水曜日, 9月 26, 2012

小林 和人さん 『「収集と陳列」男の数奇者ライフ』1

File No.009
-
Interview:
Tadatomo Oshima
-
Photo:
Masahiro Sanbe


小林 和人さん 『「収集と陳列」男の数奇者ライフ』
Kazuto Kobayashi
Roundabout / OUTBOUND Owner, Suginami-ku, Tokyo
2012.9.19 New
吉祥寺から少し離れた閑静な住宅街にある小林和人さんのお宅に伺った。玄関先に 生い茂った木々の隙間から見えるそのお宅は、外装材に木材を多用した一軒家でまるで山小屋のような佇まいだ。しかし、モルタルの壁が一部存在していること で、ほど良くモダンな印象も感じる。庭先には、使い古された椅子や木のボックス、道具などが無造作に置かれ、家の雰囲気に見事に調和している。

小林さんは『Roundabout(ラウンダバウト)』、『OUTBOUND(アウト バウンド)』という温度の異なる2つのお店のオーナー。生活に纏わる様々なアイテムを独自の審美眼で取り揃えた素晴らしいショップ。また最近、自ら執筆・ スタイリングまで手掛けた本を出版したり、ライターとして連載も活躍している。イデーでは、3月に発刊した最新カタログでスタイリングを担当してもらい、 イデーの新しい世界観を表現してくれた。そんな多忙な中、小林さんはいつもの笑顔で迎えてくれた。奥さまの紀子さんとお子さんの琴子ちゃん、櫂くんの微笑 ましい会話を聞きながら、小林さんに仕事の話からお宅のことまで幅広くインタビューした。


  
  
  


―友人として昔からお付き合いさせてもらっていますが、今まできちんと仕事の事について聞いたことが無かったので(笑)、改めて現在の仕事を始めたきっかけを教えてください。
小林さん)『Roundabout』がある物件との出会いが全てのはじまりです。大学を卒業したのが1999年の春だったのですが、その時は就職先が一つも決まっていない状況でした。

―大学では何を専攻していたのですか?

小林さん)インテリアデザインです。

―大学に入る頃からインテリアデザインに興味があったのですか?

小林さん)空間というよりは、家具のデザ インに興味がありました。更に遡ると、中学生の時に図書館でルイジ・コラーニの作品集をたまたま知らずに借りて。「何だ、これは。家にあるものと全然違 う。」と、あの世界観に衝撃を受けて。デザインというものに興味を抱き始めました。
その当時はまだ最終的な進路を決めきれていなかったので、なんとなく多摩美のインテリアを選んだという感じですね。ただ、大学に入って家具のデザインに集 中できると思っていたら実際は建築模型を作ったり、空間を設計する課題ばかりで、すごく嫌だったんです。理由としては、当時まだあったバブルの残り香に必 要以上に反応してしまい(笑)。商業空間に対して勝手に距離を感じてしまっていたところが何となくあったからかも知れません。

―そうだったんですね。その後、就職活動はしなかったのですか?

小林さん)当時、目先の就職先と自分のやりたいことが結びつかない部分があったので結局2カ所ぐらいしか受けなかったんです。その1つが、イデーでした。

―一同(笑)。

小林さん)新卒を募集していたので試しに 受けようかと思って臨んだのですが、想いが足りなかったらしく(笑)。印象的だったのが、黒崎さん(イデーの創設者)が試験を受ける皆にメッセージとして 発した「イデーは家具を販売しているけど、編集をしているんだ。」という言葉ですね。編集といったらそれまでは本や映像の分野に限定された考えだという認 識だったのですが、店舗の運営そのものを編集するという考えが自分にはとても新鮮でした。





 


―当時、そういう姿勢でやっているインテリアショップってあまり無かったですよね。

小林さん)「記念受験」という感覚もなく はなかったのですが、そういう収穫があったのは結構大きかったです。もう一件は惜しかったんですが駄目で。結局決まらないまま卒業して。大学時代の多摩美 や武蔵美の仲間もだいたい皆同じ状況で、ポートフォリオを作って、皆で集まっては若者にありがちな「何かやりたいね。」っていう事を話し合ってました (笑)。
そして卒業してまもなく、吉祥寺に1週間限定で使わせてくれる物件があるという話を仲間の1人が持ってきて。それが今の『Roundabout』なんです。内見をしたらあの抜けた空間が良くて、これは絶対何かやりたい、1週間で何をやるかという話し合いをしました。
グループ展をやろうかという話も出たんですけど、内輪だけで終わるんじゃないか、どうせなら不特定多数の人たちと出会うきっかけが欲しいと思って。もとも と仲間とやりたいことの1つに店を開くというのがあったので、1週間限定の店をやろうということになりました。準備をはじめて、その時 『Roundabout』という名前にしました。

―これもずっと聞こうと思っていたのですが、店名の由来は?

