土曜日, 4月 11, 2009

江頭慎|interview

[interview][London]vol.18 建築家、美術家 江頭慎


今回は建築家、美術家である江頭慎さんにインタビューをしてきました。 作品、活動の解説を中心に、ロンドン、東京のコンテクストの違いについて興味深いお話を聞くことができました。







江頭 慎   Shin Egashira


建築家、美術家、ロンドンAAスクール ディプロマユニットマスター(教授)
1987年 東京芸術大学美術学部建築科卒業
87-88年 北京にて集合住宅の実務に携る。渡英
1990年 AAスクール ディプロマをオナー(honor)にて修了
90-91年 ポストグラデュエートデザインリサーチ及びデザイン指導
1992年 インターミディエートユニットマスター(Intermediate Unit 3)
1996年~ AA ディプロマユニットマスター就任(Diploma Unit 11)



 





澤田:最初に江頭さんが10年以上続けていらっしゃる新潟県旧川西町の小白倉集落でのワークショップについてお話を聞かせてもらいたいのですが、具体的にどのような活動をされているのでしょうか?

江頭:毎年8月の後半に三週間程度、参加する人の対象はAAの学生に限らず興味ある人だったら誰でもこれるようにしてるんだけど大体20人程度、その場所をドキュメントするってことと、コミュニティと一緒に何か建築的な活動するていいうこと、その間にドキュメントしつつものをつくることもあるし、改造することもあるし。


そういうことをしながらひとつは短い期間でできること、それと同時に毎年一回ずつ続けて長い目で見た時に構築されていく部分、あるいは長い目で見ないと記録できない部分ていうのを要はデザインするってことと場所の変容だとかを丁寧にドキュメントしていくという両方の課程を実験的に行ってるという感じかな。

澤田:普通の建築の設計だとデザインして完成したらそれで終わりですよね。


江頭:そうね。でも普通どんな設計でもデザインをし終わってからそれをどう実現するかって時にデザイン自体どんどん変わっていくよね。返ってそのプロセスの方が現時点での問題点だとかリアリティとかに本当に携わる部分だから。


もちろんデザインがどこから始まるか、どのようにできるか、の課程を見るとそのラインてそんなにクリアじゃないよね。

ただその建築を設計する事務所だとか、世の中の建築家に与えられた条件の中でやってくとしたらもちろんそこには契約があったり、初期設計があってその中から予算をとって詰めていくっていうそういうある決まり事がないと経済の中でデザインが成り立たないかも知れないけれど、小白倉みたいなところだとワークショップをやるっていうことは今ある普通の建築が作られるシステムでは成り立たない場所だと思うのね。

それは経済があまり潤わない、建築家がいない場所だったり、特殊というかそういう状況で建築の他にランドスケープを変えていく手法だとか、コミュニティの特殊ですごくイントリケートな部分を尊重しながらその中で何が出来るかってのを考えた時にデザインていうこと自体も一回クエスチョンしないと成り立たないでしょ。

そういった意味ではデザインていうのがあるアウトラインを決めてそれを決めて作っていくんじゃなくて、まずひとつはそこにある状況だとか、その内容をどうやって読み替えていくか、使えるリソースだとか条件ていうのを再解釈していくそういうことの方が問題解決のために何かデザインするっていうよりもやっぱり意味があることなのかな。

澤田:なるほど。


ルイス・カーン" Architecture does not exist, what exists is the work of architecture"てことを言ってて、要するに建築と建築作品は別ものだと言っていると思うんですが、江頭さんの小白倉ワークショップのアーカイブを見てると地元の住民の方とのコラボレーションからものを作っているのように思えて、そのプロセスが作品自体より重点的にドキュメントされているように感じたんですが、住民の方からは実際にどういうフィードバックを受けたりするんでしょうか。

