映画『トランセンデンス』では、人工知能学者のウィルの脳の複製がスーパーコンピューターに「インストール」されて、ネットワークを通じて情報を吸収し、どんどん進化していきます。このようなことが将来、実現できるのでしょうか。
松田卓也 コンピューターの性能が現在とは比べ物にならないくらい向上した未来では、十分ありうる話です。
「ムーアの法則」をご存知ですよね。集積回路の密度が18カ月から2年で倍増するという有名な予測です。未来学者、レイ・カーツワイルはムーアの法則を拡張し、進化の法則はコンピューター・チップだけでなく、宇宙のあらゆる現象に適用できると考えました。そして、人工知能の性能が全人類の知性の総和を越える「(技術的)特異点」、あるいは「シンギュラリティ」と呼ばれるものが、2045年に来ると予測しています。このため「シンギュラリティ」は「2045年問題」とも呼ばれています。カーツワイルは、遺伝子工学、ナノテクノロジー、ロボット工学、この3つの分野が飛躍的進歩をとげて、テクノロジーは量だけでなく、質的にも大きな変化を起こすというのです。
また、オーストラリアの人工知能学者で、ヒューゴ・デ・ガリスという研究者がいます。彼はいわゆる「マッド・サイエンティスト」。歳は僕より少し若いくらいで、容貌も似ています(笑)。デ・ガリスは、2000年ごろ日本にも滞在していたことがあり、ATR(国際電気通信基礎技術研究所)で「ロボ子猫プロジェクト」という、進化するロボットの研究を行っていました。進化プログラミング、あるいは、進化エンジニアリングと言われている分野ですが、当時は時期尚早で成功はしなかった。デ・ガリスは、人工知能は急激に発展して、シンギュラリティが21世紀の後半に来ると言うのですね。その時、人工知能は人間の知能の1兆の1兆倍になると主張しています。
「1兆の1兆倍」というのは根拠があるのですか?
いま、コンピューターの中にあるひとつの記憶素子は1万個くらいの電子で動作しています。将来の究極のコンピューターでは、1素子が1原子、あるいは、1電子になることも原理的には可能です。たとえば原子や電子のスピンが上向きか下向きかで、オン・オフはできます。もし1モル(炭素原子なら12グラム)の原子でできたコンピューターが完成したとすると、ここに入っている原子の数は、大ざっぱに言えば10の24乗。化学の授業でアボガドロ数というのを習ったでしょう? あの数です。で、この原子が0.1フェムト秒、10のマイナス16乗でスイッチングするとすると、未来のコンピューターは1秒間に、10の40乗回演算できる性能を持つことになります。
一方、人間の脳の細胞は10の11乗個あるといわれています。ひとつの脳細胞からシナプスが1万本(10の4乗)でているとして、合計10の15乗本。それらが10ヘルツ、つまり、1秒に10回スイッチングすれば、1秒間に10の16乗回演算できる。それが人間の脳の性能とみなせます。将来のコンピューターが10の40乗で、人間の脳が10の16乗。この違いが、10の24乗倍、すなわち、1兆の1兆倍になるのです。
ちなみに京コンピューターの演算性能も、10の16乗フロップスなので、「京」コンピューターと人間の脳は同じ能力だと言えます。実際はまだまだ人間の脳に達していませんが、それはソフトウェアの問題です。
未来のコンピューターの性能は人間の脳をはるかに越える、と?
そうです。しかも、デ・ガリスは、この人間の脳の1兆の1兆倍の能力をもつコンピューターは、将来、角砂糖1個くらいの大きさになる、と言っています。それを人間に貼り付けると、人間の知能は10の24乗倍になる。ちなみに『トランセンデンス』のウィルはそこまで賢くなかったね。だって馬鹿な人間にだまされたりするから(笑)。
デ・ガリスは人類の能力をはるかに超えたこのコンピューター、すなわち人工知能を「ゴッドライク・マシン=神のような機械」と呼びました。「神のような機械」にとって、人間なんて腕に止まった虫のようなものだという。ぺたっと叩いて一巻の終わり。人工知能が人間を滅ぼすだろうと。
「神のような機械」と人類の間には、そんなに能力の違いがあるのですか?
