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木曜日, 3月 23, 2017

中国のセックス産業で働く女性は「1千万人以上」

 

中国のセックス産業で働く女性は「1千万人以上」

 



少なくとも1000万人の女性が中国の違法セックス産業で働いていると、中国の社会問題をテーマにした小説の著者が試算している。ベルギーの人口に匹敵する数の女性がセックス産業に従事していることになる。


小説「Lotus(ロータス)」の著者の張麗佳(Lijia Zhang)は、自身の試算は国連による試算の400~600万人を大きく超えていると語る。張の小説では、急成長する広東省深セン市のセックス産業で働く女性が主人公となっている。


張によると、この小説を書き上げるのには12年の歳月を要した。理由の1つはセックスワーカーがなかなか口を開いてくれないことだ。情報を収集するにあたり、売春婦にコンドームを配布するNGOでボランティア活動も行ったという。
張は3月18日、上海で外国人記者クラブが主催したイベントで小説について語り、およそ100人が集まった。


セックス産業で働く女性のほとんどが高収入を求めてこの仕事を始めている。若い女性が多いと思われがちだが、張がインタビューした中には65歳の女性もいたという。中国では平均収入が上昇し、セックス産業での需要も増えている。女性らにとって最大のリスクは、暴力被害や金品の強奪、さらに性感染症への感染だという。

張は中国で育ったが現在は外国のパスポートを所有している。今回の小説を書いた背景には、自身の祖母が売春婦だったこともあるという。彼女の祖母は常連客だった祖父の愛人として囲われ、のちに祖父が最初の妻と分かれて一緒になった。祖父母の過去を知ったのは、祖母の死期が迫った時だったという。中国の急速な経済発展の裏側には、数多くの過酷な人間ドラマが眠っている。 







 

Sex, love, culture and leftist issues (Part 3)

火曜日, 2月 28, 2017

城ヶ野修啓 × 穂村 弘 |ZIP / UNZIP





圧縮された「伝える」が、「伝わる」状態で解凍される。

そのコミュニケーション技術に、まだ名前は存在しない。











 NOBUHIRO JOGANO
城ヶ野修啓
 ソニークリエイティブセンター
アートディレクター
 ×
 HIROSHI HOMURA
穂村 弘
歌人





ソニーというブランドからなにを想起するか」と
街ゆく人に尋ねたならば、おそらく100人が100人、
自分とソニーにまつわる「個別の物語」を語りはじめることだろう。

創業から70年を数え、社会に敷衍し、人々の無意識に棲息する
存在となったソニー。しかしそのブランディングは、簡単なようでいて
思いのほか難しい。毎度緻密なチューニングを施さなければ、
伝えたい」ことが「伝わらない」からだ。
城ヶ野修啓は、その難儀な作業を担うメンバーのひとりである。

日々、コミュニケーションの深淵さと向き合っているその城ヶ野が、
どうしても会ってみたかった人物がいるという。歌人の穂村弘だ。
たった31文字の短歌に、めくるめく感情を圧縮してみせる
超ウィザード級の言葉の使い手から、城ヶ野はいかなる術を授かったのか。





2016年12月。歌人・穂村弘は、久方ぶりに銀座ソニービルを訪れていた。折しもビル内は、ソニー創業70周年、ソニービル開館50周年を記念した「It’s a Sony展」で賑わっていたが、その会場ディレクションを務めたのが、これから対話をする城ヶ野修啓(ソニークリエイティブセンター)であることを、このときまだ穂村は知らない。 エレベーターで7階まで上がると、穂村は、盛田昭夫がこよなく愛したという「応接室」へ通された。穂村と城ヶ野の対話は、一字しか違わないものの、その実まったく異なる2つの言葉、「伝える」と「伝わる」についてから始まった。





〇・五秒のコミュニケーション


穂村弘(以下穂村伝える、伝わる」という題で反射的に思い浮かべたのは、以前、小説家の三浦しをんさんと公開対談をしたときのことです。そのときのテーマについて、いろいろ調べてきたし、聴衆にもしっかり伝えようと思ってがんばってたくさん喋ったのですが、後半になってだんだん疲れてきて、AKB48のことを思わず「エーケーベー」って言っちゃったんです。そうしたら客席がメチャメチャ喜んで。サラッと流して次の本題に行こうとしても、笑いが収まらず、ずっと「べー」べー」という囁きが止まない。
事前にいろいろ予習して、たくさん喋ったのに、あの日のお客さんはぼくが「エーケーベー」の人だってことをもち帰っちゃったと思うんです。
そのとき、伝えようとしたことと伝わったことのギャップに、恐ろしさを覚えました。そんなこと、予測なんてできないし。



穂村 弘 | Hiroshi Homura 

1962年北海道生まれ。歌人。短歌のほかに詩、評論、エッセイ、絵本、翻訳などを手掛ける。歌集に『シンジケート』『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』『ラインマーカーズ』。詩集に『求愛瞳孔反射』。エッセイ集に『世界音痴』『もうおうちへかえりましょう』『現実入門』『本当はちがうんだ日記』『にょっ記』『もしもし、運命の人ですか。』『絶叫委員会』『鳥肌が』『短歌の友人』『はじめての短歌』など。『短歌の友人』で第19回伊藤整文学賞受賞、『楽しい一日』で第44回短歌研究賞受賞、『あかにんじゃ』(絵・木内達朗)で第4回ようちえん絵本大賞特別賞、石井陽子とのコラボレーション『「火よ、さわれるの」』でアルス・エレクトロニカ・インタラクティブアート部門栄誉賞を受賞。




別の講演会のときは、終わってから評判が気になって検索してみたんです。その日は、講演だからと張り切って新品のシャツを着ていったのですが、折り目がついていたらしいんですよ。なので、シャツがおろしたてだった」っていう意見がいっぱい出てきて(笑、これまた、予期せぬことが伝わったんだなって驚きました。


城ヶ野修啓(以下城ヶ野お客さまって、こちらの意図と違うところを拾いますよね。ぼくは普段、ヴィジュアルでお客さまとコミュニケーションを取っているのですが、穂村さんの『はじめての短歌』の冒頭にある「〇・五秒のコミュニケーションが発動する」を読んで、すごく共感したんです。
空き巣でも入ったのかと思うほどわたしの部屋はそういう状態
平岡あみさんという当時中学生だった女の子の歌を取り上げ、穂村さんは次のように「改悪」してみせましたよね。
空き巣でも入ったのかと思うほどわたしの部屋は散らかっている

もしビジネス文書なら、誤読が起きようのない「改悪例」の方がいいわけだけれど、短歌としてみると、散らかっている」じゃなくて「そういう状態」とした方が、えっ、どういう状態?」となって、0.5秒くらい考える。その一瞬考えることが、コミュニケーションなんですと仰っていたことに、唸らされたんです。

散らかっている」という言葉はラベルだから、それをぺたりと貼られると、心が動かない。だけど「そういう状態」というのは明確なラベルじゃないから「え、そういう状態って?」という心が発動する。

そう書かれているのを読んで、ぼくたちが普段やっているコミュニケーションに必要なことは、これなんじゃないかと思ったんです。




城ヶ野修啓 | Nobuhiro Jogano

1977年鹿児島県生まれ。ソニークリエイティブセンター アートディレクター。2000年東京理科大学理工学部建築学科を卒業後、ドローイングアンドマニュアルを経て、08年にソニーへ入社。グローバルブランドメッセージのモーショングラフィック制作、製品・サーヴィスのロゴやプロモーション映像などのコミュニケーションデザインを担当。直近では、新規事業創出プログラム(Seed Acceleration Program)の立ち上げに参画し、クラウドファンディングとEコマースを兼ね備えたウェブサイトFirst Flightのアートディレクションを手掛け、また、銀座ソニーパークプロジェクトではソニービルのリニューアル計画策定、イヴェントの企画・実行に携わっている。


ぼくはデザイナーとかクリエイターとか呼ばれますが、会社に所属しているビジネスマンでもあります。
ソニーは、おもしろいことをやってくれる会社だと思いながらも、一方では、売上げを立てなければいけないという普通の会社的な部分も当然ある。そのなかで、お客さまの人生にどう伝わるものをつくれるか、ということをやりながら、同時に、売上げも立つように伝えていかなければいけない、というせめぎ合いが毎回あるんです。

穂村さんが歌われている短歌って、そういう世俗の世界とは乖離しながらも、読者にどう残していくか、ということを常日頃からやっているのだなと、改めて知りました。
普段歌を詠まれる際には、どういった方を想定して創作されているのでしょうか?

穂村 小説に代表される散文と、ぼくが書いているような詩歌韻文には、若干違いがある気がしています。散文は、一応読者のイメージはあると思うんです。でも、詩を書く人は多分、一義的にはそういう対象イメージをもっていない人が多いですね。
もっている場合も「死んでしまった恋人」とか、なんというか生身の読者ではないイメージなんですよ。極端にいうと神さま。歌や詩というのは、元々、雨乞いとか国褒めとか呪術的なところが発祥だから。普通の散文が水平方向の読者に向かって書かれるとすると、もっと垂直に向かって、お祈りみたいなイメージで書かれることが多いと思います。




ブランドってお客さまのなかにある信頼なので、その信頼をどうかたちづくっていくかという進行形が、ブランディングなのだと思います。だから、こちらの都合で無理矢理ストーリーをつくってしまうと、穂村さんのような鋭い人には違和感をもたれてしまうんです」城ヶ野)



お客さまは神さまなのか?


城ヶ野 ぼくらの仕事ではよく、この製品のターゲットとなるペルソナは、こういう方たちなので」といったマーケティングによって、コピーやヴィジュアルの筋道ができあがっていくのですが、ぼくはあんまりペルソナって信じていなんです。
実際に会ったことがないし、想像してもどこかボンヤリとしてしまいます。なので、自分の身の回りにいる特定の個人を想起して、その人だったらこの製品をどう受け止めるだろうか、どうしたら伝わるだろうか、という風に考えています。それが同僚の場合もありますし、妻の場合もありますし、あとはデジタルとかインターネットとかに触れていない、うちの親を想像する場合もあります。生っぽいといえるかもしれません。

ぼくたちはいま、インターネット経由でさまざまな情報にアクセスして、それで知った気になっていますが、自分のキャラをよく知っている友人や相方が、ぼくが発していない言葉を汲み取ってなにかを提示してくれた方が、よっぽど腑に落ちることがたびたびあるんです。

それを反転すると、ぼくらがなにかを伝えなきゃいけない側にいるのだとすれば、腑に落ちさせるには、言葉じゃないところの表情を常に探っていかなきゃいけないなって思うんです。それがなにかを見つけるのが、いつもすごく難しいのですが。




穂村 ユーザーの意識って、昔より厳しくなっているって感じがしませんか? というのも、本の献辞ってありますよね。○○へ」とか。あれを本に入れたことがあって、そうしたら読者から「これは『○○へ』って書いてあるから、なんでこんな本をお金出してわたしが買わなきゃいけないんだ」っていう感想をもらったんです。その感覚って、昔はなかった。

いまのお客さんって全能感が強くて、つまり極端なことをいうと、○○へ」の「○○」に自分の名前がないと違和感を覚えてしまう。

だから、たとえば死んだ恋人の名前を作者が書くと、それがロマンティックで「きっとこの本はいいはずだ」という発想ではなくて、じゃあ死んだ恋人が読めばいいじゃん、わたしは買わないよ」っていう。そのときも、ぼくは恐怖を覚えましたね。

こういう抑圧のなかでは、意外性のある発想なんて出てこないですからね。詩や短歌は、死者とか未来人とか異星人とか、とても遠い、普通では届かない人に向かってつくったものがやっぱりいいって思うのだけれど、その良さが、昔より伝わりにくいというのが現状だと思います。

城ヶ野 仰る通り最近のお客さまは、こちらの思いが強すぎると「これは自分に関係ない」ってすぐに判断されてしまうので、なるべく、自分で情報を得た」という感覚をもってもらうように心がけています。

ソニーには、とんでもなく優秀なエンジニアがたくさんいるのですが、彼らインハウスの人たちの強い思いをぼくらが受け、その鉾先がそのままお客さまに向かないように、ちょっとずらすという作業をしているんです。

こちらの「伝えよう」という意識を出し過ぎず、余白を大事にするというか。ブランディングの仕事だったりすると、お客さまの捉え方の幅やおもしろいと思ってくれる範囲が非常に広いので、なるべくその余白を残しながら伝えたいと、最近は感じています。





圧縮と解凍

城ヶ野 短歌や詩は、文字数というかデータ量が圧倒的に少ないですよね。
でも、それに比例して情報量が少ないわけでは決してありません。
短歌や詩では、どういうプロセスで情報の圧縮をしているでしょうか?

