金曜日, 2月 26, 2016

MOREAU KUSUNOKI ARCHITECTES モロークスノキ建築設計


人・街・自然が混ざり合う、モローとクスノキの「フラグメント建築」

昨年結果が発表されたグッゲンハイム・ヘルシンキ美術館のデザインコンペを制した、モロークスノキ建築設計。2011年設立の若き建築スタジオは、なぜ1,700以上の応募者のなかから選ばれたのか。「日常生活と自然」の調和を目指す、彼らの建築ヴィジョンを訊いた。

 


東京で建築を学んだ楠寛子と、フランスの建築学校を出たニコラ・モロー。楠は坂茂に、モローは隈研吾やSANAAの元で建築を学んだのち、2人は2011年、パリにスタジオを設立した。




1959年に初めてニューヨークに美術館をオープンし、その後、ヴェネツィア、ビルバオ、アブダビなど、世界各地に美術館を計画してきたソロモン・R・グッゲンハイム財団は、新たにフィンランドの首都ヘルシンキに美術館を建設する計画を発表し、2014年、建築デザインコンペを開催した。

誰もが参加できるオープン形式で行われたコンペの応募者は1,715組にも上り、2002年の大エジプト博物館コンペの1,557組を凌ぐ、史上最大規模の建築デザインコンペとなったことでも話題を呼んだ。

そのなかで6組のファイナリストが選ばれ、最終的に最優秀賞を勝ち取ったのは、フランク・ゲーリーでも、ザハ・ハディドでもなかった。パリを拠点に活動している「モロークスノキ建築設計」。日本人の楠寛子とパートナーのフランス人ニコラ・モローで営む、新進気鋭の建築事務所だった。作品にかけた2人の想いを訊くべく、パリの若者やアーティストに人気のカルチエ11区に構える彼らの事務所を訪ねた。


「Art in the City」と呼ばれる彼らのアイデアは、ひとつの大きな建物にすべてが凝縮された美術館ではない。性格の異なる小さな9つの建物と灯台のようなタワーから構成されている。
IMAGE COURTESY OF THE GUGGENHEIM HELSINKI DESIGN COMPETITION
楠とモローの2人が大事にするのは、人々の日常の視線と移ろいゆく自然との邂逅。次の時代を切り開く若者たちの感覚に、グッゲンハイムは光を当てたようだ。
IMAGE COURTESY OF THE GUGGENHEIM HELSINKI DESIGN COMPETITION
建物と建物、建物の内と外を自由に行き来できる設計になっている。「『ちょっとここを30分見ていこう、今日はこっちを20分見ていこう』。そんな感覚で訪れることができるような場所にしたいと思ったのです」と楠は語る。
IMAGE COURTESY OF MOREAU KUSUNOKI ARCHITECTES



──このたびは、コンペ優勝おめでとうございます!

ニコラ・モロー(以下、M):ありがとうございます。わたしたちも、まさか優勝できるとはまったく思ってもみなかったです。

──美術館を設計するときに、ヘルシンキの街はどのように意識されていましたか?

楠寛子(以下、K):ヘルシンキは「森の都」「水の都」とも呼ばれる一方、ノキアや、近年話題になっているフリーオープンソースの元祖ともいえるLinuxの起源の地であり、先端技術と自然が豊かに共存する街です。また、日本でも馴染みのあるマリメッコやイッタラといった産業デザインの数々は、この国にとってデザイン、そしてライフクオリティが如何に大切かを表しています。いわゆるトップクラスの美術館こそありませんが、地元のアーティストは活発で、美術館やギャラリーも多く、アートやデザインに対する市民の関心が強い。新しいものへの好奇心が強く、いいものを進んで取り込み、暮らしをアップグレードしていく姿勢は、歴史に習う傾向の強いヨーロッパにおいてとてもユニークなのではないかと思います。

