20年以上前の宇宙船やロケットが今もそのまま残る幻の旧ソ連・有人ロケット計画「ブラン計画」のバイコヌール宇宙基地の廃墟
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旧ソ連の「ブラン計画」は、1988年にたった一度打ち上げられただけ(無人で地球軌道を周回)で計画が中止されたため幻となってしまった宇宙開発計画。
開発や組立が行われていた宇宙基地には、計画中止となった1993年のその時から20年以上が経過しているにもかかわらず宇宙船「ブーリャ(プチーチュ
カ)」や大型ロケット「エネルギア M」がそのままの状態で放置されています。
この「ブラン計画」の廃墟写真は、ロシアの写真家
Ralph Mirebs 氏が撮影した作品。
撮影場所は、現在もロシア宇宙局がロケット発射場として利用しているカザフスタンにある「
バイコヌール宇宙基地」。
ガガーリン少佐を乗せ人類初有人宇宙飛行に成功したボストーク1号(1961年)や日本人で初めて宇宙へ行った秋山豊寛氏を乗せたソユーズTM-11もバイコヌール宇宙基地から打ち上げられています。
旧ソ連(1974年〜1991年)・ロシア(1991年〜1993年)の「ブラン計画」ではアメリカのスペースシャトル同様に、再使用可能な有人宇
宙船(オービタ)「ブラン」、そしてブランを宇宙まで運ぶための大型ロケット「エネルギア」の開発が行われています。結局有人飛行を行う前に計画は中止さ
れてしまったため、一部の宇宙船やロケットは未完成の状態で実際に使用されること無くバイコヌール宇宙基地に残されています。
宇宙船「ブラン」
ロシア語で猛吹雪を意味する「ブラン計画」の宇宙船は、幾つかの試験機や1号機「ブラン」、そしてほぼ完成していた2号機「ブラン
1.02」(別名:ブーリャまたはプチーチュカ)、約半分ほど完成していた3号機「ブラン
2.01」(別名:バイカル)、組立初期段階だった4号機「ブラン 2.02」(別名:タイフーン)、ほどんど着手されていなかった5号機「ブラン
2.03」などが存在しています。
バイコヌール宇宙基地の敷地内にある「MIKビルディング」に現存しているのは、ブーリャまたはプチーチュカと呼ばれていた2号機「ブラン 1.02」と試験機「
OK-MT (OK-ML-2)」の2機。
1988年に組立が始まった2号機「ブラン 1.02」は、ブラン計画が正式に中止となった1993年には95%以上完成した状態だったようですが、結局は完成を待たずに放置され、現在もその当時の状態のままになっています。
1. 2号機「ブラン 1.02」が安置されている「MIKビルディング」の外観。132m(横)×62m(高さ)。バイコヌール宇宙基地で最も大きな建築物です。42m×36mの巨大なスライドゲートが設置されています。
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2号機「ブラン 1.02」が安置されている「MIKビルディング」の外観。132m(横)×62m(高さ)。バイコヌール宇宙基地で最も大きな建築物です。42m×36mの巨大なスライドゲートが設置されています。前後の巨大扉からシャトルを出し入れする。支持構造は特殊鋼で作られており、仮に近接の発射台で巨大ロケットの爆発事故が発生した場合でも、その衝撃波に耐えられる強度を有している
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格納庫内には現在、2機のシャトルがあり、1機はブランの2号機(ソ連での通称は嵐を意味する「ブーリャ」)、もう1機は技術試験機「OK―MT」(写真手前)である
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20年もの月日で耐熱タイルは剥がれ、鳥の糞や埃まみれになっています。しかし、稼働してた当時は埃を避けるため建屋内は高圧にされており、全てのドアは密閉されていました。 |
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格納庫内部には最大積載量400トンのガントリークレーンが3基設置されている。クレーンにはシャトルをつり上げるための特殊なサスペンションが装着されている(赤い部分) |
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2号機「ブラン 1.02」のコックピット |
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試験機のコックピットは、実機のものとほとんど同じである。しかし、いくつかの機器は、同じ重量の木片で代替されていた
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貨物室へは操縦席からアクセスできた。4つの赤い箱は化学反応を利用した発電装置。箱の横に見える2つの球形タンクは、装置で使用する化学物質を蓄蔵する
もの。ちなみにこの場所は、非与圧区画(飛行中に真空状態の区画)である。予定されていた宇宙ステーション「ミール」への飛行のために、エアロック付き
ドッキングシステムが装着されていた。写真は貨物室から写したもの
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ここは翼の内部と思われる
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内部のペイロード区画やエンジン区画の状態は比較的きれいに保たれています。 |
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エアロックの内部。船外へ出る際、クルーはこのエアロックを通して真空の外空間へアクセスする
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ちなみにブランを輸送するために作られたのが現在も現役で稼働している超巨大輸送機「アントノフ An-225ムリーヤ」 |
ウクライナの超巨大輸送機「アントノフ An-225ムリーヤ」が日本にやってくる
大型ロケット「エネルギア」
エネルギアは、1987年に衛生「ポリュス」の打ち上げ、1988年の「ブラン」の打ち上げの2回(どちらも成功)の打ち上げのみで、「ブラン計画」の計画中止に伴い生産終了しています。
エネルギアには、打つ上げ能力が違った「エネルギア M」、「エネルギア II」、「ヴァルカン」など幾つかの派生型が存在しており、バイコヌール宇宙基地には小型版の「エネルギア M」が現存しています。
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「エネルギア M」が格納されている高さ170mの建屋。現在でもバイコヌール宇宙基地で最も高い建築物 |
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エネルギアMは既に使用されていた大型ロケット「プロトン」の後継機候補として構想・開発されたものでもあった。地球周回低軌道へ35トン、静止軌道へ6.5トン、さらには月へ12トンの衛星打ち上げ能力を有する設計となっていた
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メインエンジンにはRD―0120が1基使用され、液体水素と液体酸素で駆動する
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ブラン2号機はバイコヌール宇宙基地へ1988年3月23日に搬入された。ブランには1991年秋、自動操縦モードで打ち上げ、宇宙ステーション「ミー
ル」へドッキングする計画があった。この計画は、ミールに滞在していたクルーがブランに乗り移り、引き続き自動操縦で地上へ帰還するというもの。作業停止
が命じられたとき、工程の95%が完了していたという
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