あなたが知らないオレンジレンジ。
2000年代に青春時代を過ごした人にとって、ORANGE RANGEというバンドは決して避けては通れない存在であった。TV、CM、映画はもちろん、学校、コンビニ、カラオケなど、ありとあらゆるシーンで日常的に耳にした彼らのサウンドは、否が応にも自らの身体に刻み込まれている。
だけど、僕らは意外とORANGE RANGEのことを知らない。結成から15年もの間、継続的に作品のリリースを続け、毎年ライブハウスからホール、大型フェスに至るまで、様々な規模でのライブ活動をストイックに行い、真摯に音楽と向き合ってきた彼らのことを思いのほか、知らない。
2016年、バンドは15周年を迎え、青年はいつしか大人になった。あなたが知らないオレンジレンジ。
今も昔もORANGE RANGEって”みんなの遊び場”みたいなバンドなんです。(HIROKI)
— うちのサイトでORANGE RANGEの皆さんにインタビューさせてもらうのは初めてなので、まずは昔の話から。そもそも皆さんは、どういったキッカケでバンド活動をスタートしたのでしょうか?
YAMATO: 僕たちは全員が幼馴染で、同じ保育園、小学校、中学校に通っていました。バンドを組むことになったのは、中学校の卒業パーティーがキッカケで、NAOTOと元メンバーのKATCHANがバンドを組んだんです。そのバンド自体は卒業と共に解散したんですが、高校になってから、そこにベースのYOHが加わって遊ぶようになって。その内にHIROKI、RYO、そして僕が加わる形で、ORANGE RANGEが出来上がりました。
— インディーズデビューは2002年となっていますが、その当時からバンドとして「プロになろう」というような将来的な目標はあったのでしょうか?
YAMATO: 僕個人で言えば、そんなに無かったかもしれないですね。
HIROKI: たしかに。個々人で差はあれど、全体としてそういう思考は無かったように思います。「あそこでライブをやろう」とか、そういう具体的な目標さえ無かったかと……(笑)。ライブやイベントは、誘われたら出るって感じで。もちろん、そうやって僕らに声をかけてくれることは、素直にすごく嬉しかったんですけどね。その延長線上で、今までバンドが続いてきたようなものかもしれません(笑)。
— メジャーデビューからブレイクまでのスピードは当時の時代感を考慮しても、かなり早かったように思うのですが。
YAMATO: 本当にその通りですね。僕ら自身、全く予想していなかったし、気付いたら名前も顔も覚えてもらっている感じで。驚きというか、当時は「どうしてこんなことになっているんだろう」って疑問に思う気持ちがありましたね。毎日、すごいスピードで時間が過ぎていって、メンバー同士で会話することも少なかった。色々な事に追われ過ぎていたのかもしれません。今の方がメンバー同士の会話はずっと多いような気がします。
HIROKI: RYOはどう思う?
RYO: うーん。多分……。同じ……かな(笑)
HIROKI: ダメだ、こりゃ(笑)
YAMATO: 取材だからちゃんと答えてね(笑)?
HIROKI: 「同じ……」じゃないよ! 何が同じか、全然分からないからね!
一同笑
RYO: 高校の時から、ずっと同じメンバーでバンドをやっていて、何か他の仕事をすることも無いまま、気付いたら大人になっていたって感じですかね。年々会話が増えてきたっていうのは、みんなそれだけ歳をとったってことでもあるのかなと(笑)。でも、もしも何か他の仕事をしていたとしても、このメンバーの関係性は変わらなかったと思います。NAOTOはどう?
NAOTO: ……同じ……。
一同笑
NAOTO: まぁまぁ、一応お約束かなと思って(笑)。YAMATOがさっき話していたように、本当に目まぐるしい毎日でしたね。けど振り返ると、僕自身はその状況を楽しんでいたようにも思います。当時は若かったし、好奇心も旺盛だったから。もちろん、今も毎日楽しいですけどね。
YOH: あの頃、色々な人達と知り合えたのはすごく良い経験だったかもね。ずっと沖縄で暮らしてきた自分たちには知らないことって、すごくたくさんあって。例えば、こういう取材1つにしてもライターさんがいて、カメラマンがいて、テレビだったら、もっとたくさんのスタッフがいて。CDでも何でも同じですけど、そうして、多くの人達が関わって創り上げているモノだってことさえ、知らなかったから。今振り返ると、良い機会になっていたんだなと思います。
HIROKI: 当時は、自分たちが「今、何をやっているのか」さえ把握しないまま物事が進んで行ってしまうくらい、時間に追われていたけど、とにかく色々吸収してやろうっていう気持ちはあったのかもね。結局、その時の結果が成功なのか、失敗なのかって後にならないと分からないじゃないですか。それでも恐れず、僕らが前に進めていたことは良かったのかなと。
ORANGE RANGEのアルバム『1st CONTACT』 |
— とはいえ、多分今の時代にあれだけのフィジカルセールスを記録しようと思っても、そんなことが出来るバンドは現存しない訳で。皆さん自身は、当時、世の中にあそこまでORANGE RANGEというバンドの音楽が浸透した理由をどのように考えていますか?
