金曜日, 8月 24, 2018

「生理的に無理」って英語でなんていう?

 

「悪口」

「人をけなす」

「罵る」

英語で使われる表現、英単語


悪口は、教科書では学べない種類の言葉です。とはいえ日常では耳にする機会は少なからずあります。サブカルチャー方面では見聞きする頻度はさらに高まります。

人を罵るような口汚い表現は、もちろん使用を避けるべきではあります。
だからといって知らなくてよいかと言うと、一概にそうとも言えません。
知識は「清濁併せ呑む」ように網羅的に身につける、使うか否かはまた別で、正しく分別するという心構えが大切です。

英語にもたくさんの罵り表現があります。
簡素で言いやすい表現ばかりなので、すぐに馴染んでしまいそう。
思わず口をついて発することのないように、発音の練習は程々にしておきましょう。

  目次



 

相手を貶めるタイプの罵り文句

 

「ばか」| idiot(イディオット)


日本語の「バカ」や「アホ」のように、相手を無能・愚か者と評する表現は、定番の悪口表現です。
代表的な語として idiot が挙げられます。idiot はインターネット上の(ややアングラ気味の)電子掲示板などでは定番の煽り文句として使われています。

idiot の基本的な意味は、バカ、まぬけ、おろか者。たわけ、うつけ、すっとこどっこい。
用法としては日本語の「バカ」に一番近いニュアンスで用いられる語です。

たとえば   
You idiot ! (ばーか)は軽口程度のノリで使われます。
I’m such an idiot. (あたしってほんとバカ)という風に自嘲する言い方にも使えます。






 「ばか」| moron(モーロン)

moron は idiot と同様に「頭の足りないバカ」といった意味合いの罵り表現として使われる語です。
idiot も moron も、元々は学術的な文脈において白痴(知能発達の遅れた人)を指す用語として用いられる語です。
懐かしの映画「アダムス・ファミリー」では、アダムス家の哀れな隣人が  You moron ! と言って当主ゴメスを忌々しげに罵るシーンがあります。
「この野郎!」という叫びが言外から伝わる場面です。








「ばか」| foolishフーリッシュ

foolish は fool の形容詞形です。fool は wise の対義語に位置づけられる語の筆頭です。バカはバカでも「愚か」「頭が悪い」というニュアンスの色濃い語といえます。
You are indeed foolish. (きみはじつにばかだな)のような叙述が英語としては基本といえますが、俗な言い方としては You fool ! のような言い方もよく用いられます。






「ばか」あるいは「愚か者」| stupid(スチューピッド


stupid も idiot や foolish と同様、馬鹿・愚図・間抜けといった意味合いを中心とする語です。知性や常識が欠如している、まともな理解力がない(生来の愚か者)というニュアンスの混じる言い方といえます。
stupid を形容詞の限定用法で用いると「いまいましい」「いらいらさせられる」という意味合いも帯びます。傍から見ていてイライラするムシャクシャするような愚かさ加減が表現できる言い方です。

How stupid can you get ?
どこまであなたは愚かなの






「バカ野郎」| jerk(ジャーク


jerk は基本的には「ぐっと引っ張る」とか「突発的な動き」あるいは「痙攣」といった意味の語ですが、「馬鹿者」「マヌケ野郎」といった俗な意味で用いられることもあります。
罵り表現としての jerk は、もっぱら男性に対して使われる向きがあるようです。ただし特にそのような定義があるわけではあり。

 

「脳筋」| musclehead(マッスルヘッド


musclehead は、マッチョで逞しいけど愚鈍・魯鈍・マヌケな男性を揶揄する言い方です。いわゆる「脳筋」「筋肉バカ」「総身に知恵が回りかね」。
体を鍛えることに喜びを見出し、筋肉美の追究が人生の中でかなりの比重を占めている、そして、それ以外の事柄にはぜんぜん思慮が及ばない人。そういうステレオタイプをけなす表現です。 ※ 筋肉に罪はありません(念のため)

ちなみに、マッスル系のポジティブな表現としては beefcake(ビーフケーキ) という語があります。筋肉の塊というイメージでしょうか。beefcake は、万人が憧れを抱くような男性的な筋肉美を体現している男性を指す表現(ほめ言葉)です。
ついでに言うと、官能的で艶やかな女性美を体現したようなプロポーションの女性は cheesecake (チーズケーキ)と呼ばれます。






「勉強バカ」「おたく」nerd(ナード)


nerd /nəːd/ もバカ・マヌケ・つまらない人を罵る言い方です。特に、「社交性が欠落しているタイプのバカ」、あるいは、「勉強好きで勉強ばっかりしているのにどこか欠落している残念なヤツ」というニュアンスを多分に含みます。
nerd は「特定のことに熱中し過ぎるあまり他が色々と残念なことになっている」人を形容する言い方でもあります。頭脳明晰でも奇特すぎて社会性のない人。非リア充のオタクの典型的イメージに近いニュアンスと言えるでしょう。
極まったオタクを意的にポジティブに形容する語としては geek があります。
英語でどう言う?「オタク」と「リア充」



 

 

「弱虫」「いくじなし」「ヘタレ」| wimp(ウィンプ)


wimp は、弱気で、自分に自身がなく、すぐに怖じ気づくような人を指す言い方です。wimper とも言います。
wimp は動詞としても用いられます。wimp out は「怖じ気づく」という意味の句動詞。


 

 

「無能」「無力」| wuss(ワス)


wuss /wʊs/ も wimp と同様の意味で「弱虫」「泣き虫」「いくじなし」を指す語です。特に「力のない人」「無力な人」「無能なヤツ」というニュアンスを含みます。
wuss も動詞として用いられることがあります。wuss out は、勇気や自信がないせいで失敗することを指す句動詞。

You are a big wuss!
あんたバカァ?




 

 

「負け犬」「負け組」| loser(ルーザー)


loser は lose+erで「敗者」、基本的には競技で敗退を喫した人や賭けに負けた人を指す語ですが、スラングとしては「よく失敗する人」「負け癖のついた人」「うだつの上がらない人」という意味合いで使われることがままあります。特定の一回性の敗北ではなくて、人生で負け側に回ってしまった人、いわゆる「負け組」という意味合いです。
lose には遺失・紛失という意味もあり、loser が「落とし主」を意味する場合も多々あります。


 

 

「怠け者」| slacker(スラッカー


slacker は slack(怠慢)+er で、勤労や努力を嫌がる人を指します。要は「怠け者」です。
元々は「兵役を拒否する人」という意味でも使われていましたが、この意味合いの用法は半ば廃れており、おおむね過去の大戦の徴兵を語る場面に限って用いられています。

 

 

 

 「根性なし」| quitter(クウィッター


quitter は、quite(やめる)+er で、すぐ quite してしまう人、つまり「最後までやり遂げず投げ出してしまう人」「簡単に放棄してしまう人」を指します。責任感のない奴というニュアンスも多分に含みます。



 

 

嫌悪感を示すタイプの悪口


バカ・マヌケという風に相手を直接ばかにすることはせず、自分が抱いた嫌悪感を吐露することで相手を悪し様に言う表現方法もあります。日本語なら「ウザい」「キモい」あたりが当てはまるでしょう。
基本的には曖昧な感想に過ぎず、何がどうアレなのかを第三者に伝えることは難しいものがありますが、ほぼ純粋に主観的な評価であるだけに否定されにくいというメリット(?)があります。使用場面も問わず、人だけでなく物事や性質なども形容できます。


 

「ウザい」| annoying(アノーイン


annoying は、人を苛立たせたり怒らせたりするさまを形容する言い方です。日本語で言う「うざい」「ムカつく」にしっくり当てはまるでしょう。
Hori**wa is so annoying.
ホリ○ワ君がマジでウザい


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「生理的に無理!」|disgusting(ディィスガァスティィン(グ)


disgusting は胸クソが悪くなるような不快感を催す感じ、受け入れられない嫌悪感を表現する言い方です。「最悪」「キモい」「気色悪い」「ヘドがでる」等々、脈絡に応じてさまざまな訳語が対応しますが、根源には「生理的に無理」というニュアンスがあると言えそうです。

I hate him because he is disgusting.
あの人ほんとにキモくてマジ無理




 

「うっとうしい」| bother(バザー)


bother は、迷惑をかけて相手を困らせたり怒らせたりすることです。鬱陶しいという感覚が近いでしょう。
what a bother! で「何て迷惑なんだ!」「何て鬱陶しいんだ!」と訳せます。what a hassle! も同様の意味で使われます。




 

「キモっ」gross(グロス)


gross は、非常に不愉快なもの全般に使われています。日本語なら「キモい」が近いニュアンスでしょう。語感や語呂から「グロす」と把握しても大体合ってると言えます。
人の見た目を形容する場合は「ものすごいデブ」という意味合いで用いられることが多々あります。

I can’t eat this. It’s gross.
これは食べられないキモすぎ




 

 

「キチ●イ」「気味悪い」| creepy(クリーピー


creepy は、ゾッとするような感じ、鳥肌の立つような種類のキモさ、および、そういう恐怖に近い感覚を催させる異常な人やモノを形容する語です。
人物を形容する文脈では、いわゆるキ○ガイじみた印象を表現できる言い方です。
He is mad and creepy.
奴は狂人だ、おおおぞましい


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無価値なモノに喩えるタイプのけなし表現

ゴミ、カス、クズといった語は、単語そのものは罵り表現というわけではありませんが、人に対して用いると無用・無価値も同然という比喩となり罵倒表現として機能します。この辺の勘どころは日本語と同様です。
もちろん元々の意味(原義)でも用いられます。罵倒の意味合いはあくまでも二次的な意味合いです。

 

「ゴミ」| rubbish(ラビッシュ)


rubbish はゴミ、ガラクタ、廃棄物、転じて「ゴミ同然のくだらないもの」を形容する語です。即ゴミ箱行きの使えないやつというニュアンスです。

That movie was rubbish compared to original book.
原作に比べたら映画版はクソだった







 

「クズ」| trash(トラッシュ)


trash も rubbish と同様、ゴミ、ガラクタ、そしてゴミ同然の存在を形容する語です。ただし、trash は主にアメリカ英語で用いられる表現です。
trash が人を形容して用いられる場合、「能なし」「どうでもいい存在」といったニュアンスが中心です。文芸作品を「駄作」と評する用法もあります。





 

「カス」| scum(スカム)


scum の元々の意味は、水面に浮かんで膜のようなものを形成する滓(かす)。
下水、汚水の典型的イメージに付随するアレです。

人を罵る意味で用いる場合、モラルのない人間、価値のない人間、いわゆるクズという意味合いが濃厚に含まれます。
scum は集団を形容して「クズども」という意味合いでも使われます。ある種のいけ好かない人々をまとめて罵ることができます。
scum はもともと不可算名詞で、原義の「滓」も派生の「カス」も不可算名詞として扱われますが、個人を「人間のくず」と形容する場合は可算名詞として扱われます。






 

容姿の欠点を挙げるタイプの口撃

人の外見を悪しざまに言う表現は、見た目をあげつらうので性格をよく知らない段階から使えてしまう悪口です。
背丈が相対的に小さければチビ。逆に大きければノッポ。どんなに些細な特徴でも悪口の材料となり得ます。女性についてはやはり顔立ちを悪く評する表現が目立ちます。
わりと客観的な視点で評する、しかも大抵は容易に改善できない部分をおとしめる、その意味でかなりの攻撃力があります。言われた側は気に病みやすく、最終的には人と接する自信まで失うでしょう。



  「できそこないのチビ」|runt(ラント)


runt は基本的には動物の幼少期の発育不良の固体を指す語です。転じて、発育不良っぽさを感じさせるチビ助、矮小な弱虫といった意味合いの罵り文句として使われたりもします。


「小人」|dwarf(ドワーフ)


dwarf は、いわゆるドワーフ、お伽噺に登場する(わりとグロテスクな)小人を指す語です。チビで不格好な人を罵る際に使われることがあります。




「デブ」|fat(ファット)


fat は太っていることを表現する代表的な語です。これ自体「デブ」のような悪口のニュアンスがあります。
悪意なく「太り肉」と述べる場合、chubbyplump のような語で表現すると、かなりマイルドに表現できます
「ぽっちゃり」のように穏便に「おデブ」を指す英語表現
fat person を略して fatso というスラング表現も、なかなかに威力のある悪口です。


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Stop eating, fatso! 
食うのをやめろ、このブタ


  「見るに堪えない醜悪さ」|ugly(アグリー)

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ugly は「醜い」「醜悪」という意味合いを基本とする語で、見た目の悪さ、見苦しさを端的に形容する語です。使いどころは広範で、人の相貌に限らず、いやな臭い(ugly smell)とかヒドい悪天候(ugly weather)といった使われ方もします。

人の外見をけなす場合、あえて近い日本語を挙げれば「ブス」が相当するでしょうが、使用注意度はブスとは段違いです。特に女性に向かって放ってはいけません。男性ならまだしも女性に向かって ugly face とか言うと、言った側が社会的に制裁を食らう可能性すらあります。

英語の ugly が示す醜悪さの度合いは、ウェブ上で画像検索でもすれば一目瞭然ですが、実施はお勧めしません(胸が悪くなるような醜悪な画像をこれでもかと見せつけられるので)。とりあえず、そのくらいヒドい物言いであることだけ察しておきましょう。
ugly の意味をさらに強調した単語に fugly があります。 fucking と ugly をくっ付けた単語です。これはトラウマ級の見るに堪えない醜さを指す語です。



「ババア」「ブス」|bag(バッグ)


bag はいわゆる「バッグ」、つまり「袋」を指す基本的な単語です。が、俗に女性を「ブス」と形容するスラングの用法があります。
とりわけ、けっこう歳のイッた女性への罵り文句として使われる傾向があります。その意味で日本語の「ババア」に通じるニュアンスがあります。
ちなみに日本のネットスラングの「BBA」はババア(babaa)の略なので、英語圏では通じません。もしくは日本通のコミュニティでしか通じません。



 

  

「でも顔が……」| butterface(バターフェイス

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butterface は、butter+face(バターの顔)ではなくて、but her face を語源とするスラングです。
抜群のスタイルで体つきは文句なしの理想的な美女、しかしご面相がちょっとねぇ…… 。といって顔立ちの残念さに言及する、究極に失礼なフレーズです。




 

 「厚化粧」| cake face(ケーキフェイス)


cake face は、女性がファンデ等を塗りたくっているさま、化粧を厚塗りし過ぎている状態を指す表現です。すっぴんが想像できない、それは漆喰か?とツッコミ入れたくなる、べろっと一枚に剥がせそう / 部分的に剥がれ落ちてきそう、そんな状況を指します。
She gets a cake face now.
かなり盛ってきたね


 

「ヒョロガリ」| gangly


gangly は、背だけ高くて細い、弱々しそうな人を表します。通常、男の子や若い男性に対して使われている単語です。日本語のヒョロガリ、あるいはモヤシっ子といった表現に通じるニュアンスでしょう。


 

職業・仕事にかこつけた罵倒

 

「給料泥棒」| cyberslacker(サイバースラッカー)


cyberslacker は、いわゆる cyber-slacking をする人。つまり、仕事中に仕事とは関係ないことでインターネットを使っているような人を指します。
仕事そっちのけでネットサーフィン(※死語)に明け暮れているようなダメ社員。日本語で言うなら「給料泥棒」が対応するでしょう。


 

「ヤブ医者」| quack(クゥアク


quack は山師・イカサマ師という意味のある語で、偽医者、ヤブ医者、インチキ療法、という意味で用いられることもあります。
人を quack と形容する場合、相応の医療の知識・スキルを備えて(いないのに)いるかのように振舞う不誠実な人を指します。医師の資格はあるけど実力のないヤブ医者という意味合いで使われる場合も多々あります。


 

「ダイコン役者」|ham(ハム)


ham (または ham actor)は、演技が大袈裟・仰々しい下手クソな役者を指す表現です。意味・用法と共に日本語の「大根役者」に通じる表現です。
ham は綴りも発音も食品の「ハム」と同じですが、辞書上の扱いは別の語義(同綴異義語)として扱われています。なお「アマチュア無線愛好家」もハムと言いますが、このハムはダイコン訳者の ham と同じ語義と括られています。



動物に喩えるタイプの誹謗

動物の呼び名は特定の典型的イメージを伴って想起される場合が多々あります。たとえば「ハゲタカ」は、死者にむち打つ振るような振る舞いもいとわない強欲な冷血な人物の比喩として用いられます。他の動物の屍肉を食らう生態から連想されるイメージでしょう。
主に用いられる動物の比喩は、日本語のイメージでも大体通じるところがあり、さほどギャップを気にする必要はなさそうです。


「意気地なし」| chicken(にわとり)


chicken(にわとり)は、勇気のない人に対して使われる悪口です。「意気地なし」「弱虫」ともいえます。日本語でも用いられるチキンと同じニュアンスです。

Jump now, you chicken!
今飛べよチキン野郎


 

「強欲で不潔」| pig(豚)


pig(豚)を悪口として用いる場合、英語ではデブよりもむしろ「強欲な人」「薄汚い」「汚らしい(不潔)」といったニュアンスが中心です。
ブタは生命力の強い動物です。多少不潔な場所でも生存できます。「不潔」のイメージはその辺が要因かもしれません。ただしブタは基本的には清潔好きな生き物です。「強欲」のイメージは食用豚として肥えさせるために餌を山ほど与えた結果のようにも思われます。そんな風に考えるとブタが少しだけ不憫。


 

「すごくイヤなヤツ」|skunk(スカンク)


skunk(スカンク)は、ものすごく臭い屁(厳密には分泌液)を放ってして攻撃者を撃退する習性で知られる動物です。おそろしく臭いらしいです。人を形容する表現としても「ものすごくイヤな奴」という意味合いで用いられることがあります。「鼻つまみ者」というヤツでしょうか。
He didn’t pay last night, he is the skunk.
あいつは、昨晩払わなかったよ。卑しいヤツだ


 

「いまいましい奴」| toad(トォゥドゥ)(ヒキガエル)


toad(ヒキガエル)も「いやなやつ」という意味合いで用いられることがあります。主に男性に対して使われるようです。



 

「裏切り者」|rat(ドブネズミ)は「裏切り者」



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rat は下水・汚水の周りに好んで棲息する、比較的大きめのネズミです。ドブネズミ、クマネズミ、ハツカネズミなどが rat に含まれます(実験動物のいわゆるラットは品種改良種)。
罵り文句としては「下賎な奴」「卑劣な輩」「裏切り者」という意味で使われることがあります。
ドブネズミは家屋に出没して備蓄食料を漁ったり、糞尿をまき散らしたり、感染症を媒介したりと、総じて人間にとっては有害なイメージのつきまとう生き物です。
ちなみに mouse は「内気な」「臆病な」といった意味合いで用いられることがあります。実際はもっと夢の国っぽいイメージが想起されるようにも思われますが。


 

「のろま」| slug(なめくじ)


slug(なめくじ)は、人への悪口として使われる場合、動作が緩慢で苛立たしい人、あるいは怠け者を意味します。
日本語だとノロマさの喩えとしてカタツムリを引き合いに出しますが、これが英語では主にナメクジを引き合いに出すといった感じです。英語のカタツムリ(snail)も「のろま」の比喩として用いられることがあります。


 

「役立たず」| parasite(寄生虫)

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parasite(寄生虫)は、誰かに頼りきりの、あるいは他人を搾取して生きているような人を罵る意味合いで用いられることがあります。
日本語でも「寄生虫」と形容して罵る言い方はありますが、日本語表現では「ダニ」の方が近いかもしれません。
人の血を吸う bloodsucker(ヒル)も同様の意味で使われます。


 

「非情」「冷血」| vultureヴァルチャ(ル))(ハゲタカ)


vulture(ハゲタカ)は、他人を食い物にして利をむさぼる、冷血で強欲で狡猾というイメージを形容する表現として使われます。日本語でハゲタカという場面のニュアンスに通じます。
日本語では屍肉をむさぼる存在をハイエナ(hyena)に喩える言い方も一般的ですが、英語の hyena にはそういうハイエナ的なイメージは特にありません。他方、ハイエナの鳴き声は悪魔的に(ヒャハハハ-という高笑いに)聞こえるらしく、「ヒステリックなおぞましい笑い方」を laugh like a hyena のように喩える言い方があります。


 

「糞アマ」| bitch(雌犬)


bitch(メス犬)は女性を罵る基本表現です。性悪とかアバズレといった女性蔑視のニュアンスなら何でも含み得る汎用的な罵り文句といえます。
日本語で「ビッチ」というと、貞節がゆるいという程度の軽い見合いで(事によると肯定的に)用いられる節がありますが、英語の bitch は女性に対する最悪の罵倒表現です
必ずしも性的な(淫乱というような)ニュアンスを伴うとも限らず、単に「いまいましいクソ女」という意味合いで使われます。
動詞の用法もあり、主に「悪口を言う」という意味で用いられます。


 

