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水曜日, 4月 26, 2017

例えば会社にとって「危険な人材」とは

 

「勝手に忙しくしている人」にあまり同情の余地はない。



ビジネスマンは忙しい。

朝出社して、前日に残した仕事の続きをしていると、メールや電話がかかってきて、次々と小さなタスクが積み上げられる。
なんとかそれらをこなしていると昼休みだ。
急いで昼ごはんを掻きこんでいると、あれもこれもやらなければ、と気づく。
席に戻った彼は、頭の中でタスクを整理して、優先順位を決め、処理していく。
この調子だと、今日も残業かもしれない。そういえば有休もしばらくとっていない。
ふと窓辺にいる課長を見ると、緩慢な動作で書類に目を通したり、思いついたようにどこかに電話をかけて、どうでもいい話題で盛り上がったりしている。
どう見ても暇そうである。
それなのに、給料はこちらのほうが安いときている。自分に対する評価は正当なのだろうか?

このような光景を会社の中で見かけることは珍しくない。
かわいそうな話だと思う。自分もそうだ、と忙しい彼に感情移入できる人もいるかもしれない。
しかし、彼にそれほど同情の余地はないかもしれない。というのが今回の話。

忙しさと属人性


私はプログラマなので、プログラミングという仕事を例に出すが、システムを作っていると、必ず「属人性」というものが生まれる。
そのシステムのプログラムの詳細は自分しか知らないので、誰かに引き継ぐことが難しいという状況である。つまり「仕事」が特定の人物に強く結びついてしまう。

もちろんこの業界でも「属人性」は良い事ではない、とされている。

よって、出来る限り、プログラムにコメント(解説)を残し、ドキュメントを作成する、ということが推奨されている。

しかし、当人の感覚で言わせてもらうと、気の進まない行為である。そもそも誰に引き継ぐというのか、どうせ自分はこの仕事から解放されないし、プロジェクトが終わった後も、システムに何かある毎に呼び戻されるに違いないのだ。

なので、往々にして、コメントはほとんどなくなるか、深く考えずに書かれて、解説になっていないどうでもいい内容になり、ドキュメントは体裁だけは整っているが、システムの理解にはほとんど役に立たない代物になりがちである。

しかしこのように自分に紐付いた仕事を増やしていくと、こなしたプロジェクトが多くなればなるほど、加速度的に自分は忙しくなっていく。
結果として、冒頭の「彼」のように日々仕事に追われる人間になってしまうのだ。
なぜこのような事が起こるのだろうか?

 

自分にしかできない仕事の魅力


人には才能を発揮して誰かの役にたてる時に、充実感が得られるという性質がある。
それが、他ならぬ自分だけが出来る、という状況であれば、さらにそこに自尊心(プライド)も生まれる。

この仕事は自分にしかできないのだから、自分はこの会社という集団の中で必要不可欠な存在なのだ、という認識は、気持ちを安定させるし、毎日の長い通勤時間をかけて会社に向かう原動力になるほどの、蠱惑的な魅力があるのだ。

この仕事は自分にしかできない、という状況はビジネスマンとしてのアイデンティティを強化し、仕事に対するモチベーションを上げる面があると言えるだろう。


しかし、これをそのままモチベーションとして生かすだけならいいのだが、次に彼が思うことは

「何故、これほど重要な自分が、会社の中でそれほど評価されないのだろうか?」

という不満である。

どう考えても空き時間にソリティアに興じている上司より、自分のほうが会社にとって必要な筈だ。なのに、会社は昇格どころか昇給すらしないのである。



これは余談だが、たまにネットの掲示板などに、業務を劇的に改善した人物が、正当に評価されないので辞めた結果、会社が大いに困ったり、潰れてしまったりするという話が書かれていることがある。

真偽の程はわからないが、これらの話がネット上でそれなりに人気を呼ぶのは、読者の中にも「自分にしかできない仕事をしているのに、会社がちっとも評価してくれない」という思いが少なからずあって、このような「退職による復讐譚」がある種のカタルシスをもたらすからだろう。

 

彼にしか出来ない仕事は実は存在しない


さて、忙しい彼が辞めてしまえば、本当に会社は困ったり倒産したりするだろうか?
彼の退職の可能性は会社にとってどれほどのリスクになっているだろうか?
残念ながら、大したリスクにはなっていない、というのがほとんどの場合の答えである。



