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金曜日, 4月 14, 2017

人間関係が仕事の質を左右する

 

 

炎上案件を見て「金銭や方法論よりも、人間関係が仕事の質を左右する」と知った話。

 


時々仕事をもらっている会社で、あるキャンペーンサイトの構築案件が炎上したという出来事があった。
私はその案件に直接には無関係だったのだが、その関係者と飲む機会があったので、野次馬根性からその案件について聞いてみた。

システムの人間は
「そもそも最初のスケジュールに無理があった」と呆れたように言い、
デザイナーは
「クライアントの修正要求が多すぎた」と恨みがましく言った。
ディレクターは
「現場から情報が上がってこないから対応が遅れてしまった」と憤懣やるかたない様子であり、別々に聞く上では皆が皆、それぞれに不満を持っているようであった。


まるで芥川龍之介の「藪の中」である。


藪の中 (講談社文庫)

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ただ、小説と異なるのは、皆がある程度、正直に語っている、ということだ。

話を聞いていて、私はある印象を持った。

これはビジネスと人間関係の軋轢(あつれき)ではないか、ということだ。

ビジネスというものの定義はひとそれぞれであろうが、話を単純にするために
「金銭をともなった労務のやりとり」としておこう。

どこかで読んだ例をあげるが、叔父の家に招待され、素晴らしいホームパーティに参加した。美味しい手作り料理に舌鼓を打ちながら、ホストである叔父に「この料理は素晴らしいですね。お代として5万円出しましょう」と言ったならば、おそらく叔父は表情を一変させて怒り出すであろうし、

逆にプロのカメラマンをしている友人を1日付き合わせて、さんざん撮り直しを要求したあげく、気持ちばかりの御礼もなしに「ありがとう。助かったよ」の一言ですませてしまえば、その友人は二度とあなたの写真を撮ろうとはしなくなるだろう。


前者は人間関係にビジネスを持ち込んだ結果であり、後者の結果は本来ビジネスであったものに人間関係を持ち込んだことによるものだ。


このようにビジネス、または単純に「金銭のやり取り」というのはある種、人間をひどく冷淡にする面がある。

社会の中で本来誰もやりたがらない仕事を誰かがやっているのは、そこに報酬が発生するからだし、報酬を払う側も自分たちが出来ないこと、ひいては、やりたくないことを他人に押し付けるために金銭を払っている。


このような、「人を金銭で動かす」というビジネスの論法は様々に実践されていて、いかにクオリティの高い成果物を最小のコストで得ることができるか、というのがビジネスの中で生きる人間の基礎教養となっている。


それで言うと、会社とは間違いなくビジネスの場である。


仮に、皆が会社で行う「ビジネス」の利潤や自身の生産性というもの「だけ」に目を向けているのであれば、(言い換えれば、皆が充分に冷淡であれば)

案件が炎上しようが、採算が割れようが、純粋に案件の経緯と結果を反省するだけで、「誰が悪かった」というような不満は出てこないだろう。


しかしながら、同僚やチームといった会社内の関係性の中には、貸し借りや、好意、苦手という人間らしい側面もある。


おそらく今回の炎上案件がそれぞれに怨嗟の情を残した訳は、ビジネスがもたらした苦難に

「長年の付き合いなのだから、こちらの事情ぐらいそれなりに察してくれよ」

という対応を求めたことであり、突き詰めれば、それぞれのコミュニケーションが上手くとれなかったという所に行き着くように思う。



さて、この平凡な結論を「それぞれのプロ意識が足りない」と断じることもできるだろう。

または、このようなケースに適用できるような様々なビジネス・メソッドが思いついた方もいるかもしれない。

しかし、私がそう言ったものにあまり興味がない、というのもあるのだが、私はむしろ人間関係というものが仕事の質を左右することを経験的に知っている。

例えば、あるクオリティの仕事ができる人間に、10倍の報酬を出せば、10倍のクオリティのものが上がってくるということが基本的に有り得ないことがわかるように、「金銭」だけでは労務の結果である成果物の質はあまり変化しない。

それよりも、長年の付き合いでお互いの好みや長所を知っているとか、気軽に円滑なコミュニケーションが保てるということのほうが、成果物の質やその後の結果にとって重要なことも多い。

