金曜日, 2月 10, 2017

「辞世」の句、最期の一言

 

 

 

「あふときは 語りつくすと思へども 別れとなれば残る言の葉」



赤穂四十七士の一人、大石内蔵助の息子、大石主税(おおいし ちから)の辞世の句。

まだ世の中のことも、ほとんど知らない無垢な若者が、義のためにがむしゃらに突き進み、本懐をなしとげました。

句の意味としては、

当たり前のように毎日顔を合わせていた時には、もう十分に語り尽くしたと思っていたけれど、いざ別れとなり、これを最後にもう二度と会うことがないと思うと、胸がいっぱいとなり、まだまだ話したいことがたくさんあったのにと、とても心残りな気持ちとなるものである。

という感じでしょうか

義に生き、本懐を遂げ、義に死んでいく自分には、この世には何も思い残すことはないと
思っていたけれど、いざ最後となると、この世の中には、まだまだ自分が経験していないこと、知らなかったことなど、いっぱいあって、そういったことも経験してみたかったなという、若者の現世への思い残しが込められている気がします。
「未練」という言葉を当てはめると武人である彼には少し気の毒ですが。





辞世の句 (本当に言ったのかは不明なものも含む)



「行列の 行きつくはては 餓鬼地獄」

萩原朔太郎 (日本の詩人
【1886-1942 享年56歳】


「腹いたや苦しき中に明けがらす」

山岡鉄舟 (幕末から明治時代の幕臣、政治家、思想家
1838-1888


「おもしろき こともなき世を おもしろく」

高杉晋作 (江戸時代後期の長州藩士
1839-1867 高杉のこの上の句に、傍にいた野村望東尼が「住みなすものは 心なりけり」と続けた 
自分の人生を後世の人がどう語ろうと、それは私の心の、私だけがわかっている私の人生ではない・・

「かかる時さこそ命の惜しからめかねて無き身と思ひ知らずば」

太田道灌 (室町時代後期の武将。武蔵守護代・扇谷上杉家の家宰
1432-1486


先に行く あとに残るも 同じこと 連れてゆけぬを わかれぞと思う」

「嬉やと 再び醒めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」

徳川 家康 (戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。江戸幕府の初代征夷大将軍  【1543年1月31日-1616年6月1日 享年75歳】

今、死にゆくわしも、今は生き残るそなた達も、諸行無常の同じ世界にいる。いずれも死ぬ事には変わりない。だからといって、わしはそなた達家臣をを死出の道連れとはしない。お別れだ。



「露とをち露と消へにしわが身かな浪速のことは夢のまた夢」

豊臣秀吉
1538-1598

露のようにこの世に生まれ落ち、そして露のようにはかなく消えていってしまったこの身であることよ。大阪城で過ごした栄華の日々は、夢の中の夢のようにはかないものだった。


「つひにゆく道とはかねて聞きしかど きのふけふとは思はざりしを」

在原業平 (歌人)
『古今和歌集』【825-880】

誰しもが最後に通る道とは聞いていたが、まさかそれが自分の身に、間近に差し迫ったものだとは思いもしなかった。



「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一杯の酒」

「極楽も 地獄も先は有明の 月の心に懸かる雲なし」

上杉謙信 (戦国時代の越後国(現在の新潟県上越市)の武将・戦国大名
1530-1578

私の死後、私は極楽、地獄に行くのかはわからないが、どちらに行くことになっても今の私の心境は、   雲のかかっていない明月のように一片の曇りもなく、晴れやかである。



「逆順無二の門 大道は心源に徹す 五十五年の夢 覚来めて一元に帰す」

明智光秀 (戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名
-1582


「人生五十年 下天のうちに比ぶれば 夢幻のごとくなり 一たび生を得て 滅せぬもののあるべきか」

織田信長 (戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名
-1582
幸若舞の「敦盛」の一節


「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」

吉田松陰 (日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者
1830-1859
老中襲撃計画が失敗し獄内にて斬首



「限りあれば吹かねど花は散るものを心短き春の山風」

蒲生氏郷 (戦国時代から安土桃山時代にかけての武将
1556-1595 
花というものは命に限りがあるので風が吹かなくても散るものなのに心なき春の山風が吹くものだ



