水曜日, 2月 24, 2016

ボクたちはみんな大人になれなかった |第一部


 

 

ボクたちはみんな大人になれなかった

 

#1

最愛のブスに〝友達リクエストが送信されました〟


2016年まで生き延びた42歳のオッサンであるところの、ボク。1999年、ド底辺のお先真っ暗な二十代のガキであるところの、ボク。どっちもしょうもないけど、なんでだかあの頃が、最強に輝いて思える。夢もない、希望もない、ノーフューチャーなリアルに「最愛のブス」がいただけなのに――
やたらと叙情的なつぶやきで共感を集め、フォロワー6万5千人超えの謎のツイッター職人、燃え殻 @Pirate_Radio_さん。ツイッターが生んだ後ろ向きのカリスマ、史上最大級のつぶやきをお楽しみください。



ハンドルネームしか知らない女の子が、目の前で服を脱いでいく。
彼女もボクのハンドルネームしか知らない。

枕元の有線でレベッカの『フレンズ』が流れ始めた。やけに懐かしい。きっと彼女がまだ生まれてなかった頃の曲なのに、彼女は口ずさみながらブラジャーのホックを外している。ボクは裸でベッドの上で体育座りをしながら、ぼんやりとソレを眺めている。

渋谷の円山町の坂の途中、神泉のそばに安さだけが取り柄のラブホテルがある。そこは東京に唯一残されたボクにとっての安全地帯。

そのラブホテルに、その子とチェックインした。
どんな男と付き合ってきたのか、実際の年齢、仕事、彼女の語ったことが本当なのかわからない。確かめようもなかった。

彼女は、「ほら、コレ」と裸のままスマホを見せてきた。安直な照明のスタジオで、あからさまにサイズの小さい水着をつけて四つん這いになった写真だった。「わたし、グラビアやってるんです」という話に少し信憑性が出た。

「ねぇ聞いてよ、この間さ、今回の衣裳です!ってトイレットペーパーを1ロール渡されたの。ありえなくない?」彼女はそんな話をしながらボクの背中に柔らかい乳房を押し付けてきた。

「わたし、自分のことより好きになった人いないかも」
「俺もだよ」それもまた噓だった。

時間の感覚が完全に麻痺する真っ暗闇のラブホテルの一室で、彼女は一つだけ本当のことを言ってくれた。

「わたし、大竹しのぶさんみたいな女優さんになりたい」




日比谷線は中目黒を出て、広尾に向かって地下に潜る。
地下鉄の暗闇の窓に映し出されたボクは紛れもない42歳の男だった。
老けたなぁ、と思いながらカバンからスマホを探す。恵比寿で待ち合わせをしてるアシスタントから何度も電話がかかってきていた。約束の時間からもう10分遅れてしまっている。
言い訳メールの前に癖でフェイスブックのチェックをしてしまう。

地下鉄の揺れの中、ひとりの女性のアイコンが「知り合いかも?」の文面と共に目に飛び込んできた。揺れにつり革で対応しながら、そのページから目が離せなくなっていた。彼女は「自分よりも好きになってしまった」その人だった。
 
〝小沢(加藤)かおり〟久しぶりにその文字列を読んだ。

満員電車は恵比寿の駅に滑り込む。ドアが開き、降りる乗客と降ろされる乗客が雪崩の様にホームに吐き出される。その流れをかわしながら、〝小沢(加藤)かおり〟のページに見入っていた。
ドアが閉まり少し減った乗客を乗せ、地下鉄は六本木に向かう。とりあえずアシスタントに「外せない用事が入った遅れる」とメールを送った。

「自分よりも大切な存在」だったその人は、目的地を決めないで出かけることが大好きな人だった。降りる駅を決めないまま新幹線でふたり、東北に向かったこともあった。
ダサいことを何より許せない人で、前衛過ぎるイベントによく2人で出掛けた。チラシとポスターがオシャレなクソ映画、チラシとポスターがオシャレなクソ演劇に、よく二人で足を運んだ。

今でも彼女のことを時おり思い返すことがあった。最後に会ったのは1999年の夏、渋谷のロフト。リップクリームが買いたいと出掛けたなんでもないデートだった。別れ際「今度、CD持ってくるね」と彼女は言った。それが彼女との最終回だった。月9ドラマは別れるにしてもハッピーエンドになるにしてもちゃんと12回で人間関係は必ず集約していく。だけど現実の最期のセリフは「今度、CD持ってくるね」だったりする。
彼女があの時、すでに旦那と知り合っていたこともフェイスブックに長々と書かれた出逢いのエピソードで知ることになった。

マークザッカーバーグがボクたちに提示したのは「その後のあの人は今!」だ。

ダサいことをあんなに嫌った彼女のフェイスブックに投稿された夫婦写真が、ダサかった。ダサくても大丈夫な日常は、ボクにはとても頑丈な幸せに写って眩しかった。

彼女のフェイスブックをスクロールさせる。日比谷線は暗闇を突き進んでいく。

スマホの画面にはアシスタントからのメールが届いたことが表示されては消える。フェイスブックの彼女のページをたどると、皇居マラソンを日課にしていること、一風堂をこの半年我慢してることを知った。

彼女はグラビアアイドルのようなカラダではなかったし、夢もたいして口にしなかった。よく泣く人で、よく笑う人だった。酔った席で彼女のことを話すとよっぽど美人だったんだろうねぇと言われることがあるが、彼女は間違いなくブスだった。ただ、そんな彼女の良さを分かるのは自分だけだとも思っていた。

渋谷の円山町の坂の途中、神泉のそばの安さだけが取り柄のラブホテル。そこは東京に唯一残されたボクにとっての安全地帯。
なぜなら自分よりも好きな存在になってしまった彼女と、一番長く過した場所だったからだ。

満員電車が激しく揺れた。ずいぶん遠くの駅まで来てしまった気がして、慌てて降りた。日比谷線、上野駅。亡霊のように灰色のサラリーマンたちが改札に吸い込まれていく。ボクはその波に流されながら、握りしめたスマホの中の彼女のページにもう一度目をやる。