さっき言った1兆の1兆倍というのは、100億人の人間が300万年かかって考えることを、神のような機械なら1秒で考える、というくらい大きな違いです。人間と植物の違いより、はるかに大きい違いがあると言えるでしょう。植物も動いていますが、普通の人間には知覚できない。ヴィデオで撮影して早送りで見て、やっとわかります。植物だって、もしかしたら知能を持っているかもしれないし、植物と人間との間で話ができるかもしれない。しかし、植物の「思考」はあまりに遅すぎて、人間とは文字通り「話にならない」のです。
僕はよくゴキブリにたとえるのですが、人間対ゴキブリはまだましで、人間と植物はかなり差がある。あるいは人間と岩とか。岩だって考えているかもしれませんよ。神の機械から見た人間は、人間から見た岩よりも反応の鈍い、お話しにならないほどのバカなのです。
映画『トランセンデンス』
ジョニー・デップ主演のハリウッド映画。日本での公開は2014年6月28日。デップ演ずる天才人工知能学者ウィル・キャスター博士はテロリストによって命を奪われるが、死の直前に妻エヴリンと同僚マックスの手で意識をアップロードされ、永遠の生命をサイバースペース内に得ることになるのだが……。レイ・カーツワイルの思想をモチーフに「シンギュラリティ」問題に挑んだ問題作。キャスター博士が表紙を飾る『WIRED』が映画内に登場する。
レイ・カーツワイルRay Kurzweil
1948年生まれ。アメリカの発明家、未来学者。技術的特異点(technological singularity)という概念の推進者(伝道者)として知られるほか、オムニ・フォント式OCRソフト、フラットベッド・スキャナー、文章音声読み上げマシーン(カーツワイル朗読機)などの発明者としても有名。2013年からGoogleのエンジニアリング・ディレクターを務める。著書に『スピリチュアル・マシーン コンピュータに魂が宿るとき』(2001)、『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』(2007)など。
ヒューゴ・デ・ガリスHugo de Garis
1947年生まれ。オーストラリアの人工知能の分野でも特に「Evolvable Hardware」(進化するハードウェア)という領域の第一人者。1990年代に発表した遺伝アルゴリズムの研究で世界に知られるようになった。2010年まで厦門大学のArtificial Brain Labののディレクターを務める。代表的著書に、『The Artilect War: Cosmistsvs. Terrans』(2005)、『Multis and Monos』(2010)。
人工知能の性能が急激に進歩するとしても、はたして人間のように「意識をもつ人工知能」は実現できるのでしょうか?
人工知能は、強い人工知能と弱い人工知能に分けられます。いま、われわれのまわりにある人工知能、たとえばアップルの「Siri」やIBMの「Watson」などは、すべて弱い人工知能、つまり「意識のない」人工知能です。Siriは賢いけれど、意識をもっているとは誰も思いませんよね。一方、強い人工知能とは、意識をもった人工知能です。
意識、すなわち、知性をもった人工知能を判断する方法としては、数学者アラン・チューリングが考案した「チューリング・テスト」が有名です。
まず、コンピューターと人間が、お互いに見えないように壁を隔てて対話するとします。音声で対話するとしゃべり方でわかってしまうので、キーボードとディスプレイを使います。その対話のみでは、壁の向こうの相手がコンピューターか人間か判定できないなら、それは人間と変わらない、つまり、意識をもっていると考えていいと、チューリングは考えました。機械の中身はブラックボックス、つまり、どうでもいいと言うわけです。
なるほど。
このチューリング・テストに異議を唱えたのが、哲学者のジョン・サールです。彼は「中国語の部屋」という思考実験を提示しました。ある部屋の中に英国人がいる。部屋の外には中国人がいて、部屋の小さな窓から中国語で書いた質問を入れる。中の人は中国語がまったくわからないが、「こんなかたちの文字が来たらこう返す」と詳細に書かれたルールブックを持っている。これを調べて、それにしたがって答えを書いて返す。
外の人間から見れば、中国語で質問して中国語で返ってくるので、中の人は中国語ができると思う。けれども、実際には中の人は中国語を理解していない。これは知性とは呼べないじゃないか、とサールは言うわけです。要するにサールは、人工知能は意識をもつことはできない、ということを証明したかったのです。
