水に溶いた粉末を飲むだけで、いっさいの食事が不要になるという「未来の食べ物」。
それが、近年、米西海岸を中心に注目を集めている「ソイレント」だ。
自ら食うや食わずの生活に直面したスタートアップが生み出した
起死回生の「完全栄養代替食」は、人類の食生活に革命を起こすのか。
ソイレントを生んだ起業家ロブ・ラインハートや彼の仲間たち、
そして、ソイレントをカスタマイズし食する学生たちに密着したドキュメント。
(原文初出は2014年5月『New Yorker』誌)
2012年12月、サンフランシスコ・テンダーロイン地区の狭苦しいアパートで、ある若者たちがテック系のスタートアップを立ち上げようとしていた。彼らはYコンビネーターから17万ドルの投資を受けたが、安価な携帯電話中継塔を開発するという当初の計画はすでに失敗に終わっていた。
7万ドルにまで減った資金が尽きるまでに、彼らはなんとか新しいソフトウェアを開発しようと懸命になっていた。資金を持続させるには、どうすればいいのだろう? 家賃もサンクコストだ。必死に働き続ける彼らには、もはや普通の社会生活すらない。残った資金を見直した彼らは、大きな問題に直面していた。日々の食べ物をどうするか、という問題だ。
7万ドルにまで減った資金が尽きるまでに、彼らはなんとか新しいソフトウェアを開発しようと懸命になっていた。資金を持続させるには、どうすればいいのだろう? 家賃もサンクコストだ。必死に働き続ける彼らには、もはや普通の社会生活すらない。残った資金を見直した彼らは、大きな問題に直面していた。日々の食べ物をどうするか、という問題だ。
それでも食費はかかり続ける。起業メンバーのひとり、ロブ・ラインハートは、何も食べられないという状況が我慢できなかった。「食事は、わたしたちにとって大きな負担でした」。いま、彼はこう語る。
「食事には時間も労力もかかります。(当時は)小さなキッチンしかなく、食器洗い機なんてものとは無縁でした」
彼は、映画『スーパーサイズ・ミー』を地で行く決心をした。マクドナルドの1ドルメニューと、リトルシーザーズの5ドルピザだけで生活しようとしたのだ。しかし、そんな生活は1週間も続かなかった。「このままだと死ぬんじゃないかと思いました」と彼は言う。次に試したのは、そのころ流行していたケールダイエットだ。ケールなら安価で手に入る。しかし、それもうまくいかなかった。「ほとんど餓死しそうでした」
わたしはいかにして食べるのをやめたか
ジョージア工科大学で電気工学を学んだ25歳の若者、ラインハートは、食べ物をエンジニアリング的な視点で考えるようになっていった。「必要なのはアミノ酸で、牛乳そのものではありません。炭水化物は大事ですが、パンは不要です」と彼は言う。果物や野菜は、必須ヴィタミンやミネラルの供給源だが、「ほとんど水でできて」いる。彼は次第に、人が生存するうえで、現在の食事は非効率な方法なのではないか、と考えるようになった。「複雑で、高価で、不安定な方法。わたしにはそう思えたのです」
化学成分を調合して、直接摂取してはどうだろう?
ラインハートは、ソフトウェア開発を少しの間中断し、栄養生化学の教科書や、FDA(米国食品医薬品局)、USDA(米国農務省)、 医学研究所などのウェブサイトを調べて、生存するために必要な35種類の栄養素リストを書き上げた。
そして食料品店に行く代わりに、その栄養素を粉末や錠剤というかたちで、インターネットを使って購入した。それらをブレンダーに入れ、少量の水を加えてできたのが、ネバネバしたレモネードのような、化学物質の塊だった。
「わたしはこれを食べて生きていこうと思いました」と、ラインハートは言う。
彼はそれを、「ソイレント」と名づけた。その名前から、チャールトン・ヘストン主演で制作された1973年のSF映画『ソイレント・グリーン』 を連想する人も多いだろう。人口増加と環境汚染による、ディストピアな未来を描いたその映画のなかで、人々はソイレント・グリーンと呼ばれる奇妙な食べ物 を食べて生きていた。映画の結末で、ソイレント・グリーンが実は人間の肉体からつくられていた、というおぞましい事実があきらかになる。
投資家たちの関心を引くため、ラインハートたちはインターネットを活用した。
クラウドファンディング上で、1週間分のソイレントを65ドルで入手できるキャンペーンを立ち上げたのだ。公募の目標額10万ドルを1カ月で集められればいい、と彼らは考えていた。しかし、実際にキャンペーンが始まると、「2時間で目標に達しました」とラインハートは言う。
