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水曜日, 3月 22, 2017

今、作りたい音楽とは―。|坂本龍一

坂本龍一という名前の隣に、音楽家、という3文字の肩書がついているのを見るにつけ、何かうまく表現できない、ちょっとした違和感を感じてきた。確かに音楽を作る人である。けれど坂本(以下敬称略)がスタジオで録音したり、ライブ演奏をしている以外の時間の活動が、肩書に入らないことにはなんとなく釈然としなかったからだ。
けれど仕方がない。肩書とは、きっと最大公約数の人々がもつその人物への認識を表現するものなのだろうから。

2014年7月にがんを患ったことを発表し、1年間の闘病生活を経て仕事に復帰した坂本に、最後に話を聞いたのは、自分の音楽レーベル〈commmons〉の10周年を記念して開催したイベント〈健康音楽〉の前後だった。
病気をしたことで、「自分に残された時間」について考えるようになったという坂本は、「40年の活動期間で作れていない『人生の宿題』になっているような、音楽がある。これぞ坂本だというような作品を作りたい」と次作への意欲を示していた。そしてこれからは、なるべく音楽に集中する、とも言った。

原発などをめぐるエネルギー問題、環境問題や政治、時事に関するポストのみならず、人類学、歴史、文化、音楽、ダンスなどの幅広いトピックスについてのソーシャル・メディアのポストを楽しみにしてはいたけれど、一方で、どこにそんな時間があるのだろう?と不思議だったので納得もした。実際、坂本のオンラインの発言は〈健康音楽〉のあとから激減した。

この9月、マンハッタンの音楽スタジオで話をしてくれた坂本は、数カ月前に語ったことを繰り返した。「今年の残る時間は、アルバムの完成目指して、集中してやりたい。計画しているとおり来年の春に発売できたとして、8年ぶりのアルバムになります。ということは10年に1枚くらいのペースになってしまってる。それじゃダメなんですよ」

ダメなんですか?とついオウム返しをしてしまったのは、その8年間がただ漫然と過ごされたものでないことは周知の事実だからだ。

前作『アウト・オブ・ノイズ』を2009年に発表してから、ライブ活動はもちろんのこと、ライブアルバムは複数枚出しているし、数えきれないほどの楽曲を他者に提供してきた。

闘病からの復帰後だけでも山田洋次監督の『母と暮せば』(’15)、多数の音楽賞にノミネートされた『レヴェナント:蘇えりし者』、この9月中旬に公開された李相日監督の『怒り』と3作の映画音楽を手がけた。中沢新一、竹村真一、鈴木邦男といった人たちとの対話を書籍という形にし、2013年の山口情報芸術センターの10周年記念祭、2014年札幌国際芸術祭ではともにディレクターを務め、〈more trees〉やその他の活動を通じての環境運動にも積極的に参加し、東北地方の子どもたちが参加する〈東北ユースオーケストラ〉(http://tohoku-youth-orchestra.org/)で指揮を執っているのである。

「音楽家」ということであれば8年に1枚という頻度は「ダメ」ということになるかもしれない。でも!と思った裏には自分勝手な私情があった。

アルバムを制作するために、オンラインでの発信を減らす坂本に対し「もっと発信してほしい」という自分勝手な欲求もあったかもしれない。ネットのとげとげしい雰囲気に、意見を表明することに加速度的に腰がひけてきている自分をふがいなく感じながら、ことあるごとに「音楽家のくせに」と理不尽な批判にあっても、一市民として、不正義と感じることには恐れずに異議を表明する坂本のポストに、溜飲を下げていたのかもしれない。
自分にとっての坂本龍一という人は「音楽家」にとどまらない発信者だったのだ。








「マスクして、怪しい感じで、人の波と反対に歩きながらね。行き交う人の会話や足音が通りすぎていく感じがおもしろいんです。こういうことは現代音楽の分野には昔からあって、もちろん知識としては知っていたけれど、なまの欲望としておもしろいと思うようになった」






環境問題に強い関心をもち、また社会のあり方について発言を続けてきた坂本が、氷河の音や雑踏の音を作品に取り入れるようになったことには、つい因果関係を見いだしたくなる。

それを追求すると「自分でもよくわからない」という答えが返ってきた。

きっかけは2000年頃に始まったドイツ人アーティスト、アルヴァ・ノトとのコラボレーションだった。「僕が録ったピアノの音という素材を、彼が料理するという作業のなかで、ピアノという楽器の音と、そうではない現実音の差がなくなってきた。
僕らが音楽の世界で使うS/N(サウンドvs.ノイズ)という言葉があるように、サウンドとノイズは本来なら二項対立なんです。でも僕のなかでだんだん区別がなくなってきた。それどころかもっと原初的なノイズに寄りたいという気持ちが強くなってきてしまったんですよね」

話を聞き進めるうちに、サウンドを発する道具として人間が考案した調律に合わせて作られた楽器よりも「音楽に加工される以前の音」に興味と関心が移ってきた理由が少し見えてきた。「楽器は西洋音楽をより明確に表すために、合理的にデザインされて今の形に進化したわけですが、もともとは木や鉄、動物の革だったりした。

たとえばピアノは最も近代的に設計された楽器ですが、木と金属でできていて、放っておくと調律が狂ってくる。
調律というものは、人間が勝手に決めた、人間にとってのいい音を出す作業ですよね。
物は強制的に引っ張られる状態を嫌って、原初的な状態に戻ろうとするわけです。
チェロやヴァイオリンの弦が切れたりするのは、物が元の状態に戻ろうとするあらわれなんです」

その他の活動をトーンダウンして作っている新作は、『アウト・オブ・ノイズ』の延長線上にある、と坂本は語る。「前作ではたとえば北極圏まで出かけていって、グリーンランドの氷河の音を録ったりもしました。体験自体も新鮮でしたけど、録った音もとてもおもしろかった。以来、ますます既存の音楽のかたちから遠ざかりたい、物が発する音をもっと楽しみたい、という方向になってきている。だからドラを買って傷つけて音を出してみたり、通勤時間帯の新宿駅の南口に行って、雑踏の音を録ったりしている。

その後、坂本は「強く意識しているわけではないし、新しい文明論を語りたいわけではないんだけど」と前置きしたうえで、津波が起きたあとの宮城県で弾いたピアノの話を教えてくれた。「海水に浸かってボロボロなんです。出ない音もあるし、調子はずれだし、でも僕は自然が調律したんだと思った。人間が無理やり調律した音階を自然が壊して自然の調律に戻したと。いい音だ、とても貴重だと思ったんです。意図的にはできないわけですから」





すらすらとかける太芯のシャープペンシルと消しゴム。モレ スキンの小型の五線譜手帳は外出用。下は外出時に必 ず持って出かけるというスマートフォン用のマイク。 噴水の音、子どもたちの声など、気になる環境音をい つでもどこでも録音できるように。「マスクをして人の波に逆らいながら録音している。部長の悪口を言ってるOLの会話や人の足音がおもしろく聞こえるんですよ」



抽象的でもあり、プリミティブ(原始的)でもある、人間が楽器を使って作り出せない音。新作で追求しているのはそれだ。けれどアウトプットのかたちにはまだ悩んでいる。「けれど僕がいいと思って録音した新宿駅の雑踏の音の、どこからどこまでが坂本の作品なんだという問題が出てくる。どう音楽として楽しんでもらえるかたちに落とし込むか、そのさじ加減に頭を使っているところです。自然の中を自分が歩くなかで録る音は、自分にとってはいい感じですが、音楽なの?という人もいるだろうし、ただ音を楽しめるなら音楽と言えるのかもしれないし……」

坂本はここで言葉を切った。

「音楽であるかどうかは、もうどうでもいいことなのかもしれない」

この言葉に、以前からずっと気になっていて、今日は聞こうと思っていた質問をぶつけた。
「そもそもなんで音楽だったんですか?」と。

父親は編集者で、母親は帽子デザイナーだった。社会科学から人類学、科学にまで広がる坂本の広い見識から、ほかにも選ぶことができたであろう多数の表現方法のなかから、音楽を選びとった理由を知りたかった。

「その答えははっきりあって、交通事故のようにYMOが売れちゃったからです。そんなつもりなくYMOに参加したのに、急に有名になっちゃって、自分としてもミュージシャンだと認めざるをえないってことになったんです。それまでは、何にもなりたくないというか、職業を限定されるのが嫌だと思っていた。小学校の低学年の頃から、なりたい職業を聞かれると『ない』って答えてました。何かに所属するのが嫌だったんでしょうね」

何ものにもなりたくなかった坂本は、交通事故のようなきっかけを経て、27歳で「音楽家」になり、海外に頻繁に出るようになった。そして1990年にニューヨークに拠点を移し、以来、ライブや録音のために頻繁に日本との往復を続けてきたとはいえ、20年以上の月日をおもにこの街で暮らしてきた。
若い頃は、否定しがちだった日本の古典的な文化に対する態度もシフトしてきた。

「僕らの世代にとっては、日本の文化は戦前のナショナリズムの象徴だった。学生時代は尺八や琵琶を採り入れた武満徹さんに反発して、ビラを書いたりもしましたから(笑)。最近は海外に住んでいるからなのか年のせいなのか、古典芸能や工芸といった日本独自の文化にもだんだん関心が強くなってきて……。まったく縁がなかった能や雅楽も聴くようになってきました。

能の世界にいる人たちと知り合って、となると恥ずかしいから勉強もするし、おもしろいから 興味が尽きない。今年は、奈良県にある能の発祥の地を訪ねたんですが、能ができた過程をたどっていくと、縄文文化、つまり僕らの根源的なルーツまでたどれてしまうし、浄瑠璃や歌舞伎との関係性もわかってきて、長い日本の音楽の歴史が少し見渡せるようになってくるんですね」


興味のシフトといえば、学生時代から好きで、唯一全集を持っている夏目漱石を、今また読み返している。「学生時代は『こころ』『明暗』と暗くて深いものが好きだったけれど、おもしろいと思えるところが今は全然違う。

『草枕』なんてそのいい例で、何も起きないし、ドラマも何もない。峠のほうに旅にいって、宿屋に泊まったって話で、一枚の山水画のようで、でもそれがいい」








今年いっぱいで残された時間は新作に費やす、と言いながら、長期的なプロジェクトもいくつか抱えている。そのひとつが〈フォレスト・シンフォニー〉だ。木の生体電位を測定し、そのデータをもとに音を作るというプロジェクトで、2013年の山口情報芸術センターの10周年記念祭、札幌国際芸術祭でも行なった。「スポンサーがいなくて実現していないんですが、建築家の坂茂(ばん しげる)さんとも計画中のプロジェクトがある。そのほかにもやりたいインスタレーションが山ほどあるけれど、自分ひとりでは実現しないし、とにかく時間が足りない」

もうひとつやり続けているのが震災後に始まった〈東北ユースオーケストラ〉だ。
「もう意地みたいなもんですよね。社会がどんどん忘れているみたいじゃないですか、震災があったということを。5年以上たっていまだに仮設に住んでいる人がいる。原発の付近には故郷に帰れない人が何万人もいて、その一方でオリンピックとか言ってる。僕には信じられない。けれどネガティブに批判するんじゃなくて、ポジティブなかたちでこたえたいと思っています」


日本は育った故郷でもあり、活動の場でもある。同時にアウトサイダーとしての視点でも見ている。
「戦後70年以上がたってもいまだにアイデンティティを保持していないように思えるし、戦前と変わっていない面と両方ある。特にね、自己主張をしない、声をあげない、上に逆らわないという国民性は気になる。国民主権ということは、主人は国民ひとりひとりなんだよと、これを自覚できないと民主主義が根づいたことにはならないよね」






