デザインファームの今までと次の一歩
monogoto 濱口 秀司 氏インタビュー:第4回
日本初のイントラネット構築、USBメモリの発明など、幅広い業種のイノベーションに携わってきた濱口氏が、2013年、デザイン会社monogotoを立ち上げた。長年アメリカのデザイン会社Zibaに所属し、世界中の企業と仕事をしてきた濱口氏だが、monogotoでは当面、日本企業のみをクライアントとすると言う。濱口氏にmonogotoでの取り組み、日本企業をどう見るかを聞いた。
「何をどうデザインするか」によるデザインファームの分類
--最近、デザイン会社がビジネスというコンテクストの中で語られることが増えています。これはなぜでしょうか。
まず、世の中一般にあるデザインファームを分類してみましょう。分類方法は冒頭の図のように単純なものです。縦軸に「何をデザインするか」という“What”を、横軸に「どうやってデザインするか」という“How”を置きます。横軸は、「天才(g)」と「グループ(G)」に分けます。小文字のgは「genius」のgで、アーティスティックで天才的な人を表します。大文字のGは「Group」で、一人の天才的能力に頼るのではなく、複数人でデザインプロジェクトを回すことを表します。
大きな違いは、背後にプロセス性が少ないのが天才、プロセスがあるのがグループです。天才は他人に頼らず一人で勝手にデザインしている。グループになると異なる強みを持った複数の人間がいるので、たとえばリサーチャーとデザイナーがどう協力するか、デザイナーが5人集まったときにどうやって1つのアイデアに集約するかなどについて、何らかのやり方、プロセスがないとマネジメントができません。
一方、縦軸は単純に「見た目のデザイン(d)」と「広義のデザイン(D)」に分けます。小文字のdは日本語で解釈されている、いわゆるデザインで、商品やロゴ、広告や店舗における形や美的スタイルを作ることを指します。大文字のDは、デザインという言葉が本来持つ広義の「設計」という意味で、 ビジネスにおける問題解決やコンセプト・戦略・マーケティングの設計を指します。
ちなみに、4分割図の左上に入るのは、イメージとしてはレオナルド・ダ・ヴィンチのような究極的にマルチなアーティスト兼、戦略家のような人です。アーティスティックなことでも戦略的なことでも、一人で何でもできる天才ですから、世界的に見て数は非常に少ないと考えてください。
さて、世の中にあるデザインファームはこの4つに分類されるわけですが、星の数ほどある世界中の99%のデザインファームは、いまだに図の左下、いわば才能あるデザイナーが率いる小さなブティックに属しているといえるでしょう。
デザイン会社の変遷—Zibaを例にしたアメリカの動き
ところが、世界的にアメリカでだけ、ちょっと変わった動きがありました。ここ30年で、一人のスーパーヒーローに拠らない組織を作っていこうと、左下のセクションから右側へ動いていった会社があります。具体的には、IDEO、frog、Smart Design、Ziba Designなどのデザイン会社がこれに該当します。アメリカにしかないのが面白いですね。イギリスやドイツ、そして日本には、100人以上のデザイン会社はありません。世界的に見ても非常に少ないですね。僕が長年いるZibaのファウンダー、ソラブ・ボソギはもともとHPに勤めていた優秀なプロダクトデザイナーで、そこから独立して会社を作りました。図でいうと、左下からスタートしているわけです。
彼はすごく優秀なデザイナーですが、もちろん失敗もします。失敗をしたときに彼は、「同じ力をかけてデザインしたのに、成功するものと失敗するものがあるのはなぜか」を真面目に考えました。それで、自分は「自分が好きなデザイン」をしていただけで、ユーザーについて一切考えていなかったことに気づくわけです。今はヒューマンセントリックデザインといった言葉もありますが、30年前ですから当時としては珍しい視点でした。
彼は思いきって、数人しかいない弱小デザイン会社にエスノグラフィックリサーチャーをフルタイムで雇います。ここから彼の成功のスケーリングが始まります。リサーチャーを使ってユーザーの反応を見ながらデザインするので、商業的にうまくいくケースが増えたためです。ところがその後、扱うプロダクトが複雑になるにつれて、デザイナーやリサーチャーの視点のみでは補えない技術的な課題が大きくなってきました。たとえば技術的な観点での実現性、コスト管理の問題が出てきました。