もちろん、それらもビジネスの文脈で、何らかの堅苦しい専門用語で説明できることはわかっている。



ただ、私が思うのは、人間が生来持っている「社会性」

――自分の為にすることよりも他人の為にすることに、より価値を見出すという性分――

は、主に人間関係によって惹起されるものではないか、ということだ。



ここに、ビジネスの文脈で「PDCAサイクル」がどうとか、「プロジェクト管理の妥当性」がどうとか、という話を持ち出しても、おそらく当人たちにはそれほど伝わらないようにも思うのである。

もちろん、皆が仲良く、気分良く、仕事できるようにしよう。という漠然とした希望だけでこの種の軋轢が解決できるほど甘いものではない、ということも事実だ。


ビジネスの文脈で語られる様々な合理的なメソッドは、

人間関係、ひいては社会性というものを「補完」する目的で用いられることが望ましいのではないか。

漠然としていて申し訳ないのだが、この話の結びとしては、これが現場にいる人間の「感想」である。






人生に捧げるコント 3 20130827 投稿者 PModel






http://blog.tinect.jp/?p=38788

木曜日, 10月 08, 2015

叱られたい人々

叱られたい人々





地震・雷・火事・おやじ…
昔から「怖いもの」の代表として、語り継がれてきた言葉です。天災や火事とおやじが同列に並ぶなんて、と思いますが、たしかにかつては、怒ると「雷が落ちた」と形容されるほど怖いおやじをあちこちで見かけたものでした。いまではそんな人には滅多にお目にかかれませんが、そのせいかどうか、最近「叱られたい」願望を持つ若い人が増えているといいます。

叱られたがる若者たち

親や家族、近所のおじさんやおばさん、学校の先生、部活のコーチ、会社の上司や先輩…かつて、人は一人前になるまでの過程で、多くの人に叱られて育ったものでした。叱り・叱られる関係は、ごく日常的な風景。それだけに、わざわざ好き好んで「叱られたい」と思う人は、あまりいなかったと言ってよいでしょう。ところがここに来て、これまでの常識をひっくり返すように、「叱られたい」願望を持つ若い人が増えているというのです。

ネット上のブックストアで「叱る」「叱られる」をキーワードに検索すれば、関連本に続々とヒット。テレビ番組でも、しばしばそのテーマが取り上げられます。アイドルに怒られ続ける動画の再生回数は120万回を突破し、夜の街ではママが客を叱りつける店が大繁盛し、企業では上手な叱られ方を学ぶ研修もあるとか。中には、1時間千円を支払って"おっさんレンタル"を利用し、人生経験豊富な中年男性に叱ってもらうことで安心する人もいるようです。

不安の裏返し?


NHK が「叱られる」ことについて尋ねたアンケート(10代から30代の200人以上が回答)では、「周囲に叱ってくれる人はいますか」という質問に対して、半数を超える人が「いない」と答え、さらに、およそ4割の人が「叱られたい、叱ってくれる人がほしい」と考えていることがわかりました。

なぜ、そんなに「叱られたい」のでしょう? 同番組の街頭インタビューでは、「叱られないと成長できないと思う」「叱ってくれないと、自分のことを本当に考えてくれているのか不安になる」といった声が聞かれました。

「叱られたい」という人の多くはソーシャルネットワークでたくさんの人とつながっていて、友人にも恵まれているように見えます。でも、自分が弱気になった時や友人に叱ってほしいような時、「いいね!」という共感ばかりが返ってきて、リアルな感覚がないままに応援されても逆に不安になるのだとか。会社でもプライベートでも、自分を叱ってくれる人がいないという中で、叱ってもらうことが、自己確認のひとつの手段になっているのかもしれません。

「叱る」と「怒る」

 
とはいえ、ただ叱ればよいというものでもなさそうです。若者たちが求めているのは「怒り」ではなく「叱り」。では、「叱る」と「怒る」はどう違うのでしょう?