日常的に使っているグッズを見せてほしい、というリクエストにこたえてくれた。左はお香のセ ット。京都の松榮堂のお香を好んで使っている。作曲するときに焚くこともあるし、ライブ時にもステージ脇で香りを焚いてから演奏に挑む。スタジオに入る前、ブレイク時には、お茶やコー ヒーを自分で淹れる。お湯の温度や蒸らし時間まで、おいしくするための努力は惜しまない。







こういう話をしながら、やっぱり坂本の音楽家という肩書に感じる違和感をまた思い出した。
「音楽活動っていうよりも、人間活動っていうほうが、坂本さんにはしっくりきませんか?」と。

「そうかもしれないね。音楽家だけど、余計な口を出してしまうから。音楽家は音楽だけやっていろ、とインターネットで言われているらしいということも知っています。

これは言わないと、というときだけ選んでいるつもりですけれど、発言するから偉いとも思ってません。でも音楽だけやればいいとも思わない。普通の人が口出すのが民主主義でしょ。職業に関係なく誰もが声を出せる社会じゃないとダメだと思うんです」









https://www.tjapan.jp/ENTERTAINMENT/ryuichi-sakamoto

火曜日, 12月 20, 2016

南壽あさ子|music



 

南壽あさ子

美しく・儚く・透き通るボイスに声に心洗われる

 

心が洗われる、心にスーッと浸透するような歌声に出会ったことがあるでしょうか?
世の中にはいろいろな歌手やアーティストがいて、それはそれはみなさん毎日のように音楽を聞く生活をしていると思いますが、正直なところ、心に響く歌声というのは早々出会うことはないのではないでしょうか。

南壽あさ子


彼女の歌声に出会ったのは確か去年の夏。名前も知らない顔も知らない彼女の曲を聞いた途端、私は歌声に恋をしてしまったかのような錯覚を覚えた。

そう、それは美しくも繊細でもろく、そして涼やかな、まるで天使のような歌声だった。

今回は特別彼女の事について深く追求することはせず、とにかくまだ出会っていない人にぜひ聞いて欲しいという思いから、彼女の歌声を存分に楽しめる曲を幾つか紹介していきたい。





なんだこの天使ボイスは!美しいッ!そして美しい!やはり美しい!

 

まずはWikiよりシンガーソングライター南壽あさ子さんについて紹介を簡単に


南壽あさ子(なす あさこ、1989年3月6日 – )
は、千葉県市川市出身のシンガーソングライター。
幼稚園の頃からピアノを習い始め、東京女子大学へ進学後、軽音部に所属。そこで知り合った友人に誘われ独学で楽曲制作を始める。2010年からライブハウスでの活動を行い、2012年インディーズデビュー。その時にリリースしたフランネルは今もなお彼女の代表曲の1つとなっている。


オススメの楽曲


それでは、今まさに「南壽あさ子」というシンガーソングライターを知ったという方に、これだけは聞いてもらいたい、オススメの楽曲をアルバム「Landscape」の中から紹介します。

疲れたり、汚れてしまった心が少しは軽くなるかもしれません。



Landscape

Landscape

曲目リスト

1. 回遊魚の原風景
2. 雲の通り道
3. メープルシロップ
4. フランネル
5. あの人を待つ
6. 例え話
7. 冬の旅人
8. 歌うことだけ

 

 

おすすめTOP1「曲名:歌うことだけ」

出だしが個人的に好きな曲。全体的にスローテンポ且つ静かな曲だが、ピアノと歌声のみが涼やかに鳴っていて非常に落ち着く。南壽あさ子が持つ曲調を楽しみながらしんみりと聞けるイチオシの曲。


 

 

おすすめTOP2「曲名:フランネル」

とにかく美しい高い声が思う存分に楽しめる曲。歌声がメインでもあり、南壽あさ子が持つ不思議な声をダイレクトに聞ける。



 

 

おすすめTOP3「曲名:例え話」

面白いぐらいに歌詞が耳に入ってくる曲が特徴。そしてささやくような歌声が癖になる。近年のガヤガヤしたJpopとは対照的に落ち着いたスローテンポの曲。

※YouTubeやiTunesで探してみましたがどうやら歯抜けのようでしたので試聴サイトをリンクしておきます。フルで聞きたい方はアルバムをゲットしてみてください


試聴サイト:OTOTOY



ただ天使の様な歌声に注目して聞いてもいいし 、もっと深く楽しみたいという方は歌詞に注目してみてもさらに奥深く「南壽あさ子」というアーティストに触れることが出来ると思います。また歌詞の中の言葉遊びなども彼女の曲が評価されている理由でもあるようです。

興味が出てきた方は是非アルバムをフルで聞いてみてください。




公式ホームページ



Landscape」意外にもアルバムが幾つかリリースされていて、iTunesやAmazonでも購入可能なので興味がある方はどうぞ

Panorama (通常盤)

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どんぐりと花の空

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南壽あさ子「フランネル」インタビュー - 音楽ナタリー

火曜日, 12月 13, 2016

ピアノが好きな女の子がデビューするまで Chara|INTERVIEW

 

 

ピアノが好きな女の子がデビューするまで Chara

紡ぎだす曲も、個性的な声も、しなやかな生き方も。「Chara」という世界はいつの時代も私たちの心をつかんで離さない。ピアノが好きなちっちゃな女の子が、時代のアイコンとなるミューズへ。そのルーツをCharaさんが語る。






ちっちゃい女の子の音楽の思い出



――幼少期はどんな女の子でしたか? 当時の音楽の思い出は?

背がちっちゃくて、本名が美和なので「みーちゃん」って呼ばれてました。幼稚園の先生がオルガンを弾く姿に憧れて、目で見て耳で聴いて覚え、休み時間にオルガンを触らせてもらって。それを先生が見ていたのか、ある日帰りの会で歌を歌うときに、「みーちゃん、弾いてみる?」と声をかけてくれて。みんなが私の伴奏に合わせて歌を歌ったの。「小さいみーちゃんでも役に立ってる! 何かを動かせた!」みたいな感覚を初めて味わい、音楽ってすごいなぁ、って感動したのを覚えています。

ピアノを習い始めたのは、小学校に上がったころ。隣りに住んでいた同級生の女の子が音楽教室に通っていて、「私も行きたい」と親に頼み込みました。その教室で試験を受け、作曲のメソッドを勉強する専門コースに進むことに。譜面を起こして曲を作ったり詞を書いたりと結構本格的だったなぁ。合奏するカリキュラムなんかもあって、楽しんで通ってましたね。



――ご家族は音楽好き?
 
普通。家にレコードは何枚かあったけれど、映画音楽とかクラシックとか。ビートルズが1枚だけあったなぁ。ただ、実は母が昔バスガイドになりたかったらしく、歌が大好きで。お母さんって即興で適当に歌とか作ったりするじゃん? うちの母はそういうのがめっちゃ得意で、謎のオリジナルソングを歌ってました(笑)。童謡も好きで、よく一緒に歌いました。

あと、私はちっちゃいころからおばあちゃんが大好きだった。妹が生まれたとき、おばあちゃんに連れられて病院に行ったんです。もうすぐ2歳になろうとしていた私は、新しい仲間ができてうれしい半面、なんかヤキモチもあったみたいで、「早く帰ろうよ」ってせがんだんだって。おばあちゃんにおんぶされた帰り道、空には月がぽっかりと浮かんでいた。それを見ながらおばあちゃんと一緒に「月がとっても青いから~♪」って歌ったの。そのときのきれいな月夜とおばあちゃんの歌声は今もはっきりと覚えていて。




「チャラ」というニックネームをくれた先生



――小学校、中学校時代の思い出は?

小学生のころは、おとなしいけどピアノは上手な女の子、っていう感じだったかな。
3年生のときに、代用教員のよしこ先生が「チャラ」っていうニックネームをつけてくれて。「切り替えが早くて、次のことにしゃらっと打ち込む」というような意味だったみたい。背がちっちゃくてチョロチョロしていたところに引っ掛けて、「しゃら」から「チャラ」になったのかもね。小学校の3年、4年って、体も脳も一気に成長して変わる時期。

小さくて泣き虫だった私も、急に足が速くなったり、人前で何かすることが嫌じゃなくなってきたりして積極的な部分が出てきた。そういう時期にキャッチーなニックネームをつけてもらったのは、なんだか特別な感じがして、とても気に入りました。

そして、このころやっとピアノを買ってもらえて。ピアノはずっと習ってたんだけど、家での練習はなんと紙の鍵盤(笑)。長続きしないと思ってたのかもね、親は。結局、父が酔っ払ってるすきに母と注文しちゃいました(笑)。

中学では放送委員に。委員長が音楽好きで、ソウルやニューウェーブのレコードを聴いたりしました。お昼の放送当番は楽しかった。「リクエスト募集中!」なんてDJ気取りで(笑)。そしたらツッパリから横浜銀蝿とかのリクエストが殺到して、曲をかけたら風紀委員の先生が慌てて飛んできたりしてね。時代だよねぇ(笑)。



――どんな音楽が好きでしたか?

ピンクレディは好きだった。あと、耳コピして初めて弾き語りをしたのは、小坂明子さんの「あなた」。曲というか、グランドピアノに憧れたんだよね。憧れすぎて、「私がお嫁さんに行くときにはグランドピアノを買って」って親にお願いしたんだって。そしたら、本当に結婚するとき母から「グランドピアノはどういうのがいいの?」と。いやいやいらないから! てか覚えてたんかい!(笑)。お嫁入り道具は何もいらないって言ってたんだけど、親心としては何か買ってあげたかったんだろうね。

初めて買った洋楽のレコードは、アイリーン・キャラの「Fame」。アイリーン・キャラは映画「フラッシュ・ダンス」で有名だけど、この「Fame」も彼女が主演した映画の主題歌。「何これ!? ピュンピュンしててカッコイイ!」みたいな(笑)。このレコードがきっかけでシンセサイザーが好きになりました。





デビューできたのは踊りがよかったから!?




――バンドを組んだりは?

高校に入ったぐらいから友達や知り合いから頼まれて、いろんなバンドで鍵盤弾きをしてました。フュージョン系がはやっていたので、高中正義さんとかガッツリ弾かされて。「これじゃないんだよなぁ」と思いながらも、友達と一緒にやるのは楽しかった。高校は女子校に進学し、学園祭ではガールズバンドを結成。マドンナとかゴーゴーズとか、女の子がやってかわいい感じの簡単な曲をコピーしました。学園祭の1日目は私服の衣装だったんだけど、2日目から私服禁止になっちゃって、制服でやることになっちゃったのはなんか悲しかったな。



――歌は歌っていなかった?

