とあるきっかけで読み始めた、ミハエル・チクセントミハイの「フロー体験」という本、あまりに衝撃的であり、日々のものごとに対する観点をガラっと変えてしまったため、その内容の一端を、特にインパクトある部分を中心に簡単に紹介したいと思います。
■著者「ミハエル・チクセントミハイ」について
ミハエル・チクセントミハイは、1934年ハンガリー生まれで、主にアメリカで研究生活を行った、20世紀を代表する心理学者の1人。
1990年に出版された本書は、「(欲求の5段階で有名な)アブラハム・マズローの自己実現の概念を超えるもの」(ニューヨーク・タイムズ紙)など様々な新聞・専門家から賞賛され、「日常生活の心理学に関して、今世紀最高の研究者」とも言われています。
その知識は非常に広汎であり、心理学のみならず、文学・社会学・人類学・比較行動学・情報論・進化論・宇宙論・芸術などにまで及んでいます。
■フロー体験とは?
まず、このチクセントミハイの研究の中核をなす「フロー体験」とは、自分自身の「心理的エネルギー」が、100%、今取り組んでいる対象へと注がれている状態を表します。
この状態が満たされるためには、以下のような要素が必要となってきます。
1.自分の能力に対して適切な難易度のものに取り組んでいる
取り組んでいる内容が、自分の能力と照らしあわせて難しすぎず、簡単すぎずであり、全能力を出しきることを要求されるレベルにあること。
そして、それをやり通すことによって、その自分の能力が向上するような難易度であること。
2.対象への自己統制感がある
取り組んでいるものに対して、自分がコントロールができるという感覚、可能性を感じていること。
例えば、F1のレーサーが、自分の車を思い通りにコントロールでき、自在に操ることができるような感覚もこれに当てはまるし、ギャンブルをする人が、運頼みではなく、自分の頭を駆使すれば、きっと儲けることができるに違いないと思い込んでいる状態も、これに当てはまる。
3.直接的なフィードバックがある
取組んでいることに対して、即座に「それは良いか、よくないか」というフィードバックが返ってくること。
例えば、テニスのプレイであれば、いい球が打てたかどうかがすぐに音や感覚で分かり、文章を書いているときであれば、自分自身の感覚でよい一節になっているかが分かるなど、自分の内面的感覚で良し悪しが即座に分かることがこれに当てはまる。
4.集中を妨げる外乱がシャットアウトされている
取組対象以外のことが自分に降り掛かってくることがなく、対象にのみ集中できること。
例えば、自分が文章を書くことに集中しているときに、同僚から声を掛けられてそちらに意識が発散するようなことがないことがこれに当てはまる。
これらの要素が満たされると、自分の「心理的エネルギー」は、よどみなく連続して、100%その対象に注ぎ込まれるようになり、これによりとてつもない集中と、楽しい感覚が生み出されます。
このような状態を「フロー体験」と呼び、この状態にある間、人は時間の流れを忘れ、ひたすらそのことに没頭し、得も言われぬ高揚感に包まれます。
では、なぜこれが幸福感につながるかと言えば、これによって自分自身の複雑性が増し、それが成長につながるためです。
「フロー体験」をしているとき、人は自分自身の能力を最大限に発揮し、自分にとって最も心理的エネルギーを発揮して取り組むため、そのプロセスを通して、自分の能力そのものと、より複雑なものへと取り組む力が向上し、この繰り返しを行うことによって、自分が成長していき、それが積み上がっていくわけです。
これに対して、快楽を追求するようなこと、例えばお金をかけて娯楽を楽しむといったような行為は、気持ちをリセットしたりするのには有用だが、それ自体は自分自身の成長をもたらすことがなく、長期的に幸せに貢献することはありません。
以上が、非常に粗々ではありますが、この「フロー体験」の基本的な考え方となります。
そして、この考え方に沿って、様々なことを捉え直すと、世の中が全く違って見えてくる、というのがこの本が衝撃的である理由です。
その例をいくつか、ご紹介しましょう。
■教育には何が重要か?