仮に彼が退職したとする。

当然、彼が日々忙しくしていた「仕事」は誰かが代わりにすることになる。
彼が何らかの資料を残していようといまいと、残された者はやらなければならないことを実行するだけである。
おそらく苦労はするだろうが、ほとんどの場合、実行できてしまうだろう。
何故なら、引き継いだ社員は、彼と同じやり方はしないからである。

そのやり方は辞めた彼から見れば不十分で、安全でなく、クライアントへの配慮にも欠けたやり方に見えることだろう。
しかし、これは代役なのだ。ある程度のアラは、会社からもクライアントからも大目に見てもらえる。

最悪の場合でも、会社は彼のやっていた「仕事」を経営上の判断でやらないことにしてしまうということすらできるのである。

つまり、大まかに言って彼の代役はほとんど成立してしまう。



日々忙しくしている社員の給料が上がったり、昇格したり、ということがないのであれば、上層部は彼を会社にとって「無くてはならない人材」と見なしていない、と言うこともできる。

皮肉にも彼がせっせと作っていた「自分にしかできない仕事」は、会社側から「あいつ以外でもできる」と考えられているから、許容されているのである。

もっとひどい事を言うと、勝手に自分にしかできない仕事を沢山抱えている社員は、会社にとって、単に都合の良い存在になっている場合が多い。

なぜなら、彼らは「自分にしかできない」という思いから、必要とあれば残業してくれ、有休もとらずに働き、自分が辞めたら迷惑がかかると勝手に思ってくれて、退職もしづらいからである。

 

例えば会社にとって「危険な人材」になる


「自分にしかできない仕事」を安易に増やしても、忙しくなるだけで、大したメリットはない。
という話を長々と書いた。つまりは努力の方向が間違っているのだ。

会社が給料を上げたり、昇格させたりして、その社員が退職しないように必死に配慮する人材というのは、「真にその人間にしか出来ない仕事」を持っている人である。

例えば、
クライアントの担当者の言うとおりに動く人間ではなく、その上司である上層部と通じている人物であるとか、ずば抜けたスキルを持っているとか、人を動かして、多くの仕事をさせて、必要に応じて部下を教育して生産性を高められる人材などが考えられる。

このような人の進退は会社の業績に大きな影響を与える。
会社にとって「危険」な人材だ

だからこそ、会社はこのような人材を必死に引き止め、さらには仕事を取り上げてリスクを軽減させようとする。

もしあなたに「自分にしかできない仕事」が沢山あるのなら、そしてその状況を会社が許容しているのであれば、あなたは、会社にとって重要な存在とは見なされていない。

手を一度止めて、業務を見る視点を高くして、会社にとって真に重要な存在になるために、「危険」な人物になるにはどうすればいいか、考えてみるのも良いかもしれない。










http://blog.tinect.jp/?p=39145

金曜日, 4月 14, 2017

人間関係が仕事の質を左右する

 

 

炎上案件を見て「金銭や方法論よりも、人間関係が仕事の質を左右する」と知った話。

 


時々仕事をもらっている会社で、あるキャンペーンサイトの構築案件が炎上したという出来事があった。
私はその案件に直接には無関係だったのだが、その関係者と飲む機会があったので、野次馬根性からその案件について聞いてみた。

システムの人間は
「そもそも最初のスケジュールに無理があった」と呆れたように言い、
デザイナーは
「クライアントの修正要求が多すぎた」と恨みがましく言った。
ディレクターは
「現場から情報が上がってこないから対応が遅れてしまった」と憤懣やるかたない様子であり、別々に聞く上では皆が皆、それぞれに不満を持っているようであった。


まるで芥川龍之介の「藪の中」である。


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ただ、小説と異なるのは、皆がある程度、正直に語っている、ということだ。

話を聞いていて、私はある印象を持った。

これはビジネスと人間関係の軋轢(あつれき)ではないか、ということだ。

ビジネスというものの定義はひとそれぞれであろうが、話を単純にするために
「金銭をともなった労務のやりとり」としておこう。

どこかで読んだ例をあげるが、叔父の家に招待され、素晴らしいホームパーティに参加した。美味しい手作り料理に舌鼓を打ちながら、ホストである叔父に「この料理は素晴らしいですね。お代として5万円出しましょう」と言ったならば、おそらく叔父は表情を一変させて怒り出すであろうし、

逆にプロのカメラマンをしている友人を1日付き合わせて、さんざん撮り直しを要求したあげく、気持ちばかりの御礼もなしに「ありがとう。助かったよ」の一言ですませてしまえば、その友人は二度とあなたの写真を撮ろうとはしなくなるだろう。