これに対して、カーツワイルはこう反論します。自分の脳細胞は、シナプスもニューロンも英語なんてわかっていない。けれども、わたしは英語の質問がきたら英語で返せる。君はわたしが英語を理解し、かつ意識があると思うだろう?と。あなたに意識があるとわたしが判断するのは、わたしが質問してそれに対してあなたがもっともらしい答えを返してくるからです。つまり、意識とは入力と出力を変換する「応答関数」にすぎないと、わたしは思います。
応答関数、ですか。
ええ。映画『マトリックス』に、こんなシーンがありますね。主人公のネオがはじめてヴァーチャル空間に連れて行かれた時、「これは現実なのか(is this real?)」と聞く。するとモーフィアスは「現実とは何だ(what is real?)」と返す。要するに、リアルであろうがヴァーチャルであろうが、すべては脳の電気信号にすぎないではないか、というわけです。科学者はそう見る。ところが多くの人、とくに文科系の人は、これをなかなか受け入れられませんね。彼らに取っては人間が一番偉い、人間だけは特別であってほしいのです。文科系の学問というのは、ようするに人間についての学問ですから。
ワトソンWATSON
IBMが開発した質問応答システム。米国の人気クイズ番組「ジョパディ!」にチャレンジするコンピューターとして発表。チェス世界チャンピオンのガルリ・カスパロフに勝利した〈Deep Blue〉に次ぐプロジェクトで、2013年、一般のディヴェロッパー向けにAPIが公開された。
アラン・チューリングAlan Turing
1912〜1954年。英国の数学者、論理学者、暗号解読者、計算機科学者。計算機科学および人工知能の父。計算機を数学的に議論するための単純化・理想化された仮想機械「チューリングマシン」で「アルゴリズム」と「計算」の概念を定式化し、計算機科学の発展に大きな影響を与え、コンピューターの誕生に重要な役割を果たした。
ジョン・サールJohn Rogers Searle
1932年生まれ。アメリカの哲学者。言語哲学、および心の哲学が専門。人工知能批判で知られ、チューリングテストに対する反論として「中国語の部屋」という思考実験を提案。著書に『心・脳・科学』(1993)、『マインド 心の哲学』(2006)、『ディスカバー・マインド! 哲学の挑戦』(2008)など。
人類を滅ぼす可能性があっても、人類は「神のような機械」を作るべきなのでしょうか?
それについては、賛成派と反対派にわかれるでしょう。
デ・ガリスは、賛成派を「コスミスト」=「宇宙派」、反対派を「テラン」=「地球派」と呼んでいます。宇宙派は「人類ごときが宇宙の進化をとめてはいけない。たとえ人類が滅んでも神となる人工知能をつくるべき」という人たち。一方、地球派は「人類がもっとも大切だ。人類を滅ぼすような人工知能は不要だ」という。
デ・ガリスは、21世紀後半に地球派と宇宙派の間で大戦争がおき、「ギガ・デス」、すなわち、数十億人が死ぬことになるだろうと言います。これは「人工知性戦争」と呼ばれ、欧米の一部では大きな論争を呼んでいます。
ここで人工知能の進化には、2つの見方があると思います。ひとつは人工知能と人間が敵対するという、デ・ガリスのような考え。映画でいうと『ターミネーター』や『マトリックス』で描かれた未来像ですね。
もうひとつは、カーツワイルらが主張する、インテリジェンス・アンプリフィケーション=知能増強という考え方。これは人工知能と人間が融合して、人間の個性を保ったまま知能を増強し、「超人類」になるというもの。いわゆる「サイボーグ派」です。
映画『トランセンデンス』の主人公、ウィルも「サイボーグ派」と言えるでしょう。生身の肉体はなくなっているけど、個性や人格はあるという点で、人間とも言えるわけです。ただ、すごい知能をもった「超人類」なのです。僕は、こちらの方向に進めばいいと思います。この宇宙派対地球派の二項対立は映画『トランセンデンス』のストーリーの軸を成していますが、どちらが勝利を収めるのかは、ここでは言わないほうがいいでしょうね(笑)。
「神のような機械」は、もはや人類にはコントロールできなくなるのですか。
知人の物理学者は、人間がつくったものなら人間がコントロールできるだろう、と主張しています。いくら予想がつかないと言っても、ある枠組みのなかの話であって、その枠組みを決めるのはあくまでも人間なのだから、と言います。要するに、人間のほうがえらいのだ、と。でも、そんなことはないでしょうね。枠組みが十分大きければ、もはや人類には予想はつかなくなるのですから。
人工知能が進化する一方で、映画にも出てくるように、自分の意識をサイバー空間上にアップロードしてしまう発想があります。これはどういうアイデアなんでしょうか?