歌ってない。音楽は好きだけど、曲を作ったり楽器を弾いたりする人がカッコいいと思ってたし、そういうクリエーティブなことのほうが自分らしいと思ってたから。そもそも歌った経験がないからどうやって歌えばいいのかわからなかった、というのも正直なところだけど。

歌うことになったのは、高校時代からレコード会社の人と知り合いになる機会があり、「デモテープ作ってあげるから歌ってみない?」と誘われたのがきっかけ。プロのスタジオでデモテープって、なかなかできない経験で、なんかうれしいじゃない? それからライブでも自分で作った曲をちょいちょい歌うように。

そうこうしているうちに、あるライブで「今日はえらい人が来ていて、その人がOKを出したらデビューできる」と。へぇ、と思いながらライブが始まったら、最前列にめっちゃノリのいいおじさんがいて。私もそのおじさんに向けてノリノリで踊ったら、合格しちゃった。その白髪で紺色ブレザー姿のおじさんが「えらい人」だったの(笑)。受かった理由が「歌はまだまだだけど、踊りがよかった」。踊ってよかった~!って(笑)

そしてデビューが決まりました。「芸名どうする?」って聞かれ、何も考えてなかったけど「Charaでいいんじゃない?」って。個性的だけど覚えやすいし、何より呼びやすいしね。




――1991年、「Heaven」でデビューしました。

わからないことだらけで、正直、いやなことも結構あったかな。たとえばインタビューを受けるのも初めてで、今みたいにちゃんと話せないし、きっとプロのインタビュアーが引き出してくれるものだと思ってた。プロのデザイナーも、多くを言わなくてもちゃんとデザインしてくれるものだと思ってた。でも、どうもそうでもないぞ、と。ちゃんと言わないと伝わらないし、ときにゆがんで伝わっちゃうこともあると知りました。あとは、若かったからちょっとセクシーめいた雑誌から取材されたり。「なんか違くない?」っていうことは少なくなかった。91年はバブルの真っただ中、おもしろい時期だったけど、調子のいい人もいっぱいいたからね。

だから、イヤなことはイヤだって言うようになった。ときには泣いて訴えたことも。業界のよくないイメージや習慣みたいなものを、ちょっとずつでもいいから変えたい。そう思ったんだよね。








 

デビュー25年「今、自分の声を鍛えはじめている」



25年間、変わることなく「愛」を歌い続けてきたChara。
音楽、女優、結婚、出産、子育て、離婚、そして今――。
その半生と、ようやく見つけた「本当の声」とは。




グリコちゃんなら演じてみたいと思った



――ミュージシャンとしてだけではなく、「PiCNiC」(96年)、「スワロウテイル」(同)と、女優として映画にも出演されました。監督の岩井俊二さんとの出会いは?




PiCNiC [完全版] [Blu-ray]





岩井さんが監督した「フライド・ドラゴン・フィッシュ」というテレビ映画のエンドロールで、私のファーストアルバム「Sweet」に収録されていた「Break These Chain」という曲を使いたい、と。それがきっかけで「スワロウテイル」に出演することに。でも、いきなり大作映画は不安だろうと、「PiCNiC」というショートムービーを経験させてもらうことになったんです。

なんで私を演者として使おうと思ったのか、その理由は岩井さんに聞いたことがないからわからない。でも、「スワロウテイル」の絵コンテは、私の3枚目のアルバム「Violet Blue」を聴きながら描いたと聞きました。



――演じることへの戸惑いや難しさはありましたか?

セリフが中国語だったのは難しかった。長いセリフのときは「代わりに歌わせて!」とかは言ったかも(笑)。でも、私が演じたグリコちゃんは私と同じ歌手だし、娼婦という役どころも大きかった。若いころからゴダールの映画に出てくる娼婦に憧れていて、「無償で与える愛」にも興味があったから。グリコちゃんは、まさに娼婦で愛する人のために歌を歌う役。それなら演じてみたいし、演じられるような気がした。それはあったかもしれないですね。



――驚いたのが、「スワロウテイル」の撮影は、長女SUMIREさんを出産された直後だったとか?

そうなの! 「スワロウテイル」の撮影予定の前の年、「PiCNiC」の撮影で恋に落ち、身ごもり、妊娠7カ月で入籍。出産してドラえもんみたいにパンパンになっちゃったから、実は「スワロウテイル」の撮影は、私の「痩せ待ち」をして始まったんです(笑)。

あのころは仕事も子育てもめちゃくちゃ大変だったけど、迷いはなかった。子どもができて楽しいし、お母さんになれてうれしかったし。音楽でもいろんな人とセッションして、もっともっといい曲を書きたいと思ってた。「まだまだこれから!」という前向きな気持ちが強かった。ただ、妊娠したとわかった直後は辛かった。公表できなかったから。





途中で中断した伝説の武道館ライブ



――妊娠判明の直後にあった94年の武道館ライブは、ライブが途中で中断するなど、ファンの間では伝説になっています。そのライブがドキュメンタリー映画となって、先日公開されました。

妊娠がわかったのはライブの2日前ぐらいだったような気がしていたんだけど、あのときのツアーメンバーによると「ライブの日の午前中に病院に行ってわかったんだよ」と。

あれ、当日だったんだって。メンバーは私の様子がおかしかったこともよく覚えていて、普段ライブの前は何も食べないのに、「あの日のChara、直前までハンバーグ食べてたし」って(笑)。

なにか食べなきゃ、体力つけなきゃ、って思ったんだろうね。衣装もとても妊婦が着るようなものじゃないし、パフォーマンスでジャンプもするにはするけど、母性が芽生えたのか途中からだんだん保守的な気持ちになっていって。そんな自分がイヤでパニックになっちゃったんです。

それでお蔵入りになっていた映像が、今回22年ぶりに解禁。自分のことだからそうそう驚かないだろうと思ってたけど、大画面で見て久々に口があんぐり開きました(笑)。今なら「イエーイ、ママになれたよ!」って堂々と言えるんだろうけど、当時はそれが許されなかった。その業界の常識みたいなものがイヤで、それから色々変えていったんだけどね。



――出産後の97年にリリースした「Junior Sweet」は、ミリオンセラーを記録する大ヒットとなりました。妻となり母となり、創作活動に変化はありましたか?

独身のころは、好きなときに曲を作っていたけれど、特に子どもが小さいときはそれじゃあダメだと思った。実は自宅でヘッドホンしながら曲作りをしていたら、旦那が「子どもが泣いてるよ」って。お前が見ててくんねーかなと思いつつ(笑)、やっぱり慌てて子どものところに行くじゃん。そのとき、どっちも中途半端だと思ったの。子育ても音楽も。そして、曲作りは「行ってきます」と家を出てから「ただいま」と帰ってくる間だけでやる、それができなければ音楽をやる資格はない。そう自分で決めました。
 
作品を作る上で大きく変わったのは、詞かな。

以前の私は、人と同じことはしたくなくて、誰もが使うような言葉をあえて避けてきた。でも、子どもがゼロから言葉を覚えていくのを近くで見ていて、シンプルな言葉が持つ力に気付いたんです。そこらへんに落ちている言葉にどんどん興味が湧いてきて、使える言葉の幅がグンと広がった。そして、自分の言葉に責任を持つようになりました。言葉って、一度出したら戻せないからね。




25周年のベスト盤



――デビュー25年を迎えた今年は、「Junior Sweet」のリマスター盤をリリースし、その全国ツアーを開催。映画「スワロウテイル」の劇中バンドであるYEN TOWN BANDも復活し、さらに11月には25年の集大成とも言えるオールタイムベスト「Naked & Sweet」を発売しました。

25年ってありがちだから、26年でもいいんじゃん? とかも思ったんだけど(笑)、25年をきっかけに懐かしい友だちに会えたり、その仲間たちと一緒に作った曲をじっくり聞き返したりできた。それは純粋にうれしかったですね。それに25年を振り返ることで、自分について気づくことがあったり、自分自身に影響されたりした。それは発見だった。

ベスト盤は3枚組で、1枚目がデビューから結婚、SUMIREちゃんが生まれるまで、2枚目が「スワロウテイル」から「Junior Sweet」、そして息子が生まれるまで。3枚目は離婚後も含めてこれまで、と、もうまさに私の半生そのもの。おもしろいのが、子どもが思春期に差し掛かってきたことで、3枚目に収録されている最近の曲に、私が忘れかけていた思春期を感じさせるものが多いんです。なんだか回ってるなぁ、と。それもまたおもしろくて。


Naked & Sweet(初回生産限定盤) CD+DVD, Limited Edition



――オールタイムベスト、どんなふうに聴いてほしいですか?

同世代の方には自分の思い出や人生と重ね合わせてもらうのもいいし、「ママが聴いてた青春の歌。歌詞カードに印つけといたから」みたいな感じで(笑)、親子で楽しんでもらってもステキ。25年分で曲数も多いので、聴く人それぞれの気分やシチュエーションでチョイスし「渾身(こんしん)の1枚」を作ってもらっても。そうやって愛する人や大切な人たちとシェアして、同じ時間を過ごすときに役立ててもらえたらいいな。愛を歌った曲ばかりだから愛の告白にも使えるし、活用法いろいろです。




やさしいミドルボイスを使えるようになりたい




――まもなく50歳。女性としてその年齢になって感じることは?

折り返しは過ぎたけど、その分豊かになってきた部分は多いと思うし、老いていくことにちょっぴり楽しみも感じていて。たしかに若いころにはなかったひざ肉が増え(笑)、生足はきつくなったけど、だったらいいストッキングを探せばいい。コスメもそうだけど、年相応にアイテムを増やすのはアリだし、それも楽しいと思うんです。

それに最近、よく笑ってる気がする。「わはははは!」って豪快に。笑うと目元にシワはできちゃうけど、それもいいじゃん。そんなこと気にする男なんて興味ない!(笑)。いくつになっても恋愛はしたいけど、誰でもいいって訳じゃないからね。恋愛でもなんでも、人がなんと言われようが怖がらずに挑んでいきたいよね。




――年を重ねたからこその豊かさ、それは音楽にも生きている?

生きると思う。歌を歌う「楽器」としては結構ビンテージものになってきたけれど、この5年ぐらいで、この楽器を上手に鳴らすにはどう歌うといいかがようやくわかってきた気がするんです。そんな中で、私の本当の声ってもうちょっと優しいミドルボイスなんだ、と。個性的な歌い方でデビューして、誰からも歌い方を教わることなくここまできたけれど、年齢と経験を重ねてようやくそのことに気づくことができた。

これからも歌い続けていくならば、そのミドルボイスを使えるようになっていきたい。実は、昔から時々お世話になっているボイストレーニングの先生がいて、つい先日のレッスンで「私はこれから『本当の私の声』を探したい。それに向けてのレッスンを手伝ってほしい」と伝えたら、「それを待っていた!」とめっちゃ感動してくれて。デビュー25年を迎えた今、自分の本当の声を鍛え始めてるんです。


先人たち、先輩たちの歌を聴いてグッとくることがある。目指しているのはあそこ。その領域に仕上がるのは……いつだろうね? 