そして2014年4月、製品版ソイレントの最初の3万ユニットが、アメリカ全国の出資者に向けて出荷された。製品化のために、クラウドファンディングの資金に加えて、Yコンビネーターや大手投資機関のアンドリーセン・ホロウィッツをはじめとするシリコンヴァレーのヴェンチャーキャピタルから、100万ドルの出資を受けた。
ソイレントは「食品の終焉」といった、どちらかというと暗い未来予測とともにメディアにとりあげられてきた。
ピザパーラーやタコススタンドのない世界、バナナブレッドの代わりにただベージュ色の粉末が置いてあるキッチン、スパゲッティナイトやアイスクリームソーシャルはなくなり、どろどろした液体をすするだけの夕食、といった情景だ。
しかし、ラインハートが目指しているのは、そういうものとはまったく違う。
「多くの人が本来の食事を忘れてしまっています」と言う彼は、将来の食事は「効用や機能のための食事と、体験や社交のための食事のふたつに分かれていくだろう」と予想する。
ソイレントは、日曜日のポットラックパーティ(参加者が食べ物を持ち寄るホームパーティ)のためのものではなく、冷凍ケサディージャを置き換えるものなのだ。
労働の格差が食の不平等を生む
2014年4月、製品版ソイレントの初回生産分が出荷されてほどないころ、わたしはラインハートとその仲間が働く新しい本社を訪ねた。ロサンゼルスのスタジオシティ地区にある、大きな家屋だ(彼らはその半年前、家賃を浮かそうとサンフランシスコから移転していた)。エントランスで会ったラインハートは、ジーンズに黒のVネックTシャツ、テニスシューズといった出で立ちだった。彼が健康そうに見えたのは、心強く思えた。というのも彼はこの1年半ほど、食事の90%はソイレントを飲むだけという、ほとんどソイレントだけの生活を送っていたからだ。
鋭い風貌、優しい声、背筋をぴんと伸ばした毅然とした歩き方。ラインハートは、まるで若い宣教師のようだ。実際、彼はキリスト教徒だが、どこか世代を超越した感じがする。そうした印象は、ソイレントが、Instagramでランチの写真をシェアするような同世代の流行とはまったく真逆にあることと関連しているように思えた。
彼には、ポップカルチャーやゴシップは似合わない。あらゆる消費文化と無縁なように見える。
彼らへのこの長いインタヴューの最中も、彼と彼の同僚たちは「マイクロ流体は診断に使う以外の応用があると思うかい?」などという質問を次から次へとわたしに浴びせてきた。なおラインハートには生来のユーモアセンスも備わっていて、ブログで、空想の発明をテーマにしたコメディのドラフトを公開している(遺伝子組み換え子猫:「未来とは、にゃんだ(The future is meow)」)。
アンチ自然、アンチ新鮮
ラインハートの寝室には、飾り気がほとんどない。ただ、スティーヴン・ピンカー、アイザック・アシモフ、バックミンスター・フラーといった、「科学技術ユートピアニズム」の書籍が並んでいた。
そのなかでもラインハートは、ジオデシック・ドームを発明した未来学者、バックミンスター・フラーの大胆な創造性と実践性を賞賛していた(彼は、フラーのことを「バッキー」というニックネームで呼ぶ)。
彼は壁に貼られた、人間の代謝経路を表したポスターを指さし、こう言った。「これが生命。歩く化学反応です。バッキーは、人体を水力発電機だと考えていました」
ラインハートは自身を「落ちぶれた自由主義者」だと評している。自由を最大化することが最善だと信じる一方で、資本主義の無駄については嫌悪感をもっている。
「もの自体には価値はありません」と言う彼は、〈服を着る〉という行為を最適化するために、2本のジーンズを交互にはき、Amazonで購入したナイロン製、あるいは、ポリエステル製のTシャツを数週間着たあと、寄付する。衣服が臭ってくると冷蔵庫に入れ、臭気を取り除く。「数時間かかることもあります。将来はタオルを着たいですね」と彼は言った。
例えば、
ソイレントは冷蔵庫に一晩入れておいたほうが美味しくなる(DIY愛好家のひとりが、これは「内容物が凝固するためだ」と教えてくれた)。
運動をしたほうが、つまり空腹時ほど、より食べたくなる。
においは欠点だ。最初の夜、数時間ほどで、口、息、指、顔、そこらじゅうにパイ生地のようなにおいが立ち込めた。
胃が流動食に慣れるには時間がかかる。
最初の午後は、まるで歩く水風船のような感覚だった。
しかし、ソイレントだけの生活には利点もある。
ラインハートの言葉を借りれば、1日中「活動できる」という利点だ。
コンピューターにはりついているとき、空腹に我慢できなくなっても、昼食をとるために仕事を中断しなくていい。エネルギーレベルは常に安定する。