前者は人間関係にビジネスを持ち込んだ結果であり、後者の結果は本来ビジネスであったものに人間関係を持ち込んだことによるものだ。


このようにビジネス、または単純に「金銭のやり取り」というのはある種、人間をひどく冷淡にする面がある。

社会の中で本来誰もやりたがらない仕事を誰かがやっているのは、そこに報酬が発生するからだし、報酬を払う側も自分たちが出来ないこと、ひいては、やりたくないことを他人に押し付けるために金銭を払っている。


このような、「人を金銭で動かす」というビジネスの論法は様々に実践されていて、いかにクオリティの高い成果物を最小のコストで得ることができるか、というのがビジネスの中で生きる人間の基礎教養となっている。


それで言うと、会社とは間違いなくビジネスの場である。


仮に、皆が会社で行う「ビジネス」の利潤や自身の生産性というもの「だけ」に目を向けているのであれば、(言い換えれば、皆が充分に冷淡であれば)

案件が炎上しようが、採算が割れようが、純粋に案件の経緯と結果を反省するだけで、「誰が悪かった」というような不満は出てこないだろう。


しかしながら、同僚やチームといった会社内の関係性の中には、貸し借りや、好意、苦手という人間らしい側面もある。


おそらく今回の炎上案件がそれぞれに怨嗟の情を残した訳は、ビジネスがもたらした苦難に

「長年の付き合いなのだから、こちらの事情ぐらいそれなりに察してくれよ」

という対応を求めたことであり、突き詰めれば、それぞれのコミュニケーションが上手くとれなかったという所に行き着くように思う。



さて、この平凡な結論を「それぞれのプロ意識が足りない」と断じることもできるだろう。

または、このようなケースに適用できるような様々なビジネス・メソッドが思いついた方もいるかもしれない。

しかし、私がそう言ったものにあまり興味がない、というのもあるのだが、私はむしろ人間関係というものが仕事の質を左右することを経験的に知っている。

例えば、あるクオリティの仕事ができる人間に、10倍の報酬を出せば、10倍のクオリティのものが上がってくるということが基本的に有り得ないことがわかるように、「金銭」だけでは労務の結果である成果物の質はあまり変化しない。

それよりも、長年の付き合いでお互いの好みや長所を知っているとか、気軽に円滑なコミュニケーションが保てるということのほうが、成果物の質やその後の結果にとって重要なことも多い。

もちろん、それらもビジネスの文脈で、何らかの堅苦しい専門用語で説明できることはわかっている。



ただ、私が思うのは、人間が生来持っている「社会性」

――自分の為にすることよりも他人の為にすることに、より価値を見出すという性分――

は、主に人間関係によって惹起されるものではないか、ということだ。



ここに、ビジネスの文脈で「PDCAサイクル」がどうとか、「プロジェクト管理の妥当性」がどうとか、という話を持ち出しても、おそらく当人たちにはそれほど伝わらないようにも思うのである。

もちろん、皆が仲良く、気分良く、仕事できるようにしよう。という漠然とした希望だけでこの種の軋轢が解決できるほど甘いものではない、ということも事実だ。


ビジネスの文脈で語られる様々な合理的なメソッドは、

人間関係、ひいては社会性というものを「補完」する目的で用いられることが望ましいのではないか。

漠然としていて申し訳ないのだが、この話の結びとしては、これが現場にいる人間の「感想」である。






人生に捧げるコント 3 20130827 投稿者 PModel






http://blog.tinect.jp/?p=38788

水曜日, 3月 29, 2017

仕事で大切なのは「頭の良さ」ではない

 

仕事で大事なのは「頭の良さ」

ではなく「目標の具体化」



現代では「知的能力」は特にビジネスにおいて大きく評価されている。

「知識労働者」が増えるに従い、知的能力のアドバンテージが大きな富を生み出せすことに皆が気づいたからだ。だから皆、学歴を気にするし、教育格差を社会問題として取り上げる。

中には「知的能力がほとんど遺伝で決定されるから、社会的な成功は生まれる前からほぼ決まっている」という極論を唱える人物まで散見される時代となった。

だが、ビジネスに知的能力というものがそこまで重要なのか、といえば、私は懐疑的である。おそらく知的能力はあまりにも過剰に評価されている。

天才がいるとか、知的能力がビジネスの成否を決める、とか、経営陣が高学歴である、とか、そのようなことはすべて、「うちの営業マンは根性があります」というのと、中身においてさほど変わりはない。それは、数ある強みの1つであるにすぎない。

