『鉄コン筋クリート』スタッフインタビュー(2) 西見祥示郎(キャラクターデザイン・総作画監督) |
『鉄コン筋クリート』スタッフインタビュー第2弾は、キャラクターデザイン・総作画監督を務めた西見祥示郎が登場。これまでも個性的なイラストレーターとして業界内で注目されてきたが、今回、満を持しての大ブレイク。『鉄コン』抜擢に至るまでの、気になる経歴についても聞かせてもらった。 西見祥示郎 Shojiro Nishimi 1965年1月28日生まれ。福岡県出身。1986年よりテレコム・アニメーションフィルムに在籍し、原画マンとして海外合作作品を中心に活躍。近年まで国内での仕事はほとんどなかったが、アマチュア時代に描いた個性的なイラストが一部のクリエイターたちの間で話題を呼んだ。2003年にテレコムを退社後、STUDIO4℃制作の劇場作品『マインド・ゲーム』に原画で参加。そのまま同社にて、中島哲也監督の映画「下妻物語」のアニメパート監督や、ゲーム「ガチャメカスタジアム サルバト~レ」ムービー監督などを務めた。『鉄コン筋クリート』ではキャラクターデザイン・総作画監督・ストーリーボード・原画を手がけ、非常に魅力的なビジュアルを創り出している。 |
●2006年12月8日 取材場所/STUDIO4℃ 取材/小黒祐一郎 構成/岡本敦史 |
―― 湯浅政明さんと同郷なんですよね。 西見 高校が一緒だったんです。その時から友達で、放課後になると一緒に遊んだりしてました。 ―― それは絵描き仲間みたいな感じだったんですか? 西見 そうですね。昔から巧かったですよ、彼は。 ―― でも、西見さんは西見さんで相当……。 西見 いえいえ! 全然ですよ。湯浅君は当時からみんなの注目を集めてましたから。 ―― で、アニメ業界入りして最初に入社されたのが、テレコム・アニメーションフィルムなんですね。 西見 そうです。 ―― テレコムにはいつまでいらっしゃったんですか? 西見 3年ぐらい前までいました。僕は21歳の時に入ったので、17年間いたんですけどね。 ―― テレコム時代の代表的なお仕事というと、何になるんでしょう? 西見 最初の動画時代は、やっぱり『リトル・ニモ』になるんでしょうかね。『AKIRA』も、ほんの数枚しか動画を描いてないんですけど、クレジットしてくれていて。凄く嬉しかった記憶があるんです。まだ入ったばかりだったので、名前が出るなんて珍しい事だったから。 ―― なるほど。すぐに原画デビューされたんですか? 西見 いえ、僕は5年ぐらいずっと動画をやってたんです。遅かったんですよ。出張で韓国に3ヶ月くらい行っていて、帰ってきたら『(わたしとわたし)ふたりのロッテ』という作品の原画をやってくれと言われまして。ええ~、と思って。 ―― それが初原画になるんですか? 西見 そうです。それまで2回か3回、原画試験を受けたんですけど、全部落ちてたんですよ。「もういい! 原画やんなくても」と思ってたので(笑)、やりたくないと思ってると、そういうチャンスって巡ってくるんだなあ、と思いましたね。韓国にいた時も、二原みたいなかたちで少し描かせてもらってましたけど。 ―― その後、合作でも原画を? 西見 そうですね。原画とか作監です。その後は『タイニー・トゥーン』とか『CYBERSIX』をやっていたのかな。 ―― なるほど。じゃあ、テレコムには若手のメインみたいな感じでいたわけですね。 西見 いや、上にいっぱい巧い人がいますからね(苦笑)。僕なんてそんなに、目も当ててもらえなかったです。 ―― それで、3年前にテレコムを辞められて。 西見 もう40歳前だし、このままじゃ給料も上がらないから、これが最後のチャンスだと思ったんです。辞めた時は、ちょっと途方に暮れちゃいましたけどね。それでしばらくして、東京に出てきている高校時代の友達と、何人かで飲んだんです。湯浅君はその時『マインド・ゲーム』を作ってたんですよ。そこで初めて辞めた事を言ったら、「ホントに? じゃあ手伝って」と言われて。それまでは湯浅君に手伝いを頼まれても、逃げてたんですよ。彼のレベルを知ってたから。けど、その時はテレコムを辞めて3ヶ月ぐらい経っていて、不安を抱えていたところにポンと仕事を振ってくれたから、「いいよ」って言えたんでしょうね。 ―― 辞めてから最初の仕事が『マインド・ゲーム』なんですね。 西見 イラストの仕事なんかも、森本(晃司)さんのツテで、少しやらせてもらったりしてたんですけど。 ―― 「edge -a collection of paintings-」に載っていた作品ですか。その時はまだ、知る人ぞ知るみたいな感じでしたよね。 