江頭:まずデザインに関するボキャブラリとして、やっぱり学校でいうようなフィードバックっていうようなものではないよね。


ひとつの現象として、人口が百人足らずの集落で皆家族のように暮らしているところに毎年色んなところから色んな国籍の人がきて、なんだか分んないものを作ってるんだけども何かやってる、何かいつも残していく。そういう現象に対するノートの方が彼らにとっては自信に繋がるんじゃないかな、きっと。

いつもは今回一体何やってるんだろうかとか、結局こんなものになったとか、そういう建物の結果というよりも色んな人が来て何を見ているかとかね、どういうものに興味を貰ってそこの場所から何かインスピレーションを貰ったり何か結果として出てくる、フィードバックとしては視点だとかものの見方とかそういう部分のほうが返って興味もってる部分なんじゃないかなきっと。

澤田:川俣正さんとのコラボレーションされたLodging Tokyo、Lodging Londonについてお話をお伺いしたいんですが、コンセプトとしては都市の中の建築としては使われていないような場所を建築的に見立ててロッジングするということなんでしょうか。

江頭:そうだね、結構昔の話だからちゃんと覚えてないんだけども笑。
川俣さんは藝大での先輩になるんだよね、川俣さんはいつも新しいものに興味持ってる人でしょ。小屋のプロジェクトだとかホームレスのシェルだとか、すごいテンポラリーな部分に興味持つと同時にね、彼の作品ずっと見てるとさ、普通皆彫刻家だと思うかも知れないけども、川俣さんて絵画なんだよね。

平面からものを始めてそれをインフォーマルに都市の残余空間だとか廃材だとかを使ってテンポラリーなものを作っていくっていう手法があった時に、自然と建築に興味を持ち始める時期っていうのがあったと思うのね。

そういう流れの中でちょうど僕らが2000年前後にAAで始めてたことっていうのも都市の残余空間だとか過剰生産物、余剰物、要は建築として普段あんまりこう認められてないけれども都市を生成する上では非常に重要なエレメントとしてこう介在している、副産物としてあるパターンだとか空間を作っているものに興味を持ってたのね。そこで興味が合ったのかな。

身体的なスケールから見た時の都市の様相だとかね、小さなスケールでもものごとをずっと繰り返していくうちに可能となる建築的なもの、あるいはテンポラリーであると同時にパーマネントていうのかな、繰り返しっていうことでものが成立しているとかね。

Lodgingでやろうとしてたことっていうのは要はもし僕らが自分達の体だとか感性だとかテクニックだとか、ありとあらゆる手に入る材料を使って出来る限りの中であらゆる有用な場所、スペースをプリコラージュ的に都市の空間をリサイクルしていくっていうのかな、それを皆でシステマティックに進めていくことによって作品を作るよりもひとつの現象を作れないかなと、そういうことを同じ視点でひとつ東京でやってみて今度はロンドンでやってみた時には、違うものが見えてくるのか、もしくは似ているものが見えてくるのか、それをちょっと確認してみようっていうプロジェクトなんだよね。

澤田:実際に結果として東京とロンドンでやってみてどういう違いが見えてきましたか?

江頭:そうだね、東京はね、僕らがやる以前からぱっと見てこれは凄いなと思う部分が既にいっぱいあるんだよね。既に現実化されてしまってる。
普通のリサイクル業者がいつの間にか作ってしまっているようなものだとか。

そういう意味からいうと東京では東京に既にある事例から学ぶことの方が多くて、ロンドンっていうのは要はものを集めて来て手を加えるとそれがコントラストとして非常にこう作品として成り立つような気がしたななんか。
建物が煉瓦でできていたりだとか、やっぱりそういう重い中でちょっとインフォーマルなことをすることによって作品ていうものがパフォーマンスとしてだけじゃなくて、実際のものとして成り立つんだよね。そういう土壌っていうのはハードな面からいったらロンドンの方があるんじゃないかな。歴史的なコンテクストがある上でっていうのもあるかもしれないけれど。

