火曜日, 8月 19, 2014

現場感覚、ネット思考

現場の感覚・ネットの思考


今、北海道の旭川市に来てるんだけど、なにに驚いたって、J R 旭川駅の偉容とも思える立派な駅の建物に驚愕しました。
旭川市の人口は 35万人弱とかなり多いけど、面積は広いし車社会ということもあり、J R 旭川駅の乗員数は一日平均 5000人弱。(参考までに J R 中野駅の一日平均乗員数は、14万人弱です)
ローラースケートの大会が開けそうなほど広々した駅舎はものすごい豪華さで、こりゃー、災害時の避難場所としては最高だわねとも思う一方、
広大なスペースの中にまばらな人が歩いてるのを見ると、「毎日の電気代で、いったいいくらの赤字が日々積み重なってんだろ?」と心配になるほどです。
しかもこの駅、バブル期に出来たわけじゃなく数年前にできた駅舎で、まだこれから再開発で 11階建ての駅ビル(ホテル&ショッピングモール)を造るらしい。
近くに来た人はマジで一回、見に来た方がいいって感じの駅です。
★★★
さて本題に入りましょう。昨日、この駅についてこう呟いたら、


JR旭川駅ってJR渋谷駅の千倍くらい立派な造りなんだけど、入り口を入ると「ここは一階北口入り口です」とか、通路を歩いてると「ここは「二階南側トイレです」とか、センサー感知で 「いったい何のために?」みたいなアナウンスがやたらと流れます。



「それは視覚障害者のためのサービスだから無駄ではない」みたいな返答が複数来たんですよね。


それと、その後にこれを呟いたら、

駅に関してこんなに驚いたのは、JR京都駅が、全面リフォームしたにも関わらず、修学旅行生向けのスペースを造らず、真新しい駅の床に高校生をずらーっと座らせてるのを見た時以来ですね。なんであんな修学旅行生が多いのに、それを勘案した設計にしないかなとあのときもめっちゃ驚いた。

「ほっといても修学旅行生はいくらでも来るから、京都は修学旅行生を大事にする必要がない」
的なリプライが、こちらも複数寄せられました。


でね。このふたつの会話が、非常に似てるなと思ったんです。いずれの会話においても、私の呟きは「現場の感覚」で、それへの反応は「ネット上の思考」だなと。
★★★
実際にあの駅に身を置き、現場であのアナウンスを聞いたら、「このアナウンスは視覚障害者のためだからまったく無駄じゃない」と感じる人は、ほとんどいないと思います。
すべての人が直感的に「むちゃくちゃ過剰な投資である」と一瞬にして理解できる。
でも、現場感を持たずに頭だけで考えたら、


つまり、
ネット上で見た言葉にたいして、
現場の感覚ではなく、頭の中に格納している知識を元にして
言葉で向き合ったら、


そういう反応(=何のためのアナウンスなんだ!? → 視覚障害者のためでしょ)になるのもよくわかる。


人間ってのは、頭で考えると正論を捻り出してくるんです。「全員が五体満足なわけではない。だからアナウンスは必要だ」という、だーーーーーれも反論できない正論をね。
でも現場で瞬間的に得られる感覚は、それとは全然違う。


二つ目のも同じです。内外からの観光客で混み合う京都駅のコンコースで、スカートから足を投げ出して座り込み、アイメークをなおしたりスマホをいじってる女子中学生やら高校生の集団を見た時、
私が直感的に感じるのは「みっともなっ!」ってことです。


この感覚は、海外から京都を訪れた観光客も含め、その現場に身を置いた人なら、ほぼ全員が共有できる感覚でしょう。「みっともなっ!」「邪魔すぎ!」「なにこれ?」ってみんな思います。
だから私の呟きは、「京都駅って、海外からやってくる観光客からも含め、京都がこんなところだというイメージを持たれても、まったく気にならないのかな?」という意味です。


でも、そのツイートを
画面で見て、
頭で考えて、
ネットに向かって反応すると、


もともとのツイートにあった「京都 vs. 内外からの観光客」という視点が「京都 vs. 修学旅行生」に置き換えられ、「京都駅が修学旅行生を重視しているかどうか」という話に変わってしまう。


なぜかっていうと、
現場にいれば瞬間的に、しかも強烈に感じることになる「みっともなっ!」っていう感覚を欠いたまま、
「なぜ京都駅は修学旅行生のためのスペースを造らないのか?」という文字への思考からスタートするから、ですよね。
そこから始めたら、次は「なぜならば」となり、続いて「学生は大事ではないから」という話になってしまいます。


「現場で感じる」と「ネットで考える」の違いを浮き彫りにする事例が偶然ふたつ重なり、ちょっとおもしろいなと思って書いてみたんですけど、
これって、先日ご恵贈いただいた東浩紀さんの新著、『弱いつながり』とも関係してるし、

弱いつながり 検索ワードを探す旅

あたしの半生記とも言える『世界を歩いて考えよう!』とも大いにつながる話です。

社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう! (だいわ文庫)

結局のところ私が何かを考えるのは、常に現場(リアルな社会やリアルな生活)であって、ネットはそれを伝える手段にすぎません。ネットで考えたりはしないんです。
でも世の中には、ネット上で考えようとする人がいる。それが、むやみな正論や理屈ばかりの呟きを生みだしてしまう。ツイッターだけでなく、ブログでの意見の応酬も同じです。


とはいえ、上記で紹介したツイートはいずれも多数リツイートされ、たくさんの人がお気に入りしてくれています。
そういう反射的なクリックをした人たちの多くは、どちらかといえば、あたしの感じた現場の空気を共有してくれたんでしょう。
だから私は「ネットだと現場の空気が全く伝わらない!」みたいな話をしてるんじゃありません。リツイート数などを見る限り、寧ろよく伝わってる。
単に、現場で感じるとネットで考えるの違いがキレイに見えて面白かったので、メモっておきたいと思っただけ。

さて
次は、稚内に向かいましょう。学生時代には乗れなかった特急に乗れるのでとてもハッピー!


そんじゃーねー


http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140818