「え!?」と思わず本当の声が出た。

友達申請の送信ボタンを押してしまっていた。

人波に巻き込まれて不意に押してしまったこの状況をまだ受け入れられない自分がいる。言葉がまだ見つからない。何体もの亡霊が、立ち尽くしたボクの周りをすり抜けていく。

ボクは時間が止まったように〝友達リクエストが送信されました〟の画面を眺めていた。


 モデル:福田愛美

 

#2

海いきたいね」と彼女は言った


1999年、ボクはド底辺のお先真っ暗な二十代のガキだった。彼女とはいつも、ラッセンのジグソーパズルが飾られた円山町のラブホテルで過した。「地球滅亡しないかなぁ」とか言いながら――
フォロワー7万人超えのツイッター職人、燃え殻@Pirate_Radio_さんの一番長いつぶやきをお楽しみください。




「海いきたいね」それがあの頃の彼女の口癖だった。

上野駅のホームで誤って彼女に送ってしまったフェイスブックの〝友達リクエスト〟。スマホをしばらくの間ジッと眺めていた。反応はない。ひとつ、ため息をついた。この感じは懐かしい。懐かしい痛みを心臓近くで感じている。彼女と一緒だった時、ボクはとにかくいつも待たされていた。

どういう方法で攻めても結局、オセロの盤は一方的に彼女の色に染まってしまう関係だった。あの頃のボクは、円山町のラブホテルで彼女にへばりついて寝ている瞬間だけが、安心で満たされていた気がする。




1999年の春。坂道のふもとにあったセブンイレブンで、ボンゴレパスタとポカリスエットを二人分買い込んで、あのラブホテルに向うのがいつもの定番コースだった。
トイレにはどの部屋にもラッセンのジグソーパズルが飾ってあった。それを見て彼女は、トイレから出てきたら必ず「海いきたいね」と言っていた。


どの部屋も窓は開かなかった。窓がない代わりにヨーロッパ調の窓の絵が壁に大きく描かれていた。空調は効き過ぎていて強か弱しかなかった。

ボクはとりあえず部屋に入ったらベッドにダイブして、枕元の有線を邦楽ロックに合わせる。彼女は部屋をすぐに真っ暗にした。真っ暗過ぎて二人して下着に足をとられたりしていた。

密閉された暗闇の中、世の中から遮断された場所でゴシップネタや仕事の愚痴を言いながら黙々と抱き合った。ボクの頬に彼女の液体が触る。暗闇でも彼女が泣いていることは確認できた。涙と汗がブレンドされた彼女のカラダを丁寧に舐めた。彼女はボクにとって、とても懐かしい匂いがした。過去の何かに似てたわけじゃない。ただとても懐かしい香りだと感じていた。彼女はあの時、なんで泣いていたんだろう。

青春時代、男性誌『Hot-Dog PRESS』に〝セックス中にやたらしゃべる男は嫌われる〟と書かれていたので、ボクは必死に最低限を心掛けていた。
彼女もボクも初めはかなりセックスに対して手探りだった。確認はしていない、ただ二人合わせても、人生で10回も経験していない同士だったはずだ。

彼女はよく「人が横にいると眠れない人なんだ、わたし」と言ってて「俺も」なんて合わせていたけど、すぐにふたりともぐっすり眠っていた。



目が覚めると部屋は真っ暗で、早朝なのか昼なのか、ここがどこなのか分からなくなるような錯覚に陥った。部屋にはレベッカの『フレンズ』が小さな音で流れていたのを覚えている。喉が渇いて、暗闇の中で下着とポカリスエットを同時に探した。彼女はとにかく朝にめっぽう弱くて起きる気配はまったくない。

ヌルくなってフタもどっかにいったポカリスエットを飲み干して、お湯をためようと浴室に行く。小窓から外がもう白んでいることを知る。風呂場に敷かれたタイルの冷たさをはっきりと覚えている。
今日、これから仕事をするなんて噓みたいだな、いつもそう思いながら定まらないお湯の温度を手で探っていた。

朝の10時にチェックアウトだから、いつも9時には彼女を背負うように浴室に運んだ。ふたりで湯船につかりながら「あぁ地球滅亡しないかなぁ」とか、まだ半分寝ぼけた彼女はよくつぶやいていた。

ドライヤーをかける彼女を尻目に身支度をした。彼女は「あ、待って待って」と最後にいつもトイレに行くのが習慣だった。もうすぐチェックアウトの時間。
男性誌『Hot-Dog PRESS』には〝女性の朝の支度を急がせるな〟とも書いてあった。ぐしゃぐしゃのベッドにうつ伏せになって、今日の予定を反復する時間に当てた。ただその時はだいたいベッドに脱ぎ捨ててあった彼女のコートを敷いて、微かに香る彼女の匂いを全力で嗅ぎながら反復をした。

いつの間にかトイレから出てきた彼女から、ベッドでバタ足をしながらコートの匂いを嗅いでる男にツッコミが入る。「変態、行くよ」と声がかかる。お前待ちだっての!と思いながら、今更になって部屋の鍵がないことに気づく。
探してるボクの背中に、彼女が言う。「ね、ふたりで海行きたいね」と。
その約束すら、ボクは結局果たすことができなかった。

フロントからチェックアウトの時間を告げる電話が鳴っている。



モデル:福田愛美



 

#3

ビューティフルドリーマー』は何度観ましたか? 


2016年まで生き延びた42歳のオッサンであるところの、ボク。1999年、ド底辺のお先真っ暗な二十代のガキであるところの、ボク。どっちもしょうもないけど、なんでだかあの頃が、最強に輝いて思える。夢もない、希望もない、ノーフューチャーなリアルに「最愛のブス」がいただけなのに――
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毎日毎日、満員電車に乗っていたら、たまには会社に行かずにどこか遠くへ行ってしまいたいと思う方がまともだ。そういうネガティブな考えの人間は大人じゃないとか根性がないと言う人とは友達になれない。まずそんな人間はポジティブで根性があって、センスがない。それが立派な大人なら、ボクはやっぱり立派になりそこねたんだと思う。

上野駅のホームのベンチに座りながら、アシスタントからの何度目かのコールにでた。スマホの向こうから「勘弁してくださいよー!」の声。剥けたくちびるの皮が痛い。用事が片付き次第、会議には出るよと約束をしてスマホを切る。そしてまた性懲りもなくフェイスブックを開いてしまった。