この「フロー体験」による成長という観点を、教育に当てはめると、以下の5つの要素が、親が子供へ教育を行う上での重要なポイントとなります。
1.安全地帯 | 子供が無条件に戻ってこれる、圧倒的な信頼状況を作り出す(これを、安全地帯と呼ぶ)。何があっても、無条件で親は自分のことを受け入れてくれる、という安心感があることで、心理的なエネルギーが分散されることが無くなります。 |
2.明確な期待とフィードバック | 子供への期待とフィードバックが明確になっていて、ブレない。何をやるのがよくて、何は悪いかの基本方針、価値基準、ベクトルが明確になっていることで、子供は自分がどこに心理的エネルギーの焦点を充てればいいかが分かるようになります。 |
3.明確な責任範囲 | どこまでの範囲なら子供がやってよくて、何を超えることは許さないかが明確になっていることを指します。2が方向性などを指し示していたのに対して、この要素では例えば「となり町までは自転車で出かけてもいいよ」といった、制約条件を明確にし、子供がどの範囲のステージで心理的エネルギーを発揮していいか、自分で判断できる土壌を提供します。 |
4.現在へのフォーカス | 子供と一緒になって、常に今起きていること、子供が現在直面していることに、親も興味・感心を示すことをさします。将来の学歴や社会的成功をけしかけず、例えば子供が今日、学校で経験したことや、今現在何に好奇心を感じており、何に悩んでいるかといったことに一緒に興味・関心に関心を寄せます。これにより、子供の心理的エネルギーは、コントロールすることができない将来というものではなく、今コントロールすることができる、即ち自己統制感が感じられることに取り組むようになり、これが心理的エネルギーの集中につながります。 |
5.成長に合わせた適度な挑戦の提供 | 子供が、1つ1つの課題をクリアしていけるレベルで、なおかつ飽きてしまわないような挑戦を、次々に課していくことを指します。これを行うには、常に子供がどのくらいの能力にあり、今取り組んでいることをどのくらいの割合でクリアできているか、それを本人はどの程度難しく感じているかということについて、常に注意深く観察する必要がでてきます。同時に、子供がまだ知らないうような、新たな観点や新たな方向性のチャレンジを提供することも求められます。そして、「より難しいことはより良いことだ」という単純な考えだけでは、子供がクリアできず、心理的エネルギーが集中できなくなってしまうため、細心の注意が必要となってきます。 |
これらを「フロー体験」の観点にて一連の繋がりとして捉えると、
まず「1.安全地帯」があることによって、子供は自分自身の立場や価値を心配することがなく、常に前に向かって心理的エネルギーを発揮できるようになります。
次に、「2.明確な期待とフィードバック」と「3.明確な責任範囲」で、その発揮すべき心理的エネルギーの方向性がいい意味で限定されており、子供は常に、心理的エネルギーをどこに向かって集中発揮するのがいいのか、分かるようになります。
さらに「4.現在へのフォーカス」によって、心理的エネルギーの発揮に対するフィードバックを子供は常に親から得ることができると同時に、コントロールすることのできない未来に対して無駄に心理的エネルギーが消費されることが防止されます。
そして「5.成長に合わせた適度な挑戦の提供」によって、常にその時々で心理的エネルギーを100%注ぐ必要性が求められる、というわけです。
言い換えれば、この5つのポイントを抑えて子供を教育することで、安定的に、定常的にフロー体験が生み出され続ける状況を作り出すことができます。
これによって、子供は「心理的エネルギー」を自分でコントロールし、集中して発揮することを学ぶとともに、その安定的発揮を通して、高く自分自身の複雑性を増し、成長させることができるようになるというわけです。
このような整理をすると、例えば私がたまに喫茶店での予備校の模試帰りの小学生の親子のやり取りで聞こえてくる、これまで「そのやり取りはおかしいよなあ」と思っていたことも、見事に「フロー体験」という観点から、再整理できるかと思います。
「今日のテスト、自己採点したらこんなに算数の図形問題ができてないじゃないー」
→1の安全地帯が無くなり、恐れや不安を感じ、心理的エネルギーが発散してしまう
「いつもここは苦手ってわかってるんだから、なんでやらないの?」
→場当たり的にできていないところを指摘され、本来自分が何を目指すべきかがわからなくなり、心理的エネルギーを集中すべきスポットを見失う
「算数はそんなに得意じゃないんだから、簡単なところだけちゃんと点数をとらないと」
