金曜日, 12月 25, 2015

キリスト教とイスラム教、建設的共生のシナリオ

http://www.afpbb.com/articles/-/3005681?ref=jbpress

キリスト教とイスラム教の劇的な和解を演出する

実力ある日本が21世紀に果たすべきミッション

 

前回、「イスラム教徒はクリスマスを祝うか?」と尋ねたわけですが、現在のシリア・アサド政権の支持基盤は少数派のアラウィー派と呼ばれる勢力で、彼らはクリスマスを祝うムスリムです。


厳密なイスラム教徒はこのアラウィー派を認めず「亜イスラム」視する人も少なくありません。

ISIL(イラク・レバントのイスラム国)が正統派ムスリム・スンニー由来の原理主義であるのに対して、アサド政権はクリスマスを祝う「名目シーア派」の実質は亜イスラムです。
また、レバノンはマロン派キリスト教徒+ドゥルーズ派=これまた相当外れたイスラム少数派であり、一方、空爆している有志連合はカトリックであれプロテスタントであれクリスチャンです・・・。

「クリスマスを祝うか?」という問い1つで、実は現下の最も危険な国際情勢を見分けるリトマス試験紙にもなる、こうした柔軟さはリベラルアーツの力が支えるもので、年が明けましたらそれらの話題に踏み込んでいく予定です。

 

クリスマスの語源

さて、皆さんは「クリスマス」の語源、ご存知ですか?

唐突な質問で怪訝に思われるかもしれません。英語で書くとクリスマス「Christmas」。

これを分解すると

Christmas=Christ+mas(s)

つまり「キリストのミサ」ということになります。「キリスト」とは救世主の意、ミサは聖餐式、つまりイエス・キリストが十字架に架けられる前の晩、使徒たちと共にした「最後の晩餐」に倣って行われる聖なる食事の儀式。

「降誕した救世主に連なるべく聖なる食事を共にする祝いの祭り」というのがキリスト教から見た「クリスマス」と言って(キリスト教も各派様々ですが)大きく外れないと思います。

「聖なる食卓に皆で集まってお祝いしよう、一緒にご飯を食べよう」

何ともいい話です。また、そこに招かれない人、あるいは招かれることを拒否する人々がいれば、共同体の中で微妙な関係、もっと言えば反感や対立の元にもなることでしょう。

「キリスト=救世主としてのイエスの誕生を祝福するか?」と問われたとき、すべてのクリスチャンはもとよりイスラム教徒ですら「ノー」とは言わない、と前回記しました。

しかし、「ノー」と言う人たちがいるのです。欧州世界に確かに根を張ったそのマイノリティはユダヤ教徒の人々にほかなりません。

ユダヤ人から見れば、イエスは「キリスト」=救世主ではなく、伝統的な戒律を曲げる存在にほかならなかった。そして彼らはローマの代官ポンテ・オ・ピラトに訴え出て、イエスを磔刑に処してしまった・・・。

そんなユダヤ人と金融資本を「クリスマス」の観点から考えて見たいと思います。

 

「共同体」内で禁じられた金融

ウィリアム・シェイクスピアが「ヴェニスの商人」で描くところの因業なユダヤ人金貸し「シャイロック」。皆から嫌われる冷酷無比な借金取りは、賢明な美女ポーシャの機知でやり込められてしまいます。

シェイクスピアはシャイロックを、心も汚ければ見かけも醜いキャラクターとして描いています。これはまあ、戯曲だからそのように描いたというだけで、あえて言うなら作家の責任において、そのように描いているわけです。

ではどうしてそんな、嫌われ者の金貸しは「ユダヤ人」でなければならなかったのか?

実はこれには、シェイクスピアの責任を超えた背景が広がっています。ある共同体の中で「少数異教徒」が果たしてきた役割を、歴史の変化と併せて考えてみましょう。

私たち20~21世紀の日本人は宗教と言うと、葬式仏教とかお正月の初詣とか、生活の限られた局面だけで顔を出すものとして考えやすい。
病気で臥せっているとき、お坊さんが尋ねてきたら「縁起でもない!」と怒る人がいるかもしれません。

でも逆に、ほんの数十年前まで、欧州で臨終を覚悟した人は「神父さんを呼んでくれ」と終油の秘蹟を請うのがごく普通のことでした。逆に子供が生まれれば、クリスチャンネームをつけてもらいに教会に行く。日本にも赤ん坊が生まれるとお宮参りなどする習慣がある。

しかし、宗教は単にこうした「生誕」「終焉」あるいは「冠婚」といったことだけに関わるのではない、もっと生活の全局面に及ぶ「共同体を束ねる基本」として、長らく機能し続けてきました。