穂村 普通の散文的情報が「言葉の足し算」だとすると、詩歌はかけ算のイメージです。
たとえば俳句なんてすごく短いけれど、季語×なんとか×なんとか、という数文字で、膨大な情報量になるわけです。
ただ、足し算よりかけ算の方が難しいように、読む側からすると、負荷がかかっちゃうんですよね。だから、そのハードルを超えてくれる人にしか情報が手渡せないというジレンマがあります。

ぼくはよく比喩で、圧縮と解凍という言い方をするけれど、受け手側に解凍ソフトがないと、圧縮された情報をいくら開こうとしても開けないんです。それがまさに、詩歌のハードルです。


穂村と城ヶ野の対話は、途中から応接室を飛び出し、
「It’s a Sony展」を巡りながら続けられた。
城ヶ野 その解凍できない人って、ぼくも含めて結構いるわけじゃないですか。それはそれでいいかな、という感覚なのですか?

穂村 いえ、いつも絶望しています(笑
椎名林檎の歌詞って、すごく難しいでしょ? だけど、彼女の声や表情やパフォーマンスを一緒に見ると、すごく入ってきますよね。歌詞カードだけ見たら「こんなの絶対わからないよ」って思うのに、あの表情や声で聴くと、何十万、何百万の人が共感するわけですから。

マンガだって、ジョジョの奇妙な冒険』とか『ハンター×ハンター』とか、どれだけ高度なことやっているんだって思います。膨大な情報量なのに、みんな喜んで読むでしょ。彼らがやっていることも絵と言葉によるかけ算だと思うんです。でも、それがハードルとして意識されずに、すごくポピュラリティがある。だから、マンガや音楽に対する憧れと嫉妬はすごいですよ(笑。短歌なんて、書いても誰にも相手にされませんから。その絶望感ってやっぱりある。

Twitterが出てきたとき、あれを31文字設定にしてくれていれば、短歌を強制的に書かされる世界になっていたわけですよね。いきなり全員が歌人。31文字でなにかを伝えろと言われたら、強制的に圧縮と解凍を訓練することになるから、みんな、短歌が作れて読めるようになっていたはずです。実に惜しかった(笑




城ヶ野 確かに(笑
でもその場合の圧縮と解凍の方式というは、穂村さんのオリジナルなんですか? 

それとも、ジャンルに共通するプロトコルみたいなものがあるのでしょうか?

穂村 ある程度は共通しています。マンガをどうやって解凍しているのか人と付き合わせたりはしませんが、昔、母親から「マンガって文字から読むのかい? 絵から見るのかい?」って言われて、あっ、これが解凍ソフトがない人の世界の見え方なんだ」って思ったことがあります。

もちろん、ぼくらはどっちから読むかなんて意識しませんよね。子どものころから無意識のうちに解凍ソフトを仕込まれているので。おそらくうちの親とか日本のマンガに慣れていない外国の人は、ジョジョ』や『ハンター×ハンター』なんて高度すぎて読めないですよ。

城ヶ野 そこを毎回悩むんです。解凍ソフトをもっていないお客さまに対して、解凍ソフト付きで渡しちゃうと、なんの情緒もなくなってしまうことがものすごく多い。
解凍ソフトって、ぼくらの場合だと説明文だったりするのですが、それがエクスキューズのように付いてしまうと、元々もっていたよさが消えてしまう。そのバランスは常に悩みながらやっています。伝わらなくてもいいんだ」って思いつつ、半分は伝えたいって。

なので最近は、すべてをいっぺんに伝えるのを諦めているというか、やらないようにしています。それを意識しないと、無理矢理伝えようとしたり、相手が呑み込む前に全部伝えようという姿勢になってしまうので、ちょっと足りないくらいの情報で、えっ、どういうこと?」って訊いてもらえるような、それがコミュニケーションの始まりかなと思うんです。




人それぞれのウォークマン体験

城ヶ野 あるとき、いろいろ資料をつくらなきゃいけないことがあって、過去の資料をさんざん探し回ったんです。そのなかにウォークマンを発表した当時のアメリカの雑誌『ピープル』があって、ニューヨークのワシントンスクエアかどこかで、盛田昭夫がウォークマンを聴きながら踊っている写真が掲載されていました。それを見たとき、あっ、これがウォークマンだ」って思ったんです。


ぼくが持っていたウォークマン2は、これかな」穂村)
人によって、ウォークマンといえばプロダクトかもしれないし、街中をダンスホールにした存在かもしれないし、サルのCMかもしれないけれど、まわりの誰も体験していないことを真っ先に愉しんで笑顔で踊っている姿こそがウォークマンだなって。

その体験があったので、1年ほど前に創業70周年を記念するビデオをつくったときも、歴代の代表的な商品を露出していくより、各世代の人が真っ先に体験した表情を切り取る方がソニーっていうものを感じてくれるのではという思いをもって、映像を仕上げたんです。

穂村 確かに、ウォークマンには世代それぞれの思い入れがあると思います。ぼくがはじめて買ったのは「ウォークマン2」で、まだ学生でしたが、世界の見え方が変わる感覚をもちました。
そのとき、これってもしかしたら禁止されるかも」って思ったんです。
一種の危険物というか、全員がこれを体験したら、よくわからないけどいろいろなことが変わっちゃうから、いまのうちに聴いておかないと禁止される可能性があるって感じたんですよね。

城ヶ野 穂村さんの感性は、やっぱり尋常ではないですね(笑








城ヶ野が中心となって制作された、創業70周年記念ビデオ。「ソニーの歴史。それは、ただプロダクトを作ってきた歴史ではない。」というメッセージから始まる。

 

 

ソニービル、公園になる

城ヶ野 いまぼくらがいるソニービルは、2016年に開業50周年を迎えました。
そして、2017年4月から現ビルの解体が始まり、2022年に新しいビルへと生まれ変わります。ただ、いきなり「壊します」といって囲いがなされ、それがあるときパカッと取れたら新しいビルができあがっていた、という今日的なスクラップ&ビルドをなぞるだけだと、あまりにもつまらないというか殺伐としているので、2018年夏から20年秋までの約2年間、ここを街の余白にするべく、銀座ソニーパークプロジェクト」と題して公園にすることにしたんです。

その一環として、ソニーが歩んできた70年の歴史を振り返る「It’s a Sony展」を開催しています。この2つのプロジェクトに、ぼくも深く関わらせていただいています。

ぼくらの商品ってなんだったんだろうって思いながらSNSでのみなさんの反応をみていると、この商品すごかったね」というより、先程の穂村さんのウォークマン2のお話のように、修学旅行のときに見栄を張ってこのウォークマンを小遣いで買った」とか、自分の思い出をリマインドするかのように発信している人がいっぱいいました。
そういった意味では、お客さまのなかにあるソニー」というものを、引き出せたのかなって。




穂村 この場所が公園になるのはインパクトがありますね。そういう感覚って、どんどんなくなっていきますよね。
短歌の本って、本のなかに余白が多いじゃないですか。
すると、コスパが悪い」って言われるんですよ。文字数あたりの値段が高いって。
コスパの、コストもパフォーマンスも、すごく意味が限定されちゃっているわけですよね。
元々日本には、そうではない感性が強くあったはずです。文字が少ないことの凄みとか余白の美とか、あるいはそれゆえの再読性とか音読性とか暗誦性とか、そういう伝わりづらい要素を価値として捉える感覚があったはずです。でもいまは、コスパという言葉に代表される価値の一元化によって、それがとても伝わりにくい。

城ヶ野 そうした状況に、穂村さんは抗おうとされているのでしょうか? 
それとも時代の趨勢として、受け入れていくというか、流されていかざるを得ないのでしょうか?

穂村 自分のなかに、せめぎ合いがありますよね。
あるリアルな風景を見ていても、退屈してクリックとかしたくなる(笑 
別のウィンドウ開けないのかな」って。
でも、うちの父なんかには、そもそもウィンドウとかクリックとかいう概念がないので、たとえば一緒に山に登っていても、見えている風景が全然違うんですよね。

短歌には叙景歌というジャンルがあって、風景や自然物を歌った古典和歌がいっぱいあるわけです。そういう昔の人たちの感覚に、われわれは全然敵わない。
景色と一体化する力はどんどん弱くなっていて、クリックどころか電灯ができただけで、たとえばホタルの光を歌に詠む力が失われていくわけです。
明かりというものが太陽と月と星と炎しかなかった時代のホタルの短歌は鮮烈です。
でもわれわれはもっとすごい人工の明かりをたくさん知っているから、ホタルがいくら天然モノですごいと頭の中で補正しても、本当には没入しきれないんですよね。

城ヶ野 時代性という意味でいうと、いまの時代のホタル」のようなものを、圧縮して歌に込める必要があると感じていますか?