美術館のフランチャイズ化を最初に実施したグッゲンハイム、美術館でもって地域再活性を成功させたグッゲンハイム、そしてゲーリーを今日のゲーリーにしたのもグッゲンハイムです。彼らは常に美術館という分野においてパイオニアであり、アートと人との関係を再定義してきました。だからこそ、「21世紀の美術館とは何か?」という今回のコンペの命題は、建築家に限らず、現代に生きる市民一人ひとりが自問自答するテーマだとまず感じました。建築や美術館、アートを経験するひとりの人間として。そこが面白かった。

今回はそれに加え、前述したヘルシンキの気質、さらに、匿名のオープン形式で挑めたわけですから、このコンペはわれわれ建築家には、参加しないわけにはいかないといっていいくらいの、並々ならぬ興奮とモチヴェーションを与えてくれたのです。

M:ヘルシンキは、アジアとヨーロッパ、ロシアと西ヨーロッパをつなぐ交差点のような役目もあり、世界のハブとしての将来的なポテンシャルが期待されています。航空路が今日のようになる以前には、今回の敷地のあるヘルシンキの南港がバルト海を航行する船の発着点であり、ヘルシンキの海洋文化を継承する特別な場所です。市の中心と港が非常に近いというのもヘルシンキの特徴です。わたしたちは、北国の美しい自然、港周辺のマーケットや散歩道といった敷地の性格を美術館の体験に組み込むべく、フラグメント(断片)を組み合わせた集合体としての美術館をデザインしました。




──「フラグメントの集合体」とは、どういう意味でしょうか?

K:ひとつの大きな建物にすべてが凝縮されているのではなく、それぞれ異なる性格をもった箱の集合体としての美術館をデザインしました。連続した作品群や圧倒されるアートのヴォリュームをわざと少しずつ切り分け、その間のスペースで一息つく。日の傾きに気づいたり、ついさっき見たばかりのアートについて考えを巡らせていくのに丁度よい、力の抜けた時間の流れを提案したい。どっちが“ついで”でもよいのですが、待ち合わせや散歩が一緒にできてしまえば尚いいなと。「ちょっとここを30分見ていこう、今日はこっちを20分見ていこう」。そんな感覚で訪れることができるような場所にしたいと思ったのです。美術館で過ごす時間や、展示物の配置を自由にアレンジできるようにしたいのは、ユーザーが主体となれるような美術館の態度をつくりたかったからです。この施設がその都度いい具合に再定義され、道具のように使われていくといいな、という思いがあります。

M:「美術館は文化人の行くところ」といった観念やその敷居の高さを取り除くことと、街の人の目線で表現することを特に意識して設計しました。「老若男女どんな人でも遊びに来れる美術館とはどんなところだろう?」と考えたのです。これまでの大殿堂のような美術館と比べると、とても身近な体験ができる場所になると思います。

──具体的にはどのようなスペースをデザインしたのですか?

K:港に開けた散歩コースや、教育のためのセッション、クッキングスクール、さらに地元アーティストのためのギャラリーをつくったりと、将来この施設を使う人たちが自由にアイデアを駆使して表現できるスペースの集合体になるよう設計しています。

──建物の完成はいつごろを予定していますか?

M:いまから4〜7年先になると思います。昨年コンペが終わり、政府と社会、そしてグッゲンハイムが協議を続けています。もちろん市民との意見交換も頻繁に行われています。技術関連の下準備も必要です。それらがすべて終わってから設計に入ります。





──スタジオのデザインプロセスには、何か特徴はありますか?

M:ご覧の通り、ぼくらのアトリエは開放的な空間ですから、誰かが何かをやっているのがよく見えます。そしてみんなでアイデアを出し合います。建築は「何を経験として伝えたいか」を試すものであるから、デッサンだけでは判断できません。模型をつくってみてそれを見ながら、ぼくら2人だけではなく、チーム全員が意見を言い合うのです。そして必要ないものを少しずつそぎ落としていく感じですね。

K:欧米の人は都市的なスケールで考えるのに比べ、日本人は生活の一動作に近いスケールから考えるようなところがあるのは面白いですね。わたしは日常的な暮らしのスケールに興味があり、まずそちらに関心が集中します。わたしたちの間には、知らずに繰り返している習慣的なことがたくさんあって、プロジェクトをつくるたびにこういった(日本人と欧米人の)差異や共通点を発見しながら補っているところがあります。

──メンバー同士でディベートを重ねながら、アイデアをかたちにしていくのですか?