自分でもその日を楽しみに歌い続けていくつもり。






Chara

1991年、シングル「Heaven」でデビュー。
1996年、岩井俊二監督映画「スワロウテイル」に出演、劇中のバンドYEN TOWN BAND のボーカルとして参加したテーマソング「Swallowtail Butterfly ~あいのうた~」が大ヒット。
1997年のアルバム「Junior Sweet」は、100万枚を超えるセールスを記録。
この頃からライフスタイルをも含めた“新しい女性像”としての支持も獲得。
2015年、伝説のバンド「Yen Town Band」 が復活、ライブ・楽曲制作が始動。

2016年、デビュー25周年を迎え、「Junior Sweet」のリマスター盤を9月に、オールタイムベスト「Naked & Sweet」を11月にリリース。



http://amzn.to/2gTuq47

Naked & Sweet



Charaオフィシャルサイト: http://charaweb.net/















リップヴァンウィンクルの花嫁


水曜日, 12月 07, 2016

「RADWIMPS」、 「君の名は。」を語る



 

「RADWIMPS」、

「君の名は。」を語る

 

 新海監督の斬新なジャッジ

 居酒屋から「LINE」で打診 映画制作と同時進行で曲作り


大ヒットアニメ映画「君の名は。」の音楽を担当したロックバンド「RADWIMPS(ラッドウィンプス)」が“次の一手”を打った。
主題歌「前前前世」のオリジナルバージョンなど15曲を収めた最新アルバム「人間開花」(通常盤)を23日に発表。
主題歌に起用されなかった候補曲「光」もあり、映画の制作過程が読み取れそうだ。

大ヒット映画の舞台裏をメンバー3人に聞いた。



「RADWIMPS」は平成13年に結成。パワフルでありながら、繊細さをも感じさせる独特の表現力で人気を集めている。

「君の名は。」の依頼を受けたのは一昨年。ボーカルの野田洋次郎(31)は、新海誠監督と一緒に居酒屋にいたプロデューサーから無料通信アプリ「LINE(ライン)」で打診されたという。
一般的には完成した映画に主題歌を書き下ろすが、「この映画は脚本しかできていなかった。だから、一緒に映画が作れると思ったし、そこに喜びを感じた」(野田)。



主題歌に起用されたのは4曲。野田は「最初は歌詞がこんなに入っている曲があっても良いのかな、と半信半疑でした。物語の邪魔をしないのかなと思っていたんです。だけど、新海監督が『大丈夫です』と言ってくれたので、それを信じようと思った」。

特に「前前前世」は言葉の組み合わせがユニークで、インパクトが強い。
「『光』の方が映画との相性が良いのかなと思ったのですが、新海監督は強い言葉を望んでいた。それでも(自分に)『選んでいいよ』と言ってくれた。1年ほど迷いましたが、新海監督の思いに乗ってみようと思った」

新海監督は「前前前世」を聴きながら、リズムを合わせてアニメを制作した。この曲が流れるシーンからは映像と曲の一体感が感じられる。最新盤には、シーンの尺に合わせて歌詞を付け加えたオリジナルバージョンを収録。もう一つの主題歌「スパークル」のオリジナルバージョンも入れた。

「スパークル」の映画バージョンではストリングスの演奏が響く。その部分でオリジナルバージョンではギターの音色が際立つ。メンバーでギターの桑原彰(31)は「ギターのひずみの音が強過ぎてしまう部分を、映画ではストリングスに変えました。ギターのひずみに耳を奪われないようにしようという話し合いをしたんです」と語る。


 ベースの武田祐介(31)は言う。「これまでは(野田)洋次郎がかじ取りをしてくれていた。でも映画では、洋次郎の向こう側にジャッジをしてくれる新海監督が現れた。これは新しい経験でした」

実は、新海監督側から作り直しを要請されて戸惑いやいらだちを感じたこともあった。
それでも「出来上がった映画が素晴らしかったので、新海監督が自身のビジョンを伝えてくれていたんだなと思った。楽しくやらせてもらいました」

来年2月25日からはツアーが始まる。映画音楽制作を通して進化したメンバーが新たな一面を見せてくれそうだ。








 

New Album『人間開花』


▲『人間開花』通常盤


▲『人間開花』初回限定盤
New Album『人間開花
2016年11月23日(水・祝)発売
初回限定盤:CD+DVD 4,500円+税 / UPCH-29241
通常盤:CDのみ 3,000円+税 / UPCH-20436
RADWIMPS LIVE TOUR 2017 チケット特別先行受付(抽選)のご案内シート封入

[収録楽曲]
01.Lights go out
02.光
03.AADAAKOODAA
04.トアルハルノヒ
05.前前前世 (original ver.)
06.‘I’ Novel
07.アメノヒニキク
08.週刊少年ジャンプ
09.棒人間
10.記号として
11.ヒトボシ
12.スパークル (original ver.)
13.Bring me the morning
14.O&O
15.告白

[初回盤DVD track list]
「10th ANNIVERSARY LIVE TOUR FINAL RADWIMPSのはじまりはじまり」のまとめ
at 幕張メッセ国際展示場4〜6ホール (2015.12.23)
01.トレモロ
02.ます。
03.透明人間18号
04.億万笑者
05.π
06.有心論
07.ピクニック
08.25コ目の染色体
09.DADA
10.いいんですか?
11.君と羊と青
12.会心の一撃
13.ふたりごと





映画「君の名は。」が年内に邦画歴代2位浮上へ 興行収入184億円突破、ジブリ2作超え間近 









火曜日, 8月 23, 2016

トーフビーツ TOFUBEATS

 

 

音楽家はなぜ音楽をつくるのか。
そして、産業のために何ができるのか──tofubeats






「インターネット世代」を代表するミュージシャン、tofubeats(トーフビーツ)。20代の音楽家が抱く「音楽産業」に対するリアルな想いは、いまあらゆる産業が抱える「ミッション」の尊さを教えてくれる。







トーフビーツ|TOFUBEATS
1990年生まれ。音楽プロデューサー、DJ、トラックメーカー。インターネットを利用した楽曲の発表を通し、若くして大型イヴェント出演や大物アーティストとのコラボレーションを成功させてきている。出身地である神戸にいまも拠点をおき世界とつながるミュージシャン。



WIRED Audi INNOVATION AWARD」では、日本から世界に発信すべき「革新の担い手」たちを紹介しているが、音楽家・tofubeatsは、「斜陽産業」ともいえる音楽がこれからどんな途を切り拓くべきかを体現しているという点で、注目すべきイノヴェイターだ。

十代のころからインターネットを通じて自身のつくる音楽の価値を世界に問い、メジャーレーベルと契約し、名だたるミュージシャンとのコラボレーションを実現し、広告をはじめとするマスカルチャーにも受け入れられている。

インターネット世代を代表する20代の「成功した音楽家」。しかし、一方で東京から距離をおき自らのポジションに敏感でいる彼の「リアル」を知ることは、テクノロジーを背景に変革を続ける世界を知ることと等しい。活動をはじめて以来、変わることなく拠点としてきた生まれ故郷・神戸の自宅兼スタジオを尋ね、いま思うことを訊いた。











──2015年9月、所属していた事務所を離れ、自身のマネジメントをする会社をつくられたわけですが、そうしたミュージシャンのありかたは、珍しいものですか?

 

かなり珍しいのでしょうね。個人事務所としてメジャーレーベルとディールをするのはなかなか難しいし、ぼくらのように「アーティスト=社長」なのは、さらに珍しい。20代のミュージシャンだと、同じような立場の人はおそらくいないと思います。



──ほかにない選択肢を、あえて選んだのはなぜでしょうか?

 

それしか選択肢がなかった、というのがいちばん大きいのですが(笑)、ほかの事務所を探す時間もなかったし、同時に「事務所に入る」こと自体にいっ たん区切りをつけてみようとも思っていたんです。やっていることの規模を揃えてやりたいことをやるためにリスクを減らすという意味で考えると、自分たちで会社を立ち上げる方がリスクは少ないとも思ったんです。



──コントロールしやすい、ということでしょうか?

 

はい。失敗したときも自分たちのせいだと思えるし、成功したときはその成功をすべて仲間と分かち合える。そういう意味で、性に合っているんです。



──イノヴェイションは失敗の連続から生まれるという話が、よくされます。失敗というものについて、思うところはありますか?

 

失敗というか、ぼくらにはそもそも「成功体験」がないんだと思います。こうしてメディアに取り上げていただけるようになったけれど、ぼくらには何がきっかけで取り上げられているのかよくわかっていないんです。

求められる「水準」をちゃんと超えよう、という意識はプロとしてもっています。けれど、実際にレコード会社の社内でも「トーフくんって●万枚のセールスだけど、数十万枚売れてるような扱いをされるよね」って言われるんですよ。そして、ぼくらもたしかにそうだなって思う(笑)。成功したいという気持ちはもちろんありますが、それ以上に「世の中はあてにならん」という感覚を、強くもっています。



──それは「枚数」があてにならない、という話ですか?

 

枚数も、そうです。お客さんのことをバカにしてたら絶対にしっぺ返しを喰らうのはよくわかっているけれど、逆にぼくらが「これだ」と思ったからといって世間が受け入れてくれるわけではない。「つくる」のと「売る」のはかなり別物だという想いは、強くあります。

「自分がどこにいるのか」という感覚は、とくに音楽をやっている人たちにとって、わかっていないことが多いと思います。



──どこにいるか、ですか。

 

自分たちが、成功してるのか失敗してるのか。ぼくらは確かに音楽で食べていけているのだから、水準を超えられてはいるのでしょう。ただ、いまのぼくらは、成功だ失敗だというほど、大きな数字を動かしているわけではないと思います。



──しかし、そこには数字では計れない何かがある、ということなのかとも思います。

 

そうなんですよ。そして、それを信じてる側と信じていない側との間には、結構大きな乖離がある。1年間でぼくらが稼ぐ金額なんて、例えば話に聞く「ヴェンチャーキャピタルが出資する額」なんかより格段に少ないわけです。もちろん、うまくお金をつくることができるバンドやアーティストの方もいらっしゃるし、それはそれでビジネスとしてすばらしいと思います。けれど、ぼくらはそれをあまりやりたいと思わないだけのことです。おそらく、そこをやってし まうと「コミット」できる部分が疎かになってしまうんですよね。









──「数字」ではない「コミット」というお話には、興味があります。規模のもそうですが、神戸を拠点においていらっしゃることも、関係しているのでしょうか。

 

ぼくらが東京から離れて地方にいるのは、いまの流行りを追っかけたところで得することはあまりないという想いがあるからです。

東京にいるとまだ夢を見られて、クラブでDJをやっても500人を超えるお客さんが来てくれます。でも、地方にいたら、クラブミュージックをやって大金持ちになるイメージなんてなかなかできない。

ここでは『Apple Music』に加入するために料金を払おうとしてもクレジットカードを持ってる人がそもそも少ないし、彼らが月980円を(店頭で購入した)iTunesカードで払うのはとても難しいと思うんです。絶対に、すぐに忘れちゃう。



──地方にいることで、現実と乖離した熱狂のようなものから距離を置ける、ということでしょうか。

 

距離を縮めていくと、そのレールに乗り続けるしかなくなるんです。神戸から東京に出て行ってしまうと、その先は例えばニューヨークにでも行かないといけない。会社の経営と同じで、拡大し続けるのか、あるいは「ミッション」と利益を両立させられるかという話でしょうね。

それに、自分のことを何も知らない人たちのなかで暮らしていたら、天狗にならないで済みます。10年、神戸で荒廃した海を眺めながら音楽活動を続けてきて、いまになってやっと「身の程」がわかってきた気がします。

同時に、音楽に関していえば、ものづくりに他人の意見が入ってくるのは危険だと思っているんです。

例えば「好きなミュージシャンはどんな人ですか」って聞かれたとき、ぼくは決まって「自分のなかで的が定まっていて、そこにだけ投げてる人」だ、と答えています。だから、自分がやってきたこれまでの仕事についても、やらなければならないことや、これだけはやりたくないことを、バランスとりながらやってきていると思います。そういう感覚は端からするとうっすらと透けて見えてきます。ちょっといやらしい言い方ですが、それは「品」とも言えるかもしれません。



──品性を保てるというのは、言い換えると「これはやらない」と決めることかもしれません。

 

例えば、ぼくは、曲を通して政治や思想に関しての極端な発言はしないようにしています。あるいは、人に対して暴力的なことを言わない。そういった「これはやらない」という点については、徹底していると思います。

これは、「ミッションがあるから、利益が生まれる」ということに自覚的であるかどうか、ということかもしれません(とくにミュージシャンは、これが逆になってしまうことが多い仕事です)。ぼくらは、とにかく音楽がつくりたい。そして、つくった音楽があってはじめてどう売るかを考える。そのときに下す判断を、「品」だととらえてくれる人と「わがまま」だととらえる人がいるのですが。








──今回のインタヴューは、世界に誇るべき日本のイノヴェイター、ということで伺いました。世界との比較という視点に立ったとき、思うところはありますか?