そこで彼は次に、フルタイムのエンジニアを雇いました。今は「デザインエンジニアリング」という考え方も浸透し、デザイナーもエンジニアリングを学んだりしますが、25年前は、理工系のエンジニアとアーティスト系のデザイナーは水と油で、デザイン会社にエンジニアが入社するなどありえないことでした。しかし、これでまた成功していく。さらにはZibaでは建築家がクリエイティブディレクターを務めていた時期もあります。デザイン業界の歴史を振り返ったときに、多職能のデザインファームを最初に作り始めたのは彼だと思います。
その後Zibaで、デザインを企業戦略のコンポーネントに組み込みながら組織能力を定着させ(さらなる右への移動)、プロジェクトの対象領域をビジネスデザインにシフトして(上への移動)、図の右上の最後のゾーンを埋めたのが僕です。松下電工に研究者として入社し、その後戦略意思決定を担当してきた僕が1998年ごろにZibaに参画して、この流れをつくりました。この頃率いたプロジェクトは、デザインの賞だけでなく、リサーチ賞なども総なめにしました。
このような流れで、この15年くらいで図の右上に移動していった会社がIDEOやZibaです。どちらもデザインだけでなく、イノベーションコンサルティングをするとか、組織能力を使いながら企業の問題を解く包括的サービスを提供する、と言っていますよね。そこが、従来のブティック型デザインファームとは違うわけです。
たとえば、Zibaで僕が引っ張ったプロジェクトの半分以上は、サービスや顧客のエクスペリエンスのデザインで、形はないものでした。たとえばクレジットカード会社の仕事でも、カード自体のデザインはしない。彼らの事業自体を作り直すなど、そういう形にならないものでもデザインファームが手がける ようになったんですね。
このように、アメリカではデザインファームが「小さなブティック」から「戦略的デザインファーム」へと移行してきた歴史的経緯がありました。
旧来型の戦略コンサルファームに解決できない課題へ
ここでクライアントからの視点について考えてみましょう。アメリカの平均的ビジネスパーソンに「僕はデザイン会社に勤めている」と自己紹介すると、「かっこいい絵を描くアーティストの会社ね」と理解されることが多いです。しかしアメリカのフォーチュントップ500社のCEOは、デザインファームというと、このチャートの下半分の2つの差異を認識しています。一発もののかっこいいデザインだけをしてもらいたいから左下のデザインファームに頼むか、あるいは料金はちょっとかかるけれど、リサーチもしてちゃんと売れるデザインをしてくれる確率が高い大手デザインファームにコンポーネントを丸ごと頼むか。こういう見方をしますね。
次にフォーチュントップ100社くらい、巨大企業のCEOクラスになると、会社のサービスに大きな問題がある、もしくは新しいカテゴリーに商品を投入する際に、戦略コンサルタントとしてのデザインファームの使い方、つまり右上の領域を視野に入れ始めます。
このような場合、いわゆる旧来型の戦略的ビジネスコンサルティング会社による、分析に基づいたロジカルな回答では競合に対抗できない可能性があると思っているケースがほとんどです。だから、もっと次元の違う新しいものを求めるときには、戦略ビジネスコンサルタントではなく、ユニークな解法や創造的な解決案を求めて戦略的デザインファームに頼んでみようかという発想があるんですね。これが昨今のアメリカのトレンドです。
米国戦略コンサルファームによる過去の試み
デザインファームの変遷をお話ししてきましたが、戦略コンサルファームも、ロジックだけではビジネスの課題を解決しきれないことに気づいていました。そこでファーム内にどうにかしてクリエイティビティを取り込もうとする試みが、米国のビジネスコンサルティングファームにおいて過去2回ありました。1回目の試みは1990年代。マッキンゼーが突然、デザイナーたちを突然雇用し始めた時期があります。しかし、このときは『マッキンゼークォータリー』の見た目が美しくなる効果しかなく(笑)、マッキンゼーの実際のアウトプットにクリエイティビティが組み込まれたわけではありませんでした。
