水木しげるさんとの思い出─作家・石井光太
漫画家の水木しげるさんが亡くなった(享年93歳)。作家・石井光太が、2年前に水木しげるさんと会った時の思い出を振り返る。
「軍隊ではドラム缶に糞をするの。間違ってこれに落ちるでしょ、ドボンって。それが何より怖い。だって、南方の糞は水分がなくなってベタ〜としているんだもん。餅みたいにベタ〜と。だから膝まで沈むと出られなくなるの。本当に怖い。ベタ〜だもん、ベタ〜」
二年前に水木しげるさんとお会いした時、三十分ぐらいずっとこんな話をされたことがある。
──水木さんの戦争体験において恐ろしいことって何でしたか。
そう尋ねたところ、いきなり「糞」の話になり、それからまるで「糞」という言葉に取り憑かれてしまったかのように、満面の笑みを浮かべて延々と糞について語り出したのである。
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十一月三十日、水木しげる死去のニュースが流れた後、数多くのメディアが追悼特集を組んでその業績を紹介した。新聞やテレビでもっとも多く目についたのは、水木さんが「日本の妖怪文化を体系化した」とか「漫画によって戦争の悲惨さを訴えた」という論調だった。
実際にその通りだと思う。
水木さんがいなければ、これほどまでに日本の妖怪文化・研究は広まらなかっただろうし、傷痍軍人の目から見た戦争をあれほど活写した漫画はでなかっただろう。今となっては日本文化に大きな足跡を残した巨人であることに疑いはない。
ただし、と思う。水木さん自身は最初からそんな高尚なことを目指して漫画を書いていたのだろうか。妖怪研究者、反戦主義者としての水木しげるは、後年の世の中の評価であり、実際の水木さんの像はそれと異なるところにあるのではないか。
二年前、水木さんとお話していた時、それをつとに感じたことがある。水木さんの話を聞いているうちに、次第に心が震えるような感覚になったのだ。 長々と語られる「糞」の話に感銘を覚えたわけではない。「糞」の話一つするだけで、三十分近く声を弾ませ、唾を飛ばして大笑いし、何十通りの表情をつくる 水木さんの姿に引き込まれたのである。まるで興業主の天才的な口上を前にした時のように、その姿に圧倒され、見惚れてしまったのだ。
隣にいた編集者も勢いに飲まれたようにペンを持ったまま唖然としていた。水木さんはふとそれに気づくと、勝ち誇ったようにニカッと笑って言った。
「な!面白いでしょ?なんにせよ、面白いものが一番だよ!面白きゃいいんだよ。糞だって何だって、みーんなを面白いって思わせればいいの!」
私はそれを聞いた時、きっと水木さんはただ全力で「面白い」を追求してきた人なんだなと思った。
妖怪漫画については、結果的に妖怪研究や文化を広めることになったが、きっと幼い頃に感銘を受けた「のんのんばあ」の妖怪談をもっと面白く人に伝えて喜んでもらおうとしただけだったのだろう。
戦争漫画についても、今となってはまぎれもない反戦作品ではあるが、きっと軍隊で味わった戦場における人間の滑稽さと魅力を漫画として面白くつたえたいと願ったのではないか。
私にとっての水木さんとは、高尚な存在ではなく、人を楽しませることを生きがいにしている生粋のエンターテイナーなのである。三度の食事より、人を驚かして、笑わせて、怖がらせるのが好き。妖怪漫画も、戦争漫画も根本のところでは、そうやってできたのではないか。
今頃水木さんは天国から、テレビや新聞のご自身の訃報を見てどう思っているだろうか。もしかしたら、砂かけ婆や子泣き爺たちに囲まれながら、みんなが「水木しげるの生涯」を大真面目に語っていることを大笑いしているかもしれない。
きっと究極のエンターテイナーというのは、亡くなってもなお、そんなふうに思わせられる人のことをいうのだろう。
(※水木しげる画ではありません)