 

音楽に関しては、世界と日本との間に大きな距離はないと思います。いま、ちょっとでもアメリカで売れたら世界でツアーを組める状況があるわけで、昨年仕事でロンドンに行ったときにも、世界は意外と遠くないと感じました。

普段からぼくらが聴いている音楽も海外の楽曲の方が多くって、であれば、その逆が起きないことの方が不思議です。世界の人に対して、自分たちがつくる音楽を「日本のもの」としていいと感じてもらいたいという想いは昔からもっていて、海外に一定数いるはずの彼らに、ちゃんとアプローチする方法をつくりたいと思ってきました。だって、そんな人が世界各国に10人ずついれば、何千人になるわけじゃないですか?  いまは国内で発言力をつけていかなきゃいけないので、まだまだ先の話ではあるのですけれど。

そもそも、ぼくらはもっと楽しく、音楽をやりたいんです。音楽だけをつくって、意気揚々と暮らしたい。そのために、いまがんばってるだけです。



──それは、自分の生きていく場所をちゃんとつくっていくという感じですね。

 

そうです。自分が生きていきたい業界に対してなんらかの貢献をしないと、業界そのものがなくなっちゃうじゃないですか。

自分の店だけが儲かっているだけだと、商店街は潰れちゃう。クラブだとそれはさらに顕著で、1人のDJだけが毎晩一晩中プレイするのは不可能です。そんなことをどうして誰もわからないんだろうと思います。

繰り返しになりますが、ぼくは楽がしたいんです。そして楽をするためには、やっぱりがんばらなきゃいけない。いま業界ということを考えると、スタジオをつくりたいと思っています。若いミュージシャンには、スタジオの機材に触れられる機会すらないと思うんです。彼らがスタジオに入って、1週間をかけて 音楽をつくるようなことになるといい。







──やりたいこととビジネスは、両立できますか?

 

音楽家として世間の要望に応えるのは、もちろん楽しいです。でも、そのときいくら売り上げを気にせずつくろうと言ったって、根っこの部分では気にするわけです。否応なく数は見えてくる。であれば、ほかのことでお金を稼いだ方が音楽づくりにおいてバイアスがかからないし、売り上げというものをほんとうに気にしないで済むんです。

もしほんとうに売り上げを気にしたくないと思うときがあれば、「兼業音楽家」というかたちで音楽を続けていけばいい。音楽は相手がいるからこそ成立するものだから、音楽で儲けようがあるいはその必要がなくなろうが、聴いてくれる人のことは考えるじゃないですか。

これって、音楽以外のことでも一緒だと思うんですよ。ぼくの祖父母は八百屋をやっていましたが、小さいころに見ていた彼らの姿は、「人に届ける」という意味で、いまぼくがやっている音楽をつくって売ることと、変わらないと思うんです。









PHOTOGRAPHS BY KO SASAKI 
TEXT BY WIRED.jp_ST
WIRED Audi INNOVATION AWARD

水曜日, 8月 17, 2016

エロとエレクトロはなぜいままで出会えなかったのか |石野卓球 INTERVIEW

 

エロとエレクトロはなぜいままで出会えなかったのか

 

最新作『LUNATIQUE』における探求

 

石野卓球

 

「フェティッシュ」をテーマに『LUNATIQUE』の制作に取り組んだ石野卓球。DOMMUNE特別番組「石野卓球 "LUNATIQUE" RELEASE SPECIAL!!」5時間生配信を直前にして、6年ぶりのアルバムで見えた「ズレ」と「持続性」を語る。


















石野卓球のソロ・ワーク『LUNATIQUE』は、フランス語で“気まぐれ”を意味するタイトルの通り、コンパクトだった前作『CRUISE』から一転、さまざまなタイプのトラックが収められ、刻々と表情が移ろっていく、ヴァラエティに富んだダンスアルバムになっている。

しかし、一方で、イラストレーターの横山明が成人向けマンガ雑誌『漫画エロトピア』のために描いた、妖艶な美人画を基にした宇川直宏のジャケットが見事に象徴するように、そこからはあるひとつのイメージが浮かび上がってくるだろう。

そして、石野によると、それは“エロティック”という言葉で表現できるという。もちろん、以前から、彼と、彼のユニット・電気グルーヴはいわゆる下ネタを好んできたが、しかし、『LUNATIQUE』のエロはそれとは違うのだ。

石野卓球に、アルバムと、そこに込められた彼のエロティックな哲学について話を訊いた。







──ソロとしては、6年振りのアルバムになります。

 

本当はもっと早く出すつもりだったんですよ。『CRUISE』(2010年)の次はもうちょっとアッパーな、派手めのダンスアルバムをつくろうと考えて、来る日も来る日もスタジオに入って作業をしてたんだけど、ただ、なかなか思うようにできなくて。

オレは曲をつくるとき、途中で止めないようにしてるのね。いったんつくり始めたら、「ダメだ」と思っても最後までやって、「次に行こう」って感じ で。『CRUISE』のあとも、そんなふうに、多いときで1日に3曲くらいつくってて。でも、「何か違うんだよなぁ」って首を捻りながらつくり散らかしてるうちに、気が付いたら世の中はEDMが流行りはじめてたし、「じゃあ、アルバムはしばらくいいか」って作業を止めちゃった。

しばらくして、今年の頭に自分のPCのHDDをチェックしてたら、つくったのも忘れてたような曲がたくさん出てきて。2007年ぐらいから、いま言った『CRUISE』のあとにレコーディングしたものまで、全部で100曲ぐらい。で、「そう言えば、こんなものつくってたなぁ」って聴き返してみたら、いいものも多くて。「こんな曲、誰がつくったんだ?!」っていう。そりゃあ、覚えてないよね。1日しか聴いてないわけだから。ひと晩しか寝てない女の 顔、覚えてないでしょ?



──時々、印象に残る人もいると思いますけど(笑)。

 

もちろん、聴き直してみて、自分の曲だっていうことはわかるんだけど、「はぁ、あなたがわたしの息子? はじめまして」みたいな距離感っていうかさ(笑)。で、そこから抜粋してCDに焼いて、友達に配ったりしてたの。「家で作業するときにでも流してよ。邪魔にならなくていいよ」みたいな感じで。

そうこうしているうちに、「友達に配ってるだけなのももったいないなぁ」と思い始めたんだけど、そこでアイデアが湧いて。

つまり、いままでのソロのアルバムっていうのは、アルバムをつくると決めて、一定の期間にレコーディングしたものをパッケージングしてたわけ。でも、今回は、発掘されたストックを、DJでいうレコードボックスとして捉えて、そこから、コンセプトに合った曲と順番を考えたらどうだろうと。で、それをさらに肉付けして、アップデートしたのがこのアルバム。



──そのコンセプトは“エロティック”だということですが、ちなみに、プライヴェートでCDにまとめていた際も同じコンセプトで、渡す際にそう説明していたのでしょうか?

 

以前は、テーマは“フロウ”って言ってたかな。「漂うような感じ」って。“エロ”までは言ってなかった。でも、自分でも聴いてるうちに、「これ、随分、エロいなぁ」と思うようになって。

『CRUISE』のあとのレコーディングでは、いわゆるメロディではなく、不安定な音をどう取り込むかっていうことを考えてたんだよね。そのあとアルバムにする段階の肉付け作業のときに入れたシンセとかも、あえてシンクさせないでズレさせるっていう。
そういう、不安定な感じっていうのは意識してた。だから、全体的にカチッとしてはいるんだけど、常にモワーンって霧がかかったような音が鳴ってたり、シーケンスが合ってるのかと思いきやズレてたり。で、「これは、実際にズレてるのかな? 頭のなかでズレてるのかな?」って補正して楽しむような感じ。それが、自分にとってのエロのイメージと重なったんだよね。



──Twitterでは、「イヤらしいことを考えてつくりました」と書いていました。








「イヤらしいこと“だけ”を考えて」、ね! 制作中はずっと硬くしてました。



──持続力、すごいですね。

 

普通、「硬くしながらつくってた」って言うと、「ふざけた野郎だ」って思うだろうけど、別にしごきながらつくってたわけじゃなくて、硬くしながらつくってたんだから、溜めてるわけですよ。むしろ、ストイック。



──ただ、このアルバムに漂っているエロさは、直接的な感じではないですよね。

 

“エロ”って、人によって考え方が違うから。おっぱいがボーンって出てるのがエロっていう人もいるでしょ。でも、オレにとってはそれはまったくエロくないし、かといって、“お色気”とも違うし。

…よく、変態呼ばわりされるんだけど、筋金入りの変態なんで、気安く呼ぶなよっていう。ただ、自分としては法に触れるようなことはしない。それはオレの変態道に反するんで。あと、人を巻き込まない。



──プレイの場合は、ひとりは巻き込んでますよね?

 

いや、巻き込むっていうのは、自分の快楽を相手に押し付けるっていうこと。そうじゃなくて、お互いの楽しめないことは取り入れないっていうのがルール。



──現代日本人男性のセックスは、相手に対して、一方的に性的な欲望を押し付けるものになりがちだということも言われますが。

 

喋るTENGAみたいな? それに満足できるっていうのが、ねぇ。新人類って言うんですか?(笑)



──卓球さんのエロ観としては、先程のシーケンスの話のように、互いにイメージを調整し合って楽しむことが重要だと。そういえば、よくSMについて話されていますよね。「SとMは表裏一体だし、パートナーシップなんだ」みたいな。

 

そうそう。分かりやすく言えば、SとMは立ち位置の関係ではなくて…まぁ、ロールプレイ(役割演技)でもあるんだけども、嫌なのは、「はい、スター ト!」っていうミニコントになりがちでしょう? そりゃあ、イッたあとに恥ずかしくなりますよ。じゃあ、その問題をどう解消するかというと…この話、続けても大丈夫? 興味ある?(笑)




──続けて下さい(笑)。

 

どう解消するかっていうと、要するに、皆、日常からエロいモードに入るときに、カチッとボタンを押すみたいにスタートしようとするけど、そうではなくて、ロータリーフェイダー(ミキサーに付いている、音を調整するための回転式のノブ)で、幽霊のように常にうっすらとエロを被せておいて、それをコントロールすればいい。




──音楽の話に繋がりましたね。

 

そうすると、「恥ずかしい」みたいな感覚がなくなって、俗に言う変態的な行為も当たり前の愛し合い方になっていきますよ?(笑)








 

 

──ちなみに、ジャケットには、いわゆるスーパーリアリズムのイラストレーターとして知られる、横山明が描いた成人向けマンガ雑誌『漫画エロトピア』の表紙が使われています。

 

最初は違う写真を使おうと思ってたんだけど、それはあまりにも生々しくて直接的な感じだったので、もっとイメージを伝えるのに合ったものはないかなぁって、日課であるインターネットフェティッシュサイト・パトロールをしてたんだよね。もちろん、ミニスカポリスの格好で。



──(笑)。

 

で、最初は“昭和のSM”をキーワードに探してたんだけど、それだと、どうも“畳感”が強いものばっかりが出てくるのね。「そうじゃないんだよな~」と思ってたところに、この表紙の画像に行き着いて、「これだ!」って。




──それを基にデザインを担当したのは、宇川直宏さんです。

 

これはもう宇川くんしかないと思って直談判した。それで、今まで出たことがないDOMMUNEへの出演(8月3日配信予定)と引き換えに、やっもらえることになって。で、まずは宇川くんが横山先生の原画を探してくれたんだけど、膨大な数だし、いちいち取っておくわけがないじゃない(笑)。だから、仕方がなく、コレクターのひとから雑誌の実物を買い取って。ただ、それも昔の雑誌だし印刷が粗いんで、宇川くんがレタッチしまくってくれたという。



──印刷されて解像度が粗くなったスーパーリアリズムを、レタッチでもって再び解像度を高めていくという作業は、非常にテクノ的に思えます。

 

素晴らしいよね。もちろん、宇川くんもストイックにイヤらしいことだけを考えてレタッチしてたと思う(笑)。




──元の雑誌は78年刊行ということですが、67年生まれの卓球さんにとってはちょっと上の世代のものという感じですか?

