水曜日, 4月 20, 2016

INTERVIEW: 糸井重里  第4回 デザインは「生きる舞台」づくり。行き着く先は「都市計画」

 

ブランドは「ライフの集合体」:糸井重里さん

第4回 デザインは「生きる舞台」づくり。行き着く先は「都市計画」



川島:この質問、連載で必ず聞いていることなんですが、糸井さんにとって「ブランド」とは何ですか?




糸井:よく分からないんですけど、まあ一言で言えば、経営してきた人のヒストリーですよね。きちんとしたヒストリーさえあれば、「5年しか経っていないけれどブランド」っていうのもあると思うんです。

「iPhone」だって、アップルというブランドに乗っかっているとはいえ、ブランドとして一本立ちできる存在になっている。それはやっぱり、「iPhone」の持っているヒストリーだと思うんです。そして、ヒストリーというのは「ライフの集合体」でもある。

川島:「ライフの集合体」ですか?

糸井:「ほぼ日手帳」について言えば、もう10年以上にわたって「手帳って何か」ということを、僕らは考えているわけです。東日本大震災があった時、手帳が流れてしまった人に、新しい手帳を差し上げますということをしてみたら、ものすごく喜ばれたんです。

アルバムを失くしちゃったということと、手帳を失くしちゃったということを、同じように大事にとらえている人たちが、実はいっぱいいたわけです。それで「これは何だろう」って考えた時に、その人たちにとっての手帳って、生命=ライフの一部みたいになっているのかもしれないと思ったんです。

川島:そう言われてみると、使い終わった手帳って、何に使うわけでもないのに捨てられなくて。20年間分くらい手元にあります。

糸井:そうでしょう。それで一昨年、「ほぼ日手帳」に「LIFEのBOOK」というキャッチフレーズを付けてみたんです。そうしたら、いろいろなものが見えてきて、昨年(2015年)は「This is my life.」 というキャッチフレーズにしたんです。

「手帳ってライフだよ」って言うと、すごく収まるわけです。川島さんのように、何年もとっておいて後で見るのもライフだし、もう終わったことと捨ててしまうのもライフ。そういった無数のライフの積み重ねって、ブランドとそっくりだと思うんです。

川島:なるほど。使ってきた人のストーリーも含めて「ライフの集合体」となったもの、それがブランドということですね。じゃあ、そんな「ライフの集合体」、つまりブランドは意図的に作れるのでしょうか。

 

 

老舗にとって、新しい挑戦とは新しくなることじゃない

 

糸井:あるブランドについて「大好き」という人がいてもいいし、「認めません」という人がいてもいい。それから、「うちは、なかなか手が出せない存在」というヒストリーをキープしようとしているブランドに対して、「いつかは憧れ」という人がいるのもありです。

川島:いわゆるラグジュアリーブランドって、そういう「ライフの集合体」と言えますね。

糸井:一方で「絶対そんなもの身に着けない」というひとがいるのも、それはそれで当たり前のことです。

川島:「ライフの集合体」だから、いろいろなありようがあるわけですね。

糸井:たとえば「金儲けだ、金儲けだ」と言っている人が集まって、ものすごく一所懸命やりましたっていう「ライフの集合体=ブランド」もある。それは、「金儲けだ!という人が作った」というヒストリーで、ある層の人を惹きつける。ファンを作れますよね。

川島 だから人は、ブランドのものを手に入れて、使うわけですね。

糸井:そうやって、あるブランドを認めるというのは、自分の人生にブランドのヒストリーを流し込んじゃうことを意味するんですよ。

川島:そうすると、ヒストリーは、ブランドにとってすごく大事ですよね。先ほど糸井さんは、「5年しか経っていないけれどブランド」という話をされていましたが、老舗が持っているヒストリーの価値って、とても大きいと思うんです。でも、元気のいい老舗は、そのヒストリーに甘んじることなく、新しいことに挑戦している。