澤田:なるほど。こないだ再オープンしたサーチギャラリーに行ってきたんですが、元々兵舎だった建物をコンバーションして使っているんですが、兵舎の外壁が凹んだ部分に新しく階段部が入って、今まで外部だった場所が内部になっていて、そういう歴史的なレイヤーが重なっている様子が凄く面白かったんですね。テート・モダンなんかもそうですけど歴史的なコンテクストがあるとそういう単純な作業で凄く面白くなるんだなとも思いました。

江頭:そうかもしれないね。
たださ、東京とかで凄くいいなと思ったのはもしアートワークっていうのが世の中の既にある状況を探し出してそれをリプレゼンテーションするっていうとこで成り立つんだとしたら、僕らがやっていたLodgingっていうのはどちらかっていうと東京の中で既に存在するような現象をもう一回コミュニケートするっていう意味では本来の意味でのファインアートに近い部分なのかも知れないね、きっと。逆にロンドンとかだとさ、妙にそれが作品になってしまってるっていう事態がもしかしたら不自然なことかも知れないね。

東京で面白いなと思ったのは作品だとかものの成り立ちを説明するにあたって、手がかりとしてシステムをまず説明しなくちゃいけないていうのがあって。
こういう部分があって、なんでそれが成り立っているのかとか、どうしてこうなったとか。そういう決まり事の枠がもうちょっと複雑なのかもしれないね。
ロンドンていう場所は制約とかルールだとか、自分たちで約束事を破らないとものが成り立たないというか。

そうするとさパフォーマンスの部分ていうのが、建築家にしてもアーティストにしても凄く英雄的、ヒロイックに物事を進むような気がするんだよね。
要はさ、例えばアジアの都市とか見るとさ都市が面白いなって部分はさ、あんまり生活のスタイルにこだわらずに営利活動してたり商業活動してたりそういう部分で都市のダイナミックが成り立ってる感じがするよね。

香港とか行くと高速道路とかの陸橋の下にレストランがいっぱいあったりだとか、ビルの隙間にものすごい数のがらくたを売ってるお店があったりとか、そういう部分が普通のこととして成り立ってるでしょ。
そこで住んでる人っていうのは活力がやっぱりあるよね。ロンドンみたいな場所って皆生活にこだわるからさ、こんだけレールウェイアーチがいっぱいあってもそこの下に住んでる人ってあんまりいないでしょ。大体パターンが決まってて、自動車とかMOTの倉庫になってたりとか。
ひとつのコードみたいな部分での約束ごとっていうのがなんかこうもっと限られているような気がするな。

澤田:『メイドイントーキョー』的な特殊な風景ってロンドンだとやっぱりあんまり無いですよね。

江頭:そうね。
ここ三年ぐらいね、ユニットでは東京とロンドンを比較するような都市の見方をしてるんだけどね。
そうすると逆に東京にあるスペースのタイポロジーみたいなのをこちらに持ってきてアダプトするっていう事の方が、それはもちろん僕らがロンドンでリサーチして勉強しているってこともあるかもしれないけど、逆に都市の特異性だとか特殊状況みたいなものを学んでそれを分析してどうやったらそういう状況が成り立つかってことを考える場合には返って東京から学ぶ事の方があるかもしれないね。

澤田:関係ないかもしれないですけど、その対比は建築教育にも共振してるように思えるんです。

僕は日本の建築教育受けてないのでちゃんと分ってないかもしれないですけど、元々あるものを再解釈してリプレゼントする東京とロンドンで作品が都市とコントラストを成すっていうのは、僕は日本の建築教育受けてないのでちゃんと分ってないかもしれないですけど、日本の学校がこっちより空間の構成に重きを置かれていたりだとか、例えば家型のアーチの流行だとかと、ロンドンのAAとかだと例えばザハ的、AADRL的なちょっと現実の都市とは乖離した「作品」を作ってるストリームの対比にも共振する気がするんですが。