 

いや、78年だと11歳でしょ? 余裕で読んでた。実家が店をやってて、エロ本も置いてあったから読み放題だったんだよ。でも、子供だからどうして いいのか分からず、グラビアを舐めてみたり(笑)。友達と、「何かエロいの見ると、おちんちんが尖るんだよね」「え、お前も? 良かったー! オレだけかと思ってたー!」なんて話をしてたね。



──『エロトピア』は、この後、ロリコン路線に行きますよね。

 

そうそう。表紙が変わっちゃう。



──遊人が担当するようになる。そこで、横山明時代をチョイスするというのが卓球さんらしいなと。

 

横山先生の絵は“大人”!って感じ。それにしても、“エロトピア”って名前が凄いよね。住みてー!



──今回、ミックスエンジニアには、電気グルーヴ『Fallin’ Down』(15年)から引き続き、得能直也さんが採用されていますね。

 

最初は何人かのエンジニアに発注して、曲調がヴァラエティに富んでる感じを強調しようと思ってたんだよね。それで、まず、得能くんにアルバムのラフミックスを送って、「このなかから好きな曲をいくつか選んで」ってお願いしたら、「曲順も音の方向性も決まってるんだったら、全部、ぼくにやらせて下さい」って言ってくれて。で、「マスタリングはボー・コンドレン(カリクス・マスタリング/ベルリン)にお願いしたい」っていうアイデアまで出してくれたんで、じゃあ、そうしようって。



──以前、得能さんに話を訊いたとき、「卓球さんは割と丸投げしてくれる」と言ってました。

 

エンジニアにも2種類いて。ラフミックスから原型を留めないくらいまでいじるタイプと、方向性を踏まえてブラッシュアップしてくれるタイプ。
得能くんは後者で、綺麗に磨いて形も整えてくれるから、注文をつける必要がないんだよね。




──それこそ、宇川さんのレタッチのように、音に関しては得能さんがブラッシュアップしたと。

 

そうそう。あと、彼は研究熱心だよね。ダンスミュージックにも凄く理解が深いから。




──得能さんの名前はceroを始め、インディロックの仕事で知られるようになった感じがありますけど、もともと、ダンスミュージックが好きなひとですもんね。京都でもパーティをやってるし。

 

そういえば、得能くんが京都に住んでるってこともあって、今回、初めての試みとして完パケするまで一度も顔合わせなかったんだよ。最近はDropboxなんかですぐ音を確認出来るじゃない? DJで地方に行って、空港で得能くんが送ってくれたものを聴いて、そこで、「ここをこういうふうにして」って言ったら、羽田に着いたときにはもう出来てるっていう。未来だよね!




──ちなみに、アルバムは6年振りになりますけど、DJはペースを落としてないですよね。

 

落としてないね。入れられるだけ入れてる。肩を温めておきたいっていうのもあるし、あと、単純に好き。アナタノコトガチュキダカラー! 磯部くんのことだよ。




──告白、ありがとうございます(笑)。6年前とは日本のクラブの状況も変わってきたと思うんですよね。客の年齢層が上がったと言われる一方で、最初に話に出たようにEDMが流行ったりとか。風営法が変わったりとか。ペースを落とさずに、DJを続けるなかで感じるところはありますか?

 

まず、EDMは盛り上がってたって話は聞くけど、そういうところに遊びに行ったことがないから、実際は知らないな。あと、年齢層が上がってるってい うのも分かる。でも、一方で尻すぼみはしてないっていうか。例えば、EDMが流行ってフェスに行くようになって、そこでオレのDJを聴いて、「こんなのもあるんだ?」って遊びに来るようになった子もいるし。



 

──ちなみに、いま、やってていちばん面白いハコはどこですか?

 

岡山の「YEBISU YA PRO」。




──この間もやってましたよね。

 

うん。ダントツで面白いね、あそこは。音もいいし、店のひとたちのお客さんをもてなそう、楽しませようっていう姿勢が素晴らしいんだよね。もちろん、ビジネスとして成り立たせながら、ちゃんと人肌の伝わるやり方をしてるっていうか。ほんと、よそに例がない。





 

 

──というわけで、新作『LUNATIQUE』について訊いてきましたが、エロとテクノって、これまで、日本ではあまり結びついていなかったですよね。

 

エロい人がいなかったんです、オレくらいしか(笑)。



──例えばエロとR & Bだったら、日本でもあると思うんですけど。

 

R & Bのエロさとは違うよ。これは、変態だから。いや、やっぱり、変態って言うと語弊があるな。「変わった性癖をおもちの方」? そこは、今後、言い方を考えていかないとなって。「変態は何でもあり」みたいに思われちゃっても困るからね。盗撮して、下着盗んでとか、そんなんじゃないからさ。そんなやつが「アルバムをつくりました!」って堂々とインタヴューを受けてるの、ヤバいじゃん(笑)。そうじゃなくて、どちらかというと、“フェティッシュ”って言葉が近いかな。



──もともと、エレクトロニックミュージックおいては、音に対するフェティシズムが重要ですしね。

そう考えると、卓球さんがこれまでこのようなアルバムをつくってこなかったのが不思議なくらいです。

 

実は前にもトライしたんだよね。『throbbing disco cat』(99年)とかで。ただ、当時はアルバム1枚をレコーディングする間、おちんちんを硬く保つことができなかった。



──若かったのに(笑)。

 

若いからこそ、途中でイッちゃうんだよね。で、賢者モードになっちゃうんで、また勃て直さなきゃいけないじゃない? その間につくるもののなかには、イヤらしいことを考えずにつくった曲もあるし、そうすると、イヤらしいアルバムとは言えなくなっちゃう。



──今作、リスナーの想像力の豊かさも試されそうですね。

 

ヴィジュアルとタイトルと音の方向性がここまではっきりしてたら、どういうことを表現したいかはよっぽど鈍くない限り分かると思うから、あとは、各自、楽しんで欲しいかな。

オレはこういうフェチだけど、あなたはどんなフェチなのかっていう。フェチのない人なんていないんだからね。










石野卓球|TAKKYU ISHINO

1989年にピエール瀧らと「電気グルーヴ」を結成。95年には初のソロアルバム『DOVE LOVES DUB』をリリース、このころから本格的にDJとしての活動もスタートする。97年からはヨーロッパを中心とした海外での活動も積極的に行い始め、98年にはベルリンで行われる世界最大のテクノフェスティヴァル「Love Parade」のFinal Gatheringで150万人の前でプレイした。99年から2013年までは1万人以上を集める日本最大の大型屋内レイヴ「WIRE」を主宰し、精力的に海外のDJ/アーティストを日本に紹介している。現在、DJ/プロデューサー、リミキサーとして多彩な活動をおこなっている。www.takkyuishino.com







INFORMATION

 
2010年にリリースされた『CRUISE』以来、ソロとしては6年ぶりとなる新作。ジャケットを手がけたのは宇川直宏。2,500円(税抜き)、amazonか ら購入可能(1.Rapt In Fantasy / 2.Fetish / 3.Lunar Kick / 4.Fana-Tekk / 5.Crescent Moon / 6.Die Boten Vom Mond / 7.Amazones / 8.Lunatique / 9.Selene / 10.Dawn )。








PHOTOGRAPHS BY YOSHIMITSU UMEKAWA
TEXT BY RYO ISOBE

日曜日, 7月 17, 2016

テレビと音楽

 

 

とんねるず、ダウンタウン、そして秋元康が歌謡曲を終わらせた—テレビと音楽



今回は7月18日放送の「FNSうたの夏まつり」とのコラボを記念して、「テレビと音楽」というテーマで特別版をお届け! 歌謡曲とJ-Popの境目がわかると、テレビと音楽がとてもおもしろいそうですが、そのキーマンは、とんねるず、ダウンタウン、そして秋元康さんでした。
7月18日(月)11時30分頃よりYouTubeライブにて、11時間裏実況しますのでそちらも併せてお楽しみください! 豪華ゲストも目白押しです。





柴那典(以下、柴) なんと、今回「心のベストテン」が、フジテレビの「FNSうたの夏まつり~海の日スペシャル~」とコラボすることになりました!

大谷ノブ彦(以下、大谷) いやあ、すごいことになりましたねえ! しかし、107組、171曲ってすごくないですか?

 7月18日の11時45分から、11時間ぶっ続けの生放送ですからね。

大谷 僕ら二人はその間、何するんでしたっけ?

 会場そばの特設ルームからYoutubeLIVEによる生配信で、裏実況というか、番組のこともそれ以外のことも、音楽についていつも通りしゃべり続けます。

大谷 ただそれが11時間ある(笑)!

FNSうたの夏まつり 裏実況SP

 大谷さんはこういうの慣れてるかもしれないですけど、正直僕、不安です。

大谷 なんとかなりますよ! だって音楽聴いて好きなこと話してるだけでしょ?

 まあ、そうか。そうですね(笑)。

大谷 いやあ、しかし出演陣も豪華だし楽しみだなあ。

 ゲストにアイドルやミュージシャンの方が来てくれたりもするみたいです。

大谷 ℃-ute来てくれないかな〜。

 あははは。とにかく僕らは視聴者と同じ目線で、音楽好きとして、番組を楽しみましょう。

大谷 それね、大事。

 

とんねるずとダウンタウンが歌謡曲の時代を終わらせた


 というわけで、今回は音楽番組の話をしたいなと思うんです。

大谷 お! 歌番組の話、いいですねえ。

 そしたら今回の「FNSうたの夏まつり」がなんでこんなに長いのかも、僕らなりの結論にたどり着けると思うんです。まずはテレビと音楽がどう蜜月を築いてきたかについてなんですけど—。

大谷 おもしろそう! 歌謡曲の話から始めちゃいますか?

 そう。日本の大衆音楽って「歌謡曲」から「J-POP」に変わっていったんですけど、その境目がどこなのかがわかるとおもしろいんですよ。

大谷 ああ、それはそうでしょうね。

 よく言われているのが、89年にスタートしたFMラジオ局のJ-WAVEで「J-POP」という言葉が最初に使われたという説ですね。そこから93年くらいにかけて徐々に広まっていった。
 だから歌謡曲とJ-POPの境目は昭和と平成の切り替わりのタイミングである1989年あたりなんです。

大谷 なるほどね。僕の考えではね、とんねるずの「情けねえ」(1991)が歌謡曲の時代を終わらせたきっかけだと思ってるんです。

 ほう。というと?