駅にはまた新しい人たちが白線に沿って整列を始めていた。暗闇の向こうから日比谷線のライトが近づいてきている。




彼女との出会いは、この世にまだ携帯電話もヤフーニュースもない時代、雑誌の文通コーナーだった。

その頃のボクは横浜郊外の、徹底して不衛生で有名だったエクレア工場で働いていた。 スーパーマーケットの店頭に並ぶエクレアを、6個ずつひたすら箱に詰めていくというドーパミンがやたらと出てくる仕事をしていた。同僚のほとんどはブラジル人で、日本語はみんなボクよりも達者だった。昼食付きと書かれていたけれど、崩れたエクレアが皿にてんこ盛りで置いてあるような有り様だった。
 休憩室にはいつも誰かが持ってきた『デイリーan』が置かれていた。今では信じられないけど、たいがいの雑誌に文通コーナーがあって、アルバイト探しの情報誌のはずの『デイリーan』ですら最後のページは文通コーナーだった。


ボクはその文通コーナーを面白半分によく読んでいた。

「聖闘士星矢のキグナス氷河ファンの方、文通してください」(ダイヤモンドダス子)「ゴッドファーザーの特にパート2が好きな人! 連絡お待ちしております!!」(ポマード2世)といった調子の投稿を暗記しているぐらい好きだった。ラジオのネタ投稿を覗くように毎回読んでいた。

ある日「バイト雑誌なのにこのコーナーから読む人、文通してください」(犬キャラ)という投稿に目が止まった。それが彼女だった。そのプイって感じ、そして小沢健二のファーストアルバム『犬は吠えるがキャラバンは進む』を略したペンネームに、呼ばれるように手紙を書いた。便箋は一番オシャレだと思っていた無印良品で買った。ただ、返事はさっぱりこなかった。

その後、ボクはいくつか仕事を転々としながら、六本木のテレビ番組で使うCG映像や小道具を作製するデザイン会社に潜り込んでいた。手紙を出したことも忘れ、1年がたった頃、こんな便箋が届く。

「お返事が遅れて申し訳ございません。私、ブスなんです。きっとあなたは私に会ったら後悔します」

その便箋はインドのお香の匂いがして、高円寺むげん堂の新聞を千切って自分で折り畳んでつくった封筒に入っていた。顔も年齢も知らない彼女に、ボクはもう惹かれていた。その匂い立つサブカル臭にやられてしまっていたからだ。

「新宿アルタ前でWAVEの袋を持って会いませんか?」とヤクの受け渡しのような手紙を返した。何度目かのやり取りで彼女は承諾してくれた。「本当にブスですからね」と再度念を押された後に。



携帯のない時代の待ち合わせは命がけだった。家を一回出たら最後、あとはお互いの信頼関係しか頼みはない。
「アルタを正面から見てできるだけ左側にいてください。WAVEの袋も目立つようにロゴを正面に持って下さい!」と刑事のように細かく指示を出した。

10分前にアルタに着いたボクは、30分前に着いていた彼女とすぐに目が合った。
「WAVEの、」と彼女が言って、ボクも「WAVEの、」と言った。劇的じゃない人間同士が、ありふれた場所で誰からも注目されずに静かに出会った。

すごいブスを覚悟していたので、ふつうのブスだった彼女にボクは少し安堵した。その時、「やっと会えたね」と辻仁成より先に言っていたことを、彼女と別れるまで何度も茶化されることになる。

道に迷いながら見つけたのは、古い日本家屋をそのまま使った喫茶店だった。ボクたちふたりしかいない店内で、お互い緊張しながら向かい合った。

水を打ったように静かな店内で、呼吸も忘れたかのように無言で座っていた。彼女が「初めまして」とだけ言った。ボクも「初めまして」とだけ言った。

お互いに一言づつ話し、アイスレモンティーに同時に口をつけ、またしめやかな空間に戻っていくという出来事が繰り返されていった。ボクはテーブルの中央に置かれたままの灰皿を隅に追いやって、意を決してメニューを開き「ここ、何が名物なんですかね?」と今考えればスットンキョウなことを口にした。「え、名物?」と言ってから彼女は初めて笑ってくれた。「へへ」と小さく笑う彼女の声でやっと店内の張り詰めた空気が緩んだ気がした。
彼女はボクより3つ下だったけどその時、やけに大人だなと思った。思った理由がウエイターに、本日のパスタをスムーズに聞いたというだけなんだけど、喫茶店にひとりで入ることもほとんどなかった23歳のボクには相当な社会人に映った。

当たり障りのない会話の無限ループに耐えられなくなったボクは、彼女との文通で何度も話題に上がった〝大友克洋の『童夢』の素晴らしさ〟について切り出してみた。彼女の声が一段上がった。ボクの話すピッチも一段上がる。返す刀で「ビューティフルドリーマーを何度観ましたか?」と彼女に質問された。ボクの答えは2度だった。彼女に「すくなっ!」と言い返された。

そのあとは怒涛だった。初対面とは思えないほど話せた。あっという間に窓の外は夕暮れになっていた。レモンティーの氷もすっかり水に戻ってる。「もう外、暗いね」と言うと、彼女は「あ、ミッキー」とつぶやいた。彼女の視線の先には和風な店内にまったく似つかわしくないディズニーキャラクターの絵柄の入った壁かけ時計があった。
店内の客はボクたちだけで、時刻は午後5時を少しまわっていた。

ビューティフルドリーマーは、あれから一度も観ていない。もう一生分観たのかもしれない。何度も何度も繰り返し、あのラブホテルの暗闇の中でふたりで観尽くしてしまったのかもしれない。

夏だった。ベープマットをつけていた。科学の臭いがするラブホテルの部屋で、備え付けのビデオデッキにダビングして爪を折ったVHSテープを突っ込んで、再生ボタンを押した。

『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』は1984年に押井守監督が発表した、観客に対し全編謎掛けをしたような異色作だった。

物語は、学園祭1日前から始まる。みんなが明日の学園祭をワクワクしながら準備をしている。「この瞬間がずっと続けばいいのに」ラムちゃんはそう口にする。そして登場人物たちは帰路につく。そして次の日、また学園祭1日前で、みんなが明日の学園祭をワクワクしながら準備をしている。あれ、俺たち同じ日を繰り返してないか?と気づき始めて次の日を迎えるとまた学園祭1日前という無限ループをする話だ。
 ラスト近く、眠りから覚めたラムちゃんが言う「とても楽しい夢を見た。みんなといつまでも仲良く過ごす幸せな夢だった」あたるは「それは夢だよ」と答える。その同じ場面を彼女は巻き戻しては繰り返し観ていた。