糸井:その場合、新しい挑戦や、新しい製品をどんどん出すこともまた、ブランドのヒストリーに組み込まれていて、その部分も素敵だなと思ってくれるお客さんが、また次の時代にブランドを支えていくのでしょうね。

川島:その連続が老舗の歴史を作ってきたようにも思うのです。新しいことへの挑戦を続けていくことって大事だなあと。

糸井:そこでですね、「新しいことへの挑戦を続ける」目的が、「新しくなる」ことじゃないっていうところが、僕は面白いと思います。言い換えれば、「新しくなる」ことは、「生きていく」ための手段なんですね。「ライフ=生命の集合体」としてのブランドにとって、大切なのは、「新しくなる」ことではない。「生き続ける」ことです。「生き続ける」にはどうしたらいいか。それが「新しくあれ」なんです。




川島:「生き続けよう」とすると、結果的に「新しくあれ」に向かうと?

糸井:「新しくあれ」がないと、安定して落ち着いて、止まってしまう。安定は必要なんだけれど、究極の安定は「死」です。絶対そこに行ってはいけない。だから、「新しくあれ」に向かうしかない。この対談で、「偶然がクリエイティブには大切」っていうお話をしたと思いますが、「偶然は神様です」っていう発想が、老舗の人たちにはあると思っています。

川島:「偶然」とは、ルーティンを変えてくれるものとおっしゃっていましたよね。そしてそれは、同じ状態で止まっているのではなく、変わっていくことでもある。

糸井:ルーティンで枠の中の仕事を繰り返していると、考えてもしょうがないことを、ずるずるやっていたりするんですよ。そこには、考え足りないことがたっぷりあるはずなんです。そのあたりを、やわらかく組み立て直すための「偶然」って大事です。

川島:それ、さまざまな経営トップの話を聞いていると痛感します。戦略的に新しいことに挑戦してきたというより、「今、これをやらねば」という必然で判断したら、結果的に成功につながった。そんなケースがとっても多い。

糸井:やっぱり「偶然は神様」なんだなぁ。

 

 

オフェンスがなかったら会社は続かない

 

川島:糸井重里事務所では、さまざまなプロダクトを作り、「ほぼ日」を通して売っている。そこには、凄くたくさん売れるものと、少しだけ売れるものとがあるけれど、それらが共存していける。そんなビジネスをやっていきたいと糸井さんはおっしゃっていて。

本当にそんなことができるかなぁって思ったんです。だって大半の企業は、どの商品も同じようにたくさん売れること、効率を上げて売上を伸ばすことばかりを目指すじゃないですか。

糸井:工業社会の時代のやり方は、それで良かったので、そのやり方は否定できないんです。ただ、そういう風にきちんと計画通りにやっていくのが、会社にとってのディフェンスだとしますよね。でも次の時代に向けたオフェンスの仕事、トライをする仕事がなかったら、その会社は続かないはずで。

ちなみに「売れる」ってどういうことだろうと考えてみます。どの商品も百万個売ろうと考えたら大変です。でも、たとえばオリコンのランキングで1位じゃなくって80位だっていい。それで食える商品にすればいいわけです。そうすると、けっこういろんな市場があることに気がつく。

川島:トップテンに入るものもあっていいし、そうでないものもあっていいけれど、「市場」をきちんと見極めて「仕入れ」ていくということですね。

糸井:やっぱりモノそのものの価値だけでなく、込められた思い、醸し出す物語といった「心」の背景も大事ですね。物語がなければ、「何かいいらしいけど何が?」ということで終わってしまいかねない。製品ができてからお客さんの手に渡るまでには、長いドラマがある。大切だと思う物語を、きちんと伝えることって大事だと思うんです。

 

 

自分のリーダーは自分です

 

川島:糸井さんが自信を持って、そう言われるのは、糸井重里事務所の仕事を通して、たくさんのオフェンスを重ねてきたからだと思います。だけど、企業に余裕がないから、新しい実験=オフェンスができないっていう話も聞きます。

糸井:ディフェンスがきっちりできているから、今までの商売が築いてこられたし、そこのところで原資を確保していることも分かっている。その財産を食いつぶしちゃう前に、次の何か、つまりオフェンスを考えておこうというのは当たり前のことです。でも、それがすべてだということでもなく、「重なっている」のが大事なわけで。

川島:「重なっている」とは、どういうことですか?

