月曜日, 3月 13, 2017

「苦しみから解放されるには——踊るしかない」 セルゲイ・ポルーニン

 

セルゲイ・ポルーニンが好むのは、苦悩。2000万回再生された、異色の天才バレエダンサー

「苦しみから解放されるには——踊るしかない」

 

バレエの天才セルゲイ・ポルーニン(27歳)

 

 

「神の贈り物」とも評される肉体美と完璧な技。苦悩と希望に揺さぶられる若い魂を表現したバレエ『Take Me to Church』は、YouTubeで2000万回近く再生された。バレエとしては異例だ。

 



LGBT迫害を強烈に告発したホージアの曲で、もがき、打ちのめされ、跳躍する。


セルゲイは2009年、史上最年少の19歳で世界の最高峰、英ロイヤル・バレエ団のトップ(プリンシパル)に上り詰めた天才だ。均整の取れた肢体、完璧な技、しなやかな感情表現——。観る者を夢の世界に誘った。

だが、早熟の天才は、次第に壊れていった。夜遊びを度々目撃され、レッスンに現れなくなり、ドラッグ使用を赤裸々に話した。タトゥーが全身を覆った。2012年に電撃退団。「反逆者」「破壊者」「空を舞う堕天使」などとも呼ばれた。

頂点に登りつめた天才が好むのは、苦悩だった。

19歳で世界の頂点に





7月日本公開の映画『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』は、セルゲイの成功と苦悩、家族との葛藤を映し出す。



http://amzn.to/2nSMXWp



4月26日、東京都内で会見したセルゲイ。来日は6年ぶりだ。英語で、言葉を慎重に選びながら、ゆっくりと質問に答えた。




ドキュメンタリー制作はセルゲイをどう変えたのか。

「ドキュメンタリーは大きな旅でした。セラピーのような、癒しのような。成熟の旅でした。怖がってきたものに直面することでした」

アルコールに羽目を外し、ドラッグ体験を赤裸々に語る場面も登場する。

「ダンサーが成熟するのは難しいんです。日々、スタジオの中で練習に明け暮れます。自分自身、人生経験を教えてくれる人がいなかったので、難しかった。ガイダンスがあり、メンターがいることが大切だと思います。人生レッスンという科目が学校にあってもいいと思います」

「部族なら、ある年齢になると、成人男性になるために、狩猟に出るというようなことがありますよね。でも西洋文化ではそういうのがない。だから、成熟せず、他者のせいにし続けるようなこともある。このドキュメンタリーは私が成熟する助けになりました」

セルゲイには影がある。だがそれは自らの苦悩を直視し、真摯に苦闘する者だけが持つ深みでもある。


「心地がよすぎるとき、そこには安住しません。いつも苦悩していて、何かを達成しようとしています。心地よくなった瞬間に、楽しみ始めた瞬間に、これは違うと思うからです。何かを達成するには、いつも何かについて苦悩しなければならない」
「私には戦っている感覚が必要。戦う相手がいる方がいい。そんなときに強くなれます。だから戦う相手が必要なんです。それがないと、見失い、目的がなくなります…...何かと戦い続けることが大切なんです」



タトゥーについても語った。「私にとってタトゥーを入れている人は、自由人です」「見た目も好きだったし。タトゥーを入れる経験、そこへ行って、話をするのも素晴らしい。自由な精神を持っている人たちがいる素晴らしい雰囲気です」



映画を観た感想は。

「映画を観たくなかった。でも(『Take Me to Church』を撮影した)デヴィッド(・ラシャペル)にだまされて見せられてしまいました。で、観ました。質は気に入っています。非常によくできた映画だと思いました」