西見 (照れながら)いや、そんな感じじゃないですけどね、僕の中では。 ―― その前に「季刊 S」に採り上げられて、森本さんと対談されたりしていたじゃないですか。 西見 あれは本当に森本さんのおかげです。僕の名前を覚えていてくれたから。嬉しかったですけどね。「雑誌デビューなのかな、わあー」とか思って(笑)。 ―― ああいう独特の絵柄というのは、学生の頃から変わってないんですか? 西見 そうですね、昔から。まあ微妙に変化はあるんでしょうけどね。自分で見たら分からない。 ―― でもテレコムにいた時は、基本的には等身の低い、可愛らしいキャラクターを描いていたんですよね? 西見 僕ね、『トムとジェリー』が大好きだったんですよ。だから合作にはなんの抵抗もなくて、むしろやりたかったんです。でも、実は三等身のキャラが苦手で、頭がやけに大きくなっちゃったり、どうしても全体的にバランスが悪くなったりして、結構苦しむ事になっちゃった。 ―― 『CYBERSIX』とか『バットマン(・フューチャー)』とか、ちょっと変わった絵のものもありますが。 西見 『バットマン』は『バットマン』で、凄くスタイリッシュなデザインしてるじゃないですか。キャラを見た時に「これはかっこいいなー」と感動したんですよ。それでいざ形を崩そうと思ったら、崩せなくて。ちょっと苦労しましたね。やってて楽しかったという記憶があんまりない(苦笑)。 ―― テレコムを出られてからの方が、わりと楽になった? 西見 『マインド・ゲーム』は、なんか楽しかったですよね。打ち合わせした時は、ちょっとビビッちゃいましたけど。 ―― 大変なところを振られてしまった、と。 西見 でも、やってみたら「あれ、楽しいなあ」と思って(笑)。 ―― 『マインド・ゲーム』の後は、そのままSTUDIO4℃で短い作品を幾つかやってから、『鉄コン筋クリート』のキャラクターデザインと総作画監督になる、という事なんですか。 西見 そうですね。 ―― どういうかたちで声をかけられたんですか? 西見 その前にやってた「下妻物語」と「ピポサルオリンピア(編注:「ガチャメカスタジアム サルバト~レ」の改題前のタイトル)」がふたつ重なってて、ちょっと忙しかったんですよ。そしたら制作の子が『鉄コン』のコミックをボーンと3冊、「次はコレなんですけど」って渡してきたんです。 ―― その時は、キャラデザインをやってくれという話がいきなり来たんですか? 西見 そうですね。監督のマイク(マイケル・アリアス)が、僕の描いた「ピポサル」のボードみたいなのを見て、この人がいいって言ってくれたみたいなんですよ。でも僕、コンテもSTUDIO4℃に入って初めて書いたくらいで、そんなに経験があるわけじゃないし。そもそもメインスタッフの経験なんかないんですよ。だから恐ろしくて、できませんと言って最初は断ってたんです。それで、仕事が終わってしばらくしたら、田中(栄子)さんに呼ばれて、マイクと一緒に飲みに連れて行かれて。もういいか、と思っちゃったんですよ(笑)。それで引き受けて。
―― キャラクターデザインを起こされる時、原作の絵をどういう風に移し換えようと思われたんですか? 西見 最初は僕も、自分の絵が大洋さんの絵に似てると思ってたんだけど、ずーっと見ていくうちに……時間が経たないと分からんものですね、ああいうのは。「全然似てない!」って(笑)。 ―― でも似てないというのは、キャラクターの形やパーツは踏襲しているけど、平面的なところや線の感じの違いではないんですか。 西見 うーん、まあ、結果的にシンプルにしちゃいましたけど。『マインド・ゲーム』の後だったので、もうやりにくくて! 最初はあのスタイルをちょっと引きずってたんです。やっぱり魅力的じゃないですか。「やりにくいなー、アイツいいもん作るからなー」と思いながら(苦笑)。そうやって描いてると、凄く堅くなっちゃうんですよ。「末吉(裕一郎)さん、どう描いてたかな」とか。 ―― そこで末吉さんの事を気にする必要ないのに(笑)。 西見 そうそう。最初はそんな事を思いながら描いてたような気がしますね。しかも、キャラ表を人に見られると思うと緊張しちゃって、絵がガチガチになっちゃって。そのうち、だんだん力が抜けてきて慣れていったので、「そっかそっか、こういう画を描いてたんだ」と思ったら、ふっと楽になった瞬間があった。どこからかというのは覚えてないけど。 ―― 本当の自分の画はこうだ、という事ですか? 西見 いや、「自分がいちばん描きやすいかたち」という事ですね。 ―― 元々、湯浅さんと画の好みは似てるんですか? 西見 そうですね。