日本で考えれば仏教と言うより農村共同体の「鎮守の神様」の役割に近いかもしれません。種まき、苗代作り、田植え、草取り、夏祭り、稲刈り、秋祭り、農閑期の作業・・・。

こうしたものを束ね、共同体を共同体たらしめてきた神棚の神様のあり方に、とりわけ中世ヨーロッパ農村共同体でのキリスト教は近い面を持っていたように思うのです。

何しろ低成長の時代です。ゼロサムと言っていいかもしれない。農村構成員の年間生産額はあきらかに上限があります。そんな社会の中で、仮にお金その他の貸し借りがあっても、利息など取るだけの右肩上がりの成長は全く期待できない。

ここから、共同体内での金融が禁止される背景が理解できるでしょう。村の中で誰かが誰かにお金を貸し、時間に比例する利息を計上し続けたとしても、元本合わせて回収できるだけの経済成長はないのだから、仮にそんなことをしても借り手が破綻するだけになってしまう。

でも実際には遅々たる進みの中でも経済は成長し、金貸しも発生、中世近世の日本でも当然利息が回収できない「室町バブル」「大江戸バブル」みたいなものが弾け、「徳政令」、つまり借金棒引きの命令を政府が強制的に出すという、早い話金融破綻は昔からあったわけです。

低成長の中世世界で「宗教共同体内での利息をつけた金銭の貸し借りはご法度」とされた背景は、生産力の限界・・・極めてマルクス経済学臭の強いシナリオですが、ここではそのように考えて先に進むことにいたしましょう。

共同体内では金の貸し借りはできない・・・若干の融通はものいりのときなど、し合ったに違いありませんが、大規模な融資などができるだけの資産経済の足場は、十分発達していなかった。

しかし時代が変化し始めると、大きくお金が入用という局面が出てきます。例えば船団を組んで遠方と貿易をしよう、というとき、船出には多額の準備金が必要になります。

ヴェニスでもロンドンでもいい、欧州の商都から東インドに船を送る際(シェイクスピア同様)の金融を、ときの政府の観点で考えてみます(岩井克人さんの名著「ヴェニスの商人の資本論」にはティーンの頃大きくかぶれましたが、ここではちょっと違う論旨を考えてみましょう)。

船主には適切な冒険貿易、アドベンチャー・ベンチャーとでも言いましょうか、に船出してほしいけれど、遠洋航海にはリスクはつき物である・・・。
でも、船が無事に戻ってくれば、最初のかけ金よりはよほど多くの富がもたらされるので、無利息低額の融通ではなく、適正な金利でより大規模の融資を募りたい・・・。
こういうとき、半年なり1年なりの期限で、一定の金利で原資の貸付を、どのようなアクターに担わせたらいいのでしょうか?

 

キリスト教社会での対応と金融資本の揺籃

キリスト教的には、同朋間の金銭の貸し借りは禁じられています。そこで登場するのが「異教徒」ということになる。マイノリティの異教徒・・・。
この場合は「ユダヤ人」に金貸しをさせればよいのです。

逆にユダヤ人には、他の正業につくことを禁じ、生活を維持するうえで、入ってきたお金が出ていくようにし、ユダヤ人ばかりが儲かるという形は避けさせておこうと。実は金融の規模が大きくなると、そうはならず、原初的な蓄積が進むわけですが・・・。

また、分割統治が重要である。不労所得で利息が転がり込んでくるユダヤ人が社会的に力を持たないよう、徹底して嫌われる存在にしておく必要がある。逆に、元来「キリスト殺し」で嫌われていたユダヤ人を金貸し役にした、という面もあるのかもしれませんが・・・。

やや挿話的に簡略化するなら、こんな具合で「ユダヤ銀行」ないし「ユダヤ金融資本」が作り出される土台が準備されたわけです。

また17世紀以降、こうした金融に加えて互助会的な出資のシステムが工夫されました。「お金を貸す」のではなく、事業に向けてリスクを分散して投資し、収益が上がったら「利息」ではなく「配当」を受け取る・・・。

ストックのエクイティつまり「株仲間」の制度、株式会社や証券ベースの金融システムも、シェイクスピアが活躍した頃のロンドン、シティあたりから成長していくわけです。

株式会社の成立、証券金融の成長・・・こうしたプロセスにはロンドンのアングロ・サクソンのみならず各地のユダヤ人銀行家たちも初期から多く貢献しました。

結果的に19世紀末から20世紀初頭の第1次世界大戦期、戦時金融で多額の利潤も発生、黄金の1920年代が大恐慌で弾けた後、ナチス党による「ユダヤ人の不法な戦時利益没収」キャンペーンがホロコーストにつながってしまう、不幸な歴史を生み出しもした。

しかし「金融」を媒介として共同体内に異民族マイノリティ、定住異教徒社会のユニット活用が、封建時代の低成長経済にあって、「共生の1つの知恵」であったのは間違いありません。

イスラム世界での対応:循環型社会での人頭税による共生

翻って、イスラム世界ではどのような異民族の共生が図られていたのでしょう?