母の厳しい指導は、息子セルゲイには支配に映った。家族は崩壊し、バレエの目的を次第に失っていく。だが映画では、師に出会い、友人に助けられ、絆を確認していく。

「感情のジェットコースターに乗せられたような感じでした。観るのは大変でした。しかし、映画から、両親が与えてくれたこと、友情について、再認識できました」

『Take Me to Church』はセルゲイにとって重要な転機となった。いま、踊ることは楽しんでいるのか。

「浮き沈みはあります。それが人生ですから。ただ、どうポジティブでいるか、よいエネルギーを出すかということを学びました。内側からそういうものは生まれてきますから。考え方から生まれますから」
「ときには、自分の内側での葛藤はあります。でも、プラスに考えられるようになった......ええ、楽しんでいます。特に、踊ろうと決心したので、踊らなければならないというときとは違った感情を持っています」

『Take Me to Church』を最後に踊りを捨てるつもりだった、というセルゲイ。心境の変化をこう説明した。

「ダンスをやめるつもりでした。より成熟した業界に移ろうと思っていたんです。でも『Take Me to Church』を踊っていて、これをラストダンスにしたくなくなったんです」

繊細すぎる魂。映画では『Take Me to Church』撮影中ずっと泣いていたと打ち明けている。

「考え込みました。ラストダンスにするというのは難しいものです。何かできることはないか。なんでバレエ界で自分は幸せじゃなかったのか考えました」
「その過程で、強さを身につけることができました。自分が何かを変えることができるんじゃないかと思いました」
「だから、戻りました」

若手ダンサーを支援し、ミュージシャン、振付家らも巻き込んでコラボする『プロジェクト・ポルーニン』を立ち上げた。ロンドンで3月に公演を終えたばかりだ。

「これは『傘』のようなものです。ダンスをより良くする、ダンスと人々を近づける、ダンスに声を与え、もっとポピュラーにするような」
「私はダンスだけじゃなく、ダンサーのことをとても気にかけています。箱物、バレエ団、衣装より人間の方が大切。もっと人の面倒をみなければならない」
「サポートチームがあるようなダンサーを知りません......俳優やスポーツ選手、オペラ歌手のようなサポートチームがダンサーにはありません。チーム、システムがあるべきです。エージェント、広報担当、会計士も含む大きなチームです」
「こういうものを作りたくて、自分のためにこのようなチームを作ったようなものです。今後は、より多くのダンサーをこのチームに加えたい。インフラを作っているようなものです。ダンサーを守るものでもあります」



 プロジェクト・ポルーニンの公演リハーサル=2017年3月1日、ロンドン



バレエ振興では、セルゲイにとってロイヤル・バレエ団の大先輩にあたる熊川哲也氏が日本で尽力している。バレエ団、学校を立ち上げ、踊りながら後進を育成してきた。

「テツヤの公演は何度もみたことがあります。あんなに高く跳べる人はいない。みんなヌレエフやニジンスキーだって言うけど、テツヤほど高く跳べる人はいない」
「素晴らしいことをされています。バレエ学校をつくり、ダンスやバレエのインフラを作られました。彼は偉大なインスピレーションです」

セルゲイの今後の目標。それは業界を変えることだという。

「ダンサーとして特定の目標は特にありません。もしかしたら、素晴らしい振付師、ディレクターと出会って、素敵な音楽とともに、作品を作り上げることでしょうか。それは大きな目標でしょう。でも業界を変えることの方が大切です」

「練習」「正直」「勇気」。若いダンサーたちへのメッセージをくれた。

「とにかくいっぱい練習してください。で、しっかり勉強してほしいと思います......本当に一生懸命努力したものだけが一流になれるんです。練習する時間があるうちに、練習してください。その後はただ楽しむだけなのですから」
「そして、自分に正直でいてください。やりたいことに正直でいてください。自分が何者であり、何になりたいのか見失わないでください。それが、真実の自分の姿なのですから」
「あと勇気を持って下さい。ステップを踏み出し、新たな旅に出るのを恐れないことが大切です。未知の世界は怖い。だから、そのステップを踏み出さない人もいる。でも大切なのは、やること。勇気を持つこと」


「私はよく、離陸して、高度をあげた飛行機をイメージします。ある程度の高さになると降りて来ようとする」
「でも、じっとその高さをがんばって踏ん張る。そんなイメージが助けになりますよ」





