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水曜日, 4月 20, 2016

INTERVIEW: 糸井重里  第4回 デザインは「生きる舞台」づくり。行き着く先は「都市計画」

 

ブランドは「ライフの集合体」:糸井重里さん

第4回 デザインは「生きる舞台」づくり。行き着く先は「都市計画」



川島:この質問、連載で必ず聞いていることなんですが、糸井さんにとって「ブランド」とは何ですか?




糸井:よく分からないんですけど、まあ一言で言えば、経営してきた人のヒストリーですよね。きちんとしたヒストリーさえあれば、「5年しか経っていないけれどブランド」っていうのもあると思うんです。

「iPhone」だって、アップルというブランドに乗っかっているとはいえ、ブランドとして一本立ちできる存在になっている。それはやっぱり、「iPhone」の持っているヒストリーだと思うんです。そして、ヒストリーというのは「ライフの集合体」でもある。

川島:「ライフの集合体」ですか?

糸井:「ほぼ日手帳」について言えば、もう10年以上にわたって「手帳って何か」ということを、僕らは考えているわけです。東日本大震災があった時、手帳が流れてしまった人に、新しい手帳を差し上げますということをしてみたら、ものすごく喜ばれたんです。

アルバムを失くしちゃったということと、手帳を失くしちゃったということを、同じように大事にとらえている人たちが、実はいっぱいいたわけです。それで「これは何だろう」って考えた時に、その人たちにとっての手帳って、生命=ライフの一部みたいになっているのかもしれないと思ったんです。

川島:そう言われてみると、使い終わった手帳って、何に使うわけでもないのに捨てられなくて。20年間分くらい手元にあります。

糸井:そうでしょう。それで一昨年、「ほぼ日手帳」に「LIFEのBOOK」というキャッチフレーズを付けてみたんです。そうしたら、いろいろなものが見えてきて、昨年(2015年)は「This is my life.」 というキャッチフレーズにしたんです。

「手帳ってライフだよ」って言うと、すごく収まるわけです。川島さんのように、何年もとっておいて後で見るのもライフだし、もう終わったことと捨ててしまうのもライフ。そういった無数のライフの積み重ねって、ブランドとそっくりだと思うんです。

川島:なるほど。使ってきた人のストーリーも含めて「ライフの集合体」となったもの、それがブランドということですね。じゃあ、そんな「ライフの集合体」、つまりブランドは意図的に作れるのでしょうか。

 

 

老舗にとって、新しい挑戦とは新しくなることじゃない

 

糸井:あるブランドについて「大好き」という人がいてもいいし、「認めません」という人がいてもいい。それから、「うちは、なかなか手が出せない存在」というヒストリーをキープしようとしているブランドに対して、「いつかは憧れ」という人がいるのもありです。

川島:いわゆるラグジュアリーブランドって、そういう「ライフの集合体」と言えますね。

糸井:一方で「絶対そんなもの身に着けない」というひとがいるのも、それはそれで当たり前のことです。

川島:「ライフの集合体」だから、いろいろなありようがあるわけですね。

糸井:たとえば「金儲けだ、金儲けだ」と言っている人が集まって、ものすごく一所懸命やりましたっていう「ライフの集合体=ブランド」もある。それは、「金儲けだ!という人が作った」というヒストリーで、ある層の人を惹きつける。ファンを作れますよね。

川島 だから人は、ブランドのものを手に入れて、使うわけですね。

糸井:そうやって、あるブランドを認めるというのは、自分の人生にブランドのヒストリーを流し込んじゃうことを意味するんですよ。

川島:そうすると、ヒストリーは、ブランドにとってすごく大事ですよね。先ほど糸井さんは、「5年しか経っていないけれどブランド」という話をされていましたが、老舗が持っているヒストリーの価値って、とても大きいと思うんです。でも、元気のいい老舗は、そのヒストリーに甘んじることなく、新しいことに挑戦している。

糸井:その場合、新しい挑戦や、新しい製品をどんどん出すこともまた、ブランドのヒストリーに組み込まれていて、その部分も素敵だなと思ってくれるお客さんが、また次の時代にブランドを支えていくのでしょうね。

川島:その連続が老舗の歴史を作ってきたようにも思うのです。新しいことへの挑戦を続けていくことって大事だなあと。

糸井:そこでですね、「新しいことへの挑戦を続ける」目的が、「新しくなる」ことじゃないっていうところが、僕は面白いと思います。言い換えれば、「新しくなる」ことは、「生きていく」ための手段なんですね。「ライフ=生命の集合体」としてのブランドにとって、大切なのは、「新しくなる」ことではない。「生き続ける」ことです。「生き続ける」にはどうしたらいいか。それが「新しくあれ」なんです。




川島:「生き続けよう」とすると、結果的に「新しくあれ」に向かうと?

糸井:「新しくあれ」がないと、安定して落ち着いて、止まってしまう。安定は必要なんだけれど、究極の安定は「死」です。絶対そこに行ってはいけない。だから、「新しくあれ」に向かうしかない。この対談で、「偶然がクリエイティブには大切」っていうお話をしたと思いますが、「偶然は神様です」っていう発想が、老舗の人たちにはあると思っています。

川島:「偶然」とは、ルーティンを変えてくれるものとおっしゃっていましたよね。そしてそれは、同じ状態で止まっているのではなく、変わっていくことでもある。

糸井:ルーティンで枠の中の仕事を繰り返していると、考えてもしょうがないことを、ずるずるやっていたりするんですよ。そこには、考え足りないことがたっぷりあるはずなんです。そのあたりを、やわらかく組み立て直すための「偶然」って大事です。

川島:それ、さまざまな経営トップの話を聞いていると痛感します。戦略的に新しいことに挑戦してきたというより、「今、これをやらねば」という必然で判断したら、結果的に成功につながった。そんなケースがとっても多い。

糸井:やっぱり「偶然は神様」なんだなぁ。

 

 

オフェンスがなかったら会社は続かない

 

川島:糸井重里事務所では、さまざまなプロダクトを作り、「ほぼ日」を通して売っている。そこには、凄くたくさん売れるものと、少しだけ売れるものとがあるけれど、それらが共存していける。そんなビジネスをやっていきたいと糸井さんはおっしゃっていて。

本当にそんなことができるかなぁって思ったんです。だって大半の企業は、どの商品も同じようにたくさん売れること、効率を上げて売上を伸ばすことばかりを目指すじゃないですか。

糸井:工業社会の時代のやり方は、それで良かったので、そのやり方は否定できないんです。ただ、そういう風にきちんと計画通りにやっていくのが、会社にとってのディフェンスだとしますよね。でも次の時代に向けたオフェンスの仕事、トライをする仕事がなかったら、その会社は続かないはずで。

ちなみに「売れる」ってどういうことだろうと考えてみます。どの商品も百万個売ろうと考えたら大変です。でも、たとえばオリコンのランキングで1位じゃなくって80位だっていい。それで食える商品にすればいいわけです。そうすると、けっこういろんな市場があることに気がつく。

川島:トップテンに入るものもあっていいし、そうでないものもあっていいけれど、「市場」をきちんと見極めて「仕入れ」ていくということですね。

糸井:やっぱりモノそのものの価値だけでなく、込められた思い、醸し出す物語といった「心」の背景も大事ですね。物語がなければ、「何かいいらしいけど何が?」ということで終わってしまいかねない。製品ができてからお客さんの手に渡るまでには、長いドラマがある。大切だと思う物語を、きちんと伝えることって大事だと思うんです。

 

 

自分のリーダーは自分です

 

川島:糸井さんが自信を持って、そう言われるのは、糸井重里事務所の仕事を通して、たくさんのオフェンスを重ねてきたからだと思います。だけど、企業に余裕がないから、新しい実験=オフェンスができないっていう話も聞きます。

糸井:ディフェンスがきっちりできているから、今までの商売が築いてこられたし、そこのところで原資を確保していることも分かっている。その財産を食いつぶしちゃう前に、次の何か、つまりオフェンスを考えておこうというのは当たり前のことです。でも、それがすべてだということでもなく、「重なっている」のが大事なわけで。

川島:「重なっている」とは、どういうことですか?

糸井:たとえばフローとストックといった言い方をよくしますが、フローでもストックでもない状態ってあるじゃないですか。宙に漂っているみたいな。そのあたりを勘定に入れておけばいいんじゃないかと思うわけです。フローとストックが対決しているわけじゃないし。そこは、だいぶ大人な気分で「重ねて」やっていかないと。

川島:そういったことを理解した上で、実行できる企業とできない企業、ますます差がついていきそうです。

糸井:誰のせいにするのでもなく、覚悟し、選択する。「自分のリーダーは自分です」って僕は思っています。自分のリーダーとして自分で判断するわけです。しかも、そう思うのは社長の僕だけじゃなくて、社員一人ひとりがそう思わなくっちゃ。「あんたらがいて、良かったわ」と言われるチームに、ますますなっていきたいと考えています。

 

 

デザインとは「生きる舞台を作ること」

 

川島:糸井さんにとって、デザインとは何でしょうか?

糸井:デザインの意味するエリアが物凄く広がっていると思います。昔は「プラン」と呼ばれていたこととか、「設計」と言われていたことまで、今はもう、デザインの中に組み込まれていますよね。

川島:「企画」もそうですね。

糸井:だから、そっちまで含めて、つい考えちゃうんですけれど。僕は、デザインとは究極的には「都市計画」だと思っているんです。人の住む街とか都市を「どういう都市がいいんだろうな」と考えることが、デザインの行き着く先だと思うんです。

川島:デザインの行き着く先は「都市計画」!

糸井:川島さんの質問から、デザインの行く先は「都市計画」になっちゃうんですね。でもそうだなぁ、デザインそのものっていうのは何だろうなぁ。……。うん、できた!「生きる舞台を作ること」です。こうやって苦し紛れに考えると、出てくるものだね(笑)。

川島:それも大きな定義ですが。舞台って何なんでしょうか?

糸井:舞台は舞台。人とかかわる場所だし。もちろん、舞台じゃない場所というのもあると思います。でも、現代社会の中で、舞台はどんどん増えていますよね。お店を開いている人は、もうそこにいる間は、全部舞台だしさ。

川島:人と人のかかわりがあって、いろんな会話があり営みが生まれている。

糸井:自宅も舞台ですよね。お父さんをやっている人は、子どもが「どこかに連れていって」という話をしている時、何と答えようかというセリフがあって、自由にしゃべっているわけじゃない。だから舞台とは基盤になるほどデカいもの。そう考えていくと、デザインは「ライフを乗っける器」かもしれない。

川島:「ライフを乗っける器」。




糸井:となると、「デザイン料というのは、生きる舞台を作ること料なのかよ」ってなる。だったら、デザインって仕事自体をもっと大きく考えてほしい。これ、僕がコピーライターという職業をしていた時に、コピーという仕事についても同じようなことを考えたことがあるんですよ。何というか「いいコピーを書きたいんですよね」という人のちっちゃさに腹が立っていた(笑)。

川島:「いいコピーを書きたい」コピーライターはちっちゃい!


糸井:そういう人には「君は何をしているんだ?」と聞きたい。コピーもデザインもそれ自体がうまくなりたい、というのは「剣の達人でありたいです」みたいな発想です。でもデザインを考える時に、いちばん最初に捨ててほしいですね、その考え方。

川島:本来のデザインって、深く広く、志は高く。とても難しいけれど、やりがいがある役割を担っている。でも、企業の中にいると、何かデザインの価値って軽視されていることが多いんです。色やかたちと表層的にとらえている人もいるし。そもそも、デザインってものが、物差しを当てたり、理屈をつけたりするのが難しい領域なんです。

糸井:そういう場合、「ライフを乗っけるものを失くしてでも、あなたは何かができると思っているんですか?」と逆説的に質問してみるのがいいんじゃないかなあ。

川島:そういう手があるわけですね。今度、使ってみます。

 

 

衣装を変えたら、なんでも売れるんじゃないかという幻想

 

糸井:それって「デザインとは、いわば衣装みたいに上から羽織るものだから」と思っている人にとっては、理解するのがむずかしいでしょうね。

川島:道は遠いなぁ。

糸井:「あの人がデザインしているんですよ」ということを、もうちょっと分からせる手もあるんじゃないでしょうか。つまり、仮にアフリカに鉄道を敷いた人が伊藤忠商事にいたとしたら、その仕事はデザインですよね。鉄道を敷いていくプロセスそのものの中にデザインが宿っているんです。

設計図の上では、ここからここまで鉄道を敷いたという線を引けばいいことだけれど、現実には「ここは部族が違うから、実際に鉄道を延ばしていくと、諍いがあるかもしれない」なんてことまで考えた上で、鉄道を敷いていく。そういう現場をやっている人がいれば、その仕事全体が、既に立派なデザインなんです。

川島:それくらい包括的な概念で、デザインをとらえられたらいいなと思います。ともするとデザインって、さっき糸井さんがおっしゃったみたいに「きれいな衣装を羽織ること」みたいなところで止まりがちだから。

糸井:確かに。衣装を変えたら、つまんないものでも売れるんじゃないかという幻想、どこかにあると思います。コピーにも同じところがある。コピーライター時代の僕も、「ここで一句」とか言われましたから。

地方に行った時に、地元の売れていないジャムとかに対して、「糸井さんがコピー書いてくれたらなぁ」とか言われるわけです。でも売れないですよ(笑)。っていうか、売れたら俺が困る。だから言うんです。「そうですねえ、魔法のように売れるんじゃないですかね?」って、それで、商品に問題があるのではってことを言外に漂わせてみたりしました。

川島:意地悪ですねえ。

糸井:(笑)。でも真面目な話、そういう幻想って、とても困るんです。だって製品ができてからお客さんの手に渡るまでに、長い長いドラマがあるわけで。コピーライターは、売るための助け舟を出す役割ですから、どこかで手伝うことはできますが、限界もある。

川島:衣装をとっかえるみたいに、表層的なデザインだけを変えても、根本的なことが変わるわけではないですから。

糸井:良いコピーを作ることと、売れる商品を作ることとは、別の文脈にあるんです。そして、デザインって実は土台になるものだから、そこが崩れちゃっているのに、良いものを着せたら売れるということはないと思いますね。