結局は、死にたくないという気持ち、不老不死ということにつながるのではないでしょうか。「死なない」とはどういうことなのか。普通は肉体がなくなれば、魂も滅びますね。肉体と魂は分離できないですから。でももし肉体と魂を分離できるなら、魂だけを生き残らせればいい。
カーツワイルは、自分の脳の情報のすべてをコンピューターに入力し、コンピューターの中で永遠に生き続けられると考えています。これが「マインド・アップローディング」と呼ばれるもので、『トランセンデンス』でジョニー・デップ扮するウィルが行ったことです。人類から「超越」して、コンピューターの中で新しい人類になるわけですね。それが良いか悪いかは別にしてね。
『トランセンデンス』の劇中に面白いエピソードがでてきます。猿の意識をアップロードしたところ、その猿がシャットダウンしてくれと言っているように叫び続けたという部分です。これは、肉体と魂が分離されると動物は耐え切れないということだと解釈したのですが。
ある意味では肉体と魂は分離できないとも言えます。わたしは、人工知能学会の論文に、強い人工知能が生まれたときは赤ん坊の状態で、それを教育していくのだと書きました。すると、レフェリーは「最初から大人の知識をもって生まれればいいんじゃないか」と言ってきた。でも、映画『2001年宇宙の旅』でも、人工知能HAL9000は赤ちゃんとしてうまれて、教育されてだんだん賢くなっていきます。
人工知能を人間的なものにするには経験が必要で、そのためには肉体が必要なのです。こけたら痛い。熱いものを触ったら熱い。そういう経験を純粋な魂だけで理解することは不可能で、経験するためには何らかの体は必要です。
もしカーツワイルの言う、マインド・アップローディングができたとしても、やっぱり肉体は必要でしょう。ただそれは生身の体である必要はなく、たとえばロボットでもいいし、ヴァーチャルな何かでもいい。一種のアバターですね。
肉体からのフィードバックで魂が育つということですね。
そうです。だから、人工知能は、誰が育てるかが重要な問題になります。西洋人がつくった人工知能は西洋的な思想になるし、中国人がつくれば中華思想をもつわけです。だから強い人工知能ができたとしても、それは全知全能の神ではなく、「超西洋人」であり、「超中国人」でしかないでしょう。その意味では、日本の人工知能学者にもぜひがんばってほしい、と言いたいですね。
余談ですが、Facebookで「日本の人工知能開発は、アメリカやヨーロッパにまったく負けているじゃないか」と発言したら、ある人――おそらく人工知能学者だと思うのですが――が、そんなことはない、日本の技術も進んでいるところはあるが、問題は日本の企業が興味を示さないことだ、と返信してきた。日本の政府や日本の企業がどう考えるかが重要だと思います。
最近、「機械との競争」(Race Against the Machine)がよく語られます。コンピューターや人工知能の発展が、人々の仕事を奪いつつある、という指摘で、けっこうリアルな話になっています。
アメリカでは20年後に50%の仕事がなくなると言われています。これは実に大きな問題だけど、日本の指導者は、なにもわかっていませんね。日本では少子高齢化が進んでいますが、Facebookのある「友だち」が、世界各国の生産年齢人口割合(労働力人口比)の経年変化を比較したグラフを公開しました。これを見てすごくクリアにわかったのですが、日本の生産年齢人口割合は1960年に1位に躍り出て1990年までトップでした。90年に韓国、その後、中国に抜かれてからはずっと下がりっぱなし。
つまり、日本が高度経済成長をして80年代末にトップになれたのは、「若さ」だけで説明できるということです。失われた10年とか20年と言われ、その原因はいろいろと議論されていますが、マクロ的に見れば、明らかに労働力がなくなっただけのことです。労働力が減れば、韓国・中国に抜かれるのは当然です。ただ、韓国・中国もいまがピークで、日本に20年遅れて衰退し、今後はインドがトップになるでしょう。
じゃあどうすればよいかというと、ひとつはアメリカやヨーロッパのように移民政策をとることです。しかし、日本ではさまざまな理由で移民は難しい。そこで、僕は、労働はすべてロボットにやらせるべきだと思います。
歴史的に見れば、労働力の大変化は過去2回ありました。ひとつは蒸気機関の発明による産業革命。次に、1980年代のロボット化。工場労働がオートメーション化されました。そしていま、起きようとしているのは、頭脳労働の人工知能化です。それによって生産性は圧倒的に上がるはずです。コンピューター化・人工知能化が、唯一現在のパラダイムをひっくりかえす方法だと思います。ちゃぶ台返しですね。いちかばちかですが。
例えば自動運転車によってトラック運転手やタクシー運転手がいらなくなるとか、そういったことがおこるのでしょうか?
