実写版『攻殻機動隊』を見て押井守監督は何を思ったのか?
4月7日(金)から公開される映画『ゴースト・イン・ザ・シェル』。
今までに公開されている予告編では1995年の劇場用アニメ『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』をオマージュしたシーンも見受けられ、興奮が収まらない『攻殻』ファンの方もいるのではないでしょうか。
今回は『ゴースト・イン・ザ・シェル』の公開を前に、本作に多大なる影響を与えた劇場用アニメ『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』、そして続編『イノセンス』を手がけた押井守監督にインタビューしてきました。
生身の人間が肉体を通さないと表現できない
――電脳や義体、ネット犯罪など時代を先取りしていた『攻殻機動隊』(以下『攻殻』)ですが、最近はVRやAIが身近な存在になり時代が少しずつ追いついてきているように感じます。そういった時代の流れの中で、今後の『攻殻機動隊』はどんな作品になって行くのでしょうか?
押井守:いやーそれは誰にも分からない。ただ、バーチャルとかデジタルとかハッキングも、『攻殻』が作られた当時から概念としてあったんだよね。小説の世界では昔にやってたことばかりで、それが現実になったってだけの話です。デジタル社会の警告とか、テクノロジーの警告とか、僕は関係ないと思う。『攻殻』でやりたかったのはもうちょっと古めかしい事だから。20年どころか200年前から変わってないこと。
要するに人間だけがなぜ身体を再確認する過程が必要になるのかとか。身体論だと思う。人間ってどう言う風に意識ができてるのか、本当に横にいる人間とおんなじ現実を見ているんだろうかとか、そういうことを誰がどうやって保証するのとか、だから人間が生きることのリアリティって本当はなんなのっていう。それは僕が『攻殻』に限らずずっとやって来たこととほとんど変わらないと思う。人間にしか興味ないから。だからテクノロジーやバーチャルに実際そんなに興味があるわけじゃないんだ。だからこそ、わりと冷徹に見てるのかもしれない。あまりそういうものに極端に希望を持ってないし絶望もしていない。
ただ実際、1995年の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』は時期的に攻めてたから、ちょっと早かったのかもしれない。そもそも士郎正宗さんの原作がなければあり得なかった話だけどね。あれを通過することで自分なりに読み替えただけだから。今回の映画はそれが随分整理された。“記憶を感知する”ということで決着つけちゃっていいんだろうかという。言っちゃえば哲学的には大幅に後退している。でもその分、人間が体を失うこととか記憶を失うことの意味を具体的な映像や絵面で説得しているんですよ。これはとても大きなことで、アニメーションにはできない。やっぱり具体的に生身の人間が肉体を通さないと表現できないよ。役者さんの身体がささえている映画であることは間違いないと思います。
だからこそアニメーションはアニメーションでできることを考えるしかない。同じようなことはできないから。でも今は途方に暮れてるところ。自分がアニメを作る機会があるとしたら、結構な作品を完成させるっていう自信はあるんだけれども。それ以上のものにならないんだったらあんまりやる意味がないからね。でも『攻殻』や『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』でやったような、アニメで表現できる新しいテーマは今のところ思い付かない。今は正直ハリウッド映画の方が表現としては質・量ともに上というか、逆転しちゃったんだよね。だから今の日本のアニメーションがハリウッド映画とかアメリカ映画に与えるものは何もない。演出も含めて停滞してるんだよね。
映画自体がゲームに水をあけられている
押井守:全然関係ない話なっちゃうけど、もっと言えば映画自体がゲームに水をあけられている。この2年間、ゲームばっかりやってきた結論として、これは映画ヤバイんじゃないって感じた。映画だと2時間で終わっちゃうけど、Fallout(核戦争後の地球を舞台にしたゲーム)は200時間やっても飽きない。終わらないし終わる必要もない。終わる必要がないってのは新しい形式だと思った。オープンフィールドの環境とキャラクターを用意すれば、あとは自分でストーリーを作れるからね。
映像体験としても全然いいですよ。時間が進むと光も変わってくるし、雨が降ったり風が吹いたりさ。僕ならロードショーに3回行くんだったらゲームを買う。もちろん優れたゲームだけの話になってくるけど、それが形になっちゃったことがショックだった。かつては一生懸命映画の真似してるなーってくらいに思ってたんだけどさ。今は眼中にないよね。2年近くゲームをやってきた結論として、こういう危機感を持たずに映画を作っていいのかっていう気がした。
だから、いい時代に映画作ってきたなぁと思うよ。あらゆることを体験したし、好きなことをやって来たしね。これからは作る人はそういうところが大変だよ(笑)。でもさ、余計思うんだけど今の映画っていろんな目先は変えられるんだけど、表現というレベルでは明らかに停滞してるよね。なんでもそうだけど結局デジタルってさ、目先はともかく表現の本質を変えなかったという気がしてる。だから映画にできることは何ひとつ変わっていないです。そういう意味で割とさ、冷たくというか突き放して見れるのは、僕がデジタル表現の人間じゃないからですよ。最近は80%、YouTubeしか見てないから。しかもYouTubeでゲーム見てるだけ。映画より面白いもん。みんな違うから。100人の人間がそれぞれ違う印象で席を立つっていうのを地で行ってんのがゲームなんだよね。100人が100人、違う物語を見てる。
スクリーンの世界にゴーストが吹き込まれている
――今作は、『攻殻機動隊』シリーズの中でどういった立ち位置の作品になると思いますか?