YAMATO: それも今考えると結局は縁とタイミングだったんじゃないかなと、個人的には思います。自分たちがバンドを始めた当時流行っていたのは、いわゆるメロコアで、ミクスチャーという言葉がまだ日本に入ってくる前だったってこともありますし、メジャーデビュー出来たのも色々な巡り合わせがあってのことなので。
— 2000年代初頭は、CCCDの問題があったり、音楽業界としても大きな転換期でしたよね。
YAMATO: そうですね、音楽がデータの世界に入って行くギリギリの年代。そういったことも含めて、やっぱり縁とタイミングが全てだったように思いますね。当時はセールスに関しては全然意識していなくて、ライブのことばかり考えてたんですけど(笑)。
HIROKI: 同じく、根底には絶対的に人との出会いって要素があるかなと思います。でも、その中でも”面白い大人”にたくさん出会えたことが良かったですね。先ほどもお話ししたように、僕たちのバンドにはあまり自我がなくて、絶対的な何かを持っている訳でも無かった。だからこそ、”面白い大人”の意見を取り入れて、自由に遊べたのかもしれません。僕が思うに、今も昔もORANGE RANGEって”みんなの遊び場”みたいなバンドなんです。なので、結局セールスは、ORANGE RANGEというチーム全体が楽しく自由に遊んだ結果を上手くファンの方々に伝えられたってことなんじゃないですかね。
— 逆にあれだけ”売れた”からこそ、見えた景色、学んだことは何かありますか?
YAMATO: 2010年に自主レーベルを立ち上げてから、今年で6年目になるんですが、それまで、僕らは大きなレコード会社に所属していて、担当者もたくさんいて、自分たちは音楽とライブだけに集中すれば良いっていう環境にいたんです。贅沢だし、ありがたい話ですよね。それ以外の事は、全て周りの大人たちがやってくれるんですから。
けど、自分たちの会社を立ち上げてからは、それこそ自分たちのバンドの方向性や、「ORANGE RANGEはこうあるべき」という話から始めて、皆が同じ方向を見ながら進んでいける体制を作り上げました。もちろん大変でしたし、時間も掛かりましたけど、昔よりも今の方が充実しているようにも思います。細かいことを気にするようになって、責任感も生まれたと思うし、当時は気付けなかったことにも気付けるようになった。そういう意味では、以前とは全く違う環境でやることにして正解だったのかもしれません。
ORANGE RANGEのアルバム『TEN』 |
— 音楽的にも自主レーベルを立ち上げた辺りが、大きなターニングポイントになっているように思います。
— バンドとしての歴史を振り返ってみると、非常に多作なバンドだなという印象を受けるのですが、アルバムや楽曲の制作方法に何か変化はありましたか?
YAMATO: 具体的にはNAOTOとYOHがベースとなる部分を作ってきて、それにみんなでデモを入れていく感じです。
— 年間で考えるとライブもかなりの本数やっていると思いますが、ライブに関してはいかがでしょう?
NAOTO: 僕はメンバーの中で一番ライブに対する意識が低いかも(笑)。お客さんの感覚に一番近いと思っているんですけど。結構立ち位置も端の方ですし……。
YAMATO: 立ち位置、変えても良いんだよ(笑)
NAOTO: え、本当に? 全然分からなかった……
YAMATO: 何年やってるの……(笑)
NAOTO: と、まぁ普通にいつも端っこにいるんですよ(笑)。だから、ボーカルの3人の動きも良く見えるし、MCを見ても普通に笑っちゃうし。そういう意味ではメンバーの中で一番楽しめてるのかも。
ORANGE RANGEのDVD『ORANGE RANGE LIVE TOUR 008~PANIC FANCY~at 武道館』 |
— 自分のバンドのライブを俯瞰で見られるというのは、ある意味、すごく贅沢な気はしますけどね。
HIROKI: NAOTOはライブを目がけて曲を作ってこないので、それをどうアレンジして、ライブで見せるのかっていうのは自分の楽しみでもあります。ORANGE RANGEってライブはライブだし、音源は音源というか、それぞれが別個に存在しているんですよ。だから、それらを上手く組み合わせられた時が一番楽しいかもしれないですね。
RYO: 自分にとってはライブが一番真ん中にあるというか、ライブがあったからこそ、今までやってこれたような部分はあるのかもしれません。自分にとってライブはそういう存在。
—
皆さん、それぞれソロでも色々な活動をされていますけど、メンバー個々にソロをやり始めるとバンド本体の動きが鈍くなるってケースも多いじゃないですか?