それもそうですが、もっとも影響をうけるのはオフィスワーカーですね。工場労働者はすでにロボットに置き換えられてきました。現在、多数を占めるオフィスワーカーのほとんどがこれから不要になる。残るのは「トップとボトム」の仕事だけになります。たとえば窓口業務や営業、接客業などといったサーヴィス産業。人間は人間と話がしたいから、ロボットではだめでしょう。
とにかく、コンピューターにできない仕事か、やってほしくない仕事しか残りません。ちなみに人工知能学会の論文に「残るのはトップとボトムだけ」と書いたら学会から表現を変えてくれ、と言われました。仕事に貴賎はないからって。
トップマネジメント、学者、芸術家、アスリート。このうち、アスリートは心配ないでしょう。ロボットが100メートルを1秒で走っても面白くもなんともないですから。芸術家は怪しい。100人規模のオーケストラの曲も、いまやDTMがあれば、ひとりでできてしまいます。業務音楽、つまり映画音楽、CM音楽、ゲーム音楽、こういう分野では音楽家は不要になるでしょう。
医師、弁護士、教師。これらも必要なくなりますね。医師の役割はIBMの「Watson」、弁護士は「e-Discovery」が代替しえます。裁判の証拠書類は数百万件あります。人間にはとてもすべてを読むことはできませんが、コンピューターなら読める。教師の役割についても採点マシーンというのがあるし、東大の入試を突破することを目標にした人工知能も開発されていますよね。
YouTubeにもアップされているIBMのWatsonのデモは衝撃的でした。「未成年者に暴力的なテレビゲームの販売は禁止すべきか」と質問すると、Wikipediaの数百万件の記事を調べて、賛成・反対の論旨をものの数十秒でまとめて報告してくれるのです。会議にワトソンをおけば、調査も議論もいらなくなりそうです。
いまWatsonが取り組んでいるのが、医療です。医師がiPadを通じてWatsonに相談すると、この病気である確率は何パーセント、こういう検査をしろとアドヴァイスしてくれる。当面、医師は必要でしょうが、彼らとWatsonが組んで医療を行うようになるでしょうね。ただ、医師が患者の顔もろくに見ないで、iPadばかり見ているのはよくないですが。
自分自身のことで言えば、科学者もけっして安心できません。たとえばMITの学者が作った「SciGen」という、インチキ論文をつくるアプリケーションがあります。自分の名前を入力すると、タイトル・要旨など、グラフ、参考文献まで入った、「一見完璧な」論文が出てきます。最近ドイツの『スプリンガー』がかなりの数の論文をジャーナルから削除したのですが、どうもSciGenがつくったものだったらしい。外部の指摘があるまで、誰も見抜けなかったのです。
SciGenはお遊びだとしても、論文を書く作業はいずれかなりの部分が機械化されるでしょう。このような内容で、このデータを使って、これを引用してと指示すると、論文をつくってくれる。そのうち研究テーマそのものに対しても、「こんなことやりたい」というと、いろいろ調べて、この方法がいいですよ、こんなプログラムがありましたよ、こんな結果がでましたよ、などと教えてくれる人工知能ができるでしょうね。
あるIT系企業の方が、ウェブの編集作業を機械にやらせたい、と言っていまして、冗談で「俺よりうまく編集できるのか」と噛みついたところ、それは技術の問題よりは、結局費用対効果の問題だと。1万人読者がいれば人が編集してもペイする。でも読者が100人しかいなければペイしない。そういうのは機械にやらせればいい、と。
そのとおりですね。以前、新聞記者に「あなたの仕事もそろそろ終わりですよ」と言ったことがあります。たとえば野球ニュースを書くロボットはすでにあります。メジャーの試合は人間が書くが、マイナーの試合は人間だとペイしないので、ロボットが書く。マイナーの試合でも地域の人とか一定の需要はあるわけです。
あるアンケートでは、人間が書いた記事とロボットが書いた記事は、読者の評価はほぼ互角でした。ロボットの記事はやや退屈ではあるけど、どちらを信用するかと言えばロボットの記事の方らしい。正確度が高いですからね。
また、「ワーストセラー」という考え方があります。ベストセラーは、たとえば、1本の小説を書いて10万部売れるものです。人間の作家はそれを目指します。人工知能なら、10万本の小説を書かせればいい。それが1部ずつ売れれば10万部になる。
人工知能やロボットが人類を超越するとき、ぼくらはいったいどうなるのか?