小林さん)「Junction」とか 「Terminal」など、交通の流れを想起させる名前にしたいというイメージがあったのと、簡単な言葉を2つ繋げてあまり聞き慣れない言葉になるのが面 白いなと。ミニー・リパートンが在籍していた「Rotary Connection」が良いなと思ったのもあります。意味としても、いろいろなバックグラ ウンドを持った様々なものや人が交差点みたいに行き交う場所になれば良いなという思いもあり。

―なるほどね。「ロータリー・コネクション」懐かしい(笑)。響きも良いですしね。

小林さん)そう、語感とその言葉が醸し出すイメージ、そして意味がミックスされて『Roundabout』という名前になって。グラフィックをやっていた仲間が店のオープンのチラシなどをデザインしてスタートしました。
その時は1週間限定だったので井の頭公園でチラシをまいたりして(笑)。メーカーや問屋さんとの取引は当然無かったので、シルクスクリーンでTシャツを 刷ったんです。あとは、国内のアメリカンスクールのバザーで海外の中古の生活用品を、救世軍みたいなところでは昔のパタパタ時計なんかを仕入れたり。友達 が作ったポストカードや当時まだ珍しかった不織布のつなぎをホームセンターで買ったりもしました(笑)。今考えるとかなりストレンジですね。


 

 




―そのお店、行きたかった(笑)。商品のセレクトは皆で相談して決めたんですか?

小林さん)そうですね。大枠は決めつつ、 最終的な選定の基準は個人の解釈に委ねられるので、メンバー1人1人の好みが反映されてはいると思うんですけど。具体的に扱っているものは今と違います が、全方向でいろいろあるという。新しいものと古いもの、国産のものと海外のものがミックスされていたりとか、ノンジャンルという部分だけ今と変わってい ない。今後もそこだけは変わっていなければ良いと思っています。

―それで1週間やってみて結果はどうでしたか?

小林さん)意外と手応えを感じました。その時はガレージセールみたいなイメージで、昔のゲームウォッチがあったり。

―『Roundabout』の向かいにある「METEOR(メテオ)」のような(笑)。

小林さん)あそこのオーナーの坂上君は、『Roundabout』のオリジナルメンバーです。メテオはブレないですよ。

―え、そうだったんですね。でも、あのジャンルはなかなかブレようが無いですけど(笑)。ところであの建物は、キャバレーだったと聞いたことがあるのですが、実際のところは?

小林さん)「クラブヨーロー」というキャ バレーでした。本当かな?と思っていましたが市役所でお店近辺の昔の地図を調べていたら本当に書いてありました(笑)。その後もいろいろ変遷があって、学 習塾の時代もあったり。入居した時は石膏ボードで上まで覆われていたんですよね。照明も蛍光灯で。とにかくお金が無かったので、ペンキを塗るかわりに 100円ショップでバケツとスポンジと洗剤を買ってきて薄汚れた壁紙をひたすら磨いて、水洗いして(笑)。工夫と若さゆえの勢いと体力でなんとか乗り切り ました。







―1週間限定でやった後に、お店をすぐスタートしたんですか?

小林さん)本格的にちゃんと借りて、オープンしたのは同じ年の8月ですね。1週間限定の店は5人で始めたんですが、1人は就職、もう1人は留学で一時抜け てしまったので実質的には3人でスタートしました。準備期間中にパサディナのローズボールに中古のポータブルプレイヤーとか買い付けに行って。その時は 1960~70年代テイストが強かったかもしれません。あまり時代性を感じないものもありましたけど。「クラシック」というより「レトロ」なものが多かっ たかもしれないですね。
―今のお店のイメージに無いですね。「レトロ」というと懐古趣味的な。

小林さん)「レトロ」という言葉はあまり 好きじゃなくて。「クラシック」というと新しい解釈ができる余地があると思えるので好きなのですが。ただ最初の買い付けの時は、特定の時代性に振ったよう なアイテムが割合としては多かったです。あとは国内のフリーマーケットや救世軍とか。そうこうしているうちに問屋さんとの取引も始まって。お客さんから五 反田のTOCビルの現金問屋のことを教わって行くようになりました。「Floor(同ビルの3階にあったカフェ)」ができてからは飲食店向けの厨房用品を 卸す会社を教えてもらって、ステンレスのバットなどのアノニマスなものを扱うようになったんです。
当時の店内は買い付けてきた中古家電や、アラン・フレッチャーがデザインしたメラミン樹脂の灰皿など、発色が良い物も少なくなかったので色調としても今とはちょっと違いますね。

―お店で扱うアイテムが変わったきっかけは?

