小売マーチャンダイジング最前線
買い物は楽しい。その愉悦の影で苦悩し頑張るバイヤーたちがいる。 |
いまだに景気の本格的な浮揚は実感できずにいる。個人消費も下がったままだ。
しかし、この時代にあっても小売業のなかで成功している企業もいる。小売業バイヤーとして有名な藤野香織さんに、現在の状況を訊いた。
――現在の小売店のバイイング状況について教えてください。
産業系のバイヤー(調達・購買担当者の関心事は)の困りごとというか懸念事項は、英国EU離脱とサプライチェーンへの影響等なんですよ。
でも、小売系は、やっぱりモノが売れないことですか?
いえ、「よくこんなに毎日売れるなぁ!」と思う。売上速報を見るたび感心する。モノが売れない時代といわれるけれどとんでもない。通販バイヤーとして消費の最前線に立っていると、お客様のすさまじい購買意欲を日々ひしひしと感じる。
利益や在庫回転や収支もさることながら、まずはしっかり「売れる」ことが商売の基本だ。だから、部品の調達だってサプライチェーンマネジメントだって、結局は「売れる」ために存在するべきである。言い換えれば、小売業でも製造業でも飲食業でも、すべてのバイヤーは売れるためにバイイングしているのだ。
では誰が「売れる」かどうか決めるのか。「あなたの仕事のやり方は正しかったね。合格!」と評価するのは、商品を買ってくれるお客様、つまり消費者にほかならない。
もし売れない商品があったなら、モノづくりか伝え方か何かが間違っている。
――現在、モノが売れない、と嘆くひとたちもいます。藤野さんの扱うモノが「売れる」理由とは?
答えは、使う人の生活をより良く変えられるから。
もしかすると「なんだ、それだけ」と思ったかもしれない。実は、そう感じた人はこの言葉の真の意味を理解していない。
そういう私自身も、かつては分かりきった当たり前のことと受け流してきた。消費者が欲しがっているモノではなく、消費者の「生活を変える」モノを提供する、という本質を理解していなかったことが仕事にも表れていた。でも、この違いに気づいて徹底的にこだわるようになったときから、明らかにヒットの打率を上げられるようになった。
――ヒット商品はどのように作られるのでしょうか。
「生活を変える」とは、「ニーズ」や「ウォンツ」よりひとつ深いレイヤーに位置する。
単に欲しいモノは特にないけれど、生活を変えてくれるモノなら欲しがる消費者に対して、私たちはそういう商品を開発し、これを使うとこんなふうに生活がもっと良くなりますよと伝える。すると消費者は喜んで買ってくれて、結果それはヒット商品となる。
「生活を変える」方法は、便利、時間短縮、手間が減らせる、省スペース、長持ち、プチ贅沢、かわいい綺麗、清潔などいくらでもある。
最近のヒット商品を例に挙げる。スタイルが良く見える下着、睡眠の質を上げてくれるマットレス、布団専用の掃除機、強風に耐えられる傘、おいしく調理できて手入れが楽な鍋、素材にこだわったおにぎり……。10万円のマットレスで眠りが変わるのも生活の変化だし、「今日はちょっと奮発して100円でなく180円のおいしいおにぎりにしよう。今日は特別ランチだ!」も大きな生活の変化である。そんなふうに、これらの商品は、買った人の生活を変えられるからこそヒットしたのだ。
そう考えると、すべてのバイヤーが売れるためにバイイングしているという一文は、すべてのバイヤーは、消費者の生活を変えるためにバイイングしていると言い換えられる。
――モノがもたらす変化について、もうちょっと教えてください。
どういう人にとって、どういう場面で、どういう手段で暮らしに変化をもたらすのか。変化をもたらすために必要な機能は何なのか。逆に不要な機能は何なのか。サイズ、色と形、製造工程、生産場所、原材料コスト、生産コスト、生産リードタイム、梱包方法、提供するタイミング、提供場所、物流コスト……はそれぞれ適切か。くわえて、パッケージには必要な情報のみ記載しているか、取扱説明書は読む人の立場で書かれているか、消費者に「生活の変化」を メッセージとして伝えられているか。
何もないところからモノができあがるまで、一つひとつの製造工程において細かな判断が下され、積み上げられる。そのバトンを受けて商品を仕入れた小売の店頭や通販チャネルでは、適切な販売価格を判断して、メッセージに工夫を凝らして消費者に商品というバトンを差し出す。だからすべてに共通する判断基準はどうやって消費者の生活を変えるかで、関わる全員がこの一点をトコトンやりきる、それしかない。
――なるほど。産業系だったら、サプライチェーンを止めないっていうのが第一。その先には自社の生産があります。ところで小売系であれば、その先に消費者がモノに求めているものって何なんでしょう?