2回目の試みは、2000年代前半。モニターグループ(マイケル・E・ポーターが作った会社)という戦略コンサルティングファームは、イノベーションデザインやシナリオプラニングなどの能力を持つ会社を丸ごと買収しました。つまり、デザイナー個人を雇用することで失敗した前例を参考に、今度はクリエイティブ集団を組織ごと取り込もうとしたわけですが、これもまったく異なるカルチャーを持つ組織同士の融合に至らず、結局は失敗に終わりました。僕は買収された会社の経営幹部と交流があったので、買収前後に電話や会社を訪れてミーティングをしたのですが、カルチャーの融合だけでなくプロセスの融合も困難である状況を目の当たりにしました。
一方、ときを同じくして、僕も親しくしているトロント大学のビジネススクール学長、ロジャー・マーティンが、新しい教育的試みを始めていました。 それは、マッキンゼーが行ったように異なる素養を持つ人間同士を引き合わせるのではなく、一人の人間の中にビジネスとデザイン両方の素養を持たせようという試みです。これは教育としては非常にうまくいっています。
日本での状況と次の一歩
日本でもまだ一般的には、デザイン会社といえばブティック的なものが想像される場合がほとんだと思いますが、IDEOが日本でマーケティングを始めてからデザイン思考という言葉が広まり始め、また東大がi.schoolを創設した2009年以降は、戦略デザイン分野の存在はかなり知られるようになりました。ただ、現実はそれを提供する会社がほぼ存在していないのが問題です。IDEOやZibaは、右上とはいっても実はまだオールドファッションなデザインに近いところにいて、右上のゾーンの下のほうにへばりついている状態、すなわちアウトプットはものの形になっているのです。
僕自身について話すと、外から見ると勘でやっているのか、明確な体系を持ってやっているのかわからないようで(笑)、左上の一人天才タイプではないのかと言われたりします。しかし、お話したように過去15年間、zibaにおいてデザイナーやクリエイティブディレクターたちをリードしながら経営者へ のアウトプットと、プロダクトやサービスの成功を再現性高く続けてきた経緯があり、僕の中でビジネス戦略とデザインは同じ体系の中に方法論として確立しています。つまり僕は方法論の人といえると思います。
昨年ポートランドで本格起動した会社:monogoto (http://mono-goto.com/) では、デザインとビジネスが高度に統合された解をクライアントに出すため、数年間探し続けた新たな若手のメンバー二人を加えて、zibaではできなかった図中のさらに右上端の領域(エキスストリームなポイント)を目指そうと思っています。形のあるモノであれ、形のないコトであれ、扱う対象を問わないという意味を込めてmonogotoという社名にしました。
具体的には、戦略デザインにもっと徹底的に体系化された手法を取り入れ、ビジネスのあらゆる問題を解いていく。これまで作ってきたバイアスを壊す手法や戦略を作る手法と同様、現在手がけているストーリービルディングも、すべてがそこにつながります。そういう手法をどんどん作っていきたいですね。この僕が「ビジネスデザイン」と呼ぶアウトプットにアメリカと同等の対価を払うクライアントが日本国内でも確実に増えています。
このように日本でも、戦略デザインの市場が認められつつある。戦略レベル、意思決定の質、エグゼキューションの能力というよりも(CEOレベルの 意思決定者の方は「イノベーション」と認識していると思いますが)やはり最初のコンセプトのユニークさの差分に価値があるということ、またそれに新しい技術、新しいビジネスモデル、新しい顧客体験をがっちり組み合わせて勝負しないと、すなわちビジネスデザインのクオリティが高くないと、最近の市場ではもう勝てないという意識が日本企業に広がりつつあります。また、その能力を組織として持たねばならないと見ているんですね。
その点にブレークスルーのポイントはあり、日本企業の可能性を悲観する必要はなく、monogotoとしても独自性を持って、そこにコミットできるのではないかと思っています。
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