→自分が取り組もうとしていることが「簡単」だと言われ、仮に取り組んだとしても適切な難易度でないという暗示がかかり、心理的エネルギーを投入する価値のある難易度のものではないと思ってしまう
「算数の点数が悪いと、受験のときにどこでも苦労するんだから。ちゃんとやりなさい」
→現在ではなく、曖昧でとらえどころのない遥か将来のことがクローズアップされ、今目の前にあることに心理的エネルギーを注げなくなる
■マネジメント
基本的に、適切な「フロー体験」ができるように育ってきた人にとっては、極論、マネジメントされることは不要となります。
なぜなら、フロー体験を創りだすために必要な要素と感覚を心得ているため、もしもその環境が整っていない場合には、周囲にそれを要求し、働きかけ、自分で環境を整備していくことができるためです。
ただ、そういった個人個人の力量に過度に期待せず、安定的にメンバーのフロー体験の度合いを高めていくのが、「マネジメント」の役割であり、その要素は基本的に子育てと同じとなります。
具体的には、まず「2.明確な期待とフィードバック」と「3.明確な責任範囲」が、メンバーに対しての業績目標や成長目標、仕事のプロセスに対する要求であり、それは「どこにエネルギーを集中させるべきか」を規定するものとなります。
だから、なんの制約条件にもなっていないような指示や、価値判断をするときの基準にならないような方向性の提示には、意味がないわけです。
次に、「1.安全地帯」については、メンバーに対して人間的な興味・感心を常に示しており、相手の能力への根本的な信頼を寄せているかどうか。
「この人、本当は自分を信頼していないのではないか?」というような疑念を抱かせてしまっていたら、それはそのメンバーの心理的エネルギーを大量に浪費してしまっていることになります。
次に、「4.現在へのフォーカス」について言えば、メンバーの日々の仕事内容や取組課題に対してフィードバックを与えていなければ、メンバーは心理的エネルギーを自分の仕事に傾け続けるための重要な要素であるフィードバックを欠いてしまいます。
それが他の相手から担保されていれば問題ありませんが(だから、営業の人は、お客様からフィードバックがある分だけ、この部分で安定的)、そうでなく、半期に一度だけメンバーに査定結果だけでフィードバックを返すようでは、フロー体験になんの影響も与えられないわけです。
「5.成長に合わせた適度な挑戦の提供」について言えば、まさに目標設定や課題の課し方について、メンバーの力量を把握し、それに対して適切な難易度になっているかどうかを常にモニタリングすることに繋がります。なので、メンバーのコアな強みや能力、弱点などを把握していないと、ただ単に粗探しのようになってしまい、メンバーが自分にとって適切な難易度のことに挑戦することに貢献しないわけです。
マネジメント論では、こうした要素の1つ1つが「大切である」ということはほぼ一致した見解として存在しますが、「なぜそれが大切なのか?」「具体的にどのようなことが実現できるレベルで実施すべきか」という点について、「フロー体験」の観点は大いに貢献してくれます。
■競争の意味
フロー体験という観点により、捉え方がガラっと変わることの別の事象として、「競争」が挙げられます。
以前から自分自身が感じていた違和感のある話に、
「競争には勝たなければならない」
というものがあります。いやいや、負けることによっても、大いに学びがあるし、それはおかしいなあ・・・とか思っていましたが、これも「フロー体験」の観点により、すぱっとした新しい捉え方が見いだされます。
一言でいうと、
「競争関係は、相手との競い合いの中で、極めて安定的に自分の全力を出しきることを求められる」
ということ。
競争をすることによって、自分が何に集中しなければならないかということも分かるし、自分が考えていた枠組みを超えて、相手という立場との相互の関係の中で「相手よりも高く」と目指すことで、自然と100%の能力を引き出されることになるわけです。
なので、競争における小手先の戦術での勝利には、その戦術を考えだすという点では難易度が上がり成長を促すけれど、そうした工夫がなく、単純に信義則などに反することを行なって勝利することには、信義則への忠誠を失くすというダメージに加えて、なんら難易度向上に貢献せず、むしろ難易度への挑戦を放棄するという意味で、逆効果となり、これも直感的なことと合致するわけです。
よく、競馬で「併せ馬」という二頭の馬を同時に走らせてトレーニングする方法がありますが、あれなんかがまさにこれに当たるかと思います。
■テレビ鑑賞と難しいことへの挑戦