「気取り屋」| peacock(孔雀)


peacock(雄の孔雀)は、虚栄心の強い目立ちたがり屋、すごく気取った人、あるいは自己中、と言う意味合いで用いられます。
クジャクのオスは絢爛な羽を持ち、メスに求婚アピールするために扇状に広げます。女性にアピールする目的で見栄えに固執する野郎に喩えられても仕方ない感。



 

ブタゴリラ的な何か?

|buffarilla


buffarilla は、buffalo(バッファロー)と gorilla(ゴリラ)を合成したカバン語です。バッファロー的ないかつさ(大きさ)とゴリラのようないかつさ(見ための怖さ)を合わせたようなブサイクな人を形容する言い方です。
buffarilla は特に女性に対する悪口として使われるようです。












ブタから「肺」を移植できる日

 

培養した「肺」を移植できる日が近づいてきた──ブタへの定着に米研究チームが成功


組織培養でつくった肺をブタに移植し、合併症や拒否反応もなく2カ月にわたって生存させることに、テキサス大学の研究チームが成功した。これは患者自身の細胞を使ってヒトの臓器をオーダーメイドで培養し移植する技術の実現に向けた、大きな前進だ。


ジョーン・ニコルズは、研究室にある「肺」に夜通し付きっきりだ。肺は赤ん坊と同じように、デリケートで発達途上でいつも目が離せない。

彼女とテキサス大学医学部ガルヴェストン校の「肺ラボ」研究チームはここ数年、毎日交代で午前1時にラボに戻っている。それは培養臓器[日本語版記事]の入ったバイオリアクターが水漏れを起こしていないか、肺を浸している栄養たっぷりの培養液がきちんと循環しているか、できたばかりの肺胞や血管が何かに感染していないか、入念にチェックするためだ。

最後の感染リスクは、常に不安の種だった。肺をつくるには、組織を何週間にもわたって温かく湿った環境におく必要がある。だがこういった環境は、カビにとっても天国だ。テキサス州ガルヴェストンの亜熱帯気候も問題になる。「この街では長いこと座っていると、人にもカビが生えるんです」と、ニコルズは言う。

ニコルズらの献身は報われた。チームは2014年に世界で初めて、ヒトの肺のバイオエンジニアリングに成功したのだ。チームはその1年後、ラボで培養した肺をブタに移植した。これも史上初の快挙だ。以降、さらに3回のブタ肺移植に成功した。移植先の個体から取った細胞を利用して培養した肺を、免疫抑制剤を使うことなく移植した。


「オーダーメイド」を実現する大きな一歩


ニコルズらは、計4回のブタ肺移植の結果を論文にまとめ、18年8月1日付で医学誌『Science Translational Medicine』に掲載した。これは患者自身の細胞を使って、ヒトの臓器をオーダーメイドで培養し移植する技術の実現に向けた、大きな前進だ。



バイオリアクターで30日間成長させたブタの肺。PHOTOGRAPH COURTESY OF JOAN NICHOLS

肺のバイオエンジニアリングは、粘土を使った造形に少し似ている。彫刻家が針金の骨組みを使って粘土の形を保つように、ニコルズのチームは肺の組織や血管を、丈夫で柔軟なたんぱく質の枠組みに沿って、ラボで培養した。

具体的には、死んだブタからとった肺組織を糖と洗剤の混合液に漬けて、前の持ち主の細胞や血管を完全に除去してつくられた。ちょうど、古いテーブルの塗装をはがすような感じだ。

ニコルズは、残った乳白色の塊を「臓器の骨格」と呼ぶ。主成分はコラーゲンとエラスチンだ。前者が強度を、後者が柔軟性をもたらす。

骨格は、ひとつずつバイオリアクターに入れられる。たんぱく質の塊を入れるこの装置も、ニコルズのチームがゼロからつくりだしたものだ。初期モデルは、ちょっと見映えのいい熱帯魚の水槽のようだった。現在の最新型にも、いまだにホームセンターの「ホームデポ」で買ったパーツが使われている。



バイオリアクターのなかにあるブタの肺。気管、肺動脈、肺静脈を通るカテーテルの配置を研究チームが外から確認できるように固定してある。PHOTOGRAPH COURTESY OF JOAN NICHOLS


つくりは質素でも、バイオリアクターの役割は極めて重要だ。「この装置を通じて、臓器に必要な成長因子、培地、機械的な刺激を与えるのです」と語るのは、ラボをニコルズとともに率いる小児麻酔医のホアキン・コリエラだ。

バイオリアクターは、胎盤に似て温かく快適、かつ栄養豊富な環境で肺が成長することを可能にする。肺は30日後に生きて呼吸しているブタの胸腔内に移植され、生まれもった肺の隣に収まる。


バイオリアクターの略図。微小流体システム、ポンプ、老廃物除去装置が相互に接続している。IMAGE COURTESY OF J. NICHOLS ET AL./SCIENCE TRANSLATIONAL MEDICINE

コロンビア大学幹細胞・組織エンジニアリング研究所の所長を務めている生物工学者のゴルダナ・ヴニャク=ノヴァコヴィッチは、バイオリアクターのなかで1カ月にわたって肺を成長させたことは画期的な成果だと語る(彼女は今回の研究には関与していない)。


以前とは異なり「血管が発達している」


ヴニャク=ノヴァコヴィッチは『WIRED』US版の取材に対して、「これまでの研究では、肺の培養期間がずっと短かいものでした」と説明する。このため血管の発達不全がみられ、これが肺の生存を妨げる主要因となっていた。だが、ニコルズとコリエラが時間をかけてバイオエンジニアリングで生み出した肺は、従来のものよりも血管が発達している。
小型の実験動物を使った過去の研究では、肺に液体がたまり、移植個体はわずか数時間で死亡した。一方、ニコルズとコリエラの研究では、発達した血管系のおかげで、肺移植後のブタは2カ月にわたって生存し、合併症は確認されなかった。

ブタが2カ月以降、どうなっていたかはわからない。実験に使われた4頭のブタはそれぞれ、移植後10時間、2週間、1カ月、2カ月の時点で安楽死させ、移植後の培養肺が移植個体の体内でどう発達したかが調べられた。

培養肺が問題なく定着しているのは、どの点をみても明らかだった。血管と肺組織が発達を続け、ブタの肺に固有のマイクロバイオーム(微生物叢)が定着していた。呼吸器疾患や、免疫系による拒絶反応の兆候は一切みられなかった。


さらなる検証が必要


残る大きな課題は、培養肺がどのくらい酸素を供給できるかだ。どのブタも、酸素供給量は通常の範囲内だったが、残っていたもともとの肺の機能によるものかもしれない。研究チームは移植した培養肺は発達途上であるため、もとの肺の呼吸機能を停止して単独でテストするのはリスクが高いと判断した。

これについては今後の実験で検証される予定だ。コリエラとニコルズは、今後ブタを移植後1年以上は生存させるつもりだという。

こうした研究には、さらに多くの実験動物が必要になる。ヴニャク=ノヴァコヴィッチは、「現状では(移植した)実験動物の数がとても少ないので、この技術の確実性は興味深いところです」と語る。とはいえ、結果はとても有望だ。十分な予算さえあれば「10年以内にヒトへの培養肺移植を実現できる」と、ニコルズとコリエラは考えている。
だが、まずはもっと実験が必要だ。それも、もっと設備の整った、信頼のおける実験施設で行う必要がある。

ニコルズの「ほしいものリスト」の上位にあるのは、まずバイオリアクターを設置する無菌室だ。そこは、頭のてっぺんからつま先まで防護服で覆った研究者だけが入れる部屋になるだろう。また、機材の自動化も進めたいと考えている。そうすれば手作業が減り、ミスが発生するリスクも抑えられる。

それに言うまでもないが、ニコルズは肺の様子をライヴカメラでチェックできるようになる日を心待ちにしている。培養肺の世話は今後もずっと24時間態勢になるだろう。しかし少なくともヴィデオモニターがあれば、ラボのメンバーにもリモートワークが許されることになる。




TEXT BY ROBBIE GONZALEZ
TRANSLATION BY TOMOYUKI MATOBA/GALILEO

WIRED(US)

木曜日, 8月 23, 2018

Mario Luciano(マリオ・ルチアーノ)|インタビュー

 

マフィアの一族に生まれ、ヤクザ社会で生きた男の自伝「破界」


ふと書店でこの本が目に留まった。どう生きるかというテーマは表社会に生きる私たちだけが抱えているテーマではないだろう。暴力を共通言語として、命の取り合いをしながら生きている裏社会でこそ、むきだしでさらされているテーマではないのか。マフィアの一族に生まれ、ヤクザの世界で生きた男マリオ・ルチアーノの半生を聞いた――。


――『破界 山口組系組員になったゴッドファーザー末裔の数奇な運命』(徳間書店)はタイトル通り、あなたの数奇な半生を赤裸々に明かした本です。なぜ、書こうと思ったのですか。

「裏社会」で生きてきた人間が表に出るメリットはありません。過去やいきさつがありますから。実際、本を出してから、様々な人間が私のレストランに現れました。本を書いたのはたまたま縁があって、出版社から声をかけられたからです。どこで私の話を聞いたのかわかりませんが、「あなたの人生をまとめてみませんか?」といわれてね。私は裏社会から身を引いてから、ずっと自分が歩んできた人生について考え続けています。本を書くことで過去を整理できたら、と思ったのがオファーを受けた理由です。でも、本を書いて良かったのかどうか、いまも答えは出ていません。

――なぜ裏社会の道を歩むようになったのですか?

自分のことを特別な人間だと思ったこともありません。あなたと同じですよ。私の母がマフィアのファミリーに連なる人間でした。あなたがカタギの家に生まれて、カタギの世界で生きてきたように、私はマフィアの血を引く一族に生まれたのです。裏社会で生きていくことは自然なことでした。いいとか悪いとかの問題では語れないし、そこには自分の意志もありません。




――最初の仕事はマフィアの手伝いだったそうですね。

9歳の時でした。当時、私は父の仕事の関係でニューヨークに住んでいました。ニューヨークには母方の祖父や叔父ら「ファミリー」がいて、建設業や不動産業、飲食店など幅広くビジネスをしていました。祖父は地元の顔役でトラブルの処理や仕事の仲介もしていました。そんなある日、ファミリーに関わるマフィアの人間から、このかばんをある場所に持っていってくれないか、と頼まれたのです。後で知ったのですが、かばんの中身はカネでした。かばんを運ぶとお小遣いがもらえました。いまだからわかりますが、子供に「運び屋」をやらせるのは警察のマークを逃れるためでもあったのです。10歳になると、仲間とつるんで、駐車中の車からパーツを盗んで売り飛ばして稼ぐようになりました。その世界での才能をファミリーのメンバーからも認められて、彼らに囲まれる日々を送りました。

――23歳の時、来日しました。

それまで私はギリシャ、イタリア、米国、コロンビア、パキスタン……といろいろな国で生きてきました。日本に来る前は父とフィリピンで暮らしていました。当時のフィリピンは貧しくて、外貨を稼ぎに多くの人々が海外に働きに行っていました。父は彼らを海外に送り出す人材派遣の仕事をしていました。一方で、マルコス政権に食い込んで、マルコス大統領一族の資産を海外に移す手伝いもしていて、大金を稼いで優雅な暮らしをしていました。私は大学に通うかたわら、拳銃の密売を手がけていました。ところが、1986年にフィリピンで革命が起こり、マルコス政権が崩壊すると、私たち親子も一転して、命を狙われるようになったのです。父は日本のヤクザともコネクションがあり、彼らが「日本に来たら?安全だよ」とすすめてくれたので、脱出することにしたのです。最初に住んだのは兵庫県の芦屋です。

――その日本であなたはヤクザになります。最初は西海家総連合会系の組員になりました。

日本に来ても言葉はわからないし、知っている人もいませんでした。上京してぶらぶらしているときに、「会長」と呼ばれる人物と知り合いました。銀座のイタリアンレストランで食事をしているときに、別の席で食事をしていた会長から「どちらから来られたのですか?」と声をかけられたのがきっかけです。それから、会長の手伝いをするようになったのです。毎日、企業を回って集金し、集金したお金を会長に渡しました。支払いの名目はわかりませんが、その頃は企業も裏社会と関係を持っているところが少なくなかったのです。会長は右翼の大物でしたが、西海家総連合会系の組長でもあったので、組織に入ることは自然の成り行きでした。ずいぶんかわいがってくれてあちこち連れて行ってくれました。政財界の大物といわれる人物にもけっこう会いましたよ。

――次に日本最大のヤクザ組織・五代目山口組系の組員になります。

当時、私はブランドものの洋服や宝石の輸入販売をてがけていました。ファッションや宝石の販売・流通の一部はマフィアが握っており、そこから仕入れる必要がありました。でも、どんなジャンルでもそうですが、ビジネスや人間関係のトラブルは付きものです。そういうときにいろいろ助けてくれる山口組系の組織の人間がいて、盃を受けたのです。これも私にとっては自然な流れでした。組員になった効果ですか?もちろん、ありましたよ。山口組の代紋は絶大でしたから。組織に入るとすぐに「雑音」は消えました。





――本に書いてありますが、知人のヤクザの組長は、あなたがヤクザになったことを聞いて泣いたそうですね。

親しくおつきあいしていただいた山口組系組長のヒロシさんのことですね。そうです。ヒロシさんはがんで入院中でしたが、「お前バカだね。ヤクザなんかになったのか……」「俺は長年ヤクザをやったけど、いいことは一つもなかった……」、そういって怒りで体を震わせて泣きました。裏社会で生きていくことは厳しい。仕事でのトラブルや失敗は即、生命に関わってくる問題になります。だから、細心の注意を払わないといけない。緊張感もプレッシャーもハンパではありません。私が知っているヤクザのトップで、お酒を飲んでいる人は一人もいませんでした。

――あなた自身も襲われたことがあるそうですね。

いくら細心の注意を払っていても、どう思われるかは相手の問題ですから。思わぬことから恨みを買うこともあります。私も2回、刺されました。もちろん、被害届を警察に出したりしませんよ。事件になれば、面倒なことになります。日本の警察は優秀ですからね。医師には「店で仕込みをしているときに、誤って包丁を落とした」と言ってごまかしました。






――日本の警察はそんなに優秀ですか?

そうです、優秀ですよ。捜査能力も高いし、物腰もスマートです。世界でトップクラスだと思います。私は米国やフィリピンにもいましたが、彼らのやり方は荒っぽい。いきなり拳銃を突きつけて、「動くな!」ですから。動けばもちろん撃たれます。米国は人種差別が強い国ですから、いやがらせもひどかった。やっていないことでも、証拠がなくても、彼らの一存で身柄を拘束されます。幸い私は一度も日本の警察に逮捕されたことはありませんが、一時期、ある案件に絡んで警察からマークされていたこともあったようです。後からそう聞いて、ぞっとしました。







裏社会で生きる者から見た表の社会は「汚い」


――裏社会で生きるあなたの目に、表の社会はどのように映りましたか?

これは私のような人間が口にすべきことではないかもしれませんが、一言で言うと汚い。裏社会のように組織の統制もありませんから、ある意味、めちゃくちゃ、自分の欲やお金のために何でもやるという感じですね。企業の経営者や政治家、弁護士、医師……特に社会のトップ層やエリートにずるくて汚い人が多かった印象を持っています。

――というと?

社会のトップ層やエリートたちは、実に巧妙に合法的に人をだましたり、裏切ったりしますからね。そもそも、裏社会で人を裏切ったり、だましたりするのはそれなりの覚悟が必要です。へたしたら殺されますから。でもカタギの世界では、人を裏切っても命まで取られることはないでしょう。だから平気で汚いことをするのです。裏社会は「暴力」の形が見えやすいだけ。表の社会でも、見えないだけで「暴力」はあふれているのです。とはいえ、私は裏社会を肯定したり正当化したりするつもりはありませんから誤解しないでください。私が見た世の中の現実とはそういうものだったということです。

――なぜ、裏社会はなくならないのでしょう?

仕事があるからです。この世の中を動かしているのは法律でもルールでも正義でもない。「もっとカネが欲しい」「権力や地位が欲しい」という人間の果てしない欲望です。日本の社会でも「自分の利益のためなら人のことはどうでもいい」と考える傾向は強くなっているように思います。裏社会のビジネスは、こうした表社会からのニーズから成り立っているのです。よく言われることですが、世の中にはお金を借りて返さない人がいます。彼らの多くは、はじめからお金を返すつもりがない確信犯です。餌食になるのはそんな彼らを信じて、事業や生活に必要な大切なお金を貸した人たち。時間も費用もかけて裁判で争っても、取り返すことは難しいでしょう。その間にお金を貸した人間の生活や人生が破綻(はたん)するかもしれません。どんな手段を使ってもいい、貸してしまった100万円のうち半分でも取り返せたら……と思ったとしても理解できなくありません。









――暴対法(暴力団対策法)、暴排条例(暴力団排除条例)によって取り締まりも厳しくなっていると聞きます。

暴対法や暴排条例による取り締まりもそれなりの効果はあるでしょうが、「悪いやつらはいなくなれ」というだけで、裏社会の人間がいなくなることはありません。シチリアのマフィアの歴史を調べてみてください。シチリアの歴史は他民族の支配と圧政の連続でした。搾取や貧困の中で、暴力はそれらに対抗し生きていくために必要な手段だったのです。

つまり、私が言いたいのは、裏社会が存在するのは社会が生み出している側面もあるということです。人は聖人君子でばかりはありません。生きていくのが困難な状況に追い詰められた人たちの中には、「悪」に手を染める人も出てくるのです。貧困、差別、格差、家庭の崩壊……日本でもいま、いろいろな問題が起きていますが、こうした社会の問題の中から裏社会の担い手は生まれてくるのです。最近は暴対法の適用対象にならない、組織に属さない人間たちがトラブルや面倒を起こすケースが増えていると聞いています。私には誇るべき人生もありませんが、もし、裏社会で生きてきた私の経験を語ることで、困っている若い人たちが悪の道に入ることを踏みとどまるために役立てるのであれば協力は惜しみません。

――話を戻しましょう。裏社会で生きてきたあなたは最後、家族に裏切られて、財産をだましとられてしまいます。

信頼していた身内に裏切られることはとてもつらいことでした。結果的に、父とも姉とも弟ともバラバラになり、私の家族は崩壊してしまいました。どんなに信用や忠誠を重んじ、結束を誇っていても、裏社会で生きる人間もまた利害打算で動く人間なのです。大金を動かしているうちに、欲でおかしくなることはありますし、人を裏切ることもあります。この世界では、どんなに羽振り良く暮らしていても、最後はカネを失い、人も去り、女にも逃げられ、孤独に死んでいく人間が少なくありません。








――いまの生活はどうでしょう。あなたはヤクザをやめて、一介のレストラン経営者です。平穏に暮らしているのでしょうか?

本にも書きましたが、私のこれまでの人生は「喪失の歴史」でした。家族も財産もなにもかも失いました。残ったものはありませんし、もうなにも欲しいと思いません。友だちも欲しくないし、誰とも会いたくない。いま、私を悩ませているのは私の過去です。ふりかえると、いろいろなことが頭の中をフラッシュバックして来るのです。私が人生を間違えて生きてきたことはわかっていますが、どこで自分が道を誤ったのか、どうしたらよかったのか、これからどうしていくべきなのか……なにもかもいまは答えられない。過去と向き合う作業はほんとうにつらく、眠れない夜もままあります。

――そういう時はなにをするのですか?

 夜中にドライブして海に行ったりして気を紛らわせています。

――気を紛らわせる?

 そう。いまの私にできる唯一のことです……。






マリオ・ルチアーノさん プロフィール〉
レストラン経営者。1964年、イタリア・シチリア島生まれ。映画「ゴッドファーザー」のモデルの一人、マフィアのボス、ラッキー・ルチア-ノの血を引く。幼少期をニューヨークで過ごし、23歳のときに来日。ヤクザ組織の西海家総連合会系組員、五代目山口組系組員になる。現在は裏社会から身を引き、都内でレストラン「ウ・パドリーノ」を経営する。著書は『破界』(徳間書店)のほか、『ゴッドファーザーの血』(双葉社)がある。

世界を制した「闇ドラッグサイト」の帝王とその早すぎた夢

The Rise and Fall of Silk Road

 

 


 

 

Part 1. 

