火曜日, 11月 26, 2013

シェルが描く、2つの“未来図”〜「New Lens Scenarios」とは何か?

シェルが描く、2つの“未来図”〜「New Lens Scenarios」とは何か?【前編】

生き馬の目を抜く「知略」と大局に立った「筋書き」が求められるエネルギービジネス界。栄枯盛衰の激し いこの業界において、ロイヤル・ダッチ・シェルは、ほぼ1世紀にわたり世界のトップ企業グループにある。彼らはなぜ、世界屈指のエネルギーメジャーであり 続けられるのか。その理由のひとつとして挙げられる、「シナリオプランニング」なる知の技法に迫る。

2013年、ロイヤル・ダッチ・シェルが発表した「New Lens Scenarios」。この先50年の間に世界で起こりうるかもしれない出来事が、「Mountains」と「Oceans」という2つのシナリオによって描かれる。

シェルが最初にシナリオプランニング技法を活用した「未来予想」を社内で公式化したのは、1973年5月のこと。いまからちょうど40年前にあたるこの年 の10月、世界はオイルショックに見舞われるが、「シナリオ」によってこの事態を事前にシミュレートしていた彼らは、すでに各部門ともアクションプランを 有しており、原油価格が一気に5倍になったにもかかわらず、石油メジャーのなかでただ一社のみ「勝つ」ことができた。これがいわば神話となり、シナリオプ ランニングは、シェル内部に定着していった。

そもそもシナリオプランニングとは、軍事戦略を練るために第2次世界大戦中にアメリカ軍で研究された「起こりうる未来展開を予想するストーリー」を組み立 てていく思考実験に端を発する。この手法のビジネスへの応用を試みたのが、ランド研究所に所属していたアメリカの未来学者ハーマン・カーンであった。そし て70年代初頭、カーンの知遇を得たシェルのプランナー、フランス人のピエール・ワックを中心に、当時のトップマネジメントの励ましを受けつつ、エネル ギービジネスにおけるシナリオプランニング手法を構築したのである。73年当時、「オイルショック」は異端のシナリオだった。その実現可能性と戦略的対応 を、企業組織全体で検討し準備させるには、トップの側にも勇気が必要だった。

シェル流のシナリオプランニングは、例えば、2時間息もつかせず珍しいストーリーが展開する映画を観るのとは、まったく意味合いが異なる。観たあと、ス トーリーを忘れてしまっては目的を果たせないのだ。シェルのプランナーはマネジメント層に、シナリオの中味を明晰に、じっくりと、時には立ち止まって戦略 的な意味合いを気づかせるようにして語り、挑発する。これを世界中のシェルグループ各社でやっている。時には社外に説明の場を求め、対話をする。オープン でリベラルな企業風土なのだ。とりわけグローバルシナリオでは、今後世界を動かしうる要因となるであろう政治・経済界におけるトピックス、キープレイ ヤー、組織、あるいはそこに流れる思惑やロジック、さらに将来のテクノロジーや社会の価値観の変化を抽出し、そこから複数の未来図を描き出す。

シェルは、この膨大な情報の分析と議論からなる知的作業を40年間絶やさず続けており(つまり、シナリオ作成に携わる専門のプランナーを社内外に維持し)、2013年、5年ぶりに新たなシナリオ「New Lens Scenarios」を発表した。

今回発表されたグローバルシナリオ「New Lens Scenarios」は、2060年までを視座とし、世界規模で、未来へ向かって社会・経済・政治・テクノロジーといった要素が変化していくさまを「2つ のシナリオ」に分けて示している。それをふまえ、世界のエネルギー問題と環境問題がこの先どう展開していくのかを呈示する。2つのシナリオは、 「Mountains」と「Oceans」と名付けられ、前者が政府の力が強く低成長な未来を描き、後者は、民衆の欲求と政治的な力が群発的に拡がる状況 を暗示した内容である。



国家の役割が増大するとみる「Mountains」


2013年10月28日、新しいシェル・グローバルシナリオ「New Lens Scenarios」の発表を記念して、東京大学本郷キャンパスにて公開シンポジウム「持続可能な社会の実現に向けて-シナリオプランニングの手法を用い た長期的戦略の構築」が開催された。シナリオ作成の中心人物であるDr. Cho Oong Khongと、Ms. Esther Bongenaarによるシナリオの解説に、集まった300人の聴衆は息を呑んだ。

まず「Mountains」では、国家の役割が大きく設定されており、とりわけ強調されているのが、2020年代以降におけるアメリカと中国の関係性だ。 すでに強い国と、強くなる過程にある国からなる「G2」が利益を調整し合う関係(ただし体制が依拠する価値観は共有しない)が、世界に大きな影響を及ぼす ことになる、とこのシナリオは語る。つまり、既得権をもつ者たちによる「ものごとをそのままにしておきたい」という思考が、引き続き世界のイニシアティヴ を握るという予測である。

事実「Mountains」では、ルキノ・ヴィスコンティが1963年に監督を務めた映画『山猫』(原作はジュゼッペ・ランペドゥーサ)のなかのせりふ、 「We must change to remain the same/変わらずに生き残るためには、変わらなければならない」が引用されている。

変化に抵抗するのではなく、コントロールする。変化をコントロールしながら、既得権者にとって重要なものを維持していく。国家は国益を優先することになり、結果として経済活動のダイナミズムは弱まり、先進国の経済成長は鈍化するであろう。