穂村 ひとつには、風景をクリックしたくなる」っていう倒錯した感受性そのものを残すということがあります。それを快楽として感じてしまうっていう時代的の感性の記録みたいな意味合いで。

もうひとつは、そうはいっても変わらない不如意もあるわけです。
たとえばどんなに高性能なスマホでも、死者に電話はかけられない。これは、昔と変わらないわけです。死んだ人のことを歌ったものを挽歌といいますが、それを歌うときの立場は、いまも昔も変わらない。

昔は、都と東国ではめちゃ遠いわけです。おそらくいまの海外よりも。
見たことのない鳥が飛んでいて、地元の船頭さんに「あれはなんていう鳥か」と訊くと、都鳥」だという。そこで「都鳥っていう名前なら、お前、都に置いてきたわたしの妻や子どもが元気か教えてくれ」みたいな意味合いの短歌が生まれるけど、ぼくらはスマホや新幹線があるので、違う感性になっていく。それを残す意味もあると思っています。

城ヶ野 都鳥的な感覚を普段から残しておくのは、なかなか意識しても難しいですよね。
どんどん便利な世の中になっていくわけですから。知識として「知る」ことは容易になったと思うのですが、実感すること」ってものすごく大変になってきていると思うんです。

ぼくはど田舎の出身なのですが、たとえば田植えしたての田んぼに入ると、山から入ってきた水がすごく冷たいんです。でも水面から5㎝下の泥は、太陽の光を受けているので温かいんです。そういう複合的な実感というか感覚を街中で体験するのって、この時代ではとても難しいのですが、見えなくなってしまったそういう部分をテクノロジーやコミュニケーションを使って掘っていけば、都会の真ん中もおもしろくなるのではないかという予感がするんです。





穂村 そういう体験や感覚があって、しかも、こんな都会でこんな仕事をしているというギャップは、すごい財産なんじゃないですか。そこをどんな風に往還できるかで、その「見えなくなってしまった部分」を見つけ、その人らしく創作できるような気がします。

年上の人と話をしていると、戦後初めて砂糖を食べたときに「白いなぁって思った」とか言われて、圧倒されるわけです。
そんな体験をぼくらはしていないから、下の世代には冗談で、昔のコンビニのおにぎりはつくりづらくて、海苔とごはんを合体させるやり方もバラバラで混乱したものだよ。
いまや一種類に統一され、かつ簡単になったから、その苦労はキミらにはわからないだろう」って言ってみたり。
あと、キミらは生まれたときからコンビニにハーゲンダッツがあったらしいじゃないか。ぼくらは、あれを食べるために炎天下に並んでね…」みたいな。
ギヴミーチョコレートの体験は、実はどの世代にもあるわけですからね。

城ヶ野 穂村さんは、そうして「ギヴミーチョコレート」と「ハーゲンダッツ」を並列して捉えられますが、多くの人は、その感覚センサーをもち合わせていません。
仰る通り、いまの人にも「世代ならではの体験」ってほぼ均等にあるはずなので、ぼくとしてはなるべくギアをニュートラルにして、彼らのギヴミーチョコレートはなんなのかを見つけていけたらいいなと。

そうやってユーザーがもっている感覚とか経験値というものを信じながら、こちら側の度量が試されるということになるのかなと。
あえて間とか余白をもったうえで、伝える。提示する。その腹づもりが、今日穂村さんのお話をお訊きしていてできた気がします。

穂村 たとえばフィギュアスケートの中継を見ていると、解説者が「トリプルルッツ」とか「トリプルトウループ」とか言うけれど、ぼくらにはその差異はよくわかりませんよね。でも、すごさは直感的にわかる。つまり技術が高度化しても、ど素人にもわかる。

でも、短歌とか詩が厳しいのは、かけ算を高度化していくと、どんどんわからなくなってしまうことなんです。

みんなにわかるのは、飲み屋のトイレにかかっている人生訓みたいな1×1のもの。
高度化すればするほど伝わらないというのは、ジャンル的な欠陥なんじゃないかとすら思います。

ブランディングについては、そこまで確信をもっていえないけれど、全部の情報が落とし込めたときは、そのよさが直感でわかるはずだと思います。
ひと目にて腑に落ちるというか。うらやましいなぁ(笑

城ヶ野 そんな(笑
確かに最初のとっかかりは、直感的な方が引っかかってくれると思います。
なので、短歌のメタファーでいうと、あるブランドができあがって発表した瞬間には、5・7・5・7・7という全部のセンテンスが揃っていなくてもいいのかなと。
最初の「5」以降は、ぼくらだけではなく、使ってくれるお客さまたちと一緒に、次の言葉、さらにその次の言葉…と組み上げていくことが重要なのではないかと思います。

それこそウォークマンは爆発的にヒットしましたが、実はその前にプレスマンというものがあって、技術的にはそこで完成していたんです。いまでいうICレコーダー的なものです。井深大が機内できれいな音で音楽が聴けるモノをつくって欲しいというリクエストから、プレスマンから録音機能を省きステレオの再生に特化したものとしてウォークマンが誕生しました。
機能的にはちょっと欠けているものを世の中に提示することで、人々が自分たちなりの使い方とか感じ方を吸収し、次に活かしていく。
それが、ブランディングの根幹なのかもしれないと、改めて確信しました。

穂村 ウォークマンは、オックスフォード英語辞典』にも載っているくらいの一般名称だから、ある意味ブランディングの最上位系ですよね。

城ヶ野 確かに! これから携わっていく新しいブランドがそこまでなれたら、名誉以外のなにものでもありません。




銀座ソニービルにて2月12日まで開催予定の「It’s a Sony」展(Part-1)では、歴代のプロダクトはもちろん、当時の新聞広告やノヴェルティなども展示されている。Part-2では展示内容を変えて、ソニービル閉館の3月31日まで開催。http://www.sonybuilding.jp/ginzasonypark/event/











木曜日, 2月 16, 2017

「アート・オブ・デザイン」|Netflix

 

世界最高のデザイナーたちの思考に迫る! Netflix最新ドキュメンタリー「アート・オブ・デザイン」



Netflixのドキュメンタリー作品「アート・オブ・デザイン」が2月10日より配信されている。世界最高峰のデザイナーたちが作品をつくり上げるプロセスをひも解くことで、ぼくらは世界を見る目をアップデートできるのかもしれない。





デザインは、難解な芸術作品ではない。ウェブサイトはひとりでに立ち上がるわけではないし、文字組みの調整も、都市設計も、勝手にでき上がるわけではなく、すべては人間の仕事だ。

2月10日から配信が始まったNetflixの新しいドキュメンタリーシリーズ「アート・オブ・デザイン」(原題:Abstract: The Art of Design)は、すでにそこにある、デザインされた世界だけを見せるわけではない。それがどのようにしてでき上がったのかを、人々に見せてくれる。

まず最初に、あることをはっきりさせておこう──この番組には『WIRED』がかなり密接に絡んでいる。番組のエグゼクティヴプロデューサーと司会を務めているのは、『WIRED』US版元編集長、スコット・ダディッチだ。番組で取り上げられる人物のうち、2人は以前『WIRED』へ寄稿したことがあるし、ほかの2人は記事に登場したことがある。
変な話だろうか? そうかもしれない。しかし、『WIRED』は過去25年間、デザインに(誌面づくりのうえでも、扱う記事のテーマとしても)重きを置いてきた。ちなみにここでいうデザインとは、裕福な人々が所有する製品の高級さ、ということとは違う。「アート・オブ・デザイン」の試みと同様に、われわれはデザインを「思考の手段」としてとらえようとしてきたのだ。

Netflixの人気作品「シェフのテーブル」と同じく、「アート・オブ・デザイン」はクリエイターの生活とアイデアに焦点を当て、着想が現実のものになるまでの努力の裏にあるドラマを引き出している。

全8回シリーズの本作は、1話につきひとりの人物──

クリストフ・ニーマン(イラストレーター)、
ポーラ・シェア(グラフィックデザイナー)、
プラトン(写真家)、
ティンカー・ハットフィールド(シューズデザイナー)、
ビャルケ・インゲルス(建築家)、
イルス クロフォード(インテリアデザイナー)、
ラルフ・ジル(カーデザイナー)、
エス・デブリン(ステージデザイナー)

──にスポットを当て、彼らの日々の生活や抱えている不安、時折みせる強がりなどを詳細にとらえている。

「これは、世界最高峰のデザイナーたちの心のなかに入って、彼らの創作過程を誠実に、そして赤裸々に暴くことで、わたしたちの身の回りの世界がどのようにかたちづくられているのかということを示す番組です」。
番組を手がけた製作会社、ラディカル・メディアのエグゼクティヴプロデューサー、デイヴ・オコナーはそう語る。

10年前に公開されたゲイリー・ハストウィットの大ヒットドキュメンタリー映画『Helvetica』は、フォントについての作品だった。

その後ハストウィットが発表した『Objectified』と『Urbanized』は、デザインのストーリーに再び火をつけることになった。デザインはいま、語るべき話題なのだ。「デザインとは突き詰めれば、人間の好奇心を構成する、最も根本的な要素であるといえるのかもしれません」とダディッチは言う。

見どころのシーンでは(この番組にはたくさんの見どころがあるが)、まだ見ぬ映像をワクワクしながら観るときのように、あるいはYouTubeで関連動画を次々と観ているときのように、視聴者の好奇心を満たしてくれる。完成された作品の難解さに切り込み、それを説明し尽くすとはいかないまでも、なぜそのデザインに魅力を感じるのか、あるいはなぜそれらの作品がうまく機能しているのかを理解する手助けをしてくれる。

しかしこの番組が優れているのは、作品そのものについて語るのと同じくらい、それをつくるデザイナーについても語っていることだ。

作品のなかに、クロフォードが、航空会社キャセイパシフィックの豪華な空港ラウンジの素材について説明する場面がある。「通路の床材に使用した石灰石は比較的安価な素材ですが、これによって壁に用いた翡翠色の縞瑪瑙(シマメノウ)の高級感と釣り合いが取れるんです」と彼女は言う。素朴な木のテーブルは、柔らかなモヘアのヴェルヴェットで上張りされた椅子を引き立てる、と。

上品な人々が、高尚な美意識について語っているだけだと思うだろうか? だがクロフォードは、デザインは表面的な美しさ以上の問題なのだと主張する。

「ラウンジに足を踏み入れたときに感じる気持ちについて、なぜそのように感じるのかという理由を人々は知りません」と彼女は言う。

「しかし実際には、それは前もって周到に準備されたものなのです」

デザインの背後にある意図を理解したからといって、必ずしも身の回りにあるものに対する感じ方が変わるわけではないだろう。だが、あなたに世界がどう見えるかは、変わるかもしれない。


TEXT BY LIZ STINSON

WIRED (US)

金曜日, 1月 06, 2017

大成功した人たちが毎朝している7つのこと

 

大成功した人たちが

毎朝7:30前にしている

7つのこと

 

成功を収めた人たちは、それぞれに異なる背景を負っている。
だが、こうした人たちの全てには、共通している点がある。
それは、他の人たちが打ち砕けない障壁だと思うようなことも、
受け入れるべき課題、克服すべき障害だと受け止める点だ。



否定的な考えを捨て去る能力を持った彼らは、苦境に直面しても自信を失わない。既存の概念に捉われずに物事を考え、不本意でも取り組み、自分の限界を超えることができる。

そして、これらの実現は毎朝の習慣から始まる。

非常に大きな成功を収めた人たちは、朝起きるとすぐに、次の7つのことを実践しているという。




1. レモン水を飲む


朝起きてすぐに飲むレモン水は、心身の活力を急速に高めてくれる。胃からの栄養の吸収を良くしてくれるため、一日中安定したエネルギーレベルを維持することができる。

最大の効果を得るためには、空腹の状態で飲み、15~30分待ってから朝食を取る必要がある(運動をするのに最適な時間だ)。

レモンには、カリウムやビタミンC、抗酸化物質など、必要な栄養素がたっぷり含まれている。






2. 運動をする


英ヴァージン・グループのリチャード・ブランソン会長やアップルのティム・クック最高経営責任者(CEO)、ウォルト・ディズニーのボブ・アイガー会長兼CEOなどは、運動するために午前6時よりずっと早く起床する。
こうした習慣が効果的であることは、過去の研究結果からも示されている。