コミュニケーションや育児の世界では、「怒る」と「叱る」は使い分けられているようです。それによると、自分が腹を立てたことを相手にぶつける動作は「怒る」であり、相手に成長・改善の気づきや機会を与えるのが「叱る」。

叱り方にもコツがあるといいます。叱る関連本の中のベストセラー、『叱られる力』(阿川佐和子著/文春新書)によれば、その極意は「借りてきた猫」で、


か ・・・感情的にならない


り ・・・理由を話す


て ・・・手短に



き ・・・キャラクター(人格や性格)に触れない



た ・・・他人と比べない



ね ・・・根に持たない



こ・・・個別に叱る


というもの。人を「叱る」には叱る側の覚悟も必要で、そのあたりが、ただ感情をぶつけて「怒る」との違いなのでしょう。
同書には、「社会のルールを教えようと見知らぬ若者を叱ると、"それがきっかけで事件につながるケースもあるから、どうぞやめてください"とやんわり警察に諭された」という笑い話のような実話も載っています。多少の不都合があっても、見て見ぬふりをしてやり過ごす方が生きやすいとされる現代社会。「叱られたい」若者たちは、こうした社会の空気を感じ取り、何かを訴えているのかもしれません。

「ほめる」と「叱る」

先日の新聞には、大人を対象に行った「こんな言葉でほめられたい」というアンケート調査の結果が掲載されていました。

子どもに対して「ほめて伸ばす」のは、いまや子育ての常識とされていますが、ほめられれば嬉しいのは大人も同じ。「1位:頭がいい、2位:思いやりがある、3位:笑顔がいい…」と続き、ほめることによって社会に好循環が生まれると書かれています。そして、「ほめる技術の8割は観察力、2割が表現力」といった解説も。「肝心なのは、相手に関心を持ち注目していると伝えること」なのだそうです。(朝日新聞be、RANKING/2015年9月12日)

そう考えていくと、「ほめられたい」も、「叱られたい」も、おそらく、その根っこは同じなのではないでしょうか。「愛の反対は憎しみではなく、無関心」という言葉もありますが、人間関係の希薄になったこの社会で、深く人と関わり合い実感のある人間関係を持ちたいという気持ちが、「ほめられたい」「叱られたい」願望となっているような気もします。

つながっている人の数は多くなったのに、逆に個々の関係性は希薄になっているネットワーク社会。そんな現代社会の中で、私たちは実感のもてる人間関係をどう築いていけばよいのでしょう?

「叱る」ことが目的ではなく、叱ってあげられるほど相手を注視し、相手のことを思った上で叱ることができるか━━大人に問われているのは、そんな覚悟なのかもしれません。





月曜日, 10月 05, 2015

嘘をつくと、脳が活性化する

嘘をつくと、脳が活性化する

人生において嘘をつかない人はいないだろう。会社の幹部が嘘をつけば、結果として会社に大きなダメージを与えることにもなる。会社のため、保身のためといろいろ理由はあるのかもしれないが、どうして人は嘘をついてしまうのか、興味深い問題だ。
嘘をつくことによって、脳にはどんな影響があるのだろうか。あるいは、嘘をつく脳と、つかない脳に違いはあるのだろうか。

嘘つきの脳には特性がある

京都大学の阿部修士特定准教授らの研究グループは、fMRI(機能的磁気共鳴画像法)で嘘をついたときの脳を調べた。その結果、快感や満足感、意欲などに関係する脳の報酬系に重要な役割を果たすと考えられる「側坐核(そくざかく)」の活動が高い人ほど、嘘をつく割合が高いことが分かった。このことは、欲望が強いために嘘をつくということの証明になる。金銭的な欲求などが強ければ強いほど、嘘をついてしまうということだ。
また、側坐核の活動が高い人ほど、嘘をつかずに正直な反応をする時、「背外側前頭前野」の活動が高くなった。つまりこれは、大脳皮質の働きである理性で、嘘を抑え込んでいる状態と言えるだろう。
実はこういったことは脳の中で常に起きている。自分の本能的な欲求を、前頭葉が理性として働き抑制することで、社会的な脳を作り出しているわけだ。 嘘つきは欲望が強いか、あるいは理性的な抑制が弱いかだろう。無論、実際にはもっと複雑なことが脳で起きているので、それだけで嘘のメカニズムが説明できるわけではないが。

男の嘘は、なぜばれる

女性は男性より、会話をしている時でも広く脳を使っていることが分かっている。つまり、同時処理は女性のほうが得意なのだ。嘘をついているとき、脳はいつもより活動しなければ平静を保てない。事実を否定しながら別の話をするというのは、脳にとってかなりの負荷である。
だから男性脳にとって、嘘をつくのは非常に苦手な脳の使い方であり、それが男性のしぐさに現れてしまうので、すぐ女性に嘘を見破られることになる。事実、心理的な研究によれば、女性の嘘のほうがばれにくいという研究もある。
嘘がいかに脳へと負荷をかけるかということだが、逆に考えれば、嘘をつくことによって脳を活性化していることにもなる。