川島:デザインは、表層的な衣装じゃなくて、最も大事な土台。

糸井:デザイン=衣装という考え方についてだって、それは何かと言ったらもっとある。一見すると衣装に見えるものは、土台のところには、衣装によって表現されている「魂」があるわけで。だから、どう見せたいのかというところ、何を感じて欲しいのかというところ、社会から見てどういう反応があるのかというところ、そこを想定した上の衣装なんです。

つまり、その衣装を着た人が、踊る舞台を想像して作るべきものなんです。やっぱり、大元のところにあるのは、「生きる舞台」であり「心」ですよね。

川島:なるほど、そう考えると「衣装としてのデザイン」も大事なことですね。

糸井:衣装に見えるものが、街に与える影響っていうのもあって、それは「生きる舞台」が「都市計画」につながっていくこと。それはそれで素晴らしいゲームだと思うんです。

川島:考えてみたら、糸井さんのお仕事は全部、「生きる舞台」を作ることであり、「心」に触れるものと言えます。

 

 

クリエイティブの成果物はすべて「コンテンツ」です

 

糸井:「ほぼ日」では、クリエイ ティブの成果物としてできたものは、すべて「コンテンツ」と読んでいます。モノであっても、コトであっても、文章であっても、すべてにおいて、商品のコンテンツとか、対談のコンテンツとか、全部を「コンテンツ」という言葉を使っています。そして、そのコンテンツを作るにあたって、根っこにあるデザイン、つまり僕が言っている「魂」とか「心」とか、そういうものを目いっぱい込めているわけです。

川島 :企業としてやっているのだから、その「魂」や「心」は、どこか先のところでビジネスにつながっていくんですよね。

糸井:そうでなければいけないですよね。「コンテンツ」はそのために存在しているし、たくさんの価値を作っていかなければならない。そしてその中に、商売っ気たっぷりに生み出される「コンテンツ」もあると思います。

川島:たとえば、著名なブランド名が、ロゴとしてバーンと入っているコンテンツもありということですね。ヒストリーを背負っている衣装を、商売のネタとして上手く使う。そういうコンテンツもありなのでしょうか。

糸井:「ほぼ日」で扱うかどうかは別にしてですが、当然ありです。それと、服をたとえにしてもう少し言えば、すごく薄い布でできていて「透けて見えるんじゃない?」というコンテンツがあったとして、それを着ている人の「心」には、「セクシーに見せて異性の関心を惹きたい」というのもあるかもしれないけれど、「私というものの何か中身を見せたいから」というのもあるじゃないですか。

川島:着る人の意図が、ある部分においては、作った人の「魂」や「心」というコンテンツと一致していない場合もあると。

糸井:あります。でも、一致していないところの嘘も含めて、いい小説が書かれるように、その人によって語り継がれていくわけです。その場合、フィクションも立派な「コンテンツ」となって、「魂」や「心」になっていきます。物語を知ることっていうのは、何かを強めてくれたりもするけど、もっと大事なことは「魂」の部分なんです。

川島:作る人と使う人が、そうやってつながっていく。つなげるのは「魂」や「心」ということ、腑に落ちます。

糸井:ただ、本質的にピュアであり、混沌の中にあって、というやりとりだけで、デザインを語ってしまうのもどうかなと思っています。そこだけでは、ブランドやデザインというものを語りつくせないわけで、「流行において」とか「商売において」というところにあって、「いい分量でカモン?」というのも、言っていく必要があると思っています。

川島:なるほど。ブランド論って、歴史ある企業が堅持してきた聖域みたいな文脈がある一方で、熾烈な資本主義競争で勝ち残る最強のノウハウみたいな文脈もある。

糸井:だから、聖と俗は、あるいは生と死は、本当は一体みたいな、そういう大矛盾を孕んだところに、人間のやるせない表現があるんです。

川島:ブランドやデザインについて、深く語っていくと、結局、そういう話に行き着きますね。

糸井:人間観とか世界観が出てしまうことだと思うんです。川島さんだって、デザインということについて、ナメたことを言われたくないんですよね。

川島:そうなんです。とても大事なことだから、ナメた扱いをして欲しくない。でもしつこく言いますけど。企業の中で、ナメた扱いが多いんです。

糸井:ただ、負けるが勝ちっていうこともあるし、煙に巻いている状態がいいことだってあるんです。一発殴るもありだけど、抱きついちゃったら解決することだってある(笑)。だから川島さん、ラグビー見るといいですよ。

川島:またまたラグビーに行っちゃうんですか。私、実はラグビーがちょっと苦手で。あのムキムキした肉体がぶつかり合う姿がちょっと。

糸井:苦手だって思うところには、なぜ嫌いかという理由があるはずで、そこにきっと、糸口があるのだと思います。「なぜ?」って思いながら見に行くと、たいていのものを好きになれますよ。僕だって、そういう努力をしているんです。

川島:本当かなぁ。でも糸井さんにそう言われると、なぜか説得力があります。じゃあ、会社から競技場近いし、ラグビー、見てみますね。

糸井:何だったら、お連れしますよ(笑)。








INTERVIEW: 糸井重里  第3回 実はかっこよくてもダサくても、どっちでもいい

 

ダサい、野暮、下品と新市場:糸井重里さん

第3回 実はかっこよくてもダサくても、どっちでもいい

 




川島:創業社長って、ともするとワンマンになりがちだなぁって普段から思ってきたんです。「俺についてこい」みたいなマッチョな社長ってけっこう多いじゃないですか。社長としての糸井さんは、本当のところ、どうなんでしょうか?

糸井:マッチョな大将になると不自由になります。僕は、自分の自由を減らしてまで大将でありたいかと言ったら、そうはなりたくないですね。大将でいて何が面白いんだ、と思っちゃうので。

ただ、「マッチョぶると面白いことがあるんだろうな」とは考えます。たとえば、今が戦後の混乱期だったとするじゃないですか。それで、昔ちょっとだけ関係のあった女の人に、闇米とかをどんと運んであげちゃう。「どやっ!」てね。そういうのは憧れます(笑)。

川島:そういうマッチョな施しだったら、私もされてみたいと思います。

糸井:でしょう? それに、たくさんの人が働くことで成立しているような会社の場合は、社長がマッチョに振る舞うことって、時に大事だとも思うんです。

川島:なぜですか?

 

 

時にはマッチョのように

 

糸井:たくさんの社員にとって「何か頼りになる」ところがあった方がいいからです。でも、うちのような会社のサイズでは要らないことです。

川島:糸井さんはマッチョではないけれど、世の中的には知名度が高いし、憧れの存在でもあって、ある意味、会社の顔ですよね。

糸井:「俺が受けてる」って社長が言っても、誰も喜ばない。だから「俺が受けているんじゃねえ、おめえらが受けているんだ」と、社員たちに言いたい。僕が受ける必要なんて、どこにもないんだもの。僕はどうするかっていうと、町人として近所で人気のある人になりたいんです。

川島:町人としてですか?

糸井:みんなに人気がなくてもいいから、近所で人気がある人になりたいんです。「おはようございます」って、ニコニコ言い合えるような町内を持っているかどうかは大事ですから。

川島:世間じゃなくて近所って言うのは、世の中あまねくというよりは、社員の人や取引先、そしてお客さんに人気っていうことですね。こういう話、普段から社員に伝えているんですか?

糸井:そんなこと、僕が口に出さなくても、オートマチックにそうなっていくんですよ。自然にそう動いていくということです。うちは、チームで動いているから。チームっていうのは、勝てば嬉しいじゃないですか。それで「お前、よく打ったな、かっこいいな、明日はダメでもいいよ」みたいな。

川島:そうやって糸井さん、社員を褒めることもあるんですね。

糸井:いや、褒めてあげない。僕が褒めるのは、社員の美貌だけです(笑)。おつりみたいな仕事で「よくなったな」くらいは言いますが。

 

 

社員を増やして、株式上場も視野に入れています

 

川島:叱るのはどうですか?

糸井:チャンスが欲しくてうちに入ったのだとしたら、他にもチャンスが欲しい人はいっぱいいるわけだから、チャンスに向かう気持ちがなくなっている場合、「どうなっているんだよ」とは言います。

川島:それは愛情からくる苦言みたいなものなのかなぁ。社員に対して、愛情って感じていますか?

糸井:愛情は、あります。今や会社は自分の身体みたいなものだから。正確にいうと、愛というより一体感ですよね。私であるかあなたであるかということの境目があまりない時間と空間は、組織がうまく動いていると、どんどんできてくるんです。そうなってくると、会社って面白くなっていきます。

川島:オフィスにうかがって、「面白そう」っていう気配が漂っているって感じました。今年初めに引っ越されたのですが、空間の構成やデザインは変わっても、漂っている空気の密度が、前とまったく同じなんです。

糸井:わが社は何でできているかというと、酸素と窒素(笑)。そして伸びしろです。「俺はシロを作るんだ、伸びしろという」みたいな。

川島:ということは、これからどんどん会社を大きくしていこうと?

糸井:そうです。社員を増やして、株式上場も視野に入れています。

川島:えっ、そうなんですか。それはまたどうして?

糸井:企業としての足腰を鍛えることって大事かなと思って。それで、人を採ったりしようとがんばっているのだけど、なかなかいい人が来てくれない。だから、まだうちの会社の足腰は弱いのかなって。前に比べたら「そろそろ来始めたかな」っていう感じはあるんです。でも、技術職になるとまだまだですね。「どうやって人を採るのか」ってとても興味があることのひとつです。

 

 

「かっこいい」と「ダサい」の谷

 

川島:糸井さんは、どんな球を投げても、すごいところから打ち返してくる。実に「かっこいい」なあ、と思うんですけど、そもそも「かっこいい」と「ダサい」とは、何がどう違うんでしょうか?




糸井:実はかっこよくてもダサくても、どっちでもいいと思うんです。だって、ダサくても好きなものって山ほどあるじゃないですか。それは自分についても同じなわけで、「俺はここがダサい」と思うところ、あちこちにありますよね。そのダサさも含めて自分だし。

川島:そうですね。

糸井:一方で、さっき言われたように、「糸井さんのここがかっこいい」という他人の目線もありますよね。「かっこいい」というのは、ちょっと社会性があることなのかもしれません。

川島:「かっこいい」は他人の目線が決めている?

糸井:うん。キャッチボールでミットの音が鳴るみたいに。「かっこいい」は一人だけでは決められない。人から見てというところが、どこかあると思うんです。

川島:ああ、だから、自分で自分のことを「かっこいい」って思っている人は、「かっこよく」見えないんだ(笑)

糸井:逆に言うと、世間的に「とてもかっこよく見えている人」というのは、あんまり自由じゃない人です。

川島:「かっこいい」んだから、自由に生きられるような気がしちゃいますが。

糸井:他人から見て「とてもかっこよく見えている人」というのは、世間との関係で生きてきた時間や、その人の「かっこよさ」によってさまざまな影響を与えているわけです。となると、自由なんてほとんどないんです。

川島:たとえば?

 

 

「かっこいい」とは不自由なことさ

 

糸井:木村拓哉くんなんかそうですよね。彼は、人が見ていないところでガードレールをポンと跨ぐ時だって、かっこよくなきゃいけないわけです。それは、やっぱり自由ではないでしょう。だから、「かっこいい」というのは、社会の中の価値観の話になるんです。

川島:ああ、確かに木村拓哉さんのような「かっこよさ」は、不自由ですね。一方で、自分で「かっこいい」と思っている人って、世の中にけっこういますよね。

糸井:そういう人は、「人から見た=社会から見た価値」、つまり「かっこいい」を「私は持っています」という取引を、毎日自分の中でやって、社会に見せているわけでしょう? その取引の中にしか「かっこいい自分」がいないわけだから、ちょっと哀しい。

川島:そういうのって、けっこう誰からも見えて、わかっちゃうものなんですが。

糸井:そういう人からは、ひっきりなしに屈託が出ていますから。

川島:「かっこいい私」という屈託が見えちゃうっていうのが、ある意味「ダサい」につながります。

糸井:見え見えだとそうなっちゃいます。「したいこと」と「できること」の間のところに、「ダサい」が入ってくるわけで。人って「したいこと」はあるけれど「できないものはできない」。

川島:なるほど。「したいことができる人」は「かっこいい」けれど、「したいことができない人」がかっこつけると「ダサい」になっちゃいますね。

 

 

「よーし」だけも、「どこ行くのかなー」だけも良くない

 

糸井:「ダサい」って言葉で思い出したんだけど、「野暮」って言い回しがあるじゃないですか。「野暮」って言い回し、取り扱い注意だなって思ったんですよ。それで、ある時、「『野暮』って何だろうってことを誰かが調べてまとめたらいいのに」と言ったら、すぐに「糸井さん、『野暮』についての本が出てますよ」と教えてくれる人がいたわけです。でも、それこそが「野暮」というもので。

川島:あはは、本当だ。ほっといてくれ、ですね。

糸井:調べればわかることを、わざわざ「ほれほれ」って言い立てるのが、そもそも「野暮」というものでしょう。

川島:「したいこと」と「できること」の間のところに、「ダサい」が入っているから、「到達していない」のは「ダサい」ですよね。でも糸井さん、ご自身の到達点って、いつも見えているんですか?

糸井:どうかなあ。「裸になって浮かんじゃっても何とかなるよね」と言われた時の嬉しさってあるじゃないですか。漂流したとして、こうやって浮かんだわと。

川島:無理に到達点を作って目指すんじゃなくて、あるがままに流されてみるってことですか?

糸井:それができたら「野暮」じゃなくなります。今、力を抜いたらどこに行くんだろうという時に、そのまま行ったらどっちに行くかなというのを無意識で探している状態。あっちに流れると、ちょっと何か良さそうだなとか。本当の理想は、もう全部の力が抜けて、「ああ、いいところに浮かんでいる。これからどこ行くのかなー」みたいなところにあるんですよ。でも、まだまだちょっと「野暮」いから(笑)、そうなっていないですけど。

川島:心地よいゆるさ、たゆたっている感じがかっこいいっていうのが、糸井さんの中にあるんですね。

糸井:でも、「たゆとうている」というのは、物凄く疲れるんです。僕には、それをやれるだけの技量がない。

川島:糸井さんにとって、どういう状況がベストなんですか?