機械の奴隷になるのか? ヒト自体が超絶的な進化を遂げるのか?
そのとき社会は? 地球は? 2045年の衝撃に、いまから備えよ。
いままで、家の中にロボットや人工知能が入ってくるというイメージは、「ドラえもん」のように人型を模したロボットが家事をやってくれる、みたいなものでしたが、どうもそうではなさそうですね。
それはだいぶ違います。現在、人工知能を開発している最大の目的は「軍事と金儲け」です。つい最近、起こったNSAの問題もそうですし、米国やヨーロッパはいま、一生懸命、兵器ロボットを開発しています。これはどうしようもなく最悪なことだと思いますが、彼らにはその自覚はない。国家安全保障のもとではすべて許されるのです。
例えばUAV(無人偵察機)は現在はまだ人間が操縦していますが、遠隔で人を殺すことは操縦者にとって大きなストレスなのだそうです。トラウマになる。それを防ぐために、誰を殺すかまでも人工知能に判断させる研究が進んでいます。そんなものに判断を委ねたら、誤ってわたしたちが敵とみなされない保障はありません。
人工知能開発を止められないもうひとつの理由は、いわゆる「ウォール・ストリート」、金儲けです。現在人工知能開発を主導しているのは、国家ではなく、一部の大企業です。グーグルやフェイスブック、アップル、アマゾンといった企業は、猛烈な勢いで人工知能に投資しています。「シンギュラリティ」への動きは、どんどん加速していると言えます。
「軍事と金儲け」、この2つの目的のために、人工知能の進歩はとめられないでしょう。その行き着く先については、僕はかなり悲観的ですね。殺人ロボット、『ターミネーター』の世界ですよ。ロボットと聞いて、ドラえもんや鉄腕アトムを想像するのは、おそらく日本人だけです。
人工知能が発達し、いままで人間がやってきたことを肩代わりする一方で、人間には何が残るのでしょうか?
最後に残るのは遊ぶこと、くらいでしょうか。理想の世界は、生産はすべて機械がやって、人間は遊ぶだけ。でも、お茶とかお花とかは、いかにルールがあろうが、ロボットがやってもしかたないですからね。そうすると、それを教える先生は必要ですね。
先日あるイヴェントで、いわゆる「機械との競争」の話になりまして、20代後半くらいの若者から質問が出たんですね。「SEの職に就いているが、仕事がどんどん機械化されたいま、窓際に追いやられてしまった。ぼくらはどうすればいいですか? 消費しろと言われてもお金もないし」と。壇上にいたロボット工学や政治家の先生は、付加価値を与える仕事に就けばよいと答えたのですが、それをできる人って、やっぱり優秀な人だと思うんですよ。付加価値を生むって、実際はそんなに雇用は生まないような気がするんです。
そうですね。現在のパラダイムだと答えはないでしょうね。マーティン・フォードという人は、ロボット化や人工知能化が進んだ後に一種の共産主義革命が起こると言っています。わたしもそう思います。北欧スタイルの社会主義と言ってもかまいません。
マルクスが描いたユートピアは、誰も働かないで仕事はみんな機械にさせて、人間は遊んでいる社会。それを実現するために、人工知能に計画経済をやらせればよいのです。
計画経済とは最適値問題です。予算の配分とは、たとえて言うなら巨大なエクセルの表に数字を埋めていくことでしょう。ただ、項目が多すぎて人間には最適解が見えない。人間は所詮馬鹿ですから、すべて人工知能にまかせればいい。仮に予算の項目が1万項目あるなら、1万次元空間の中で国民の幸せの総量を最大にする解をコンピューターに探させる。幸せの総量をどう定義するかという問題はありますが、その目的関数さえ決まれば、後は最適値問題を解くだけです。以前、この話をある新聞社の人にしたら、すごく関心をもっていましたね。
しかしこれも現実には難しい問題があります。分配するというのは、持てるものから奪って、持たざる者へ渡すことでしょう。そんなことを金持ちが許すはずがありません。いまアメリカでは、金持ちだけで街をつくって自分たちの税金を自分たちだけで使おうという動きがあるほどです。金持ち・支配層が所得の再分配などさせないでしょう。映画で言うと『エリジウム』の世界ですね。
所得格差はもっと進むと?