小林さん)最初は右から左まで自分の好き なものを全部投影しないと駄目だと思っていたのですが、それだと整合性をとるのが難しいので編集が必要だと思ったのと、長い時間にさらされても耐えうるよ うなものにより魅力を感じるようになってきたというのが強いですね。実践しながら自分の中で確かめていった感じです。店に置いてみて、しばらく自分の中で その状態を体験してみて、こういうのが心地良いかもしれないと思ったら徐々にそちらにシフトして行ったり。トライ&エラーを繰り返すうちに今の状 態になりました。
メンバーはそれぞれやりたい方向へと一人づつ別れていって、2000年の5月に1人になりました。今思うと、あれだけのスペースの店を最初から1人でやるのは無理でしたね。一方で1人でやるのが向いているのかなとも思います。
仲間と始められたのも良かったし、結果的に1人になったのも今では良かったと思います。



 




―お店をやろうと決心して動くのも勇気がいりますよね。まあ若かったから逆に良かったかもしれないですね。

小林さん)そうですね。若くて勢いのある 時期に仲間と始められたのは良かった。でも始めるとどうしても、それぞれの方向性の違いも浮かび上がってくる。最後のメンバーが抜けるという時は不安もか なり大きかったですけど、しばらくやってみたら何とかやっていけるかもしれないと思いました。
―そして『OUTBOUND』は、いつスタートさせたのでしょうか?

小林さん)そもそもそんなに2店舗目を急 いで出そうとは思っていなかったんです。『Roundabout』でやらなければいけない事も山積みでしたし。最初は自宅の物件を探していて、ついでにお 世話になっている不動産屋さんに店舗物件もお願いしました。というのも『Roundabout』は、無期限の取り壊し物件だったので、リスク回避じゃない ですけど(笑)、万が一取り壊しになってしまった場合も考えてシミュレーションの意味で物件情報も知っておいた方が良いなと思いました。おそらく自分が吉 祥寺で求める物件は、2、3年に1件あるかないかだろうと思っていたのですが、数ヶ月後に自宅より先に見つかったんです(笑)。ロケーションは路面店とし てかなり理想的でした。
―駅から歩いて10分ほどでどちらかというと賑やかなエリアなのに、静かで落ち着いていますよね。

小林さん)吉祥寺の街って良い面とそうでない面があって、あまり人通りの激しい場所だと自分が思うようなペースでお店の運営ができないだろうなというのがあって。
きちんと商品を見てくれる人だったら良いんですけど、イヤホンをしたまま来店して、こちらが「いらっしゃいませ」と言っても完全に無視されると心が折れる わけです。だからお店を目掛けて来てくれる場所じゃないと嫌だなと思って。本当に2店舗目をこのタイミングでやるのかかなり悩んだ末、まずやってみようと 思って踏み切りました。
『OUTBOUND』を始めたのは2009年なんですけど、日常使いとは言い切れないもの、例えば熊谷幸治さんという土器作家の作品なんですけど、こういうものに興味が出はじめてくるわけです。

―具体的にどういうところに惹かれるのですか?