糸井:「これについて一所懸命やるか」とか、「これは頼まれたことだし、よーし」とかっていうのと、「どこ行くのかなー」っていうのと、しょっちゅう思い返しては繰り返しています。

川島:「よーし」だけも良くないし、「どこ行くのかなー」だけも良くないということですね。

糸井:良くないでしょう。筋肉がなまっちゃうしね(笑)。

 

 

ちょっと下品で羽振りがよくって肉好きな人が時代を作る

 

川島:糸井さんの中では、「よーし!」って思えるものとそうじゃないものってあるわけですよね。

糸井:ありますねえ。それで「良い」と思わなかった場合、なぜだろうとやっぱり自分で考えたい。「良くないけれど力がある」というものもありますから。だいたい世の中ががらっと変わる時というのは、「良くないけれど力がある」ものが出てくるんですよ。

川島:えっ、どういうことですか?

糸井:「食べ物」で言えば、古典的においしいものを出している料理屋さんは、今、淘汰されつつあるんです。「うまいもの」店ランキングを作っている世界で、「金はあるんだけれど、何食べればいいの?」という人たちの声が大きくなっているから。そういう羽振りの良い人たちが文明を変えちゃう。

川島:どんな風に変わっちゃうんですか?

糸井:「羽振りの良い人」たちは、ランキングの上位にあるという評判を耳にして、そのお店にやってきて、「うまいね、毎日来るから貸し切りにできないの」となる。貸し切りにした時に、上等な昆布でとったダシは通じないし、ご飯を食べ終わって「ごちそうさまでした」の後、「今日は肉がなかったんですね」と言っちゃう(笑)。肉にしても「但馬牛だよ」「A5」だよ、と言ったらそれだけで、点数が20点加算されちゃう(笑)。







川島:そして店の味は濃くなって、お店のメニューも変わっていっちゃう。

糸井:お店が「変わっていっちゃう」というより、お店を羽振りのいいひとたちが「変えちゃう」んです。

川島:そうやって、いいお店がダメになっていくんですね。

糸井:それが「ダメになる」ことかどうかはわかりません。が、「変わらない」お店は淘汰されてしまいます。それでも、「羽振りの良い人」たちは、ちっとも困らない。どうしてかといったら、自分の次の居場所を作っていけるからです。

川島:次なる名店ランキング1位に行けばいいわけです。

糸井:たとえば、昔から常連さんが大事にしているような料亭があって、でも時代が変わって「もうあそこはやっていけないんですよ」という時に、どうやって助けるかなんて考えるよりは、「あそこはもう古いね」と言って、カロリーたっぷりで「ま、そこそこ高いけれど、やっぱうまいよね」という新しい料理屋さんに移っていく。

川島:うーん、なんとなく顔が浮かぶけど、「羽振りの良い人」たち、ちょっと罪深いなあ。

糸井:そこはちょっと違うんです。いつだって、「ちょっと下品でお金を持っている」人が次の時代を作るんです。つまり「良くないけど力がある」。「ちょっと嫌だけれどパワーはある」。その力を否定しちゃダメなんです。

川島:そうですか……。

糸井:そういう「良くないけど力のある」というのを仕事の研究の対象にしなかったら、薄味の古典的な料理屋さんワールドに閉じこもったままになっちゃう。

川島:それは滅びの道ですね。じゃあ、糸井さん、ちょっと嫌だけれど研究対象の方たちとも付き合うんですね。

糸井:苦手なんだなぁ、これが(笑)。その場合、そういう「羽振りの良い人」が持っている価値観の源泉って何なんだろうなということを考えて、源泉の方を勉強することにしています。

川島:その源泉ってたとえば?

 

 

矢沢永吉が源泉だった

 

糸井:ざっくり言うと、永ちゃんなんです。かつて矢沢永吉は、デビューまもない頃に「近所にタバコを買いに行く時も、キャデラックに乗っていく」と言い放ちました。

川島:そして糸井さんと作った自伝のタイトルが『成りあがり』。一貫している! そうそう、矢沢さんは、まさに「羽振りの良さ」をどーんと見せるってところから出てきて、自ら「成りあがり」と言ってるけど、「かっこいい」「ダサい」でいうと、やっぱり「かっこいい」んですよね。

糸井:永ちゃんは、まさに「羽振りの良さってこういうことだぜ」というのを世間に見せつけてきました。それまで誰も見せてなかった価値感を提示した人なわけです。その後、成りあがって「羽振りの良い人」たちがやりたがることは、永ちゃんが、かつて示した道をたどっていると思うんです。

いい外車に乗って、隣には足の長い綺麗なお姉さんがいて、周りにほめられて、六本木を制する。とても簡単でわかりやすい要素です。そういう「羽振りの良さ」が古いものを淘汰し、新しいものを作っていく部分が確かにあるんですよね。

川島:「ちょっと下品でお金を持っている」という人たちが、歴史を作ってきた。どんな名家だって最初は「成りあがり」です。

糸井:いつでも次の時代の礎になったようなものって、前の時代の人からは、ちょっと下品に見えて、なおかつ金だけでやっているように見えたりもする。それを、はすに構えて軽蔑するというのは、単なるスノビズムで力がない。人はそういうものだ、歴史はそういうものだ、と受け止めなくてはいけませんよね。

川島:じゃあ、糸井さんも「羽振り良く」行くんですか?

糸井:それができないんだよなあ。そもそもそんなに「羽振り良く」ないですし(笑)










次回、「ブランドは『ライフの集合体』」に続く





INTERVIEW: 糸井重里  第2回 クリエイティブの供給源を「仕入れ」るのが仕事です

 

脳みそから血が出るほど考える:糸井重里

 

第2回 クリエイティブの供給源を「仕入れ」るのが仕事です

 



糸井:今、食わしてくれるビジネスがあったとしたら、それを「もっと良くしていくことはできないだろうか」と考える。そこに必ずクリエイティブの要素はある。

その時、自分の生命力みたいなものをふり絞って出てくるもの。それがクリエイティブだと思うんです。よく社員に言うんですが、「君は脳みそから血が出るくらい考えているか」って。僕は「何か始めたら脳みそから血が出るくらい考えるぞ」と。なぜかというと、「脳みそから血が出るくらい考える」方が面白いから。

川島:私、脳みそから血が出るほど考えられない(笑)。

糸井:失敗してもいいんですよ。クリエイティブであることが大事なわけで、思いっきり突っ込んでいったけれど一銭にもならないことっていっぱいあります。でも、誰か面白いって言ってくれたら「失敗したあ!」でもいいんです。「それがあったから次の何かがある」っていうことだから。




ゼロからできるクリエイティブなんて案外ない

 


川島:「つまんない成功」より「面白いゴミ」ですね。でも、社員がクリエイティブであり続けるためには、どうすればいいんでしょう? たぶん、いろいろな企業の社長が、一番悩んでいることだと思うんですけど。

糸井:クリエイティブには供給源が必要なんですね。クリエイティブな仕事はゼロから生まれるわけじゃない。流行について書くライターさんのような仕事だったら、自分一人で仕事は完結しない。必ず、取材対象やネタ元のような情報、つまり供給源が必要になります。

一方、コピーライター時代のかつての僕は、供給源を頼りにする仕事なんて、現象に踊らされているだけでいらないって思っていたんです。「そんな仕事、クリエイティブじゃないぜ」って。自分のクリエイティブについて、供給源の必然性を感じなかったからです。

それが「ほぼ日」を立ち上げてから、がらりと変わりました。クリエイティブの供給源について、すごく考えるようになったのです。チームでやるようになって、ゼロからできるクリエイティブなんて案外ないぞ、と気づいたんです。

川島:今の糸井さんにとって、クリエイティブの供給源ってどんなものですか?

糸井:たとえば、面白いことを考えている人とか、面白いことをやっている人というのは、その人たち自体が、みんなクリエイティブの供給源です。

ただし、自分が面白い人からクリエイティブの素をもらうだけで、自分がクリエイティブになれるわけじゃない。新しいクリエイティブなコンテンツの供給源となってくれる人から何かをもらったら、僕も新しいコンテンツの供給源になる、いや、供給源になっていなくてはダメだと思います。クリエイティブって、そんなお互い様の関係から生まれたりするんです。

川島:クリエイティブが掛け算になる。

糸井:僕がある作家の仕事に感銘を受けて、その作家の展覧会をうちの「TOBICHI」でやったとしますよね。僕はその作家からクリエイティブをもらい、僕はそのお返しをしたわけです。その展覧会に作家の友だちが訪れて、そのうちの1人が「この展覧会、いいね」と言ってくれた。もう1人は「俺もここでやらせてもらおうかな」と言ってくれた。ということは、2人の作家の供給源を手に入れたわけです。1人の作家を仕入れたら、次に2人の作家を仕入れることができるようになったとも言えます。

川島:まさに、お互いクリエイティブを交換していることになる。ということは、供給源の作家が「どうかなあ」ということもあれば、場所を持っている糸井さんが「どうかなあ」と思うケースもあるわけで。




糸井:もちろんです。「あの作家がここでやるのは、どうかなぁ」もあるし、「時間が来るまでもう少し待つかなぁ」とか、仕入れるコンテンツやタイミングについて、僕らもよく考えなくてはならない。そういうことを、ひとつひとつ詰めながら仕入先を決めていく。なぜなら、僕らはクリエイティブで勝負している会社だからです。
川島:仕入先――。そうか、「ほぼ日」はクリエイティブの素を仕入れてきて、「ほぼ日」のクリエイティブにして、勝負する。この場合は、クリエイティブを売る、ということも含めて、ですよね。






糸井:ただ、「これが売れるかなあ。よし頑張って売ろう」じゃだめなんです。「これは売れるぞ、もう売れるに決まっている!」というものを探して、それが本当に売れるかどうか、自分に問いかけ続ける。それが「仕入れ」です。

川島:「売れるに決まってる!」って、お客さんに聞くんですか?「何がほしいですか」って?

糸井:お客さんに直接聞いても答えはないんです。なぜならお客さん自身は、未来の自分が何を欲しいのかわかっていないことが多いから。作り手から提示することが必要です。「これが欲しかったでしょ」って。そのために、自分自身に問いかけて「売れるに決まっている」ものを探し続けるんです。

川島:探せば、見つかるものなんですか?



クリエイティブの仕事は効率化しちゃダメ!


糸井:見つかります。見つけるまで、何が使う人に喜んでもらえるかどうかを考え抜く。お客さんが使って喜んでいる姿が浮かび上がらない「仕入れ」はうまくいかない。たとえば、「ほぼ日」で最大のヒット商品になっている「ほぼ日手帳」だって、毎年毎年改良を続けてきて、今や15代目になっているけれど、この商品も毎年毎年常にクリエイティブの「仕入れ先」についてずっと考え続けて、改良している商品のひとつです。

川島:定番商品の地位に安住しなということですね。

糸井:クリエイティブを仕事にする上で、僕がものすごく大事だと思うのは、クリエイティブの「仕入先」を考えるのと、「市場」を考えることです。ゼロから作るんだけど、最終的には、いちばん競争の激しいところで売ることを前提にして考えないといけない。「見せて売る場所」、商品の売られる環境は物凄く重要だからです。そしてそんな場所は、当然ながら激戦区です。

川島:なるほど。たとえば「ほぼ日手帳」が置かれているLOFTの手帳売り場は、文字通りの大激戦区ですよね。「ほぼ日手帳」のヒット以降、さまざまなアイデア手帳や有名人手帳がどんどん出てきているし。そうそう、今、糸井さんが口にされた「市場」とは、どういう意味ですか?

糸井:僕は「お客さん」という意味で使っています。「お客さん」には、お金を持ってきてくれる人と、喜んでくれる人、2つの意味が含まれます。クリエイティブの「仕入れ」は、「市場=お客さん」に向けたものなんです。

川島:文字面だけとらえると、マーケティングでターゲットとなる顧客を設定せよ、というのはよく言われますよね。でも、糸井さんのおっしゃる「お客さん」って、ちょっと意味が違うような。

糸井:まず、自分がお客さんになったら喜べるかどうか、本気で考えてみる。「人が嬉しいことって、どういうことか」、とにかくこればっかりをしつこく考える。逆の言い方もありますよね。「自分が嬉しいことって、どういうことか」を、しつこく自問自答してみる。僕らの仕事は、突き詰めるとそこに行き着く。そう思ってます。

川島:メーカーの人と話していると、自分がデザインした商品なのに、「これ、別にほしくないな」ってことが、けっこう多いそうなんですね。製品化に向けて、何度も会議を重ねていくうちに、「最新の技術を全部盛り込んで」とか、「ターゲット調査の結果がこうだからこうして」とか、いろいろ言われて、最終的に自分の意図がまったく反映されない商品になってしまって。作っている人が欲しくないものは、きっと誰も欲しくないんじゃないかと思っちゃうんですが。

糸井:それって、今の話で言えば、その商品があったら喜んでくれるであろう人に向き合っていないし、自分が本当の意味で、その商品のお客さんになってもいないですよね。当たり前のことですけど、僕らは、自分が納得できないものを作ったり売ったりしないことにしています。ただ、そこまで突き詰めてやっていますから、「市場」と「仕入先」を確保するのは、物凄くコストのいる仕事なんです。

川島:効率化しづらい領域ですね。

糸井:効率化しちゃだめなんじゃないかな、クリエイティブって仕事は。





川島:た、確かに……。



「偶然」はクリエイティブの神様だ



糸井:実はクリエイティブの一番の供給源は、外にあるわけじゃないんです。

川島:え、どこですか?

糸井:自分の頭の中。頭の中で、 デタラメに動き回っている何だかわからないものなんです。そいつは、脳の中で瞬間的に「あ、見えた!」というものだったりする。「面白い」は「共感性」と「意外性」の掛け算だってお話ししましたけど、その「意外性」のひとつに「偶然」があります。「あ、見えた!」っていうのも「偶然」です。

川島:「偶然」が、クリエイティブの供給源になるってことですか。

糸井:「偶然」って神様に出会っているようなものじゃないですか。自分では思いつかないもの。自分の今までのルーティンを変えざるを得ないもの。もっと言えば、ルーティンを変えてくれるもの。ただ、そんな「偶然」を受けとめる自分を、いつもキープできていないと「偶然」には出会えない。

川島:なるほど。

糸井:「あの人は面白いね」と思っていても、長く付き合っていて同じ手口だと気づくと、その面白さに飽きちゃうことだってあります。何か違う刺激が欲しくなるんでしょうね。

川島:ちょっと怖い話ですね。そうなったら糸井さん、どうするんですか? まさかその相手に「飽きた」って言っちゃうわけにもいかないし。

糸井:言わずともわかります。お互いが勘のいい人同士なら。


ちょこちょこ「チェックしない」こと



川島:そもそも勘って何なんでしょう。

糸井:すでにそこにあることを「感じられる」こと。それが勘です。「釣り」で例えると、水温があって、酸素の量があって、ルアーの色があって、天気があって、潮の干満があって、この5つが魚釣りでチェックすべき基本条件です。

でも、その他に、勘定してない要素があったります。たとえば、その時が繁殖のシーズンだったりとか。そうなると、さっきの5つの基本条件をすっ飛ばして、そっちの要素を勘案して、今日はどうやったら釣れるかと、対策を練ることができる。勘が働くって「そういえば繁殖のシーズンだ」と、「すでにそこにあること」に感づくということです。

川島:勘、というとなんだか当てずっぽうみたいに聞こえますが、むしろ事実に基づいたもの、底に流れているものに、ちゃんと気を回せるかどうか、なんですね。じゃあ、どうすれば勘を働かせることができるんでしょう?