カナダ・オンタリオ州の研究機関が行った調査によれば、週2回の運動を10週間継続した人は、社会・学問・運動の全ての面で能力が高まったことを実感できたという。

また、英ブリストル大学の調査では、毎日運動している人はエネルギーレベルが高く、先行きに関して前向きな考え方を持っていることが分かった。

この2つの点は、物事を成し遂げるのに欠かせないものだ。






3. 切り離す


スターバックスのハワード・シュルツCEOは従業員たちに向けて毎朝、やる気を起こさせるようなメッセージを送る。

その後は少し仕事から離れ、運動をしたり、家族と過ごすための時間を取ったりする。

目が覚めて最初に(送信するだけでなく)メールやフェイスブックをチェックしたり、やり取りをし始めたりしてしまうと、午前中の時間が全て他人の要望やニーズに応じることに取られてしまう可能性が大幅に高まる。





その日一日が落ち着いた、そして前向きなものになるように方向付けるため、何かリラックスできるようなことをして貴重な一日の始まりの時間を過ごすことは、非常に健康的なことだ。




4. 健康的な朝食を取る


朝食を取る習慣がある人は、血糖値が安定し、日中に空腹感を感じることが減るため、肥満になる可能性が低いとされる。

これは、何を食べるかに関わらず、朝食を取っている人を対象にした調査結果だ。

「健康的な」ものを食べるようにすれば、その日が生産的なものになる可能性はさらに大きく高まるだろう。

健康的な朝食はエネルギーを補給できるだけでなく、短期記憶力を向上させ、長時間にわたって集中力を大幅に高めてくれる。







5. マインドフルネスを実行する


大きな成功を収めているCEOたちの間では、マインドフルネスのための瞑想の人気がますます高まっている。ビジネスの世界で人気を得ているのは主に、生産性の向上と心身の健康促進に非常に効果的であるためだ。

研究結果によれば、マインドフルであることは闘争・逃走反応を大幅に抑制してストレスへの抵抗力を高め、集中力を引き上げ、創造性を高める。さらに、心の知能指数(EQ)も高めてくれる。





6. 一日の目標を決める


米建国の父の一人ベンジャミン・フランクリンには、その日の計画は綿密に立てなくてはいけないという強迫観念があったようだ。
毎朝午前4時に起床し、一日の予定を細かく立てていた。
堅実な目標を設定することには効果がある。

できる限り慎重にその日の計画を立てることで、目標を実現できる可能性は大幅に高まるのだ。

筆者はマインドフルネスのための時間を取った後で、その日の予定を立てることにしている。
より落ち着いた、明晰な状態でこれを行うことによって、より効果的で詳細な目標を設定することができるからだ。








7. 「ノー」という


私たちの貴重な朝の時間を守るために、「ノー」と言うことは効果的だ。

断るべきときは、「できると思わない」「確信がない」といった表現は避け「ノー」と言うこと。

新たに任されたことに対して「ノー」と言うことは、今行っていることを大切にするということだ。

カリフォルニア大学サンフランシスコ校の調査によれば、断るのが難しいと思う人ほど、ストレスを多く抱えており、燃え尽きたり、うつになったりする人が多いことが分かっている。

















7 Things Wildly Successful People Do Before 7:30 a.m.

http://www.forbes.com/sites/travisbradberry/2016/10/18/7-things-wildly-successful-people-do-before-730-am/#150914543916

水曜日, 10月 19, 2016

The Life of a Bolt 1本のボルトができるまで|RedBull Racing

 

F1エンジニアたちの徹底した拘りから1本のボルトができるまで

 

 


F1の世界におけるエンジニアは細部にまで拘ることで知られている。
しかし、実際にどれほどの拘りを持っているのだろうか? 




それは、レッドブル・レーシングが制作したビデオが教えてくれる。映像からは、最も小さなパーツの1つであるボルト1本を作るにも、莫大な労力が費やされていることが分かる。





音声はなく美しい映像だけが流れていくこのビデオには、レッドブルのF1マシン用にボルトが作られる全過程が収められている。

まずは、エンジニアがデザインを紙に描くことから始まる。
そのデザインを3Dでモデリングして細部を確定したら、機械工が指定された金属塊から削り出す。
ボルトが完成したら、それで完了...ではない。
出来上がったボルトはミクロメーターや顕微鏡を使って念入りに検査され、品質保証をクリアしたら、レーザーでナンバーを刻印。
それを袋に入れ、F1マシンに使われるまで保管することになる。




ボルト1本のために費やすには馬鹿げた労力と思うかもしれない。ある意味ではそうとも言えるが、しかし、そこには十分な根拠がある。プロフェッショナルなモータースポーツの世界では、どんなに小さなパーツであっても、不具合が起きればチームのレース結果に負の影響を及ぼす可能性があるからだ。今年のル・マン24時間レースでこの教訓を痛感したのがトヨタであり、最終ラップに生じた吸気ダクト回りの不具合で、優勝を逃すという悲劇を経験している。この事実を考えれば、金物店で売っているグレード8のボルトが、F1マシンには相応しくないことが理解できるだろう。






source: RedBull Racing



火曜日, 8月 02, 2016

もし騙されたくなければ「目を見て話してはいけない」

 

 

世界一だまされにくい華僑は「目を見ない」

 

 

  


コミュニケーションをとるにあたって、相手がどういう意図をもってそのような発言や提案をしているのかを知るのは、とても大切な要素の一つです。

故郷を離れ、身一つで他国に乗り込みビジネスを成功させている華僑は、交渉術に長けていると言ってもいいでしょう。

交渉するにあたって誠意を持って対応するのは当然のことだと思われますが、これは性善説に偏ったものの見方、ということを知っておく必要があります。
大半の日本人が無意識のうちに性善説をベースに議論しているところに罠があったりします。
その対策としてまずは、対人関係において性善説・性悪説の両面からアプローチするようにしましょう。そうすれば今よりも交渉において優位に立てるのは想像に難くないでしょう。

性善説と性悪説は相矛盾する思考だと考える人も多くいますが、実はそれは間違いであると気づくことから始めましょう。

性悪説とは初めから相手が悪者だと仮定してみるものではありません。
放っておいたり牽制機能が働かなかったりすれば、悪いことも考えてしまうのが人間です、というぐらいの理解でいいでしょう。





目は一番ウソをつく 

 

 








「何もやましいことがないのであれば、目を見て話しなさい!」

小さいころや思春期に、親や目上の人、学校の先生にそうたしなめられた人は多いのではないでしょうか? 
また、「目を見ないということは、ウソをついていると誤解されてもおかしくない」などと言われたことがある人も少なくないのではないでしょうか? 
 
では、少しそのころのことを思い出して下さい。

 心のどこかで、
「そうか、目を見て話せば、ごまかせるかもしれない」
「これ以上怒られないためには反省している目(表情)をつくろう」 
こんなふうに考えたことのある人は少なくないのではないでしょうか?

そして、そんなことを繰り返すうちに目でウソをつくことを無意識のうちに習熟していくのです。

お金儲けの達人の代名詞、ユダヤ人や華僑が小さい時から駆け引きや交渉術を学ぶように、多くの日本人が目でウソをつくことを小さなころから訓練されているのです。

少し考えれば簡単に分かる話ですが、目をしっかりと見据えて話しているからといって、本当のことを言っている、ということには全くなりません。

人間の適応能力は非常に高く、柔軟性をもっています。
例えば、目の前に何かが飛んできたら目をつぶる、という条件反射は、誰もが身に覚えがあると思います。一方で、格闘家やコンタクトスポーツ選手は顔面にパンチやボールが飛んできても、キッチリと目を開いてそれを見ています。練習や訓練をすれば、多くのことができるようになる一つの例です。

目は基本的には、それほど多く動くものではありません。会話中であれば尚のこと動きが少なくなります。
動物である人間は、自然と動くものにセンサーが反応し、注意するように初期設定されています。そのような側面もあり、止まっているもの、動きの少ないものに注意する、またそこから情報を読み取ることが得意ではありません。

動くものは自分に危険が迫った時に対応できるよう、脳が感知しています。一方、止まっているものには安心を覚えます。
「目をしっかりと見て」と言うのは、案外それを言っている方が落ち着いて状況を判断するための方便でもあるといえるでしょう。



華僑はどこを見ているのか 

 


顔の中で一番動きが大きいのは「口」です。

目を作って表情を作ることに慣れている、というの先ほど書きました。
ですが、「その口はなんだ!」と注意を受けたことのある人はあまりいないのではないでしょうか? 
食べたり、話したり、呼吸をしたり、と口は常に動くものと認識されていますし、弁明をする際も話さなくてはならないので、口の動きはそれほど注目されません。

だからこそ、華僑たちは交渉の時に、“無防備”である相手の口元から情報を収集しています。

格言に「目は口ほどにものを言う」というものがあります。
ある側面から見ればそれは当たっていますが、ビジネスの交渉の場面では「口がすべてを物語る」なのです。

華僑及び中国人たちの食事の時間が長いのは有名ですが、食事をしている時は口を“作る”のが非常に難しく、その時に相手の本意を探るという意味もあるのです。



口には感情が現れやすい

 



真面目に人の話を聞いているフリをしていても、不満がある時は、微かに口をとがらせています。
真面目な目をしていても、納得がいかないときは口角を下げてうなずいてしまうものです。嬉しくないフリをしていても、口角があがってしまいそれを隠すことはできません。
平謝りをしているのに、一瞬、謝罪の気持ちが揺らいだときは、奥歯を噛みしめたりしてしまいます。

上記の例はほんの一部ですが、目を視界にいれながらも口の変化を見ている華僑たちは、相手の心情の微妙な変化をいとも簡単に読み取っています。

ただし、口角が上がったり下がったり、口の中の歯の噛み合わせを変えたり、というのはもちろん個人差があります。


長時間の交渉などであれば、その間に相手の口の動きのクセを見破ればいいのですが、短時間の場合は、どのようにすればいいのでしょうか? 

正解は、「古き良き日本の伝統的な交渉術から入る」です。

最近のアメリカナイズされたビジネス会話のパターンは結論から先に述べて、それについての説明を順番にしていくというものですが、日本では昔からまずは雑談から入って、というのが自然です。

そうです。短い時間の中でも、まずはちょっとした雑談から始めていくのです。相手が忙しい人なら「早く要件から言ってくれよ」というメッセージが口に表れます。
相手が雑談にのってくるようなら、その人の通常心理のときの口の動きがわかります。

このように、初対面、あるいは長時間に及ぶ交渉、また短時間の交渉でも、相手の口のクセを見抜くことは可能なのです。

 

人相見になれば不安が激減

 



元来、中国人には人相見が多くいます。それには歴史的な背景も関係しています。

これは島国で暮らしてきた日本人と中国人との違うところです。日本は古来から一系の皇室をいただいている世界でも類稀な国家です。一時期武将たちの陣取り合戦などはありましたが大陸的ではありません。

一方、中国は4千年の歴史の中で漢民族、満州族、チベット族、南方民族などが絶えず内戦を繰り返してきました。その背景を理解すれば、華僑たちが人相見になった理由が理解できるでしょう。

ひとたび政権王朝がひっくり返れば、前王朝時代に財産・名誉・地位などがあった人から粛清されます。財産・名誉・地位などは簡単に取り上げられなかったものとされてしまいます。何かあったときに信じられるものは何か?というと結局は「人」ということになります。人の中でも自分を絶対に裏切らない人、ということが一番の条件です。

そのような理由から、信用できる人を見抜く術は親から子へ、子から孫へと歴史的に受け継がれているのです。その技術の中に人の顔の動きを読むこと、人相見も含まれ、それには敏感になっているのです。