――現場で大切なことはなんでしょうか。
どうやって消費者の生活を変えるか、に向かって全員が仕事をしているはずなのに、実際は全然そうはなっていない。
小売バイヤーは、一週間に10社くらいのメーカー営業担当者と商談をする。そこは共に協力して「生活の変化」を起こすために、どのような商品をどのように販売していくか話し合う場のはずだ。
ところが営業担当者のほとんどが、「生活を変える」という視点を持ちあわせていない。商品のスペックや材質、工場の場所は答えられるけれど、これを買ったお客様の暮らしがどう変化するか質問すると、とたんに黙り込んでしまう。質問を変えて「この商品は他の競合メーカーのとどこが違うのか」と尋ねると、それも把握していない人が多い。生活の変化に答えられるのは30人に1人くらい、他社製品との違いを答えられるのさえ10人に1人くらいだ。
消費者は、いろんなメーカーで品揃えされた商品の中から一番良いモノを選ぶのに、それを提供する立場の営業担当者が、自社製品の隣に並ぶ商品について知らない。ただし、誤解のないよう触れておくが、自社製品のスペックについては10人中8人くらいがたいていのことに答えられるくらいの勉強はできている。
まずは営業担当者に、自分が提案する商品が消費者の「生活を変える」モノであるべきだと理解してもらうことから始まるので、私はいつも何度でも繰り返しこのことを説いている。みんな頷きながら真剣にメモを取って帰るのだが、次の提案もそうならないところを見ると、なかなか一度や二度では本当の意味で理解できないのだろう。私たち小売業は、お客様の気持ちを、仕入先に対して代弁することが何より大切な使命なので、これからも根気強く伝え続けていくつもりだ。
さらにいえば、どうやって「生活を変える」ためのモノづくりをしているのか、3つのコツがある。
「1.メーカー営業担当者もバイヤーも、徹底的に一消費者になりきる」
「2.出てきたアイディアをフィルターにかけない」
「3.商品にトコトン惚れ込む」
ということ。
――1.メーカー営業担当者もバイヤーも、徹底的に一消費者になりきる、からお願いします。
営業担当者もバイヤーも、プライベートな時間は自分の生活を営む一消費者である。原料費や生産コストなど売り手都合を一切取り払って一消費者として自分の暮らしを考えた時に、いったいどんなモノがあったら嬉しいのか、どういうモノを使ったら自分の生活をより良く変えられるのか、自由に思いを巡らせることから始める。
私はいま寝具のバイヤーなので、営業担当者と、お互いの寝室環境の話をすることになる。どのくらいの広さの寝室で、ベッド派か布団派か、ベッドのサイズは何か、敷き布団、掛け布団、枕はどんな製品を使っているか、季節が変わったら何に替えていくのか、空調は使っているか、パートナーと同室で寝ているか、一方だけ暑がったり寒がったりしないのか、と根ほり葉ほり尋ねるし、自分のことも話す。
いろいろな話をしているうちに、こういうモノがあったらすごい、しかも市場にはそういうモノはない、というアイディアが出てくる。そして、このアイディアが自分達以外の世代や嗜好の人にとっても、生活をより良く変えるモノでありえるか想像を膨らませる。想像キャパを越える時には、周囲の人達にどんどん聞き取りしていく。マーケティングデータやアンケート結果にも目を通すけれど、そこから新しいモノが産まれたためしはない。
――次の、2.出てきたアイディアをフィルターにかけない、については。
バイヤー、営業担当者共に、経験値の高い人と常識的な人はこのワナにはまりやすいので注意が必要である。せっかく新しいアイディアが出ても、過去の経験や一般常識が無意識にフィルターとなって、過去に失敗したとか不可能だとか理由をつけて即座に切り捨ててしまうからだ。たとえ過去に失敗した経験があったとしても、その原因を特定し対策して再挑戦すれば、成功への近道にだってなり得るのに。