脳は自分に嘘をつく

私たちが何か判断を下していくとき、必ずしもすべての情報を得て判断しているわけではない。例えば、文章の中に「アリメカ」と書かれていても、「アメリカ」と読んでしまう。これは見慣れている文字を、すべて一文字ずつ読んで判断しているわけではないからだ。
少ない情報から脳が理解しやすいように勝手に判断してしまうために起こるミスである。見方によっては、脳内で嘘をつくことによって情報処理を速くしていることになる。つまり、脳では嘘をつくことが当たり前の機能になっているとも言える。
だから、だまされやすいということにもなる。見た目が紳士であればいい人だと判断したり、身につけているものが高級であればお金持ちと判断するのも、脳の中で勝手に情報処理をして速く判断することが影響している。
嘘をつくことは、脳科学的にはメリットもあるし重要な働きでもある。しかし、社会的な影響が出る嘘を理性的に抑制できなければ、嘘をつくことが自分にとって大きなマイナスになってしまうことは、もちろん覚悟しなければならない。





関連記事

人は午後になると嘘をつく
ハーバード大学のマリアム・クーシャキらの研究によれば、人が不誠実(嘘をつく)になるのは、午前中より午後だという。会議や重要な決断が必要なときは、午前中にやってしまったほうが良いようだ。

 

金曜日, 8月 08, 2014

考えすぎてコミュニケーション能力が低い人へ


考えすぎてコミュニケーション能力が低い人へ




コミュニケーション能力の鍛え方を教えて欲しい
http://anond.hatelabo.jp/20140807005003

でも、少し話をしてる中で、少なくとも「嫌なやつ」ではないことがわかった。
真面目だし、素直だし、やる気はある。
でも、会話が成立しない、ただただ成立しない。


「AとBのどっちが好き?」と聞くと
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜という理由で、Cのこと嫌いじゃないです」
と返してくる。
辛抱強く最後まで聞いてから、
「で、AとBのどっちが好きなの?」と聞くと
「あ!Aです、すいません」と答える。


ずっとこの調子。本人に悪意はない、
単純にコミュニケーション能力が低いだけ、異様に、低いだけ。
(犬の糞は増田の訳だと思われるので引用しない)


もし、会話の本質を探るために
質問の前提をさかのぼり、抽象化して
会話するまでもない常識には触れず、
いかに例外の共通点を貫く仮定を出していこうか、、
という人は、、、まあ自分のことだが、めんどくさいw


まず通常の会話ができない
Aを言われてるのにずっと先のGを返し、
その背景を簡潔に説明できないうえ、
長々と説明しても納得してもらえそうもないので、
返答にフリーズしてしまうことがよくある。

相手がAやBを返してほしいことは分かってる。



が、それはワイドショーで
視聴者が見たい物を見せるかのごとく提供することであって
僕は本心を隠したまま、ウソを付いて相手に合わせることになる。
本心ではAやBが問題ではなく、
Gの方が核心に近いと考えたからだ。

相手に対して
テクニックで嘘をつきながら接していいのか?

NOだ。

だがそれで会話の返事に詰まったり、
論理をすっ飛ばした返答をすれば、
仕事どころか友達とのやりとりも難しくなる。
はじめは人の話を真面目に聞かない糞なやつだと思ってた。
何度注意しても言うこと聞かないし、質問してもずれた答えで誤魔化すし。


まさにそんな感じ、真面目さや素直さが認められるまで、
上司と連携がとれなくて仕事が辛い。



もしそんな昔の自分に
アドバイスするとしたらどうするだろうか?
というのをレベル別に考えてみた。

LEVEL1-1.会話は反射神経で反応する!




君の中でたくさんの事を考え抜いて
2段も3段もすっ飛ばした結論を返さない。

相手はそこまで考えちゃいない。
サクラ大戦の選択肢のように、
相手が想定してる選択肢のみから選んで返す。

LEVEL1-2.会話でスマッシュを打つな! これはラリーだ。打ちやすい球を返せ!




会話は相手の隙や事の本質を貫くゲームではない。
会話はラリー記録を伸ばすゲームだ。

力を溜めてスマッシュなんか打たれてはたまったものではない。
打ちやすい球を返す方がプレイしてて良いゲームになる。

LEVEL1-3.君の思ってる「会話」を放棄しよう!