ダンサーを解放するセルゲイ・ポルーニン

 

「遠回りをしてしまったのは 組み立てずに壊したから」

タトゥーを纏(まと)ったバレエ界きっての異端児、セルゲイ・ポルーニン。彼が来日していると聞き、居ても立ってもいられず、即対談のオファーをして実現したのが今回の対談です。絶対に取材すべきだという直感は正しかった。限界の限界まで挑戦してたどり着いた、その姿とは──。

 

 

不寛容で酷なシステムからダンサーを自由にしたい

7月15日公開予定の映画『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』は、セルゲイさんの子供時代からの軌跡をたどったドキュメンタリーです。「ヌレエフの再来」と称され、英国ロイヤル・バレエ団で史上最年少のプリンシパルとして活躍。しかし上半身にタトゥーを施し、レッスンのボイコットやコカインの使用を公言するなど、メディアでは異端の天才、バレエ界の問題児とも表現されました。さらに人気絶頂期に突然の退団。破天荒な印象が先行しがちですが、先日試写を拝見して、その背景に大変な苦悩があったことを知りました。

Sergei Polunin
 
1989年ウクライナ生まれ。4歳から体操を習い8歳でバレエを始める。13歳で英国ロイヤル・バレエスクール入学。19歳でロイヤル・バレエ団の史上最年少プリンシパルに。現在はダンサー、俳優として活動しながら、ダンサーを支援する組織「プロジェクト・ポルーニン」を主宰する。


セルゲイ 映画でも描かれていますが、僕はウクライナの貧しい家庭の出身です。家族の期待を一身に背負い、最高のバレエ団でプリンシパルになることだけを目標に、常に人の何倍もの努力をしてきました。けれど渡英し、ロイヤル・バレエ団に入団した13 歳の頃から迷いが出てきましたね。両親の離婚で家族もバラバラになり、バレエを続ける意味がわからなくなってしまった。さらに19歳で念願のプリンシパルになっても、がっかりすることばかりで。かといって次の目標も見つからず、迷路に入り込んでしまった。

takigawa あるインタビューで「後悔はないけれど、敢えて言うならば、積み重ねてきたものを壊さずに進めればよかった」とおっしゃっていました。

セルゲイ もっとも、壊さずに今のような結論に至れたかはわかりません。ただ当時の自分にもし声をかけられるなら、ひとりで抱え込まずに、誰かメンターを探すようにとアドバイスしたいです。誰にでもスランプはあります。そんな時に「休んで気持ちを切り替えろ」と言ってくれる人がいるかどうかで、状況はかなり変わりますから。

takigawa 退団後、ロシアの著名なダンサー、イーゴリ・ゼレンスキー氏に招かれてモスクワ音楽劇場バレエと、ノヴォシビルスク国立オペラ劇場バレエ団で活躍されます。イーゴリ氏との出会いは大きなものでしたか。




セルゲイ ええ。イーゴリは僕をひとりの人間として見てくれた最初の人で、今でも何かと相談に乗ってくれるゴッドファーザーみたいな存在です。幼くして両親と離れた僕は、それまで誰にも社会や生き方について教えられませんでした。ダンサーはみな幼い頃から厳しい練習に明け暮れ、外の世界を知らずに育ちます。すべてが自己責任で、アドバイスもなければ失敗した時のフォローもない。ですから体力の壁や怪我で引退すると、突然社会に放り出されて途方にくれることになる。

takigawa もしイーゴリ氏との出会いがなかったら......?