まして「世界は一握りの知的エリートによって支配される」など、SFの読み過ぎである。確かに能力による格差は広がるだろうが、それは「知的能力」によるものではない。


皮肉にも、「知識労働者」という言葉を生み出したピーター・ドラッカー自身は著書※1の中で「知力や想像力や知識は、成果の限界を設定するだけ」と述べた。

頭の良い人間であっても、成果を出せるかどうかはそれと関係がない。
ハーバード卒であっても、AIというテーマでで博士号を取った人間であっても、それは知的能力の高いことの証明ではあっても、仕事で成果が出るかどうかの証明にはならない。



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実際、私の経験の中でも「知的能力を過剰に評価する人物」は、大した成果をあげることができていなかった。

知的能力が高く、論理は立派なのだが、実践ができない、継続ができない、誤りを認めない、素直ではない、勉強しない、そういった人物は、結局何事も為すことはなかった。

彼らは物事がうまくいかないと、「コンセプトがマズい」「戦略がマズい」「マーケティングがマズい」という。だが単に行動の量と、継続するだけの工夫が足りないだけだった。

時には「計画通りにできない社員がダメだ、客がダメだ」と言い出し、周りを困らせたものである。彼らは「ビジネスの成否は、知的能力とは関係がない」という事を受け入れなかったのだ。
 
才能に恵まれていながら、実にもったいない話だ。

 
——————————



では、ビジネスで成果を出す上でほんとうに重要なことはなんだろうか。様々な考え方があるだろうが、私が1つの真理だと思ったのは、あるプロジェクトの、打ち上げの時の会話で聞いたことだった。

「どうしたら、マネジャーみたいになれますか?最年少でマネジャーになったの、先輩ですよね。」

「まあね。」

「どんなやり方をしたんですか?」

「やり方ね……。一所懸命やるだけ。」

「本当にそれだけなんですか?真面目に教えてください。」

すると、マネジャーは新人に向き直って言った。

「個人的な目標は、持ってる?」

「え……、どういうことですか。」

「いや、そのまんまだよ。個人的な目標はあるのか、と聞いてるんだ。」

「もっと稼ぎたい、とか、楽しく仕事したいとか、そういうことですか?」

「ああ、それは目標じゃなく願望っていうんだ。」

「……何が違うんですか?」

マネジャーは言葉を選んでいるようだったが、こう言った。

「リアリティがない。稼ぎたいって、本気で思ってる?」

「……正直、まあ、なんとなく、って言うレベルです。」

「仕事はね、そこなんだよ。「なんとなくやりたい」とか「なんとなくできるようになりたい」って言う人は、ダメ。」

「どうしたらいいですか?」

「ないのか、目標。」

「ま、まあ、なくはないですけど。」

「どんな夢だ。」

「年収で一千万は稼げるようになりたいです。」

マネジャーは身を乗り出した。

「どうやって?」

「わかりません。とりあえず給料を上げたいです。」

「それはまだ、単なる願望だな。まだ「給料が上がればいいな」と思ってるだけだ。」
「どうしろっていうんですか。」

「いいか、仕事で成果出す奴は願望を目標に変えてるんだよ。自分で考えてな。考えてみろ、年収一千万なんて給料は、この会社で無理だ。ウチは普通の会社だからな。」

「そんなこと言われても……」

「具体的に考えるやつだけが、仕事も、人生も成果を出すんだよ。これは才能じゃなない。ハートの問題だ。真剣な姿勢なんだよ。もちろんこんなことしなくたって、人生楽に生きられる。どっちを選ぶかはお前次第だよ。」

「転職したほうが良いんでしょうか。」

「そんなこと、オレもわからん。まあでも、転職活動してみたら?年収一千万もらえる人間になるために、何が足りないか見えるんじゃないか?」

「あ、具体的に考えるって、そういうことですか。」

「仕事ができる奴は「具体的に何が足りないか」を動きながら考える。オレはマネジャーになりたかったから、目標達成とか上司への売り込みとか、地道にやった。まあ、ただ大抵の奴はあれこれ想像するだけで動かないし、具体化もしないし、継続もできない。それはあくまで「願望」であって「なったらいいな」程度にしか思っていないからだ。」

「……。」

「所詮、会社員の仕事だからな、誰でもできるんだよ。だからさっき聞いた。オマエは何をしたいのか。具体的に決まっている奴が、成功するやつだ。夢物語に逃げたりしないでな。」


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私はこの話を聞いて以来、「その人の持つ目標の具体性」について、強い興味を持つに至った。それは仕事の能力の有無の判断基準であることは間違いない。
結局、できる人たちはひたすら現実的に考える人たちなのだ。














http://blog.tinect.jp/?p=24307

月曜日, 3月 27, 2017

仕事に必要なのはモチベーション??

