※この記事はセックス・シンボルの素顔【1】──マイケル・ファスベンダー、【2】、【3】の続きです。
「ロレンスだってよそ者だからさ」と、ファスベンダーは言う。
「彼は結局、イギリス人にもアラブ人にもなりきれなかった。そこに何らかの共通点があると思うんだ。ロボットが人間に混じって暮らしながら、人間の一員と は認めてもらえないということに」と。
しかも驚くべきことに、『アラビアのロレンス』の映画そのものが、この新作SF映画には取り込まれている。
リドリー・スコット監督と、スクリーンライターのデイモン・リンデロフが議論を重ねたのは、何年もかけて宇宙を航行する旅を、アンドロイドがどうやって過 ごすのかということについてだ。人間が冷凍睡眠をする傍らに、ぽつんと取り残されたアンドロイドは、その長い年月をどうやってやり過ごすのか。あらゆる技 能を独学で学ぼうとする──それは疑いのないことだろう。
やがて彼は「たぶん16カ国語を話せるし、バイオリンや……それからピアノも弾けるようになるんだろうな」と、スコット監督。また、片っ端から映画を観る というのも、ありそうなことだ。
いや、それは違うのではということに、ある時皆が思い至った。
おそらく彼はお気に入りの1本を見つけるなり、他の映画はそっちのけにして、その映画ばかりをくり返し観るのではないか。「ほら、4、5歳の幼児と同じこ とだよ。同じ映画ばかりを何度も何度も観たがるじゃないか」と、リンデロフも言う。
「そこで大人が『映画なら他にもあるじゃないか』と言ったところで、『いやだ。これが観たいの』と言われるのが関の山だよね」。
アンドロイドのデヴィッドが、そんなように『アラビアのロレンス』ばかりを何度もくり返し観るとしたらどうなるだろう? さらに進んで、主演のピーター・オトゥールの顔かたちすらも真似ようとしだしたら? そればかりか、オトゥールの台詞すら借用しだしたら、いったいどんな ことになるのだろうか?(映画通のなかには、『プロメテウス』の予告編で早くもそれに気づいた人たちがいる。「Big things have small beginnings(大事は小事より起こる)」というファスベンダーの台詞が、『アラビアのロレンス』からの引用だというのだ)
退屈でたまらないさ!>>>
そうした疑問の数々を、ファスベンダーは胸いっぱいに抱きとめた。
「撮影期間中、部屋では『アラビアのロレンス』をずっとリピートで再生していたよ」と本人も言う。「くり返しくり返し、何度も観たんだ」。
そう、まるで強迫神経症的なまでに執拗に反復練習をすることが、ファスベンダーの配役への取り組み方なのだ。
映画の撮影が始まるまでに、台本を何度でも何度でも、くる日もくる日も読み返し、しまいには300回ほども読むことになるという。そう聞くと無我夢中の境 地とも思えてくるが、それほど楽しいものではないらしい。
「そりゃあ、退屈でたまらないさ!」と、本人も明言している。だが、そのお陰で役柄がすっかり血肉となり、カメラがひとたび回り始めれば、演じる人そのま まに動き回れるのだ。
ロレンス役のピーター・オトゥールの髪形までも、ファスベンダーは求めに応じて真似ている。しぶしぶながらではあったようだが。
「キャラクター像にはぴったりだと思うけど、ブロンドに脱色した髪がぼくに似合うとは思えないな」と、彼は正直に言う。「鏡を見て思ったよ。まるで一晩5 ポンドのコール・ボーイじゃないかって」。
アンドロイドのデヴィッドをファスベンダーが演じることが決まって以来、デイモン・リンデロフは執筆中だった台本を彼を念頭に書き進めたという。
「ちょっぴり危険で、秘密を匂わせる要素が彼にはあるんだ。彼の立ち居振る舞いには、たとえ一見情愛たっぷりでロマンチックな身のこなしをしていようと、 『この男はきっと何かを隠している』とチクリと思わせるところがある」と、リンデロフは指摘する。
「観客の感情移入を誘い、『この人が演じているのはきっと私だ』と思わせられる能力は、基本的には俳優にとってこれ以上なく頼もしい武器だと言える。とこ ろがファスベンダーには、必ずしもそれを良しとしないところがある。『いつでも共感してほしいわけじゃないんだ』と言外に訴えるようなところがあるんだ。 『ぼくには自分の胸だけにしまっておきたいこともある。そこにあえて踏み込むのなら、君の顔はぼくの手でふさがれることになるぜ』というようなところが ね」。
彼のペニスに、私は啓示を受けました>>>