火曜日, 5月 12, 2015

村上さんのところのところ


村上春樹の創作作法


村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイトの「小説を書くこと」に関する内容を拾ってみた。サイトの公開は明日13日(水)の14時までで終了してその後は書籍化されるそうなので、ネットで原文を読みたい方は早めにどうぞ。

書くものが自分自身を超えていないと恥ずかしい

もし「シナリオを書いている私」というものに恥ずかしさのようなものを感じられるのであれば、はっきり申し上げまして、それはあなたが自分自身を超えていないからです。ものを書いているあるポイントで自分自身を超えることができたら、恥ずかしさみたいなものを感じているような余裕はないはずです。もっともっと自然に書きたくなるはずです。頭で筋を考えていると、どうしても自分を超えることはできません。身体全体でしっかり考えないとだめです。

もともと自分の中にある物語を掘り起こす

物語と空想は似ていますが、ちょっと違います。物語はもともと自分の中にあるものです。それは深いところに鉱脈のようにあります。それが地上にたまたまでてくるのが空想になるのかもしれません。つまり、ごく簡単に言ってしまえば、空想は物語の尻尾のようなものです。子供の頃は物語と空想がかなり近接したところにありますが、大人になってくると、そのふたつはだんだん分離していきます。
小説に即していえば、空想を書いていただけでは小説になりません。自分の中にある物語を深いところから掘り起こして来なくてはなりません。

自分が何かしらの源泉に結びついているという確信

僕の感覚からいうと、それは「自信」というのとは少し違うものです。むしろ確信に近いものかもしれません。自分が何かしらの源泉に結びついているという確信。それは新人賞をとったときからうすうす感じていました。それがかなりきちんとした確信になったのは、『1973年のピンボール』で僕が双子と一緒に配電盤を貯水池に捨てに行ったあたりからです。そして『羊をめぐる冒険』を書いているときにその感覚の基礎はしっかり固められ、『ノルウェイの森』でテクニカルに拡張されました。
まず最初に「根拠のない確信」みたいなものが必要とされます。根拠はあとから見つけていけばいいんです。でも最初に確信がないと、ちょっときついかもしれない。

独特の世界観?

きみの世界観と僕の世界観はおそらく、ずっと地底深くでちょっとつながっているわけです。小指の先っぽと先っぽくらいで。

結末の作り方

いつもだいたい結論は、書いているうちに自然にすっと出てきます。その「すっと」という感じがいいんです。

何にでもなれる能力

プロの小説家になるには「(ほとんど)何にでもなれる」という能力が必要です。言い換えれば自分を離れることができる能力です。たとえば16歳のホモセクシュアルの少年になれといわれれば、(もちろんあくまで小説的に必要であればということですが)なれます。その少年の目から小説を書くことができます。物語の世界に入っていけるようになると、そういうことができるようになります。もちろんかなりの集中力が必要ですが。

夢を見るように本を書く

僕もだいたい、あなたが僕の本を読むのと同じような感じで、まるで長い夢を自然に通過するような気持ちで、本を書いています。意味を考えたり、構造を分析したりすることはまずありません。

自分が参加しているイメージ

映画を観るようにというよりは、自分がそこに参加しているように、という方が近いです。もっとリアルで、立体的です。物語の中に入っていくと、そういう感じになってきます。でも細部は自分でつくっていかなくてはなりません。すべてが自動的にやってくるわけではありません。おおまかな姿がやってくると、そこに細部をさっさっと賦与していく。そうすると姿がより明確に立ち上がってきます。そういう作業を一日に四時間なり五時間やります。そこでいったん中断して、翌日にその続きをやります。言うなれば、夢の続きを観るわけです。

小説を書くというのは見つけていく作業

「これを書きたい!」と思って書き始めると、小説ってなかなか書けません。マテリアルが重すぎると、それを背負って進むのがつらくなります。それよりは軽い足腰が大事です。マテリアルのことはあまり考えないで、まず文章を書くことによって、自分の中にあるものを少しずつ引き出していくといいのです。あなたの中には描かれるべき何かが確実に潜んでいます。小説を書くというのは、それを見つけていく作業です。最初から目に見えているものを見つけたって、あまり意味はありません。

無意識の世界へのアクセスの仕方

簡単にいえば、意識を集中して物語を語り、語りながら一種のトランス状態に入っていくということになると思います。長距離走者が経験するランナーズハイに少し似ているかもしれません。小説を書くには、そのようなトランス状態をある程度自由に作り出す心的能力と、そこで見たものを素早く文章に換えていく技術力(デッサン力)とが必要とされます。


http://pha.hateblo.jp/entry/2015/05/12/080000