自分にとって適切な難易度のことに挑戦することが「フロー体験」につながり、それが自分のさらなる成長へと繋がり、それが幸福感をもたらす、というのは、本当にコアな話なのですが、ここでは逆に「難易度」について焦点を充ててみたいと思います。
例えば、チクセントミハイは、テレビの鑑賞や娯楽への逃避を優しくたしなめます。
なぜテレビを見たりするかと言えば、テレビを見ることによってそこに受動的に意識が集中され、心理的エネルギーがアイドリング状態にならず、ある種の安定を自分にもたらすから。
そうすると問題なのは、それが自分の脳力を伸ばすような挑戦には全くなっておらず、自分自身で心理的エネルギーの集中をコントロールするという作業を放棄しており、他人が組み立てた論理の道筋やストーリーによりかかり、無駄に心理的エネルギーを放流され続けることになる点です。
だから、子供を遊ばせるときに、テレビを見せておとなしくしてもらうというのは、良い方法とは言えない。
それによって子供は、自分自身で様々な複雑なことにチャレンジし、自ら自分を成長させるようなクセと習慣を身につける機会を失ってしまうため。
それに対して、効果的なことのひとつにあるのが「白昼夢」をさせることだと、チクセントミハイは指摘します。
これは、子供が自分自身の頭の中で物語をつくり、それをあれこれ考えることに頭を使うという行為。これは、非常に複雑な作業であるし、これに子供は集中することによって、外的な要因に頼らず、自分自身の内省によって自分を高めるということの素晴らしさに気づくことができるようになります。
■転じて世の中を見ると
たまたまこの本を読んでいるときに、TVで見ていたインタビューに
「どうしても、◯◯ということは、難しく感じてしまって嫌かもしれません。ですけれども、やってみるとそんなに難しいことではなくて・・・」
というように、「難しいこと=悪いこと」というような捉え方が多いものなんだなあということに気付かされました(というよりは、この本にすっかりのめり込んでいたので、一種の憤りすら感じましたが)。
この「難易度」に対する捉え方が、世の中全般で幼稚なのかもしれません。
幼稚さには2局面があって、その1局面は上記のような、とにかく「難しいこと=悪いこと」としがちなもの。例えば、発表をより簡単にしようとか、難しいことを易しく伝えることこそがよいこと、とすることなどがこれにあたります。
もう一方の局面は、「極端に難しいこと=よいこと」と思い込むこと。例えば、「優秀な人にとっては、とにかく難しい課題を与えれば与えるほど、燃え上がってよい」というような話や、「とにかく、どんどん厳しい要求を突きつけて、それによって成長を促す」というような話。
これも「適切な難易度のコントロール」という観点から外れています。
本来行うべきは、「今取り組んでいることが適切な難易度であるか?」ということですが、この難易度のコントロールには、以下のような方法があります。
*【取組前】時間や金銭やルールに制約条件を設ける
例 1週間でこの仕事を完了せよ、と言われたら、その時間内に終わらせるという難易度が上がる
*【取組中】取組み最中の集中度をモニタリングし、微調整を行う
例 いつも退屈だと感じていたら、難易度を疑い、やり方をちょっと難しくしてみる
*【取組後】前回の仕事の難易度を適切に評価する
例 1つのプロジェクトが終わったら、その振り返りをマネージャと一緒に行う
こうした努力を放棄して、闇雲に「難しいことは、よくないことだ」というのは、とてももったいないことであると、本書を読んで、改めて痛感させられました。
■こうした内容も踏まえて
さて、今回この「フロー体験」の内容の一端を、ザクザクっと紹介させていただいたのですが、本書にはこれ以外にも様々な観点やテーマが紹介されており、さらにこれらを深堀りして考えてみたいと感じています。
※上記でご紹介した以外に、個人的にこの本で紹介されている興味深く、議論してみたい観点
*「孤独」の重要性とは?(フロー体験に、幼少時の孤独を楽しむ体験は重要とされている)
*集団の相互作用やモチベーション3.0と「フロー体験」との関係は?
*組織や、組織を超えたコラボレーションに「フロー体験」はどんな観点を与えてくれるか?
*音楽の専門家、研究者、外科医・・・自分のプロフェッションでは人よりも卓越した感性がそれぞれの人にあるそうだが、その感性によるフィードバックと「フロー体験」との関係は?
*本来仕事に集中している状態が「フロー体験」であるが、心は論理的にバカンスをすべきと考え、それによる乖離が幸せを奪ってしまうという話について・・・
*日本の社会や今後のトレンドの中で、「フロー体験」が与えてくれる示唆とは?
あなたにとって、「フロー体験」はどのようなインパクトがありそうですか?
それでは