このような華僑たちのワザをうまく取り入れれば、現代のグローバル社会においても非常に有利なものとなるでしょう。


口を見ることから始め、人相見になってしまうと、「いちいち人が何を考えているのかを探っているようで嫌だ」と感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、この技術は交渉に使えるだけではありません。気づくという観点から言うと、優しさや良好な関係性を保つためにも様々に使えるのです。
例えば部下などが無理して頑張っているのに気づかずに頑張り続けさせてしまう、ということも回避できたり、夫婦間や親子間、ほんの些細なSOSにも気付けるようになるのです。「ああ、あの時の表情は、 そういうサインだったのね」などという恋人同士のすれ違いにも敏感になれれば、後で後悔するといったことも減ることでしょう。

中国人社会では、「賢い=ずるい」「ずるい=賢い」と表現されることが多くあります。狡さを知りつつ、あえてそれを使わない。あるいは少しだけ周りの幸せのために使ってみては如何でしょうか。

完璧に演じたつもりの最高の愛想笑い、作り笑いも、相手が口を見る技をマスターしていれば、あなたの「本当の心」が簡単に見抜かれてしまうでしょう。






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火曜日, 7月 05, 2016

Risky Business:男たちに愛され、女たちの命をつないだ風俗サイト



 

 

 

2014年6月、米サンフランシスコのセックスワーカーたちと

出会うためのウェブサイト「myRedBook.com」が削除された。

困ったのは、男たちよりもセックスワーカーのほうだった。

身を守るためにデジタルリテラシーを身につける者、

止むに止まれず危険なビジネスを続ける者…。

RedBookという“生命線”を失った、彼女たちを追った。

 

 

 

その風俗カタログは成功しすぎた

 

サンフランシスコのベイエリアで、2014年の夏以前にセックスを売り買いした人々のほとんどは「myRedBook.com」を利用していた。

一般的には単に「RedBook」と呼ばれていたこのサイトは、Craigslist、Yelp、Usenetのデータをマッシュアップしたもので、セックスワーカーたちと数十万人の顧客たちが相手を探し、交渉し、会う約束をする場所として、10年以上にわたり機能していた。まさに「性風俗の巨大なカタログ」だ。RedBookは、人々の飽くなき欲望に訴えかけて、この古い歴史をもつ商売を、より安全で、洗練されたものに変えた。効率よく目的が果たせて、品揃えも豊富だったRedBookは、成功しすぎたのかもしれない。

1999年、カリフォルニア州マウンテンヴューで、IT起業家エリック・“レッド”・オムーロによって開設されたRedBookは、エスコートガールの男性客たちが地元の情報を交換したり、体験レポートを書き込んだりするつつましい溜まり場としてスタートした。サイトが成長するにつれ、当初はベイエリアに限定されていたカヴァーエリアも、南カリフォルニア、セントラルコースト、フェニックス、ネヴァダ州、北西部太平洋岸へと広がっていった。ここでオムーロは、重要な機能をサイトに追加する。
セックスワーカーたちが広告を出せるようにしたのだ。

RedBookは淫らな会話とエロティックな出会いへの期待に満ちていたものの、サイトそのものはセクシーさからはほど遠かった。

2000年代初頭を思い出させるような垢抜けないデザインで、求人ページや中古バイクの販売サイトのような見てくれだった。仕事中にセックスの相手を探していたとしても、自動的に画像が表示されてしまうセクションを見ていなければ同僚にバレることもなかっただろう。



RedBookは、大きく分けて3つのセクションから構成されていた。第1に、ジャンルごとの「広告セクション」。

ここには週刊タブロイド紙の終面を賑わせていたような広告が並んでいた。超Hな女子大生巨乳・スレンダー・金髪アジア系美女がおもてなし」午前中割引。最高に気持ちよくしてあげる」といった文言の広告を無料で投稿でき、特別料金を払えばより目立つ場所に載せることもできた。


第2に、何十という掲示板形式の「フォーラムセクション」があった。人気があったのは「エスコートガール情報」路上交渉」女王様」といったフォーラムだが、ほかにも野球からボンデージまで、あるいは音楽からマッサージパーラーまで、さまざまな話題について意見交換できるフォーラムがあった。



シリコンヴァレーの大手企業に勤めるデータサイエンティスト、ブルース・ボストンが最初にRedBookを訪れた目的は、どのストリップクラブに最高のダンサーが在籍しているかを調べることだった。だが彼は、それ以来4年にわたり、自身が「知的で刺激的で誠実」と賞賛するRedBookのフォーラムに入り浸ることになった。とても素晴らしかったよ」と彼は語る。自分の思想や信条についてオープンな議論ができたんだ。彼はRedBookで繰り広げられていたさまざまな議論(リバタリアンの政治思想に関するものから、放埒なセックスパーティの話題まで)に参加した。

そして第3に、何よりも男たちに重宝されたのは、月に13ドル払えばアクセスできる「レヴューセクション」だった。VIP客たちはそこで自分の体験したエスコートガール、SMサーヴィス、性感マッサージに関する感想をつぶさに報告し、ほかの男たちとシェアするのである。レヴューでは風俗嬢の肉体的な細かな特徴が語られるだけでなく、受けたサーヴィスについても列挙される。オークランドで評判のいい、全身マッサージをしてくれる30歳未満のラテン系女性を探したければ、検索条件を設定してフィルタリングすればいい。


ところが、2014年6月25日、RedBookのユーザーたちは青天の霹靂に見舞われる。画面に表示されたのはセクシーな広告、フォーラム、レヴューへのリンクではなく、物々しい警告画面だった。

そこには司法省、FBI、内国歳入庁が、RedBookのドメインを凍結したと記されていた。これらの政府機関のメッセージによると、このサイトが「売春に基づく不法行為に由来するマネーロンダリング」に関わっている十分な証拠があったという。

政府当局は当時54歳のオムーロとともに、カリフォルニア州サクラメント近郊のロックリン在住のアンマリー・ラノースを逮捕した。ラノースは、眼鏡をかけた41歳の子もちの女性で、サイトの管理・運営を手伝っていた。彼らの住居は家宅捜査を受け、コンピューターが押収された。7月、オムーロはインターネットを用いた売春の助長および24件のマネーロンダリング、ラノースは売春助長の罪で起訴された。彼らは保釈されたが、インターネットへのアクセス、およびサイトのユーザーとの接触は禁じられた。

RedBookはユーザーが追加機能にアクセスする料金から収入を得ていたが、連邦地方検事の起訴状によると、オムーロは500万ドル以上を不当に得ていたという。当局がなぜ、もっとあからさまに性を売買しているほかの多くのサイトでなく、RedBookに狙いを定めたのかは明らかではない。それについて、連邦地検はコメントを差し控えている。

オムーロとラノースは当初、すべての罪状について無罪を主張していたが、11月になってラノースは態度を変え、しおらしく振る舞うことで重い罰を回避しようとした。その数週間後、オムーロもこれに習い、インターネットを用いて故意に売春を助長した罪を認め、罰金130万ドルの支払いと財産没収に同意した。オムーロの有罪答弁は、ウェブサイト運営者が売春助長で有罪となった国内初のケースとなった。



お相手が必要?」


写真家のヴィクター・コボは、サンフランシスコのテンダーロイン地区
で15年以上にわたってセックスワーカーたちの写真を撮り続けている。
サンフランシスコの埃っぽいテンダーロイン地区は、観光客で賑わうユニオン・スクエアや、小洒落たノブ・ヒル地区に接する場所だ。2012年、ツイッターがマーケット・ストリートにある古いアールデコ調のビルに豪華な本社を置いて以来、Uber、Spotify、Yammer、Squareといった企業がこの地域に移転してきた。

それに伴い近年、何百人という若い技術者たちがテンダーロイン地区に引っ越してきた。これまで何十年もの間ジェントリフィケーション[訳注:都市部の貧困層の多い地域に豊かな人々が流入すること。家賃が高騰して、元の住民が住めなくなるなどの問題がある]になんとか抵抗してきたこの地区の経済は、いま急速に変化しつつある。

この抵抗の一端を、去る秋のある午後、わたしは近隣を散歩している最中に目のあたりにすることになった。

街角には5人の女性が立っていた。ある女性は自動車に向かってバタバタと手を振り、別の女性はもっと注意深く、近くを通り過ぎるクルマのドライヴァーに思わせぶりな視線を送っていた。なかでもとくにアグレッシヴな女性がいて、ストラップの細い黒のタンクトップに股上の深いジーンズを穿き、腰にはサンフランシスコ・ジャイアンツのスウェットシャツを巻いていた。昼間には特に強烈に映る濃い口紅と目のまわりの厚いメイクがなかったら、食料品の買い物に出てきた主婦かと見間違うところだろう。

わたしは彼女から3m離れてバス停の近くに立っていた。ハーレーにまたがった男が赤信号で止まると、彼女はこれみよがしに尻を男のほうに突き出してみせた。

ハーレーが走り去ると、警察のピックアップトラックがわれわれの近くにやってきた。助手席にいた警官が彼女に声をかける。彼女はパトカーに歩み寄り、開いた窓に頭を差し入れた。警官が静かに二言三言告げると、彼女は再び元いた場所へと戻った。警官たちがいなくなると、彼女は先ほどよりもほんの少しだけ控え目に、また通行人たちを誘惑しはじめた。

サンフランシスコ交通局38ギアリー線のバスが到着し、10人ほどの乗客が降り、新たに何人かを乗せて走り去る。わたしがバスに乗らなかったので、彼女はわたしがダウンタウンに行くためにここにいるのではないと気づいた。

彼女はこちらを品定めすると「こんにちは、わたしはキャシー」と声をかけてきた。あなた、何をしているの?」

ちょっと面食らってたじろいでしまったわたしは思わず、人と会ったあとで次に何をしようかなと考えているところだ、と口にした。 

お相手が必要?

いや、結構。わたしは縁石を踏みこえて車道をわたった。そして、ふと振り返ってキャシーに言った。 

ねえ、インターネットで君を見つけられる?」

残念ね」と彼女は言った。 

前はRedBookのレヴューに載ってたんだけど、使えなくなっちゃったでしょ」










失われたコミュニティ

オムーロがRedBookを始めたきっかけは、それがベイエリアの男性客のウェブ上の拠点になると考えたからだった。RedBookは成功を収め、最終的に多くのユーザーを惹きつけ、事業として成熟し、巨大な利益を生み出すようになった。

しかしRedBookが閉鎖されると、最も大きな打撃をこうむったのは買い手ではなく売り手の側、キャシーのようなセックスワーカーたちだった。RedBookによって、この世界で最も古い職業に伴う危険は大幅に軽減されていたのである。
 
RedBookによってセックスワーカーの危険が減ったのは、ひとつには、金をもっていない者や甚だしく暴力的な者など、好ましくない客との出会いを排除できたからだ。

性の提供者たちは、RedBookのフォーラムで名が知れている客や、周りに好意的に思われている客だけを選んで会うことができる。また、新規の客に対して、サイト上のほかのエスコートガールからの紹介を要求することもできる。

米国のセックスワーカーの支援団体「Sex Workers Outreach Project」のクリスティナ・ドルギンは言う。 

RedBookは、彼女たちが客と安全に交渉し、客をふるいにかけることで、乱暴なろくでなしや潜入捜査官と出会う可能性を減らせる場所だったのです」

RedBookはなくなったが、性の売り買いが路上からインターネットへと移行する流れは止まらない。

ソーシャルメディアを用いて自らを宣伝するセックスワーカーもいる(Twitterで、あなたの住んでいる都市名と「#escort」や「#incall」などのタグ、お好みの性的志向などで検索してみるといい。また、自身のウェブサイトをもっている者もいて、その多くが性産業のWordPressとも呼ぶべき「Escort Design」のようなセックスワーカー特化型サーヴィスを利用してサイトをつくっている。