終わりの始まり



ジャンベとサーフィンを愛した青年は、
いかにして史上最大の闇サイト「Silk Road」を築き上げ、
そして堕ちたのか。
米国のサイバー犯罪史上、最も大がかりな捜査の果てに
ダークウェブとビットコインの存在を
満天下に知らしめた衝撃の逮捕劇のすべてが
いま、明かされる。



主な登場人物

カーティス・グリーン:闇サイト「Silk Road」の元運営スタッフ。
ドレッド・パイレート・ロバーツ(DPR):Silk Roadの謎の管理者。
ロス・ウルブリヒト:Silk Roadを開設した青年。
カール・マーク・フォース4世:FBIボルチモア支局の特別捜査官。麻薬捜査を担当。
クリス・ターベル:FBIニューヨーク支局の新人捜査官。サイバー犯罪捜査を担当。

 

 

Ⅰ. 速達


「いつか俺について本が書かれるかもしれない。そのときのために、人生の記録をつけておくのも悪くない」
──home/frosty/documents/journal/2012/q1/january/week1(frostyの日記、2012年1月第1週)


郵便配達員は一度しかベルを鳴らさなかった。カーティス・グリーンは自宅で、1.8リットルボトルのコーラと粉砂糖がたっぷりかかったドーナツの朝食をとっていた。突然の訪問者は、砂糖で指を白くしたグリーンを驚かせた。午前11時。ユタ州スパニッシュフォーク、ワサッチ山脈の麓、砂漠地帯の集落にある彼の質素な自宅を、こんな時間に不意の客が訪ねてくることなどまずない。

グリーンは迷彩柄のウエストポーチのベルトをいじりながら、難儀そうに立ち上がった。47歳だが体はボロボロだ。肥満、4カ所の椎間板ヘルニア、役立たずの膝、インプラントの歯。時にはちょっと歩くためだけに妻のピンクの杖を借りなければならなかった。グリーンはよろめきながらドアへと向かった。飼い犬のチワワのマックスとサミーがあとを追う。

ドアの窓から外をうかがうと、配達員が足早に立ち去るのが見えた。上着は郵便公社のものだが、下はジーンズとスニーカーだ。「おかしい」。グリーンは思った。通りの向こうに停まっているヴァンもだ。いままでに見たことないようなそれは、真っ白で、ロゴもなければリアウィンドウもない。

グリーンはドアを開けた。陽は低く、空が高い冬の朝。雪を頂いて彼方にそびえ立つスパニッシュフォークピークは薄いもやで覆われていた。足元を見ると、聖書ほどの大きさの速達の箱が置かれている。箱は重く、発送元の住所は書かれていないが、メリーランド州の消印が押されている。

グリーンはしばらく箱を見つめてからキッチンにもってゆき、ハサミで封を切った。すると白い噴煙が立ち上がり、顔を覆い、舌を麻痺させた。同時に、玄関のドアが蹴破られた。SWATが特殊警棒を振り回しながら蝶番ごと破壊したのだ。黒い覆面のフル装備の警官たちが、銃を構えながら部屋になだれ込む。

「床に伏せろ!」と誰かが叫ぶ。グリーンは箱を床に落とした。飼い犬たちをなだめようとすると、一斉に銃が向けられた。「手を見える場所に置け!」

警官は小さな牙を剥き出して靴紐に噛みついているマックスを払いのけ、足を広げて腹ばいになっているグリーンに手錠をかけた。SWATと麻薬取締局(DEA)からなるチームは家じゅうに散らばった。ものが壊され、捜査官が怒鳴り合うのが聞こえた。グリーンは蹴破られたドアを見ながら、「やれやれ、鍵は開いてたんだぜ」と心につぶやいた。

居間の壁には家族の写真が掛かっている。妻のトーニャと2人の娘と孫。27,000ドル(約305万円)相当の高級コカインまみれで(パッケージにはペルー産の高品質なコカインであることを証明する赤いドラゴンのスタンプが押されている)床に這いつくばっているグリーンの頭上で、写真のなかの彼らは、にこやかに微笑んでいた。

グリーンはただのモルモン教徒の中年男ではない。彼は過去数カ月にわたり、「Silk Road」という巨大なオンライン事業においてカスタマーサーヴィスの仕事を担っていた。Silk Roadは「裏eBay」とでもいったようなもので、違法な商品、主に薬物を販売するサイトだ。グリーンは「クロニックペイン」(慢性痛)というハンドルネームで、広範な薬物の知識(彼自身、何年も鎮痛剤の世話になってきた)を生かした有料相談をしていた。

Silk RoadはGoogleなどの検索エンジンには表示されない、いわゆるダークウェブ上に存在し、サイトにアクセスするには暗号化機能を備えたブラウザーが必要になる。匿名のインターフェイスと暗号通貨ビットコインによる足のつかない決済を組み合わせることでドラッグディーラーとその顧客たちをつなぐ「eコマース」を実現し、世界中で約100万人にも上る利用者に、望み通りのドラッグを提供した。Silk Roadは2011〜13年に大成功を収めた。この短期間で、サイトの売り上げは(どう計算するかにもよるが)、10億ドル(約1,130億円)を超えた。

そしてこれが、グリーンが複数の関係機関で構成される特殊部隊に取り囲まれるに至った理由だ。彼はSilk Roadの中枢にいたドレッド・パイレート・ロバーツという謎の人物に雇われていた。「DPR」と呼ばれるこの男こそが、サイトの所有者であり、広がりゆくコミュニティのヴィジョナリーリーダーだった。

この見えざるドラッグマーケットは法執行機関にとって深刻な脅威となっていたが、当局はDPRが男か女か知らなかっただけでなく、その単語が個人を指すのかすら特定できていなかった。DEA、連邦捜査局(FBI)、国土安全保障省、内国歳入庁(IRS)、シークレットサーヴィス、郵便監察局といった関係機関が、1年以上にわたってSilk Roadの内部への潜入を試みており、このユタ州の砂漠地帯で起こったグリーンと彼のチワワへの強制捜査が、当局側の最初のめぼしい成果となった。

捜査官たちはグリーンをひざまずかせた。聞きたいことは山ほどある。まず、ウエストポーチに現金23,000ドル(約260万円)が入っているのはなぜか。パソコンの暗号化されたチャット履歴の相手は誰なのか。彼はパトカーに乗せられ、コカイン1,092gを販売目的で所持していた容疑で逮捕すると告げられた。

「刑務所は勘弁してくれ」。グリーンは懇願した。「あいつは俺のことは何でも知っているんだ」。グリーンはのちの取調べで、起訴されニュースで名前が報じられれば自分は殺されるだろうと訴えた。DPRは危険な男だ、とグリーンは言った。「あいつは大金持ちなんだ。俺は殺される」


Ⅱ. ロス


ロス・ウルブリヒトは、いつものドラム・サークルで彼女に出会った。西アフリカのジャンベという太鼓を叩いていると、向かいにジュリア・ヴィーが座っていた。カールした髪に褐色の肌、ダークブラウンの瞳。08年、ロスはペンシルヴェニア州立大学大学院の材料工学の修士課程に在籍していた。ジュリアは18歳の自由奔放な新入生で、ロスを目にするなり強く惹かれた。間もなく彼女がロスの研究室を訪ねると、たまりかねたように2人はキスをし、床の上で互いの体を重ね合わせた。

2人はお互いに夢中だった。ロスは結晶学を学んでおり、薄膜成長の研究をしていた。彼はある日、大きくて平たいブルーの結晶をつくり、それを指輪にしてジュリアにプレゼントした。彼女はボーイフレンドがどうやってそんなものをつくり出したのかまったく理解できなかったが、自分が彼に恋していることは知っていた。

テキサス州オースティン出身のロスは子どものころから利発でチャーミングだった。ボーイスカウトの最高位「イーグルスカウト」に選ばれ、友だちにけしかけられて思いつきでモヒカン刈りにしてしまうような少年だった。家族仲はよく、夏になるとコスタリカに両親が建てた太陽光発電を備えた素朴な竹の小屋で過ごし、近くのサーフポイントでロスはサーフィンを始めた。

高校に進学してからのあだ名は「ロスマン」で、古いボルボを運転しマリファナもたくさん吸ったが、SAT(大学進学適性試験)では1,460点を取った。友人たちにとってのロスは、気楽に付き合えるだけでなく、思いやりのある男だった。
ロスはテキサス大学ダラス校の奨学金を得て、物理を専攻した。卒業後はやはり奨学金でペンシルヴェニア州立大学大学院に進み、これまでどおり優秀な成績を収めた。しかし、研究室での単調な仕事には嫌気が差していた。

彼は学生時代から幻覚剤に興味をもっており、東洋哲学の本も読んだ。専攻を変えようかと思っているとおおっぴらに話し、ネットで「科学には幻滅した」という内容の書き込みをしている。彼の新しい興味は経済学だった。

ロスは政府と税金を、国家による暴力の独占が生み出した支配の一形態とみなすようになった。彼の思想は、オーストリアの経済学者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスの影響を強く受けていた。ミーゼスは近代米国の古典自由主義の支柱となる人物で、人は政治的または倫理的に自由であるために経済的な自由を手にしなければならないと主張していた。ロスは自由になりたかった。

09年に修士課程を修了したロスは故郷のオースティンに戻り、ジュリアのために航空券を買った。彼女は大学を中退し、2人は安アパートを借りた。窮屈な部屋だったが、ロスもジュリアも若く、夢があった。2人は結婚を思い描いたりした。

ロスはまずデイトレードに挑戦したが、うまくいかなかった。次はヴィデオゲームの会社を立ち上げたが、これも失敗した。挫折は彼を打ちのめした。ロスは挑戦したいのではなく、何かを成し遂げたかった。

このころ、階下に住んでいたドニー・パーマーツリーという男が、グッド・ワゴン・ブックスという会社を一緒にやらないかと誘ってきた。中古本を集めてAmazonなどで販売するというビジネスで、ロスはグッド・ワゴンのウェブサイトを立ち上げ在庫管理を習得したほか、Amazonの売れ筋ランキングに基づいて書籍の値段を決めるというコンピューターのスクリプトを書き上げた。

休日には読書やハイキング、ヨガを楽しみ、ジュリアが懐かしむように「素敵なセックスをいっぱい」した。ただ2人は口論もよくした。政治のこと(彼女は民主党を支持していた)、お金のこと(ロスが「質素」と形容するものを彼女は「安物」と呼んだ)、人付き合いのこと(ジュリアはロスよりも頻繁にパーティに出かけた)。

2人の関係は雲行きが怪しくなり、何回も喧嘩別れした。10年の夏、2人はまた破局を迎えた。ロスはひどく落ち込み、のちに出会い系サイトの「Ok-Cupid」で知り合った女性に、少し前まで別の人を愛していたがいまはそれを乗り越えようとしていると話している。
ロスは途方に暮れていた。彼のパソコンの日記には、「人間関係に関しては、この1年でいろいろつらいことがあった」と書かれている。「投資アドヴァイザーか起業家になるために科学者としての輝かしいキャリアを捨てたのに、結局は失敗した」。

ロスは自分を恥じていたが、パーマーツリーがダラスで職を得てロスにグッド・ワゴンを譲ってからは状況が変わった。ロスがずっと求めていたのは何かを任されることだったが、彼はついに、責任者という地位を手に入れたのだ。

グッド・ワゴンの倉庫では、学生アルバイトを5人雇った。ロスが自ら組み立てた本棚に並ぶ50,000冊の本の仕分けや記録、整理などをさせるためだ。12月の収益は過去最高の10,000ドル(約113万円)を記録した。

しかし、グッド・ワゴンの新CEOは10年末には書籍販売以外の事業を思い描いていた。ロスはデイトレードをしていたときに、暗号技術を使った電子通貨ビットコインと出合った。ビットコインの価値決定システム(市場要素のみに基づき中央銀行の介入を受けない)は、先鋭化してゆく彼のリバタリアニズムに沿うものだった。LinkedInのロスのプロフィールには、「人間社会に蔓延する支配と攻撃をなくす手段として経済理論を用いる」と書かれている。

そしてついに、ロスはこれを実現するための閃きを得た。日記には「何でも匿名で買えるサイトというアイデア。個人を特定しうるような痕跡は一切残らない」と書かれている。「これまでは技術的なことを学んできたが、ビジネスモデルと戦略が必要だ」
ロスはほとんどのリバタリアンがそうであるように、麻薬の使用は個人の自由だと考えていた。ドラッグは新会社が扱う商品としてはうってつけだ。「サイト名はUnderground Brokersにするつもりだったが、結局はSilk Roadになった」

有能な科学者だったロスは、サイトで手始めに売る商品を用意するために、幻覚作用のあるキノコを自分で育ててみることにした。ジュリアとよりを戻した彼は新しいサイトのプログラミングに取り組む一方で、グッド・ワゴンの経営も続けていた。

11年初頭のある晩、グッド・ワゴンが崩壊した。文字どおり、崩れ落ちたのだ。ロスが夜遅くに倉庫で1人で仕事をしていたとき、とてつもなく大きな音がした。それは彼が注意深く組み立てた書棚が崩れ落ちる音だった。組み立てのときに大事なネジを2本忘れていたためで、書庫全体がドミノのように順番に倒れていった。

ビジネスパートナーのパーマーツリーに事情を説明すると、彼ももうグッド・ワゴンにさほど関心がないことを認めた。2人は会社を畳むことにした。どちらも、とりたてて悲しくはならなかった。ロスはパーマーツリーに、新しいビジネスのアイデアがあると話した。「でかいヤツだ」

Silk Roadは11年1月半ばにオープンした。数日後に最初の取引があった。商品は順調に売れてロスのマジックマッシュルームの在庫4.5㎏は完売したが、徐々にほかの出品者が現れ始めた。初めはすべての取引をロス自身が管理していた。時間はかかったが、ワクワクするような体験だった。利用者はどんどん増え、拡大を続ける機能的な市場が出来上がった。

サイト開設の直前、ロスは新しい年を目前に人生を変えようと決意した。彼は自らを諭すようにこう書いている。「11年はこれまでに経験したことのないような幸運とパワーに満ちた年になる。Silk Roadは社会現象となり、最低1人は俺がその創設者とも知らずに俺にその話をしてくるだろう」


Ⅲ. フォース


郵便監察局の検査官が小包仕分け機で変なものが見つかったと言い出したのを、特別捜査官のカール・マーク・フォース4世はうとうとしながら聞いていた。退屈した捜査官でいっぱいの会議室で、その検査官は「ちょっと皆に知っておいてもらいたいことがある」と切り出した。「ドラッグが郵便で送られているようなんだ」

フォースはボルチモアの麻薬捜査官で、地域の省庁間のミーティングに出席していた。FBIやDEA、IRS、国土安全保障省などの専門家が参加する定期会合だ。「送り主はアンダーグラウンドの麻薬サイトだ」と検査官は言う。「名前はSilk Road」

フォースは椅子に座り直した。こういう情報を待っていたのだ。彼はドラッグのストリートディーラーを捕まえるという単調な仕事に飽き飽きしていた。身長180cm、体重90㎏の体育会系で、自分が誇りに思える勤め先で順調に昇進してきた。彼は早朝6時に特殊作戦用のベストを着て、ドクターマーチンの靴でドアを蹴破るときのスリルが好きだった。うらぶれた街区のうらぶれたテラスハウスで、トイレで用を足しているディーラーを捕まえ、尻を拭く間も与えずに手錠をかける──。

しかし数え切れないほどのこうした強制捜査を経たいま、アドレナリンは枯れ果てていた。巨大な麻薬販売網を前にして、わずか数グラムの麻薬を差し押さえることに何の意味がある? 50歳を前にして、フォースはまだ地方事務所の公務員でしかなかった。いい加減に大きなヤマを当てて、ここから抜け出したい。そこで、手がかりを求めてこうしたミーティングに参加するようにしていたのだが、たいていは退屈するだけだった。これまでは。

フォースがSilk Roadのことを耳にするようになってから1年近くが経っていた。サイトは賢明にもAmazonやeBayをモデルにしており、実際それらと同じように見えた。利用者のプロフィールや購入履歴、取引評価などが揃った、よく管理されたマーケットプレイスだ。ただしすべてが匿名で、発送は昔ながらの郵便サーヴィスを利用することが多い。偽名などは不要で、購入者は自宅の住所を教える。もし郵便物の中身がばれたとしても、「ヘロインなんか注文した覚えはない!」と言えば済む。

Silk Roadの「販売者ガイド」には、真空包装のやり方や、ドラッグが麻薬探知機や麻薬捜査犬に引っかからないようにする方法などについて詳細な説明があった。ほとんどの商品はきちんと購入者に届いている。

13,000点に上る商品はさまざまなカテゴリーを網羅する薬のリストのようなもので、ドラッグの目利きたちにとってはまさに色とりどりのオードブルだった。コロンビア産の高品質なコカイン、アフガニスタン産の高純度ヘロイン、イチゴ柄のパッケージのLSD、モロッコのカラメロハシシ、マリオ・インヴィンシビリティ・スターのエクスタシー、ミツビシのMDMA、デヴィルズ・リコリスと呼ばれるメキシコ産の強力ヘロイン。

サイトでは処方薬も売られている。鎮痛剤のオキシコンチン、抗不安薬ザナックス、フェンタニル、ディラウディッド。商品解説とユーザーによる評価は膨大な量に及び、百科事典といってもいい情報源となっていた。Cantfeelmyfaceというユーザーが、ある製品について「素敵な効果があって、強い高揚感と自信を与えてくれる」と書いているかと思えば、Ivoryは最近試したMDMAの結晶粉末を「いい煙とハッピーなトリップ:)」と評価する。
こうしたレヴューと利用者の高い要求水準により、最高の顧客サーヴィスが実現していた。ユーザーはどんどん増えて評判も上がり、ドラッグのオンライン売買をしようと思ったら、まずはじめに立ち寄るべき場所となった。

当局にとっては不意打ちだった。11年夏には複数の機関がSilk Roadに関する捜査を進めていたが、手がかりはなかった。フォースはどこから手をつけていいのかすらわからなかった。12年1月、上司から格好のニュースが伝えられた。国土安全保障省がSilk Road摘発に向けたタスクフォースを編成するという。上司はフォースに「やってみるか?」と尋ねた。

フォースはその特別チームの話を知るより前に、このサイトにまつわるミーティングに参加していた。捜査官40人ほどがドーナツを片手に、ノードやTCP/IPプロトコルなど技術的な専門用語が満載のパワーポイントを見ていた。大半の捜査官はぽかんとしていたが、フォースはやる気だった。

Silk Roadの特別捜査には「マルコ・ポーロ作戦」という名前が付けられ、ボルチモアにある国土安全保障省捜査・取締局に拠点が置かれた。捜査官の1人がフォースにSilk Roadの使い方を説明してくれた。

サイトには強い発言力をもった首謀者がいることがすぐに見て取れた。ドレッド・パイレート・ロバーツとして知られる、皆から崇拝されている人物だ。映画『プリンセス・ブライド・ストーリー』の登場人物の名を借りたクレヴァーなネーミングだった。ドレッド・パイレートは伝説の人物で、黒い覆面をつけた者がその名前を引き継ぐ。

中身は変わっても生き続けるアイデンティティが、Silk Roadをさらに得体の知れないものにしていた。フォースは興味を惹かれた。このデジタルの仮面を身につけた者が、急成長するサイトのトップとして君臨している。

フォースは上司に、Silk Roadは「格好のターゲット」だと話した。彼はコンピューターについては初心者で、ビットコインのことは何も知らなかった。早速、それを学ぶことにした。


Ⅳ. オニオンピーラー


ヘクター・ザヴィエル・モンセガーは、FBIニューヨーク支局には不似合いな訪問者だった。2011年春のある晩、時間は深夜1時を回っていた。実際のところ、彼は訪問者ではなかった。数時間前にロウアー・イースト・サイドで逮捕されたのだ。クリス・ターベルという若い捜査官が、モンセガーを空っぽの留置所の裏に連れていった。ダイヤモンドのピアスをしたこの巨体の男はプエルトリコ出身で、公営住宅で育った。

モンセガーはCIAやニューズ・コープといった政府機関や大企業のサイトをアタックしたエリートハッカー集団LulzSec(ラルズセック)の共同創始者で、サブゥの名で知られる。サブゥはハクティヴィストの政治集団「アノニマス」の最重要メンバーでもある。ターベルはFBIのパブリックホットラインに寄せられた手がかりからサブゥにたどりつき、内通者として彼をFBIに差し出した。新人のターベルにとっては大手柄だった。

ターベルは警官になるべくしてなった男だった。両親が息子は医者になるだろうと思っていたときでさえ、警官としての素質が彼にあった。ジェームズ・マディソン大学では重量挙げをやった。シェナンドー・ヴァレーのお坊ちゃん学校では珍しい選択だ。巨体、短髪、童顔。当時からすでに警察官に見えた。

卒業後は、これからの警察官には必要になるだろうと、コンピューターサイエンスの修士号を取った。初めはプログラミングがまったくわからなかったが、ここに未来があることはわかっていた。最終的には、コンピューター科学捜査の専門家として市民の立場からFBIに協力することとなった。

ターベルは4年間にわたり、テロリストや児童ポルノの犯罪者、ボットネットを追って世界を飛び回った。彼にはデジタルの痕跡を発見する才能があった。ターベルは、仮想領域が、まるで秘密の魔法の世界のように見えるのはなぜだろうと考えた。魔法の世界と同様にヴァーチャルの世界にも、必ずペテン師や黒魔術を操る者がいる。その世界の秘密を解き明かせるものは稀だ。ターベルは自分がその数少ないひとりであると感じていた。

科学捜査部門で数年を過ごしたあと、ターベルは妻のサブリナに、民間人ではなく捜査官としてFBIに加わりたいと告げた。妊娠8カ月のサブリナは夫の希望は人生を破綻させるものと思えたが、承諾した。ヴァージニア州クアンティコでの訓練を終えたターベルは、ニューヨーク支局のサイバー犯罪部門に配属された。すでに31歳で、新人と呼ぶには、やや年を食っていた。

しかし、巧みに姿を隠していたサブゥを捕まえたことで、ターベルの名はFBI内で知られるようになった。ハッカーたちのサブゥへの信頼は絶対的なものだった。FBIからコンピューターを与えられたサブゥは、ラルズセックのメンバーを検挙するための証拠集めを始めた。9カ月後には大勢のハッカーたちが逮捕され、世界最大のハッカー集団のうち2つがほぼ機能不全となった。

ラルズセックが片付いてから、ターベルは新しい大きな事件を探し始めた。彼はSilk Roadのようなサイトにアクセスするために使われる「Tor」という暗号ソフトウェアに興味をもった。Torのプロトコルは目に見えないデジタルのマントのようなもので、ユーザーやサイトを覆い隠してくれる。

Torは「The Onion Router(玉ねぎルーター)」の頭文字で、米海軍調査研究所が開発した技術を基に、02年に使われ始めた。以来、中国など国家レヴェルの検閲の回避からSilk Roadのような違法サイトまで、合法違法を問わずあらゆる種類の機密通信の手段となっている。

Torの暗号化は何層にも及ぶため、解読は不可能だと当局は考えていた。この不可能性に惹きつけられたのはターベルだけだった。やってやろうじゃないか、と彼は思った。
ターベルは直属の上司に簡単な報告を行い、上司はさらにその上役にプレゼンした。これが繰り返され、最終的に主任捜査官(SAC)までたどり着いた。SACを丸め込むには多少のセールストークを要したが、13年2月、ターベルはついにFBI初となるTor関連の事件に着手した。名づけて、「オニオンピーラー作戦」。

この時点で、Silk Roadはおいしいターゲットになっていた。多くの捜査官がこのサイトの正体を突き止めようとしていたが、手がかりを得た者はいなかった。国土安全保障省は公式捜査を開始し、内国歳入庁(IRS)も調査を進めていた。

フォースのいるボルチモアの麻薬取締局(DEA)も捜査を行っており、ニューヨークのDEAはターベルに技術的なアドヴァイスを求めた。彼らは伝統的な麻薬捜査の手法を採っていたが、ターベルには、これが犯罪者の鎖をたどっていけば解決する類の事件ではないことがわかっていた。なぜなら、鎖などないからだ。トップにいる者を直接おさえなければならない。


 

Part 2. 

