MOVIE|“現代版おとぎ話”の裏側に迫る、珠玉のドキュ メンタリー
『シュガーマン 奇跡に愛された男』マリク・ベンジェルール監督インタビュー
母国アメリカでは無名のミュージシャンが、南アフリカではビートルズやローリング・ストーンズらと肩を並べるほどのビッグ・スターだった──。にわかには信じがたいこの“現代版おとぎ話”の裏側が、もうすぐ スクリーン上で明らかになる。メガホンを取ったのは、クラフトワークやビョークなどの音楽ドキュメンタリーを手がけてきたマリク・ベンジェルール。3月 16日(土)から公開となる『シュガーマン 奇跡に愛された男』の魅力を、ベンジェルール監督自ら語る。
世にも不思議なロドリゲスの物語
2012年7月に3館で封切られた本作は、最終的に全米150館で上映され、ドキュメンタリーとしては異例の大ヒットを記録。さらに、サンダンス映画祭や トライベッカ映画祭の観客賞、アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞など、数々の賞を総なめにしたことでも話題となった。ベンジェルールはいったいどこで このおとぎ話を耳にしたのだろう。
「6年前のことでした。ぼくはビデオカメラを持って世界中を旅していたんです。半年間、次の映画を作るためのテーマを探してね。そんなある日、南アフリカ で出会ったレコードショップのオーナーが、ひとりのミュージシャンにまつわる世にも不思議な話を聞かせてくれたんです。全身に衝撃が走りましたよ。『これ こそ探し求めていたものだ!』って。それからの約4年間は、ほぼ毎日と言っていいほどこの映画にかかりきりの日々を過ごしました」
「6年前のことでした。ぼくはビデオカメラを持って世界中を旅していたんです。半年間、次の映画を作るためのテーマを探してね。そんなある日、南アフリカ で出会ったレコードショップのオーナーが、ひとりのミュージシャンにまつわる世にも不思議な話を聞かせてくれたんです。全身に衝撃が走りましたよ。『これ こそ探し求めていたものだ!』って。それからの約4年間は、ほぼ毎日と言っていいほどこの映画にかかりきりの日々を過ごしました」
ベンジェルールを夢中にしたこの話の主人公こそ、デトロイト出身のミュージシャン、ロドリゲスである。彼は1960年代に音楽活動をスタート。地元のバー やクラブで演奏しているうちにプロデューサーの目に留まり、70年にアルバム『Cold Fact』でデビュー。翌年にはセカンド・アルバム『Coming from Reality』をリリースする。
麻薬の売人について歌った「シュガーマン」(『Cold Fact』の1曲目に収録)をはじめ、街で見たものをそのまま歌に綴った彼。その音楽性からボブ・ディランと比較されるなど、将来を有望視されていたが、 周囲の期待とは裏腹に、2枚のアルバムはまったく売れず、廃業を余儀なくされてしまう。
「ところが、本人の知らないところで、ロドリゲスの音楽は生きつづけていたんです。70年代なかば、『Cold Fact』は南アフリカで一大ムーブメントを巻き起こし、セールス50万枚以上という驚異的なヒットを記録しました。同国ではエルビス・プレスリーやローリング・ストーンズ、あるいはビートルズ以上の大物ミュージシャンとして認知され、フックのある美しいメロディーに乗った反体制的でリアルな歌詞が、アパルトヘイト(人種隔離政策)に反発する若者たちの心をつかんだのです」
麻薬の売人について歌った「シュガーマン」(『Cold Fact』の1曲目に収録)をはじめ、街で見たものをそのまま歌に綴った彼。その音楽性からボブ・ディランと比較されるなど、将来を有望視されていたが、 周囲の期待とは裏腹に、2枚のアルバムはまったく売れず、廃業を余儀なくされてしまう。
「ところが、本人の知らないところで、ロドリゲスの音楽は生きつづけていたんです。70年代なかば、『Cold Fact』は南アフリカで一大ムーブメントを巻き起こし、セールス50万枚以上という驚異的なヒットを記録しました。同国ではエルビス・プレスリーやローリング・ストーンズ、あるいはビートルズ以上の大物ミュージシャンとして認知され、フックのある美しいメロディーに乗った反体制的でリアルな歌詞が、アパルトヘイト(人種隔離政策)に反発する若者たちの心をつかんだのです」
ロドリゲス |
「彼の曲に触発されて運動が起きた」。劇中で語られるこの言葉は、ロドリゲスが南アフリカに与えた影響の大きさを示している。反権力を象徴するアイコンと して、若者たちにインスピレーションを与えつづけていたのだ。