成長が緩やかな「Mountains」シナリオでは、エネルギー価格は安い。とりわけシェールガスが、供給の安定した安価なエネルギー源として世界の需要 を支える。各国政府の指導力が強いこの世界では、長期的な視野に立った大規模エネルギー・地球環境プロジェクトを遂行していくことができる。鍵となるテク ノロジーとして強調されるのが、炭素隔離(CCS)技術だ。火力発電所などから大量に排出される二酸化炭素を数千年オーダーで地中や海中奥深くに貯留する 技術の実現は、「Mountains」シナリオにおいては二酸化炭素問題の解決に欠かせない技術と位置づけられ、その開発と運用には先進国を中心とした国 際協調が実現する。

なぜだろうか? 既得権に身を置く側は、時として地球大の共通善を求める長期的視野を備える。そこで温暖化問題への大規模で具体的な対応が目指される。将 来、人々は省エネ・コンパクトシティへの移住を促されるかもしれない。CCSや原発の建設は、地元住民の反対を乗り越えて適地を合意していく。これらが功 を奏して、2060年には世界の発電セクターにおけるCO2の排出量は限りなくゼロになっているのが「Mountains」シナリオである。


民主化が進む「Oceans」はユートピアなのか?


 

「Mountains」 (上)と「Oceans」(下)、それぞれのエネルギーミックスの予測。天然ガスと石炭が需要を支える予測はどちらも変わらないが、「Oceans」の場 合、2040年ごろから太陽光が伸び始めてくるのが特徴的だ。(グラフデータは「New Lens Scenarios」より。ILLUSTRATION BY JUN SAKURADA)


もう一方のシナリオである「Oceans」では、どのような未来が描かれているのだろうか。

ここで語られる未来は、政府によるガヴァナンスではなく、市民社会、ネチズン、NGO、あるいはポピュリストといった集団がITによってエンパワーされ、 自生的に秩序がつくられていく世界である。いわば「秩序なき秩序」。人々は、似た意見を共有する者同士で際限なくつながってゆく。利益ではなくヴァリュー が共有されていく社会である。が、この世界では人々は実に移り気だ。SNS上の知り合いの言動にたやすく影響される。サステイナビリティは大事、それを目 指す実践はもっと大事、その通り! だが、この社会にはこらえ性がないのかもしれない。関心ごとはうつろう。各国首相はポピュリズムに翻弄されてどんどん 政権交代させられてしまう。人間社会の課題を長期持続的な努力をもって解決することができない社会。そんな状況が生まれるであろうことが暗示されている。

この「Oceans」では、人類学者ジェームズ・C・スコットの著作『Two Cheers for Anarchism』から、「変化というのは、一般の人々から生まれるものである。社会秩序がひび割れたところから、自由が生まれる」という一節が引用さ れる。一般の人々が政治的な力をもつ世の中になったのだ。かつてアメリカ人の67%が政府を支持していたが、今日その数字はわずか19%でしかない。人々 は大企業のCEOにせよ政府のリーダーにせよ、ダヴォス会議に行くような人たちを決して信用せず、むしろFacebookの「友達」たちに信頼を寄せてい る。

そんな「Oceans」では、規制緩和が進行し、民間の活動が栄えて、経済活動はよりグローバルで活発になると予測され、新興国や開発途上国の数十億の 人々の生活水準は上がる(その一方で国際協調はより難しくなっていく)。この世界では数十億人の人々が、「Mountains」の世界より豊かになり、自 由闊達に生き、消費し、移動し、自己表現して生活を楽しんでいる。

そのためエネルギー需要が大きく伸び、供給がひっ迫してエネルギー価格が上がるだろう。そういった世界では、産業は懸命にエネルギー効率を高める努力をな す。同時に、再生可能エネルギーの普及が加速するであろうことも語られる。実際このシナリオでは、太陽光エネルギーが2070年までにシェア第一のエネル ギー源になる。それは太陽光発電が、とりわけ人口が爆発する国々で普及するためである。途上国では今後、電力移送のための送配電系統への投資がまったく追 いつかない。そこで分散型の立地に適した、かつ地元の共同体で運営することが可能な太陽光発電システムが普及するのだ。ただし、得られる電力の質には問題 が残る。

振り返って、再生可能エネルギーのシステム価格が大きく低下して、十分な供給力をもたらすまでの数十年間は、むしろ石油や石炭が発電用燃料として重用され (市民運動などにより、原子力やシェールガスや大規模風力発電のプロジェクトが容易に実現しないからだ)、各国の内政がポピュリズムにより不安定なことも あって国際協調は遅れ、地球温暖化はより深刻を極めることになると、このシナリオは示している。

「Mountains」と「Oceans」、果たしてどちらのシナリオが望ましいのか。それは、どの立場から未来を考えるかで大きく違ってくる。従来であ れば、「誰が繁栄し、誰が落ちこぼれるのか。そしてその生殺与奪権を誰が握っているのか」は、比較的明快であった。しかし「Oceans」のシナリオが示 す通り、ITの存在によって今日人々が手にするパワーは、人類史に幾度か起きた民主化革命のどれにも増して、強力だといえるだろう。しかし同時に、 「Oceans」のシナリオにある通り、その民主化の行き着く先が、必ずしもバラ色だとは限らない。

この2つのシナリオは、まだどちらも「実現」していない。少なくともエネルギー政策と環境対策において、まだ人類は選択肢を残している。そのことを気づかせてくれることにこそ、この2つのシナリオの存在価値はある。

ではこのシェルのシナリオは、日本でどう生かされているのだろうか? 12月2日(月)公開予定の後編では、シェルグループの一員である日本の昭和シェル石油の、エネルギーの未来に向けた取り組みに迫る。