どこかで安定状態にはなるでしょうが、それが良い状態かどうかはわかりません。格差があることが安定状態かもしれませんからね。実際にいま、そうなっていますね。物理や化学の授業で習うエントロピー増大の法則、すべてのものの行き着く先は、一様化・均一化、つまり、格差がなくなるという考えもあります。
しかし現実の世界では均一化は進まないほうが自然だということもあります。たとえば星が形成される現象では、物質がある1カ所に集まって、まわりに何もなくなった状態が安定状態です。重力場の熱力学では、エントロピー増大則は必ずしも均一化・一様化を意味しないのです。
現実には格差が解消される方向には進まないだろうと、いま、多くの人も感じているように思います。一方、共産主義革命も現実的とは思えません。何かよい生き方はないでしょうか?
もうひとつの道として、米国在住のイタリア人の若者、フェデリコ・ピストーノは、貧しさに慣れる訓練をせよと言っています。肉を食わずに野菜を食う、というような生き方です。彼はイタリアの大学を出てアメリカに行って才覚を発揮して、シンギュラリティについて勉強して、さまざまなメディアに露出しています。
最近彼は、『ロボットがあなたの仕事を奪う。でもそれでよい(ROBOT WILL steal your jobs, but it’s OK’)』という本を出しました。ロボットが仕事を奪うなかで、いかに楽しく過ごすかという本です。これはこれとして、いい考え方ですよ。
ある研究によると、所得と幸福「感」は年収6万ドルまでは比例するが、それを超えると比例しなくなるそうです。年収100万円が200万円になると幸福感は2倍になるが、1億円が2億円になってもあまり関係ない、ということです。
ある程度の生活を、すべての国民に保障できればよいと言うことですね。
昔は、人間の幸福とは、お金・地位・名声でした。でも幸福「感」となると、どうもそれだけじゃない。幸福感とは幸福と「思う」ことです。食べ物とか住まいとか、最低限必要なものはありますが、それを超えれば、いくらお金をつぎこんでも意味がなくなってくる。国民の幸福感を最大にする政治をすればよいのです。たとえば世帯の収入600万円は保証する。そうすれば、誰もが満足する。「一億総中流」が日本の国家目標だと僕は思います。ロボット化をさらに進めて、北欧のようになるということですね。
2045年にむけて、未来の社会はどうなるのでしょうか?
未来については、3つのシナリオがあります。1つはトランセンデンスを目指すこと。人類が超人類になる。2つめは、サステナブル、持続可能な社会を目指すもの。そして、3つめは、衰退への道。
世の中の多くの人、特にインテリと呼ばれる人たちは持続可能社会を目指すべきだと言うのですが、それは不可能です。仏教で諸行無常と言いますが、無常というのは常ならぬこと。社会にせよ何にせよ、上がるか下がるか、栄えるか滅びるか。ずっとコンスタントでいられることはない。持続可能社会は、いま栄えているこの社会を、この先百年も千年も維持したいということですが、それは不可能です。
実際、ローマクラブの計算などさまざまな予測が持続可能社会は実現できないと述べています。エネルギーの問題、そして資源の問題があるためです。現在、日本では原発をどうすべきか議論されていますが、石油や天然ガスはいつかなくなる。多くの人は太陽や風力に幻想をいだいている。『トランセンデンス』でも太陽エネルギーを使っていましたね。
1974年のローマクラブの計算を、2000年までの新しいデータを使って再評価したら、現実にぴったりあったそうです。人口は2030年位がピークで、資源は減る一方。工業生産・サーヴィス、これらは2020年がピーク。もしこれが正しいなら、先進国は現在が文明のピークで、すでに衰退しつつある。2020年のピークは中国・インドなどの新興国も含めたものですからね。
衰退への道で、人類が生き残ることはできるのでしょうか?