君の抽象化能力を、わざわざ日常会話や、
仕事の伝達程度でフルに発揮する必要はない。
コンビニの買い物に全力でF1カーを用意しない。
原チャリで充分。

会話に本質を求めるな。
君は考えないまま反応するぐらいの方がちょうどいい。

LEVEL2.ギリギリ信じてもらえないぐらいの冗談で乗り切る!




「(男だけど)昔魔法少女に憧れてまして。ええ、月にお仕置きされたくて。」
「(クラブも行ったことないが)DJとか得意だったんですよ。
へいよーチェケラッチョ。へいよーチョッチョッ!!」

、、、まずコミュニケーションなんて
その程度の意味なんだと思え。

ギャップがある方向で、ギリギリ信じてもらえない事でいいんだ。


真面目に答えることに頭を使うのではなく、
一生懸命冗談を考える方に頭を使うほうが、
無駄に本質や意味の迷路にはまりこまずに済む。

LEVEL3.大事な話は文章化しよう!




メールでも、筆でも、パワポスライドでも構わない。
本当に伝えたいことは、文章化する。
それは得意なはずだし、いずれ得意になれる分野だ。
反射神経で無駄な勝負する必要はない。
文章領域で本領発揮だ。

LEVEL4.自分以上の抽象化レベルの人を捕まえろ!




そうすれば会話で本領発揮しても楽しくなる。

そういう人は少ないし、そもそも通常の会話しないひとが
人の集まるところにいるのかどうか、
お互い通常の会話を苦手としたら
どうやって見つけるのかという問題はあるが、
類は友を呼ぶので、雰囲気でなんとなくわかる。

LEVEL5.会話の相手を信頼せよ!




会話の導入があまりにも常識的すぎて辟易してるだろ?
だからといって、本来やりたいレベルの抽象化まで
すっ飛ばす必要はない。

相手のレベルが低いのではなく、
相手が君のレベルを理解してないから、
一番簡単なスライムから話し始めてるだけだ。
相手によって、引き出しようによっては
何かの専門分野などで深い話に到達できる。

それが例え部下でも年下でも
信頼と尊敬というフィルターをもって、
相手の言いたいことを返してあげると
より早く相手の深いところと対話できるようになる。

LEVEL6.会話は自分で考えずに相手に考えてもらう!




会話を2段も3段もすっ飛ばした
なんとなく抽象化したものが見えてたとしても、
それを自分で抱え込まず、相手に考えてもらう。

「それだとこういう問題が起きますよね?」
「こうすると矛盾しないですか?」
「どっちも矛盾しないアイディアとかないでしょうか?」
「なにか、アレとか、○○のアレみたいな、、、」
と、会話の中で思考の筋道を埋めて、
そのなんとなくの抽象化へ、
自分の考えたいことへ誘導していくんだ。

それによって相手が思いついたりとか、
2人の会話から生まれた笑えるネタなり、アイディアなりがでたら
もうコミュニケーション能力が低いとは言われない。


これは信頼関係がないと、
「黙れ小僧!!きさまに仕事の何が分かる!!!」
となるんだけど、
きさくに会話が通じるようになったら、
「あいつはいちいちうるさいけど、仕事には熱心」とか、
「めんどくさいけど、見どころあるやつ」とかに変わるので、
10回に7回は相手をイラつかせても構わない。
それで評価は下がらないどころか、上がることもある。
そのしつこい思考のクセは捨てなくていい。

むしろ、仕事や生活などたくさん矛盾する戦略レベルでは
常識を超えた抽象化がとても役に立つ。

LEVEL7.そこにウソもホントも、誠実も不誠実もない。相手がわかる言語で話すのが唯一の誠実さだ。



相手がAやBを返してほしいことは分かってる。

だからといって、
相手に対して相手が望むだけの答えを、
テクニックで嘘をつきながら接していいのか?

NOだ。



君はここを根本的に勘違いしている。
映画やマンガやゲームはフィクションで、嘘だ。
しかし、作者と視聴者の高度なコミュニケーションが成立している。

これが超難解な映画で、あまりヒットもせず、
それでもアカデミー賞取るような玄人向け映画があったとしよう。
それでは、一般人とコミュニケーションが取れない。

エンタメ作品の観客と、仕事仲間や、友人は違うだろうか?