糸井:たとえばフローとストックといった言い方をよくしますが、フローでもストックでもない状態ってあるじゃないですか。宙に漂っているみたいな。そのあたりを勘定に入れておけばいいんじゃないかと思うわけです。フローとストックが対決しているわけじゃないし。そこは、だいぶ大人な気分で「重ねて」やっていかないと。

川島:そういったことを理解した上で、実行できる企業とできない企業、ますます差がついていきそうです。

糸井:誰のせいにするのでもなく、覚悟し、選択する。「自分のリーダーは自分です」って僕は思っています。自分のリーダーとして自分で判断するわけです。しかも、そう思うのは社長の僕だけじゃなくて、社員一人ひとりがそう思わなくっちゃ。「あんたらがいて、良かったわ」と言われるチームに、ますますなっていきたいと考えています。

 

 

デザインとは「生きる舞台を作ること」

 

川島:糸井さんにとって、デザインとは何でしょうか?

糸井:デザインの意味するエリアが物凄く広がっていると思います。昔は「プラン」と呼ばれていたこととか、「設計」と言われていたことまで、今はもう、デザインの中に組み込まれていますよね。

川島:「企画」もそうですね。

糸井:だから、そっちまで含めて、つい考えちゃうんですけれど。僕は、デザインとは究極的には「都市計画」だと思っているんです。人の住む街とか都市を「どういう都市がいいんだろうな」と考えることが、デザインの行き着く先だと思うんです。

川島:デザインの行き着く先は「都市計画」!

糸井:川島さんの質問から、デザインの行く先は「都市計画」になっちゃうんですね。でもそうだなぁ、デザインそのものっていうのは何だろうなぁ。……。うん、できた!「生きる舞台を作ること」です。こうやって苦し紛れに考えると、出てくるものだね(笑)。

川島:それも大きな定義ですが。舞台って何なんでしょうか?

糸井:舞台は舞台。人とかかわる場所だし。もちろん、舞台じゃない場所というのもあると思います。でも、現代社会の中で、舞台はどんどん増えていますよね。お店を開いている人は、もうそこにいる間は、全部舞台だしさ。

川島:人と人のかかわりがあって、いろんな会話があり営みが生まれている。

糸井:自宅も舞台ですよね。お父さんをやっている人は、子どもが「どこかに連れていって」という話をしている時、何と答えようかというセリフがあって、自由にしゃべっているわけじゃない。だから舞台とは基盤になるほどデカいもの。そう考えていくと、デザインは「ライフを乗っける器」かもしれない。

川島:「ライフを乗っける器」。




糸井:となると、「デザイン料というのは、生きる舞台を作ること料なのかよ」ってなる。だったら、デザインって仕事自体をもっと大きく考えてほしい。これ、僕がコピーライターという職業をしていた時に、コピーという仕事についても同じようなことを考えたことがあるんですよ。何というか「いいコピーを書きたいんですよね」という人のちっちゃさに腹が立っていた(笑)。

川島:「いいコピーを書きたい」コピーライターはちっちゃい!