糸井:この要素が大事ということを、ちょこちょこ「チェックしない」ことです。

川島:チェックしない! 禅問答だ……。

糸井:ちょこちょこチェックしちゃうと、それが目的になっちゃう。すると、もう「勘」じゃなくなっちゃう。

川島:大きなところから見てみるとか、小さなところから見てみるとか、「全体の中でここの要素が大事」に気がつくことなんでしょうね。私は、直球勝負しかできなくって、変化球が投げられないんです。だから勘が働く人、変化球が使える人に憧れちゃいます。

糸井:川島さん、直球って変化球なんです。

川島:え?

糸井:ものは投げたら放物線を描いて落ちます。普通に真っ直ぐ投げたら、軌跡は坂道のように地面の方へと下がっていきます。だから、バッターから見て、真っ直ぐやってくる球というのは、微妙に上振れしていなくてはならない。つまり落ちないように上に変化している。だから直球は変化球なんです。速球にして変化球だから、直球は、実は一番、難しい技でもある。

川島:言われてみればそうですね。

糸井:だから、川島さんも、ちゃんと変化球を投げてるんですよ。



社長は「いい方向」を見つける仕事


川島:糸井さんが社長を務めている糸井重里事務所、いま何人くらいいらっしゃるのですか?

糸井:社員が50人くらい、アルバイトも入れると70 人くらいいます。

川島:思ったよりずっと多い。その中で女性はどれくらいの割合で?

糸井:おおよそ6割から7割くらいの間ですが、空気的には9割くらいの感じです(笑)。ここにいると、みんな女性になっていくみたいなんです。

川島:賢い女性が、活き活きやっている感じ、伝わってきます。糸井さん、社長業ってどうですか?

糸井:社長に求められているのは、元気で、何だか楽しそうで、給料の遅配をしないこと。それから、来年はもっといいかもしれないと思わせてあげることです。

川島:その実現に向けて、糸井さんはどんなことをやっているのですか?

糸井:社長業は、絵描きが絵筆を持つのと同じことだと思うんです。会社というものを工作しているような感じで、「ここはカンカンカンと削っていこう」とか、「ここは型にはめなくちゃ」とか、「ここはブロックみたいだからみんなで組み立てようよ」とか、時には、材料や部品が足りないから、よそから買ってこなきゃならないってこともあるわけです。つまりは、いろいろな手法を混ぜた彫刻を作っているような仕事です。

川島:仕事や会社ってこれが完成形だ!という理想像みたいなもの、糸井さんの頭の中にあるんですか?

糸井:ないです。

川島:じゃ、ずっと作り続けていく感じですか?

糸井:完成形はないけれど、方向性はありますね。こっちが「いい方向」だということを意識しながら、作っていく感じです。

川島:「いい方向」って、どういう風にわかるんですか?

糸井:どっちに行くかというのを、無意識で探しています。どこに行くんだろう、と力を抜いて。そして、ちょっと何か良さそうだなと感じる時がある。方向が見えたら、そっちの方向に必ず行くことにしています。見えるような気がするというだけでも、近づいてみる。



間違いのない完成図を求めちゃダメ


川島:そんなにゆるっとした感じで見つかるものなんですか?

糸井:一本橋を渡る時も、足元を見ていたら絶対に渡れない。視線を遠くに定めておけば渡れます。そういうのを「夢」っていう人もいるかもしれない。「夢」じゃなくて「視線を定める」と考えると、未来に何をするか、もっと具体的に見えてくるかもしれません。

川島:糸井さんが過去に「視線を定めた」体験、教えてください。

糸井:1990年代後半、インターネットの世界に入る時、そして「ほぼ日」を作る時がそうでした。当初はインターネットで仕事するとは思っていなかったけど、インターネットのことを考え、遠くに視線を定めてみたら、いずれ世の中みんなインターネットになるだろうと思ったわけです。






川島:それが、2000年に糸井さんがお書きになった『インターネット的。』に書かれていることだったんですね。最近また、読み返してみたんですが、「フリー」や「シェア」や「情報が小分けになる」なんてことが予言されていて、正直言ってびっくりしました。2000年時点では、まだブログもSNSもiPhoneもない時代だったのに。どうして、インターネットはこっちに行くと、視線を定めることができたんですか?

糸井:種明かしすると、けっこう簡単なことです。自分が定めた視点と逆の方向の意見を並べて、比べてみればいいんです。「インターネットの方に世界は行くだろう。黙っていたってどんどん行く」というのをひとつの意見としたら、逆に「インターネットの方に世界は行くわけがないじゃないか。黙っていてどんどん行くはずがない」あるいは「今は流行っているけど、いずれ廃れるよ」という意見を置いてみる。そしてインターネットは「行く」とインターネットは「行かない」を比べてみると、「行かない」という意見のほうがどう考えても分が悪い。それって、すぐにわかるじゃないですか。

川島:そうやって視点を定めて、1998年に「ほぼ日刊イトイ新聞」を立ち上げて、インターネットの世界をどんどん行ったわけですね。

糸井:ちなみに視線を定めて「こっちに行こう」と、一度決めたら、勝算を証明できなくても、行っていいと思います。

川島:えっ、勝算をはじき出してから行くものじゃないんですか?

糸井:そう、世の中では、勝算をはっきり出してから行けというんです。でも、向いている方向さえ合っていれば、面白くなる可能性があるんだから、どんどん行った方がいい。僕の意見はそっちです。そもそも、間違いのない完成図を、求めちゃダメだと思うんです。

川島:大半の企業は、完成図を作ってから、そのプロセスを企画書にまとめ、それを忠実に実行せよと言いますよね。

糸井:さっきの彫刻の話で言えば、それって、型があってはめる作り方ということになります。

川島:だから、つまらなくなってしまうんですよね。







次回「ダサい、野暮、下品と新市場」に続く










INTERVIEW: 糸井重里  第1回 自分で「やる」と決めたことは、絶対喜んでやる

 

「面白い」をビジネスにする方法:糸井重里さん

第1回 自分で「やる」と決めたことは、絶対喜んでやる 

 

 

糸井重里さんは、以前から、お話をうかがいたいと思っていた一人です。「ほぼ日刊イトイ新聞」を拠点とする活動はぐんぐん広がっているし、南青山に「TOBICHI」という場を設けて魅力的なイベントを行ってらっしゃいます。
 
クリエイターでもあり経営者でもある――まさに「ダサい社長が日本をつぶす」の対極を行くようなお仕事を重ねている。新しいモノ・コトを拓き続ける原動力はどこにあるのか、かねがね聞きたいと思っていました。


驚いたのは、事前の打ち合わせにうかがった時、糸井さんから「段取りなし、ぶっつけ本番で行きましょう」と言われたこと。オロオロする私を気遣って、「手弱女ぶってますねー」とからかい、「『楽しかったねー』と思える時間にすればいいじゃないですか」と励ましてくださいました。


からりとした温かさ。ぞくりとする鋭さ。ざっくばらんな緻密さ。それらが綯交ぜになった糸井さんの魅力に、初対面で「まいりました!」状態だったのです。


インタビューした後、糸井重里さんが「ほぼ日」で毎日アップしているコラム「今日のダーリン」で、自分たちの仕事について「夢に手足を。」というコピーを付けたことが、さまざまなところで話題に上りました。


そして再び、今回のインタビューを振り返ってみると、糸井さんはここで「夢に手足を。」とはどんなことなのか、さまざまな角度から語っていると感じたのです。


ではようこそ、イトイ・ワールドへ。




1948 年群馬県生まれ。「ほぼ日刊イトイ新聞」主宰。 1971年にコピーライターとしてデビュー。 「不思議、大好き。」「おいしい生活。」などの広告で一躍有名に。 また、作詞やエッセイ執筆、ゲーム制作など、幅広いジャンルでも活躍。 1998年6月に毎日更新のウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を 立ち上げてからは、同サイトでの活動に全力を傾けている。




川島:今日は「何でも聞いていい」ということなので、まずは、社長としての糸井重里さんの一日を聞いてみたいと思います。今日は、朝起きてからどう過ごしていらしたのですか? 今は午後5時です。

糸井:今朝は5時にようやく寝たのですが、10時半くらいに起き出して、ぶどうジュースを飲んで、メールをチェックして、読みかけの本を読んで、お風呂に入って、簡単な朝ごはんを食べて、それからまたネットの上でできる仕事をして。出勤はまったくデタラメです。何か仕事の約束があれば行くし、なければ行かない。今日は午後2時からミーティングがあって、それに間に合うように会社に行きました。

川島:社長なのに、行く日と行かない日があるのですね。

糸井:一応まんべんなく予定が入っているので、だいたい毎日行っています。ちなみに、僕の1日のスケジュールは、「ほぼ日」(ほぼ日刊イトイ新聞)の全社員――あ、うちでは乗組員って呼んでいるんですけど――が知ることができる仕組みになっています。「これはやる、これはやらない」は自分で決めますが、後は、乗組員たちの命令のままに動くという状況を作っていて(笑)。秘書が決めたスケジュールを、言われた通りやることにしているのです。

川島:社長としては「やるかやらないか」だけを決めると。

糸井:そういうことです。逆にいうと、自分でやると決めたことは、絶対喜んでやる。それ以外は引き受けないと決めている。だから今日、僕がここにいるということは、喜んでいる、ということでもあるわけです(笑)。

川島:わあ、嬉しいけどプレッシャーだなあ(笑)。じゃあ、さっそく質問です。マーケティングは、私が長年仕事にしてきたことなのですが、10年くらい前から普遍化とか合理効率化ということに疑問が湧いてきてしまって。そんな簡単なことではないのでは、とぐるぐる思っています。とはいうものの、「その人にしかできない」という仕事だと、属人的な話になっちゃうし。でも、魅力的な仕事って、たいがい「その人にしかできない」何かだったりするんですよね。


 

半分くらい伝えられたら、人に任せられる

 

糸井:「その人にしかできない」ことの中にも、僕は「普遍化できる」部分はあると思っているんです。

川島:それ、いちばん聞きたい話です。「普遍化できる仕事」と「その人にしかできない仕事」という文脈で言えば、そもそも糸井さんは「その人にしかできない」のかたまりみたいな方です。その一方で、糸井さんは、糸井重里事務所の社長さんとして、「ほぼ日刊イトイ新聞」というメディアを率いていらっしゃる。そうなると、糸井さんのアイデアをかたちにするとき、「その人=糸井重里にしかできない」では困るわけで、「普遍化して」ほぼ日の社員にやってもらわなければならないわけですよね?

糸井:自分の過去を振り返ってみると、コピーライターの仕事を含め、僕はずっと個人でやっていたんです。1998年に「ほぼ日」を立ち上げる時にはじめて、「個人じゃなくて、チームで仕事してみよう」と決意した。そこに向かわせた理由は、自分が今までやってきたことは「人には伝えられない」と思っていたけれど、「半分は伝えられるかも」と感じたからです。








川島:そのままフリーでずっとやっていって、「糸井先生」みたいな扱いを受ける道という選択肢だってあったわけです。


 

面白いとは「共感性」+「意外性」

 

川島:会社の仕事が面白いってどういうことでしょう。みんな、本当はやりたくない仕事をやるより、面白い仕事をやりたいと思っているわけです。でも、会社で働いていると、大半の人は徐々にヤル気がなくなってしまう。仕事が面白くないって言い始める。




糸井:「面白い」っていうのは、主観ですからねぇ。「あれは客観的に面白かったね」ということはないわけです。
 
川島:主観ということは、まず自分が面白がるか、面白がらないかということですか?

糸井:それがまず大前提です。ただ、そこからもう一歩踏み込んで、何かを「面白い」と自分が感じる要素とは何なのか。これは、ある程度探っていけるはずです。恐らくひとつは「共感性」で、もうひとつは「意外性」です。

川島:ほー!

糸井:たぶん、当たり前のことを言ってるだけなんですけど。

川島:「共感性」と「意外性」、私にとっては、当たり前じゃなくて「ほー!」です。ああ、両方あって、面白い!になるわけか。

糸井:井戸端会議って、基本的には「共感性」の山なんです。「そうよねぇ、わかるわ」という言葉の乱発ですよね。ただ、「共感性」だけだと、居心地はいいけど「面白い」にはならない。そこに「川島さんは、今の時期のサンマはおいしくないっていうけど、こう料理したらおいしいのよ」という話が割り込んでくる。すると、会話は「え、そうなの?」という「意外性」に飛んでいく。

川島:そこではじめて「面白い」につながるわけですね。普通の井戸端会議って、人の話なんて聞いていないくらいの勢いで、お互い「そうよねぇ」のやりとりをしてるけど、何を話したかはだいたい忘れちゃう。そこに、「えっ、そうなの?」って話が割り込んでくると、そこだけ記憶に残ったりする。

糸井:たとえば、僕が今、夢中になっているのはラグビーなんです。昨年のワールドカップで日本代表の躍進ぶりをテレビで観て、ミーハーにはまっちゃったのですが。これまでちゃんと観たことがないから、いまひとつルールや醍醐味がわかってない。

でも最近は、競技場に足を運んでラグビーの試合を観るわけです。それで「全然わからないかなあ」と思っていたら、「おお、案外わかるじゃないか」となる。でも、ところどころで、「そのルール何?」「そのプレー何?」っていう「わからない」が飛び出してくる。つまり、僕にとって今、ラグビーには「共感性」と「意外性」が両方ある。だからすごく面白い。

川島:「共感性」+「意外性」=「面白い」。いろんなところで使える公式です。

糸井:人は「何かがわかる」、あるいは「何かができる」ようになったときの喜びって大きいんですよね。子どもは、はじめて何かができた時、必ず笑うんですよ。ハイハイしていた子どもが立ち上がったとき、「おお、すごいね」って言うと、ケラケラ笑う。これも「共感性」と「意外性」ですよね。大人になっても、子どものハイハイから立ち上がるようなことが毎日あれば、もっと面白くなると思うのですが。

 

 

解けるかどうかわからない「40点」を楽しむ

 

川島:糸井さんの中では、「面白い」が毎日続いているんですか。

糸井:僕自身はすぐに「退屈だ!」と思っちゃうんですよ。だから毎日面白くしようとする。

川島:それじゃ、凡人が「面白い」を見つけるにはどうすればいいんですか?