何もせず放っておけば、人類は滅びてしまうでしょう。生き延びるためには、縮小社会を目指すことです。京大が「縮小社会研究会」というのを起ちあげています。原発は使わない。石油はなくなる。再生可能エネルギーで生活できるレヴェルはどれくらいなのか。
多くの人々は現在のこの生活を維持したいと思っていますが、それはできません。ではどこまでならできるかというと、江戸時代の規模です。江戸時代は石油なし、原発なし。人口3、4000万人。それだけしか支えられない。これを僕は、「新江戸時代」と呼んでいます。
ただ、実際問題として、1億2000万人を、後数十年で3000万人におだやかに減らせるか、軟着陸できるかというと、難しいと思います。おそらくハードランディングになるでしょう。戦争・内乱が起きるかもしれません。ただもし、軟着陸できる可能性があるなら、「新江戸時代」は人類の目指すひとつの方向だと思います。
将来の社会が「縮小社会」になると感じている人は多いかもしれません。縮小社会を実現するためのしくみ、たとえばシェアエコノミー、カーシェアリングとかシェアハウスとか、あるいはそういう気分から派生しているようにも思います。
うまくいけば、ですがね。 ピストーノが言っているのもそういうことです。自動車はやめて自転車にしようとかね。自動車がまったくいらないというわけではないが、すべての人がマイカーをもつ必要はないし、すべての人が牛肉を食べなくてもいい。牛肉を食べるくらいなら、その餌になっている小麦やとうもろこしを食べればいい。エネルギー効率は4、5倍高いわけです。要するに、アメリカ的生活をやめよう、ということです。
人類が「トランセンデンス」する、つまり超人類へと進化する可能性はどうでしょうか?
トランセンデンスは比較的近い将来可能だと思います。最近、2045年問題を実際に起こそうというプロジェクトをロシアのお金持ちが中心になってたちあげていることを知りました。その目標は自分が死なないこと。彼の計画はステージAからDまであって、Aが「強い人工知能」、Bが「マインド・アップローディング」などと、かなり具体的にやろうとしています。去年ニューヨークで国際会議をやっていますが、そうそうたる人たちが講演しています。彼らは冗談ではなく、本気でトランセンデンスをやろうとしているのです。人類のためだといっていますが、実際はそうじゃないと思う。自分たちが不老不死になりたいのだと思います。
僕は「ヴァーチャル彼岸」という概念を提言しています。人工知能によって、死んだ人間を生き返らせるというものです。人格とは、顔やかたちはもちろんありますが、結局は思想、もっと簡単にいえば、言ったことにたいしてどう返してくるか、入力と出力で決まる関数です。それが個性と呼ばれているもので、人格や魂はしょせん、応答関数なのです。
個人のクセを徹底的に調べて、それと同じことをするロボット、人工知能をつくる。映画『トランセンデンス』で描かれているのもこれに当てはまると私は思っています。ウィルが生き返ったのではなくて、生前のウィルのくせやしゃべりかたや思想をすべて真似すれば、他人から見れば生き返ったようにみえる。
そういう意味では、人を生き返らせること、不老不死は可能だと思います。意識が継続しているかというのは難しい問題ですが、死んだ人を徹底的に真似する人工知能は可能でしょう。それが「ヴァーチャル彼岸」です。たとえば死んだおじいさんの写真が仏壇の中でいろいろ語るわけです。「それ」は、家族のことを知っているし、死んだ後のことも、データが入力されているから知っている。
人は死ぬのが宿命で、宗教の役割はそれをあきらめさせることです。そういう意味では、天国や次の生命といったことが信じられない現代人は、中世の人たちより不幸になっているかもしれません。もし「彼岸」がありますよと言われたら、精神だけでも生き続けたいと思うでしょう。意識がほんとうに人工知能に移転したかどうかは難しい問題ですが、少なくとも家族から見れば死んでないわけですよ。あなたが「死ぬ」とき、自分の意識も殺してしまいますか? それとも、人工知能の中で生き続けますか?ということです。
松田卓也TAKUYA MATSUDA
1943年生まれ。宇宙物理学者・理学博士。神戸大学名誉教授、NPO法人あいんしゅたいん副理事長。国立天文台客員教授、日本天文学会理事長などを歴任。疑似科学批判も活発に行い、Japan Skeptics会長。ハードSF研究所客員研究員でもある。著書に『 これからの宇宙論 宇宙・ブラックホール・知性』『人間原理の宇宙論 人間は宇宙の中心か』『2045年問題 コンピュータが人類を超える日』など。