架空の人生


 オープンから1年もたたずに
Silk Roadのユーザー数は急速に伸び、
ロスは高収入を得て悠々自適な生活を送るようになった。
しかし、オンラインとオフラインで
ふたつの顔を使い分ける罪悪感に苦しんでいた。
一方、囮捜査でドラッグの密売人を演じ始めたフォースは
現実世界とは別の人生を生きる楽しみに
再び目覚めつつあった。


主な登場人物

ロス・ウルブリヒト:闇サイト「Silk Road」を開設した青年。
ドレッド・パイレート・ロバーツ(DPR):Silk Roadの謎の管理者。
カール・マーク・フォース4世:FBIボルチモア支局の特別捜査官。麻薬捜査を担当。
エラディオ・グスマン(ノブ):フォースが囮捜査で演じるドラッグの密売人の名。
クリス・ターベル:FBIニューヨーク支局の新人捜査官。サイバー犯罪捜査を担当。

 

 

Ⅴ. 嘘


ロスは波を待つためにパドリングしていた。シドニーの南にあるボンダイビーチは美しい海に向かって砂浜が傾斜している。サーフィンは、ロスが、11年の末に姉のキャリーとともに、オースティンからここにやってきた理由のひとつだった。彼はすぐさま地元に溶け込み、新しい友人たちと飲み歩いたりパーティに出向いたりした。

その日、ロスは午前中に仕事をして、午後になるとまた海に入った。旅先での素敵な生活だった。それを支えているのは繁盛し続けているオンラインのドラッグバザールだ。その年の6月、オンラインメディアの『Gawker』がSilk Roadを取り上げたことで注目が集まり、利用者数は急速に伸びた。トラフィックも急増し、サイトのメインテナンスや取引の処理、自動支払い機能の設置、フィードバックシステムの改良などにおいて、技術的なサポートが必要になった。

ロスはこれまで、こうした業務はすべて自分でこなしてきた。必要なことはその場で学び、自動トランザクション処理のプログラムを書き、親切なハッカーがサイトの不具合を知らせてくれたときにはCodeIgniterを使って修正した。

ロスのこうした地道な努力は(奇跡的に)機能したが、不安は増していた。外の世界では相変わらず愛想のいい男に見えたが、デジタルドメイン上の彼は疲れ果てていた。この間ずっと、彼は日記に、勘と経験でスタートアップを運営することの落とし穴について書き綴っている。

また新しいことを勉強しなきゃならない。今度はLAMPサーヴァーの設定と運用だ。まったく、なんだってんだ! ……でも俺はこれが好きだったんだ。もちろん荒削りな部分もあったけれど、うまくいってた! サイトの修正をやっていた何カ月かは、人生でいちばんストレスの溜まる時期だった。

ロスは少し前に、オースティンでソフトウェアエンジニアをやってる大学時代の友人リチャード・ベイツに助けを求めた。ベイツは基礎的なプログラミングのほか、初めてサイトが停止したときなど、重大な問題が起きたときに助けてくれた。ロスはSilk Roadを始めたときにベイツを雇おうとしたが、彼はすでにプログラミング関係の仕事に就いていた。ベイツはロスに、「合法なことをやれよ」と言った。

ロスは、そんなことには興味がなかった。前のビジネスで失敗していたため、Silk Roadは何が何でも成功させると決めていた。ロスは仕事に没頭し、組織を専門化することに取りかかった。ジュリアとはその夏にまた破局を迎えており、Silk Roadはコンピューターさえあればどこでもできるため、彼をオースティンに引き止めるものは何もなかった。
オーストラリアに行くころには預金は10万ドル(約1,120万円)に膨れ上がり、サイトの手数料で月に25,000ドル(約281万円)を稼いでいた。彼は日記に「人を雇う時期がきた」と書いている。「サイトを次のレヴェルまでもっていくためだ」

問題の一部は、ロスが、ハッカーたちが「オペレーショナルセキュリティー」と呼ぶものと格闘していることだった。ロスは自分の2つのアイデンティティを完全に切り離すには、容赦ない機密性が必要だと感じ始めていた。ベイツには黙っているよう頼んだ。ロスはのちに、Silk Roadを謎の買い手に売り払ったとベイツに伝えている。
ロスはまた、嘘をつくこととも格闘していた。年が明ける直前、彼はジェシカという女性とデートをした。ロスはほかの人にそうしていたように、彼女にもビットコイン取引の仕事をしていると話した。これだけでも情報漏れを招く可能性はある。なんてアホなんだ、とロスは自分を責めた。

それでもジェシカと「深い」仲になると、本当のことを話したくなった。親密さと偽りの間で分裂している状況が、恨めしく辛かった。彼のなかのイーグルスカウト精神は、真実の一部しか伝えていないことを苦しんだ。ジェシカの向かいに座りながら、彼女に真実を伝えることができたらどんなにいいだろう、そして、もっとましな嘘をつけばよかったとも思った。


Ⅵ. 命名


Silk Roadが始まったとき、サイトの創設者は暗号のようなものだった。利用者と出品者は、ドラッグのオンラインマーケットおよび自由主義の実験の場という概念的な枠組みをつくり上げたシステム管理者がいるということしか知らなかった。
この実験には基本的な倫理があった。完全な自治を提唱するユーザーもいたが、管理者は「厳格な行動規範」を示した。児童ポルノ、盗品、偽の学位は扱わない。管理者はこれを、「サイトの基本ルールは、自分が人から扱われたいように他者を扱い、ほかの人を傷つけたり騙したりするような行為は控えること」とまとめている。

時間が経つにつれ、理論家であり、かつ個人の自由の提唱者でもある管理者の意見の重要性が次第に増していった。しかし、思想には、それを指導する者が必要で、ロスはこの役割は重要であるがゆえに無名のまま行われるべきではないと判断した。

12年2月、管理者はコミュニティに対し、「Silk Roadとは誰か?」と問いかけた。「わたしがSilk Roadだ。市場であり、一個人であり、企業であり、すべてだ……それには名前が必要だ」

「ドラムロールをどうぞ……」。ドラマティックな発表はこう始まった。「わたしの新しい名前はドレッド・パイレート・ロバーツだ」

1987年に製作された映画『プリンセス・ブライド・ストーリー』はいまでも人気が高く、名前の出典は明らかだった。何世代にもわたり受け継がれてきた海賊の黒い覆面は、名前と実際の人物との関係を曖昧にする。DPRという名前は、Silk Roadの秘密主義の象徴だった。そして同時に、このサイトにカルト的な要素を付け加えることにもなった。DPRは思慮深く、時に雄弁で、信奉者たちにとってSilk Roadはただのブラックマーケットではなく、聖域だった。

一方、DPRにとってサイトは政治論争の実践場だった。DPRは「税金というかたちで国家に資金を与えるのをやめよ」と説いた。「生産的なエネルギーはブラックマーケットに注ぎ込め」。DPRは次第に尊大になり、Silk Roadで行われる全取引は普遍的な自由に向けたステップであるとまで言い始めた。

Silk Roadはある意味では、インターネットを活性化させてきたリバタリアン的価値観の論理的帰結だった。それは過激化したシリコンヴァレー的思考であり、政治レトリックをまとった破壊的テクノロジーだった。DPRは、来るべきデジタル経済の未来を見通す王にして、哲学者であり、Silk Roadはリバタリアンの楽園へと至る第一歩だった。Silk Roadは法執行機関に対する不意打ちであり、DPRの言葉を借りるなら、権力構造そのものへの挑戦だった。

であるがゆえに、政府はサイトを閉鎖する必要があった。ロスが世間の耳目を集めて悦に入っていた2011年6月、チャック・シューマー上院議員はSilk Roadを非難する記者会見を開いた。ロスは警戒し、日記に「米国政府は俺の最大の敵だ」と綴った。「やつらは俺に気づいている……俺を破壊するよう呼びかけている」







Ⅶ. ノブ


2012年4月 ノブからのビジネスの提案
Silk Road様
俺はあんたのやったことを尊敬している。天才だよ。まさに天才! 用件を手短に言わせてくれ。あんたのサイトを買い取りたい。俺はこの分野で20年以上も仕事をしてきた。Silk Roadは違法取引の未来だ。
E


フォースはSilk Road捜査のために政府から支給された2台のコンピューターのうちの1台を使ってこのメッセージを書いた。銀色のこのダサいDellは、クソみたいなバッテリーのせいで常に電源につないでおかなければならない。ボルチモア郊外にある自宅のゲストルームは、飼い猫のパブロのお気に入りの部屋だった。パブロはフォースが椅子に座り、キーボードを使って金づかいの荒いドラッグの密売人のふりをするのを眺めていた。

彼は入念に人格をつくり上げた。エラディオ・グスマン。ドミニカのドラッグカルテルの一員で、ヘロインとコカインの密輸で生計を立てている。Silk Roadでのハンドルネームはノブ。聖書に出てくる町の名で、ダビデがゴリアテの剣を手に入れた場所だ。

グスマンは片目が見えないという設定になっていることも付け加えておこう。フォースはパーカを着て眼帯をつけ、10歳になる娘にプロフィール用の写真を撮らせた。この写真でフォース(つまりグスマンであり、ノブだ)は、「ノブ様、万歳!」と書かれた紙を持っている。

フォースは長年にわたる覆面捜査の経験から、さまざまなバックグラウンドをどう組み立てればいいかを知っていた。若いころはドラッグとの闘いの最前線にいた。髪を伸ばしてブロンズのピアスをし、背には先住民のモチーフを使った大きな偽タトゥーを入れた。手がかりを求めてコロラドのアラモーサのうらぶれたバーに出入りしているときは、建設現場で働いていると嘘をついた。「素晴らしい砂丘への玄関口」と書かれたこのバーは、メキシコ産覚醒剤の運搬ルートであるロッキー山脈への入り口だった。

密売人の観点から見ると、Silk Roadの強みはコミュニケーションと流通にあるとフォースは見て取った。だから初めの一手としてこの大芝居を打ったのだ。グスマンにとって、Silk Roadはドラッグの卸売りをやっている人間が小売りの世界に紛れ込む機会を与えてくれるものだった。フォースは反応を期待した。そして反応はあった。ノブの提案が届いた翌日、DPRは返事を書いた。「話を聞こう。どんな提案だ?」


Ⅷ. ピット


ターベルはいつもどおり、朝早くからFBIニューヨーク支局の建物の23階で仕事をしていた。彼は昔から誰よりも早くオフィスに来たがるタイプの人間だった。大学に入学して、人生のすべてをエクセルのスプレッドシートに整理し始めてからずっとそうだ。サブリナとの初デートも、ほかの出来事とともにシートのどこかに記載されている。予定表、あらゆる支払い、目標体重、ランニングで走った距離。

海軍で働いていたターベルの義父は、娘婿のことを自分がこれまで会ったなかで最も軍人らしい男だと思っていた。朝4時半に目覚ましをセットし、5時にはジムに行く。シャワーを浴びて7時ちょうどにオフィスの席につく。

ターベルと同僚のサイバー捜査官たちの席の中心には、「ピット」と呼ばれるサイバー部門の精鋭たちが陣取る場所があった。ターベルは初め、ピットから机2つと1列離れた窓際に座っていた。ラルズセック事件で手柄を挙げてからは誰もが座りたがっている席が明け渡され、ターベルはピットの中心に座を占めることになった。

新しい仲間たちとは気が合った。なかでもターベルが特に気に入ったのが、イルファン・ヨムだ。ヨムは小さいときに韓国からロングアイランドに移住してきた。子どものころからヴィデオゲームに夢中で、大学では対戦ゲームを通じてネットワークとパケットについて学んだ。

ヨムはビットコインの専門家で、Silk Roadの捜査には必要不可欠な存在だった。彼は2011年8月にニューヨークで開かれた初のビットコインカンファレンスにも出席している。警察の視点に立てば、ビットコインはマネーロンダリングを助長するものだ。ただヨムは、技術的な観点ではビットコインのプロトコルは「ただ一言、美しい」と思っていた。

ヨムの向かいにいるのはトム・キアナンだ。ピットで過ごした期間は17年とチーム最長で、その経歴はDOSの時代にまでさかのぼる。当時彼は民間の技術サポートとしてFBIで働き始め、オフィスのプリンターが動かなくなっただけで呼び出された。

いまやキアナンはマシンの表裏を知り尽くした、サイバーチームの大黒柱だ。サイバー捜査部門がかかわったすべての事件を見てきたピットの知恵袋であり、ターベルがSilk Roadのセキュリティーについて調べるときに頼るべき男だ。

Torはとにかく頭の痛い問題だった。ターベルはこのソフトウェアには利点もあると思っていたが、同時にすべてのテクノロジーは堕落することも知っていた。Silk Roadと同じく、Torは犯罪というコンテクストのなかでは、ドアを叩いて目撃者の話を聞き、取引をする従来の警察捜査を無意味なものにしてしまう。

もちろん、ネットワークの全貌を把握してDPRに近づくことも可能かもしれない。ただそれを成し遂げたとしても、得られるのはユーザーネームだけだ。これは人間の犯罪ではない。コンピューターの犯罪なのだ。サーヴァーを通じてしかDPRにはたどり着けない。
とはいえ、そのサーヴァーを見つけ出すには、恐るべき技術的困難を伴う。世界15億台のコンピューターのうちのたったの1台で、その1台はどこにでもありうる。干し草の中から針を探すようなものだ。ナノレヴェルのサイズの針を。


Ⅸ. 二重生活


ボルチモアではフォースが枕を叩いていた。これは夕方の習慣で、ノブとしてSilk Roadにログインする前にこうして頭を整理するのだ。初めの数週間、ノブはSilk Roadへの投資を強く主張してきたが、DPRは乗り気ではなかった。Silk Roadはあんたが考えているよりはるかに大きいというのが彼の反論だった。

確かにSilk Roadはうまくいっていた。DPRの忍耐強い管理業務は報われた。サイトを詐欺から守るために、第三者が仲介して取引の安全性を保証するエスクローサーヴィスが導入された。DPRは自らが「信用の中心」と呼ぶもの、つまりSilk Roadの本格的な始動を可能にする中央取引システムを創設しようとしていた。

ノブがサイトを買い取ると申し入れたとき、DPRは10億ドル(約1,117億円)を提示した。もちろん、ノブは一蹴した。とはいえ、この提示額は低すぎるという見方もある。
DPRは翌年、Silk Roadからの手数料収入によって第2次ネットブームで最も成功した起業家の1人になった。

DPRはさらに、「俺にとってはこれは単なるビジネスじゃない。革命であり、ライフワークになりつつある」とも言っていた。要するに、彼は典型的な創設者のジレンマに直面していた。DPRはノブに「会社を傷つけないようにバトンを渡すのは難しい」と語った。「いまは金よりその方が重要だ」

フォースはこれに対し、麻薬組織向けにSilk Roadの姉妹サイトを設立するという提案をして、DPRと連絡を取り続けた。サイトの名は「Masters of Silk Road」。フォースは猫のパブロと一緒に自宅のゲストルームにこもり、深夜のTorチャットを通じてDPRと偽りの友情を育んだ。

大学の寮で知り合った新入生のように語り合ったこともある。パレオダイエットに挑戦しようかと思っていると言うノブにDPRが「食品バランスなんてクソだぜ」と答えたかと思えば、ノブは「バットマン」の最新作はオススメできないと返す。彼はDPRにタコスを食べにロスに来いよと誘い、ヒスパニックがどれだけザ・スミスが好きかについて語った。
理由はわからないが、フォースはDPRのことを西海岸に住む痩せた白人の若者と思っていた。そしてDPRとして頭に描いていたこの青年のことが好きだった。Silk Roadの文化を詳しく理解するのは楽しく、かつて潜入捜査に携わっていたころを思い出させてくれた。彼は二重生活を営むDPRのこと、そして新しいアイデンティティを手に入れることの魅力とその危険について思いを巡らせた。

潜入捜査で犯罪組織の大物の役を演じるのは楽しかったが、それには代償が伴う。役になりきればなっただけ新たな人格で生きることのほうが楽になっていくのだ。実生活でのフォースは、身なりのきちんとした父親だった。教会にも通っていた。だが、ドラッグの取引の捜査でナイトクラブに行き、酒を飲みながら女たちに囲まれているときの楽しさは、自分でも信じられないほどだった。

結局、その後、フォースは酒を断ち、教会に通うよき家庭人という本来の自分に戻った。囮捜査官としてさらなる成功も望めたが、人生を破綻に追い込む二重生活をあとにして、元の人生に戻り、ボルチモアでの勤務に落ち着いた。裏庭に大きな樫の木がある郊外の2階建ての家に住む生活だ。しかし、いまは家族とともに住むその家で樫の木を眺めながら、再び自分ではない誰かとしてドラッグの世界に足を踏み入れている。

フォースはこれが危険なゲームだと知っていた。自分がどう変わってしまうかもわかっている。DPRにもすでにその兆候が表れていた。新しい人格をもつということは、基本的には嘘を身につけていくということだ。まずは世界に対して。そして次は、自分自身に。





 

Part 3. 