そういえば先日、隣のチームの新人バイヤーが商談から戻るとデスクで泣き始めた。びっくりして駆け寄ると、商談の場で自分なりにがんばって意見を述べたところ、ベテランの商談相手から飽きれ顔で「あなたはまだ分かってないから仕方ない」のようなことを言われたらしい。同席していた先輩バイヤーからのフォローもなくて相当悔しかったようだ。思わず、自分が駆け出しの頃百貨店の店頭で「若造が」みたいなことを言われ、バックヤードに駆け込んで段ボールを思いきり蹴とばしたことを思い出した。
そういうわけで、ベテランの方は「いや~、それはナシでしょう」という言葉が出そうになったら、一旦飲み込んで本当にそうなのか考えてみよう。そもそも、すでに経験と指標を持っていて即断即決できるような商品は使い古されていて、「えぇ何それ!」と心がざわつくモノこそが新しいのだ。
――最後の、3.商品にトコトン惚れ込む、については。
これぞと思った商品には、トコトン惚れ込む必要がある。いや正確には、必要があるというより、本当にこの商品が消費者をハッピーにするのかどうか、来る日も来る日も考え続けたら、さすがにその商品に対して愛着が湧く。
できてきたサンプルを自宅で使ってみる。枕が自分に合わなかった時の身体の不調は最悪だ。薄いけど暖かいはずの掛け布団を試し、さほど暖かくなければ風邪をひく。洗えてすぐ乾く製品なら、自分で洗濯してみる。身体を張りながら真剣に考え続ければ、矛盾や違和感に気づけるし、それを乗り越えることでさらに商品愛が深まる。全身全霊で商品と向き合いながら、世の中に広める準備をする過程である。
また世の中にどうやって広めるか、つまり販売の仕方についてもトコトンこだわる。どういう言葉なら「生活を変える」とお客様に理解してもらえるのか、何を見せれば納得感を持ってもらえるのか。伝えることを考え抜くと、ふともう一度商品に戻って、逆にこの伝え方にふさわしい商品たり得ているか、過不足はないかと気になる。商品軸と伝え方軸を行ったり来たりする。
このプロセスを面白いと豪語したいところだけれど、実際はいつも、産みの苦しみと、販売までこぎつけられるかの不安と、失敗への恐怖感で押しつぶされそうになる。寝具バイヤーにあるまじきことだけど、不安で眠れない夜もある。
けれども、不安の大きさと同じだけ愛情が膨らみ、熱い思いがほとばしり、それが塊になって信念が形づくられる。社内外の誰にも絶対に不安なそぶりを見せず、「この商品でお客様の生活は絶対に変わる。理由は……」と自信満々に信念を語る。なぜ語るかというと、小売バイヤーは商品を買い付けたり開発したりするまでが業務の範疇なので、実際に販売するのはカタログ紙面や、テレビショッピングの出演者や、店頭スタッフなどである。
つまり、「消費者の生活を変える」ことを消費者に伝えるのはバイヤー本人ではない。だから、間に人が入る分、バイヤー本人が誰よりも高い熱量を持って、商品を熱く語り、伝え手を鼓舞し、商品の良さを伝えたい!という気持ちにさせることが不可欠なのだ。
いくら良い商品でも伝わらなければ意味がないし、価値を伝えやすい商品は良い商品である。そうして熱量をみんなに注入し、やれることは何でもやって、いざ販売へ。売ってみて初めて、ここまでの仕事が正しいのかどうか、つまり売れるかどうか、消費者によって判断が下される。ここまで来たらあとは開き直るしかない。
――バイヤーとしてのやりがいはなんでしょうか?
小売の現場は毎日泣いたり笑ったり怒ったり刺激的だ。やっていられるかと思う時もあるけれど、それ以上に面白くて仕方がない。計算してみたら、私がバイヤーとして関わった商品を買ってくれたお客様は、延べ数百万人にものぼることに気づいた。改めて、感謝の気持ちと使命感がムクムクと湧いてくる。ちなみに、今でも年に2回くらいは新商品の売れ行きに感動して涙している。その夜は、またもや寝具バイヤーとしてあるまじきことなのだが、興奮状態で眠れない。
2016年には、流通各社が進めてきたオムニチャネル化が消費者の活用できるレベルで普及すると見られる。つまり店頭や通販といった垣根を越えて、お客様それぞれのタイミングで、多様な方法で、モノが買えるようになる。インバウンド消費に加え、越境ECも注目している。販売チャネルを越え、国境も越えてモノを売っていく今こそ、「生活の変化」を伝えられる企業だけが生き残ると言っても過言ではない。