糸井:そういう人には「君は何をしているんだ?」と聞きたい。コピーもデザインもそれ自体がうまくなりたい、というのは「剣の達人でありたいです」みたいな発想です。でもデザインを考える時に、いちばん最初に捨ててほしいですね、その考え方。

川島:本来のデザインって、深く広く、志は高く。とても難しいけれど、やりがいがある役割を担っている。でも、企業の中にいると、何かデザインの価値って軽視されていることが多いんです。色やかたちと表層的にとらえている人もいるし。そもそも、デザインってものが、物差しを当てたり、理屈をつけたりするのが難しい領域なんです。

糸井:そういう場合、「ライフを乗っけるものを失くしてでも、あなたは何かができると思っているんですか?」と逆説的に質問してみるのがいいんじゃないかなあ。

川島:そういう手があるわけですね。今度、使ってみます。

 

 

衣装を変えたら、なんでも売れるんじゃないかという幻想

 

糸井:それって「デザインとは、いわば衣装みたいに上から羽織るものだから」と思っている人にとっては、理解するのがむずかしいでしょうね。

川島:道は遠いなぁ。

糸井:「あの人がデザインしているんですよ」ということを、もうちょっと分からせる手もあるんじゃないでしょうか。つまり、仮にアフリカに鉄道を敷いた人が伊藤忠商事にいたとしたら、その仕事はデザインですよね。鉄道を敷いていくプロセスそのものの中にデザインが宿っているんです。

設計図の上では、ここからここまで鉄道を敷いたという線を引けばいいことだけれど、現実には「ここは部族が違うから、実際に鉄道を延ばしていくと、諍いがあるかもしれない」なんてことまで考えた上で、鉄道を敷いていく。そういう現場をやっている人がいれば、その仕事全体が、既に立派なデザインなんです。

川島:それくらい包括的な概念で、デザインをとらえられたらいいなと思います。ともするとデザインって、さっき糸井さんがおっしゃったみたいに「きれいな衣装を羽織ること」みたいなところで止まりがちだから。

糸井:確かに。衣装を変えたら、つまんないものでも売れるんじゃないかという幻想、どこかにあると思います。コピーにも同じところがある。コピーライター時代の僕も、「ここで一句」とか言われましたから。

地方に行った時に、地元の売れていないジャムとかに対して、「糸井さんがコピー書いてくれたらなぁ」とか言われるわけです。でも売れないですよ(笑)。っていうか、売れたら俺が困る。だから言うんです。「そうですねえ、魔法のように売れるんじゃないですかね?」って、それで、商品に問題があるのではってことを言外に漂わせてみたりしました。

川島:意地悪ですねえ。

糸井:(笑)。でも真面目な話、そういう幻想って、とても困るんです。だって製品ができてからお客さんの手に渡るまでに、長い長いドラマがあるわけで。コピーライターは、売るための助け舟を出す役割ですから、どこかで手伝うことはできますが、限界もある。

川島:衣装をとっかえるみたいに、表層的なデザインだけを変えても、根本的なことが変わるわけではないですから。

糸井:良いコピーを作ることと、売れる商品を作ることとは、別の文脈にあるんです。そして、デザインって実は土台になるものだから、そこが崩れちゃっているのに、良いものを着せたら売れるということはないと思いますね。

川島:デザインは、表層的な衣装じゃなくて、最も大事な土台。

糸井:デザイン=衣装という考え方についてだって、それは何かと言ったらもっとある。一見すると衣装に見えるものは、土台のところには、衣装によって表現されている「魂」があるわけで。だから、どう見せたいのかというところ、何を感じて欲しいのかというところ、社会から見てどういう反応があるのかというところ、そこを想定した上の衣装なんです。

つまり、その衣装を着た人が、踊る舞台を想像して作るべきものなんです。やっぱり、大元のところにあるのは、「生きる舞台」であり「心」ですよね。

川島:なるほど、そう考えると「衣装としてのデザイン」も大事なことですね。

糸井:衣装に見えるものが、街に与える影響っていうのもあって、それは「生きる舞台」が「都市計画」につながっていくこと。それはそれで素晴らしいゲームだと思うんです。

川島:考えてみたら、糸井さんのお仕事は全部、「生きる舞台」を作ることであり、「心」に触れるものと言えます。

 

 

クリエイティブの成果物はすべて「コンテンツ」です

 