孤独な教祖


 Silk Roadはグローバルマーケットになるにつれ
ユーザーという名の狂信的な信者を多数抱えるカルトと化していった。
DPRは地下経済を支配するドグマを説く教祖だった。
そして自らの正義を邪魔する背徳者が現れたとき、
孤独な理想主義者は思想と命のはざまで選択を迫られ、
倫理の天秤は一気に傾いた。


主な登場人物

ロス・ウルブリヒト:闇サイト「Silk Road」を開設した青年。 ドレッド・パイレート・ロバーツ(DPR):Silk Roadの謎の管理者。 カール・マーク・フォース4世:FBIボルチモア支局の特別捜査官。麻薬捜査を担当。 エラディオ・グスマン(ノブ):フォースが囮捜査で演じるドラッグの密売人の名。 クリス・ターベル:FBIニューヨーク支局の新人捜査官。サイバー犯罪捜査を担当。 イルファン・ヨム:FBIニューヨーク支局のサイバー捜査官。ターベルの同僚。 トム・キアナン:FBIニューヨーク支局のサイバー捜査官。ターベルの同僚。 カーティス・グリーン:Silk Roadの元運営スタッフ。

 

 

Ⅹ. 回想



「世界は流れている」。ロスはカメラに向けて語る。彼はStoryCorps(ストーリーコープス)のためにカメラを回している友人のレネ・ピンネルの向かいに座っている。ストーリーコープスは人々の人生の物語を集めて公開しているNPOだ。世界は自分たちのことを知るべきだと考えたロスとレネは、NPOが用意したブースでお互いを撮影しながら30分ばかりを過ごしているところだった。

カメラを向けられたロスはもの思いにふけっていた。いまはサンフランシスコに住んでいて、その美しさと起業家たちのエネルギーに畏敬の念を抱き、新たな啓示を受けたようだった。彼がここにいるのは、幼馴染みのレネに招かれたためだ。レネは映画製作をやりたがっていたが、結局はサンフランシスコでテック関係の仕事に就いた。そしてある日ロスに電話を寄こし、2週間後、ロスはその友人宅の玄関の前に立っていた。

2人はストーリーコープスのヴィデオで子ども時代を懐かしく回想している。ウェスト・リッジ・ミドルスクールで中学生だったころ、給食で大好きだったテイタートッツ(揚げたジャガイモ)を余分に取ろうとしたこと。ロスがいつもおやつのウエハースを分解して、間に挟まっているピーナッツバターチョコレートクリームを舐めながら食べたこと、友達の家に泊まったときに誰かがロスの貯めていたお金を盗んだこと……。

若者らしく、恋愛についても語り合った。ロスは初体験の相手だったアシュレーとの思い出話をした。初デートでは、近所に住んでいたブランドンという大学生から幻覚剤を手に入れ、まだティーンエイジャーだったロスは、かわいい女の子とともに床に寝転がって、8時間にわたってその薬の効き目に酔いしれた。

2012年の後半、ベイエリアは、世界を変えたいし金儲けもしたいという熱意をもった人々で活気に満ち溢れていた。レネは知らぬまま、実際に世界を変えつつある誰かの隣に座っていた。2人は200年後には何が起こるかを想像した。

ロスは「死ぬまでに人類の未来に大きなポジティヴな影響を残したい」と話した。レネは彼に、永遠に生きられると思うかと聞いた。ロスはレネを見上げて少し笑い、「うん」と答えた。「永遠に生きられるかもしれない」


Ⅺ. カルト


Silk Roadが真の意味でグローバルマーケットになるにつれ、DPRは指導者にしてリバタリアニズムの伝道者としての役割を明らかにしていった。彼はみなが自らのドグマに磨きをかけるべく、神聖なるフォン・ミーゼスの著作を読む読書クラブを創設した。ファラオとその奴隷の軍隊の時代と並んで、いまの政府が古代の歴史のように見えるであろう近未来について話し、Silk Roadはその革命の最前線に立っているのだ、とコミュニティをたたえた。

DPRは「諸君の信頼と信念、友情と愛に感謝する」と書き、みんなに「ドラッグではなくハグを」贈ると続けた。そして「いや待て、ハグとドラッグだ!」と訂正した。

コミュニティは同じだけの熱意をもって応じた。DPRをチェ・ゲバラになぞらえ、彼が「雇用の創出者」であり、その名は「歴史上の最も偉大な人物」として後世に残るだろうとたたえた。Silk Roadは多くの狂信的な利用者を抱えるカルトと化していた。DPRはSilk Roadにとってのスティーブ・ジョブズだった。

フォースは、DPRが自信過剰になっているのを感じていた。DPRとの交流は1年を超えており、その人柄や情熱も理解していた。

フォースはDPRのやっていることがどれだけ魅力的かもわかっていた。人生にアイデアをもち込み、暗号化したコードと取引を通じて自分の意思を世界に反映させているのだ。DPRはよく、自分がこれまでに成し遂げたことのスケールを感じられると言っていた。映画『トロン』のテーマ曲が頭のなかで鳴り響いているようだと。これはDPRの新しい精神だった。暗闇のなかに自ら築いた灯台のごとく真実の明かりを高く掲げ、リバタリアニズムの祝祭を通じて素晴らしい教えを広めていく。

しかし、それは孤独な前線だ。DPRはそうノブに語った。彼は自身を「コンピューターの後ろに隠れている」人間と呼んだ。DPRはたまにノブに会おうと思ったりもした。だが、結局、実際に会う代わりに、真実とフィクションとが入り混じった互いの人生を共有するにとどまった。

ノブ:元気にしてるか?
ドレッド:おかげさまで。上々だよ。
ノブ:へえ、じゃあ頭の上の暗雲はどこかに行っちまったわけだ。
ドレッド:サイトの変更はうまくいってる。問題はほとんどない。美人の隣で目を覚まして、好きなバンドの曲を聴いて……新鮮なイチゴを食べてるところだ。



Ⅻ. 複雑なボス


「君がこれまでやってきたことは見過ごされはしない」。DPRはクロニックペイン(ユタ州スパニッシュフォークのカーティス・グリーンだ)にこう書いた。「君に仕事を与えよう」
 
グリーンは長期間にわたってSilk Roadを利用していた。クロニックペインというハンドルネームは、救急救命士として働いていたときに負った背中の怪我が原因でいまなお続く慢性痛にちなんでいる。グリーンはこの痛みをなんとかするために鎮痛剤について学び、素人ながら薬理学者並みの知識をもつに至った。

Silk Roadはグリーンの「安全な薬物使用」への興味をコンピューターと結びつけ、コミュニティと技術的な複雑さを求める彼の欲求を満たした。グリーンはDPRの承認を得て、Silk Roadで「ヘルス&ウェルネス」のフォーラムを始めた。エフェドリンを鼻から吸引する方法を教え、初めてフェンタニルを使う場合は注意するようアドヴァイスをし、見ず知らずの誰かに、ハイになるためにはピーナッツバターを注射したりヘロインを眼球に打ったりするのは賢明ではないと説明した。

熱心なフォーラム管理のおかげでDPRから仕事の依頼がきたとき、グリーンは興奮した。送られてきた仕事内容の詳細には、カスタマーサーヴィスとパスワードを再設定する業務が含まれていた。グリーンは週80時間働いた。安楽椅子に座ってドラッグ販売の揉め事を仲介する背後では、FOXニュースが流れていた。

DPRは複雑なボスだった。グリーンが約束のTorチャットの時間に1分遅れただけで延々と詰り、クリスマスの挨拶をしなかったことで長々と文句を言われたりもしたが、そうかと思うと時にはやたらと寛大だった。DPRはデジタル時代のドンよろしく、外に向かっては優しく度量の深い人間になれたが、裏では明らかに人間性を欠いていた。

グリーンは以前、カスタマーサーヴィスに寄せられたある重大な苦情をDPRに転送したことがあった。Silk Roadで入手したヘロインの過剰摂取により兄弟が死亡したという女性からのもので、現行のシステムでは子どもでもサイトを使うことができるという点を問題視していた。

グリーンが、確かにちょっとばかり自由度が高すぎるのではないかと進言すると、DPRは怒りを爆発させた。「それが本来の趣旨なんだよ!」。制約はどのようなものであってもサイトの基本理念を破壊するとDPRは断言し、さらに肉親を失って嘆き悲しんでいる女性に対するいかなるサポートも拒否した。

こうした無神経さと倫理的な矛盾にもかかわらず、グリーンは仕事を続け、Silk Roadで最も信頼される従業員の1人となった。しかし、Silk Roadでは信頼にも限度があった。DPRはグリーンに運転免許証のコピーを提出するよう求めた。忠誠を証明するための試験というわけだ。

相手の身元もわからないまま自分の素性を明かしてしまうことにはなるが、グリーンはDPRの要求に従った。彼はフォースと同様に、DPRと特別なつながりをもったように感じた。秘密の世界でのパートナーだ。

しかし、秘密があるからといってパートナーシップが生まれるわけではない。グリーンやフォース、またほかの誰かが自分はDPRと非常に親しい関係にあると感じたとしても、実際にDPRが誰だか知っている人間は1人もいなかった。


ⅩⅢ. 大西部


ターベルのデスクには3台のコンピューターがある。キアナンとヨムもそうだ。サイバーチームはダークウェブを割り出すための情報ならどんなに些細なものでも調べていたが、捜査に大きな進展は見られなかった。彼らはウェブフォーラムも含めSilk Roadのサイトをくまなく探索し、コミュニティのメンバーが互いに、もしくはDPRに向かって、サイトの脆弱性について話していないかRedditで情報をあさった。しかし何の手がかりも見つからないまま1カ月が過ぎた。

彼らはつるみたがりの警官連中よろしく、毎日11時半に一緒にランチを食べた。ほとんど毎日、階下のデリにサンドイッチを買いに行っていたので、店員は全員が何をオーダーするか知っていた。ターベルはヨムのことを「仕事上の妻」と呼んだ。チームは考えるのが好きな人間とおしゃべり好きがいて、うまくバランスがとれる。ターベルは後者で、彼のキャラクターがピットの雰囲気をつくり上げていた。去年まで下積みのルーキーだった男が、いまでは自信に満ちたリーダーになっていた。

捜査では関係機関がそれぞれの言い分を通そうと、省庁間の争いが起きていた。フォースが参加する作戦が行われているボルチモアの対策本部はいちばん攻撃的で、捜査全体の完全な主導権を主張し、特にFBIのサイバーチームに対して辛辣だった。

「あいつらは俺たちのことなんて、ネットで聞き込みをやってるふざけた部署くらいにしか思ってない」とターベルはヨムに言った。「それが間違いだってことを証明してやろう」

だが米国政府という泥沼のようなお役所仕事のなかで、サイバー犯罪にはまだはっきりした管轄がなかった。ネット上の犯罪が増加の一途をたどるなか、当局はこの分野に資源を投入したが、これがエゴと政治が入り乱れる現状を招いていた。

Silk Roadは犯罪の新たな最前線の象徴であり、デジタル時代の大西部だった。かつて西部の荒野を開拓したように、政府はサイバー犯罪を囲い込みたがっている。無法地帯に法をもち込めばヒーローになれる。デジタルフロンティアを征服すれば、名誉と栄光が待っているというわけだ。

こうしてSilk Road捜査は歴史上、最も大がかりなネットでの追跡劇となった。





 

 

ⅩⅣ. 手がかり


グリーンはずっとしゃべり続けていた。コカインまみれにもかかわらずだ。SWATが室内を調べ回ったあとで家に入ったフォースは、すぐに彼が誰だかわかった。ノブの名前を使ってコカインがグリーンの家に郵送されるように手配したのは、今回の作戦を指揮していたフォースだ。

フォースは通りの向こうからグリーンが餌に食いつくのを見ていた。数分後に家に乗り込んだときには、グリーンは床の上で手錠をかけられていた。グリーンはすでに口を割り始めており、フォースの質問に必要以上に長く答えた。

彼はフォースが我慢できなくなるまで、とにかく話し続けた。俺は元は救急救命士だったんだ。みんなを助けたかっただけさ。むりやり押し入ってくる前にノックくらいしてくれたってよかっただろう? あの小包は何かほかの薬だと思ったんだよ。N-Bombeという合法なやつだって。

いい加減に黙れよクソ、とフォースは思った。とはいえ、グリーンは当局にとって、コンピューター画面上の文字列ではない、実体をともなった資産であり、Silk Road捜査における重要な手がかりだった。フォースは麻薬所持の現行犯で逮捕されパトカーで連行されるグリーンの携帯電話に自分の番号を登録し、「出てきたら電話しろ」と声をかけた。

保釈されて自宅に戻ったとき、家のドアは壊れたままだった。2匹のチワワのほかには誰もいないなか、グリーンは赤ん坊のように大声で泣いた。「俺はただの善良なモルモン教徒なんだよ」と彼は自分自身に語りかけた。頭のなかで暗い考えが渦巻き、とうとう父親の32口径に弾を装填したが、銃身を眺めてから部屋の向こうに放り投げた。

居間に戻ってソファに腰を下ろし、犬と遊んでやるために身をかがめるとチワワが顔を舐めてきた。グリーンはやがて立ち上がり、携帯に手を伸ばした。麻薬取締局(DEA)の特別捜査官カール・フォースに電話をするために。







 

 

ⅩⅤ. 殺人の値段


フォースはグリーンのコンピューターを入念に調べ、DPRのメッセージを見つけた。

フォースは大きな獲物を捕まえたことに気づいた。グリーンはDPRの側近だ。彼は特別捜査班と連携してグリーンをソルトレイクシティのマリオットホテルに缶詰にし、事情聴取を行った。

しかし神経質なDPRは、アドミン業務を任せていたグリーンが数日間オフラインになっていたことに気づいていた。Googleで検索するとグリーンが逮捕されたことがわかり、DPRはこいつは情報を漏らすかもしれないと思った。さらに、やはり部下であるイニゴから、複数のアカウントから35万ドル(約4,000万円)相当のビットコインが消えたと報告があった。

イニゴは金を盗んだ犯人を追跡し、グリーンのアドミンアカウントにたどり着いた。DPRの脳は危機モードになり、側近たちに連絡を取って緊急事態の解決を図ることにした。彼はイニゴに「腕力を使わなきゃならないのは初めてだ」と話した。「クソったれ」

直後、ノブの元にDPRからメッセージが届いた。ユタで暴力を要する「問題」が起きている。フォースが創作したノブの犯罪レパートリーには「人材を集めて仕事をさせる」ことが含まれており、彼はそれに沿ってひと芝居打つことにした。

フォースがDPRから受け取ったターゲットに関するPDFファイルを開くと、グリーンの運転免許証のスキャンデータが現れた。チャンスだ! と彼は思った。

ノブ:痛めつけたいのか殺すのか。単に脅すだけか?
ドレッド:痛めつけて、やつが盗んだビットコインを取り戻したい。/普通はどうやるんだ?


グリーンは、ビットコインはびた一文盗んでいない、金が行方不明になったとき自分のコンピューターは特殊捜査班に押収されていたと主張した。しかしフォースは、行方不明の金の話をしたいわけではなかった。DPRの依頼を利用して念入りな罠を仕掛けるつもりだった。

ドレッド:誰かを送り込むのにどれくらい時間がかかる? いくらだ?

グリーンは権利放棄書にサインをさせられ、早速この即興芝居で役を演じることとなった。マリオットの一室で偽の殺し屋2人がグリーンをバスタブに沈めた。殺し屋たちはシークレットサーヴィスとボルチモアの郵便監察官で、フォースはその一部始終をカメラに収めた。

グリーンはずぶ濡れになって苦しそうに息をしながら、「うまく撮れたか?」と尋ねた。彼はDPRを騙すための芝居にしてはちょっと真に迫りすぎているんじゃないかと思ったが、殺し屋たちは納得のいく1枚を撮るために、グリーンをさらに4回もバスタブに沈めた。

DPRはノブからの連絡を待ちながら、これからどうすればいいかを考えた。キモンというユーザーが、Silk Roadに対する犯罪行為に死刑が適応されるのはどんな場合かと尋ねた。キモンは信頼できるアドヴァイザーで、サイト運用上のセキュリティー、プログラミング、リーダーシップのあり方などについてDPRに助言をしていた。

「開拓時代なら」とDPRは言った。「まあ実際、Silk Roadは開拓時代みたいなもんだが、馬を盗むだけで縛り首だ」。数分後にイニゴが会話に割って入り、「人殺しはよくないけど、馬泥棒なら殺されたって文句は言えないよな(笑)」と言った。

同じ日の遅く、フォースのもとにDPRから再びメッセージが届いた。

ドレッド:痛めつけるだけじゃなくて実際に殺してほしいんだが、できるか?/あいつはしばらくサイトの運用にかかわっていた。逮捕されたということは情報が漏れる恐れがある。

グリーンが裏切るかもしれないというDPRの推測は正しかった。もっとも、すべての黒幕は自分が殺し屋の手配を頼んだ男だったのだが。犯罪は急激にエスカレートしつつあった。コミュニティへの「尊敬」について熱弁を振るっていたSilk Roadの指導者が、いまや殺人の値段を考えている。

ドレッド:人を殺したことはないし、誰かを雇って殺させたこともない。でも今回はそうしなきゃいけない。/いくらかかる?/だいたいでいい。/10万ドル以下で済むか?/あんたは誰かを殺したり、殺させたりしたことはあるか?

フォースは映画『スカーフェイス』を早送りで観ているようだと思った。それでも彼は役を演じ続けた。

およそ1週間後、フォースは特別捜査班と協力してグリーンの死をでっち上げた。DPRに偽の拷問の様子と青白い顔をして床に横たわったグリーンの写真を送った。窒息死を演出するため、吐瀉物の代わりにチキンスープを顔にかけた。

グリーンは自宅に監禁され(作戦が終わるまでは人目に触れないようにしなければならなかった)、証人保護プログラムのような状況に置かれた。フォースはボルチモアに戻った。政府が事前に用意しておいた口座に、DPRから40,000ドル(約450万円)が振り込まれた。

盗まれたビットコインはDPRの手には戻らなかったが、死体の証拠らしき写真を見せられてから、DPRはさらに40,000ドルを送金してきた。

ノブ:大丈夫か?
ドレッド:あいつを殺さなきゃいけなかったことで、本当にうんざりしてるんだ。/でも、もう終わったことだ。


DPRは少しの間、自分の決断と格闘していた。イニゴには、自分はみなにとって最善となることをしたかっただけだと語った。リバタリアンとして皆を愛している、Silk Roadに対して罪を犯したグリーンですら愛していると。ただ最終的には、無断欠勤したスタッフを雇い続けるのは会社にとって不利益になるとの結論に達した。

そして、DPRの信念に基づいた麻薬撲滅の闘いに対する反乱は、次第に殺人の場へと変わっていった。多くの革命家がそうだったように、理想主義者のDPRもまた、自らがイデオロギーとなったとき、思想のために人を殺すことを厭わなくなった。DPRはあるとき、これは復讐ではなく正義なのだと語った。Silk Roadの法に従った新しい正義。

ボルチモアでは、フォースがDPRの変化に思いを馳せていた。何が変わったのだろう? とフォースは考えた。DPRも同じことを自らに問いかけていた。アイデンティティが変化するとき、倫理的選択の基準はぼやけていく。これこそが、DPRというハンドルネームの背後にあるアイロニーだ。覆面をつけてその名前を継いだ者は、人格まで変わってしまう危険性がある。錨を外して航海に乗り出したDPRは、自分が変化しつつあると感じていた。

ノブ:それで、何を学んだ?
ドレッド:自分が誰なのかってことを学びつつあるよ。この先やらなきゃいけないことに比べて、特に難しい問いってわけでもない。
ノブ:ほかにどんな難しいことが待ち構えてるんだ?
ドレッド:さあね。/罪のない人々の生死を左右するような決断をする必要が出てくるかもしれない。


DPRはノブに、もし自分が権威を濫用しているように感じたらそう言ってほしいとメッセージを送った。ノブは「もちろんだ。友だちってそのためのもんだろ!」と返した。DPRはイニゴに、自分が最も恐れているのは「非常に成功して」、そのために「権力によって堕落する」ことだと打ち明けていた。ノブもこのネット上の同志に、権力がどのように人を蝕んでしまうかについて警告していた。

フォース自身は、自分のオフィスにメキシコの盗賊ヘスス・マルベルデの写真を貼っていた。マルベルデはドラッグディーラーたちから聖人としてあがめられており、ノブのキャラクターを創作するときのインスピレーションになっただけでなく、フォースはこの人物に魅力を感じていた。フォースはDPRに「自分を失わない」よう忠告した。

しかし、そんなことが可能だろうか? 2年足らずで築き上げた数百万ドル規模の麻薬密売システムを前に、ロスはもはや、女性に嘘をつくことをくよくよ悩んでしまうような心優しい青年ではなくなっていた。彼の日記は不安と希望の入り混じった物語から、ビジネスライクな権力拡張の目録へと変化を遂げていた。

Silk Roadの大いなる成功は、その創設者の神話化された自分に対する信念を確固たるものにした。DPRは信奉者たちに向かって「われわれのしていることは、来るべき世代に対してさざ波のような効果をもつ」と述べたことがある。13年6月、サイトの登録者数は100万人に達しつつあったが、FBIの姿はどこにも見えなかった。

しかしそれも、ある日の午後までだった。ターベルとキアナンはその日、FBIニューヨーク支局のオフィスで、コンピューターのスクリーンに興味深いものが映し出されているのに気づいて身を乗り出した。チームは数週間にわたり、Torブラウザーを走らせながら別のモニターで数字の羅列のリストを凝視するという作業を続けていた。

ある日、この数字列のひとつが彼らを驚愕させた。「62.75.246.20」。捜査員たちは信じられない思いで互いの顔を見やってから、Silk RoadのサーヴァーのIPアドレスが記された端末に目を戻した。



Part 4.