押井守:むこうのインタビューでも言ったけれど、今までの攻殻シリーズの中で一番ゴージャスな映画で。ゴージャスっていうのは金がかかっているっていう意味もあるんだけど、要するに情報量の話だよね。やっぱアニメの『攻殻』ってなんだかんだ言っても最後は言葉なんですよ。神山がやったのもそうだし、黄瀬がやったのもそうだけれども、言葉なしには成立していないから。自分の『攻殻』なんて盛大に喋ってる。本来アニメーションは情報量を補完するために言葉を導入せざるを得ないんですよ。
だから実写の『攻殻』は決定的に違うんだよね。ハリウッドと日本映画の差とかそういうレベルじゃなくて。やっぱり役者さんに支えられてるのが映画の王道なんだよ。アニメーションとは原理的に違う。だから映画はアニメーションの表現力には永遠に追いつかない。ただ、良さもある。やっぱりスカーレットが演じた素子はスカーレットだった。他の何者でもない。アニメーションは違う。ゲームと一緒で、100人がみたら100人がみて成立するのがアニメーションなんで。そういう原理的な違いがある。
どちらが鑑賞大会でゴージャスかって言ったら実写映画でしょ。あれもこれもさ、見たいシーンいっぱいやってるじゃん。でもそれはどうでもいい。トータルの印象で世界観で圧倒しようっていう意思があるかどうか。それはブレードランナーみたいなもんだよね。近未来モノをやる上で一番避けて通れない生々しい臨場感とか、架空の世界のリアリティとか。だから今回のはそう言うのに真っ向から挑んだ作品でもある。でもブレードランナーほどうまく言ってるわけではない。なぜブレードランナーがうまくいったかというと、お金がなくて、CGに頼れなかったから知恵を使った。映画ってのは面白いもんで知恵を使わないと本当に良くならない(笑)。金をかければなんでもできると思ったら大間違い。でも今回のはそれとはまた違ったレベルで勝負してる。
結果的にそうなったのか意図してかどうかは別として、今作はスクリーンの世界にゴーストが吹き込まれている。僕に言わせれば相当奇妙な映画だと思うよ。
まあ僕は余計なとこばっか見てるから、正直なところ、見終わった後にこれ大丈夫なのかと思った。でもたぶん、普通のお客さんはそういうの気にしないし、スカーレットを見続ければちゃんと終わる映画です。そのへんがハリウッド映画の良さでもあるし、強さでもある。本当にすごいことをやってます。やった人間は気がついてないかもしれないですよ。やっぱり面白いね。お金をかけるととんでもないことになるなって。もし意図せざる効果だとしたら、それはやっぱり物量だけじゃなく質で勝負した、質と物量を両方共成立させようと思ってやった結果なんだよね。だからこそ、こういう技術的な冒険ってのはどんどん向こうでやってほしいね。その成果がしっかり見届けられるように。
映画『ゴースト・イン・ザ・シェル』を「奇妙な映画」と評したのが印象的だった押井守監督。今作は漫画/アニメでの『攻殻機動隊』というフレームの中では実現できなかった、新しい表現のステージに立っているのかもしれません。
映画『ゴースト・イン・ザ・シェル』は4月7日(金)より全国ロードショー。
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