典型的なのは「ジズヤ」と呼ばれる人頭税でしょう。成熟期のイスラム帝国は版図内の異教徒(「ズィンミー」身分と呼ばれました)に対して寛容でした。
初期イスラム教団の戦闘集団的な性格とは対照的です。

イスラムでない宗教を信仰しても構わない、しかし、その自由を認める代わりに税金を払いなさい・・・。

ある意味、現金な解決策でありますが、信仰の自由をお金で買うことで、少数異教徒はイスラム帝国内に居場所を見つけ、元来の生活習俗を守ることができたし、イスラム帝国も少数他者をしっかりマークしながら、税収を得て国庫を潤すことができた。

これによって莫大な版図の中に多様な民族を共生・共存させながら、イスラム帝国は安定した繁栄を築くことができた・・・。

これは、逆に言えば「安定」であると同時に「停滞」でもあって、非対称な金融のダイナミクス、原初的な資本の蓄積などを生み出すことはなかったわけです。


今にして思えば20世紀初頭、大英帝国外交は国家百年の計を見越して大変周到でした。パレスチナに動乱をもたらし続けた英国の中東三重外交(バルフォア宣言/サイクス=ピコ協定/フサイン=マクマホン協定)などについては紙幅を改めましょう。こうした知略に至るには、19世紀百年の試行錯誤があったのも事実でしょう。

ここではもっと即物的に、西欧社会で金融資本の成長を促したユダヤ人という「少数他者」が、彼らの故地でもあり、ゆくゆくは基幹動力源供給で重要な意味を持つ中東中央部に入植するとともに、寛大なイスラム帝国が「安定共存」させていた諸民族を分割し、差異=経済成長の契機を導入した側面にもっぱら注目しましょう。

こう考えると、古来のイスラム大帝国とIS(イスラム国)の本質的な差異、対照的な性格が浮かび上がってくると思うのです。

 

寛容なイスラムと不寛容なテロリズム

かつて、地中海を内海として東は東欧圏~イラク~アラビア半島からアフリカ北岸を横断し、イベリア半島まで広大な領域を支配したイスラム。

彼らの帝国が停滞しつつも安定していた背景には、社会システムの中に他者共存の静的システム、つまり税の徴収を持っていたことが重要と思います。

また、こうした観点からは「イスラム金融」が持つ様々な性格が如実に浮かび上がりますが、明らかに本稿の範囲を超えますから、別論としたいと思います。

本当は、こんなふうに短絡できない細部がもろもろあります。
ここでモデル的にお話しているのは東大寺長老をお務めの森本公誠先生・・・日本を代表する仏教の高僧であると同時に、京都大学で長年イスラム税制史を講じて来られた碩学でもいらっしゃいます・・・から伺ったアウトラインを私なりに租借して記しているものでありますが、すべての文責は私にあります。

しかし歴史は皮肉なものです。
シェイクスピアの描くユダヤ人とは違った意味で、イスラムは国際社会経済に「非対称」なダイナミズムを、「イスラム金融」など以前に、結果的に持ち込むことになった・・・。
何かと言えば、ほかでもない、オイルです。
産油国はオイルを生産し、キャッシュは中東に流れ込む。石油は地から沸くもので、いわば造物主の賜物、それを売り、財貨が流入し、別の蓄積が進んでいく・・・。

20世紀中後半という時代は、基幹動力源=石油を基軸に、このようなダイナミズムを形成しつつ、人類史上最大最速の高度成長を実現させました。

その結果生まれたのが、兌換紙幣による成長の限界を脱却したフロート、管理通貨のシステムであり、その成立直後にオイル・ショック、石油危機が必然的に発生、時代は明らかに新しい段階へと進まざるを得なかった・・・。

このような観点を、あえて「文明論的」と呼んでみたいと思います。文明論的な観点から鳥瞰すれば、ISのような存在の機能や限界が明らかになるでしょう。

異民族共存への寛容性を欠いた暴力的な原理主義は、かつてイスラム帝国が誇った安定と長命を維持しえないでしょう。戦時経済による突発的な動きが一時的なものにとどまるのは、9.11以降の第2次湾岸戦争、その戦中戦後の経済が示す通りと思います。

