アインシュタインの言葉「神はサイコロをふらない」とはどういう意味なのでしょうか?
できるだけ簡潔に説明しようと思います。そのために、実際の科学の発見の歴史とは若干異なる記述があるかもしれませんが、「確率論的解釈」をわかりやすく 説明することを目的としているのでご容赦ください。
今ここで、大砲の弾を敵陣に向けて撃ちこむとします。このとき、弾の初速度、発射角度、空気抵抗値等等、関連するあらゆる物理量がもしわかっているなら、 「理論上」は弾の着弾点は100%の精度で予測できるはずです。これは、条件が全く同じなら何回繰り返しても弾の着弾点は変わりません。
このような”常識的”な世界が「古典物理学」の世界です。
ところが、20世紀に入り、奇妙な現象が確認されるようになりました。
ある種の実験では、「全く同じ条件」で実験を行ったにも関らず、実験結果が同じにならないのです。「古典物理学」的な常識的考え方では、上の大砲の弾の例 のように全く同じ条件で実験を行ったなら全く同じ結果になるはずです。(lavie_xxx999さんのサイコロの例がありますが、失礼ながら lavie_xxx999さんの考え方がまさに「古典物理学」の考え方なのです。たとえサイコロでも、「全く同じ投げ方」で投げれば当然同じ目が出るはず です。)
これは科学の世界でそれまで確認されたことのない現象だったために、大論争を巻き起こしました。
科学者達はこの不思議な実験を何度も繰り返し測定するうち、奇妙な法則性を発見しました。それは、この実験の結果は100%の確率で予測はできない代わり に、
「X%の確率で結果"A"になる」「Y%の確率で結果"B"になる」「・・・・・・
というように、”確率的”にのみ、どのような結果になるかが予測できるというものです。
このような法則性をボーア率いる「確率論」派は、
「実験を始めたときには実験結果がまだ”決まっておらず”、結果を”測定”した瞬間に結果AになるかBになるかなどが”確率的”に決まる」と解釈しまし た。
これはいわば「大砲を撃った瞬間には着弾点は”決まっておらず”、弾が”着弾”した瞬間にどの地点に着弾したかが決まる」とでもいうような考え方であり、 世間一般の常識からはかけ離れた考え方です。
このような考え方はさすがのアインシュタインでも受け入れ難かったらしく、対抗して「隠れた変数理論」を提唱しました。これはカンタンにいうと
「先の実験で、『全く同じ条件』で実験をしたと主張しているが実はそれが間違いではないか。現在の人間の技術では測ることができない何かの物理量(=隠れ た変数)が存在し、それが異なっていたために実験結果が異なったのだ」というものです。
大砲の例にすると、大砲の弾は鉄でできているなら例えば周囲の磁場の状況によって軌道が変わり、全く同じ条件で発射しても着弾点が変わってしまいます。し かし人間がもし”磁場”というものを知らなかったなら、「なぜ”全く同じ条件”で発射したのに結果が違うんだろう?」と疑問に感じるはずです。この例えで は「磁場」が「隠れた変数」となっているのです。
アインシュタインの考え方はより”常識的”です。そこでアインシュタインは「測定した瞬間に”確率的”に結果が決まる」とするボーアらの考えに対し、「神 はサイコロをふらない」といって批判したのです。
現代物理学ではボーアらの考え方に軍配をあげつつありますが、厳密には現在に至っても未だ論争に決着がついていません。
※大砲の弾の例について物理学に詳しい方なら「マクロな大きさの弾に量子力学的な考え方を適用するのは間違っている」とご指摘になるかもしれません。自分 も間違っているのは承知しているのですが、おおざっぱに直感的なわかりやすさを優先しました。どうかご容赦ください。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1112041381