K:ニコラもわたしも日本のアトリエにいたのもあり、模型をつかって試行錯誤することには慣れています。事務所のメンバーはほぼフランス人なので、手よりも口のほうが上手に動く人も多かったりして。わたしは彼らのように言葉のリアクションは速くないので、一度ディベートの内容を自分のなかで受け止めて、模型やデッサンにして表現します。言葉は頭が先行してしまい、体が後れを取るような感覚があって、そのスピードの差に違和感があります。フランスにいて言葉に不自由しているから尚更そう感じるのかもしれませんが。模型をつくる時間がアイデアを消化するのに丁度よくもあり、やはり一つひとつ時間をかけて、手と頭を動かしながら試していくことの意味は大きいと思います。ゆえに言葉が上達しないのかもしれませんが…(笑)

──優れた建築家になるために大切なことは何でしょうか?

M:日頃の興味のもち様でしょうか。わたしたちもさまざまな場所を訪れて常に目を開くように心がけています。やはり、いろいろな建物を自分の目で見て体感することは大切だと思います。今回はコペンハーゲンのルイジアナ美術館から少なからず影響を受けていると思います。

──影響を受けた点について、もう少し詳しく教えていただけますか?

K:ルイジアナ美術館は、鑑賞者と作品との間に親密な関係が生まれる珍しい場所で、大好きな美術館のひとつです。目前に広がる海の景色もそうですが、光や風によって表情を変える風景が映り込み、アートと対峙する時空間が偶然のめぐり合わせのように思えてくる、そういう場所です。ホワイトボックスの中で人工的な光で鑑賞するのとは歴然とした体験の差があります。わたしたちの提案する美術館においても、積極的に風景や光を経験に織り込んでいます。移ろいゆく自然要素によって設えられたシチュエーションによって、また同じく移ろいゆく人々やアートのコンディションによって、時間と空間の一回性を感じることができたら素敵だと思います。





──その体験を、どのように今回の設計に取り入れたのでしょうか?

M:体験と空間の親密な関わりを見つめていきたいと思って設計しました。人と人との交わりや、使い勝手、音や匂いなどの五感も強く意識していたので、「焼き杉」を外壁に使ったりしています。これまでよしとされてきた街を象徴する“モニュメント”的な美術館のイメージを脱したかったのです。そのために、楠の手描きのデッサンを表現方法としてぼくらは採用しました。

──コンピューターではなく、手描きですか?

K:はい、今回初めて手描きのデッサンを提出材料として使ってみました。3D画像では表現しきれないことってたくさんあるんです。例えば、プロジェクトの全体がもっている空気感は俯瞰的な見方ですが、一方、人々の話し声は同じ地面に立つ隣の人じゃないと聞こえない。このような並立しないはずスケール感がひとつの平面に表せてしまったり、日常と非日常、主観と客観といった見方が併存したり。すべては見る人の想像力に委ねられているのですが、そのあたりの解釈の余白部分が大きいのも面白いと思います。
 
今回わたしたちが提案する美術館は、人が主体。たくさんの人を描きました。ここに描かれている人物たちは、実用的な空間アレンジを含めたチームでの試行錯誤、そしてそこを利用する人たちの仕草や振る舞いです。わかりづらいですが、白黒で、一つひとつのシチュエーションを楽しみながら、この美術館とそれを取り囲む生活風景を描きました。瞬間的に疑似体験できてしまう3D画像とはちょっと違います。もう少し手間がかかる。だからこそ、時間をかけて、想像して、外側だけでなく、内側からこのプロジェクトをみてもらえたらいいなと思います。