 

 

仕事に必要なのはモチベーション

ではなく、プロ意識である




社員のモチベーションをどうやって上げるか、日々苦労している経営者、管理職は多い。

その証拠に、書店のビジネス書を見れば「社員のやる気」や、「動機付け」というテーマで埋まり、セミナーは悩んだ管理職でいっぱいである。

だが、仕事において本当にモチベーションが重要なのか、といえば、そう思わない人も多い。

私が以前、「管理職研修」を営業した時、ある専門サービス業の経営者はこう言った。

「社員のモチベーションなど気にする必要は全くない。管理職研修など不要。」

いきなり全否定された私は、その理由を聞いた。

彼は言った。

「モチベーションは外から与えるものではなく、その人が自ら生み出すものだからだ。」

経営者は続けて言った。


「養うべきは、モチベーションではなく、プロ意識だ。これは徹底的に教育する必要がある。」

■


また、ある時私は保険の代理店に訪問した。その会社は社員は10名程度、ほとんどが「おばちゃん」だった。

彼女たちにモチベーションと呼ぶべきものは見当たらなかった。なにせほぼ毎日「仕事するの嫌やわ−」と言っているのだ。

だが、彼女たちは実によく働いていた。その代理店の成績、顧客満足度は、全国でも有数のレベルであった。

「仕事は嫌だけど、お金をもらってるんだから、きちんとしなきゃ。」


■


モチベーションは本質的に不安定である。

なぜなら様々な要因によって影響を受けるからだ。
例えば

パートナーと喧嘩した。
歯が痛い。
友人関係がうまく行っていない。
親の体調がすぐれない

そういった、日常の出来事から大きく影響を受けてしまう。モチベーションは気まぐれであり、プライベートの状況に左右されやすい。

だが、顧客はあなたのプライベートの状況など斟酌しない。顧客にとってはサービスのレベルが全てだからだ。

だが、プロ意識は異なる。やる気を言い訳にしない。プライベートの状況にかかわらずクオリティの高いものを仕上げようとする。納期に間に合わせようとする。

「会社員も給料をもらって働いている以上、プロとして行動すべきだ」と、管理職研修は不要と断言した経営者は語った。

「アルバイトですら、プロ意識を持って働く人々がいる。社員は言うに及ばずだ」


■


結局のところ、モチベーションは外部から与えることは不可能だ。
しかし、プロ意識は教育によって高めることが可能であるという。

件の経営者に「プロ意識はどのように教育するのですか?」と聞くと、彼はこう言った。

「必要なのは、
まず
プロとしてのあるべき姿・規律などの行動規範。
第二によく考えられた目標。
そして最後にそれらを体現する模範的人物。

これらが必要なことの全てであり、どれが欠けてもプロ意識は生まれない。」

確かに、 納得である。











































http://blog.tinect.jp/?p=14310


木曜日, 9月 24, 2015

「仕事ができる人」の定義

多くの企業が考える「仕事ができる人」の定義。

仕事の能力は、組織において重視されるが、では「仕事ができる」とは何か。これを明確に定義している組織は少ない。

もちろん会社の求めることはいうまでもなく「成果をあげること」なのだが、この成果は◯◯さんの、この成果は◯◯さんの、という切り分けができないものが多く、「成果を出した人ができる人」と定義してしまうと、評価の間違いを犯すリスクが高くなる。
また、すぐに結果のでないような仕事も数多くあり、必ずしも短期的な業績を持って、「結果を出す力がある」とみなすのも早計である。
だから、多くの会社では「結果を出す能力とは何か」をできるだけ詳細に定義し、評価を結果のみに頼らないようにする。

では、一般的にどのような能力が「成果に繋がる」とみなされているのか。京セラおよびKDDIの創業者であり、多くの経営者に支持されている稲盛和夫氏は、

仕事の結果=能力×熱意×考え方

と言った。
この考え方のポイントは、全てが掛け算であること、そして「熱意」と「考え方」が入っていることである。要は能力が高くても、熱意がない人物、考え方が間違っている人物は結果が出ないですよ、という説教なのだ。