「あら楽し思いは晴るる身は捨つる浮世の月にかかる雲なし」

これが辞世の句とされているが上記は主君長矩の墓に対してのもので、実際には次が辞世の句と言われる。

「極楽の 道はひとすぢ 君ともに 阿弥陀をそへて 四十八人」

大石内蔵助良雄 おおいしくらのすけ よしたか 江戸中期の義士、播磨赤穂藩の家老、四十七士の領袖


「風さそふ花よりもなほ我はまた 春の名残をいかにとやせん」

浅野長矩 あさの ながのり (播磨赤穂藩の第3代藩主)
1667-1701
忠臣蔵の浅野内匠頭 松の廊下刃傷事件により切腹


「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」

細川ガラシャ (明智光秀の三女で細川忠興の正室
1563-1600 
花も人も散りどきを心得てこそ美しいのだ

「古来の一句 死も無く生も無し 万里雲尽き 長江水清し」

日野俊基 (鎌倉時代末期の廷臣
-1331


「ももづたう磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」

大津皇子 おおつのみこ (飛鳥時代の皇族。天武天皇の皇子
662-686


「磐代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまた環り見む」

有間皇子 ありまのみこ (飛鳥時代の皇族。孝徳天皇の皇子
640-658


「益荒男が束さん太刀の鞘鳴りに幾歳耐えて今日の初霜」

三島由紀夫 (日本の小説家・劇作家・随筆家・評論家・政治活動家・皇国主義者


「石川や浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ」

石川五右衛門 (安土桃山時代の盗賊の首長)
1594年10月8日


「露の世は露の世ながらさりながら」

小林一茶 (江戸時代を代表する俳諧師の一人


「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」

松尾芭蕉 (江戸時代前期の俳諧師


「曇なき心の月を先だてて 浮世の闇を照らしてぞゆく」

伊達政宗 (出羽国と陸奥国の戦国大名、伊達氏の第17代当主、仙台藩初代藩主
いたずらに月日を送り病におかされ床の上にて死なん命の口惜しや

何も見えない真っ暗闇の中で、月の光を頼りに道を進むように、 戦国の先の見えない時代の趨勢を自分が信じた道を頼りにただひたすら歩いてきた一生であったなあ。


「うらを見せておもてを見せて散るもみじ」

良寛 (江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家



「南溟に たとえこの身が 果つるとも いくとせ後の 春を想へば」

永峰 肇 (海軍曹長)
【1925年4月1日-1944年10月25日 享年19歳】



弟子宛

「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」

家族宛

「親思ふ 心にまさる 親心 けふのおとずれ 何ときくらん」


吉田松陰 (長州藩士、思想家、兵学者)
【1830年9月20日-1859年11月21日 享年30歳】

もし私の命がこの武蔵野のどこかでで終えることになっても、自分の思想は永遠にに留めておきたいものだ。



「君が為 尽くす心は 水の泡 消えにし後ぞ 澄み渡るべき」

岡田以蔵 (土佐藩士 幕末の四大人斬りの一人 「人斬り以蔵」という異名は司馬遼太郎の小説により定着)
【1838年2月14-1865年7月3日 享年28歳】

「ふたゝびと 返らぬ歳を はかなくも 今は惜しまぬ 身となりにけり」

武市半平太 (半平太は通称で本名は小楯(こたて)号は瑞山(ずいざん) 
土佐藩士 土佐勤王党の盟主 坂本龍馬とは遠縁)
【1829年10月24日-1865年7月3日 享年37歳】

ふたたび返ることのない歳月を、はかないと思ったこともあったが(いまから死ぬのだから)もう過去のことなど惜しまない身の上になってしまったよ



「よしや身は蝦夷の島辺に朽ちぬとも魂は東(あずま)の君やまもらむ」

「たとえ身は蝦夷の島辺に朽ちぬとも魂は東(あずま)の君やまもらん」

「鉾(ほこ)とりて月見るごとにおもふ哉(かな)あすはかばねの上に照かと」

土方歳三 (鬼の副長として新撰組をまとめた幕末のイケメン。)享年35
【1835年5月31日-1869年6月20日 享年35歳】
たとえ、私の体はこの蝦夷の地で朽ちてしまっても、魂は恩顧ある徳川家をお守りするでしょう。 