だが、オンラインで客を探すための最も一般的な手段は、RedBookに似たサイトを利用することだ。

ウェブ上での売春や闇市場を研究しているベイラー大学経済学教授のスコット・カニンガムによれば、全国的な調査がなされていないので正確な数字はわからないが、今日では有償のセックスの大多数は、インターネットから始まっているという。 

専門のサイトや、もっとわかりやすくいえばインターネット自体が、路上での取引を減らしているのです」と彼は続ける。これらのウェブサイトによって実際、市場は広がったように思えます」

セックスワーカーたちが単に広告枠を買いたいなら、「Cityvibe」「Lovings」「Backpage」「Eros Guide」といった風俗サイトを使い続ければいい。だが広大な掲示板のネットワークをもっていたRedBookは特別な存在であり、そこではセックスワーカーたちが広告を出す以外に、互いに質問し合ったり、支援を見つけたり、友人をつくったりすることができた。


RedBookの閉鎖に伴い、オークランドのセックスワーカーであるスージーQが失ったのは、まさにそういった活動だった。 

コミュニティを築くための決定的なリソースを奪われてしまった」と彼女は語る。 

社会の隅っこに押しやられた者にとって、あるいはその職業は犯罪だと言われる者にとって、コミュニティを築くということはそれだけでも大変なことなの

女性たちはRedBookのフォーラムで、冗談を交わしたり、同業者の役に立つような健康問題や経済面の知恵を交換し合ったりしていたのだと彼女は言う。

 
 
 

 

エスコートガールたちのIT教室

 

スージーの仕事内容はこのうえなく多彩だ。

エスコートガール、あるいはSM嬢として毎週数人の客を取るほか、SF Weekly』にセックスにまつわるコラムを執筆し、性生活にスパイスがほしいカップルを対象としたクラスでセックスを教え(最新の講義は「ほぼ一夫一婦制、マニア向けサイトでモデルになり、アダルトヴィデオにも出演している。
ポルノ界のアカデミー賞であるAVNアウォードにノミネートされたこともある。

彼女は2つのポッドキャストをプロデュースし、自らそのホストを務めている。 

The Whorecast」はセックス産業における人と政治に注目したもので、最近の回では、ポルノ男優を副業にしたために未来の年金をふいにした海兵隊員へのインタヴューを取り上げていた。

スージーのもうひとつのポッドキャストは、TVドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」を2人のセックスワーカーの視点から語るもので、その名も 「ツユ来たる…顔に」である(訳注:ゲーム・オブ・スローンズ」に登場するスターク家の標語で、第1話のタイトルでもある「冬来たる」のもじり



RedBookが閉鎖してから「新規の客と出会うことが難しくなった」
と、スージーQは言う。
とはいえ、スージーの収入において、エスコートはいまだに最も大きな部分を占めている。RedBookの閉鎖以来、彼女の商売は大きな打撃を受けた。

新規客と知り合うのがとてもやっかいになった」と彼女は語る。
サイトが使えなくなってからは2、3人しか新規客を取れてないの。絶不調よ

RedBookの膨大なトラフィックと、客がデートの相手を探すときにとても便利だったレヴューセクションがなくなったことに、彼女は強い不満を募らせている。いまでも、男性客たちはスージーの個人サイトに載っている情報を見て、彼女に連絡をすることはできる。だが、数年にわたって客たちが彼女について書いた好意的なコメントは、RedBookとともに消えてしまった。

考えてみてよ。あなたがレストランの経営者で、素晴らしいレヴューがYelpに山のようにあったのに、突然Yelpが閉鎖されたら?

スージーは言う。そういった情報がなくなってしまったら、人々があなたのレストランが実際どうなのかを知るのはとても難しくなる」

法執行機関がRedBookを閉鎖したことで、スージーのようなプロのエスコートガールたちは自分たちのサーヴィスに望ましい値段を設定しにくくなった。 

5〜6年前は、性感マッサージの女の子たちが寄り集まって、みんなで20ドル値上げしたらどうなる?』と話し合えたし、それはうまくいっていたの。いまは全然そんなことできない」

現在、多数のセックスワーカーたちの個人情報が政府機関の手中にある。法執行機関は、人々のIPアドレスや本名の入ったメールアドレス、クレジットカード情報も知っていると思われます。デジタル世界の人権擁護活動を行うNPO「電子フロンティア財団」のスタッフ活動家ナディア・カヤリは言う。 

そして、われわれが観察している最近の傾向からすると、当局が得た情報はそのまま保持され、なにかしらのデータベースに登録されているはずです。つまり恐ろしいことに、セックスワーカーたちは常に監視下に置かれており、いつでも逮捕されうるということだ。

RedBookの閉鎖を受け、カヤリはサンフランシスコ市内の非公開の場所でワークショップを主催し、セックスワーカーたちにオンラインでの活動を匿名化する方法を教え始めた。

約20名の女性たちに、IPアドレスを隠す「Tor Browser」の基礎を説明し、パスワードを用いたセキュリティ対策を改善する方法を伝授したのだ。受講者たちからは的確な質問が投げかけられ、カヤリは彼女たちの思慮深さに感銘を受けた。

博士号をもった女の子もいれば、コードの書き方を知っている女の子もいるのです」

一方、警察に目をつけられやすいのは、テクノロジーの経験がほとんどない女性たちである。彼女たちは路上で客を探しているし、仕事には電話を使います」とカヤリは言う。
彼女の研修では、パスコードの活用やテキストメッセージの暗号化といった基本的なセキュリティー対策の重要性についても教えている。 
これらは比較的簡単な対策ですが、路上では一定の効果を生むのです」とカヤリは続ける。こうしたスキルがこれまで以上に重要になっています。RedBookの閉鎖によって、いまではより多くの女性たちが路上に出ているのですから」

少なくとも短期的にはそうだろう。だがベイラー大学経済学教授のカニンガムは、自身が2011年に共同執筆した論文で、インターネットによって25〜40歳の路上で働くセックスワーカーの数が減少したと述べている。








いつか第2のRedBookが登場してくれたら

 

レイチェルと名乗る45歳のセックスワーカーは、RedBookの無料広告を頼りにしていた。

この20年のほとんどの期間、彼女は路上やテンダーロイン地区の長期滞在型ホテルで客をとっていたという。

彼女は長年のクラック依存症で、たびたびホームレスとなったこともあったが、いまでは清潔感に溢れ、襟元のゆるいセーターにレギンス、真新しいカウボーイブーツをおしゃれに着こなしている。道で彼女の側を通りすぎたとしても、その生業がなんであるか思いもよらないだろう。

ポスト通りとハイド通りの角で少しの間言葉を交わし、時間を割いてもらう代金として60ドルで折り合いがつくと、レイチェルはわたしの手をとって歩き出した。消防署、医療用マリファナ販売所、ドラァグクイーンのいるバーの前を通りすぎる。

彼女はわたしの手を離すと、通りの向こうにいる3人の男と話をしに行った。1分後、男のひとりから受け取った小さな包みをポケットに突っ込むと、彼とハグしてからわたしのところに戻ってきた。再びわたしの手を取って、アメリカ・ホテル」の正面階段のほうにいざなっていく。

アメリカ・ホテルは、テンダーロインに数十ある貧困層が住まう単身居住者向け宿泊所のひとつだ。門を抜けて、汚いカーペットが敷いてある階段を登ると、分厚いプラスチックの壁が現れた。壁の下のほうには頭が通るほどの大きさの穴が空いていて、その向こうにひとりの男が座っている。彼はレイチェルに向かってうなずき、じろじろとわたしを見た。


おじさん、この人はわたしの友達よ」とレイチェルが言う。

男は50代前半で、胸に大きくYouTubeのロゴが刺繍された黒いパーカーを着ている。彼はわたしに10ドルを要求し、ここにいる間は写真付きのIDを彼に預けなければならないと告げた。

レイチェルとわたしはさらに階段を2階分上り、彼女の部屋に辿りついた。部屋には散らかっているというほどには物はなかったが、清潔な感じもしなかった。

むきだしのツインサイズのマットレス、シンク、TVそしてドラマ「ビッグバン★セオリー ギークなボクらの恋愛法則」が流れる古いテレビが載ったタンス。窓の側の角には2つのダッフルバッグが置いてあり、レイチェルの服や日用品がはみ出している。

彼女は90年代前半に東海岸からベイエリアに引っ越してきて、すぐにいまは閉館になった「マーケット・ストリート・シネマ」でストリップの仕事を得たという。

昔はほかのところでも踊っていたわ。でも、マーケット・ストリートでの仕事は“ストリップ+α”だったから。そう言って彼女は笑った。

レイチェルは、バカでかい豹柄のハンドバッグからレノボのノートパソコンを引っ張り出すと、Lovingsに出している彼女の広告を見せてくれた。

Lovingsはサンフランシスコのエスコートガールや性感マッサージ、その他さまざまな性的サーヴィスを紹介しているサイトだ。レイチェルはLovingsを使い始めたばかりだ。広告掲載料は1カ月に120ドルだが、その分は彼女の得意客のひとりがクレジットカードで支払ってくれているらしい。

RedBookの男たちからはひっきりなしに電話がかかってきたが、Lovingsに出している広告の効果はいまいちだった、と彼女は言う。

わたしもそのサイトを見てみたが、レイチェルの広告がぱっとしなかった理由は明らかだ。そこに広告を出している女性の多くは、レイチェルよりもずいぶん若く見えるのだ。さらに、彼女たちの写真はプロが撮影したもの、少なくともちゃんとした一眼レフカメラか画像修正の技術をもった友人に撮ってもらっているものだった。

それと比べるとレイチェルの写真は、むさくるしいホテルの部屋で、携帯電話のカメラで撮ったもののように薄汚く見える。

RedBookの閉鎖に話題が及ぶと、彼女は「一から出直すしかないわね」と語った。

何年もの間、彼女の客の大半はRedBookの男たちだった。彼らは彼女の電話番号を、フォーラムのほかの利用者から手に入れていた。彼らはわたしのことをよく知っていて、高く評価してくれていたわ」と彼女は言う。クズのような男に行き当たることもこれまでにはあったが、RedBook経由の男性客との仕事では、だいたいいつもいい思いをしたという。彼らはいい人たちで、シャイな部類に入るわね。彼女は言う。正直、ちょっとオタクっぽかったけど」

最近では、レイチェルは街角で出会う男たちを相手にすることが増えている。快楽を求めて、この近所をぶらついたり、クルマで流したりしている男たちだ。

彼女は通りに出るのが好きではない。それは疲れるし、怖くもあるからだが、とりわけカーセックスは大嫌いだ。カーセックスは危険なのだ。

だが、RedBookが閉鎖されて以来、彼女はより頻繁に路上に立ったり、多くのカーセックスをこなしたりしなくてはならなくなっている。

RedBook時代から付き合いがあって連絡をくれる友達も何人かはいる。でも、多くはないわ。彼女は言う。いつか第2のRedBookが登場してくれたらと思う。そうすれば、人生はもっと楽になるのにね」










 




 
 
 





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火曜日, 5月 31, 2016

続、Macさんが逝きまして(´・ω・`)  第伍話「回らない、HD」




壊れてしまった iMac (Mid 2007) leopardのHDDを入れ替え復旧する【Leopard補完計画】、さらにはOSをMountain Lionにアップグレードし、事なきを得たかに思えた【ヤマネコ作戦】。。。。



あれから3年.......