澤田:そのザハとかがやってる部分てのはもちろん現代建築の一旦を担ってるからさ、それと都市の分析を比べるのは不可能な気がするけどな。

どちらかっていうと、ザハの最近の流れを見ていると、都市自体を建築にしていくような流れだよね。都市をプロトタイプだとかプロダクトといてやっている。そのスケールの大きさっていったら、昔あったメタボリズムだとかそういうレベルだよね。

都市っていうものが今のテクノロジーを使って今まで建築家ができなかったようなデザインのスケールで、ルールだとかスクリプティングだとか都市論ていうのをインフラのレベルまで見ていってデザインの対象にしてしまうっていう流れだよね。

それって現状のコンテクストを読んで手を加えていこうっていうのとは全く逆のアプローチなんじゃないかな、きっと。

澤田:なるほど。ロンドンの建築教育でいうとバートレットについてはどうですか。アート色、ペーパーアーキテクト色が強いですよね。

江頭:バートレットで最近external examinerをやっていて最終の作品をいっぱい見る機会があるんだけれど、バートレットとAAはまるっきり違うかもしれないね。
凄いバートレットはナラティブっていうのかな。
要はベスポークって分るかな。テーラーメイドってものあるよね。 
特殊状況に対して特殊なものを提示していくっていう。それに近いものがあるかもしれないな。

やっぱり建築の特異性だとかスタイルだとかで、特殊状況を更にこう建築的にリプレゼントしていくっていうのかな。

僕が時々最近思うのは、もしAAの伝統として今でも残っているものがあるとするなら建築を通して都市を勉強していく態度だと思っていて、建築の学校だからじゃぁ建築をつくるためにリサーチをするんじゃなくて、建築のボキャブラリーだとか技術だとか知識を使ってデザインすることによってどうやって自分と都市の関係を築いていくだとか建築をデザインすることによって都市がどう変わっていくだとか、既にある現在僕らが住む都市は何が一体それをコントロールしていて、どういった状況なのかっていうのを建築を通してリサーチしていくっていう。そういう違いがあるんじゃないかな。

多分の日本の設計っていうと工学部だとかデザインの意匠ていうと最終的に建物のスタイルだとか出来たものによって評価されるけども、それがもしアプローチの中にもうちょっとリサーチっていうものが入っていたら見えてくる都市のあまり見られてない部分だとか、設計を成り立たせるための、もっと有用なパレメーターだとかダイナミズムだとかそういうものをもしかしたら見失ってしまうようなことがあるかもしれないよね。

澤田:リサーチは建築をつくるためのアプローチっていう単純なイメージがあったんですけど、逆に建築をパラダイムに都市を見るっていうことなんですね。
そう考えると小白倉のワークショップなどの姿勢がすごい理解できた気がします。

江頭:昔から都市論て都市計画だとか地域計画とか、要は計画案、ひとつの決まり事、約束ごとをつくっていくっていうのがあって、逆に建築をデザインしていくことによって都市と関係していくっていうのは都市論じゃなくてやっぱり建築論だと思う。

ある状況の中で一体どういう建築が成り立つんだろうかとか、建築的な手を施すなかでそれが一体都市の中でどういう意味を持って成り立っていくのかっていう部分から考えると、都市がどんどん変容していく中で建築のデザインていうのもそれをリフレクトしながら常にリニューアルして新しいアプローチだとか知識だとかを使っていくものだとしたらね。
もちろん建築の学校でもいつも同じことやっててもしょうがないわけでしょ。
何を見てそこから建築のあり方を見てこうかなって考えると、やっぱりなんでも変わっていく中で建築に対する解釈も変わるだろうし、その中で都市と建築を切り離してしまったらあんまりこう社会との関わりってあんまり無くなっちゃうと思うよね。