小林さん)純粋に物として魅力を覚えるというのがありますし、「どこが好きですか?」と聞かれてぱっと答えられないところも魅力です。







―感覚的にビビッと来るというか。

小林さん)根源的な欲求とリンクする魅力 というか。ひとつひとつ分析していくと、質感に惹かれるとか色が良いとか言えると思うのですが、一番は余白ですね。具体的な機能を持った道具だと、目に見 える形で働きかけてくれると思うんですね。便利になったり、何か短時間でできるようになったり。一方でこういったものは具体的な機能は有していないけれ ど、それがあることによって豊かさや安らぎ、あるいは逆に暮らしの中に適度な緊張感を与えることができるかもしれない。そういうものを醸成してくれる役割 というものが確実にあると思います。あとは、ハレとケの間の「ややハレ」の部分に属するような、手仕事の細かさが光るものへの興味も徐々に大きくなってき た頃でした。
『Roundabout』でそれを全部入れ込めばいいのですが、そうすると今度は、元々持っていたかもしれない雑な良さが失われてしまうのではないかと 思って。店として整いすぎてしまうのではないかという危惧がありました。大竹伸朗さんが本の中で「雑の領域」という言葉を使っていて、それは、完成しきっ ていない、判断保留の状態を残したものの良さだと勝手に解釈しているんですけど、『Roundabout』ではそういった切りっぱなしの要素を保っていき たいと思いました。頭の中の引き出しを分ける感じで異なった温度のお店を始めたんです。
よく、「『OUTBOUND』が本当はやりたい事なんでしょう?」と誤解されがちなんですけど、『Roundabout』もひとつの自分にとっての大きな 柱なので失いたくない、大事にしたいからこそ『OUTBOUND』を作ったんです。それによって自分の中で物を選ぶ基準が整理できたかもしれないですね。
2つのお店の違いを聞かれたときに例えとして使うのが『Roundabout』が「日記」で、『OUTBOUND』が「手紙」。日記を書くという行為は日 常に属する事かもしれませんが、少なくとも自分にとって誰かにあてて手紙を書く事はものすごく日常に寄ったことでもないわけです。日常の一部かもしれない けど、日記を書くテンションとはちょっと違った、背筋を伸ばすような気持ちで臨む行為だと思うんです。それくらいの温度の違いでやりたいと思っています。
『Roundabout』は日常、『OUTBOUND』は日常と地続きの非日常だと思っています。ただ、『Roundabout』にも非日常の要素はあるので(笑)、両方が少しだけミックスされている感じかもしれないです。

―『Roundabout』が日常の要素の割合が9割で、『OUTBOUND』は非日常の割合が大きい。そこが繋がっている感じがするのが2つの店の魅力なんでしょうね。
  
小林さん)まさにそうですね、両方のお店に置いているものもあるし、『Roundabout』にも必ずしもデイリーユースと言い切れないものが置いてあるかもしれない。
―そういうコンセプトを基準に、商品選びからディスプレイまで落とし込んでいるんですね。ディスプレイも全部自分で?いつも設営を徹夜でやっていますよね?
小林さん)展覧会の前日は夜通しやることになってしまいますね。僕がやらなくても僕のやりたい形に沿った感じでできることが理想ですが、現時点ではなかなか難しくて自分がやることになるんですけど。まあ実際、自分でやるのが好きなんですが。
普段のディスプレイでも日々のものが売れてなくなると崩れたりして、逆に新しいものが入ったときにそれをどう並べるか。なるべくスタッフに任せたいという 気持ちと、自分でやりたがる部分とのせめぎ合いで。結局自分でやってしまう事が多いです(笑)。「こうしたい」という脳内のイメージを上手に伝達出来れば 理想なんですが、どちらかというと手を動かしながら考えるタイプなので…。





―だったらもう自分でやってしまえって(笑)。わかる気もします。 2つのお店で共通して大切しているディスプレイのポイントはありますか?

小林さん)ものの良さが際立つ場所を探すのが自分の役目なので、置いては引いてというのを繰り返して、最適な場所を探す事を大事にしています。
 ―場所だけじゃなくて空間が持つ時間もそうですよね。お店に置いて、そのものが一番魅力的に見える場所と時間。自分で選んでいるものだし、お店のことを一番理解しているからわかるんだと思います。

小林さん)イデーで昔DJやっていた時はそこが一番できなかった(笑)。とにかく自分たちが聴きたい曲ばかりかけてたから。店内の空気と無関係にインクレ ディブル・ボンゴ・バンドの 「Apache」を流した途端に大島さんが密かにマスターボリュームをゆっくり下げて…、という攻防が懐かしいです(笑)。

あとは、物を配置する上で『OUTBOUND』は眺める愉しみに重きをおき、『Roundabout』は探す楽しさを大事にしています。 『OUTBOUND』は緊張感があってすっきりした空間にしたいですし、『Roundabout』 は何回行っても発見があるような、蚤の市で掘り出し物を探すような楽しみが有る場所であって欲しいと思っています。

次回に続く


プロフィール
小林和人
1975年、東京都生まれ。幼少期をオーストラリアとシンガポールで過ごす。
1999年、多摩美術大学卒業後、国内外の生活用品を扱う店 Roundabout(ラウンダバウト)を吉祥寺にて始める。
2008年には、やや非日常に振れた品々を展開する場所 OUTBOUND(アウトバウンド)を開始。
両店舗の全ての商品のセレクトと店内のディスプレイ、年数回のペースで開催される展覧会の企画を手掛ける。
スタイリングや執筆の仕事も少々。著書に『あたらしい日用品』(マイナビ)がある。
http://roundabout.to/ 

写真:三部 正博さん
Photo: Masahiro Sanbe

1983年 東京都生まれ。
東京ビジュアルアーツ中退後、写真家泊昭雄氏に師事。
2006年 フリーランスとして活動開始。
www.3be.in