金属と金属がぶつかるような音を立てて停車した日比谷線からまた大勢の人間がホームに吐き出されてくる。

アシスタントから「会議だけはマジで! マジで! お願いします!」と今度は拝んだスタンプ付きのLINEが届いた。了解、了解をスタンプと共に返信して、ホームに目をやるとまた白線に沿って大人たちが並び始めていた。

そろそろ逆のホームに乗り換えて、六本木に向わないと。彼女への友達申請が受理される気配は一向にない。ただでさえ面倒な日常に、もうひとつ特大の面倒を増やしてしまった。ボクは大きくひとつため息をついて、逆のホームに向って階段をあがった。


モデル:福田愛美

 

#4

1999年に地球は滅亡しなかった

2016年まで生き延びた42歳のオッサンであるところの、ボク。1999年、ド底辺のお先真っ暗な二十代のガキであるところの、ボク。どっちもしょうもないけど、なんでだかあの頃が、最強に輝いて思える。夢もない、希望もない、ノーフューチャーなリアルに「最愛のブス」がいただけなのに――
フォロワー7万人超えのツイッター職人、燃え殻@Pirate_Radio_さんのいちばん長いつぶやきです。




これは絶望であり希望でもあるんだけど、“人の代わり”はいる。哀しいかな誰がいなくなっても世の中は大丈夫だ。あの人みたいな人は二度と出てこないと人はすぐに言うが、二度と出てこなくても正直、日常に支障はない。
自分もあなたもあの人も、いてもいなくても世の中は平常運転。その心持ちで臨むと結構、力が抜けて自分には具合が良い。

ただ振り返っても唯一ひとり、代わりがきかなかったのが彼女だ。はじまりは、そんなことになるなんて思いもしなかったけど、気付いた時にはもうだめだった。
彼女に教えられたことは、心の傷ってやつにもいろいろあって、時が癒してくれる傷と、アザのように消えずに残り続ける傷の二種類あるということだった。
フェイスブックが無神経に差し出した彼女のページをみて、その消えない傷がズキズキと痛み始めていた。彼女はいつまで経っても思い出にさせてくれないひとだった。

ホームを駆け上がる途中、椎名林檎に少し似た顔立ちの胸の大きな女性とすれ違った。さっき改札の前を通る時に自販機で温かいほうじ茶を買えばよかったと後悔している。またDVDを5枚も延滞してることをここにきて突然思い出した。
六本木に戻るため、さっきと反対側、中目黒駅行きのホームに立ってる。こんなことなら入谷まで行けばよかった。近くには行くのに、もうずいぶん降りていない。
今日はいろいろ全部もったいないなぁ……。




上野の横に入谷という場所がある。年に一度だけ、朝顔市でニュースに取り上げられる地域だ。

1990年代の後半、ボクはその入谷にあった広告の専門学校に通っていた。すぐ近くには鴬谷のラブホテル街が広がっている。というか、その学校はラブホテルとラブホテルの間にあった。

高校時代にバカの黒帯を取ったボクはその地の果てのような専門学校に護送された。入った学科は「広告クリエイティブ科」という正真正銘のダサい学科。もちろん2年後の卒業時、広告関係に就職する者はゼロだ。
いま思えば「入谷」という名前も谷の入り口、ドン底を暗示していているようにすら見えてしまう。その学校は老人養護施設になってしまって、この世にもうないのだけれど。

奈落の谷への入学初日。指定された教室のドアを開けると今でいうアキバ系の人たちが大多数、あとは無味乾燥でボンヤリと今日を生きてるような奴らという構成の66名。定員50名しか入れない教室に66名もぶち込まれていた。人で溢れかえる教室で講師を待った。
しばらくすると元コピーライターだと名乗る講師が入ってきて「ちょっと最初は狭いけど、夏休みが終わるとドッと減るから安心して下さ〜い」と使い古された手ぬぐいで、ホワイトボードの落書きをまあるく拭きながら、だらしなく笑った。

安達哲の名作マンガ『さくらの唄』にこんな一説がある。

「ある程度の教育を受けたやつなら分かるはずだ、俺たちのほとんどにロクな人生が待っていない事を」

そのセリフが頭の中を何度もよぎった。バカでも分かった、ここにいても社会の数には入れない。
でもボクはそこで、社会どころかクラスの中でも数に入ってなかったことを思い知ることになる。

最初の授業で「企業のポスターにキャッチコピーを付ける」という課題があった。後日、講師が良かった生徒のコピーを5作あげた。そこにボクの名前はなかった。
この地獄の果てみたいな場所での生存競争ですらボクは負けた。こいつらにも勝てないのか!と愕然とした。地味めの女の子が選ばれて地味めの女友達とハイタッチをしていた。
講師は「他のみんなも良かったです、では一応私のコピーも紹介しますね」そうもったいぶったコピーがクソつまんなかった。クソつまんないから選ぶセンスがないんだと納得させたかったけど、その講師のコピーが実際、本当に企業で使われたものだったと説明を受けて決定的に落ち込んだ。
また負けた。バカでも分かった、ここでもボクはまだ数に入っていない。

そこで落ちこぼれた連中と、学校のすぐ近くにあった駄菓子屋に毎日のようにたむろっていた。店主の老夫婦が作る250円の焼うどんを食べながら、その頃よく盛り上がった話は「1999年に地球が滅亡する」と予言されていたノストラダムスの大予言についてだった。
あの頃のボクらにはノストラダムスの大予言だけが未来の希望だった。もうすべて帳消しにしたかったんだと思う。とにかく飽きもせず何度も地球滅亡の話をして盛り上がった記憶がある。
一番仲が良かった車谷は「どうせ、1999年に地球は終わるんだぜ」が、どんな話の語尾にも付いた。貯金をまったくしない理由、将来就職をしない理由、自分がまだ童貞な理由。その全部の語尾は「だってどうせ、1999年に地球は終わるんだぜ」だ。
鬱屈したボクらは、沼の底の底のさらに底で息を潜めながらギリギリの正気を保とうと必死だったのかもしれない。