澤田:なるほど。では昨年展示された『都市を歩く表象』についてお話を聞かせてもらっていいですか。

江頭:あれは建築っていうよりもアートワークに近いかもしれないな。
岡村っていう家具の会社とコラボレーションしてインスタレーションをつくっていくっていうプロジェクトだから、デザインていう仕事と工業デザインの違いがあったとすると、ひとつに世の中の発展してきた便利な技術でもっと効率にもっといいものをつくろう、改善していこうという流れがあると思うんだけど、それとは別に建築の視点からものをみた時にもうちょっと違う見方があるんじゃないかなと思っていて。

世の中不思議な状況がいっぱいあるわけでしょ。
こういうAAの建物にしても昔のジョージアンスタイルの建物の中で、同時に違う国籍の人達が一緒にいて携帯だとかコンピューターとかそういうものが混在している不思議な状況ってあるよね。

そういう物事がどれだけ同時に混在していて世の中がどんなに効率的に見えても実はそうでなくて物事っていていうのは元々のアイデンティティを超えてそれが応用されることによって偶然的に何かと関係したりして、そういうことによって本当の意味でのリアリティって成り立っているんじゃないかなと思っていて。そういうひとつの仮定がある中で空間的なインスタレーション考えてったって言えばいいのかな。

都市を歩く表象の中で使ってる材料として百年前にエドワード・マイブリッジが映画がまだできる以前に動物や人間の動きをカメラで撮って動画を作ってた時のモチーフとしての象があって、そのモチーフを僕でも使えるようなiMovieだとかでアニメーションしてそうやって作った象が動く様子を今度はコンピューターでプログラミングしてインタラクティブなスイッチで再生していくことで、北斎がつくった北斎漫画で象のイメージを木版画でつくってたように、コラージュ的にモーターだとか木だとか硝子だとか色んな技術をチグハグに組み合わせて、曖昧な空間の中で百年前の映像を流したんだよね。

ただ色んなレイヤー、読み方があって、その中で象っていうのは北斎が木版画作った時ってのは日本にまだ象がいない時期で大陸からくる情報から思い描いて象を彫ったんだけど、その中で象に目の見えない人達が手で色んな場所を触りながら、象をディスクライブしていくのね。

全体は見えないんだけどディテールを触ることによって象の意味っていうものが出てくる。それを木版画にしたのが北斎の「象にのぼるひとびと」っていうものなんだけども。
実際のディテールっていうのは色んな側面を繋ぎ合わせていく事によって変容していくものなんだよね。だからバックグラウンドとして移されてる映像の中も東京に実際にあるバックグラウンドとかディテールだとか音だとかそういうものがインタラクティブの中に入ってくる。概念的になっちゃうかも知れないけどね、象の横に人遍をつけると「像」、つまりイメージ、ビジョンになるよね。

象の横に人がいてそこから触発されるイメージが像っていうのかな。

もし仮に都市っていうのが建築家達が思い描いているイメージの中で構築されるんだとしたら、色んなディテールだとか建築的な空間だとかアクシデントだとかそういうものを色々重ね合わせた時に初めて見えてくるものがもしかしたら都市の表象なんじゃいかなと思って。一応、象をモチーフにしているけども作られてる映像っていうのは例えばその会場の壁を全部取っ払って360度回した時に見えるだろう東京のイメージを使っているのね。そういう風に視点を色々変えてインタラクティブに象を介在させて都市を表象させていくという。それがテーマにチグハグな技術のバランスをとりながら不思議な状況を作り出すっていうね。わかるかな笑。

澤田:客観的に把握てきる都市というものがあるんじゃくて、自分と他人の色んなパースペクティブから捉えられた表象が集まったものとしての像として都市があって、逆にそうでしか都市を把握できないっていうことなんでしょうか。

江頭:基本的にさ、人がものごとをどうやって把握するかって事を考えるとある程度スケールが大きくなった時ってのは、物事を同時に把握するってことは不可能だよね。
どんなものでも既に起こってしまった事象を、後から見直したり、ニュースを見て分ったりだとかでしょ。