だが私は正直に言えば、今ひとつ腑に落ちていなかった。というより、曖昧すぎて評価には使えない。そこで「多くの人ができると考える人物は、本当にできる人 物である可能性が高い」という考え方を採用し、多くの会社での人事コンサルティングの経験を元に、共通して見られるパターンを洗い出してみた。

多くの評価制度を観察すると、「仕事ができる人物」は、下の3つを全て、ある程度のレベルで保有している人という定義が多い。

  1. 知的能力
  2. 行動力
  3. 人から好かれる能力
3については「人間力」という言葉を使う組織もあるが、曖昧な言い方なのでより直接的な「好かれる能力」とした。
そしてさらに、上の3つは以下のように分解できる。

1.知的能力

ピーター・ドラッカーによると、知的能力は成果の上限を規定する。
・知的な態度をとれる(勉強できる。参考:知的であるかどうかは、五つの態度でわかる。)
・知識がある(業務遂行のみならず、広範な知識を有する。資格なども含まれる)
・知識を使いこなす能力がある(発想ができる。参考:「アイデアは、既存の要素の新しい組み合わせ」)

2.行動力

知的に優れていても、行動しなければ何も始まらない。
・率先垂範(人より先にやる。参考:とにかく始めてしまう人、は何がちがうのか。)
・勇気(初めてのことも、恐れずやる 参考:「仕事ができるやつ」への最短の道)
・体力(行動量が多い 参考:「頭の良いリーダー」と、「行動力のあるリーダー」どちらに人はついていくか。)

3.人から好かれる能力

現代の仕事はすでに、個人の能力を大きく超えた水準の質を要求されている。チームでなければ、大きな成果は上がらない。
・共感力(人の気持ちがわかる。論理では人を説得はできない上、共感抜きに行動をさせるのは更に困難である。)
・リーダーシップ(人を纏める力。心の余裕。参考:新米リーダーが必ずやらなければいけないこと。)
・倫理観がある(まっとうな人であること。性根が卑しい人物は人から好かれない。 参考:ヒポクラテスの誓い)



言ってしまえば、これらの基準がどこの会社の人事評価基準にも形を変え、含まれている。
「組織でどうしたら評価されるか?」を気にする方はチェックしてみると良いだろう。

 

知的であるかどうかは、5つの態度でわかる

知的であるかどうかは、5つの態度でわかる。

少し前に訪れた大学の先生から、面白い話を伺った。それは「知的な人物かどうか」という判断の基準に関するものである。

私達は「頭が悪い」と言われることを極端に嫌う。知性が人間そのものの優劣を決めるかどうかは私が判断するところではないが、実際知的であることは現在の世の中においては有利であるし、組織は知的な人物を必要としている。
だが、「どのような人物が知的なのか」ということについては多くの人々の判断が別れるところではないだろうか。
世の中を見渡すと、あらゆる属性、例えば学歴、職業、資格、言動、経済的状況などが「知的であるかどうか」のモノサシとして使われており、根拠があるものないもの含め、混沌としている。

だが、私がこの先生からお聞きした話はそういった話とは少し異なる。
彼は「人間の属性と、知的であるかどうかの関係はよくわかりませんが、少なくとも私が判断をするときは、5つの態度を見ています」
という。
エピソードを交え、様々な話をしていいただいたのだが、その5つをまとめると、次のようなものになった。

1, 異なる意見に対する態度
知的な人は異なる意見を尊重するが、そうでない人は異なる意見を「自分への攻撃」とみなす

2, 自分の知らないことに対する態度
知的な人は、わからないことがあることを喜び、怖れない。また、それについて学ぼうする。そうでない人はわからないことがあることを恥だと思う。その結果、それを隠し学ばない

3, 人に物を教えるときの態度
知的な人は、教えるためには自分に「教える力」がなくてはいけない、と思っている。そうでない人は、教えるためには相手に「理解する力」がなくてはいけない、と思っている

4, 知識に関する態度
知的な人は、損得抜きに知識を尊重する。そうでない人は、「何のために知識を得るのか」がはっきりしなければ知識を得ようとしない上、役に立たない知識を蔑視する

5, 人を批判するときの態度
知的な人は、「相手の持っている知恵を高めるための批判」をする。そうでない人は、「相手の持っている知恵を貶めるための批判」をする。


知的である、というのは頭脳が明晰であるかどうか、という話ではなく、自分自身の弱さとどれだけ向き合えるか、という話であり、大変な忍耐と冷静さを必要とするものなのだ、と思う。