卒業する頃には専門学校自体が傾きはじめて、先生が就活をしているという喜劇のような状態に陥る。
担任講師が言った通り、夏休み明けには生徒が激減した。最初の課題で選ばれた5名も卒業の頃には全員、学校を去っていった。駄菓子屋でダベっていた最低を共有した仲間達もひとり、またひとりと散っていった。卒業の半年前、駄菓子屋の爺さんが肺炎で亡くなった。
車谷は最後の課題を提出するところまで学校に残っていたのに、引っ越しのバイトが続いて眠かったとかいうバカな理由で卒業の1ヵ月前に学校を辞めた。
そして1999年に地球は滅亡しなかった。
 
あの頃、車谷が口癖のように言っていた恐怖の大魔王がやってくるはずの夜、ボクは円山町の坂の途中、神泉に近いあのラブホテルに彼女と一緒にいた。その日は風が強くて、ギィギィと鉄の看板が軋むような音まで聞こえた。
腕枕をすると眠れない癖にそのことを言い出せなかったボクは、彼女の寝息を聴きながら地球の終わりを信じていた車谷のことを思い出していた。

風の音が怖かった。彼女の胸にそっと耳をあてる。
滅亡しなかった地球のドン底でボクはまだしぶとく生きていた。



モデル:福田愛美

 

#5

ギリギリの国でつかまえて

2016年まで生き延びた42歳のオッサンであるところの、ボク。1999年、ド底辺のお先真っ暗な二十代のガキであるところの、ボク。どっちもしょうもないけど、なんでだかあの頃が、最強に輝いて思える。夢もない、希望もない、ノーフューチャーなリアルに「最愛のブス」がいただけなのに――
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下品なゴシップが書かれた中吊りを見ながら六本木に折り返している。
日比谷線下りの午前中の車内はほどよく空いていて快適だ。日比谷線で仕事場まで護送されるだけの毎日もこれだけ繰り返されれば慣れてくる。
電車のブレーキ音がけたたましく鳴り響く。眠りこけていたサラリーマンが驚いて、真っ暗闇の窓を覗いた。

彼女とのことを思い出しながら、二十代の酸味の強い出来事が、二日酔いの胃液のように次から次にリバースしてくる。
ラブホテルに入るとボクはテレビをよくつけた。すると彼女は「こういうの本当くだらないよね」と必ず言って笑った。その情報番組では芸能レポーターが、フリップを使ってどうでもいいゴシップを丁寧に報告していた。本当にどうでもよかった。ただボクはまったく笑えなかった。なぜなら、そのフリップを作るのがボクの仕事だったからだ。
 
テレビで芸能人がめくるフリップ、出演者がしゃべった時に下に入るテロップ、番組内で使われる小道具。オープニングタイトルのCG。それらを時間通りに作って現場に届けるという、テレビの美術制作をこの20年間、生業にしてきた。

あの頃は、今よりさらに明日が不安だった。彼女と一緒に居る時以外のボクは、常にギリギリの精神状態だった。そこは「修羅の国」と言うほど、かっこよく荒れてもないし、「不思議の国」と言うには、不条理ばかりで、それはいわば「ギリギリの国」と言うのが正確な表現だった。

ボクは「人生に無駄なことはひとつもない」という人は、相当忘れっぽい人間だと思っている。ただ、無駄でしかないと思っていた時代に出会ったひとりの男のことを、地下鉄の暗闇ごしにまた思い出していた。彼と出会ったのはギリギリの国の窒息しそうな場所だった。




1999年のクリスマス間近の東京、六本木。
六本木で仕事を始めてから初めてのクリスマスだった。高層マンションの最上階の窓際に、キラキラした豪華なクリスマスツリーの灯りが見えた。ボクはぼんやりと少しの間、星を眺めるように立ち止まってそれを見ていた。

専門学校から社会に放り出されて3社以上転々として、そしてなんとか転がり込んだその会社はジリ貧だった。当然、ボクの人生もジリ貧だった。
その会社の最初の月の売上げは、全体で30万にも満たなかったはずだ。
パソコンのリース代が8万ちょっと、家賃7万5千円、それに諸々の経費かかって、見事な赤字運行だった。社長は最高400万以上を消費者金融に借りていたはずだ。たまにかかってくる電話、玄関でのやり取りでそれは見習いのボクにすらバレバレだった。
任侠モノのVシネマのパッケージデザインをしたギャラが、今川焼20個だったりするような仕事がざらにあった。
自己啓発本もそこらじゅうの起業家も「夢を持て!」「目標を持て!」と連呼する世相だったが、こちとら「夢と目標の前に、今日、食っていけないと終わる」という殺伐とした現実に生きていた。

クリスマス間近の六本木にボタ雪が降っていた。ボクは雪などお構いなく、雨カッパを着て原付バイクで制作物の配達に出る。
ディスコ ヴェルファーレのすぐ目の前にあった事務所の脇に、配達用で停めてあった原付の座席に薄ら雪が残っていた。手袋をすべきだったと思いながら原付にまたがり、冷たい突風に肩をすくめ出発した。手の感覚が寒さでかじかんで麻痺していく。走り始めて5分も経たないアマンド前の交差点。路上がアイスバーンになっていたことに気付かなかった。ハンドルを強く握ろうとしたけど力が入らなかったように思う。次の瞬間、ボクは激しく道路に打ちつけられた。

カバンにしまってあったテロップの束が散乱して、請求書が溶けた雪に沈んでいた。テロップの紙は写真に使われる印画紙と同じ素材で、そこに黒のインクが吹きかけられてるだけなので水にはめっぽう弱い。
履いていたジーンズは左側が激しく破れて、左の膝部分からふくらはぎにかけて血がドクドクと流れていた。左手の指の爪も親指以外、途中から千切れてしまっていて、こちらも血がまったく止まらない。