結構、僕は影響を受けてるのかなあ。 ―― 今回の作品がやや『マインド・ゲーム』テイストを感じさせるのは、作品に参加していた事もあるし、ご自身の好みが似ているという事もある? 西見 いや、だから最初は巧くできなかったんです。引きずっちゃって大変だったんだけど、後半になってノッてきて、やっと「あっ! 僕、こういう画を描いてたんだ」と分かって(笑)。自分に戻るまで、ちょっと時間がかかっちゃいましたね。 ―― 途中からは意識せずに描けたんですね。 西見 ……ホント、プレッシャーの大きい仕事だったなと思います。僕の中では。 ―― 今回はコンテにも参加なさってますが、その作業はいかがでしたか? 西見 ほとんど原作ありきだと思うんですけどね。構図とか。あの原作がなければ、到底できなかった。原作を読んだ時に「映画っぽいなあ」と感じたんで、このままいけるんじゃないか、と素人ながらに思ったんです。さすがにあの単行本3巻の内容全てを2時間に収めるのは不可能だから、それを削る作業で監督は随分苦労してました。大変だったと思います。 ―― ご自身でも、単にコンテを描くだけでなく、内容に関して「ここはこうした方がいい」と意見できるチャンスがあったそうですね。 西見 ええ。まあ、コンテは僕が1人でやったわけじゃないですけど。久保(まさひこ)さん、浦谷(千恵)さん、安藤(裕章)さん、僕。それから終盤のイメージシーンを、マイクと久保さんがやってます。マイクは「自分はアニメーションに関しては素人だから」って、僕らの事を信用してくれてました。「こうしていい?」って訊くと「いいよ」と答えてくれたり、ホントに気に入らない時は「ここはこのままでいきたい」とか。結構、みんなの意見を聞いてくれて、やりやすい環境だったと思います。ガミガミ言われる事もなく、こっちの自由にさせてくれた。監督本人はしんどかったと思いますけどね。そうやってできたものの責任を取らなくちゃならんわけですから(笑)。 ―― 作画監督の作業では、どこら辺に力を入れられたんでしょうか。 西見 ……表情、なのかなあ。微妙なニュアンスを出したい、みたいなね。まあ僕なりに、ですよ。それが表現できてるかどうかは分からないけど。ちょっとした芝居の微妙な仕草に、そういうニュアンスが画面から出ればいいな、と思ったんですけどね。
―― 大洋さんの原作マンガを見ていると、もっとシンプルに力強く動く骨太な画もイメージできますが、実際の画面ではかなり緻密な動きになってますね。 西見 作画する時は「動かすところは全部動かしてくれ」って言ってました。髪の毛とか、服とか、揺れるところは。結構、描く人は大変だったんじゃないですかね。もうちょっと簡単に描けると思ってたかもしれない。 ―― 参加されている原画マンの方達で、西見さんが声をかけた方はいらっしゃるんですか。 西見 僕、外に出て日が浅いもんで、ホントにテレコムの人しか知らないんですよ。「この人に原画をやってもらおうと思うんですけど」って言われても、知らない方ばっかりで。まあ、橋本(晋治)君は同期なんですけど。彼とは監督も友達なので、監督から頼んでましたね。僕の方からは、元テレコムの八崎(健二)さんと、今もテレコムでやっている滝口(禎一)さんという方に声をかけさせてもらいました。引き受けてくれて随分助かりましたね。全然、僕なんかより先輩なので、巧くて当然なんです。 ―― 今回、作画監督として3人のお名前が出てますけど、どういう役割分担だったんですか。 西見 最初は僕、原図をいろいろ整理してたんだけど、もう手が追いつかなくなって、浦谷さんと久保さんにレイアウトチェックをやってもらってたんです。途中でまた、終わらないところの原画をやってもらったりとか。後半はもう、上がってない部分のレイアウトを、浦谷さんと久保さんに入れてもらってました。 ―― 西見さんご自身は原画修正に専念して、みたいな。 西見 そうですね。あと、ちょっとシートをいじったりとか。……浦谷さんと久保さんがいなかったら、終わらなかったですね。びっくりするほど巧かった。僕がいちばん下手なんじゃないかと思う瞬間があるくらい。 ―― いやいや! 西見 作監の作業というのは、人の原画をたくさん見るんで、凹みますもんね。ホントにやりたくなかったですよ(苦笑)。 ―― 自分で「このシーンはよくできたな」とか思うところはありますか? 西見 うーん、自分の画って、そんなに好きじゃないんですよ。それが画面に出てると、恥ずかしくなっちゃって。冷静に評価できないです。 自分以外だと、終盤の(イタチの)イメージシーンがあるじゃないですか。久保さんが全部描いたシーンで、あれをよく1人でできたなあ、と思った。