糸井:「わからないけれど、面白そうだからやってみよう」って思うことってありますよね。そういうものは何かしら魅力があるんです。試験問題を解く時、秀才のやり方というのは、すぐにできる問題を最初に片付けて、60点くらいは確保しておく。「答えがわからないぞ」という残り40点の問題は後回しにしますよね。

川島:学校でも塾でも、もしかしたら仕事でも、そういう風に教えられてきました。

糸井:たいがいの人がそうだと思います。だけど、わからない問題を解いてみたら、あっと驚く答えに行きつく可能性ってありますよね。ただ、そこで手間取ってしまって、他の問題が解けず、10点しか取れなくて終わっちゃうかもしれないけれど。でも、その答えに新しい魅力が生まれるかもしれない。あるいは、解いていく過程そのものに面白さがあるかもしれない。

実は僕、人が集まってくるのは、必ず解けそうな60点の方じゃなくって、解けるかどうかわからない40点の方じゃないかと思うんです。だって、60点の魅力を確保しても、それって皆が知っていることだらけ。結局は面白くなくなっていくわけですから。

川島:つまり、60点の方は「意外性」がすっぽり抜け落ちちゃうわけですね。でも、大きな企業にいると、まず、その60点をとることを求められちゃうんです。




糸井:コピーライターの仕事は、「人には伝えられない」「人には教えられない」仕事だから、僕個人にギャランティが払われる。僕の方も「俺が来たから大丈夫!」というふりをする(笑)。相手にそう思わせた方が僕としても得なわけです。

でも、根が悲観的な人間だから、そのうちだんだんダメになっていく自分を想像してしまったんです。どっかの会社に行って受付を通ろうとすると「もしもし?」って受付嬢に声をかけられて、「ワシを知らんのか、社長に会いに来たんだ!」とイバるジイさんになって、それで月々顧問料を数社からふんだくって、「私は何社も顧問やってるからね」と言っちゃうみたいな。そっちの道、目指せば案外なれちゃったかもしれないですけど(笑)。

川島:何社どころじゃなくて、もしかしたら何十社もやっちゃってものすごいお金持ちになっていたかも。

糸井:「お金はそんなになくても食える」っていうことを、僕は一方で知っているんです。みんなはよく「お金がないと食えなくなる」って言うけれど、それは押入れに隠している札束があるかないかって話。そんなタンス預金みたいな蓄えがなくてもやっていけるんです。僕はバツイチで家出人だった時代が長いし、その時は一銭もなくて暮らしていましたから。お金や物がなくなって気づくのは「そこまでして欲しいものって案外ないな」ってことでした。

川島:お金がなくなっても大丈夫、ということについては確信がある。

糸井:はい。ただ、その話と矛盾するようだけど、「欲しいものが思い浮かばなくなる」のはイヤだなと思っています。「世の中に存在するだけで嬉しい」ものもあるわけで、欲望そのものがなくなるのは寂しいですよね。ただ、自分1人の欲望が満たせればいい、というのはなんだか不自由な気がしたんですよね。

 

 

誰かとつながりながら動く

 

川島:それ、わかります。個人の欲望を満たすってわりと「小さな」ことだったりします。だからフリーであることを止めて、チームでやることを選んだと。

糸井:ひとりぼっちで考えるより、ひととしゃべりながら考えると、「あ、自分はこんなこと言ってるんだ」って気づかされることがあります。ひとりで閉じこもって考え込むんじゃなくて「誰かとつながりながら動く」。チームの仕事ではとても大事なんです。

それで、そうやってみると、「これは絶対他人には伝えられないと思っていたけど、俺、意外と伝えられているかも!」と思うようになる。しかも半分くらい伝えられたら、もう相手に任せられるんですよ。「半分くらい伝わった」チームと一緒にやるのは、「ものすごく楽しいぞ」って実感できるようになった。

川島:糸井さんがそう発言するとなんだか元気が出ますね。

糸井:「半分くらい伝わった」チームで、少人数で、足投げ出して、しゃべっている。こういう時のコミュニケーションが一番濃いんです。寝っ転がりながら、本当にやりたいことについて、顔の見える同士で話し合っていく。ものすごく面白いし、役に立つことなんだけど、ひとりじゃできない。

「ほぼ日」の社員の中にも、そういうチームが作れる人たちがどんどん育ってるし、加わっている。とっても嬉しいことですね。社員50人の「ほぼ日」くらいのこじんまりした会社でも、僕ひとりだけでは絶対に無理なことをやっていますから。

川島:普通の会社の会議って、大きな会議室で粛々と行われる儀式みたいなのってけっこう多い。そうじゃなくて、寝っ転がりながらっていうところが、いいです。そういう空気感が会社の中に漂っているだけで、働く気持ち、全然違ってくると思います。

糸井:だって、その方が面白いじゃないですか。

 

 

人の心が動くから仕事になる

 

糸井:その結果、ロボットみたいに仕事させられている気分になるわけです。仕事もつまんなくなっちゃう。計算できる60点の方じゃなくて、とれるかどうかわからない、答えの見えない40点のところを大事にしなくちゃ。もっと言えば、誰も解けない1%の難問みたいなところに、あえて突っ込んでいくプロセスが大切。結局、答えは出なかったけど、そのプロセスはものすごく「面白いゴミ」みたいなもので、それが後から大きな価値になることだってあるはずなんです。


たとえば、変な問題を解いている最中に、周囲の人たちが「何それ?」「どう、どう?」と人垣ができるようになったら、そこで入場料を取れますよね。お客の心は、「何か変な問題解いているぞ」ってこと自体に寄っていっているわけだから、それは「しめたもの」じゃないですか。答えを出さなくても仕事になっている。人の「心」がそこで動いている。つまり、心が仕事になっている。

川島:なるほど。「面白いゴミ」という答えは出てこなかったけれど、そのプロセスが面白かったことが、ちゃんとお仕事になっちゃう。それって、結局人の「心」を動かしているからということですね。

糸井:この間、中国のビジネススクールの人が来て、「『ほぼ日』で売っているものって、手帳ひとつとっても、真似できない要素は何もないですよね」って言うんです。「もしも大きい会社がやってきて、仕掛けてきたら危ないですよね。どう考えていますか」と質問がされました。

ただ、この質問には「心」の問題がまったく入っていないのです。質問したビジネススクールの人が言うように、ある大企業が「ほぼ日手帳」と同じものを作って、100倍の量を売ろうとしたとします。「『ほぼ日』よりもはるかに安くすればみんなが欲しがるよ」という図面が描けますよね。でも、その図面は間違いなんです。どうしてダメかというと、その安くつくった手帳には「心」が抜けちゃっているからです。

川島:「ほぼ日手帳」には、使い勝手がいいとか、デザインがかっこいとか、モノとしての良さもあるのだけれど、その周辺には、糸井さんのことも、「ほぼ日」のことも、目に見えないけれどきちんとあって、その価値を支えています。ファンだったら、自分が「ほぼ日手帳」を使い続けてきた思い出みたいなものが、手帳の周りに漂っている。いずれも「心」のお話です。大企業が真似して作った手帳は、安くて良くできていても、そこがごっそり抜け落ちちゃっているわけで、すると、値段が半分でも売れないと思います。


 

 

みんな、「いい時間」が欲しいんです

 

糸井:「心」の問題は、時間とも関係があります。映画って、中身がわかっているわけじゃないのに、「どうなのかな?」って見に行きますよね。その映画を見終わった時、はじめて「ああ、面白くて良かった」と思ったりする。そこで人は「いい時間」を手に入れるわけです。

そして「いい時間」というのは、「いい人生」のことです。10年間結婚していた人が、好きで好かれて一緒になったのに、最後は二度と会いたくないと思い、別れてしまったとします。その時、結婚生活の10年のうちの何年くらいが「いい時間」で、何年くらいが「悪い時間」だったかって、案外きっちりわかりますよね。

つまり、自分が過ごしている時間が「いい時間」がどうかを価値づけられるのは、物事の前と後であって、渦中ではない。前と後は、渦中にいたことを価値づけできる時間。だから素敵に見えるわけです。ジェットコースターもそうで、「きゃあ」と言っている渦中は、楽しいのではなくて怖いんです。でも降りてから「ああ、面白かった」と言う。

川島:「いい時間」だったかどうかは、渦中から解放されて後からわかるわけですね。辛い渦中もあるし、怖い渦中もある。でも、渦中に入る前のワクワク感とか、渦中が終わった時の達成感は、後から「いい時間」になっていく。仕事だってそうですね。

糸井:「夢中になれて楽しかった」ということもあれば、「嫌々だったのだけど、後で良かったな」と思えることもある。だから、渦中では「何が何だかわからない」というのが正解でしょうね。

川島:理屈理論だけでなく、人の「心」を動かすことが大事なわけですね。そこから人は、ものを買ったり、何かを始めたりする。ただ、「心」のことって、パターン化やノウハウ化が難しい気がします。深くて個別のことだから、いわゆるマーケティング的なものが通用しづらい領域じゃないですか。

糸井:だから、「せめてわかるところだけでも考えてみようよ」というのがマーケティングですよね。

川島:ビジネス書の世界で、「こうすれば成功する」っていうマーケティング・ノウハウみたいなもの、氾濫しているじゃないですか。あれ、ちょっと気持ち悪いんです。糸井さんがおっしゃった「答えのわかっている60点の問題」が並んでいるみたいで。

糸井:何かでうまくいった人は、他の道を選ばなかったから、今のうまくいったところにたどり着いたわけです。八百屋さんをやってうまくいった人の本があった時、成功した八百屋さんのノウハウだけを読んでも、恐らくブレちゃうと思うんです。どうしてかというと、八百屋さんとしてうまくいった人は、他の道を選ばず「それだけをやってきた」わけだから。本を読んでいる人は、まだ何も選んでないわけですよね。その違い、ものすごく大きいと思います。

 

 

難しい問題を先送りすると、ふっと解決できたりする

 

川島:糸井さん、仕事とプライベートの区分けってあるんですか?

糸井:全然ないです。特に、コピーライターという頼まれ仕事ではなく、「ほぼ日」の主宰者という自分で自分に仕事を発注するようになってから、仕事とプライベートという区分けがなくなりました。ちょっとおおげさに言えば、今、やっている仕事は、関係する方々や、自分も含めた社員の生き死にに直にかかわるものなんです。

だから「ここまでできているから、うまく行っている」という考え方ができなくなった。だって、うまく行っている時って、その中にうまく行っていない可能性が含まれていますから。

川島:全部が仕事になって、かかわっている方や社員の人たちのことも考えて、そして面白くしていくって、何だかとても大変じゃないですか。




糸井:僕自身は、大変だと思ったことはないんです。ただ、自分のアイデアが価値を生み出さなければならないって思った時、必ずちょっとした苦しさがある。その渦中にいて「新しいこと、見つけられていないな」と思ったら、苦しいですよね。

川島:想像するだけで苦しそう。どうするんです?

糸井:逃げたり……(笑)。実はしょっちゅう先延ばしにしています。保留しちゃう。もっといいものができるまで保留しておく場所を作っておくんです。難しい問題を先送りすると、ふっと解決できるっていう時がやってきたりする。

 

 

「結局、糸井さんが全部やってくれる」が危ない

 

川島:そのやり方は、プロジェクトだけじゃなくて、社員に対しても同じなんですか。「新しいことを見つけられていない」社員がいたら、糸井さん、どうするんでしょう?

糸井:さっきの話と一緒で、社員が担当している仕事が終わった後で、「ああ、良かった」と思ってくれるかなというのは考えますね。つまり、渦中は苦しかったけど、終わってみたら「いい時間」だったと思ってくれるかなと。

川島:会社では、社長が現場に向かって「こういう風にしろ」と指示したのに、思うような成果が上がらなくて、「もっと頑張れ!」って檄を飛ばされること、ありますよね。あれはあれで、社員は辛い。社長のいうこともわかるだけに。

糸井:僕は社員に対して、「こういう風にしといて」ってのはあるけれど、「こういう風にしろ」というのはないですね。

川島:「こういう風にしろ」って命令で押しつけるんじゃなくて、「こういう風にしといて」っていうのは、仕事のハードルを社員に預けるんですよね。でも、それって自分で判断しなくちゃいけないから、ある意味でもっと難題だと思うんです。その結果、仕事が上がってこなかったら、どうするんですか?

糸井:まずは「案の定」って思いますよ(笑)。それで「いつできるんだろうなあ」って、ちょっと考える。あるいは「その仕事をその人にさせたことが、もともと間違っていたかもしれない」と思ったり。「一回、全部やめよう」ってこともあります。

川島:社長である糸井さんに、「案の定」って判断されちゃったら、その社員は相当、ショックを受けちゃいますよね。

糸井:むしろあぶないのは「結局、糸井さんが全部やってくれるから」みたいに社員から思われちゃうことなんです。社員が社長としての僕を全面的に頼ったりしたら危ない。だって、会社がクリエイティブでメシを食っていけるようにするのが僕の夢ですから。ということは、社員それぞれがクリエイティブじゃないと。






次回、「脳みそから血が出るほど考える」に続く



火曜日, 3月 29, 2016

INTERVIEW: 佐藤卓  第4回 日本のクルマがダサく見えるのは、「構造」をデザインできないから

 

日本のクルマがダサく見えるのは、「構造」をデザインできないから

佐藤卓デザイン事務所 代表 佐藤卓(4)

 


 

 

 

 

 

 

欧米メーカーは「構造」の重要性を知っている


川島:前回は、デザインとは、商品の外見の「意匠」だけじゃなく、商品の骨格にあたる「構造」をつくることなんだ、というお話を伺いました。それで連想したのが自動車のデザインです。卓さん、クルマお好きでしたよね?