違わない。
みんな気持よく、「いい意味」で騙されたいのだ。
そこにウソもホントもない。


だからといって、玄人向け映画が要らないというわけではない。
上映する観客を間違えてるのだ。
同じテーマを扱った映画でも、観客に合わせて上映映画は変えていい。
大衆向けの映画では表現できないことも、
そういう空気を匂わせるだけで充分だ。

使う言語も、相手に合わせて変えていい。
ファミコンにはアセンブラ。
プレイステーションにはC言語。
iPhoneには、Swiftで会話したらいい。
全部Javaで会話しようとするからおかしくなる。


ホントに抽象度が高いなら、
いろんな表現方法を学んで柔軟に対応すべきだ。
相手に伝える方法は言葉だけではない。
表情や姿勢や態度、声色すら会話に充分使えるのだ。

LEVEL8.コミュニケーションの一番の近道は、行動で示すこと



行動で結果を出し、相手を助け、フォローする。
言葉に出さずとも、信頼され、尊敬されるような人物になれば
口下手だろうが、無口な人だろうが、外国人だろうが、
問題なく溶け込める。

最初からそこを目指せば、言葉で相手を説得する必要はない。
コミュニケーション能力を解決するには、言葉よりも
笑顔と、行動が一番効果高くなる




、、というのが、
レベルごとの昔の僕へのアドバイスになる。



これを逆に、2つしかやり方がない仕事すら、
10も余計なことを考えて、優先順位がめちゃくちゃになる
ような奴を、普通の人はどうしたら扱えるだろうか?

指導1「やってみせて」あげる。



指導側としては、解釈は1つしかないはずなんだが
受ける側は10個も方法を考えるので1割しか当たらない。

つまりあれこれ可能性を考える論理バカには、
指導側の「常識」がまるで通用しない。
だから言うだけでわかるだろう、、ではなく、
目の前でやってみせる事が大事。

そして「させてみて」、
1回で覚えるわけないのだから
合格点がでるまで、毎日チェックする。

指導2 「論理バカ」の部下には「論理バカ」だった上司をあてる



これが一番手っ取り早い。
常識が通用しない相手には、常識のない上司が一番なじむ。
ルールブックに書いてないことは、
会社や顧客のためになることであれば
何やっても自由とか考えかねないので、
自由にやらせて責任取る上司に任せるのがよい。

真面目と素直さがあるなら、相談もせず
極端に馬鹿なことはしない。

気に食わない部下とか、理解できない部下なんて、
一緒にいてもアラしか目に入らなくなる。
土を掘っては叱り、埋めては叱り、
何もしなくても叱って、鬱まっしぐらなだけで、
そういうのは気が合う人に任せるのが一番。

指導3 「発明」「発見」「研究」「企画」の分野に置く



あれこれいろんな考えを思いついてやたら抽象化するのが好きならば、
そういうイノベーションが起こる役職につかせるのが一番。
決まりきった業界のフォーマットの中で
金を稼げる兵隊として扱うには、
常識的な思考を離れすぎてるので扱いにくい。

でもそういう場所で、
これまでとは違う発想やアイディアを出すには
うってつけの人材になれる可能性がある。

そういう人はどれだけいるのだろうか?



そういう人は少数派と書いたけど、、
意外と多いのではないだろうか?

世の中の仕事では体育会系や、ヤンキー系の方が
行動してから考えたりするので、
仕事の成果が出やすいとも言われる。

そうすると論理バカのコミュ障オタクは、
成果を出して出世した反射神経に優れた上司たちとは
特に若く焦ってる人達とは相性が悪い。

たんに採用されないとか、うまく世渡り出来ないとか、
周りからのバッシングに弱いとか、
それこそ他人とあまりとミュニケーションとれないばかりに
世間の日陰者として能力が発揮できないとしたら、
組織でその常識からはずれた視点は活用されず、
みんな汗と努力で頑張らなければいけないとしたら
ちょっともったいない話とも思う。


体育会系や、ヤンキー系に使われるのが相性悪いだけなので
組織の中で、「ロジックレイヤー部門」とか、
他部署では扱いづらい論理系の新人をまとめて扱う部署、
扱える部長を設けて、そこから頭角を現した人らを、
権限移譲込みで分散させるのも悪くないかもしれません。

単純に、その人が成果を出して周りから評価されたら、
その人のディスコミュニケーションは、
周りが理解できてなくても
「まあ、あの人はああいう感じの人だからw」と、
いい感じに吸収補佐してくれるので、
通訳や文章化も必要無くなるからです。