 

続、Macさんが逝きまして(´・ω・`) 

第伍話「回らない、HD」

 


ん?


突然の画面フリーズ......


HDDから微かな異音、、、?


ん!? 何か鳴ってる??


とりあえず再起動、ポチっ、


じゃーん!


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーしーん......


モニターはつくものの、待てども待てどもアップルマークが出る気配ナシ、、、


ん?、なんで!?


もっ回、電源ボタンポチっ、


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーしーん......


再起動不可、再起動不可、再起動不可、再起動不可、再起動不可、再起動不可.....


ダメです! 初号機起動できません!



アレ!?、アレ?、......(´・ω・`) 、、??、、ブピバカイン!??....





内臓HDD死亡......






まじですか?


このタイミングですか?


え、え、!? ちょ待っ...


私的な事情でカクカクシカジカ.....


ここ最近バックアップしてなかったんですけど.....カクカクシカジカ.....


あぁ、そうですかぁ...、 


聞いてない?


昨日動いてましたよね〜?、普通に〜、ねぇ〜?


中には結構大事なデータがいっぱいあって〜、、


あの〜、command + z とか何でもするんで〜、


日付を昨日に戻していただくわけにはいけませんかね〜....


無理...!?


で、ですよねぇ〜 (´;ω;`)


走馬灯のように頭の中を駆け巡るHDDの主要フォルダ .....




 

あ、あ、セカンドインパクトってこれね、




はいはいわかりましたよ、、


終わりですね、終わり、


閉店ガラガラ〜〜 


寿命なの??


なんなの??




しばらくの間、ソファでボーッと現実逃避................(* ̄ー ̄)~~~~~~





あれからどれくらい たったのだろう、


沈む夕日を いくつ数えたろう、、、





ようやく、現実が目にしみてきて


いろいろ調べる、


確かHDDは、

Seagate 3TB


型番は、と、

ST3000DM001


HDD 故障、復旧、


google先生、直し方とかありますか?






検索していると、気になる記事が、

Seagate ST3000DM001に激おこの人々



え、なになに?


故障率150%

Appleも激おこ

ST3000DM001は買ってはいけません。

2年で故障・エラー率15%とかおかしいw 



故障、こしょう、コショー、

 

他にもこんなのも

 

Seagate製HDD「ST3000」の故障はヤバい壊れ方をする





source:価格.com - このHDDの故障率は半端ない.クラッシュした原因はこれだ! あやのうみさんのレビュー



こ、これは、、、



「積んじゃダメだ、積んじゃダメだ、積んじゃダメだ、積んじゃダメだ、積んじゃダメだ、 積んじゃダメだ、積んじゃダメだ積んじゃダメだ積んじゃダメだ


キャー、シンジー逃げてー!




このHDD、


完全に地雷




遅かれ早かれこわれてたぽいですね....(´・ω・`;)


1万円とちょっと。ほんとお手頃価格になったと思う、  とか.....


やっぱり安いからって、安易に手を出したらダメですよね〜、、、、


3年もったのはまだましな方....?





さらばSeagate。たぶんもう二度と買わない。






さーて、どうしようかな、データ..........(´・ω・`;)

復旧ってできるのかな.....?

物理障害だよね〜、たぶん...

データ復旧、高いよね〜、たぶん....


そもそも、iMac (Mid 2007)ってまだ使っている人いるのかな....?



















水曜日, 4月 20, 2016

INTERVIEW: 糸井重里  第4回 デザインは「生きる舞台」づくり。行き着く先は「都市計画」

 

ブランドは「ライフの集合体」:糸井重里さん

第4回 デザインは「生きる舞台」づくり。行き着く先は「都市計画」



川島:この質問、連載で必ず聞いていることなんですが、糸井さんにとって「ブランド」とは何ですか?




糸井:よく分からないんですけど、まあ一言で言えば、経営してきた人のヒストリーですよね。きちんとしたヒストリーさえあれば、「5年しか経っていないけれどブランド」っていうのもあると思うんです。

「iPhone」だって、アップルというブランドに乗っかっているとはいえ、ブランドとして一本立ちできる存在になっている。それはやっぱり、「iPhone」の持っているヒストリーだと思うんです。そして、ヒストリーというのは「ライフの集合体」でもある。

川島:「ライフの集合体」ですか?

糸井:「ほぼ日手帳」について言えば、もう10年以上にわたって「手帳って何か」ということを、僕らは考えているわけです。東日本大震災があった時、手帳が流れてしまった人に、新しい手帳を差し上げますということをしてみたら、ものすごく喜ばれたんです。

アルバムを失くしちゃったということと、手帳を失くしちゃったということを、同じように大事にとらえている人たちが、実はいっぱいいたわけです。それで「これは何だろう」って考えた時に、その人たちにとっての手帳って、生命=ライフの一部みたいになっているのかもしれないと思ったんです。

川島:そう言われてみると、使い終わった手帳って、何に使うわけでもないのに捨てられなくて。20年間分くらい手元にあります。

糸井:そうでしょう。それで一昨年、「ほぼ日手帳」に「LIFEのBOOK」というキャッチフレーズを付けてみたんです。そうしたら、いろいろなものが見えてきて、昨年(2015年)は「This is my life.」 というキャッチフレーズにしたんです。

「手帳ってライフだよ」って言うと、すごく収まるわけです。川島さんのように、何年もとっておいて後で見るのもライフだし、もう終わったことと捨ててしまうのもライフ。そういった無数のライフの積み重ねって、ブランドとそっくりだと思うんです。

川島:なるほど。使ってきた人のストーリーも含めて「ライフの集合体」となったもの、それがブランドということですね。じゃあ、そんな「ライフの集合体」、つまりブランドは意図的に作れるのでしょうか。

 

 

老舗にとって、新しい挑戦とは新しくなることじゃない

 

糸井:あるブランドについて「大好き」という人がいてもいいし、「認めません」という人がいてもいい。それから、「うちは、なかなか手が出せない存在」というヒストリーをキープしようとしているブランドに対して、「いつかは憧れ」という人がいるのもありです。

川島:いわゆるラグジュアリーブランドって、そういう「ライフの集合体」と言えますね。

糸井:一方で「絶対そんなもの身に着けない」というひとがいるのも、それはそれで当たり前のことです。

川島:「ライフの集合体」だから、いろいろなありようがあるわけですね。

糸井:たとえば「金儲けだ、金儲けだ」と言っている人が集まって、ものすごく一所懸命やりましたっていう「ライフの集合体=ブランド」もある。それは、「金儲けだ!という人が作った」というヒストリーで、ある層の人を惹きつける。ファンを作れますよね。

川島 だから人は、ブランドのものを手に入れて、使うわけですね。

糸井:そうやって、あるブランドを認めるというのは、自分の人生にブランドのヒストリーを流し込んじゃうことを意味するんですよ。

川島:そうすると、ヒストリーは、ブランドにとってすごく大事ですよね。先ほど糸井さんは、「5年しか経っていないけれどブランド」という話をされていましたが、老舗が持っているヒストリーの価値って、とても大きいと思うんです。でも、元気のいい老舗は、そのヒストリーに甘んじることなく、新しいことに挑戦している。

糸井:その場合、新しい挑戦や、新しい製品をどんどん出すこともまた、ブランドのヒストリーに組み込まれていて、その部分も素敵だなと思ってくれるお客さんが、また次の時代にブランドを支えていくのでしょうね。

川島:その連続が老舗の歴史を作ってきたようにも思うのです。新しいことへの挑戦を続けていくことって大事だなあと。

糸井:そこでですね、「新しいことへの挑戦を続ける」目的が、「新しくなる」ことじゃないっていうところが、僕は面白いと思います。言い換えれば、「新しくなる」ことは、「生きていく」ための手段なんですね。「ライフ=生命の集合体」としてのブランドにとって、大切なのは、「新しくなる」ことではない。「生き続ける」ことです。「生き続ける」にはどうしたらいいか。それが「新しくあれ」なんです。




川島:「生き続けよう」とすると、結果的に「新しくあれ」に向かうと?

糸井:「新しくあれ」がないと、安定して落ち着いて、止まってしまう。安定は必要なんだけれど、究極の安定は「死」です。絶対そこに行ってはいけない。だから、「新しくあれ」に向かうしかない。この対談で、「偶然がクリエイティブには大切」っていうお話をしたと思いますが、「偶然は神様です」っていう発想が、老舗の人たちにはあると思っています。

川島:「偶然」とは、ルーティンを変えてくれるものとおっしゃっていましたよね。そしてそれは、同じ状態で止まっているのではなく、変わっていくことでもある。

糸井:ルーティンで枠の中の仕事を繰り返していると、考えてもしょうがないことを、ずるずるやっていたりするんですよ。そこには、考え足りないことがたっぷりあるはずなんです。そのあたりを、やわらかく組み立て直すための「偶然」って大事です。

川島:それ、さまざまな経営トップの話を聞いていると痛感します。戦略的に新しいことに挑戦してきたというより、「今、これをやらねば」という必然で判断したら、結果的に成功につながった。そんなケースがとっても多い。

糸井:やっぱり「偶然は神様」なんだなぁ。

 

 

オフェンスがなかったら会社は続かない

 

川島:糸井重里事務所では、さまざまなプロダクトを作り、「ほぼ日」を通して売っている。そこには、凄くたくさん売れるものと、少しだけ売れるものとがあるけれど、それらが共存していける。そんなビジネスをやっていきたいと糸井さんはおっしゃっていて。

本当にそんなことができるかなぁって思ったんです。だって大半の企業は、どの商品も同じようにたくさん売れること、効率を上げて売上を伸ばすことばかりを目指すじゃないですか。

糸井:工業社会の時代のやり方は、それで良かったので、そのやり方は否定できないんです。ただ、そういう風にきちんと計画通りにやっていくのが、会社にとってのディフェンスだとしますよね。でも次の時代に向けたオフェンスの仕事、トライをする仕事がなかったら、その会社は続かないはずで。

ちなみに「売れる」ってどういうことだろうと考えてみます。どの商品も百万個売ろうと考えたら大変です。でも、たとえばオリコンのランキングで1位じゃなくって80位だっていい。それで食える商品にすればいいわけです。そうすると、けっこういろんな市場があることに気がつく。

川島:トップテンに入るものもあっていいし、そうでないものもあっていいけれど、「市場」をきちんと見極めて「仕入れ」ていくということですね。

糸井:やっぱりモノそのものの価値だけでなく、込められた思い、醸し出す物語といった「心」の背景も大事ですね。物語がなければ、「何かいいらしいけど何が?」ということで終わってしまいかねない。製品ができてからお客さんの手に渡るまでには、長いドラマがある。大切だと思う物語を、きちんと伝えることって大事だと思うんです。

 

 

自分のリーダーは自分です

 

川島:糸井さんが自信を持って、そう言われるのは、糸井重里事務所の仕事を通して、たくさんのオフェンスを重ねてきたからだと思います。だけど、企業に余裕がないから、新しい実験=オフェンスができないっていう話も聞きます。

糸井:ディフェンスがきっちりできているから、今までの商売が築いてこられたし、そこのところで原資を確保していることも分かっている。その財産を食いつぶしちゃう前に、次の何か、つまりオフェンスを考えておこうというのは当たり前のことです。でも、それがすべてだということでもなく、「重なっている」のが大事なわけで。

川島:「重なっている」とは、どういうことですか?