佐藤:大好きです。

川島:私はクルマ音痴なんですが、ドイツの3大高級車メーカー、メルセデス・ベンツ、BMW、アウディは、そんな私でも見分けがつく。一方で、日本の大手メーカーのクルマは、どこの会社の製品か分からなくなる。何が違うのかな、と前から疑問だったんですが、メルセデスもBMWもアウディも、「構造」ががっちりつくりこまれていて、それがちゃんとこちらに伝わっているからなんだと納得しました。

佐藤:おっしゃる通り。いま挙げた3社は、「構造」のデザインがしっかりあって、絶対に変えない。BMWの場合、中央のラインで左右2つのパーツに分かれているフロントグリルのデザインは、確か創業以来変えていないはずです。つまり「意匠」以上に「構造」を重視してデザインしているわけです。

川島:BMWと言えば、あのフロントグリルの印象、私の中にも焼きついています。

佐藤:でしょう? 日本のクルマメーカーの多くは、「構造」をデザインするのが苦手なんですね。モデルチェンジで車種の名前まであっさり変えてしまったりする。だから、どのメーカーのどのクルマなのか、ぱっと見てもなかなか認識できないわけです。

川島:日本車のデザインをイメージしにくいのは、「構造」をデザインしていないから、というわけですね。

佐藤:実にもったいない。日本のクルマが備えているテクノロジーは世界的にも素晴らしいし、性能に比して価格も安い。だから売れるわけです。

川島:だから、デザインに重きを置かないわけですね。

佐藤:そうです。結果的に日本のメーカーは、テクノロジーと価格戦略にアイデンティティーを求めてしまう。でも実は、デザインをきっちり仕上げ、デザインのアイデンティティーを確立すれば、「ブランド」になるはずなんです。

川島:デザインが「ブランド」をつくるという側面が大きいわけですよね。

佐藤:企業の理念がデザインの力できちんと表現されていること。それがデザインのアイデンティティーです。そしてお客さんは、デザインに惚れ込んで、買ってくれる、使ってくれる。共感してファンになってくれる。「ブランド」ってそういうことですよね。

川島:しつこく繰り返しますが、日本の自動車メーカーが、先ほど挙げたBMWやメルセデス・ベンツのようなラグジュアリー市場で「ブランド」を確立できないのは、デザインに問題があるからということですか。

佐藤:高級路線のクルマに、自社の名前とは別のブランドロゴをつける。日本の自動車メーカーの高級ブランドのつくり方です。でも、あのやり方には疑問があります。だったら、そのメーカーのロゴには、ブランド力がないってことなのか、と。

川島:ラグジュアリー分野をつくろうとして、新しいブランドを展開しているように見えるけれど、ロゴマークを変えちゃうわけですから、企業イメージとは結びついていかないのは当然のこと。つまり、アイデンティティーが確立されないわけです。



佐藤:シンボルマークは、企業やブランドの顔ですから。きっちり統一した方がいい。

川島:「構造」のデザインだけじゃなくて、「意匠」すなわち商品デザインの観点から見ても、日本の自動車って、かっこいいクルマが少ないなと思います。はっきり言って、ダサい(笑)!

佐藤:デザインが二の次になっているわけです。結局、経営トップがデザインの重要性を感じていないからとしか思えないのです。もったいないことです。

川島:売れているだけに、自信を持っちゃっているのかも。

佐藤:一番、厄介なパターンです。

川島:なぜ厄介なのですか?

佐藤:自信を持っている人は、変えようなんて気持ちがさらさらないからです。でも、クルマのことに限らず、世の中のどんな仕事でも、自信を持ち過ぎては絶対にダメです。

川島:卓さんも、ご自身に対しては「自信を持ち過ぎてはいけない」と戒めたりするのですか?

佐藤:もちろんです。自信満々というのは、たいへん危険な状態です。だから、売り上げだけではなくて、あらゆる仕事のあらゆる領域において、デザインにおいても、本当にこれでいいのかと疑い続けなければいけないわけです。でも、今の日本車の大半は、自社の商品デザインにトップが疑問を抱いているようには見えません。むしろ、自信満々な雰囲気さえ漂っているのです。とても残念です。

川島:日本の家電メーカーは、80年代から2000年代の初頭までは、デザインも技術も含めて世界的な評価を得てきました。それが今や、デザインに力を入れたサムスンをはじめとするアジア勢にやられてしまっている。日本の自動車メーカーが同じ轍を踏むんじゃないかと、ちょっと心配です。

佐藤:これからクルマを取り巻く環境が、がらりと変わっていきます。電気自動車やプラグインハイブリッドのクルマが台頭してくると、ガソリンに頼らないエネルギー分野が開拓される。クルマ自体によりITが導入される。つまりクルマは家電になりITとなる。となれば、自社商品が重視するポイントも、変わらざるを得ないのではないでしょうか。

 

 

フォルムを塊から見いだすのが下手な日本デザイン

 

川島:そもそも、日本のクルマの多くは、かたちそのものに魅力がないと思うのですが。

佐藤:どうしてだか分かります? それはデザインで「構造」をつくることがうまくないからです。

川島:なぜでしょうか?

佐藤:クルマではなくて、住宅で説明してみましょう。日本の住まいは、柱を立てて壁を作って屋根を付けてという造り。木造で、しかも、建て直し、建て直しを繰り返して使ってきたのです。伊勢神宮を見れば分かるでしょう。歴史的建造物なのに定期的に建て直してきたわけですから。一方、ヨーロッパでは、堅牢な石造りの住まいを、何百年にもわたって使い続けます。当然、日本とヨーロッパとでは、フォルムに対する感覚が異なってくるはずです。日本の得意とするデザインは、立体というよりは平面。一方、ヨーロッパの得意とするデザインは、立体的な塊の中からフォルムを見いだしていくことなのです。

川島:クルマは、平面じゃなくて立体。



佐藤:そう。立体なんです。だからひとつの塊としてデザインしないといけない。
ところが日本車の中には、フロント周りのデザインと、リア周りのデザインとがばらばらのケースがけっこうある。前と後ろのアイデンティティーがつながっていない。とりわけ、リアのデザインが息切れしちゃっているケースが多い。美しいデザインのクルマって、後方のデザインのまとめ方が優れています。つまり後ろから見たときにかっこいい。日本のクルマは、前方の顔は一所懸命つくるのですが、後方に行くとデザインがつながっていなかったり、適当にごまかしていたりする。

川島:文字通り、竜頭蛇尾ですね。

佐藤:そう。中にはニュートラルでいいデザインのクルマだってあるんです。トヨタの小型車「アクア」のスタンダードモデルって、僕は結構きれいだと思います。やり過ぎずに、適度に収めている。うまいデザインです。最近出た新しいモデルはちょっと残念ですが。

 

 

「組織図」の汚い会社にかぎって、デザインがダサい

 

川島:うーん、でも不思議だなあ。世界で活躍する自動車のデザイナーは日本人が多いですよね。フェラーリもアウディもBMWも日本人がデザインしている。この連載に登場したカーデザイナーの和田智さんは、アウディで大活躍した、優れたデザイナーです。日本人、別にクルマのデザイン、下手じゃないじゃないですか。

佐藤:和田さんは、僕も面識があります。おっしゃる通り、欧米で活躍している日本人のカーデザイナーがいるのですから、「かっこいいデザイン」のクルマが出てこない原因は、デザイナーにあるわけじゃないのです。

川島:となると、やはり……。

佐藤:経営者にあると思います。

川島:結局、経営トップがデザインに問題意識を持っているかどうかが、その企業のデザインをかっこよくするかどうかを分けるんですね。

佐藤:デザインを統括する部門や部署がない会社は、大企業でも結構多いんですよ。自社の現場で、適当にデザインをやらせてしまっている。だから、出てきたデザインは、それぞれの部署でばらばらになる。つまり会社の商品のデザインに一貫性がなくなる。当然、商売にもブランディングにもデザインが寄与できない……。

川島:ああ、いろんな会社のデザインが目に浮かぶ(笑)。それだと、かっこいい、ダサい以前に、同じメーカーのものでもデザインがバラバラで、ひとつのまとまりとなって見えませんね。

佐藤:僕は、デザインをあらゆる局面で必要不可欠なものととらえています。その意味では、デザインが関わりを持っていない部署は、企業の中でひとつもないと思います。総務部門も、人事部門も、開発部門も、そして何より経営部門も、全部がデザインに関わりがある部署なのです。書類一枚、伝票一枚だって、デザインなわけですから。

川島:企画書だって、その企業のイメージの一翼を担うものだし、請求書のフォーマットだって企業のアイデンティティーをある意味で表している。ましてや全社員が持っているロゴのついた名刺は、その企業の「顔」ですよね。

佐藤:そうでしょう? それだけ広範囲にわたって大事な役割を果たしているデザインについて、統括する部署がないというのは大きな問題です。だから、ここを通さないとうちのデザインではないという専門部署を、まずは作らないといけません。

川島:それも社長直轄で。

佐藤:もちろんです。デザインの決定は、最重要な経営マターですから。経営者こそがデザインにコミットすべきです。逆に言えば、組織の末端にデザインの部署がある会社とは、仕事したくないですね。

良いデザインを提供している会社は良い組織になっている

川島:そこまで思っていらっしゃるのですか?

佐藤:新しい仕事の話をご担当者からいただいた時に、「組織の中でデザインを決定する、もしくは統括する部署はどこに位置づけられているのですか」ということをお聞きして、デザイン担当部署が末端の場合は、丁寧にお断りすることにしています。

川島:なるほど。じゃ、その会社の組織図を見ると、デザインに対する意識が分かっちゃうのかもしれませんね(笑)。

佐藤:いや(笑)、ホントにそうなんです。良いデザインを世の中に提供している会社は、良い組織になっている。あえて踏み込んで言ってしまうと、「組織が汚い」会社というのは、デザインもだいたい汚い。

川島:えっ、組織が汚いってどういうことですか?

佐藤:その会社の組織図が、すっきりしているか、ぐちゃぐちゃになっているかどうか、ですね。これは僕の勘みたいなものなのですが、組織図がきれいですっきりしている企業は、だいたい経営がうまくいっている。そしてデザインも良かったりする。一方、組織図がぐちゃぐちゃで汚い企業は、情報の伝達が良くなくて、商品のデザインもぱっとしない。

川島:なるほど! それは目からウロコの落ちる話です。その企業が健全かどうか、いいデザインができるかどうかは、まずはその企業の組織図を見れば分かるということですね。中間管理職がごっそりいて、誰が何をどう決めるのかよく分からないような企業ってけっこうあります。そういうところと仕事をすると、意思決定を下から上に上げていくだけで、物凄いエネルギーが必要になってきちゃう。私も経験があります。

佐藤:その通りです。もちろん僕は、すべての仕事について、経営トップと直接やらなければダメ、と言っているわけではありません。ただ、デザインが決まっていくプロセスがはっきり見えていない企業の場合、良いデザインはできないんですよね。また、ひとつのデザイン案を通す上で、社内を説得するマーケティング調査をしたりすると、その数字が一人歩きすることがある。そういう場合も、デザインがうまくいかないです。

川島:私も、そういう経験、山ほどしてきました。デザインを調査にかけてしまうのもどうかと思いますが、デザインを通していく理由づけとして、何か客観的なデータ=言い訳が必要なのでしょうね。でもそれは、卓さんがおっしゃった、デザインは民主主義で決めちゃダメ、という話と通底しますね。

佐藤:そうです。

川島:でも、いいこと聞いちゃった。ある企業がイケてるデザインを創造できるかどうかは、その企業の組織図を見れば分かっちゃう。今日から、いろんな企業の組織図、集めてみます。

佐藤:そりゃいい。結果をぜひ報告してください。

川島:まずは自分のいる会社を見てみようかな(笑)









 INTERVIEW: 佐藤卓(1)

 INTERVIEW: 佐藤卓(2)

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INTERVIEW: 佐藤卓  第3回 「民主主義」が「デザイン」をダメにする

 

「民主主義」が「デザイン」をダメにする

佐藤卓デザイン事務所 代表 佐藤卓(3)

 

デザインの決定に民主主義はありえない


川島:卓さんは、企業トップと直 接仕事をする機会も多いかと思います。で、質問です。アップルをはじめ、いま世界市場で活躍している企業は、「デザイン」と経営がとっても近い。経営陣 が、デザインを明確に企業戦略に織り込んで、デザインがその企業のブランド価値を上げている、直接的に売り上げを上げている。一方、今の日本企業、とりわ け大企業には、「デザイン」を経営に生かしている、という様子がなかなか見えないのですが……。

佐藤:それは経営トップの問題で す。そもそも大半の社長はひとえに経営の専門家であって、デザインの専門家ではない。その上で、デザイン戦略に関して、社長には大きく2タイプが存在しま す。ひとつは、自分は分からないけれども、デザインは大切だと思っている人。もうひとつは、分からないから、デザイン思考がそもそもゼロの人。

川島:シンプルなお答えですね。

佐藤:デザインに理解がある社長は、例えば外部デザイナーである僕の話を、直接じっくり聞いてくれます。デザインに理解がない社長は、まあ当たり前ですが、外部デザイナーの話なんか聞かない。

川島:卓さんのような影響力のあるデザイナーでもですか?

佐藤:いやいや、影響力がないからです(笑)。それと、案外やっかいなのは、デザインを民主主義で決めようとする社長。これが、とっても困る。

川島:民主主義で決める?