ただボクはあたまの中で、テロップを濡らさず、できるだけ早く、編集スタジオに届けなければいけないと考えていた。あまりに気が急いて、痛みをかき消していた。本当にそれだけしか考えていなかったと思う。
一つの仕事で信用を失ったら、会社が終わってしまう状態だった。それは下っ端のボクでもよくわかった。ボクのせいで会社が潰れると思った。
クリスマスイルミネーションの六本木交差点は人でごったがえしてたはずなのに、血がつかないように地べたを這いつくばって、散乱した荷物を拾うボクを助けてくれる人はゼロだった。誰もボクのことが見えてないみたいだった。ボクは社会の中でまだ数に入っていなかった。左耳の聞こえが悪くてプールで水が入ってしまったみたいな感じだった。少し過呼吸気味になりながらテロップを慎重に一枚、一枚拾っていく。

突然「大丈夫?」と男が立ち止まり、血まみれの左手をグイッと引っ張った。同じビルの3階にいた目つきの鋭いヤクザの若い男だった。階段で何度かすれ違ったことがあった。
コイツには俺が見えるのか? とぼんやりした頭で男を見た。彼もまたギリギリの国で生きていたのかもしれない。
男は傷口を確認したあと、少し溶けた泥雪の六本木交差点脇で四つん這いになって、テロップを拾ってくれた。一枚、一枚拾いながら水で滲まないように自分のハンカチで押してくれた。

普通なら「病院行けよ」だ。ただ彼は躊躇なく「早く届けてこいよ」と言ってくれた。さっきまで水を拭いてくれたハンカチをボクの左手にぐるぐるとキツく縛ってくれた。

編集スタジオはカラオケボックスと同じ仕組みで時間制だ。もし時間にモノが間に合わなかったら部屋代を弁償する約束になっていた。

挨拶もそこそこに彼が集めてくれた配達物を抱えて、遅れを取り戻すように原付を走らせた。
雪が汚く路肩に残った夜の東京を猛スピードで走った。男のハンカチに守られた左手は、心臓が宿ったようにドクドクと規則正しいリズムで激痛を刻んでいた。街を歩く人たちの声が聴こえては消えていく。足も痛んだ。風が当たるだけで血が吹き出た場所が冷たく痺れた。
街を彩るクリスマスイルミネーションは何本もの光の線になってすぐに後ろに流れていく。左手の握力がどうしても戻ってこない。
原付のスピードをフルにしたままボクはなぜかその時、ウルフルズを歌っていた。ガッツだぜ!の覚えていたサビの部分だけを何度も何度も繰り返し歌っていた。スピードは落とせない。もう事故れない。失うものは命以外ないほどに後ろ盾のない場所で、ボクはあの瞬間生きていた。そのスピードの中で夢や希望はとうに振り落とされていたのかもしれない。

品川の編集スタジオまでの道をどう走ったか未だに思い出せない。なぜ間に合ったのかも分からない。届け終わったあと、指の治療を深夜の救急病院でしたのは覚えてる。足の傷の方が重傷だったことは意外だった。



後日、お礼を言いに、左上の監視カメラが睨みを効かせている3階の事務所のチャイムを鳴らした。出て来た上下白ジャージの金髪坊主の男にチェーン越しで、事の顛末を伝える。 「そいつ、もうここにいないわ」とだけ言われ、扉はすぐに閉められた。

男の名前を知ったのはそれからずいぶん経った頃だった。アングラ週刊誌の片隅の、小さな、だけど物騒な記事だった。真夜中のファミリーマートで立ち読みしながら、誌面で再会した。もう二度と会えないことがわかった。店に客はボクしかいなかった。あの時言えなかったお礼を込めて、ボクは心の中でガッツだぜ!のサビの部分だけを何度も何度も小さく口にした。



東京タワーを正面に見ながら六本木交差点を渡る時、ボクはいつもあの光景を思い出す。血まみれの左手をグイッとされた、あの瞬間を思い出す。胸に迫るロマンチックというものはそんな殺伐とした場所で、マッチの灯がフッと点いて消えるように灯るものなのかもしれない。

ブレーキ音が再度、けたたましく鳴り響く。日比谷線が六本木の駅に到着するところだった。アシスタントに「ごめんなさい。体調が戻らなくて駄目なので、今日やっぱり休ませてください」とLINEを送信した。
地下鉄の往復を繰り返し、仕事に余裕ができた途端、ボクはユルユルの国の住人に成り下がってしまった。

スマホのバッテリーメーターが赤い。充電はあと10%。とりあえず改札を出て、地上に上がりたい。



モデル:瀬戸かほ


 

#6

真夜中のナポリタン


2016年まで生き延びた42歳のオッサンであるところの、ボク。1999年、ド底辺のお先真っ暗な二十代のガキであるところの、ボク。どっちもしょうもないけど、なんでだかあの頃が、最強に輝いて思える。夢もない、希望もない、ノーフューチャーなリアルに「最愛のブス」がいただけなのに――
フォロワー7万人超えのツイッター職人、燃え殻 @Pirate_Radio_ さんのいちばん長いつぶやきです。





あんなに空いていたのに霞ヶ関からドドドと人がなだれ込んで、六本木駅で降りる頃にはまた満員電車のそれだった。降りるサラリーマンと降ろされたサラリーマンに研磨されながら駅に吐き出された。
一駅、一駅、デジャヴのように繰り返される光景。ループしてるかのような毎日。スマホのゲームに集中しながらホームを歩いていたOLが、目をつむって、白線の内側にいた老夫婦にぶつかりかけた。スマホの充電が限りなく細い赤になっている。
がんばれば報われるという信仰が蔓延する世界で、がんばっても微動だにしない日常を噛み締めている。ボクは改札を出て、階段を上がってアマンドの脇に出た。

ハンドルネームしか知らないあの女の子から何日か前に届いていたLINEを開く。「ねえ、努力すれば夢って叶うのかなあ?」とだけ書かれていた。ボクは「その質問は、ナポリタンは作れるか? と一緒だと思う」と返信した。  
送ったそばから既読になって「ん?」という言葉と、くびをかしげたパンダのスタンプが送られてきた。ボクは続けて「たぶん、手順を踏めば必ず近いものにたどり着くんじゃないかと思う」と送った。返信はまたしてもくびをかしげたパンダのスタンプだった。
 
もし手順通りうまくできたとしても、たとえそれが失敗したとしても、問題はそれを誰と一緒に味わうかなんじゃないか? とボクは思っていた。
ただ、その返信はもう打ち込まなかったけど。