でも、このバンドの場合は常にバンドとしても動き続けているというのが面白いなと。15年バンドをやってきて、この5人でバンドをやる意味について改めて考えることはありますか?
RYO: 僕も同じで、あくまでORANGE RANGEあってのソロ活動というか。ある程度、自分の感覚をずっと研ぎ澄ました状態でいるためのソロって感じですかね。
ORANGE RANGEのアルバム『縁盤』 |
— そうしてソロ活動で得たものをバンドに還元した結果、全体が尖り過ぎたり、急激な変化にファンが付いていけなくなるということも良くあると思うんですが、このバンドはその辺のバランスが絶妙ですよね。少し話は変わりますが、今夏リリースされた15周年記念コラボベストアルバム『縁盤』について、お話を伺えますか。
HIROKI: 今お話しした『縁舞』がスタートしたり、バンド全体としての動き方が変わって来たのがここ3、4年。15周年は結構遠いモノだと思っていたんですけど、気付いたらすぐそこでしたね(笑)。
— 楽曲単位での配信が主流になった今、ベストアルバムというフォーマット自体に価値は無くなりましたもんね。そういう音楽業界の流れを考えても、今回のコラボベストアルバムというのは良い選択だったんじゃないかなと思います。
— 新しいモノを柔軟に取り入れるというのが、ORANGE RANGEの大きな特徴の1つなのかなと個人的には思います。2000年代以降は、ものすごいスピードで技術的な変化があったと思いますが、時代や環境の変化については、それぞれどのように感じていますか?
まぁ、良いタイミングで自主レーベルを始めたし、良いタイミングで15周年だし、偶然もあると思いますけど、振り返ってみると色々と良かったなと思います(笑)。
HIROKI: 音楽業界を背負うような使命感は全く無いんですけど(笑)、新しいことにトライしようという気持ちは今でも強くありますね。いちユーザーとしては全然、技術の進歩に付いていけていませんが……。でも手段が増えることは悪い事では無いし、音楽が無くなる訳でも無いですからね。
NAOTO: 僕も同じで選択肢が増えることはすごく良いことだと思いますよ。その分、個性が出しやすくなりますし。「どういう風に売っていくか」って部分もバンド毎に全然違うじゃないですか。テレビに出ない個性的なアーティストの映像もインターネットのお陰で簡単に見られるようになったし、今の流れには概ね賛成というか、良い刺激を受けてますね。
— 来年の2月25日には久々の日本武道館公演も控えていますよね。
— 15年前と今、個人的にはどちらの方が楽しいですか?
RYO: 楽しかった……
YOH: 楽しかったね……
一同笑
YAMATO: まぁ、楽しいの種類が違うよね。あの頃も楽しかったし、今は今の楽しさがあって。
— アイドルやヒップホップ、ダンスミュージックと比較して、バンドに勢いが無いとも言われる時代ですが、これからバンドをやろうと思っている若者に向けて、最後に何かメッセージをお願いします。
バンドが正義なんて訳はないし、単に自分たちはそこにゾクゾク来たってだけの話なので。
誰にとっても、そういうものがあることは良いことだと思いますよ。実際、今の若いミュージシャンの子たちに「いつも聴いてました!」って言われて、「全然ジャンル違うけど!」って思うことも多いですから(笑)。
好きなモノを見つけて、いかに楽しく遊べるかってところが全てなんじゃないかなと思います。
【ORANGE RANGE 15周年企画コラボベストアルバム『縁盤』】
発売中
完全生産限定盤(CD+DVD+MOOK) VIZL-1013 5,926円 + 税
通常盤(CD) VICL-64609 3,056円 + 税 http://orangerange.com/
【『au presents ORANGE RANGE LIVE TOUR 016-017 〜おかげさまで15周年! 47都道府県 DE カーニバル〜』開催中!!】
セミファイナルは約8年2ヶ月ぶりの日本武道館、そしてツアーファイナルは地元・沖縄市民会館 大ホールにて大団円を迎える。 http://orangerange.com/tour016_017/
ORANGE RANGE
メンバー
YAMATO 1984年1月14日生まれの32歳。高音域ボーカルとMC担当。 |
HIROKI 1983年6月29日生まれの33歳。中音域ボーカル、MC担当。 |
RYO 1985年10月1日生まれの30歳。低音域ボーカル、MC担当 |