佐藤:ご自身の意見を言わずに、社員の方々の意見をたくさん聞いて、それを反映したデザインにしようとする社長です。多くの社員の意見をまとめて、うちはこうしてほしいということをおっしゃるわけです。

川島:ある種の集合知みたいな話ですね。なんだか、社員の意見をちゃんと聞く、できた社長に思えますが。

佐藤:残念ながらそうではないのです。社長が自分で決めず、不特定多数の社員の意見を積み上げてデザインに反映しようとすると、良いデザインはできないんですよ。

川島:……なんとなく分かります。

佐藤:僕は昔から主張してきました。「デザインの決定に民主主義はあり得ない」と。

川島:「みんなの意見」が「いいデザイン」を産むわけじゃない、と。

佐藤:デザインとはまだ世に出て いないもの、これから世に出るものに施されるものです。つまり未来の世界を具現化するのがデザイン。だからデザインを選ぶ仕事は、「目利き」でないと無理 です。民主主義が機能するのは、ものができてから。つまり、誰かがデザインした商品を、実際に消費者として購入する瞬間。そのデザインが本当にいいものか そうでないかは、市場という民主主義が決める。だからデザインの良し悪しについては、企業の中の“目利き”が判断しなくてはならない。もし社長が、「自分 は“目利き”ではない」と思うなら、“目利き”を側近に配することが大事なわけです。多数決でデザインを決めては絶対にダメです。

川島:そもそも、自分が“目利き”じゃないことすら、自覚していない社長もいっぱいいそうですね。

佐藤:これだけ「デザインの時代」と言われていながら、まだまだ経営にデザインが組み込まれていない企業が多いです。でも、そういう企業は間違いなくダメになっていくと思います。デザインが末端の仕事になっている企業は、一刻も早く体質改善した方がいい。

川島:でも、デザインを理解していないトップが、急にデザインの重要性を認識するように変わることって、はたしてあるのでしょうか?











佐藤:たいがいは、手遅れ、かな (笑)、40代50代になって、デザインマインドを持っていない人が、急にデザインマインドを身につけようと思っても難しい。だから僕は、NHKのEテレ で『デザインあ』という番組を始めたんです。未来の大人=子供たちにデザインを育んでもらおう、と。デザインを決定する人は、政治家だったり、行政だった り、経営者だったりするわけでしょう? その人たちに、デザインが大事と言っても、なかなか理解してもらえない。それならどうしたらいいのか? 子供の時 から、何らかのかたちでデザインマインドを持つようになれば、いずれ大人になった時に、花開いていくのではないかと考えたからです。

川島:あの番組、子供向けにデザインを説いているのですが、5年前にスタートした時点で大きな話題を呼び、今や長寿の人気番組になっています。確かグッドデザイン賞の大賞も受賞しましたよね。

佐藤: ありがたいことです。

 

 

デザインとは構造をつくること

 

川島:企業やブランドが強くなるには、社長にデザインマインドが必須なこと、お話を聞いていて、よく分かりました。じゃあ、トップに必要なデザインマインドって、何なんでしょう? 絵が描けるとか、美術に詳しいとか、そういうことじゃないですよね?

佐藤:あらゆる事象を総合的に見て、10年後のために何をするべきかが分かる力、それがデザインマインドです。もちろん、美意識みたいなものも含まれます。10年たってもびくともしない美意識を持ちあわせていて、明快に判断できる能力です。

川島:なるほど。そうれはもう、 ほとんど「経営」マインドですね。びくともしない美意識とは、どういう要素から成り立っているのでしょうか?

佐藤:びくともしないということは、いわば骨格がしっかりしている、ということです。建築を事例にすると、建築には構造と意匠がありますよね。

川島:構造と意匠。

佐藤:大雑把に言えば、建築物の躯体を担っているのが構造で、それを覆っているのが意匠になります。デザインは構造の部分も意匠の部分も包括しているわけです。

川島:デザインとは、てっきり意匠の方を指すのかと思っていました。

佐藤:いえいえ、デザインは、構 造と意匠の両方を請け負うものです。そして構造には、10年たってもびくともしない強度が求められますが、意匠は、時代の変化に合わせて微妙に調整しても 構わない。どちらもデザインの仕事です。あらゆる製品や企業を「構造と意匠」という考え方で因数分解して、それぞれのデザインを考える。僕が必ず意識して いることです。

川島:もう少し具体的に教えていただけますか?

佐藤:ブランドロゴのデザインで説明しましょう。ロゴひとつとっても構造と意匠という考えのもとでつくります。まず、ロゴの場合、文字を使いますよね。文字には、実は「骨」があります。

川島:文字の骨?

佐藤:ええ、骨です。文字にはいろいろな種類の書体がありますよね。

川島:明朝体とかゴシック体とか。

佐藤:明朝体でも、実に多様な明朝体があります。それぞれの書体は、何が違うかというと、「骨格」が違うんです。

川島:どういうふうに違うんですか?

佐藤:文字の中心を追いかけると、文字の中心となる軸がそれぞれ違うんですね。それが書体の「骨格」です。

川島:ああ、Aという明朝体と、Bという明朝体では、同じ明朝体なのに印象が全く異なったりする。それは「骨格」がそもそも違うからなんですね。

佐藤:文字の場合、この「骨格」 こそが、先ほど言った「構造」にあたります。デザイナーは、新しい文字のロゴをつくるに当たっては、文字の「骨格=構造」をデザインしなければなりませ ん。その企業やその製品の特徴を的確に表現している「骨格」なのか。未来を見据えた時に、長年にわたって愛される「骨格」なのか。それを、徹底して検証し ていくわけです。

川島:卓さんがデザインした「明治おいしい牛乳」も、ロゴの「骨格=構造」がポイント、というわけですね。誰もが抱いている「清潔でおいしそう」というイメージは、文字の「骨格」が寄与している部分が大きいのだと腑に落ちました。




佐藤:「明治おいしい牛乳」にし ても、「ロッテ キシリトールガム」にしても、僕がロゴデザインを手がけてから、すでに10年以上がたっていますが、全く手を加えていないのです。もちろんパッケージとし ては、多少の文言が加わったりなくなったりと、微細な調整、つまり「意匠」の改変をしてはいるのですが、ロゴデザインそのもの、つまり「構造」は全く変え ていないのです。

 

 

アップルのマーク描けますか?

 

川島:時代の変化にびくともしない「骨格=構造」をつくったからということですね。確かに「明治おいしい牛乳」にしても「ロッテ キシリトールガム」にしても、ロゴの印象がはっきりと記憶に刻まれていますし、ちっとも古びて見えない。暮らしの中に根づいて、馴染んでいる感じ。

佐藤:デザインとは、とかく「意 匠」を指すと思われがちですが、人の記憶に残るのは「構造」だったりするんですよ。例えばアップルのマークってあるじゃないですか? この間、新聞を読ん でいたら、一般の人たちにアップルのマークを見ないで描いてみてくださいという調査をしたそうです。そしたら、意外と細部はでたらめだった。葉が付いたリ ンゴという大枠は合っていたのですが、ディテールはバラバラだったんです。

川島:確かにリンゴマークという印象はあるのですが、どんな風にリンゴが欠けていたかとか、葉っぱの大きさはどうだったとか、自分の記憶を辿ると、描けるかな……。

佐藤:でしょう? 人は、葉が付いたかじられたリンゴという「構造」は覚えているのですが、細かい「意匠」は覚えていない。逆にいえば、記憶に残る部分は、あくまで「構造」。まずは、長持ちする「構造」をデザインすること。それがとっても大事なんです。





(4)に続く

INTERVIEW: 佐藤卓  第2回 「アート」になったら「デザイン」はおしまいだ

 

「アート」になったら「デザイン」はおしまいだ

佐藤卓デザイン事務所 代表 佐藤卓(2)

 

 

グラフィック、プロダクト、空間とデザインを分ける意味はあるのか?


川島:日本のデザインの世界って、グラフィックデザイン、プロダクトデザイン、空間デザイン、そして建築デザインと、それぞれの分野に専門デザイナーがいて、何となく枠組みができちゃっているんですが。

佐藤:欧米のデザイン教育の現場では、そういう分野の区分を、あまり感じさせないところもたしかにありますね。

川島:グラフィックもプロダクトも空間も、全部手がけるデザイナーがたくさんいますよね。この違いって何だろうって、ずっと不思議に思ってきました。日本のデザイン界はなぜ、分野ごとに縦割りになっちゃっているのかと。

佐藤:その縦割りの枠組みは、専 門性と言い換えることができるかもしれませんね。ゆえんがあってできあがってきたと思うので、僕は、それはそれでいいと考えています。ただ、専門から見え てくる全体観みたいなものは、どの分野のデザイナーも、持っていなければならない能力ではないでしょうか。

川島:どういうことですか?

佐藤:例えばグラフィックデザイ ナーが、パッケージデザインを手がけることは、特別なことではありません。当然のことながら、パッケージとは空間の中に置かれるものですから、デザイナー は空間を意識するわけで、そこで平面と立体がつながっていくのです。でもこういうことは、プロダクトにしても空間にしても、他の専門分野のデザイナーで も、同じことではないでしょうか。つまり、デザイナーとは、周辺環境との関係性の中でデザインを考える。これは、すべてのデザインに求められる要件だと思 うのです。

川島:ちょっと意地悪な質問ですが、そこまで広い視野を持っているデザイナーって、そう多くないんじゃないですか?

佐藤:でも、自分のテリトリーはここだけと決めているデザイナーの仕事は、言ってみれば、箱庭の中でデザインしているようなものです。

川島:つまり、グラフィックなら平面だけ意識していればいい、プロダクトならその製品だけに限定して考えればいいみたいなことですね。

佐藤:そうです。非常に狭い範囲 でデザインをとらえてしまっている。これと同じようなことは、ファインアート的な思考を持っているデザイナーにも言えることです。デザインをアート的にと らえてしまうと、自己表現が先立ってしまうので、それとの格闘が始まり、同じように箱庭的なデザインに陥っていく。だから僕は、アートになったらデザイン はおしまいと考えているのです。















川島:ちょっと過激なフレーズです(笑)。でもそれは、卓さんが最初におっしゃった「やりたいことをやる」ということですね。つまり、自分が作りたいものをデザインしてしまう。

佐藤:そう。箱庭的な世界の中で閉じこもってデザインしてしまうと、できあがったデザインは、いろいろ余計なものが付いてきてしまうわけです。

川島:「アート=美術」と「デザイン」は全く異なるものということですか?

佐藤:80年代は、アートとデザインが何となく融合していた時代でしたが、私はその頃も、ずっとおかしいと感じていました。アートにはアートでやるべきことがある、デザインにはデザインでやるべきことがあると思っていたのです。

川島:卓さんの中で、双方の関わりは、どのようになっているのですか?

佐藤:デザインはアートよりももっと大きな概念です。デザインとアートは、それぞれのやるべきことを明らかにすることで、大きな力を発揮するのではないでしょうか? 最初から何となく融合しているような状況からは、何も生まれないと思うのです。

川島:なるほど。

佐藤:例えばハイブリッドは、ガソリンと電気、そして今では水素があって、そもそも完全に分けられているものがひとつになることで、物凄い威力を発揮するわけです。最初から何となく融合するみたいな曖昧さは、一切ないわけです。

川島:そもそもの専門性が明快に分かれた状態で、合体するとか融合することで相乗効果が生まれるということですね。そのためには、そもそもの専門性の質が高くないといけないのでしょうね。

佐藤:そういうことだと思います。

 

 

企業が収益だけを大事にすると世の中を貧しくする

 

川島:企業のデザインチームの 方々と仕事していて感じるのは、物事を専門性の壁の中でしか見ていないということです。家電は家電の世界だけ、クルマはクルマの世界だけみたいな。一方、 それを使う人たちは、その製品と、暮らし全体の中で関わっているのが当たり前の状態にある。つまり、家電とクルマとは、暮らしの中でつながっているので す。

佐藤:僕も全く同じ意見です。

川島:卓さんにそう言ってもらえ ると勇気が湧きます(笑)。勢いを得て、もう少し言わせてもらうと、モデルチェンジしなくていい製品もいっぱいあると思うのです。無理して新製品を出し て、広告を打ったり、派手な謳い文句を付けて売り出す必然性は、使い手から見るとなくなっていると思うのです。これだけたくさんの新製品を送り出すこと に、矛盾を感じている人もたくさんいると思うし。だけど企業側は、新製品の大量生産という歯車を止めようとしない。卓さんはどうしてこうなっていると思わ れます? 

佐藤:企業って、やっぱり収益が大事なわけです。

川島:前年比○○%アップみたいなことですよね。その文脈で言えば、四半期決算の結果が問われるようになって、短期的な数字を追う意識が強くなっていると感じます。

佐藤:そうですね。そして短期化していけばいくほど、目の前の数字を上げていくことが目的化してしまうわけです。

川島:それって問題じゃないですか?

佐藤:そうです。だから、いま一度、立ち止まって考える時期なのだと思います。大きな意味で言えば、企業が存在する目的は何なのかを見つめてみるということです。そもそもの存在意義は、金儲けだけなのかと。

川島:そもそもですよね。

佐藤:そう。そもそも経営者の理 念はそうじゃなかったのかもしれない。しかし、組織として動き出してしまうと、いつの間にか、前年比を上げる、四半期決算を順守する、金儲けが目的化して しまったのだと思うのです。しかし、結果的にそれは、世の中を疲弊させてしまう、心を貧しくしてしまうのではないかと、僕はとらえています。

 

 

世の中を引っ張るのは文化で経済は付いてくるもの

 

川島:大企業の中で、疲れて暗い顔をしている方、結構多いと感じます。むちゃぶりな質問ですが、世の中をもう少し豊かにするためには、どうしたらいいと思われます?



佐藤:経済が世の中を引っ張るのではなくて、文化が世の中を引っ張る構造になっていくことが大事ではないでしょうか? 文化が方向を指し示し、経済は後から付いてくるというのが理想だと思うのです。自転車に例えると、前輪が文化で後輪が経済みたいな関わりです。

川島:自転車? なるほど。分かりやすい事例です。

佐藤:「前輪=文化」は進む方向 づけをして、「後輪=経済」は走るためには絶対必要なわけです。だから前輪と後輪、それぞれの存在意義は明快であり、人間が暮らしていくために必須な要素 ではないかと。文化と経済の関わり方がそのようになっていけば、世の中がもう少し豊かになると思うのです。

川島:そうですね。でも、その自転車の例えで言うと、デザインはどこに位置づけられるのでしょうか?

