“ミスター・ブルーノート”が厳選!
「ブルーノート・ビギナーに捧ぐ10曲」
1939年、ニューヨークで誕生したジャズレーベル「ブルーノート」。来年75周年を迎えるこの老舗レーベルが、いまあらたに注目を浴びている。なにがブルーノートを特別な存在にしているのか? その答えを探るべく、OPENERSでは今回、日本にジャズを浸透させた立役者、“Mr. Blue Note”こと行方均(なめかた・ひとし)さんに協力を依頼。若さと伝統が息づくレーベルの魅力に迫ろうとおもう。
ブルーノートのABCを頭に叩き込んだら、次は耳を慣らしていこう。ブルーノート・ビギナーに送る行方さんセレクトの10曲。とくとご堪能あれ。
ブルーノートのABCを頭に叩き込んだら、次は耳を慣らしていこう。ブルーノート・ビギナーに送る行方さんセレクトの10曲。とくとご堪能あれ。
1. バド・パウエル「ウン・ポコ・ローコ」
パウエルの「ウン・ポコ・ローコ」を聴くと、ロックファンが4分後にジャズファンになる。これは経験者が言うからまちがいない(笑)。そういう呪文みたいな1曲。実際、打楽器的なピアノが、呪術のようにあたらしい世界へ連れていってくれる。
Bud Powell|バド・パウエル 1924−1966年。ニューヨーク生まれ。モダン・ジャズのピアノ・スタイルを確立した天才。超絶技巧と群を抜く表現力を持つ彼は、スイング・ジャズ時代のピアノ演奏の概念をくつがえし、緊張感あふれる思索的なアドリブを確立した。モダン・ジャズの革命を起こしたチャーリー・パーカーと同様に、絶大な影響力を誇っている。 |
2. アート・ブレイキー「チュニジアの夜」
アート・ブレイキーのライブ名盤から、ハードバップの誕生を記録したかのような1曲を。クリフォード・ブラウンという、天才的なトランペッターをニューヨークに紹介したというのも注目ポイントです。ジャズメンの楽器の鳴らし方を、最強のバンドで聴くことができますよ。
Art Blakey|アート・ブレイキー 1919−1990年。ピッツバーグ生まれ。モダン・ジャズ最強のドラマー。粘っこくアーシーなビート、ポリリズムを駆使したドラミングが特徴だ。1954年のアルバム『バードランドの夜』は、ハードバップの幕開けを告げた歴史的な傑作として絶賛を博した。 |
3. ソニー・クラーク「クール・ストラッティン」
スタジオにしか実在しなかったバンドが、売れに売れたジャズアルバムを作ったという、まさにブルーノート・マジックを実現させた1枚。なかでもこの曲は、日本のジャズ喫茶文化が生んだ大ヒット。ジャズ喫茶気分を家で味わいたかったらこれ!
Sonny Clark|ソニー・クラーク 1931−1963年。ペンシルベニア州ハーミニー生まれ。子どものころからラジオでブギウギ・ピアノを演奏するなど早熟ぶりを発揮。西海岸のジャズ・シーンで頭角をあらわしたあと、1957年にニューヨークへ進出。すぐにブルーノートと契約を交わし、看板アーティストのひとりとして多数のレコーディングに参加した。本国アメリカよりも日本で人気が高く、なかでも『クール・ストラッティン』は不滅の名盤として人気を博している。 |
4. アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ「モーニン」
モダン・ジャズを世界音楽にした1曲。これがモダン・ジャズを、そしてブルーノートの名を世界に運んでいったわけです。当時は蕎麦屋がこれを口笛で吹きながら出前していたほど(笑)。この曲を聴けば、ファンキーがどういうものかがわかる。
Art Blakey & The Jazz Messengers|アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ 1955年に発足。モダン・ジャズの名門バンドとなり、約30年間にわたってジャズ・シーンをリードした。メッセンジャーズはリー・モーガン、ウェイン・ショーター、ベニー・ゴルソン、ウェントン・マルサリスなど、数多くの有名アーティストを輩出。1958年のアルバム『モーニン』は、ファンキー・ジャズのブームを巻き起こした。 |
5. リー・モーガン「サイドワインダー」
ビートルズがアメリカに上陸した年に大ヒットしたジャズ・ロック。初期のロック・ファンも虜にしたという、ある意味ビートルズと競い合ったジャズです。
Lee Morgan|リー・モーガン 1938−1972年。フィラデルフィア生まれ。トランペット奏者。18歳でデビュー・アルバム『インディード!』を録音し、天才少年と騒がれた。 1959年、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズに加入。在籍中にアルバム『モーニン』が世界的に大ヒットするなど、同バンドの全盛時代に中心メンバーとして貢献する。1963年にソロ・デビューを果たした『ザ・サイドワインダー』が大ヒット。ジャズ・ロックの一大ブームを巻き起こした。 |