何から手をつければナポリタンができるのか見当もつかなかった1999年のボクは、性懲りもなくあのラブホテルのベッドに沈んでいた。このギリギリの国から彼女と避難するように、週に1度、円山町のあのラブホテルに身を潜めていた。ボクたちにとってあの場所は、現実から一時的に乖離できるシェルターだった。

つけっぱなしのまま寝てしまったテレビの灯りが天井を照らしていた。乾燥して少し埃っぽい室内にのどが渇いて目を覚ました。彼女はめずらしくいびきをかいて眠っている。ずり落ちたシーツをベッドに戻して裸の彼女にかける。

テレビでは今日の関東地方の天気について、お天気お姉さんが解説していた。お台場の外からの中継で、フリップで説明している。夜勤のスタッフが納期に間に合ったことを知って、とりあえずホッとした。

「関東地方は、全般的に汗ばむ陽気になることが予想されます」

滑舌良く、白いノースリーブにタイトなスカートのお天気お姉さんが、各地の最低気温と最高気温を伝えている。ボクは、最低気温と最高気温をリピートしながら、もぞもぞと彼女の背中にピタリとへばりついて、眠っている彼女の乳房と下半身に手を伸ばした。

人生にイミはない、あるのはイマだけだ。

そのお天気お姉さんは後に、プロ野球選手と不倫をして週刊誌で謝罪ヌードとかいう訳の分からない商売に手を染めることになる。

その朝の情報番組のADとは同い年だったということもあってやけに気があった。局でも編集室でも会う度に彼はダブルピースをしてきた。「なんだよ! それ」と会う度に言ったが「いや、ロクなことないから盛り上げてこうと思って」とよくヘラヘラ笑っていた。

彼は派遣のADで、手取りは24時間365日働いても月収11万だった。最初に口をきくようになったのは、ウチの会社もやっと金銭的に落ち着いた頃のこと。彼が発注ミスをして、ディレクターに言われていないテロップまで大量に注文してしまい、深夜に制作会社で困り果てていた時だった。
「今、自分が払いますんで、上にはなかったことにしてください」と彼はナイロンの財布をバリバリ開いた。そのテロップを作ったのも配達したのもボクだったので「あ、これいいっすよ。なんかヤバかったら使ってください」と、その場でもみ消した。「すんません、ありがとうございます。じゃ、せめて缶コーヒーでもご馳走させてください」とやりとりしてから、たわいもないお互いの会社の悪口を話したのが最初だった。

「俺のベッド見ていきます?」と変なことを言うので「はぁ」と生返事を返すと、非常階段に案内された。「ひとり、5段ずつ使ってるんすよ」と彼らの寝床を見せてくれた。風吹き荒む雑居ビルの非常階段で、その時も器用に階段の1段を使って寝袋に入った女の子が1人寝ていた。1段は寝床、他の割り当てられた段は、本棚にして少年ジャンプを並べている者、リュックなどの荷物を置いてる者もいた。
彼の割り当てられた1段に、二人で腰掛けた。

「夢とかってあります?」と煙草に火をつけながら聞かれた。「夢かぁ、そんなんないなぁ」とボクはヘラヘラ応えた。「俺もないんすよ、全然。でも夢持たないと、夢が破れたりしないからお得ですけどね」と言って、これまたヘラヘラ笑っていた。とっくになくなっていた缶コーヒーを何度も口にしながら、将来に夢も希望もないなんて言い合った二人が、朝日が昇るまで将来の話ばかりしていた。
彼の制作会社を出て原付にまたがって後ろを振り返った。玄関先で彼が一回頭を下げてから、ダブルピースをした。

そのADの男はそれから11年後、連続ドラマを2本続けてヒットさせ、作品は映画化され監督と呼ばれる存在になる。

雑誌に彼が小さく特集されるくらいになった時、木枯らし吹く六本木の路地裏で一度出くわしたことがあった。一緒にいた奥さんらしき美しい女性が子どもを抱えていた。ちょうど停めてあったベンツの四駆に乗ろうとしてるところだった。
気を遣って目をそらしてすれ違った。10mくらい歩いた後、少し様子を伺うように振り返ってみた。彼はベンツに乗り込む瞬間、チラリとこちらを振り向いて笑顔で、持っていた缶コーヒーを高くかかげてクルクルとした。ボクは小さくピースを送った。

人生にイミはないのかもしれない。でもイマを必死に生きた人間だけが過去形で「イミはあった」と話せるのかもしれない。



サブウェイの前のガードレールに腰掛けて、フェイスブックの彼女のページを2年前までさかのぼってる。日差しで眩しそうにする親子の幼稚園入園式の写真を見つけた。東京マラソン直前、夫婦でストレッチをする写真。旦那さんの社内フットサル大会の試合風景。ママ友とのケーキバイキングでの集合写真。ボクの知らない彼女の人生とボクの知ってる彼女の人生。ボクの知らない彼女の人生だけが今日もこの瞬間も積み重ねられていく。

彼女の夢はなんだったんだろう?
このスマホの中に収まったフェイスブックの日常が、彼女が密かに願っていたあの頃の夢だったのだろうか。彼女から借りたままになってしまった本が一冊だけ本棚に残っている。何度も読み返したその本は中島らものエッセイだった。そのエッセイの中の一文をボクは暗記している。

「よくあのころ、こうしたらよかったのに、とか言うけど、それはないんや。自分の生きてきた来し方って必然の集積なんだ」

フェイスブックの承認ボタンを押してしまったことも、また必然だったんだと自分に言い聞かせた。そして、恐る恐るフェイスブックのページを覗き込んでみる。
次の瞬間、充電が切れて真っ暗になった画面に42才の男の顔が写った。 



モデル:瀬戸かほ


 

#7

雨のよく降るこの星では


2016年まで生き延びた42歳のオッサンであるところの、ボク。1999年、ド底辺のお先真っ暗な二十代のガキであるところの、ボク。どっちもしょうもないけど、なんでだかあの頃が、最強に輝いて思える。夢もない、希望もない、ノーフューチャーなリアルに「最愛のブス」がいただけなのに――
フォロワー7万人超えの燃え殻 @Pirate_Radio_ さんのいちばん長いつぶやきです。




1999年夏、嵐の日だった。千葉県には洪水警報が出ていた。渋谷でもかなりの雨量だったはずだ。密閉されたラブホテルのベッドで眠っていたボクにも、雨と風の音がはっきりと聴こえた。
天候が荒れている、普通の1日のはずだった。しかし、この日が彼女とあのラブホテルで過ごした最後の1日になった。