IPアドレスの行方


 国土安全保障省の捜査官がロスの自宅を訪れた。
カナダ国境の税関で発見された偽造IDの住所になっていたからだ。
一方、FBIはSilk RoadのサーヴァーのIPアドレスを突き止め、
そのネットワークの中心にあるメインマシンの
暗号キーにたどり着いた。
このコンピューターのキーボードに向かっている者こそ、
DPRのはずだった。


主な登場人物

ロス・ウルブリヒト:闇サイト「Silk Road」を開設した青年。
ドレッド・パイレート・ロバーツ(DPR):Silk Roadの謎の管理者。
カール・マーク・フォース4世:FBIボルチモア支局の特別捜査官。麻薬捜査を担当。
エラディオ・グスマン(ノブ):フォースが囮捜査で演じるドラッグの密売人の名。
クリス・ターベル:FBIニューヨーク支局の新人捜査官。サイバー犯罪捜査を担当。
イルファン・ヨム:FBIニューヨーク支局のサイバー捜査官。ターベルの同僚。
トム・キアナン:FBIニューヨーク支局のサイバー捜査官。ターベルの同僚。
カーティス・グリーン:Silk Roadの元運営スタッフ。

 

 

ⅩⅥ. トール


飛行機が降下するときの眺めは素晴らしかった。ターベルは窓側の席に座り、青い海に囲まれた緑色の塊がアイスランドの峻厳な美しさを湛えた風景へと変わっていくのを見つめていた。ケプラヴィーク国際空港に近づくと、首都レイキャヴィクが見えてきた。街のすぐ向こう、苔に覆われた溶岩原の端に、くすんだ白色の大きな四角い建物があった。トール・データセンターだ。

ターベルと米国の弁護士2人は、このデータセンターを目指してはるばるアイスランドまでやってきた。データセンターには、ターベルとキアナンがニューヨークで発見した非常に重要なIPアドレスをもつコンピューターがあった。レイキャヴィクに着陸したターベルと弁護士たちは現地の捜査当局者と弁護士に会い、自分たちが米国からやってきた理由を説明した。

Silk Roadが捜査の目をかいくぐってきたのは、通信を暗号化する偽装手段Torを使って運営されていたからだ。サイトのユーザーやそこで商売をしている業者、サーヴァーなどを確認することはほぼ不可能だった。ターベルが偶然にそのサーヴァーを発見するまでは。

ターベルたちはTorがIPを発行するプロトコルをつつきながら、Silk Roadでサイトのセキュリティーに関するやりとりを探して時間を過ごした。だが、Redditのあるスレッドから、運が向いてきた。あるユーザーがSilk RoadのIPアドレスが流出し、ほかのコンピューターで見えるようになっているとの警告を投稿していた。

ターベルは流出したIPアドレスが確認できることを願いながら、Silk Roadにデータを入力した。ユーザー名と間違ったパスワードを入力したり入力欄にデータをペーストしたりしながら、その間ずっと、一般的な古いフリーウェアを使ってネットワークのトラフィックを分析し、自身のマシンと通信しているIPを収集した。ターベルはこうして集めたIPをテストした。

2013年6月5日、IPアドレスの羅列を何時間も見続けたあとに、そのうちのひとつ「193.107.86.49」をブラウザーにペーストしたところ、突然、それが現れた。Silk Roadのキャプチャの入力欄だ。ターベルはこれをヨムとキアナンに見せた。チームがずっと待ち望んでいたものだった。彼らはサイトのどこかにSilk Roadの本当のIPアドレスを明らかにする設定ミスがあると考えていた。ターベルはこれをたどって、ついにアイスランドにある最先端の施設に行き着いたのだった。

データセンターは、ピカピカのガラス張りの正面玄関と磨き上げられた床をもち、そこに世界初の二酸化炭素排出量ゼロのスーパーコンピューターが置かれていた。通常のサイバー犯罪捜査で見られる光景は、地下室に積み上げられた機器をつなぐもつれたケーブルだ。だが、トール・データセンターは近未来のように見えた。ロビーに続くカードキー式のドアの向こうには航空機の格納庫だった空間があり、その中には通常の倍の高さの輸送用コンテナが鎮座している。

明るい青色をしたこのコンテナはサーヴァーを格納するためのもので、銀色のダクトが接続されている。コンテナの中にはブレードサーヴァーが床から天井まで3列に詰め込まれ、無数の青いインジケーターが点滅していた。空気はひんやりしており、地熱発電で動く大量のファンが音を立てている。

アイスランド当局は探していた筐体を見つけた。コンテンツをコピーしたミラーリング用のドライヴが接続されている。彼らはドライヴを外してレイキャヴィクに持ち帰り、ターベルに手渡した。ターベルはこうして、いとも簡単にSilk Roadを手中に収めた。







一見しただけでも、サイトは驚くほどの規模をもっていた。ターベルがアイスランドに降り立ったのとほぼ同時期の13年7月21日、この日だけでDPRの口座には3,237件の送金があり、総額19,459ドル(約220万円)が振り込まれていた。彼の年収は700万ドル(約7億8,200万円)を超えることになる。

このデータセンターは半年分のシステムログも保存しており、最近マシンと通信したコンピューターをすべて確認できた。思いもかけない大きな成果だった。ニューヨークに戻ったターベルは、アイスランドにあったマシンから世界中のコンピューターへとつながる電子の糸をひもとき始めた。管理者がログインする暗号化された通信を調べ、Torを使用していないIPをいくつか発見した。フィラデルフィア近郊のどこかにあるバックアップ、フランスのホスト用プロキシサーヴァー、ルーマニアのVPNなどだ。

ターベルは第2サイバー特捜班(CY2)のコンピューターラボの壁に長さ約2.4mの紙を貼り付け、犯罪捜査で用いられる昔ながらの図を作成した。手がかりと証拠の複雑な関係を図式化したものだ。ただしこの図の場合、中心に書かれているのは手下たちに囲まれたマフィアのボスではなくアイスランドにあったサーヴァーであり、それを起点に暗号を使用したコンピューターネットワークが広がっている。

ターベルは視覚的に考えるタイプで、図式化することでつながりを目で確認するのが好きだった。そうしたつながりのひとつが、Silk RoadのVPNに最後にログインしたことがわかっているIPアドレスだった。ターベルはその隣にクエスチョンマークを書いた。令状が発行され、IPの物理的位置が明らかになった。サンフランシスコのサクラメント通りにある「カフェ・ルナ」だ。


ⅩⅦ. 偽造ID


国土安全保障省の捜査官がサンフランシスコにあるロス・ウルブリヒトの自宅に現れたとき、同居人たちは驚いた。空き部屋を1,000ドル(約11万円)で借りたばかりのテキサス出身の物静かな男は、ジョシュア・テリーという名前だと思っていたからだ。ジョシュア・テリーという名前はカナダ国境の税関で当局が発見した偽造IDには含まれていなかったので、捜査官はこの状況を不思議に思った。偽造IDは9つあり、いずれもこの家の住所とロスの写真が使われていた。

家族向けの戸建て住宅が多いウェスト・ポータル地区にあるこのシェアハウスにロスが越してきたのは、最近のことだった。彼は広い主寝室を手に入れた。ハウスメイトたちは、craigslistに掲載した広告に応募してきた「ジョシュ」と名乗るこの男のことを為替トレーダーだと思っていた。彼が携帯電話を持たず、家賃などは現金で支払い、常にコンピューターに張り付いているのは奇妙だとも思ったが、ロスが「もうひとりの自分」を隠しているとは想像したこともなかった。

ロスは国土安全保障省の捜査官から事情聴取を受けたとき、ナーヴァスになっているような素振りはまったく見せなかった。複数の偽造IDを購入したのは、密かに追加のサーヴァーをレンタルし、Silk Roadの規模の急拡大とセキュリティーをめぐる問題に対処するためだったとも言わなかった。偽造IDはどれも、ホログラフィ技術などを使った質の高いものだったが、いまは玄関口にいる捜査官の手中にあった。

ロスは礼儀正しく対応しながらも、質問への回答を拒否できることがわかっていた。捜査官が去る前に、ロスは自分から、仮にSilk Roadというサイトを利用すれば誰でも彼にドラッグや偽造IDを発送するように手配ができたはずだと言った。奇妙な話題だったが、捜査官はSilk Roadというサイトについて話しに来たわけではなかった。彼は偽造IDを手に立ち去った。

当局の訪問はロスをびくつかせた。すぐにサンフランシスコ郊外のグレンパークにある別のシェアハウスに転居したが、そこでは本名を使うことに決めた。新しいハウスメイトのひとりであるアレックスは、カリスマ性があって話しやすいロスのことを気に入った。

アレックスはロスの集中力をすごいと思った。ロスは、仕事を先延ばししながらサムスンのノートパソコン「700z」でネコの動画を見るようなタイプではなかった。タバコを吸わず酒もあまり飲まなかったが、たまに数少ない所有物のひとつである西アフリカの太鼓ジャンベを叩くことはあった。

友人を家に連れてきたことは一度もなく、思い出の品もひとつもないようで、手紙もまったく来なかった。別のハウスメイトは、「時々、ロスって誰かから隠れているんじゃないかと思う」とアレックスに打ち明けている。

それでも、ハグしたり上半身裸でウロウロしたりするのが好きな新しいハウスメイトが、ガレージセールで買った家具に座りながら、膝にサムスンのノートパソコンを乗せて犯罪帝国を統括しているなど、誰も考えもしなかった。


ⅩⅧ. ヘルズ・エンジェルズ


ニューヨークでは、キアナンがラボでSilk Roadのシステム全体を再構築していた。設定が終わると、ターベルのチームはスーパーユーザーとしてシステムにアクセスし(つまりDPRとしてSilk Roadを閲覧し)、サイトの技術的な仕組みや構成を知ることができた。ターベルにはすぐに、DPRには才能があること、また彼が必要に迫られてサイトの拡大と運営にどれほどの労力を使ったかを理解した。「それに見合うだけのものは十分に手に入れただろうけどな」とターベルは思った。

DPRの仕事は感心すべきものだった。ターベルにはDPRがプロのプログラマーではないことがわかっていたため、なおさらだった。サーヴァーは「ノイズのある箱」で、明らかに独学によるものだった。コードは何回も上書きされており、元のデータが完全には消されていなかったために、最終的には今回のIPの発覚につながった。擬似コードは稼働中のサーヴァーで行われることが多い、さまざまな技術的なテストについて言及したコメントアウトだらけだった。

キアナンとヨムは、プライヴェートなメッセージや掲示板のデータのほか、ビットコインのエスクローアカウント(DPRは毎週土曜の夜に自分の取り分を引き出していた)を発見した。さらに、販売業者の取引情報すべてを含むビットコイン用のメインサーヴァーも見つかった。

チームは「War Room」と呼ばれるラボで多くの時間を過ごした。そこには毎日、大学の期末試験がある週のような空気が流れていた。皆がSilk Road関係の資料を片手にフルスピードで頭を働かせ、昼食は階下のデリから持ち込んで済ます。午後までには頭がおかしくなっていた。

ターベルはそんなときは「ちょっとひと休みしようぜ」と言い、ペットボトルを持ちながら踊ったり、往年の名曲「アフタヌーン・ディライト」を歌ったりした。しばらくすると、ジョークはさらにきつくなっていき、ヨムがラボに「Lab1a」という表示を掲げるほどだった。幸いなことに、FBIのコンピューター音痴の連中は誰も、これが女性の性感帯を指すハッカー用語であることに気づかなかった。

ヨムとキアナンがマシンに取り組んでいる間、ターベルはDPRについてきちんと理解するために、1,400ページにおよぶ彼のチャット記録を綿密に調べた。DPRは相手によって態度を変えており、几帳面でビジネスライクかと思えば、気まぐれでナルシストのように振る舞うこともあった。DPRは次第に、殺人をビジネスに必要な手段として受け入れるようになっていた。

ターベルは暗殺を示唆するやりとりを見つけて驚いた。複雑な話だったが、ターベルの理解では、フレンドリー・ケミストというユーザーがDPRを脅していたようだった。そしてヘルズ・エンジェルズの一員であるレッドアンドホワイトというユーザーが、フレンドリー・ケミストを殺すことに同意した。そのすぐあとで、レッドアンドホワイトは別の殺人も犯したようだった。もちろん、大金と引き替えにだ。

ドレッド・パイレート・ロバーツ 2013年3月27日23時38分
フレンドリー・ケミストは障害物であり、殺されても問題ない……俺が握っている情報は以下のとおりだ。


ブレイク・クロコフ/ホワイトロック・ビーチの近くにあるアパートに居住/年齢:34歳/出身地:ブリティッシュコロンビア州/妻と3人の子ども


常にビジネスマンであるDPRは会話の途中で、レッドアンドホワイトに「サイト内のWikiと掲示板を読むよう」に勧め、ヘルズ・エンジェルズにSilk Roadで商売をしないかともちかけた。2人はそれから、また殺人の報酬の話に戻った。

ヘルズ・エンジェルズの一員であるこの男によると、ターゲットが金を借りていれば、殺し屋は手数料を取るらしい。また、事故に見せかけたい場合は料金が高くなる。“クリーンヒット”は交通費込みで約30万ドル(約3,400万円)だ。DPRは要求額に驚いた。カーティス・グリーンのときは、80,000ドル(約900万円)しかかからなかったからだ。交渉が始まった。

ドレッド・パイレート・ロバーツ 2013年3月31日8時59分
嫌な奴だと思われたくはないんだが、金額がちょっと高いんじゃないか。少し前に80,000ドルでやってもらったことがある。もう少し安くならないか?


レッドアンドホワイト 2013年3月31日11時16分
悪いがその金額じゃ無理だ。15万ドルが精一杯だな。それでも安すぎるくらいだ。

 「これからのビジネス関係」のために、ヘルズ・エンジェルズは15万ドル(約1,700万円)で合意した。「グッドラック。気をつけろよ」というのが、DPRの締めくくりの言葉だった。そして翌日、結果報告が来た。

レッドアンドホワイト 2013年4月1日22時6分
あんたの問題は片付いた……心配いらない。奴はもう二度と誰も脅さないだろう。永遠にだ。


ターベルはこんなものは見たことがなかった。これが、タイムスタンプまで付いた完全な共同謀議の記録であることは一目瞭然だった。レッドアンドホワイトがあとからDPRに伝えたところでは、殺した恐喝者はSilk Roadでトニー76として知られる別の男と手を組んでいた。トニー76は悪名高い詐欺師で、DPRはためらわずに、請求書にトニー76の名前を加えることにした。

ただトニー76には同居人がいて、彼らも一枚噛んでいた。「いいだろう」とDPRは言った。そいつらも殺して、済んだら証拠写真を送ってくれ。DPRとレッドアンドホワイトはその一方で、ヘルズ・エンジェルズの新しいチャットアプリとプライヴァシー用プラグインのトラブルシューティングにも時間を割きながら、次の殺人の計画や値段交渉をしていた。

ドレッド・パイレート・ロバーツ 2013年4月8日18時50分
問題がわかった。ポート9151ではなくポート9150が必要だ……ちょっと待ってくれ……ビットコインで50万ドルを以下に送金した。
1MwvS1idEevZ5gd428TjL3hB2kHaBH9WTL


レッドアンドホワイト 2013年4月15日10時11分
例の問題は片付いた。


ターベルはDPRのチャットログを最新のものから過去に遡るように読んでいた。殺人もいとわない男から個人の幸福に関心を抱く理想主義者へと、DPRの人生を巻き戻すのは奇妙な体験だった。ターベルは、Silk Roadはある意味ではリバタリアンのユートピアだと思ったが、それも驚くことではなかった。どんなシステムにも腐敗は付きものだ。インターネットも同じで、初めは素晴らしい自由な大草原だったが、人間がその自由を悪用した。だから保安官が必要なのだ。

ターベルのつくった捜査関係図には、「フロスティ」という名とつながるIPアドレスがあった。アイスランドのミラーディスクから見つけたIDで、ヨムとキアナンが収集したほかの証拠とつきあわせると、それが何を意味するかが明らかになった。Silk Roadのサーヴァーには、ほかのすべてのマシンにとって信頼できる1台のコンピューターを生み出すログインシステムがあり、その暗号キーはすべて、末尾が「frosty@frosty」だった。

つまり、これらのコンピューターはひとつの鍵、すべてのコンピューターと対話できるひとつのマシンを共有していることになる。ターベルは図を眺めながら、ネットワークの構成を書き込んでいった。それらのノードのひとつがフロスティに違いなかった。そしてそのキーボードに向かっている者こそ、DPRだ。

捜査は佳境を迎えており、サイバーチームはジャケットを脱いでシャツの袖をまくり上げ、週末返上で働いた。夏で日没の時間は遅かったが、彼らは日が落ちてからも仕事場を離れなかった。ターベルはエアコンが自動的に切れて休憩室が無人になり、辺りが静かになる金曜午後5時の空気感が好きだった。それは怒鳴り続けていた1日が過ぎ、ようやく物事をちゃんと考えることができるようになったと気づく瞬間だった。


Part 5. 

最後の日常


 連邦政府の捜査はゆっくりと、しかし着実に前進していた。
中心メンバーはターベルらFBI第2サイバー特捜班で、
連邦検事や国土安全保障調査部の捜査官、
内国歳入省の捜査官らも協力して包囲網を築いた。
ロスの行動はDPRのそれと完全に一致しており、
その素顔について疑いの余地はなかった。
逮捕の手が迫っていることに気づいているはずだったが、
なぜか逃げるそぶりは見せず、穏やかな日々を送っていた。


主な登場人物

ロス・ウルブリヒト:闇サイト「Silk Road」を開設した青年。
ドレッド・パイレート・ロバーツ(DPR):Silk Roadの謎の管理者。
カール・マーク・フォース4世:FBIボルチモア支局の特別捜査官。麻薬捜査を担当。
エラディオ・グスマン(ノブ):フォースが囮捜査で演じるドラッグの密売人の名。
クリス・ターベル:FBIニューヨーク支局の新人捜査官。第2サイバー特捜班に所属。
トム・キアナン:FBIニューヨーク支局のサイバー捜査官。ターベルの同僚。
ジャレッド・デル=イェギアヤン:国土安全保障調査部の捜査官。
ゲイリー・アルフォード:内国歳入庁(IRS)の捜査官。
レッドアンドホワイト:DPRから殺人を請け負ったヘルズ・エンジェルズの一員。

 

 

ⅩⅨ. 逃亡計画


ロスはハウスメイトのアレックスと親しくなった。テレビアニメの「キング・オブ・ザ・ヒル」を一緒に観たこともある。テキサス州郊外に暮らす家族の日常を風刺的に描いた作品で、ロスは故郷を思い出した。週末にロスの家族がやってきたときは、アレックスも顔を合わせた。ロスの両親は、よい息子を育て上げた立派な人たちに見えた。

ロスは新しい家での生活に慣れると、快適に暮らせるよう家具などをそろえた。ランプや、ガレージセールで見つけた白い革のソファ、サムスンのパソコンを置くためのスタンディングデスク。しかしオンラインでは、ゆったりと落ち着けるような状況ではなかった。
オンラインではノブを名乗っている麻薬取締局(DEA)のフォースが、DPRの苦境を利用しようとしていた。彼はDPRに「ケヴィン」について話した。拡大しつつあるSilk Road捜査に対抗し、防諜の役目が果たせる男のことだ。

ノブはカルテルの事情通にふさわしく、「政府内部の者」に金を払っている。司法省の職員で、それがケヴィンだ。ケヴィンはもちろん実際にはフォースが創作した人物だが、DPRにとって有益な情報をいくつももっていることになっている。

ノブはDPRに「ケヴィンからの情報」を提供し、Silk Roadのユーザーや売人が一斉に摘発される可能性があると伝えた。ノブは、危険な状況になっていると言った。そして、「30秒ちょうど」で実行できる逃亡計画が必要だと力説し、さまざまなプランを提案した。

ドレッド:どうしてこのルートを選んだか説明してくれないか?
ノブ:アルジェリアは米国に容疑者を引き渡さないんだ。


ロスは実際に準備をした。まずタックスヘイヴンでもあるカリブ海の小さな島国ドミニカに行き、経済市民権を取得するための手続きを始めた。次に、逃亡が必要になった場合の後継者を育てるために、バットマン73、イニゴ、新入りのシーラスなど、エリート幹部を対象とした掲示板「スタッフチャット」を開設した。

DPRは幹部たちに、自分がどれほどプレッシャーを受けており、どれだけ休養を求めているかといったことを話した。サイトをめぐる混乱が起きてもDPRは休暇を取り、日々の業務を部下たちに任せるようになった。

そんななか、ロスはある週末を昔の恋人ジュリアと過ごした。ジュリアはオースティンから飛行機でやってきた。まるで昔に戻ったようだったが、違う部分もあった。ロスはグレンパークの家でも質素な暮らしを続けており、いつも色あせた赤いセーターを着てパレオダイエットを実践していたが、昔よりは幸せそうに見えた。2人は何度もセックスし、クラブに出かけ、サンフランシスコの街を歩き回った。

そしてある日、太平洋を見渡せる崖にたどり着いた。眼下の霧は薄くなり、遠くには太陽の光を浴びたゴールデンゲートブリッジが見える。ジュリアは肩越しに挑発的な目でロスを見つめ、トップレスになろうとした。黄色のサンドレスを下にずらすと、ロスは写真を撮った。