糸井:「ほぼ日」では、クリエイ ティブの成果物としてできたものは、すべて「コンテンツ」と読んでいます。モノであっても、コトであっても、文章であっても、すべてにおいて、商品のコンテンツとか、対談のコンテンツとか、全部を「コンテンツ」という言葉を使っています。そして、そのコンテンツを作るにあたって、根っこにあるデザイン、つまり僕が言っている「魂」とか「心」とか、そういうものを目いっぱい込めているわけです。

川島 :企業としてやっているのだから、その「魂」や「心」は、どこか先のところでビジネスにつながっていくんですよね。

糸井:そうでなければいけないですよね。「コンテンツ」はそのために存在しているし、たくさんの価値を作っていかなければならない。そしてその中に、商売っ気たっぷりに生み出される「コンテンツ」もあると思います。

川島:たとえば、著名なブランド名が、ロゴとしてバーンと入っているコンテンツもありということですね。ヒストリーを背負っている衣装を、商売のネタとして上手く使う。そういうコンテンツもありなのでしょうか。

糸井:「ほぼ日」で扱うかどうかは別にしてですが、当然ありです。それと、服をたとえにしてもう少し言えば、すごく薄い布でできていて「透けて見えるんじゃない?」というコンテンツがあったとして、それを着ている人の「心」には、「セクシーに見せて異性の関心を惹きたい」というのもあるかもしれないけれど、「私というものの何か中身を見せたいから」というのもあるじゃないですか。

川島:着る人の意図が、ある部分においては、作った人の「魂」や「心」というコンテンツと一致していない場合もあると。

糸井:あります。でも、一致していないところの嘘も含めて、いい小説が書かれるように、その人によって語り継がれていくわけです。その場合、フィクションも立派な「コンテンツ」となって、「魂」や「心」になっていきます。物語を知ることっていうのは、何かを強めてくれたりもするけど、もっと大事なことは「魂」の部分なんです。

川島:作る人と使う人が、そうやってつながっていく。つなげるのは「魂」や「心」ということ、腑に落ちます。

糸井:ただ、本質的にピュアであり、混沌の中にあって、というやりとりだけで、デザインを語ってしまうのもどうかなと思っています。そこだけでは、ブランドやデザインというものを語りつくせないわけで、「流行において」とか「商売において」というところにあって、「いい分量でカモン?」というのも、言っていく必要があると思っています。

川島:なるほど。ブランド論って、歴史ある企業が堅持してきた聖域みたいな文脈がある一方で、熾烈な資本主義競争で勝ち残る最強のノウハウみたいな文脈もある。

糸井:だから、聖と俗は、あるいは生と死は、本当は一体みたいな、そういう大矛盾を孕んだところに、人間のやるせない表現があるんです。

川島:ブランドやデザインについて、深く語っていくと、結局、そういう話に行き着きますね。

糸井:人間観とか世界観が出てしまうことだと思うんです。川島さんだって、デザインということについて、ナメたことを言われたくないんですよね。

川島:そうなんです。とても大事なことだから、ナメた扱いをして欲しくない。でもしつこく言いますけど。企業の中で、ナメた扱いが多いんです。

糸井:ただ、負けるが勝ちっていうこともあるし、煙に巻いている状態がいいことだってあるんです。一発殴るもありだけど、抱きついちゃったら解決することだってある(笑)。だから川島さん、ラグビー見るといいですよ。

川島:またまたラグビーに行っちゃうんですか。私、実はラグビーがちょっと苦手で。あのムキムキした肉体がぶつかり合う姿がちょっと。

糸井:苦手だって思うところには、なぜ嫌いかという理由があるはずで、そこにきっと、糸口があるのだと思います。「なぜ?」って思いながら見に行くと、たいていのものを好きになれますよ。僕だって、そういう努力をしているんです。

川島:本当かなぁ。でも糸井さんにそう言われると、なぜか説得力があります。じゃあ、会社から競技場近いし、ラグビー、見てみますね。

糸井:何だったら、お連れしますよ(笑)。