糸井:たとえばフローとストックといった言い方をよくしますが、フローでもストックでもない状態ってあるじゃないですか。宙に漂っているみたいな。そのあたりを勘定に入れておけばいいんじゃないかと思うわけです。フローとストックが対決しているわけじゃないし。そこは、だいぶ大人な気分で「重ねて」やっていかないと。

川島:そういったことを理解した上で、実行できる企業とできない企業、ますます差がついていきそうです。

糸井:誰のせいにするのでもなく、覚悟し、選択する。「自分のリーダーは自分です」って僕は思っています。自分のリーダーとして自分で判断するわけです。しかも、そう思うのは社長の僕だけじゃなくて、社員一人ひとりがそう思わなくっちゃ。「あんたらがいて、良かったわ」と言われるチームに、ますますなっていきたいと考えています。

 

 

デザインとは「生きる舞台を作ること」

 

川島:糸井さんにとって、デザインとは何でしょうか?

糸井:デザインの意味するエリアが物凄く広がっていると思います。昔は「プラン」と呼ばれていたこととか、「設計」と言われていたことまで、今はもう、デザインの中に組み込まれていますよね。

川島:「企画」もそうですね。

糸井:だから、そっちまで含めて、つい考えちゃうんですけれど。僕は、デザインとは究極的には「都市計画」だと思っているんです。人の住む街とか都市を「どういう都市がいいんだろうな」と考えることが、デザインの行き着く先だと思うんです。

川島:デザインの行き着く先は「都市計画」!

糸井:川島さんの質問から、デザインの行く先は「都市計画」になっちゃうんですね。でもそうだなぁ、デザインそのものっていうのは何だろうなぁ。……。うん、できた!「生きる舞台を作ること」です。こうやって苦し紛れに考えると、出てくるものだね(笑)。

川島:それも大きな定義ですが。舞台って何なんでしょうか?

糸井:舞台は舞台。人とかかわる場所だし。もちろん、舞台じゃない場所というのもあると思います。でも、現代社会の中で、舞台はどんどん増えていますよね。お店を開いている人は、もうそこにいる間は、全部舞台だしさ。

川島:人と人のかかわりがあって、いろんな会話があり営みが生まれている。

糸井:自宅も舞台ですよね。お父さんをやっている人は、子どもが「どこかに連れていって」という話をしている時、何と答えようかというセリフがあって、自由にしゃべっているわけじゃない。だから舞台とは基盤になるほどデカいもの。そう考えていくと、デザインは「ライフを乗っける器」かもしれない。

川島:「ライフを乗っける器」。




糸井:となると、「デザイン料というのは、生きる舞台を作ること料なのかよ」ってなる。だったら、デザインって仕事自体をもっと大きく考えてほしい。これ、僕がコピーライターという職業をしていた時に、コピーという仕事についても同じようなことを考えたことがあるんですよ。何というか「いいコピーを書きたいんですよね」という人のちっちゃさに腹が立っていた(笑)。

川島:「いいコピーを書きたい」コピーライターはちっちゃい!


糸井:そういう人には「君は何をしているんだ?」と聞きたい。コピーもデザインもそれ自体がうまくなりたい、というのは「剣の達人でありたいです」みたいな発想です。でもデザインを考える時に、いちばん最初に捨ててほしいですね、その考え方。

川島:本来のデザインって、深く広く、志は高く。とても難しいけれど、やりがいがある役割を担っている。でも、企業の中にいると、何かデザインの価値って軽視されていることが多いんです。色やかたちと表層的にとらえている人もいるし。そもそも、デザインってものが、物差しを当てたり、理屈をつけたりするのが難しい領域なんです。

糸井:そういう場合、「ライフを乗っけるものを失くしてでも、あなたは何かができると思っているんですか?」と逆説的に質問してみるのがいいんじゃないかなあ。

川島:そういう手があるわけですね。今度、使ってみます。

 

 

衣装を変えたら、なんでも売れるんじゃないかという幻想

 

糸井:それって「デザインとは、いわば衣装みたいに上から羽織るものだから」と思っている人にとっては、理解するのがむずかしいでしょうね。

川島:道は遠いなぁ。

糸井:「あの人がデザインしているんですよ」ということを、もうちょっと分からせる手もあるんじゃないでしょうか。つまり、仮にアフリカに鉄道を敷いた人が伊藤忠商事にいたとしたら、その仕事はデザインですよね。鉄道を敷いていくプロセスそのものの中にデザインが宿っているんです。

設計図の上では、ここからここまで鉄道を敷いたという線を引けばいいことだけれど、現実には「ここは部族が違うから、実際に鉄道を延ばしていくと、諍いがあるかもしれない」なんてことまで考えた上で、鉄道を敷いていく。そういう現場をやっている人がいれば、その仕事全体が、既に立派なデザインなんです。

川島:それくらい包括的な概念で、デザインをとらえられたらいいなと思います。ともするとデザインって、さっき糸井さんがおっしゃったみたいに「きれいな衣装を羽織ること」みたいなところで止まりがちだから。

糸井:確かに。衣装を変えたら、つまんないものでも売れるんじゃないかという幻想、どこかにあると思います。コピーにも同じところがある。コピーライター時代の僕も、「ここで一句」とか言われましたから。

地方に行った時に、地元の売れていないジャムとかに対して、「糸井さんがコピー書いてくれたらなぁ」とか言われるわけです。でも売れないですよ(笑)。っていうか、売れたら俺が困る。だから言うんです。「そうですねえ、魔法のように売れるんじゃないですかね?」って、それで、商品に問題があるのではってことを言外に漂わせてみたりしました。

川島:意地悪ですねえ。

糸井:(笑)。でも真面目な話、そういう幻想って、とても困るんです。だって製品ができてからお客さんの手に渡るまでに、長い長いドラマがあるわけで。コピーライターは、売るための助け舟を出す役割ですから、どこかで手伝うことはできますが、限界もある。

川島:衣装をとっかえるみたいに、表層的なデザインだけを変えても、根本的なことが変わるわけではないですから。

糸井:良いコピーを作ることと、売れる商品を作ることとは、別の文脈にあるんです。そして、デザインって実は土台になるものだから、そこが崩れちゃっているのに、良いものを着せたら売れるということはないと思いますね。

川島:デザインは、表層的な衣装じゃなくて、最も大事な土台。

糸井:デザイン=衣装という考え方についてだって、それは何かと言ったらもっとある。一見すると衣装に見えるものは、土台のところには、衣装によって表現されている「魂」があるわけで。だから、どう見せたいのかというところ、何を感じて欲しいのかというところ、社会から見てどういう反応があるのかというところ、そこを想定した上の衣装なんです。

つまり、その衣装を着た人が、踊る舞台を想像して作るべきものなんです。やっぱり、大元のところにあるのは、「生きる舞台」であり「心」ですよね。

川島:なるほど、そう考えると「衣装としてのデザイン」も大事なことですね。

糸井:衣装に見えるものが、街に与える影響っていうのもあって、それは「生きる舞台」が「都市計画」につながっていくこと。それはそれで素晴らしいゲームだと思うんです。

川島:考えてみたら、糸井さんのお仕事は全部、「生きる舞台」を作ることであり、「心」に触れるものと言えます。

 

 

クリエイティブの成果物はすべて「コンテンツ」です

 

糸井:「ほぼ日」では、クリエイ ティブの成果物としてできたものは、すべて「コンテンツ」と読んでいます。モノであっても、コトであっても、文章であっても、すべてにおいて、商品のコンテンツとか、対談のコンテンツとか、全部を「コンテンツ」という言葉を使っています。そして、そのコンテンツを作るにあたって、根っこにあるデザイン、つまり僕が言っている「魂」とか「心」とか、そういうものを目いっぱい込めているわけです。

川島 :企業としてやっているのだから、その「魂」や「心」は、どこか先のところでビジネスにつながっていくんですよね。

糸井:そうでなければいけないですよね。「コンテンツ」はそのために存在しているし、たくさんの価値を作っていかなければならない。そしてその中に、商売っ気たっぷりに生み出される「コンテンツ」もあると思います。

川島:たとえば、著名なブランド名が、ロゴとしてバーンと入っているコンテンツもありということですね。ヒストリーを背負っている衣装を、商売のネタとして上手く使う。そういうコンテンツもありなのでしょうか。

糸井:「ほぼ日」で扱うかどうかは別にしてですが、当然ありです。それと、服をたとえにしてもう少し言えば、すごく薄い布でできていて「透けて見えるんじゃない?」というコンテンツがあったとして、それを着ている人の「心」には、「セクシーに見せて異性の関心を惹きたい」というのもあるかもしれないけれど、「私というものの何か中身を見せたいから」というのもあるじゃないですか。

川島:着る人の意図が、ある部分においては、作った人の「魂」や「心」というコンテンツと一致していない場合もあると。

糸井:あります。でも、一致していないところの嘘も含めて、いい小説が書かれるように、その人によって語り継がれていくわけです。その場合、フィクションも立派な「コンテンツ」となって、「魂」や「心」になっていきます。物語を知ることっていうのは、何かを強めてくれたりもするけど、もっと大事なことは「魂」の部分なんです。

川島:作る人と使う人が、そうやってつながっていく。つなげるのは「魂」や「心」ということ、腑に落ちます。

糸井:ただ、本質的にピュアであり、混沌の中にあって、というやりとりだけで、デザインを語ってしまうのもどうかなと思っています。そこだけでは、ブランドやデザインというものを語りつくせないわけで、「流行において」とか「商売において」というところにあって、「いい分量でカモン?」というのも、言っていく必要があると思っています。

川島:なるほど。ブランド論って、歴史ある企業が堅持してきた聖域みたいな文脈がある一方で、熾烈な資本主義競争で勝ち残る最強のノウハウみたいな文脈もある。

糸井:だから、聖と俗は、あるいは生と死は、本当は一体みたいな、そういう大矛盾を孕んだところに、人間のやるせない表現があるんです。

川島:ブランドやデザインについて、深く語っていくと、結局、そういう話に行き着きますね。

糸井:人間観とか世界観が出てしまうことだと思うんです。川島さんだって、デザインということについて、ナメたことを言われたくないんですよね。

川島:そうなんです。とても大事なことだから、ナメた扱いをして欲しくない。でもしつこく言いますけど。企業の中で、ナメた扱いが多いんです。

糸井:ただ、負けるが勝ちっていうこともあるし、煙に巻いている状態がいいことだってあるんです。一発殴るもありだけど、抱きついちゃったら解決することだってある(笑)。だから川島さん、ラグビー見るといいですよ。

川島:またまたラグビーに行っちゃうんですか。私、実はラグビーがちょっと苦手で。あのムキムキした肉体がぶつかり合う姿がちょっと。

糸井:苦手だって思うところには、なぜ嫌いかという理由があるはずで、そこにきっと、糸口があるのだと思います。「なぜ?」って思いながら見に行くと、たいていのものを好きになれますよ。僕だって、そういう努力をしているんです。

川島:本当かなぁ。でも糸井さんにそう言われると、なぜか説得力があります。じゃあ、会社から競技場近いし、ラグビー、見てみますね。

糸井:何だったら、お連れしますよ(笑)。