大谷 この曲って、秋元康さんが歌詞を書いてるんですけど、長渕剛さんのパロディなんですよ。「ちっぽけなしあわせに魂を売り飛ばし」「ツバ吐いて 捨てた夢」とか、いかにも長渕剛が言いそうな言葉だけで作られている。極めつけは、「この世のすべてはパロディなのか」なんて言葉が入っている。
 これが当時の「日本歌謡大賞」の大賞をとってしまった。

 あー、そうだ! これが91年のことですね。いま動画を検索すると、明らかに長渕さんっぽい歌い方をしている(笑)。







大谷 パロディで作ったものが王道の評価をされちゃったんです。今はもう、DJでこの曲かけても、みんな普通に「いい曲」として大合唱になりますからね。

 今や誰もパロディだと思ってないわけだ。

大谷 「情けねえ」が大ヒットしたのは、間違いなくカラオケブームのおかげだと思うんです。みんなカラオケでこの曲を歌ってた。で、売れたもんだから、歌謡曲の権威の側がそういうパロディの曲に賞をあげちゃった。そうしたら、翌々年の93年に「日本歌謡大賞」自体も終わってしまうんです。これって、つまりは歌謡曲の役割が終わっちゃった、ってことなんですよね。

 

テレビバラエティはお笑いと音楽が常に共存してきた


 なるほど。まさに僕も大谷さんと重なることを言おうと思っていたんです。というのは、歌謡曲って基本的にテレビの中で生まれたものだと思っていて。
 で、テレビバラエティの歴史を振り返ると、いろんな時代で、常にお笑いと音楽が共存していたんですよね。

大谷 まさに。『シャボン玉ホリデー』(1961-1972)と植木等の時代からそうだった。

 しかも、「お笑い」と「音楽」はテレビの中で常にどっちがエラいかの綱引きをしてきたと思うんです。

大谷 あー、なるほど。それはおもしろい!

 70年代から80年代はザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』の全盛期でした。
 あの番組って、いかりや長介さんが「ダメだこりゃ」って言ってコントが終わったら、その舞台を全部撤収した後にゲストの歌手が出てきて歌うんです。つまり、歌手のほうがエラかった。

大谷 ああ、なるほどね。歌がメインで、コントが前座なんだ。

 歌謡曲の時代って、音楽のほうがお笑いよりエラかった時代なんです。 『オレたちひょうきん族』もそうですよね。『ザ・ベストテン』に権威があったから、そのパロディの「ひょうきんベストテン」が成立していた。でも、それが89年に全部終わった。

大谷 そうか……ってことは、90年代のJ-POPはお笑いのほうが音楽よりエラくなった時代、ってこと?

 そう! だから91年の「情けねえ」がターニングポイントになった。あの時点で、お笑いコンビであるとんねるずが、パロディで本物の歌謡曲に勝っちゃった。

大谷 だからその後にダウンタウンさんが出てきて『HEY! HEY! HEY!』(1994−2012)が始まるんだ。

 そうなんですよ。『HEY! HEY! HEY!』はミュージシャンが松本さんにイジられたり浜田さんに頭叩かれたりして番組が成立してた。お笑いのほうがエラいんです。

大谷 すごい話だなあ! でも、それって本当にいいことだったのかな(笑)。

 いいことかどうかはわからないですけどね。でも、少なくともテレビの歌番組がそういう歴史を作ってきたのは間違いない。

大谷 その頃浜田さんがH Jungle with tで歌った「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」なんて、200万枚以上の大ヒットですからね。





 世界で一番売れたジャングルの曲になったという。
※UKで90年代に勃興したクラブ・ミュージックのジャンル

大谷 でも、そういうアンダーグラウンドなジャンルの曲をお笑い芸人がやるのって、その前からあったと思うんです。YMOとスネークマンショーだってそうだった。でも浜田さんの「WOW WAR TONIGHT」が決定的に違うのは歌詞ですよね。

 あー、確かに。

大谷 コミックソングじゃないし、とんねるずのようなパロディでもない。そのへんのうまくいってない男の子の日常の歌ですからね。


たまにはこうして肩を並べて飲んで
ほんの少しだけ立ち止まってみたいよ
純情を絵に描いた様なさんざんむなしい夜も
笑って話せる今夜はいいね…
温泉でも行こうなんて 
いつも話してる 

H Jungle with t「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」より

 
 そうか、それをカラオケで普通の男の子とか女の子が歌ってヒットした。その後、ウッチャンナンチャンのポケットビスケッツとブラックビスケッツの大ヒットもあった。

大谷 ブラビの「タイミング」(1996)とかね〜! 90年代のJ-POPはお笑い芸人が日常を歌う時代に入ったと。

 『うたばん』も90年代ですもんね。あれも石橋貴明さんと中居正広さんが司会で、お笑いのほうが音楽よりエラい番組。やっぱり歌謡曲の時代を終わらせてJ-POPの時代を作ったのはとんねるずとダウンタウンだった。

 

秋元康というカイブツ


大谷 もっと言うと、これって全部秋元康さんが仕掛けてるんですよ。歌謡曲の時代を終わらせたのも、80年代アイドルの全盛期を終わらせたのも秋元さんだった。

 『夕やけニャンニャン』(1985)で普通の女の子を集めて、そこからおニャン子クラブをデビューさせたわけですもんね。

大谷 それと小泉今日子の『なんてったってアイドル』(1986)もですね。あれをヒットさせたことで、それまでにあったアイドル幻想みたいなものを全部ぶち壊した。そのせいで、90年代はアイドル暗黒期に入るんです。

 そしてさっき語ったとんねるずの「情けねえ」のプロデュースと作詞も秋元康さんだった。

大谷 つまり80年代の秋元康さんは歌謡曲とかアイドルの美学をパロディ化することで時代を作ったんです。でも、そのことによって前の時代が急激に古くなってしまった。

 90年代、ビーイング系の時代とか小室系の時代は、秋元康さんはちょっと影を潜めてましたね。

大谷 でも、あの人は本当にすごいんですよ。だって、松本隆さんだって阿久悠さんだって、全盛期は10年もないんです。時代が変わったら世界観が古びてしまう。でも秋元康さんは何度も戻ってきてる。AKB48でもう一度アイドルの時代を作ったわけですからね。

 wikipediaを見ると、チャート1位をとった作詞曲が、1985年から2016年まで現時点で136曲もある。ほんとにカイブツですよね。しかもAKB48では、80年代とは歌詞の書き方がまったく変わっている。

大谷 やっぱり顕著なのは「RIVER」からですね。直球で啓蒙的な歌詞を書いている。それがアイドルファンにダイレクトに刺さった。






君の目の前に 川が流れる
広く 大きな川だ
暗く深くても 流れ速くても
怯えなくていい
そうだ 向こう岸はある
もっと 自分を信じろよ 

AKB48「RIVER」より

 
 秋元さんは以前インタビューで「女の子たちの観察日記として歌詞を書いている」と言ってたんです。つまり、2005年に劇場を開いてから数年間、そこから10代の女の子たちがどう悩んで、どう這い上がって、どう才能を発揮するかを見て、それをそのまま歌詞に書いた。

大谷 おニャン子クラブとは真逆ですよね。あの時代はオッサン目線で見た理想の女の子を歌詞に書いてたわけだから。


友達より早く エッチをしたいけど
キスから先に進めない 臆病すぎるの
週刊誌みたいな エッチをしたいけど 

おニャン子クラブ「セーラー服を脱がさないで」より

 
大谷 なんで秋元康さんは女の子に寄り添う書き方になったんでしょうね。

 それはもう時代が違うからですよね。特にメディアのリアリティのあり方が変わった。80年代はテレビがメディアの王様で、その楽屋裏を見せるのが当時のリアルだったわけじゃないですか。でも2010年代のリアルがどこにあるかって言ったら、現場とSNSですよ。

大谷 なるほどね! だから劇場と握手会なんだ。

 現場でオタクが発信すること、女の子がSNSで書くことが何よりリアルなんです。そんな時代にテレビの裏側を見せたってリアルじゃない。秋元康さんはそのことを誰よりも先にわかってた。だからAKB48が天下をとったんです。


 

 

“お笑い”と“音楽”の綱引きでテレビの歴史はつくられる—テレビと音楽



乃木坂46とミスチル桜井和寿


 前回は歌謡曲とJ-POPの境目の話から、90年代のテレビバラエティはお笑いのほうが音楽よりエラかったという話でしたけれど—。

大谷 そして、カイブツ秋元康ね。そういえば柴さん、乃木坂46のアルバム聴きました? あれがほんとに素晴らしい。

 『それぞれの椅子』、いいアルバムですよね。

大谷 あそこに入ってる「きっかけ」って曲がめっちゃいいんですよ。





大谷 特に歌詞が素晴らしい。自分のアイデンティティがぐらついてる子が、その気持ちを信号機に喩えるんです。「心に信号があればいい」って。ルール通りに生きられたら楽だけど、誰かの指示を待つんじゃなくて、自分の衝動に従って生きていきたい、って。聴いてて胸が切なくなる。


決心のきっかけは 理屈ではなくて
いつだってこの胸の衝動から始まる
流されてしまうこと 抵抗しながら
生きるとは選択肢
たった一つを 選ぶこと

乃木坂46「きっかけ」より

 
大谷 そしたら、実はこないだMr.Childrenの桜井和寿さんからメールが来たんです。「乃木坂46の『きっかけ』って超良い曲じゃない? どう、大谷くん」って。

 ええ!? そんなメールが来るんだ! すごい。

大谷 こないだ武道館でやった「Golden Circle」ってイベントでも、桜井和寿が寺岡呼人さんとこの曲をカバーしてたんですよ。しかもそれが作曲した杉山勝彦さんに届いて。「音楽の道に踏み込むきっかけとなったアーティストに届いてうれしすぎる!」ってツイッターに書いてた。

 いい話だなあ!

大谷 秋元康さん、どれだけ名曲書き続けるんだって、つくづく思いましたよ。

 そこにちゃんとアンテナ張ってる桜井和寿さんも素晴らしいですね。

 

SMAPと野猿、そしてJ-POP名曲化の時代

大谷 あとテレビと音楽のシーンでデカいのがSMAPですよ。SMAPがお笑いと音楽を融合して、アイドルのあり方を変えてしまった。

 SMAPの存在はほんとに大きいですよね! 『SMAP×SMAP』が96年スタート。アイドルがコントをするなんてそれまでの常識にはなかったわけだから。

大谷 あともう一つ、忘れちゃいけないのが「野猿」なんです。あれも90年代だった。今も90年代テーマのDJイベントで野猿の曲をかけると超盛り上がるんです。

 ありましたねえ。『とんねるずのみなさんのおかげでした』の番組スタッフがデビューして、大ヒットした。

大谷 野猿って、意外に大事なグループだったと思うんです。

 そうなんですか?