セルゲイ わかりません。私はとても「人の縁」に恵まれていると思うけれど、それでもだいぶ、遠回りをしてしまった。だからこれからのダンサーが同じように余計な回り道をしないよう「プロジェクト・ポルーニン」という組織を立ち上げました。これもイーゴリの広い人脈に助けられて実現したものですが。

takigawa 具体的にはどのような活動をされるのでしょうか。

セルゲイ 一流の俳優やスポーツ選手には、最高のパフォーマンスを維持するために専門のアドバイザーチームがついています。同じように、ダンサーにもマネジメントサポートするシステムをつくりたいんです。激しく肉体を消耗するパフォーマンスを行いながら、スケジュールの調整からフライトやホテルの手配、報酬の交渉までこなすのは本来無理があります。

takigawa ダンサーがマネジメントも自分でやっていることは、あまり知られていませんよね。

セルゲイ 他の世界を知らないダンサー自身も、そういうものだと思っているから、声をあげないんです。バレエスクールでは一糸乱れぬ群舞の構成を第一目的としているので、目立つ個性は疎(うと)まれる。ある種、軍隊のような要素が強く、生徒は自己評価が低くなりがちです。毎回役を取り合い、二番手は怪我人でも出ない限り出番がない。そんな状況下では、チームワークなど生まれません。

takigawa 仲間というよりは、みんなライバルなんですね。

セルゲイ さらにダンサーは、所属するバレエ団以外で踊ることが禁じられていたり、退団後によそのバレエ団に移ることを邪魔されたりといった事態に陥りやすい。しかも人生のすべてをかけてトップまで行っても、報酬や待遇は悲惨なものです。

takigawa それも意外でした。認められれば、リターンは大きいものなのかとばかり。

セルゲイ 「プロジェクト・ポルーニン」は、才能に対して不寛容な現状のシステムに対抗する組織を目指しています。ダンサーの地位を確立できれば、バレエ団を出ても多様な活躍の場が見い出せますし、若手の指導者として力を発揮することもできます。今のような「引退したらおしまい」では酷すぎる。

takigawa 日本では熊川哲也さんもダンサーをサポートする活動をされています。セルゲイさんは熊川さんをリスペクトなさっているというお話も聞きました。

セルゲイ はい。熊川さんはロイヤル・バレエ団の先輩でもあり、スクール時代から知っていました。自身のバレエ団やスクールを設立し、女性ダンサーの待遇も変え......本当に素晴らしいです。多くのインスピレーションをもらっていますし、ずっと注目している憧れの人です。

takigawa セルゲイさんのダンスは、歌手ホージアの「Take Me To Church」のミュージックビデオでバレエファン以外にも広く知られました。2015年に公開された映像はYouTubeで2000万回以上再生されています。でもあの時にまさか、引退を覚悟されていたとは。踊りながら、限界を感じていたのか。あるいは希望を感じたのか。当時の心境を教えていただけませんか。

セルゲイ 踊り始めは、ダンサーとして最後の踊りにするつもりでした。でもその決意は踊りながら形を変え、終わる頃には、自分はまだやめられないとわかりました。ある意味、やめられるかどうかを自分に問いながら踊っていた気がします。

takigawa 引退する場合は、俳優の道に進むことを考えられたと。


セルゲイ 今も演技の勉強は続けているんですよ。演技は次のステージとして視野に入れていますし、すでにダンサー役で2本の映画にも出演しています。ダンスも演技も生半可な気持ちでできるものではないけれど、無理に選ばなくてもいいと素直に思えたし、自分が踊ることでまだ伝えられることがあると感じられた。それが「Take Me To Church」でした。最近やっと長い迷路を抜けて、子供の頃の素直さや、感謝の心を取り戻している気がします。

takigawa 戻ってこられて本当によかったです。気持ちを忘れたまま、迷子になっている大人も多いでしょうね。特に日本人はまじめすぎて、ルールや周囲の目に囚われがちでもあるので。

セルゲイ 日本の方は、相手の仕事に対して非常にリスペクトしますよね。そして集中力を持って緻密な仕事をするイメージがあります。だから飲みに行って羽目を外すとか、そういう時間が必要になるのかなと。ただ、本当にいい仕事は抑圧されて生まれるものではないとも思います。僕自身も「自分が自由だと思える感覚」を大切に、踊り続けていきたいです。