米田知子『After the Thaw 雪解けのあとに』
豊かな水のハンガリー、深い森のエストニア。静謐な風景写真の奥には、歴史の劇しさが潜んでいる。
プールの片隅で抱きあう恋人たち。大きなガラス窓の手前の観葉植物ごしに見える庭。草が生い茂る野原。長い間放置されていたと思しき室内も。米田知子の新しい写真集にはこんな写真が淡々と続く。
本作は2005年に発行された写真集がもとになっている。1993年に発足したEU(欧州連合)の加盟国が25に増えたのを機に、13人の日本の写真家がEU加盟国を撮りおろした写真集14冊が出版された。
米田が撮影したのは2004年5月にEUに加盟したばかりのハンガリーとエストニア。今回刊行された写真集は2005年発行のものに未発表の38点を加えて大判にしたもの。『After the Thaw 雪解けのあとに』とのタイトルが付けられた。
本作は2005年に発行された写真集がもとになっている。1993年に発足したEU(欧州連合)の加盟国が25に増えたのを機に、13人の日本の写真家がEU加盟国を撮りおろした写真集14冊が出版された。
米田が撮影したのは2004年5月にEUに加盟したばかりのハンガリーとエストニア。今回刊行された写真集は2005年発行のものに未発表の38点を加えて大判にしたもの。『After the Thaw 雪解けのあとに』とのタイトルが付けられた。
雪解けとは米ソが対立していた冷戦下、一時的に緊張が緩んだ時期のことを指す。1989年、ベルリンの壁が崩壊した年に米田はロンドンで学ぶため、渡英した。その後ヨーロッパで起きた急激な変化を彼女は日本よりも遥かに近い距離で体験することになる。
本作で米田は歴史的事件が起きた地や、社会体制の変化を体現する場所を淡々と撮影している。たとえばそれは、次のような場所だ。ハンガリーの社会主義政権が建設した“模範都市”のプール。エリート共産党員のための別荘地。ベルリンの壁崩壊の序章となった「汎ヨーロッパ・ピクニック計画」(ハンガリー・オーストリア国境で“ピクニック“を開催、休暇の名目でハンガリーに滞在していた東ドイツ市民をオーストリア経由で西ドイツに出国させた)が行われた草原。第2次世界大戦中、ソ連に占領されたエストニアで抵抗運動を行ったフォレスト・ブラザースの隠れ家。KGBによるフォレスト・ブラザースの調書。エストニア人がソ連・ドイツの両軍に分かれて戦った激戦地。
米田はそれらの事件を直接は目撃していないから、アーカイブを調査し、聞き取りを重ねてその事件を再構築していく。歴史はある視点から組み立てた“物語”であることも多いが、対立する視点や第三者の視点から見たらどうなるのか。彼女の写真はそんなことも訴える。
収録された写真も事件そのものを写してはいない。国境を走り抜けた東ドイツ市民の姿も、銃を構える兵士も、燃え盛る街も写っていない。そのかわりに荒れ果てた廃屋や、今も使われているリゾートのプール、国境警備所の監視小屋、海、草原、森のイメージが並ぶ。
混乱、監視、敵対、逃走、人々が歴史の波を泳ぎ切ろうと格闘した場だ。“歴史の波”は個人の行動の集積によって作られる。その場に写る人は、歴史を作った本人であることもあれば(レジスタンス活動を続けていた「フォレスト・ブラザース」のメンバーなど)、その歴史から切り離された人(プールの恋人たちなど)であることもある。歴史と個人のねじれた関係が浮かび上がる。
第2次世界大戦の終結から70年近く、ベルリンの壁の崩壊から四半世紀。長いようだけれど、この1世紀には本当にたくさんのことが起きた。その痕跡をていねいにたどる米田の写真は歴史からもう一つの物語を想起させる。
http://imaonline.jp/articles/-/284