「午後の眠気も、昼食を食べたあとの昼寝もありません」。
午後も、午前中と同じように生産的でいられる。
そしてこれは、ソイレントの欠点でもある。
わたしたちの生活が、いかに食事を中心に回っているかが、次第にわかってくるのだ。
食事はわたしたちの生活にリズムを与えてくれる。
わたしたちは、食事で元気になり、食事を楽しみにし、食事の良し悪しで感情の起伏が起きる。机の上に置かれたソイレントのボトルは、わたしたちの時間を生産的にしてくれるだろう。
ふと、もし彼らの親が自分の子どもが合成食品だけで生活していると知ったら、心配にならないだろうか、とわたしは思った。
エリンはこう言う。「ソイレントを飲む前は、ほんとうにひどいものを食べていたと思うの。チーズピザを何週間も食べ続けたこともあるわ」
ソイレントを飲むことでまわりに何か影響はあるか、とスカーヴスたちに尋ねてみた。
彼らはお互いに顔を見合わせ、エリンが口を開いた。
「最初の1週間は最悪。すごく臭いおならが出るのよ」
「そいつは大きな問題だよ」と、コンピューターサイエンス専攻のジョン・オーも言う。オイゲンはうなずき、「1週間ほど授業を欠席しましたね」、とつけ加えた(わたし自身のソイレント実験でも、これは大きな問題だと判明した)。
ラインハートは、彼が最初にアップしたレシピはもっとひどかった、と説明した。硫黄の量を過剰に見積もりすぎたため、彼と彼の助手は、何週間にもわたって硫黄ガスをまき散らした。(自分のいた)ジャズシアターの客を退散させたこともありますよ」。
ラインハートは、昔を懐かしむように、そう語った。
1週間もすると体が適応できるようになり、問題はなくなった、と学生たちは言う。
ラインハートは、余分な硫黄はレシピから取り除いた、と説明した。「その後の調査で、十分な硫黄がアミノ酸からつくられることがわかったんです。この欠点は、すでに修正済みです」
これからの2カ月間で、2万5,000人の最初の支援者たちにソイレントが出荷される予定だ。
会社には、毎日1万ドルの新規注文が入り、利益も出始めた。米軍や宇宙開発計画から、ソイレントを試したいという申し出も受けている。
しかし、ラインハートの目標はもっと壮大だ。彼らは、オメガ3脂肪酸を、 魚油ではなく、藻から生成する実験を行っている。
いずれは、炭水化物、タンパク質、脂質など、すべての素材を藻からつくる方法を見つけられるだろう、とラインハートは考えている。「そうなれば、ソイレントをつくるのに農場はいらなくなります」と彼は言う。
さらに、ソイレントをつくり出す「超個体」、すなわち、毎日ソイレントをつくり出す新種の藻を開発したい、と彼は語った。そうなれば、工場さえいらなくなる。
ラインハートは、再びフラーをもち出す。「バッキーは、エフェメラリゼーションという重要な考えを提唱しました。
それは、エネルギーや情報を生み出す、お化けのようなものです」。
ソイレントをつくり出す藻は、この考えと似ているかもしれない。
農地をめぐる戦争はなくなり、資源をめぐる競争もはるかに減るだろう。
栄養失調の村人を助けるには、ソイレントを生成する藻を満たした「コンテナを送るだけでいいのです。それは、太陽エネルギーと水と空気を取り込んで、食料をつくり出してくれ ます」。
人類の太古からの問題が、解決されるかもしれない。残るのは住居の問題だけになり、「人々は自由になれるのです」と彼はつけ加えた。
ソイレントの夢は、奇妙なものだ。食べ物への夢には、悪夢も同居する。
しかし、ラインハートとしばらく一緒にいれば、その考えがわかり始めてくる。
どれくらい納得するかは、おそらく、この夢想家にどれくらい関心をもつかによるだろう。
リケッツハウスで、ラインハートは学生たちに、ほかに質問がないかと聞いた。
ニックは「ソイレントをたくさんの人たちが食べるようになれば、ソイレントが人間になる、と言えるわけですよね。このことをどう思いますか?」と尋ねた。
ラインハートは微笑みながら「それは素晴らしいことですね」と言った。
「実際、わたしはそのことを何度も考えました」。
彼は腕を突き出し、健康そうな体を見せて、こう言った。
「わたしはもう1年ほどソイレントを食べてきました。いま、あなたたちが見ているもののかなりの部分は、ソイレントでできているのです」
しかし、ソイレントだけの生活には利点もある。
ラインハートの言葉を借りれば、1日中「活動できる」という利点だ。
コンピューターにはりついているとき、空腹に我慢できなくなっても、昼食をとるために仕事を中断しなくていい。エネルギーレベルは常に安定する。