「小さいころ、ニュースではつねにアパルトヘイトの話題が報じられていましたが、マンデラ政権になってからは、ほとんど耳にすることがなくなりました。約 50年間にもわたって、しかも90年代のなかごろまで、ヒトラーの第三帝国とイデオロギー的に近い国があったなんて、考えてみると奇妙なことですよね。私 たちはもっとこの時代のことを知り、学ぶ必要があるとおもいます。ぼくもこの映画にかかわるまで、白人リベラル派の抵抗運動があったなんて、まったく知らなかったですから」
かくして、彼の地でビッグ・スターの仲間入りを果たしたロドリゲス。だが魅了されたのは、南アフリカの若者だけではない。彼のアルバムを手がけたプロデューサーは、劇中で次々に彼への賞賛を口にした。マーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダー、ザ・スプリームスを手がけてきた大物プロデューサーたちが、である。
「彼らにとってロドリゲスは、そうしたビッグ・スターをも上回る存在だったんです。それなのにまったく売れなかったなんてね……。なぜアメリカでは受け入れられなかったのか。いろんな理由があるとおもいますが、そのひとつにロドリゲスという名前が挙げられるとおもいます。その当時のアメリカでは、ヒスパニック系の名前はマリアッチ(※)を連想させ、白人が中心のとても限られた世界だったロック・シーン、つまりルー・リードやボブ・ディランとおなじ土俵で勝負することは、とてつもなく難しいチャレンジだったんです」
※マリアッチ=メキシコで生まれた独得の編成の楽団、およびその音楽。(出典:デジタル大辞泉)
都市伝説と化したロドリゲスの消息を追って
商業的に大惨敗したアメリカ、一方ビートルズをしのぐほどの人気を獲得した南アフリカ。90年代なかば、20年近く埋まることのなかった両国間のギャップ が、ふたりの熱狂的なファンによって埋められようとしていた。「驚くべきことに、南アフリカで知られていたのはロドリゲスの音楽だけ。彼の見た目はおろか、人物像や消息を知る人は、だれひとりとしていなかったといい ます。代わりに『ステージ上で焼身自殺した』『頭を銃で撃って自殺した』とか、さまざまな死亡説が都市伝説のように語り継がれていました。そこで立ち上 がったのが、南アフリカ在住の音楽ジャーナリストとレコードショップのオーナーのふたり。噂の真相を突き止めることにしたんです」
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限られたヒントを手がかりに調査を進めていた彼ら。だが調査に行き詰まり、情報提供を求めるサイトを作ったところ、驚くべき事実に直面することになる──。ストーリーはふたりの足取りに沿って展開され、私たち自身が宝探しの一員になったような気分になる。
「ぼくはふたりから、自分の信じた道を突き進むことの大切さを改めて学びました。『ロドリゲスのことをもっと知りたい』という彼らの想いがなければ、そして行動に移していなければ、ロドリゲスをめぐる奇跡のような物語が日の目を見ることもなかったのです」
そしてロドリゲス自身もまた、周囲の声にまどわされることなく、自分の信じた道を突き進んだひとりであった。
「ロドリゲスは当時、ヒスパニック系の名前を変えるように言われたそうです。『いや、変えないよ』という彼に、『じゃあ、ロバート・ロドリゲスにして、ロブってあだ名でいけばいいじゃないか』と言っても、決して名前を変えることはしなかったそう。頑なにおもえるかもしれませんが、彼はいつも自分に正直だった。そのひと言に尽きるとおもいます。夢を妥協した方が成功やお金は手に入るのかもしれない。でも、彼はそうじゃない道もあるんだということを身をもって示してくれました。言いたいことを言い、周りが自分の音楽を受け入れてくれる日を待った。そして、最終的に自分なりの方法でファンを見つけたんです」
Malik Bendjelloul|マリク・ベンジェルール
1977年9月14日生まれ。ミュージシャンとして活動した後、スウェーデン・ストックホルムを拠点にドキュメンタリーを製作している若手実力派。 2001年、エレクトロ・ミュージックのパイオニア、クラフトワークのはじめてのドキュメンタリーを手がけたほか、ヘビーメタルの歴史にかんするドキュメ ンタリー・シリーズや、ビョーク、スティング、マドンナ、U2、カイリー・ミノーグ、プリンスなど、有名アーティストのドキュメンタリーも製作。また、ス ウェーデンの「Kobra」というカルチャー番組の監督とクリエイティブ・プロデューサーを務めているほか、幅広い分野で短編ドキュメンタリーを製作している。
『シュガーマン 奇跡に愛された男』
3月16日(土)より、角川シネマ有楽町ほかで全国順次ロードショー監督・製作・撮影・編集|マリク・ベンジェルール
出演|ロドリゲス
配給|角川映画
2012年/スウェーデン、イギリス/85分
http://www.sugarman.jp/
© Canfield Pictures / The Documentary Company 2012