第一回目の放送は石橋貴明相手に、元気が出るTVのフリップ毒舌芸をそのまんまやっていて
(TBSのニュース番組でも同じことをしている)、そのくだらなさ/変わらなさに感動を覚えたが、
その後、若手のコント師にお題を与え、3時間でコントを作ってもらうという企画がメインになり、それを見てビートたけしが評するという、どっかで見たような番組になってしまった。
ところが、今回は芸人・ビートたけしの足跡(そくせき)を石橋貴明と共に追うというもので、ゲストは島田洋七。ふたり
が漫才ブームのときによく遊んだという六本木のお店をめぐり、そこでの思い出話に華を咲かせるという企画。バブル全
盛期だったこともあり、とんでもない金の使い方をしていたというエピソードなど、非常に興味深く拝見した。
その中で、フライデー襲撃事件の話になり、事件後の約半年、判決が出るまでたけしは何をしていたのか?というくだり
になり、驚くべき事実がVTRによって紹介された。
事件後、たけしはひとり沖縄の石垣島に渡り、コテージの中で身を隠していたというのだ。
唯一、そのときに沖縄に呼んだのが、軍団のメンバーではなく、親友である島田洋七。本人曰く「ひとりで何もやることがない。ねーちゃん呼ぶわけにいかないし、ゴルフしてたら目立ってしょうがないから」と電話で呼び出したらしいのだが、たけしはあまりにもやることがなかったのか、島田洋七が沖縄に着いたときは、貝殻を集めてその貝殻をゴルフクラブでひたすら打っていたという(またそれが絵になってるんだわ とうっとりした表情で語っていた)。
この話を聞いたとき、すぐに思い出したのが、北野武監督の代表作『ソナチネ
『ソナチネ
さて、逃げ延びた村川たちはこの廃屋で何をするか?ひたすらヒマをつぶし続けるのである。
『ソナチネ
元々『ソナチネ
他にも洋七は「海にヒザまでつかりながら沈む夕陽を見ていたら、漁師が近づいてきて、生きてるタコを渡された」というエピソードを話していたが、これも釣り師の恰好で近づいてくる殺し屋のモデルだとしたら納得がいく。
「どうでもいいと言いながら、本当は悩んでいたと思う。テレビ復帰出来るのかな? とかね。事務所もあるし、弟子もいるし、俺が働かなきゃって思ってたんじゃないのかな」というのは洋七の弁だが、そういうなんとかしなきゃと思う反面。すべてを投げ出して、一応の責任を全うしたあとに死んでしまいたいという気持ちもどこかにあったのかもしれない。それをそのまんま映画と いう媒体にぶつけたのが『ソナチネ
ちなみに、番組はその後、ゲストに爆笑問題が登場。立川談志とのエピソードが語られていたが、これも大変素晴らしかった。ビートたけしと石橋貴明という大物が絡むというだけでお笑いファンにとっては事件なのだ。ヘタな企画よりもこういった素材を活かすようなことをこれからもしてほしいと願うばかりである。
くりおこわが嫌い http://d.hatena.ne.jp/katokitiz/20130130/1359511154