実際にリアリティだとか都市を一体なんだろうと思ってもそれは絶対把握できないものだよね。どういう媒介をしても、ある自分の知覚だとか知識だとかそれをもう一歩サテライトだとかニュースだとか、そういう情報のドキュメントのリプレゼンテーションをもう一回フィルターを通して見直してるわけだから、実際そのリアルな中で自分たちが何をリアルとして見るかっていうのは、このスピードとスケールの中でこれだけの情報の量をプロセスするキャパシティってのがこれだけ多様になってる中で、もう一回都市っていうのが簡単なものじゃなくて色んなものを可能にするキャパシティ、柔軟性があるべきなんじゃないかなって思うんだよね。

澤田:AAのDiploma unit11ではどのような活動をされているんですか?

江頭:さっき言ってたことに近いかも知れないな。
今はマイクロシティってのをテーマにしてるんだけど、今まで三年間バターシーっていう川の南側のバターシーパワーステーションがあるところなんだけど、そのエリアってのは昔から都市のインフラストラクチャーが混在していて、非常にダイナミックな状況なわけ。でも面白いのはマーケットにしてもゴミ処理場にしても物のサーキュレーションにしても全てうまく成り立っていてその間に不思議な状況がいっぱいあるわけね。でそういう部分を今まで都市カタログってのにまとめてたのね。

それは残用空間、余剰生産物、アダプテッドインダストリーだとかアクシデンタルパブリックスペースだとかそういうものがどういう関係性の中で色々派生してきたかってのをタイポロジー化してカタログをずっとつくってたわけ。

結局都市を材料、プログラム、大きなスケール、小さなスケール、あるいは余剰生産物、技術っていうそこにすでに存在している部分を一旦全部カタログ化した時には、そのカタログをもう一回使い直すと色んなものの組み替えだとかができるから、それを元に都市を再編成してみようっていう一個の流れがあってその三年間の蓄積で去年一区切り打ったのね。
そこからでてきた色んなタイポロジーだとか建築的な可能性だとか、そういうところからいくと、ひとつは都市建築のタイポロジーっていうのかな、色んなレベルでのテンポラリティだとかパーマネンシーだとかスケールのオペレーションだとか絶対必要なインフラストラクチャーだとか排泄物の処理の仕方だとか色んな部分がある中で、それがある種の手法として成り立つとしたらどうしようかと。

今年から場所を一回変えて、Elephant&CastleとKing's Crossでやってるんだけども。
そこを選んだ理由ってのはElephant&Castleはこれから再開発が始まるところなのね。ロンドンの中では一番込み合ったバスの集客点でそのエリアってのは昔からコラージュ的に発展してきていてそれをこれからどうやって場所的に取り壊しながらやっていくかっていうマスタープランが一個あるわけね。
そのマスタープランをコンテクストにして、これから消えていく可能性のある建物とミックスプログラムだとかがマスタープランとして存在している部分を一回ディテールから、既にそこに存在しているボキャブラリーを再編成しながら、都市の再開発を見てったらどういう結果が生まれるかってのを見るのがElephant&Castleでのプロジェクト。

King's Crossの場合には既にユーロターミナルが入っていて、昔イメージされてた部分と今現状として提示されてる不思議な状況ってのが混在している状況だから、それのポストになるかプロセスになるか、都市が変容しているふたつのモデルを今まで使ってきたカタロギングだとかサンプリングっていう手法を使って、都市の建築プロトタイプってのを作っていて。マスタープランではない残用空間によって再構築されていくっていう新しい手法、シナリオづくりをテーマにしてるって感じかな。

その中では十二月には東京に行ってメイドイントーキョーみたいな既にあるミックスプログラムだとかクロスユーティライゼーションだとか、要はフラグメントとしていくつかの建築物が不完全な形で共存する中から補い合いながら存在しているネットワークのシステムだとか、サービスのインフラともうちょっと小さなコマーシャル、あるいはパブリックスペースがどういう形で補い合いながら共存しているかとか、そういうものの関係性ってのを東京の中からサンプルとして持ってきてそのフレームの中でどういうアクシデンタルに共有できるようなものが存在できるかってのを、現実のシナリオと比べ合いながら進めていくと。

パーマネントな構築物によって成り立っているテンポラリーなプログラム、あるいはパーマネントなプログラムによって成り立っているテンポラリーなストラクチャーだとか、そういう色んな関係性からデザインの手法に変えていくっていうのかな。

澤田:どういう経緯でロンドンに来ることになったんですか?