「午後の眠気も、昼食を食べたあとの昼寝もありません」。
午後も、午前中と同じように生産的でいられる。
そしてこれは、ソイレントの欠点でもある。
わたしたちの生活が、いかに食事を中心に回っているかが、次第にわかってくるのだ。
食事はわたしたちの生活にリズムを与えてくれる。
わたしたちは、食事で元気になり、食事を楽しみにし、食事の良し悪しで感情の起伏が起きる。机の上に置かれたソイレントのボトルは、わたしたちの時間を生産的にしてくれるだろう。
ふと、もし彼らの親が自分の子どもが合成食品だけで生活していると知ったら、心配にならないだろうか、とわたしは思った。
エリンはこう言う。「ソイレントを飲む前は、ほんとうにひどいものを食べていたと思うの。チーズピザを何週間も食べ続けたこともあるわ」
ソイレントを飲むことでまわりに何か影響はあるか、とスカーヴスたちに尋ねてみた。
彼らはお互いに顔を見合わせ、エリンが口を開いた。
「最初の1週間は最悪。すごく臭いおならが出るのよ」
「そいつは大きな問題だよ」と、コンピューターサイエンス専攻のジョン・オーも言う。オイゲンはうなずき、「1週間ほど授業を欠席しましたね」、とつけ加えた(わたし自身のソイレント実験でも、これは大きな問題だと判明した)。
ラインハートは、彼が最初にアップしたレシピはもっとひどかった、と説明した。硫黄の量を過剰に見積もりすぎたため、彼と彼の助手は、何週間にもわたって硫黄ガスをまき散らした。(自分のいた)ジャズシアターの客を退散させたこともありますよ」。
ラインハートは、昔を懐かしむように、そう語った。
1週間もすると体が適応できるようになり、問題はなくなった、と学生たちは言う。
ラインハートは、余分な硫黄はレシピから取り除いた、と説明した。「その後の調査で、十分な硫黄がアミノ酸からつくられることがわかったんです。この欠点は、すでに修正済みです」
これからの2カ月間で、2万5,000人の最初の支援者たちにソイレントが出荷される予定だ。
会社には、毎日1万ドルの新規注文が入り、利益も出始めた。米軍や宇宙開発計画から、ソイレントを試したいという申し出も受けている。
しかし、ラインハートの目標はもっと壮大だ。彼らは、オメガ3脂肪酸を、 魚油ではなく、藻から生成する実験を行っている。
いずれは、炭水化物、タンパク質、脂質など、すべての素材を藻からつくる方法を見つけられるだろう、とラインハートは考えている。「そうなれば、ソイレントをつくるのに農場はいらなくなります」と彼は言う。
さらに、ソイレントをつくり出す「超個体」、すなわち、毎日ソイレントをつくり出す新種の藻を開発したい、と彼は語った。そうなれば、工場さえいらなくなる。
ラインハートは、再びフラーをもち出す。「バッキーは、エフェメラリゼーションという重要な考えを提唱しました。
それは、エネルギーや情報を生み出す、お化けのようなものです」。
ソイレントをつくり出す藻は、この考えと似ているかもしれない。
農地をめぐる戦争はなくなり、資源をめぐる競争もはるかに減るだろう。
栄養失調の村人を助けるには、ソイレントを生成する藻を満たした「コンテナを送るだけでいいのです。それは、太陽エネルギーと水と空気を取り込んで、食料をつくり出してくれ ます」。
人類の太古からの問題が、解決されるかもしれない。残るのは住居の問題だけになり、「人々は自由になれるのです」と彼はつけ加えた。
ソイレントの夢は、奇妙なものだ。食べ物への夢には、悪夢も同居する。
しかし、ラインハートとしばらく一緒にいれば、その考えがわかり始めてくる。
どれくらい納得するかは、おそらく、この夢想家にどれくらい関心をもつかによるだろう。
リケッツハウスで、ラインハートは学生たちに、ほかに質問がないかと聞いた。
ニックは「ソイレントをたくさんの人たちが食べるようになれば、ソイレントが人間になる、と言えるわけですよね。このことをどう思いますか?」と尋ねた。
ラインハートは微笑みながら「それは素晴らしいことですね」と言った。
「実際、わたしはそのことを何度も考えました」。
彼は腕を突き出し、健康そうな体を見せて、こう言った。
「わたしはもう1年ほどソイレントを食べてきました。いま、あなたたちが見ているもののかなりの部分は、ソイレントでできているのです」
LIZZIE WIDDICOMBE|リジー・ウィディカム
『The New Yorker』エディター。NYの小話を紹介する同誌のコーナー「The Talk of the Town」を担当する。@widdicombe
http://wired.jp/special/2016/soylent/