木曜日, 6月 27, 2013

誰もが知ってるOMEGAにまつわる、意外と知られていない2、3の事柄 「究極」=Ω(オメガ)

誰もが知ってるOMEGAにまつわる、意外と知られていない2、3の事柄



時計ブランド、オメガの名を知らぬ者は、おそらくごく少数に限られるに違いない。しかし、オメガがどのようなフィロソフィをもち、何を大切にしているブランド/メーカーなのかを、果たしてどれだけの人が把握しているだろうか……。宇宙に飛び、深海を旅してきた希代の腕時計のミームに潜む、オメガの本質に迫る。

TEXT BY WIRED.jp_C




エドガー・アラン・ポーが生涯を閉じ、マルクスとエンゲルスが『共産党宣言』を発表した1848年、ルイ・ブランという名の時計師が、スイスの一都市ラ・ ショー・ド・フォンに工房を開いた。これが、オメガの 原点である。

その後、工房を受け継いだ息子たちの手によって生産体制が徐々に向上し、89年には年間生産数10万本を誇る、スイス最大手の時計メーカー(当時の社名は ルイ・ブラン&フィルズであった)へと成長する。

94年、彼らはある画期的な機械式ムーヴメントを発表する。そしてそれが、結果的にスイスの時計産業の行く末を左右することとなった。完成度の高さから、 「究極」を意味するギリシャ文字=Ω(オメガ)の名が冠せられたその新型機械式ムーヴメントは、19の製造工程によって組み立てられていた。分業体制が敷 かれたこの製造ラインの仕組みは、その後スイスの時計産業界のスタンダードとなり、それによって精度と生産性の飛躍的な向上を獲得したスイスは、機械式時 計の世界的な生産地としての礎を築いたのである。

近代時計史に名を刻むムーヴメントの名称であったオメガ(ページ上の動画で、その姿を見ることができる)は、その後正式に社名として採用されることにな る。それは、夏目漱石がイギリスから失意の帰国をし、ライト兄弟が人類で始めて動力によって空を飛んだ、1903年のことであった……。

そんなオメガの名が人類共通レヴェルにまで広がったのは、おそらく69年のことだろう。NASAの課した耐熱、耐寒、耐衝撃などの過酷なテストでは、ほか の時計は風防が吹き飛んだり止まったりしてしまったなか、オメガのスピードマスターだけが唯一合格を果たす。そうしてNASAに公式採用されたオメガ スピードマスターはこの年、アポロ11号の飛行士であったバズ・オルドリンとともに月面に降り立った。さらに翌年、酸素タンクの爆発によって電気系統が故 障してしまったアポロ13号が、スピードマスターを使うことによって奇跡の帰還を果たしたというエピソードによって、オメガに対する信頼性が、ひとつの頂 点に達したと言っても過言ではないだろう。

しかし一方で、このスピードマスターの驚異的な認知度が、オメガのパブリックイメージを一元的なものに押しとどめてしまう結果を招いたことは否めない。特 に割を食ったのが、「ブランド」としてのオメガではなく、「メーカー」としてのオメガがもつ、革新的な部分ではないだろうか。では、メーカーとしてのオメ ガの革新性とは、いったいどのようなものだろうか。実はそれを物語る、ひとつのキーワードがある。「コーアクシャル脱進機」なるキーワードだ。

“脱進機”って何?



“脱進機”とは、機械式時計の心臓部と言 うべき仕組みで、巻き上げられたゼンマイ(オメガは現在、「シリコン製ヒゲゼンマイ」を使用している)がほどける際の回転運動を、振り子のような左右の動き(振幅運動) に変換する装置のことを指す。1800年代に「緩急針付レヴァー脱進機」が開発されて以来、ほとんどのメーカーがこの仕組みを採用し、その後長らく大きな 変化は起きなかった。しかし1978年、天才時計師ジョージ・ダニエルズ博士が「コーアクシャル脱進機」を発明。機械式時計の歴史はここから徐々にに動き 出す。左の図は、ダニエルズ博士によるコーアクシャル脱進機のスケッチ。





コーアクシャル脱進機とは何かを解説するにあたっては、機械式時計のおよその仕組みを理解していただくのがスムーズだ。なので、まずはぜひ上の動画をご覧 になっていただきたい。以下の脱進機のパーツ説明は、動画の17秒あたりの映像をもとにする。

左から、秒針とつながっている「中間車」(シルバー)、「ガンギ車」(赤)、「アンクル」(赤)、「振り座」(半透明)。そして振り座に運動を与えている 「テンプ」(ゼンマイ状の部分)。

これらのパーツによって、脱進機は構成されている。機械式時計の心臓部とも言うべき脱進機は、その構造上、使用を重ねると摩耗してしまう。そのため定期的 に注油をすることが不可欠だ。さらに19世紀から採用されてきた従来の脱進機は、「テンプを蹴り上げる角度」が大きいため、振り子の原理が働きづらく、ゼ ンマイの力をロスしてしまうという欠点があった。

それらの欠点を克服すべく生み出されたコーアクシャル脱進機は、従来、アンクルに埋め込まれたルビーが2つだったのに対し、ルビーの数を4つに増やすこと で、ガンギ車とアンクルの接触面積を抑え、かつ力の伝導効率を上げることに成功。それにより、およそ200年以上にわたり誰も削ることができなかった「テ ンプの蹴り上げ角度」を、10度以上減少させることとなった(精密機械における10度の差がどれほどの意味をもつのかは、想像に難くない)。その結果、振 り子の原理はより働きやすくなり、エネルギーのロスは減り、ショックや姿勢差に強くなり、さらにはメンテナンスサイクルを長くすることにつながったのであ る。

つまりコーアクシャル脱進機は、機械式時計を200年ぶりに進化させることに成功したのである。

コーアクシャル脱進機をオメガが実用化したのは、1999年。しかし天才時計師ジョージ・ダニエルズ博士がこのコーアクシャル脱進機を発明したのは 1978年である。ダニエルズは、コーアクシャル脱進機のプロトタイプをさまざまな時計メーカーにもち込んだものの、開発までの難易度の高さ、あるいは量 産の困難さを理由に、各メーカーともこの世紀のアイデアの価値を読み誤ることとなった。

そんななかオメガだけが、世紀のアイデアを具現化するまでに予想される山ほどの苦難にひるまなかった。当初、開発が成功する可能性がどれほどのものだった のか、知るよしもない。しかし、「たった」20年の歳月で、オメガは機械式時計の歴史の針を大きく進めることに成功したのである。99年に登場したコーア クシャル脱進機は、その後も改良と進化をたゆまず続け、常に最新ヴァージョンのコーアクシャルが、オメガの時計に搭載されているのである。

これは、完成の極みにある芸術品のような機械式時計にも、まだイノヴェイションの余地があると信じる「時計メーカー」の矜持、あるいはパイオニアスピリッ ツがなせる業にほかならないだろう。そんなメーカーとしての気質にこそ、オメガの本質が現れているのではないだろうか。

OMEGA