-at-the-images-that-made-him-famous
































































































































金曜日, 6月 01, 2018

「性ではなく生」

 


このヌードは「性ではなく生」


フォトグラファーShiori Akibaの被写体はご覧の通りヌードだ。けれど、私たちがその言葉から無意識にイメージしてしまう性的な何かとは、明らかに質感が異なる。

裸体を無機質に捉えたり、人体のフォルムの美しさを強調するような作品になら、これまでにも出合ったことがある。

でも、彼女の写真。なんかそういうことでもないんだよなあ。

 
© 2018 Shiori Akiba

© 2018 Shiori Akiba


© 2018 Shiori Akiba

NUDE≠裸
NUDE=ハダカ

 

まあ到底、私なんかには言語化できるわけがない。だからフランスにいるAkiba氏本人(彼女はパリ在住だ)にコンタクトを取り、直接聞いてみた。

「そもそもNUDEを撮りはじめたきっかけは、日本におけるNUDEの見られ方や扱いに深い疑問からでした。私にとってNUDEとは、性を感じるだけでなく生をも感じるもの。とても美しく、興味深いものなんですよね。でも、NUDEを扱った作品は性の視点からしか見てもらえないことが多い。女性の私にとって、それは腹ただしかったり、気持ちの悪かったり。そう感じることがたくさんあったんです」

わかる。私も女性だから。

別にエロを否定するわけじゃないんだよね。そればっかりっていうことに違和感があるだけ。だから、「生として美しいハダカを表現した」という氏の言葉に強く共感する。

そして、その美しさの表現が、とても生々しくはあるんだけど、どこか夢見心地な世界の中で展開されるShiori Akibaの作品が大好きだ。

 

© 2018 Shiori Akiba

© 2018 Shiori Akiba

 

 

© 2018 Shiori Akiba



公式HPに掲載されてる他の作品も、とっても素敵ですよ。

 

Top photo: © 2018 Shiori Akiba
Licensed material used with permission by Shiori Akiba/HP, Instagram
 
 
© 2018 Shiori Akiba

© 2018 Shiori Akiba

© 2018 Shiori Akiba

 

木曜日, 4月 06, 2017

ユースレス・ループの塩田|SIMON BUTTERWORTH


 

まるで水彩画のような

オーストラリアの「青い塩田」

 

世界遺産に登録されているオーストラリアのシャーク湾。

その近くに位置するユースレス・ループには広大な塩田が広がっている。
ライトブルーに彩られた塩田はまるで水彩画のようで、世界遺産に負けず劣らず美しい。




ユースレス・ループの塩田

ユースレス・ループの塩田

ユースレス・ループの塩田

ユースレス・ループの塩田

ユースレス・ループの塩田

ユースレス・ループの塩田

ユースレス・ループの塩田

ユースレス・ループの塩田

ユースレス・ループの近くの林に描かれた文字

シャーク湾の砂漠の目

ユースレス・ループの塩を採集する島




サイモン・バターワースに「これまで見たなかで最も豪華なもの」が何か尋ねると、彼は化学工場だと答えるかもしれない。
6年前、彼はスコットランドのカウデンビースにある石油化学工場を夜に撮影した。
それが彼の価値観を完全に変えてしまったのだ。

「それまで見たことのない、最も美しい光景だと思いました。これにはタージマハルも敵いません」と彼は言う。

「その写真を見せるまで、誰も私の言うことを信じてくれなかったんです」

それ以来バターワースは、人が平凡だと思ったり、醜いとさえ思ったりするような場所を数多く撮影してきた。

Blue Fields』というプロジェクトにおいて、彼はオーストラリアを移動しながら普通の塩田を撮影している。

ユネスコ世界遺産に指定されている320万エーカー(約13,000平方キロメートル)にも及ぶ島々や半島からなるシャーク湾の上空を飛行し、ユースレス・ループで行われている天日製塩事業に興味を抱いた。

「完璧に望みどおりの場所でした。それは自然が美しいエリアとして指定されている、世界遺産の真ん中にある産業用の土地です」と彼は話す。




カウデンビースの石油化学プラント(ファイフ、スコットランド)



遮られることなく地上の様子を見られるように、パイロットは離陸する前に飛行機の後部ドアを外すという奇抜なアイデアを思いついた。

これがいい効果を生んだ。バターワースは滑走中の小型セスナがガタガタ揺れるのを初めは気にしていたが、すぐにその感覚をいたく気に入った。

彼がチャーターしたセスナは比較的低速で窓が広く、翼の支柱などに視界が遮られることもなかったため、上空での撮影は理想的なものとなった。

同機は上空4,000〜5,000フィート(約1,200〜1,500m)を飛行した。

それは航空写真の撮影としてはかなりの高度だったが、バターワースは自分の写真をできる限り抽象的なイメージにしたいと考えていたのだった。

「徐々にその地域のことが分かってくるような、抽象的でありながら非常に生き生きとした写真、いわば地形の“ストリップショー”のようなものを撮ろうと思ったんです」

と彼は話す。

撮影は「西オーストラリアの昼間に照りつける太陽の下」というより、早朝や夕暮れの淡い光のなかで行われていると思われがちだ。
しかし、強力な上空からの光は影を打ち消し、地上の塩田に鮮明な青色の反射を生み出す。

「塩を収集する機械が塩田を走った跡は、まるで水彩画の筆致のようです」と彼は言う。

彼は4時間近く飛行し、シャーク湾の内陸の鮮やかな赤い林を貫く道、浅瀬のカラフルな模様、無人島に係留されている小型ボートも撮影した。しかし、人がつくった塩田の鮮やかな青色が、母なる自然に勝利したのである。









TEXT BY TAYLOR GLASCOCK

WIRED(US)