 

「おもひおく 言の葉なくて つひにゆく みちはまよわじ なるにまかせて」

黒田官兵衛 (黒田官兵衛とは通称であり、本名は孝高(よしたか)という。また出家後の如水(じょすい)という名も有名。豊臣秀吉の側近として使え活躍した人物で、同じく秀吉に使えていた竹中半兵衛と「両兵衛」として並び称される。キリシタン大名。)
【1546年12月22日-1604年4月19日 享年59歳】



 「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 別れを誘ふ ほととぎすかな」

お市 (茶々(豊臣秀吉側室)、初(京極高次正室)、江(徳川秀忠継室)のお母さん。織田信長の妹であり、浅井長政の妻。その後、柴田勝家の妻となり共に自害した『戦国一の美女』今上天皇のご先祖にあたる人物。
【1547年-1583年6月14日 享年37歳】

ただでさえ寝る頃合いなのに、これはまるで夏の夜に別れを誘い鳴くホトトギスみたいですね。




「吹きと吹く 風な恨みそ 花の春 紅葉の残る 秋あらばこそ」

北条 氏政 (戦国時代の関東の大名・武将。後北条氏の第4代当主)

1538年- 1590年8月10日 享年53歳】

吹く風を恨むな。花が残る春や、紅葉が残る秋がある訳がないのだから

 

 

「手にむすぶ 水に宿れる月影の あるかなきかの世にこそありけれ」

紀貫之 (平安時代前期の歌人・貴族)
872年-945年 享年73歳】

手にすくった水に映った月のような あるかないか分からないようなはかない世に生きていたんだな 

 

 

さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも

弟橘比売(オトタチバナヒメ)日本武尊の妃。尊の東征に従い、相模から上総に渡るとき、海が荒れたので、海神の怒りを鎮めるために尊の身代わりに海に身を投じたと伝わる。橘媛)

炎の中にあっても、私のことを心配してくださった貴男...






最期の一言

「我は程なく浄土に帰るなり。この世にいいおくことは一言もなし」

親鸞 (浄土真宗の宗祖)
【享年歳】


「どうも私にはわからない」

野口英世 (医学者、細菌学者
【1876-1928 享年53歳】


「しまった。負けた」

徳富蘆花 (日本の小説家
【1868-1927 享年60歳】


「死にとうない。ほんまに、ほんまに・・・ 」

仙厓 (臨済宗の禅僧)
【1750-1837 享年歳】


「ああ、いい気持ちだ」

宮沢賢治 (日本の詩人、童話作家
【1896-1933 享年37歳】


「頑張ります」

司馬遼太郎 (日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家
【1923-1996 享年72歳】
十二指腸潰瘍が悪化し、緊急手術する前に


「オレ、このまま死ぬのかな・・・」

蔵間龍也 (大相撲力士、タレント
【1952-1995 享年42歳】
白血病による多臓器不全により死去


「死んだらええのやろ、ワシをひいてくれ」

林屋小染 (上方噺家
【1947-1984 享年36歳】
タクシーがつかまらないので強引なヒッチハイクをしたために乗用車が追突事故。泥酔していた小染は、責任を感じてトラックの前に飛び出した