大谷 あれも、90年代に秋元康さんが仕掛けたことだったんですよね。80年代のノリ、テレビの楽屋裏を見せてスターを作るのをもう一度やった。

 でも野猿は98年にデビューしてから3年後の2001年に解散してます。

大谷 「撤収」って言ってましたよね。長くは続けられなかった。

 実はそれも歴史的な流れから見ると必然だったと思うんです。
 というのも、00年代初頭はそれまでの反動で、音楽のほうがお笑いよりエラくなろうとする動きが起こっていたから。

大谷 わかるなあ、それ。だってフェスも始まって、格好いいロックバンドもたくさん出てきて、宇多田ヒカルが出てきた。本物がウケる時代になった、ってことですよね。

 それに、00年代前半のJ-POPって、いわゆる名曲が多いんです。SMAPの「世界に一つだけの花」もそうだし、サザンオールスターズの「TSUNAMI」もそうだし、一青窈の「ハナミズキ」もそう。

大谷 マジメな歌が多いですね。

 そう! みんな茶化さない。教科書に載るようなタイプの歌詞なんですよ。MONGOL800の「小さな恋のうた」もそう。

大谷  青春パンクも全部そうだ。

 これって、いわゆる野猿的なものへの揺り戻しだと思うんです。

大谷 なるほどね! パロディが通用しなくなって、音楽のほうがお笑いよりエラくなってきたんだ。

 それに、BUMP OF CHICKENとかアジカンとか、00年代にデビューしたバンドはみんなテレビに出たがらなかった。それって明らかに『HEY! HEY! HEY!』とか『うたばん』に出てイジられるのが格好悪いと思ったからですよね。

大谷 わかるなあ。そこから音楽番組が衰退していったわけなんですね。お笑いありきの作り方しかできなかったから。

 そう。だから『Mステ』しか残らなかった。

大谷 なるほどねえ。それが00年代だった。じゃあ、これからの音楽番組ってどうしたらいいんでしょうね。

 

フェス化する音楽番組


 これね、僕はまず強く言いたいんですけど、みんな00年代を一緒くたにまとめて語りすぎなんですよ。00年代って、実は前半と後半で全然違う。

大谷 ほう。どう違うんですか?

 00年代の前半は、さっき言ったように「名曲の時代」だったと思うんです。歌い継がれるような曲が次々と生まれる時代だった。
 でも、00年代の後半、2006年から2010年くらいまでが、正直テレビとJ-POPにとって一番ダメな時代だった。

大谷 というと?

 理由はハッキリしてます。YouTubeとニコニコ動画が出てきた。夏フェスがレジャーになって、ライブの現場の方に盛り上がりが生まれた。相対的にテレビが力を失っていったんです。

大谷 確かに、テレビによってヒットソングが生まれなくなった。でも、今はおもしろい音楽が増えてる感じがしません?

 そうなんですよ。暗いムードがあったのは00年代後半まで、2011年からはまた時代が変わってきている。

大谷 こんなタイプの音楽もあるの?って感じで、とにかく音楽シーンがどんどん豊かになっている気がします。

 だから、音楽番組もここ数年でずいぶん変わったんですよね。

大谷 そうか! それを全部網羅しないといけないから『FNSうたの夏まつり』もどんどん放送時間が長くなっている。

 そうなんです! 長いんですよ! 『FNSうたの夏まつり』も『THE MUSIC DAY』も『音楽の日』も『ミュージックステーション ウルトラフェス』も、2010年代に入って始まった大型音楽番組って、全部10時間超えの生放送になっている。これって何かって言うと、音楽番組のフェス化なんですね。

大谷 なるほどね。「うたの夏まつり」って「夏フェス」のことなんだ。

 だって、ニュースサイトを見ても「FNSうたの夏まつり、今年の第一弾アーティスト発表!」って見出しになってるじゃないですか。これもフェスと一緒。

大谷 ははははは! あと、SNSもありますよね。ああいう番組って、みんな観ながらツイッターで呟いてる。あの参加の仕方もフェスっぽい。

 そうなんです。実は00年代後半のテレビとJ-POPはずっとネットを敵にしていたんだけど、今の音楽番組はスマホ片手に観るものになっている。SNSを味方にしてるんですよね。

大谷 もうこれ、『SNSうたの夏まつり』に変えちゃったほうがいいんじゃないですか!?

 ははははは! フジテレビじゃなくなっちゃう。

 

なぜ夏の名曲が多いのか


大谷 今回の『FNSうたの夏まつり』って、「最強の夏うた100選」って企画があるじゃないですか。

 歌謡曲からJ-POPの時代まで夏のヒット曲を集めたコーナーですよね。

大谷 それで言うと、80年代の松田聖子って、シングルが全部季節の歌だったって知ってます?

 そうなんだ!

大谷 そうなんですよ。しかも夏の歌が多い。「青い珊瑚礁」も「夏の扉」も「白いパラソル」も「小麦色のマーメイド」も、全部夏の歌。シングルだと冬の曲がほとんどない。冬の歌がいまいちハマらなかったんですよね。

 なんで夏の曲ばっかりなんでしょうね。

大谷 やっぱり「祭り感」が大事だと思うんですよ、ポップスって。

 たしかに、冬にはそういう感じはないですもんね。

大谷 僕ね、Mr.Childrenの「エソラ」という曲がすごく好きで。あの曲の歌詞の何がすごいって、「忘れないために 記憶から消すために」ってフレーズがあるんですよ。





やがて音楽は鳴りやむと分かっていて
それでも僕らは今日を踊り続けてる
忘れない為に
記憶から消す為に Oh Rock me baby tonight
また新しいステップを踏むんだ
Mr.Children「エソラ」より

 
大谷 たとえば僕らが初めて恋人とキスを交わした時に流れてた曲って、その光景と一緒に覚えるじゃないですか。で、その一方でつらいことがあった時には音楽を聴いてそれを忘れたりもする。そういう音楽の日常への寄り添い方をたったワンフレーズで言い表しちゃってるんです。

 なるほど。さすが桜井和寿ですね。

大谷 つまり、ポップスって、その人の思い出に寄り添うわけですよ。そう考えると、夏は人生においてのロマンチックなシーンが多すぎる。

 たしかに。

大谷 だから音楽が必要なのよ! ザ・クロマニヨンズのマーシーが「夏こそロックンロールの季節」っていうのもそういうことですよ。夏は服も薄くなるし、女性もエロくなるし、どんどん開放的になってくる。

 なるほどねえ。だからポップスには夏の曲が多いんだ。

大谷 そう。夏は何かが起きる季節なんです。
















7月18日(月)11時30分頃より「心のベストテン」が「FNSうたの夏まつり」を11時間裏実況!



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木曜日, 6月 23, 2016

タン、タング、tongue、「ロックな舌」ベスト10

「ロックな舌」ベスト10


 

 

――音楽界で愛される❝ロックな舌❞の鑑賞



ロック界に愛されている器官とは?

話し、歌い、味わい、そしてキスをする時に欠かせない、筋肉でできた口の中の器官、つまり舌(タン/タング/tongue)。




ロック界の人気者たちは長い間、舌の素晴らしさを称えてきた。
例えばトーキング・ヘッズは『スピーキング・イン・タンズ(意味不明なことを口走る)』、ヤー・ヤー・ヤーズは「Black Tongue(黒い舌)」について歌い、ボブ・ディランは、「スペイン語は愛の言葉(Spanish Is The Loving Tongue)」と宣言した。

ここに、ロックな舌 ベスト10を挙げよう。


 

 

第10位 ジミ・ヘンドリックス


ヘンドリックスはいくつも革新的なエレキギターの弾き方を考案した。その一つに、自分の舌を使う奏法がある。(その後ライター用オイルの新しい使い方も考案)




第9位 R.E.M.の「Tongue タング」
 
「Tongue」(アルバム『Monster 』に収録)
ピアノと裏声に重きを置いたこのバラードは女性の視点で書かれている。自分は醜く❝最後に声がかかる都合のいい女❞と感じている女の子の悲しいつぶやきだ。
英国でヒットしたこの曲を、「女の子みたいに歌おうとした」とマイケル・スタイプは語る。
舌はいつだって性と力の中心にある。R.E.M.のコンサートではこの曲が流れる間、悲しい歌詞とは対照的にミラーボールが回っていた。
余談ではあるが、1995年のコンサートでドラマーのビル・ベリーはこの曲の演奏中にくも膜下出血で倒れ、スイスの病院に運ばれた。



第8位 デニス・ロッドマン 

1996年、最もロックなバスケットボール選手がローリングストーンズ誌の表紙を初めて飾った。フォトグラファーのアルバート・ワトソンが写真に収めた ロッドマンは、髪を赤く染め、悪魔の角をつけ、実際より2倍の長さはありそうな舌を突き出していた。北朝鮮を訪問した時、ワーム(ロッドマンのニックネーム)と金正恩との会話の中心がこの舌だったという可能性はゼロではないだろう。




第7位 「Open Up and Say... Ahh!(初めての***AHH!)」by poison ポイズン

この世で最も長い舌はロッドマンの舌?
500万枚のセールスを記録したポイズンのセカンドアルバムのカバーを飾ったのは、モデルのバンビ。ネイサンズのホットドッグのような舌は30センチもある。彼女の写真には大量の髪の毛と虎の縞模様、爪と鼻ピアスが描き加えられた。







第6位 スティーヴン・タイラー

エアロスミスのヴォーカリストの舌が有名になったのは、彼が自分の舌を世界中に見せびらかしていただけではなく、舌に関するポルノ的な表現の歌詞による。例えば「F.I.N.E.」では、”君の両頬の間に俺の舌を突っ込む、「バック・イン・ザ・サドル」の女たちはびしょ濡れだ/俺の舌はカラッカラ、「テイスト・オブ・インディア」ではインディアの甘さが俺の舌先にいつまでも残る(ご存じない方にはインディアが女の子の名前だということを申し添えよう) 


 


第5位 デビー・ハリー

 

ビニール盤レコードは皆に愛されているが、この写真を見ればデビー・ハリー以上のレコード愛好家などいないことが分かるだろう。





第4位 ダニー・ブラウン

 

天才的カルト・ラッパーのダニー・ブラウン(『XXX』や『Old』をリリース)は酸素を吸うために舌を出しているわけではない。「Molly on My Tongue(MDMAを舌の上に)」(ドラッグ摂取の装置として)、あるいはアダルトな歌詞(女性器へのオーラル・セックスについての)の主役として舌をラップに登場させている――あい つのクリトリスに顔をうずめる間は無我夢中/一心不乱にケツを舐める/マジ真剣なベロ試合。





第3位 ザ・ローリング・ストーンズのロゴ



「舌のデザインのコンセプトにはバンドの反権威主義的姿勢やミック・ジャガーの口、それから性的な意味合いも明らかに投影されている」こう語るのはデザイナーのジョン・パッシュだ。彼はストーンズと仕事を始めた頃、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートの学生だった。(このロゴは『スティッキー・フィンガーズ』で初めて使われたため、アルバムのジャケットデザインを手がけたアンディ・ウォーホルがロゴ制作者だと勘違いしている人が多い)パッシュ曰く、ロゴは1週間で完成した。ストーンズはその報酬として彼に250ポンド支払った。





第2位 マイリー・サイラス

 

マイリ―・サイラスの舌は、「レッキング・ボール」のミュージックビデオで巨大ハンマーを舐めている時も、人前でイチャついている時も、とにかく口の中に収まっていることより外に出ていることの方が多いようだ。
いたずら好きな子供とセクシーな大人の間に割って入るように、マイリ―はひっきりなしに舌を出している。
マイリー曰く、舌を出すのは写真撮影の時に歯を見せて笑うのが嫌だからのようだ。
「写真撮影で笑顔を作るのって大嫌い。だから舌を出すの。笑顔なんてぎこちないしすごくウソくさい。でも今ではみんな私の舌を見たがる。『舌を出して』って言われるわ」(ローリングストーン誌)





第1位 ジーン・シモンズ

 

キッスの「雷神」は口周りにはかなり恵まれていた。1970年代には、シモンズは牛の舌を移植して舌を伸ばしたという噂があった(残念ながら事実ではない)。彼は自分の舌が特別に長いことを13歳の時に初めて知り、それが女の子にモテる資源だということを知った。ローリングストーン誌がシモンズにマイリ―・サイラスの舌の腕前をたずねたところ、しぶしぶこう答えてくれた。「まあまあだけど、そうは言っても女の子だからね。つまりバスケの女子リーグみたいなもの。女子には通用しても男子にはかなわない」







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