サダム・フセインやウサマ・ビン・ラディンを悪の巨魁とみなすシナリオで膨らんだ資産経済は、リーマンショックとともに「米国の平和」にピリオドを打つことになりました。
日本の取るべき進路も、短期的な紛争経済の限界を超えた、長期にわたる共存共栄のビジョンをもって選択されるべきと思うのです。

不寛容なテロリズムの寿命は短い。これは間違いありませんが、「テロ叩き」の不寛容な政策でもつ経済もまた、大して長いものではない。ちょっと前に錦の御旗だった「大量破壊兵器」とかいうシナリオはいったいどこへ行ってしまったのでしょうか・・・?
つまるところ その程度の寿命でしかなかった。それでも八紘一宇よりは長持ちしたかもしれません。

第2次世界大戦後の日本で言うなら、朝鮮特需をキックオフとしたのは事実と思います。しかし「それ以降」の高度成長に確かな戦略と実力を持っていたことが、20世紀後半の日本の繁栄を生み出したことは間違いありません。
そう「それ以降」を見越した長期的な成長戦略をこそ、検討すべきと思うのです。

再び「クリスマス」の語源に還って・・・

クリスマス(Christmas)がキリスト(Christ)のミサ(Mass)と冒頭に記しました。この「ミサ」という言葉はラテン語の

Ite!missa est.

という言葉から導かれたもの、としばしば説明されます。

逐語的に日本語に訳すと、
「行け! あなたたちは去らしめられる」
といった意味になるようですが、キリスト教では長らく、
「いざわれら出で行かん」
と訳され、「missa」から「mission」つまりさらなる布教へと旅立つ、聖餐式の結びの言葉になっています。

ミサ(Mass)そして布教(mission)、これらの中には私たちがすでに有限の時間しかもっておらず、「地上で残された命をどのようにミッションという信仰の義務とともに有意義に生きるか?」と問う、拡大を運命づけられた世界宗教としてのキリスト教の本質があるように思っています。

私たちは食べなければ死んでしまう=食べることで生きている。
食べるものとは、すなわち死すべきものであることを意味します。

キリスト教の聖餐式は、パンを裂きぶどう酒を掲げ、それらを「聖別」することでキリスト=救世主の肉・血と「霊的に等価なもの」に変容させ、それを食する(「聖体拝領」)することで、死すべき我ら人類がキリストにあり、キリストもまた我ら人類と共にある証となすという、やや合理的には説明のつけにくい狭義、「秘蹟(Sacrament)」をその本質としています。

が、今日の日本社会で、そんな七面倒臭いことを考えて「メリー・クリスマス」と言っている人は人口の1%はおろか、1ppmも存在しないことでしょう。

しかし、私たちが21世紀の長期的な成長戦略と共生を考えるとは「異教徒」を食卓に招き、ともに限られた生命を維持する食を分かち合う、ということにほかなりません。

第2次世界大戦後、欧州を中心に、より調停が困難だったはずの、長年にわたってキリスト殺しの下手人とされてきたユダヤ教徒とキリスト教世界とは、劇的な和解と共生の道を見出すことに成功したと思います。

同様のことを私たちは考えられないか。21世紀初頭「文明の衝突」などと言われるイスラム世界との建設的共生のシナリオを見出すこと・・・。

もちろん、ここに答えを準備しているわけではありません。しかし、テロを含めて動き始めてしまった21世紀の第2ディケードのグローバル社会で、キリスト教、イスラム教など一神教の対立をほぼ唯一免れている東アジア先進圏が未来に向けて果たすべき役割が間違いなくあるはずです。

単にトレンドと言うのみならず、世界史的に必然の役割をもって、日本の社会経済がグローバル社会で建設的に発展していくことを、聖夜に祈らずにいられません。

日本では12月24~25日を過ぎるとクリスマスは賞味期限切れで、年末商戦からお正月と模様替えしてしまいますが、本来の降誕節は日曜から土曜までの 週単位で、幾週にもわたって救済を待ち望み期待していくもの(「アドベント」と言います)です。

幾週どころか、幾年もかかることは間違いない。でも、一神教文明の衝突を和解させる絵柄を日本が描き、グローバル社会で演出していくことは、間違いなく可能なシナリオの1つです。

そんな祈りをもって、年末のこの週も、明けてからの新年も、大切に過ごしたいと思わずにはいられません。