佐藤:前輪と後輪をつなぐ役割になります。

川島:車体でありチェーンであり、肝心かなめなところですね。

佐藤:そうです。さらに付け加えるなら、自転車には、いくつか機能が付いていますよね。例えばギアの段階調整によって、坂道でもスムースに運転できる、子供を乗せても安全にコントロールできる、そういう仕組みまで含め、考えていくのがデザインなわけです。

 

 

良いデザインはコスト低減につながる

 



川島:大事な存在な割には、企業の中で重要視されていない気がするのですが。

佐藤:そうかもしれません。ちょっと高くても、凄く素敵なものだから買いたい、使いたいっていう気持ちは、たくさんの人が持っているもの。そして、そこを担えるのがデザインです。それをうまくすくい上げる製品も、それをつくる企業も、もっと増えていいと思うのです。

川島:そうですよね。良いデザイ ンのものだったら、少し高くても手に入れて、長く愛用したいっていう思いは、暮らしを取り巻くあらゆるものに共通していると感じます。考えてみれば、アッ プルだってそうですし、エルメスなどのラグジュアリーブランドは、その最たる事例かもしれません。だから、企業はお金や手間暇を、もう少しデザインにかけ てほしい。低コストであまり良くないデザインのものを頻発するより、少しコストをかけても良いデザインのものをきちんと出せば、ロングセラーになって、結 果的にはコスト低減につながっていくと思うのです。
 
佐藤:その通りです。






(3)に続く

INTERVIEW: 佐藤卓  第1回 目立たせようと思ったら「下手なデザイン」をすればいいんです

 

目立たせようと思ったら「下手なデザイン」をすればいいんです

佐藤卓デザイン事務所 代表 佐藤卓(1)

 

佐藤卓(さとう・たく)
グラフィックデザイナー
1979年東 京藝術大学デザイン科卒業、1981年同大学院修了、電通を経て、1984年佐藤卓デザイン事務所設立。「ニッカ・ピュアモルト」の商品開発から始まり、 「ロッテ キシリトールガム」「明治おいしい牛乳」などの商品デザイン、「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE」のグラフィックデザイン、「金沢21世紀美術館」「国立科学博物館」「全国高校野球選手権大会」等のシンボルマークを手掛ける。 また、NHK Eテレ「にほんごであそぼ」アートディレクター、「デザインあ」総合指導、21_21 DESIGN SIGHTディレクターを務めるなど 多岐に渡って活動。著書、展覧会も多数。

 



川島:佐藤さんは、ここ5年間、グッドデザイン賞の審査副委員長を務めてこられました。私も審査委員の端くれとして、ご一緒してきたのですが、グッドデザイン賞の対象範囲がどんどん広がっていますよね。プロダクトに限ったものではなく、建築やソフトウエアなども候補に上がる。「デザイン」の定義や範囲が、いまずいぶん広がっているような気がするのですが。

佐藤:思うに、東日本大震災がデザインにとって大きな転換点になったと思います。

川島:東日本大震災が?

佐藤:震災を機に、本当の豊かさとは何か、と誰しもが自問自答するようになった。モノがあふれていれば豊か、おカネを持っていれば豊か――。そんな価値観はそろそろ終わりじゃないかなあ、という感覚は多くの日本人の中にすでにあったと思いますが、震災を経て、はっきり表に出てきた。本来の豊かさは、物質的なものだけじゃない。自分自身の中にどんな豊かさを持っているのか。自分が何を豊かと感じ取れるのか。豊かさの基準が変わろうとしているわけです。となると、人々に豊かさをもたらす手段であるデザインも、変わっていかざるを得ません。

川島:そんな変化の中で、改めてデザインが果たす役割は?

佐藤:デザインとは、“やりたいことをやる”ことではない。“やるべきことをやる”ことだと、僕はとらえています。

川島:“やるべきことをやる”ことがデザイン?

佐藤: デザイナーが“やりたいことをやる”というのは、「デザイナー自身が作りたいものをデザインする」ってこと。対して、デザイナーが“やるべきことをやる”というのは、「人と人を含めた環境をつなぐ」ことです。

川島:「僕のデザイン」、「designed by ○○」って感じで、デザイナーが声高に主張しているデザインってたしかにあります。

佐藤:笑

川島:卓さんは、著名なデザイナーだけど、「俺様のデザインだっ」って打ち出し方、されませんね。

佐藤:デザイナーが“やりたいことをやる”じゃなく“やるべきことをやる”を突き詰めると、ユーザーが限りなく「意識しないデザイン」になっていく。デザインとは、デザイナーが自己主張するものじゃなく、むしろユーザーの無意識と共鳴するような存在だと、僕がとらえているからでしょう。

川島:「人がデザインを意識しなくなる」 ?

佐藤:ええ。これからもっと、「意識させないデザイン」が重要になってきます。20世紀は人間が自分のことばかり考えてきました。21世紀は、動物や植物、地球全体を視野に入れ、共に暮らしていかねば、次の未来はない。そんな時代に、オレがオレがのデザインはふさわしくない。デザイナーも、ただモノのデザインをしていればいいってもんじゃない。

川島:じゃあ、何をすればいいんですか?

佐藤:総体の中で交差点を見つけるということです。

 

 

人とそれを取り巻く環境を、どうつないであげるかがデザイン

 

川島:交差点? どういう意味ですか?

佐藤:僕が、ある企業の新製品のパッケージデザインを依頼されたとします。まず何をするかというと、その企業の理念にはじまり、製品の特徴、競合製品との違い、ビジネスとして目指すところなど、製品に関するあらゆる要素について知ろうとします。

川島:そこまではわかります。優秀なデザイナーはたぶん皆そうするでしょうね。

佐藤:ええ、でも、そこで終わらせたら、ただモノのデザインをするだけに終わります。
一方で、対象となるモノから離れ、今度は今という時代の中で、人々が抱いている価値観、地球環境を取り巻く課題などを、徹底的に調べてみる。最後に、それらを俯瞰して、最適なつなぎ方、つまり「交差点」となるべきところを見つけ、実際につなげるのです。

川島:へえ、面白いですね。でも、その「交差点」、どんな風に見つけるのですか?

佐藤:人とそれを取り巻く環境をどうつなげばいいか、ずーっと考えながら全体を眺めていると、物事を結び付ける線が比較的集まっているところが見えてくるのです。その集まっているところを、必要最低限の範囲で、ちょっとつまんであげて、交差点をひとつ作る――。そんなイメージですね。僕の考えるデザインとは。やり過ぎちゃダメだし、やり足りないと、デザインにならない。ちょうどいいつなぎ方、結節点を創って行くということです。


















川島:となると、デザイナーの仕事とは、今あるものをつなぐということで、新しいものを生み出すことではないのですね。

佐藤:そうです。実際、新しいことなんて何もやっていないですから。

川島:本当にそうなんですか?

佐藤:例えば、僕がデザインを手がけた「明治おいしい牛乳」の場合、中身である牛乳のナチュラルテイスト製法は、クライアントである明治乳業(現・明治)さんがつくったもの。パッケージに用いた紙にしても、文字にしても、色にしても、すべて世の中に既にあったもの。以上を「編集」して、ああいうパッケージデザインにしたのが僕の仕事。ゼロから新しい何かを生み出したわけではないのです。

川島:その「編集」のプロセスが「ちょっとつまんで交差点をつくる」ということなんですね。でも、デザインするって新しいものを作る仕事だ、と思っている人、結構いると思います。

佐藤:デザインの「新しさ」って、「新しい」つなぎ方を見つける、「新しい」仕組みを作るということであって、「新しい」ものを作ることではない。世の中、そんなに「新しい」ものってないわけですから。例えば新しい数式が発見されたとします。でも、それって実は、宇宙の中には既にあって、いわば見つからずに眠っていただけの話でしょう?

川島:言われてみればそうですね。

佐藤:それを、天才数学者がある時、発見するわけです。見つけちゃうわけです。つまり、既にあるのだけれども気づいていなかったものに気づき、指し示すことが「新しい」につながる。これ、デザインにかかわらず、たいていのことがそうじゃないかな。

 

 

自分の個性ではなく、相手の個性を表現してあげること

 

川島:「ちょっとつまんで交差点をつくる」のがデザインの果たす役割とおっしゃいましたが、具体的なデザインワークの中で「これがどんぴしゃ、今できました!」みたいな感覚ってあるのですか?

佐藤:正直言ってないです。ただ、本当にやるべきことがやれると、意識の中から「デザイン」が消えるんです。

川島:「デザイン」が消える?

佐藤:みなさんの生活の身の回りにある大半のものは、目を引くデザインなんか必要ありません。僕はそう思っています。つまり、ごく当たり前のように日々使うものは、デザインが前に出ているのではなく、デザインを意識させない方が、デザインとして優れている。

川島:逆の商品、けっこうありますよね。パッケージが派手で店頭で目立つのだけど、家に置いたらダサくて困る。

佐藤:だから目立たせようと思ったら、「下手なデザイン」をすればいいのです。
川島:スーパーのチラシなんかがそうですよね。派手派手で目立つけれど、デザインとしては決してかっこいいものじゃない。




佐藤:ですから「派手派手」で「下手な」デザインも必要なんですよ。スーパーのチラシなども、見た瞬間に「お、これがセールなのか?」と目に留まらなければいけない。初めて見た瞬間に目に留まる。そして、そこからせいぜい数日間もてばいいデザインなわけです。

川島:中長期にわたって使うことは、想定する必要がないデザインもある、ということですね。ただ、ずっと長く使う商品や、企業のブランドイメージを決定するロゴのようなものは、ただ派手なだけ、つまり「下手なデザイン」では困っちゃいます。

佐藤:もちろんです。確実に、10年持つ、20年持つ、30年持つものでなければならない。その間に、世の中も人の価値観も変わっていくだろうけど、それでもびくともしないデザインが要されるわけです。僕らグラフィックデザイナーは、そのためのスキルを磨き、たとえば0.1㎜単位で目配りして、最適な判断をしていかなくてはならない。そのあたり、いわば職人と一緒。一生高みを目指して鍛え続けなければいけないのです。

川島:例えばロゴをデザインする仕事も、物凄い緻密さが要求されるのでしょうね。

佐藤:そうです。個性をきちんと把握した上で、最適なかたちで表現することが大事で、後はいらない部分を全部取り除いていく。グラフィックデザイナーの仕事とは、自分の個性ではなくて、相手の個性を表現してあげることなのです。

 

 

仕事を頼まれたら、必ず工場まで出かけていく

 

川島:では、相手の個性を把握するために、デザイナーは何をしなければいけないのでしょうか?

佐藤:僕の場合は、さっきお話したように、徹底していろいろなことを調べます。企業の方からたくさんお話をうかがいますし、工場に行ったりもします。その企業の製品は、どんなモノ作りの工程を経ているのか、それを知らないで、デザインをするって失礼な話じゃないですか? だから、必ずモノ作りの現場に行くことにしているのです。

川島:カメラ用レンズなど光学機器で定評のある「シグマ」の企業ロゴも、卓さんが手がけています。当然、まずは工場に行ったわけですね。



佐藤:福島のシグマの工場に足を運んで、物凄く精密な製品を高い精度でつくっている企業であることを実感しました。現場で働く方々にとっては当たり前のことなのですが、僕のような外部の人間から見ると信じられないほど凄いことをやっている。シグマは、とても高性能なレンズと、実にユニークなカメラを作っていて、強い独自性と高い価値を持っています。熱烈なファンがいて、プロからの評価も高い。そこをきっちり表現することが僕の仕事です。シグマの精度、完成度を、企業の顔としてのロゴに反映させなければならないと、深く感じ入りました。

川島:ブランドロゴって大切ですよね。コーポレートアイデンティティーを示すロゴの出来が、社外に向けてのブランディングのみならず、社員のモチベーションを上げることにもなる。

佐藤:そもそもコーポレートアイデンティティーとは、外と内の双方を視野に入れなければならないもの。ロゴが変わる、メッセージが変わることで、企業で働いている方々の意識が変わってくる部分は確実にある。デザインが果たす役割は大きいです。また、シグマのケースが典型ですが、僕の仕事の中には、ある企業のロゴ、ブランドのロゴを見直す仕事がけっこうあります。ロゴをリニューアルする仕事は、その企業の財産の輪郭をはっきりさせる作業でもあります。何年もかかりますし、ロゴができておしまい、ではありません。

川島:シグマ以外にも、ブランドロゴのリニューアルを手がけたケースは?

佐藤:化粧品のポーラグループのオルビスを手がけました。すでに6~7年のおつきあいになります。ロゴも以前のものを微妙に変えているのです。



川島:ロゴのモデルチェンジって、がらっと変えられちゃうと、それまでのお客さんは見捨てられたような気がしちゃいますよね。でも、ブランドイメージは刷新しないといけない。少し変えるというのは、大きく変えるということより、実は難しいのでしょうね。

佐藤:オルビスの場合は、関わった早い段階で、ロゴを変えなければならないと、強く感じました。以前流行っていた書体をそのまま使っていたからです。それで「このままにしておくと、10年後、20年後に、時代遅れの恥ずかしいロゴになってしまいます」と、はっきり申し上げたのです。

 

 

同じ「顔」だけど前よりいい表情になった

 

川島:流行りの書体を使っちゃダメ?

佐藤:流行りを使ったら、絶対、古くなります。「流行り」の次には「廃り」が来ますから。ただ、僕が提案した新しいロゴは、実に少しだけしか変えなかったので、「何でそんな微妙に変える必要があるのか」「ぱっと見で、変わって見えないなら変えない方がいい」といった意見も社内から出てきました。でも、ロゴとは企業の「顔」です。もっとも重要なアイコンです。相手の「顔」が、ある日突然がらっと変わったりしたら、びっくりするじゃないですか。いつもと同じ「顔」だけど、なんだか前よりいい表情になった――そんな提案をしたわけです。

川島:卓さんのデザインはとっても精度が高い感じがするんですけど、一方でここ数年、デザインの世界には「ユルいデザイン」が流行ってますよね。

佐藤:「ユルさ」がその企業やブランドの“らしさ”を表している場合は、「ユルくする」ことが、その企業のデザイン精度を高めることにつながります。つまり、「ユルさの精度を高める」わけですね。

川島:「ユルさの精度を高める」? 

佐藤:例えば「ゆるキャラ」のデザイン。

川島:ああ!

佐藤:もちろん、たくさん登場している「ゆるキャラ」の中でも、精度の高低はあります。例えば「くまモン」は、「ユルさの精度」が高い。プロの仕事です。

川島:じゃ、人気ナンバーワンの「ふなっしー」はどうですか?

佐藤:あれは、ものすごく素人っぽいデザインを「これでいいのだ」とあえて押し出すことを楽しんでいる。「くまモン」の逆ですね。

川島:どっちもあり?

佐藤:ありです。

川島:問題は、それ以外の「ゆるキャラ」が、どっちつかずのデザインで、誰の記憶にも残ってないってコトかな……。

佐藤:そう。「ゆるキャラ」のデザイン問題は、普通の商品のデザイン問題と同じってことです。





(2)に続く