あそこは見応えがあると思いますね。 ―― 他に、活躍が印象的だった原画の方っていますか? 西見 (スタッフ表を見ながら)……大平(晋也)さんとは初めて仕事したんですけど、本当に巧いと思いましたね。 ―― シロの夢のイメージシーンですね。 西見 ええ、凄かった。監督の狙いは間違いなかったな、と思いました。橋本君も、最初から凄く画を崩してくるんでびっくりしたけど(笑)。 ―― 橋本さんはどこをおやりなんですか? 西見 警察署でシロが暴れるところです。あと、オープニングでシロが画面奥から横断歩道を渡って歩いてくる場面。作監補の濱田(高行)君も凄く頑張ってくれた。テレコムの後輩なんですけど、期待を裏切らなかったですよね。 ―― なるほど。 西見 牧原(亮太郎)君も頑張ってくれました。まだ原画を初めて日が経ってないとは思うんですけど、「巧いなあ」と思いました。よく描いてくれましたよ。 あと、最後にイタチが出てくる前のところって、モブシーンじゃないですか。伊藤秀次さんがやってくれたんですけど、よく引き受けてくれたなあって。その前の、クロが子供の城に向かうくだりもモブシーンなんですけど、そこは田中考弘さん。みんなが避けるような大変なところを引き受けてくれた人には、感謝してます。 ―― なるほど。ご自身で好きなシーンとか、好きなキャラクターってありますか? 西見 えーと……木村が鈴木を酒場に連れ出して「仲人を頼みたい」と言う場面があるじゃないですか。その時の木村の小芝居が妙にいいなーと思いました(笑)。親指でパチパチ何かを弾いてたりして。嘘ついてる感じがよく出てたと思いますね。そんなに直してないんです。「なんかいいなー、ここ」って。 ―― 完成した作品全体を観て、いかがでしたか。 西見 ……あの、実際に観てどうだったですか? ―― よくできてると思いましたよ。 西見 面白かったですか? ―― ちゃんと面白いし、話も破綻してないのが素晴らしいと思いました。 西見 そうか……みんなインタビューで同じ事を言ってると思いますけど、自分じゃ分からないですよね(苦笑)。第三者の人がどういう風に観るんだろう? というのが凄く気になります。 ―― そういえば、監督にもお話を伺ったんですけど、オールラッシュをみんなで観た時に、監督と西見さんがもの凄く体調を悪くされたという話が(笑)。 西見 そう! すっごい凹んじゃったんですよ。ホントにもう観る前から不安で不安でしょうがなくて、それでオールラッシュを観て、これは映画としてどうなんだろう……と。まだ完パケてはいなかったんですけどね。みんなで喫煙室にしゃがみこんで「マイク、なんとかしてくれ!」って(苦笑)。そこから監督がシーンをバツッと切ったり、入れ替えたりという編集作業をやったんですけど、それでもやっぱり不安で。 その後、イマジカで初号試写があったんですけど、始まる前になると過呼吸になるんですよ。で、イヤ~な汗が出てきて、しばらくしたら寒くなってきて。いっぺんに自律神経やられちゃいましたね。 ―― 大変ですね。 西見 これはたまんないな、と思った。ただ観るだけでもこんなに緊張するのに、始まる前に挨拶する監督はもっと大変だろうと思いました。『マインド・ゲーム』の時も、初号で湯浅君がみんなの前に立って挨拶してましたけど、今にして思うと「立派だなあ」って思います(笑)。 ―― その後、何度か完成品を観る機会はあったと思うんですけど、印象は変わりましたか? 西見 僕、まだ1回しか観てないんです……。 ―― 観てないんですか? 初号のみ? 西見 そう。初号の時も、終わってからちょっと凹んで。まあ、気分的には映画を観るというより、ラッシュチェックに近かったですけどね。チェックもできないまま上がったシーンとかも結構あったので。 ―― まだ気持ちの整理がついてない状態ですか。 西見 いや、美術の木村(真二)さんがね、最初に初号を観た時には結構ブーブー言ってたんですけど、次にまた観る機会があったんですよ。そしたら「2回目は落ち着いて観れた」と言ってて、そんなモンかなあ、と。だから公開したらもう1回観に行こうかと思ってるんです。 ―― なるほど。今後のお仕事の予定は? 西見 なんも考えてないです。とりあえず、森本さんと福島(敦子)さんの作品でちょっと原画を手伝うんですけど。やっぱり原画は原画で大変だな、と思っちゃいますよね。作監やってる時は「作監やりたくねえー」って思ってるのに(笑)。どっちもどっちだなあ、って。 |
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