ロスはハウスメイトたちと過ごす時間も増やした。廊下を挟んだ向かいの部屋を借りている女の子と近くの公園に行き、彼女のチワワ2匹と芝生の上でゆったりくつろいだ日もあった。芝生の上で自然を満喫していたとき、ロスは木の枝に青いレジ袋が絡まっているのを見つけた。公共の場にごみを捨てることを嫌うロスは、レジ袋を取るために木に登った。
しかし帰宅すると、ウルシにかぶれていることに気づいた。体中に湿疹が広がり、炎症を抑えるためにカラミンローションをたくさん塗った。ロスは真っ赤になった上半身をさらしながら、数日間ふさぎ込んでいた。白い革のソファに座っていると、まるでパトカーの警告灯のようだった。


ⅩⅩ. 不注意


連邦政府の捜査はゆっくりと、しかし着実に前進していた。ロスの2011年の日記には、米上院でSilk Roadの問題が取り上げられたことが書かれている。彼は「地球上で最大の力をもつ組織」を目覚めさせてしまったことに気づいていた。

その2年後、ターベルは自宅のベッドに寝そべっていた。妻のサブリナは別の部屋で料理をし、子どもたちは家中を走り回っていた。子どもがあまりにうるさいため、ターベルは電話の音量を上げた。受話器の向こうから聞こえてきたのは「ロス・ウルブリヒト」という名前だった。

電話会議の相手は、この事件を担当している連邦検事と、国土安全保障調査部の捜査官ジャレッド・デル=イェギアヤンだった。イェギアヤンはシカゴ・オヘア国際空港の税関に勤務しており、国際便の郵便物のなかからドラッグの入った小包を発見した。

どの小包も丁寧に梱包されており、カスタマーサーヴィス用の書類が同梱され、差出人のアドレスは「StudyAbroad.com」となっていた。イェギアヤンはStudyAbroad.comが、Silk Roadと呼ばれるサイトで商売をしていることを突き止めていた。

イェギアヤンはSilk Roadについて詳しく調べてからシーラスという下級幹部を逮捕し、捜査に協力するよう説得した。そして、シーラスのアカウントを引き継いだ。シーラスはその後どんどん昇格し、DPRの信頼を得た。ターベルはイェギアヤンをニューヨークに呼び、イェギアヤンは連邦捜査局(FBI)第2サイバー特捜班(CY2)の一員になった。

電話会議には、内国歳入庁(IRS)から新しくやってきた捜査官ゲイリー・アルフォードも参加していた。アルフォードと連邦検事はビットコイン関連の別の事件を捜査しており、その絡みで彼はターベルのつくった捜査関係図を目にしたことがあった。

「ああ、面白いな」と彼は言った。アルフォードは少しだが、別の機関とSilk Roadの捜査にかかわったことがあった。「サンフランシスコに手がかりがあったはずだ。少し調べてみるよ」

アルフォードは、その結果わかったことを説明した。彼は数カ月前、Silk Roadの創設者は人々の関心を引くため、既存のウェブサイトで大々的な宣伝を行ったはずだと考えた。サイトが登場したころのTorのURLを調べたアルフォードは「Shroomery.org」というウェブ掲示板で、Silk Roadの開設から数日後の11年1月27日に書き込まれたある投稿を発見した。アルトイドというユーザーが、「匿名であらゆるものを売買できる新しいオンラインサーヴィス」を宣伝していたのだ。

アルトイドという名前をGoogleで検索すると、プログラマー向けのサイト「Stack Overflow」で13年3月16日の投稿が見つかった。データベースのプログラミングに関する質問で、「PHPのcURLを使ってTorの裏サーヴィスに接続する方法を教えてほしい」という内容だった。質問者のメールアドレスは「rossulbricht@gmail.com」。1分後、質問者はユーザー名をフロスティに変更していた。

IRSではこれらが意味することがまったくわからなかったため、捜査はそこで終了していた。アルフォードがターベルのラボに足を踏み入れるまで、一連の情報はファイルのなかに眠っていたのだ。ターベルのラボの壁には、フロスティにつながるすべての道を網羅した地図が貼られていた。イェギアヤンは連邦政府のデータベースでロス・ウルブリヒトという名前を調べ、ロスの偽名に関する国土安全保障省のレポートを発見した。

記録されている最新の住所を調べてみると、カフェ・ルナから1ブロックも離れていなかった。カフェ・ルナはターベルのチャート上では、サンフランシスコのノード、管理者がSilk RoadのVPNにログインした場所として記されていた。

ターベルは天にも昇る心地だった。欠けていたパズルのピースが見つかり、ついにフロスティにたどり着いたのだ。彼はすべての手がかりが公開情報だったことを皮肉に感じた。結局、最も有効な捜査方法のひとつはGoogleだった。ロスはおそらく、Silk Roadがこれほど成功するとは考えておらず、最初のうちは不注意だったのだろう。情報が永遠に残るこの時代には、たった1度の不注意でも命取りになる。

ソーシャルメディア上に残されていたロスの記録をたどっていくと、DPRと驚くほど共通点があることが明らかになった。ロスのLinkedInのプロフィールは、リバタリアンの美辞麗句であふれている。YouTubeではミーゼス研究所の動画がお気に入りに登録されていた。DPRもミーゼスの政治思想を支持している。Google+では、「知り合いがUPSかFedExかDHLで働いている人」を探していた。キアナンはSilk Roadのサーヴァーで、ロスがStack Overflowに投稿したものと一致するコードを発見した。

ターベルは翌日、上司に問題の男を見つけたと報告した。ターベルらは監視チームに対して、捜査官2人をサンフランシスコに送り込み、ロスを見張ってほしいと依頼した。ロスはアレックスたちと同居する家で夜遅くまで暗号化されたワイヤレスネットワークを使って仕事をしていた。時折は、サンフランシスコのほぼすべての人がするようにノートパソコンを持って外出し、カフェのテーブルでコーヒーを飲みながら作業した。

ロスの電子メールを傍受するには裁判所の命令が必要だった。しかし当時は令状を取るための適当な理由がなかったため、ロスを直接監視して、彼のインターネット利用状況とDPRのSilk Roadでの活動とがつながるかを確かめることにした。

ロスの行動はDPRのそれと完全に一致していた。ロスがコンピューターを起動すると、常にDPRがSilk Roadにログインした。ロスがノートパソコンを閉じると、DPRもログアウトした。このパターンは数週間変わらなかった。家でもカフェでも、朝でも深夜でも、ロスとDPRは足並みを揃えていた。DPRが午後は休むと言ったときには、ロスはハウスメイトと2匹のチワワを連れて公園に行き、芝生に寝転がり、木に登って青いレジ袋を取ろうとし、ウルシにかぶれた。

ターベルは計画に着手した。間違いなく、複雑な作戦になるだろう。気づかれないようビットコインを押収し、Silk Roadを掌握しなければならない。マシンがあるアイスランドとフランスにも連邦捜査局(FBI)の捜査官を送り込む必要がある。

ターベルはロスが監視に気づく可能性についても想像した。そもそも、なぜまだ逃亡していないのだろう。シーラスとしてDPRに近づいたイェギアヤンは、彼が極度のプレッシャーを感じていると知っていた。ロスはバカではない。手遅れになる前に逃げることを考えるだろう。

実際、フォースはノブとして積極的に逃亡を勧めていた。フォースは捜査から外されていたが、Silk Roadをめぐる彼の最後の仕事はどこかの空港で落ち合おうとDPRを説得し、安全な逃げ道を与えるふりをして身柄を拘束するというものだった。フォースはDPRが逃亡の衝動に駆られるよう、仮に逮捕されれば刑務所は安全な場所ではないと強調した。

ノブ:あんたは家族も同然だ。ただ言っておかなきゃいけないことがある。俺はムショに送られたやつを何人か殺させたことがある。簡単な仕事だし、金もかからない。

それでも、ロスは動こうとしなかった。Torと自身の頭脳を信頼して自信過剰になり、自分は無敵だと信じていた。警戒すべき前兆があり、捜査の手も迫っていたが、ロスは近いうちに雇うことにしていたあるユーザーに、自分の部下が逮捕されることは絶対にないと断言した。

「警察が犯罪を証明するには、君が実際にログインし、サイトで仕事をする現場を実際にその目で見るしか方法はないからだ」

 9月28日の夕方、FBIの監視チームはDPRのログアウトと同時にロスが作業を終えてノートパソコンを閉じ、ハウスメイトたちと一緒に家を出てビーチに向かうのを確認した。


ⅩⅩⅠ. ワンダーウォール


三日月の夜、若者たちのグループがオーシャンビーチでキャンプファイヤーを囲み、ロスが叩くジャンベの音に耳を傾けている。小春日和の週末で、サンフランシスコ市民にとっては最高の季節だった。アレックスがシャンパンを開け、ロスはメキシコビールを飲みながら、遠くから聞こえる「ワンダーウォール」のギターに合わせてジャンベを叩いた。

真夜中が近づいたころに警官が3人現れ、楽しいパーティは中断を余儀なくされた。警官は夜11時以降のたき火は禁止されていると言った。若者たちはグレンパークの家に帰り、バルコニーで飲み直すことにした。隣の家の住人たちもバルコニーに出ていて、サングリアを回し飲みした。

ロスはハウスメイトが飼っているチワワを抱き上げてマフラーで包むと、酒を飲みながら赤ん坊のようにあやした。ロスはひどく酔っていて(アレックスがロスのそんな姿を見たのはこれが最初で最後だった)、そして笑顔だった。

Silk Roadの管理業務も不安定になっていた。ロスは日記に、自身が抱える問題について記している。FBIが掲示板への侵入を試みていたほか、なかには逮捕された大手販売業者もいた。Mt.Goxで取引していた200万ドル(約2億2,300万円)が13年5月に差し押さえられたのを皮切りに、ロスは多額の損失も被った。

Mt.Goxは世界最大のビットコイン取引所で、Silk Roadの主要なアカウントのいくつかはここにあった。一方、レッドアンドホワイトは結局、ロスから50万ドル(約5,600万円)をせしめて姿を消した。友人のノブも相変わらず、刑務所で囚人を殺すのは簡単だと遠回しの脅しをかけてくる。

DPRは混乱のなか、最も信頼を置く幹部の1人であるリベルタスに、緊急事態に陥ったらSilk Roadを引き継いでほしいという話をした。ただし、サーヴァーへのアクセス権を与えることはしなかった。

DPRはこうした無駄な抵抗を続けながら、自身の不安をシーラスに打ち明けた。当のシーラス、つまりCY2のイェギアヤンは9月末、ターベルやキアナンとともにサンフランシスコのFBIチームに向かって、迫りくるロス・ウルブリヒトの逮捕についての説明を行っていた。

ロスは包囲網が迫っていると知っていたのかもしれない。だが、そんなそぶりを見せることはなかった。オーシャンビーチでのパーティからの数日間は自宅のスタンディングデスクで作業を行い、オースティンのジュリアに電話をかけ、11月になったら会いに行くと伝えた。ロスはある月曜日の夜、日記に次のような一文を書いている。

「前向きな気持ちと生産性を維持するには、よく食べ、よく眠り、瞑想を行うことが必要だと気づいた」。






Part 6.

夢の跡


 Silk Roadの創設者であるロス・ウルブリヒト逮捕の日がやってきた。
現場となるロサンゼルスの街では、
ドラマティックな演出をしたいSWATの大部隊と
確実に証拠を押さえたい第2サイバー特捜班のせめぎ合いが続いていた。
PCを閉じられたら最後、すべては泡と消えてしまう。
サンフランシスコ公共図書館のグレンパーク分館の一角に
ロスを追い詰めたターベルは、事態がどうなるか分からないまま、
チームの全員に「突入」と伝えた──。


主な登場人物

ロス・ウルブリヒト:闇サイト「Silk Road」を開設した青年。
ドレッド・パイレート・ロバーツ(DPR):Silk Roadの謎の管理者。
カール・マーク・フォース4世:FBIボルチモア支局の特別捜査官。麻薬捜査を担当。
エラディオ・グスマン(ノブ):フォースが囮捜査で演じるドラッグの密売人の名。
クリス・ターベル:FBIニューヨーク支局の新人捜査官。第2サイバー特捜班に所属。
イルファン・ヨム:FBIニューヨーク支局のサイバー捜査官。ターベルの同僚。
トム・キアナン:FBIニューヨーク支局のサイバー捜査官。ターベルの同僚。
ジャレッド・デル=イェギアヤン:国土安全保障調査部の捜査官。
アレックス:ロスとシェアハウスでルームメイトだった男性。

 

 

ⅩⅩⅡ. 逮捕


2013年10月1日午前6時、サンフランシスコ国際空港のそばのマリオットホテルのダイニングルームには、可もなく不可もないホテル特有の朝食をとるターベルとイェギアヤン、キアナン以外にはほとんど誰もいなかった。

ターベルは2日前にサンフランシスコに着いてからあまり寝ていなかった。ターベルと連邦捜査局(FBI)ニューヨーク支局のサイバーチームはチャンスの到来を待っており、神経が高ぶっていた。

いつものように、お役所仕事に付きものの複雑な問題もある。Silk Roadはターベルが担当する事件だが、ターベルと第2サイバー特捜班(CY2)はFBIサンフランシスコ支局ではヴィジターという立場にあった。要は部外者で、警察用語で言えば「逮捕をお膳立て」するサンフランシスコ支局のアシスタントだった。

サンフランシスコのFBIは昔ながらのやり方でロスの家をドラマチックに強制捜査したいと考えていたが、ターベルはこれに反対していた。自分が初めて担当した大規模なサイバー犯罪の事例の二の舞を演じたくなかったからだ。

それはシカゴでハクティヴィストのジェレミー・ハモンドを逮捕したときのことだった。SWATがハモンドのアパートに閃光弾を投げ込んでから突入したため、ハモンドは奥の部屋に逃げ込み、ノートパソコンを閉じてしまった。そして彼のデータは永遠に暗号化された。

ターベルはこの種の作戦にSWATは不要だと考えていた。必要なのは手際のよさだ。サイバー犯罪を起訴までもち込むには、直接証拠が必要となる。そして直接証拠は、ロスのマシンの中にある。ターベルはロスを現行犯逮捕したかった。つまり、「キーボードを打っている」最中に捕まえたかった。

ターベルはDPRのチャット記録を読んで、彼のセキュリティーシステムがどれだけ強固かを把握していた。キーをひとつ押すだけですべてを消去できる。わずかなミスも許されず、完全に意表を突かなければならない。「君の言いたいことはわかった」とサンフランシスコ支局の作戦指揮担当の捜査官はターベルに言ったが、急襲作戦が覆ることはなかった。
まずSWATの3チームをロスの家の周辺に配置する。各階に1チームという編成だ。そして、夜明けとともになだれ込む。確約はできないが、なるべくロスがオンラインのときを狙って逮捕する。「SWATで最も素早いチームだ」と指揮官は胸を張ったが、「そういう問題じゃないんだ」とターベルは言った。「どれだけ素早く動いても、間に合わないときは間に合わない」

逮捕のスケジュールはすでに決まっていたが、ターベルはカフェでの逮捕を提案し、作戦実施の延期を求め続けた。外で逮捕するチャンスは1度あったが、「人員の準備が整って」いなかった。スケジュールの延期は1度だけ認められたが、2度目はなかった。指揮担当の捜査官はターベルに、「君の言うことは1度聞いただろう。もう特別扱いは終わりだ」と告げた。

SWATの急襲は2日後、木曜日の午前5時に予定されていた。作戦本部を構成する数十人の捜査官全員がサンノゼから南に1時間の場所にあるFBIのサイバー犯罪対策施設に集まり、最後の打ち合わせを行った。

ターベルはサンノゼには行かなかった。イェギアヤンとともにサンフランシスコの連邦裁判所を訪れ、ロスの家の捜索令状を修正した。キアナンもサンフランシスコに残り、別の捜査官とロスの家の近くにいた。2人は所定の位置につき、ロスがノートパソコンの入ったバッグを肩にかけて外出するのを祈りながら待っていた。

ターベルは、「ベロ・コーヒー&ティー」でCY2チームのメンバーと落ち合うことにした。ロスがよく立ち寄るカフェで、隣にはサンフランシスコ公共図書館のグレンパーク分館がある。時計の針は午後1時を指していた。イェギアヤンはカフェの外のベンチに座り、シーラスとしてSilk Roadにログインした。DPRもログインしていた。ロスはまだ自宅にいることが確認されている。

チームはサンフランシスコの緑に覆われた一角で1台のノートパソコンを囲むように座っていた。どこから見ても警官にしか見えない。ターベルは自分たちが目立っているのではないかと心配になった。結局、チームは解散し、街で一般市民のように振る舞うことにした。

イェギアヤンは近くの市場に行ったが、コンピューターのバッテリーが切れかかっていることに気づいてベロ・コーヒーに戻った。ただあいにく満席で、コンセントは空いていなかった。ターベルはベンチに座り、気をもんでいた。

大西洋の真ん中では、ヨムがアイスランド当局とともにトール・データセンターに立ち入り、Silk Roadとそのビットコイン・サーヴァーに対する特権を「エスカレート」させようとしていた。フランスのチームもSilk Roadのリダイレクト用サーヴァーを乗っ取った。ターベルは心地よい午後の空気に気づきもせずに自身のブラックベリーをのぞき込み、細心の注意を要するこの作戦の経過を報告するリアルタイムのメッセージを追っていた。
午後2時45分、イェギアヤンとDPRがログアウトした。その数分後、ターベルは監視チームからロスが外出したという報告を受けた。ジーンズに赤いセーターという格好で、ノートパソコンを持って東に向かって歩いている。監視チームは「容疑者は移動中だ」と言った。

いよいよだ! ターベルは気を引き締めた。ロスがやってくる。CY2は再び辺りに散らばったが、今回はみな気が動転し、かくれんぼのように右往左往しながら身を隠した。ターベルはノートパソコンをもつイェギアヤンと別れ、ロスの家がある方向へと歩き始めた。
アドレナリンで気分が高揚し、ロスがすぐ近くにいることに気づかなかった。監視チームからの報告を読み終わって顔を上げると、ちょうどロスがターベルの方に向かって歩いてくるところだった。まるでスローモーションのようだった。

何カ月も追ってきた男とついに対面したのだ。デジタル世界のおぼろげな存在が、ダイヤモンド・ストリートを歩く生身の人間に変わった瞬間だった。ターベルは悟られないよう、潜入捜査官の見本のように振る舞おうとしたが、どこから見ても警官だった。ロスはターベルとすれ違い、カフェに向かった。

イェギアヤンは通りの反対側からロスがベロ・コーヒーに入っていくのを確認した。絶好のチャンスだ。ロスが席を見つけてSilk Roadにログインすれば、現行犯逮捕できる。ところが、ロスはすぐに店を出てしまった。イェギアヤンはコンセントがなかったからだろうと考え、自分のコンピューターを見た。バッテリーは22%しか残っていない。ロスは隣の図書館に入った。

2013年10月1日午後2時53分
差出人:クリス・ターベル
件名:Re: ロス・ウルブリヒト

ターベルはチームのメンバーに電子メールを送った。強制捜査の準備を行っている作戦本部の捜査官たちもccに入れた。作戦本部にとっては寝耳に水だった。部外者の小さなチームが単独行動し、容疑者を図書館に追い詰めていたのだ。ニューヨークの上司からの電話を受けたターベルは「もうすぐ捕まえるところです」と手短かに報告した。「10分後に折り返します」

イェギアヤンはバッテリーが切れかけたノートパソコンでロスがDPRとしてログインし、マーケットページから掲示板、幹部スタッフとのチャットへと移動するのを確認した。チャットではシーラスが応答しようと待ちかまえていた。

ターベルの計算では、サンノゼの南にいた指揮官は間違いなく動き出したところだ。不意打ちを食らった50人の捜査官は、国道101号線を大急ぎで北上していた。ターベルはサイレンの音が聞こえる前にロスを逮捕したかった。

ロスが図書館に入ったとき、キアナンともう1人の捜査官がすでに中にいた。ロスは何も気づかずに2人のそばを通り、雑誌と恋愛小説のコーナー、案内所を横切って2階のSFコーナーの近くにある丸テーブルに落ち着いた。

もう1人の捜査官が逮捕の方法について判断しようとしていたが、簡単な状況ではなかった。ロスは壁に背を向け、外を見ながら隅に座っている。怪しまれずに近づくのは難しい。ロスのノートパソコンを手に入れるのはキアナンの仕事だが、これも容易ではなさそうだ。

ターベルは作戦が始まる前に、キアナンに「ノートパソコンのことはお願いしますよ」と何度も頼んでいた。「絶対にノートパソコンを手に入れてください。なにがなんでもコンピューターを確保して、データを破壊されないようにしてください」

ターベルとイェギアヤンは図書館の階段の踊り場に身を潜めていた。イェギアヤンのマシンはバッテリーの残量が少ないと警告を発していたが、彼はDPRとの通信を続け、DPRが管理者用のコントロールパネルにログインしたままでいるように仕向けていた。ターベルは階段からロスの様子をうかがおうとしたが、何も見えなかった。

そのまま数分が経過した。イェギアヤンはDPRとチャットを続けている。そのとき、ターベルのもとに私服組の監視チームからの連絡が入った。彼らも館内に潜入していたが、ターベルは風貌を知らず、その居場所を特定できなかった。