6. ハービー・ハンコック「処女航海」
「サイドワインダー」の翌年、ジャズ史的にはほぼおなじ時期にあらわれた、ジャズのもう一方の可能性ともいうべきみずみずしい1曲。「サイドワインダー」がダンサブルで踊れるジャズだとしたら、こちらは聴くためのジャズとしてのひとつのピークと言えます。
Herbie Hancock|ハービー・ハンコック 1940年−。シカゴ生まれ。ピアニスト、キーボード奏者、作曲家。1960年代以降のジャズ・シーンをリードするジャズの第一人者。ストレートアヘッド・ジャズ、フュージョン、ジャズ・ファンクなど、常に多才なジャズ・スタイルの最先端を走っている。「ウォーターメロン・マン」「カンタロープ・アイランド」「処女航海」「ドルフィン・ダンス」をはじめ、ジャズ・スタンダードと呼ばれる多くの楽曲の作者でもある。 |
7. ルー・ドナルドソン「アリゲイター・ブーガルー」
これこそ踊るためのジャズ。インストですが、日本ではグループサウンズの人たちが、詞をつけてカバーしていました。わたしなんか、最初はグループサウンズのオリジナル曲だとおもっていましたから。とにかくノリノリのダンサブルな1曲で、最近の方が評価が高いですね。
Lou Donaldson|ルー・ドナルドソン 1926年−。ノースカロライナ州バディン生まれ。ハードバップ&ソウル・ジャズの人気アルト・サックス奏者。ハードバップ黎明(れいめい)期から活躍。 次第にファンキー&ソウルフルな傾向が強まり、ソウル・ジャズの人気アーティストになった。ソウル・ジャズ時代には1967年に発表したアルバム『アリゲイター・ブーガルー』が大ヒット。1990年代のクラブ・ジャズのブームでは、ソウル・ジャズ時代の作品がふたたび脚光を浴びた。 |
8. ドナルド・バード「ブラック・バード」
フュージョンの大ヒット。フュージョンっていうのは1970年代に誕生した、ある種ソウルやポップスの方向に解放されたジャズです。その先駆けのひとつとなった1曲。
Donald Byrd|ドナルド・バード 1932−2013年。ミシガン州デトロイト生まれ。トランペット奏者。1955年、ジョージ・ウォーリントンのバンドに参加し、ニューヨークでデビューを果たした。以後1960年代にかけて、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズなどで活躍。70年代までの一時教職に専念したこともあるが、74年に『ブラック・バード』の大ヒットによりシーンにカムバック。デビュー当時はクリフォード・ブラウンの好敵手だった。 |
9. ノラ・ジョーンズ「ドン・ノー・ワイ」
デビュー・アルバムのナチュラリズムが21世紀初頭の世界とマッチして、グラミー8部門を受賞するなど大ヒットとなりました。新生ブルーノートのテーマ曲として、ジャズのあたらしい扉を開けた1曲です。
Norah Jones|ノラ・ジョーンズ 1979年−。ニューヨーク生まれ。幼いころより母親のレコード・コレクションを聴いて育つ。10代よりプロのシンガーとして活動開始。名プロデューサー、アリフ・マーディンを迎えたブルーノート・レーベルの第1弾アーティストとして、2002年にアルバム『ノラ・ジョーンズ』で世界デビュー。 2003年にグラミー賞の主要4部門を含む全8部門を受賞。全世界で2000万枚を超えるセールスを記録した。 |
10. ホセ・ジェイムズ「トラブル」
ホセ・ジェイムズというのは、クラブ時代のあたらしいジャズ歌手だとおもいます。リズムやメロディーよりも、グルーブで歌うというか。今後を牽引するであろうジャズマンだとおもいます。またこういういい曲を書くしね。本当に素晴らしいアーティストが仲間入りしてくれました。
José James|ホセ・ジェイムズ 1978年−。ミネアポリス生まれ。ジャズ・シンガー。14歳のときにラジオから流れてきたデューク・エリクトンの「A列車で行こう」を聴き、ジャズにのめり込む。ロンドンのジャズ・コンテストを訪れたとき、ジャイルス・ピーターソンと運命の出会いを果たす。ジャイルスは「15年にひとりの逸材」と断言し、この若き才能との契約を即決する。ボーカル・ジャズの歴史を塗り替えたとまでいわれる美声は世界中で大絶賛され、国内外のジャズ/クラブ・チャートを総なめにした。2012年にブルーノートへ移籍。2013年1月、通算4枚目となるアルバム『ノー・ビギニング・ノー・エンド』をリリースした。 |
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