江頭:やっぱりAAがあるあら来たんだよね。

一度藝大を出て北京仕事をやってた時期があるんだけどね。
もともと藝大に入った理由ってのも、本当は高校生の終わりまでは美術家にはなろうと思ってたけど建築家になろうとは思ってなかったのね。でも高校の先生に言われたのが今からアーティストになるなら、例えば絵画を描くために絵画科に行くなんてことはこれからは成り立たないから、違う技術だとか視点だとかディシプリンを勉強してそれを他の部分に役立ててくことの方が意味があるからと。
今面白いことやってる美大に行っても絵画科行っても絵画描いてる奴なんて一人もいないからと。
お前一体何を勉強してそれをどう使っていくかってのをちょっと考えた方がいいって言われてね。初めに興味持ったのがやっぱり建築が面白いなって思ってさ。

それが発端で今でもそうかもしんないね。建築勉強したから普通に建築の仕事に携わっていこうってつもりはあんまりないわけ。ただその物の表記の仕方だとか分析の仕方だとか、建築的な手法、言語だとかは他では絶対勉強できなかった部分なんだよね。でも一回大学出て実務をやってみるとやっぱりこうなんか違うんだよね。

なんていうかな、高校の美術でも現代美術は教えないよね、大体高校の美術の教科書ってのはピカソ辺りで終わっててさ、その後一番面白い時期の二十世紀後半に一体どういう動きがあって何が生み出されたかっていうコンテクストってのは建築だけじゃなくて美術に対してもリアリティを感じないわけ。

要は大学に入っても現代建築史って近代で終わってて、それから今いる場所で今やってる人達の仕事と建築のコンテクストがなんか切り離されててさ、大学で興味をそそられて見る部分て大体a+uだとか雑誌を通して入ってくるものでさ。

ちょうど僕が学生だったころっていうのは、安藤さんがいっぱい建物つくりはじめる時期だったりとか、アメリカからポストモダニズムってのが入ってきてパステル調のものが多かったりしてね、その中で一番目を引くのはチュミだとかレム・コールハース、ザハ、ナイジェルとか彼らがまだ建物をつくる前の状況でね、グラフィックにしてもなんか不思議な感じがして見ても分んないわけ。
でもなんかこれは視点があってやってうんだろうなと思ってて。それが元々AAに興味持った時期なんじゃないかな。
彼らみたく、どうも建物をデザインするってことを目的にしてるんじゃなくて、もうちょっと他にもっとメタのレベルで何か考えてやってるんじゃないかなって本能的に分るわけね。

まだそん時学生だから、他の学生と見ても、やーこれ面白いんだけどよく分らないと。大体コラージュのテクニックを盗んだりだとか、ナイジェルみたいに文章を書いてみようだとかその程度のレベルなんだけどね。

それから卒業して実務やってる間に、もう一回ちょっと勉強し直そうかなって思った時に昔そういう風に見てたのもあったから、それが影響したんだよね。

ちょうど働いてたのが中国が開き始めた時期で、その後天安門事件で閉じるちょうどその間だったんだけど、生活費かからないし、出張補助金もでて、日本に返ってきた時には結構お金がたまってたから、じゃぁそろそろ使おうかなと。

それでロンドンに来たんだよね。でも元々興味持ってたのはセドリック・プライスだとかアーキグラムだとか、その辺の流れに一番興味持ってたからそういう人達と会えて一緒に勉強できたらと思って来たんだよね。

澤田:なるほど。本日はどうもありがとうございました。





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