SWATの大部隊がサンフランシスコまであと数キロのところまで来ている。地元の治安当局の責任者たちは全員、その部隊と行動をともにしており、事実上はターベルがこの現場を仕切っていた。彼は深呼吸をして、「やむをえない場合は発砲を許可する。ただコンピューターを閉じさせるのだけは阻止してくれ」と指示を出した。

いまが、まさにそのときだった。一方、ターベルは知らなかったが、監視チームはその場で新たな逮捕計画を考え出していた。事態がどうなるかまったくわからないまま、ターベルは深く息を吸い込み、全員に「突入」と伝えた。

次に起こったのは、ちょっとした即興劇だった。午後3時14分、DPRはシーラスにメッセージを送ろうとキーボードを叩いていた。そこへ中年の男女がやってきて、ロスに向かってゆっくりと近づいていく。その女が、ロスの席の真後ろで「死ね!」と叫んだ。もめているカップルがいまにも本気で喧嘩を始めるかのように、男は女の襟元をつかんで拳を振り上げる。ロスは一瞬、パソコンから目を離して振り向いた。

その瞬間、テープルの向こう側から伸びてきた誰かの手が彼のノートパソコンをつかんだ。彼の向かいの席に小柄でおとなしそうなアジア人女性がいたのだが、驚くべきことに、彼女もFBIの捜査官だったのだ。

ロスは慌ててノートパソコンに手を戻したが、彼女はクォーターバックのような身のこなしで、ロスの動きより一瞬早く、奪ったマシンをキアナンにさっと投げ渡した。キアナンは指示されたとおりにどこからともなく現れ、それを受け取った。すべては10秒もかからない間の出来事だった。

ターベルは少し離れた場所からあっけにとられながら、一連の優雅なアクションを眺めていた。最高にクールな警察版のジャズカルテットを見ているようだった。

ロスが手錠をかけられている間、キアナンは席に着いてロスのパソコンを確認した。起動したままになっていて、すべてが見える。マシンのIDは「フロスティ」で、ロスは「マスターマインド」というアカウント名を使って管理者としてSilk Roadにログインしていた。

ロスがテレビ番組を数本ダウンロードしていたこともわかった。特に目を引いたのは、人気コメディアンのスティーヴン・コルベアがホストを務める「コルベア・リポート」の前夜放送分の一部で、「ブレイキング・バッド」の製作者ヴィンス・ギリガンへのインタヴューだった。ちょうどシーズン6の最終話が放送された直後であり、ギリガンは「どうすれば普通の人間に非道なことができるか」というドラマの中心テーマについて語っていた。

シリーズの主人公ウォルター・ホワイトは、たった2年で善良な化学の教師から嘘つきで人殺しの麻薬帝国の王へと変貌を遂げた。もし逮捕されなかったとしたら、ロスはどんな思いで「もちろん、ウォルターは最初からそうなる運命だったのです」というギリガンの番組内での発言を聞いたのだろう。「そしてウォルター以外の人間は皆、その運命を知っていました」





ターベルは初めてロスのそばに立ち、身体検査をしてから彼を張り込み用のヴァンに乗せ、逮捕前に義務づけられている権利の告知を行った。ロスはほんの少しだけ唇を震わせ、令状を見せてくれと言った。ターベルは、ロス・ウルブリヒト、別名ドレッド・パイレート・ロバーツ(DPR)に対する逮捕令状を提示した。

残りの部隊も現場に到着し始めた。黒のシボレー・サバーバンやSWAT車両のライトがまぶしいほどに瞬いている。辺りはあっという間に制服姿の警官や捜査員で埋め尽くされた。ターベルたちの作戦は成功したが、手順を逸脱した彼らのやり方に地元FBIは立腹していた。

CY2チームは本拠地のニューヨークではダサいコンピューターオタクだと思われていたが、ここでは銃や装備品で身を固めた男たちの集団に、「とんでもないカウボーイ」と呼ばれたことに、ターベルは妙な満足感を覚えていた。彼は拘置所に向かうFBIのヴァンにロスを乗せた。

ターベルはそれからアイスランドにいるヨムに電話をかけ、次の局面を始動させた。ヨムはトール・データセンターにあるマシンと世界中のほかのマシンとの通信を切断し、デジタルポインターをリダイレクトすることで、ビットコインの所有者をSilk RoadからFBIアカウントに変更した。

フランスでは、デジタルの地雷爆弾が見つかっていた。Silk Roadのサイトそのものをリダイレクトするには慎重なデータ操作が必要で、下手をするとマシンがシャットダウンしてしまう可能性がある。そしてサーヴァーは、シャットダウン後に再起動すると自己破壊されるようプログラムされていた。

だが罠は用心深く回避され、マシンはこちらの手に落ちた。これ以後、Silk Roadのトップページにはこう表示されるようになった。「この闇サイトは、米連邦捜査局によって差し押さえられた」。数分も経たないうちにRedditが大騒ぎになった。

ロス逮捕は大手柄で、司法省はこれを華々しく発表したがっていた。ワシントンで記者会見を開き、司法長官のエリック・ホルダーが自ら、サイバー犯罪に対処する米政府の能力について強い声明を出す計画だった。

だが逮捕の当日は、共和党の複数の上院議員が連邦予算を人質に取るかたちで債務上限問題に異議を唱えた結果、大規模な政府閉鎖が起こっていた。このためホルダー長官は姿を見せず、記者会見も行われなかった。ロスの逮捕をめぐる公式発表は、FBIが公開した39ページの告訴状だけだった。この告訴状に署名したターベルは、「DPRのヴァン・ヘルシング」として有名になった。

ターベルとロスはヴァンの後部座席に2人きりで座っていた。ターベルはロスに関する資料を山ほど読んでいたので、ある意味、旧友と再会したような気分になった。彼はロスに向かい、自分が相手のことをどれだけよく知っているかを伝えるかのように、彼の経歴について語ってみせた。

ロスもそれなりによく話したが、その口ぶりは慎重だった。リラックスした様子で、まるで何かから解放されたように見えた。逮捕されたというよりは、自分の秘密を知っている誰かと一緒にいるだけという感じだ。

自然に会話が途切れたあとで、ロスは「2,000万ドル(約22億2,700万円)払ってもここからは出られないよね」と言った。それはここ2年で彼が発した、最も本心に近い言葉だったかもしれない。

移動式ラボにもなる張り込み用のヴァンの中で、キアナンはロスのノートパソコンの解析を進めていた。あっという間に証拠が山ほど見つかった。Silk Roadのサーヴァーのリスト、ロスがこれまでに金で買った偽名の数々、14万4,000BTC(約1,140億円)のビットコイン(2,000万ドルを賄賂に使ったとしても十分に残る額だ)、Silk Roadの金の出入りがわかるスプレッドシート、さらにロスの日記もあった。そこには、大規模な共謀犯罪を行うにあたっての彼の希望、恐怖、弱点が克明に記されていた。

キアナンは、「emergency.txt」というファイルも発見した。実行に移されることのなかった緊急脱出の手順だ。

ノートパソコンのハードディスクを破壊し、隠すか捨てる。/メモリースティックを隠す。/列車の最後尾に乗る。/craigslistで住む場所を見つけ、新しい ID(名前、経歴)を手に入れる。

ロスの自宅では捜査員たちがSilk Roadのプログラムが入ったUSBメモリーを見つけたが、そのほかにめぼしいものは押収できなかった。アレックスやほかのハウスメイトたちが帰宅したときには、コーヒーテーブルの上に令状が置かれているだけだった。

アレックスは、ロスに面会しようと拘置所を訪れた。動揺しているかと思いきや、ロスはいつもと変わらなかった。彼の身柄は近いうちにニューヨークに移され、7件の罪状で起訴され裁かれることになっていた。

アレックスには特別室にいるこの友人が令状に書かれていた容疑者と同一人物だとはどうしても信じられなかった。ロスが誰かに麻薬を売りつけたり、ましてや殺人教唆で有罪になるなんてありえない。ロスはいつだって、くつろいだ感じのいい男だったのだ。


ⅩⅩⅢ. 群衆の人


数カ月後、ロスはニューヨークの連邦裁判所に召還され、罪状認否が行われた。彼はそのときでもまだ落ち着き払っているように見えた。ロスは無罪を主張した。アレックス同様、ロスの友人も家族も、起訴内容を信じられずにいた。

みながまずショックを受け、次に激怒した。「ロスはあんなにいい奴なのに」という思いが、全員の心に繰り返し湧き起こった。何かの間違いに決まっている、と。ロスの代理人を務める著名弁護士ジョシュア・ドラテルも、同じ主張を展開した。

手強い事件を多く手がけてきたドラテルがロスの保釈を求めて用意した書簡には、「善良で模範的な人物」「義務をきちんと果たすことで評判」「世界をすべての人にとってよりよい場所にすることに果敢に取り組んでいた」など、ロスを擁護する感動的な証言が並んでいた。

しかし判事は逃亡の危険性を指摘し、保釈請求を棄却した。

オンラインでは、ロスは一躍、時の人となっていた。当然のことながら、リバタリアンやサイファーパンクのコミュニティは自分たちの王が殉教者になったと感じていた。今回の起訴は、無謀にも政府に挑戦したロスへの懲罰の意味合いをもつと彼らは考えた。

Redditのスレッドは憤慨に満ちた書き込みや、行きすぎ、証拠不十分、あるいはでっち上げだとコミュニティが主張するものについての事細かな分析であふれかえった。ロスのために団結を求める「Freeross.org」というサイトまで登場した。

ロスとドラテルは基本的に「誤認逮捕」の方向で弁護を行う準備をしていた。彼らは、オンラインにおけるアイデンティティの不明確さによって引き起こされる「話の不確実性」を軸に議論を進める戦法を選んだ。DPRはただの空想だと彼らは主張した。DPRは1人ではなく大勢いる。それは周知の事実だと訴えた。

説得力のある議論だった。審理が始まるまでの数カ月の間に、弁護側は個人の身元を特定することの本質について泡のようにたわいもない説をつくり上げ、Silk Roadはいまなお続くミステリーだと示唆した。結局のところ、みんな推理小説が好きなのだ。事件はクラウドソース化された推理劇のようだった。数字やコードに多くの謎が隠されているというわけだ。

そして審理が開始された。だが、明快で否定できない圧倒的な証拠を前に、陰謀説の主張はまったく役に立たなかった。過去最大規模のサイバー犯罪の審理がマンハッタンのダウンタウンにある連邦裁判所で開かれるとあって、法廷にはロスの家族や彼を支援する傍聴人、報道機関が詰めかけた。

こうしたなか、連邦地検の検事たちは数百もの証拠物件で武装し、事件の内容を効率的かつ詳細に説明した。検察はロスの日記も提示した。イェギアヤンは、ロスがマスターマインドとしてログインしている最中の逮捕劇について語った。ロスのノートパソコンに保存されていたDPRのチャットログの一部を、検察が大声で読み聞かせた。

裁判所の外では、徹夜をした抗議者たちがさまざまなブラカードを掲げていた。なかには「ロスに自由を」というものもあった。

ロスは殺人関係の容疑では起訴されていなかった。ボルチモアの「グリーン殺害」は今回の起訴状には含まれておらず、またそのほかの5件の殺人についても、ニューヨークを舞台にした審理の罪状からは外された。逮捕後の捜査により、殺害共謀と見られていた一連の事件は、ロスを騙して巧妙に多額の金を奪い取った、いわばなりすまし脅迫事件らしいということが明らかになったからだ。

ただ、検察はこれらの事件についても、ロスは自分の指示により処刑が行われたと信じており、仮にそれが偽物であったとしても殺人を裏づける証拠写真まで受け取っていると主張した。検事たちは法廷での演出効果を狙って、ロスのチャット記録のなかから、彼が血も涙もないマフィアのボスのように聞こえる箇所を選び出して読み上げた。

審理は予想より早く進み、13日間で終わった。傍聴人たちは滅多に目にすることない膨大な量の詳細な証拠に驚いた。ロスの代理人であるドラテルは最後に、これは人違いが引き起こした事件だと強く訴えた。彼は冒頭陳述で、Silk Roadを実際につくり上げたのはロスだと認めて法廷を騒然とさせたが、被告はそのあとすぐに、サイトを氏名不詳の人物に売却したのだと主張した。

ドラテルの論によれば、ロスはこの抜け目のない「誰か」に騙されてSilk Roadに引き戻され、FBIに逮捕され責任を問われている。ロスが巨額のビットコインを保有していた事実については、彼は単に腕のいい為替トレーダーだっただけだと弁護士は説明した。

ロスの家族は、彼が「自分がSilk Roadの創設者だ」と認めたと聞いて驚いた。ロスの母親のリン・ウルブリヒトは思いやりのある面倒見のよい女性で、息子のために先頭に立って徹夜の座り込みを行った。頭がよくはっきりとものを言う彼女は、ロス支援者の声を代表する人物となった。

リンも多くの支援者同様に、ロスを信じていた。法廷で語られたロスの「物語」が彼の流動的なアイデンティティのひとつにすぎなかったことを思えば、こうした反応もある程度は理解できる。検察は、リンの素直でかわいい息子は別の誰かに変貌してしまったと説明した。

リンはこれに対して、その誰か、男か女か知らないがその人物が本当に存在するのならば、そいつこそが息子になりすましていたのだと反論した。ロスはただ命令を受け入れるコンピューターのコードとなり、あらゆる人が適当な人格を彼に投影することを許していたのだ、と。

例えばアレックスにとって、ロスはクールな新しい同居人だった。ジュリアにとっては情熱的な恋人であり、インスピレーションの源だ。家族にとっては永遠のイーグルスカウトで、フォースにとっては得がたい夜の友人だった。ターベルにとっては、傲慢さゆえに敗北した利口な若者であり、そしてニューヨーク州南部連邦地裁にとっては、ロスは単にDPRという犯罪者でしかなかった。

おそらく最も真実に近いのは、ロスはこれらすべてに当てはまるということだ。ロスは公園の木からゴミを取り除こうとまじめに努力するような青年で、広い心をもった探求者だ。しかし同時に、熱に浮かされた夢想家であり、多くの犠牲を払って仮想の帝国をつくり出した。どの真実も互いを否定しない。ロスとDPRは共存しうる(そして実際に共存していた)。

殺人にまつわる些事のなかで、コードを書いて歴史に名を残した若き理想主義者は消えてしまったのかもしれない。彼が考えていたように、ドラッグをめぐる闘いは失敗に終わっていた。そして、Silk Roadができたのはその失敗に対する極めて自然な反応だった。

「経済が仲立ちする功利主義的な社会」というこのサイトの本来の理想には、好ましい要素がたくさんあった。ロスのように選択の自由と幸福を信じていた人間が、そこに価値を見出すのは容易なことだ。ロスはDPRとして、Silk Roadでこう述べている。「サイトの基本ルールは、自分が人から扱われたいように他者を扱うこと」

だが、ロスがプログラムした理想郷が計画的な暴力に頼るようになるのに、時間はかからなかった。咲いた革命の花はやがて萎む。昔からよくあることだ。権力者が築いた壁を破壊したあとで、その壁の瓦礫が処刑台をつくるのにちょうどよいことに、新体制はすぐに気づくのである。

ターベルが思ったように、システムはどれも同じだ。初期のSilk Roadはロスがつくり上げたただのシステムだった。しかし、ある時点でそれは「彼の」システムとなった─その瞬間に、システムの運命は決まってしまった。

Silk Roadはワシントンにおけるリバタリアンの潮流や、昨今のシリコンヴァレーで独善的なプライドが勢いを増していることに対して、格好の政治的寓話を教えてくれている。シリコンヴァレーでは、あらゆる種類の自称革命家が、自分たちには道徳観も含めて、従来の人間の限界を超える力を与えられていると信じて疑わない。

Silk Roadはある意味、映画『ソーシャル・ネットワーク』の闇の部分を映す鏡だ。とてつもない技術的偉業が、論理的に考えればすぐにわかるような極端な結果を招くまでの過程を描いた物語なのだ。

ノブを演じていたフォースは、遠く離れたボルチモアで事の成り行きを見守っていた。捜査からは外され、キャリアをめぐる夢は潰え、裁判が始まるまでには麻薬取締局(DEA)も辞めていたが、彼にはこの事件はFBIの完全勝利に終わるとわかっていた。

だがフォースは、夜遅くまでチャットをして長い時間をともに過ごした若者に深い同情を感じていた。自らも潜入捜査員の誘惑に陥り、そこからなんとか抜け出した男として、彼は人間は皆、罪人であると信じていた。

フォースはロスと自分を重ね合わせた。「俺だってあいつと変わらない。あいつみたいになる可能性だってあったんだ」と彼はつぶやく。完全な善人はいないし、完全な悪人もいない。誰でも線のどちら側か、自分にとって適切だと思う場所にいる。だが時に、自分でも気づかぬうちに居場所が変わってしまうこともあるのだ。

フォースの言葉には真実味があった。信じがたい展開だが、彼は2015年3月、かつて同じチームにいたシークレットサーヴィスの捜査官2人とともに逮捕・起訴されたのだ。95ページに及ぶ起訴状によると、3人はSilk Roadやそのほかの交換所からビットコインを盗み、「ケヴィン」からの情報に対してDPRが支払った50,000ドル(約560万円)を着服した。
フォースはさらに、盗んだ金のうち少なくとも50万ドル(約5,560万円)をマネーロンダリングし(その一部はパナマに送金されている)、電子通貨の交換所に対して偽の令状を使用した罪にも問われていた。その令状は、交換所が彼の取引を調査して口座を凍結したために使われていた。

いまにして思えば、フォースの物語の多くは違った意味を帯びてくる。皮肉にも、フォースは複数のアイデンティティをもつことの危険性についてDPRに警告していたが、起訴内容が事実だとすれば、彼自身がその罠に落ちたことになる。

彼はオンラインでノブだけでなくいくつものアカウントを作成し、それらを利用してDPRを脅迫し、捜査情報と引き替えに少なくとも10万ドル(約1,110万円)を奪った。ロスと同じく、フォースもTorの秘匿性を信用していたに違いない。グリーンを巻き込んだ潜入捜査の最中、フォースはグリーンに、Silk Roadのサーヴァーは絶対に見つからないだろうとさえ言っていた。

だが、サーヴァーは突き止められた。そして捜査チームは、ロスの悪行を文書にまとめたあとで、フォースとシークレットサーヴィスの捜査官の悪事も明らかにした。つまり、ロスにグリーンの殺害を決意させる原因となった口座から消え失せた35万ドル(約3,900万円)相当のビットコインは、実はフォースたちが盗んだものだったのだ。

こうした一連の新事実は、ロスの審理では取り上げられなかった。フォースの事件はFBIの捜査と食い違う点があり、別件として起訴されていたからだ。だが起訴内容が事実だとすれば、フォースの転落はDPRがたどった道をそのまま映し出すことになる。

フォースが腐敗への一歩を踏み出し、DPRが殺し屋を雇って本物の犯罪者となったのは、グリーン殺害のときだった。2人に時を同じくして起こった倫理観の転換は、ロスの審理ではほとんど取り上げられなかったあるテーマと密接に絡み合っている。つまり、人はオンラインで暮らすと、現実世界で起こっていることやその堅実さをいとも簡単に忘れてしまうということだ。

ロスの刑事裁判は4時間足らずで終わった。7つの罪状すべてで有罪だった。ロスの家族は打ちひしがれていた。ある支援者が立ち上がり、「ロスは英雄だ!」と叫んだ。ロスは法廷から連れ出された。ニュースがネットを駆けめぐると、サイトの擁護者たちはロスとDPRが同一人物であるという主張に反論し、ドラテルが最終弁論で語った言葉を繰り返した。

「インターネットは混乱の世界であり、見かけどおりのものなんてない」

ロスは拘置所に戻された。母親のリンによると、そこではほかの収容者にヨガを教えたり読書をしたりして過ごしているという。アレックスは、エドガー・アラン・ポーの短編小説『群衆の人』をプリントアウトしてロスに送った。この作品はいまのロスにぴったりに思えたからだ。これは、雑踏のなかで自らが「深い罪の典型」と呼ぶ誰かを探偵のように追跡する男の話だ。

だが、追跡の途中で混乱が起きる。そして男は、自分が追っているのは実は自分自身だと気づく。別の自分は「読み取られることを拒む書物のよう」に、彼自身の理解を超えたところにいる。日が暮れ、男はついに追跡を諦める。そして、この正体不明の影が群衆のなかに消えていくのを見守るのだ。










ILLUSTRATION BY TOMER HANUKA
TEXT BY JOSHUAH BEARMAN



JOSHUAH BEARMAN│ジョシュア・ベアマン│ロサンゼルス在住ライター。ノンフィクション作品を扱うウェブマガジン『Epic』共同創業者。イランのアメリカ大使館で起きた人質事件とCIAによる救出劇を描いた記事が2007年、『WIRED』US版に掲載され、映画『アルゴ』の原作になった。@joshbearman 
https://wired.jp/series/silk-road/