「頑張ります」

美空ひばり (歌手
【1937-1989 享年52歳】
治療の方法を医師が説明したのにこたえて


「余は石見人、森林太郎として死せんと欲す。墓は森林太郎のほか一字も彫るべからず」

森鴎外 (小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医、官僚



「棺の前にて通夜すること無用に候。棺の前にて空涙は無用に候。談笑平生のごとくうるべく候」

正岡子規 (日本の俳人、歌人、国語学研究家



「舌がもつれる」

坂口安吾 (日本の小説家、評論家、随筆家
1906-1955 享年48歳


「一生を棒にふりし男ここに眠る。彼は無価値に生きたり」

高村光太郎 (日本の詩人・彫刻家
墓碑のことば


「父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました。干し柿、もちも美味しゅうございました」

円谷幸吉
1940-1968 東京五輪でマラソン銅メダル 故障を苦に自殺


「私にお酒を一杯くれない。ついでにタバコも一本くれない。満足、これでゆっくり永眠できるわ」

遠藤周作 (日本の小説家随筆や文芸評論や戯曲も手がけた



「これから小説を書かなければならない。小説を」

谷崎潤一郎 (日本の小説家



「あぁ、苦しい、今、死にたくない」

夏目漱石 (日本の小説家、評論家、英文学者



「おれもそろそろ死にたくなった。にいやんのところへ行きたくなった・・・」

中上健次 (日本の小説家
1992年8月12日 腎臓がん 享年46歳


「大日本帝国万歳!」

東条英機 (日本の陸軍軍人、政治家
【1884-1948享年64歳】


「はやく、沼田に帰りたい・・・」

夏目雅子 (女優
1985年9月11日 急性骨髄性白血病 享年27歳 沼田とは幼少時代に遊んだ地


「仕事をする。仕事をさせてくれ。」

手塚治虫 (日本の漫画家、アニメーター、アニメーション監督
1989年2月9日 胃がん 享年60歳


「死をもって潔白を証明します。何もなかったというのは、これ以外の方法では立証できないのです」

伊丹十三 (日本の映画監督、俳優、エッセイスト、商業デザイナー、イラストレーター、CMクリエイター、ドキュメンタリー映像作家
1997年12月20日 潔白の証明とは写真週刊誌FLASHで報じられた女性スキャンダルに対するもの。麻布台にある事務所ビルの屋上より身を投じた。


「涼しい風だね」

島崎藤村 (日本の詩人、小説家
【1872-1943 享年71歳】


「一死を以って世に告発し死を以って断罪する」

廣川昌 (ハックス工業社長)
国税局より脱税告発され銀行融資が停止し預金封鎖されて倒産してしまう。1993年12月24日東京国税局のロビーにて怨念の割腹自殺


「わたしの闘いの人生もこの辺が潮時だろう さらばです」

野村秋介 (右翼活動家)
1993年10月20日 朝日新聞東京本社役員応接室でピストル自殺


「かってなことしてゴメンナサイ」

岡田有希子 (日本のアイドル歌手、女優
【1967-1968 享年18歳】
遺書に


「三番が正解です」

逸見政孝 (日本のフリーアナウンサー、タレント、俳優、司会者、ニュースキャスター)
1993年12月25日 がん性悪液質で死去 享年48歳


「やっと終わりましたな、ご苦労様でした。いやぁ、これで・・・。今日は良い日で、あっ、は、は、・・・」

夢野久作 (日本の禅僧、陸軍少尉、郵便局長、小説家、詩人、SF作家、探偵小説家、幻想文学作家
【1889-1936 享年48歳】
父の借金の完済を告げに来た人に挨拶しながら仰向けに倒れた。父と同じ脳溢血で死去。


「大丈夫だから」

石ノ森章太郎 (日本の漫画家、特撮作品原作者
1997年1月25日 リンパ腫による心不全により死去 享年60歳


「旅に行って、おいしいものを食べてる夢を見たの」

大泉滉 (日本の俳優・声優
1998年4月23日 肺がんのため死去 享年73歳 死の三日前、妻に「ありがとう。迷惑かけたね」と言った。


「桜が見たい」

兵藤秀子
「前畑がんばれ」で活躍した東京五輪女子200m平泳ぎ金メダリスト。「三途の川は平泳ぎで渡る」という言葉も残している。1995年2月24日 急性腎不全のため死去。享年80歳


「今年の花火見物はどこへ行こうかな」

山下清 (日本の画家
1971 7月12日 脳出血 享年49歳


「慎ノ字、おれは脳をやられている。もう、いかぬ」

坂本龍馬 (江戸時代末期の志士、土佐藩郷士
中岡慎太郎


「何かせにゃいかん。それで英語の勉強をしてるんや」

御木本幸吉 (ミキモトパール創業者)
【1858-1954】
死の床の幸吉に孫が英語の勉強をする理由を聞いたときに


「じゃ、おれはもう死んじゃうよ」

幸田露伴 (日本の小説家
【1867-1947 享年80歳】