ザザザッッという雨が吹きかかる音にボクはガバッと、身を起こす。
背中を向けていた彼女がポツリと声をかけてきた。
「起きた?」
「うん」
雨風の音が絶え間なく鳴っていた。

ベッドの上をゴロンと転がってきて、彼女はボクの腰辺りにへばりつき、めずらしく甘えてきた。

「ね、鶴瓶と奥さんのなれそめ知ってる?」
「ん?」ボクがそう答えると、腰をくすぐられてベッドに押し倒された。
「あ、心臓の音が、きこえる……」彼女はそういったまましばらく動かなかった。

「お金がなくて、売れてなくて、奥さんの両親は大反対したんだって……」
「鶴瓶の話?」
「決まってるでしょ」
「うん」

ボクは仰向けで壁紙がところどころ剥がれた天井をぼんやり見ながら、彼女の重さを感じていた。

「遠距離になったふたりは別れるの。その夏、彼は大阪のプールの営業に行くの。プールサイドで、司会をしてるのね。そしたらそこに流れるプールに乗って奥さんが現れたんだって」
「それで?」眠気を抑えながらボクは聞いた。
「彼女は手を振って、帰りの飛行機のチケットを破ってみせるの。ふたりはその日からずっと一緒に暮らしてるんだって」

王子様とお姫様はそのあとずっと幸せに暮らしましたとさ。そうして物語は必ず終わる。物語が物語である理由はそこだ。作り話には結末がある。そのあとずっと幸せに暮らすことが一番のファンタジーだということを物語は常に最後の1行に託している。

「心臓の音……きこえる?」ボクはそう言って彼女を抱きしめた。
「うん……」彼女はそういうとしばらく泣いた。




とある六本木の有名なキャバクラCに、夜な夜なテレビ関係のお偉いさん達が集まっていた。その店の女の子数人の名刺のデザインと上顧客用に配布するパンフレットのデザインを受注していた。六本木ガスパニックのバーテンの女の子から回してもらった仕事だった。この仕事がなぜかテレビ局の一部の上の人に見初められる。
時を同じくして、バラエティ番組にテロップが多用される演出も一般的になり、会社は一気に人数を急増して体制を整え、すべての仕事が倍々ゲームのように膨らんでいった。

お金も仕事もなかった時は、あんなに一致団結していた組織も「方向性の違い」とかなんとかで角を突き合わせることが多くなった。これからの事業戦略に関して揉め始め、創業当時のメンバーから辞めていく者も出てきた。
バブルはとっくにはじけていたはずなのに、少なくともボクの周りのテレビ業界はバブルの残骸がまだ残っていた。

その日は、人気バラエティー番組の高視聴率と5周年のお祝いが、赤坂プリンスホテルの大広間でとり行われていた。受付で名刺を出すとその頃、最新式だったソニーのMDプレーヤーが記念品として全員に配られた。ビンゴ大会の景品は1万円札がパンパンに入った箱の現金つかみ取りや、引っ越し代&家具一式プレゼントなど完全に浮世離れしていた。
一週間に1度、必ず休めるようになって、収入も安定してきた途端、それまでどこに人がこんなに隠れていたんだろう?と思うぐらい食事の誘い、異業種パーティーの誘い、イベントの誘いの連絡が増えた。社会の数に突然カウントされ、周りはキャッキャと喜ぶ人間ばかりだったけれど、ボクは遅れてきた人生の浮ついた季節に、どうしても馴染めずにいた。華やかなパーティー会場で、行き場を失って作り笑いばかりしていた。



一週間が終わって、またあの神泉に近い坂の途中にあるラブホテルに向かった。ラブホテルの暗闇の中で、一週間の出来事を話す。3階の鋭い目をしたヤクザの青年の話、ダブルピースを繰り返す仲の良かったADの話もした。あの部屋の中で、一つ一つの出来事が成仏していった気がする。

雨が止み、風だけが残った明け方、ボクは彼女に小学校の時の話をした。
小学2年の時、酷い脱毛症を患った。髪の毛はもちろん、まゆ毛もまつ毛まで全部抜けた。クラス中どころか学校中から気持ち悪がられていた。その最中、合唱コンクールがあり母が観に来てくれた。体育館は父兄と子ども達の声でザワザワとしている。
自分たちの番がきて、練習と同じ場所に並んで幕が上がるのを待っていると、袖から教師がツカツカっと現れて、一番後ろに回るように指示され、段にも上がらせてもらえなかった。伴奏が始まって、母が一生懸命に僕を探している姿を生徒と生徒の間から見ていた。その時の体育館の床の匂いまで覚えている。ボクはその光景を忘れられないでいた。いつもどこか、その時に感じた申し訳なさの中に、ずっと閉じ込められているような気がしていた。

自分の一番奥の引出しに、鍵をかけて閉まっておいた話を彼女にはできた。その話をした時に彼女は、何も言わずに抱きしめてくれた。暗闇の中、彼女の涙を頬で感じた。そこにボクの涙も混じった。肉体の隔たりを微塵も感じないほど、あの瞬間はひとつだった。

合唱コンクールから帰ってきて、事情を知った飲み屋を営んでいた婆ちゃんが、痛いくらいにボクの体を抱きしめながら耳元でつぶやいてくれた。
「大人になって好きな子ができたら今日のことを話すといい。嘘も交えて話せばいい。約束してやる、そしたらその子は必ず抱きしめてくれる。そしていつか全部、想い出になるんだから」そう言ってくれた。
その言葉はどんなポジティブな励ましよりも、未来に希望が持てた。そしてそれは彼女に会って、本当だったと知った。

彼女は不安な今日と明日を、笑い飛ばしてもくれた。原付でコケた時のジーンズを持っていった時、ゲラゲラ笑いながらそれを履いて「ね、ここ、破れたところ縫ってあげようか?それともお洒落かなぁ?」とベッドで転がりながら大笑いしてくれた。ふたりでよく笑って、バカみたいに泣いた。

加速して増殖する仕事量、お金の話もどんどん桁が増えていく、出会う人数も知り合いも多い方が強みだと賞賛され、女の話になると「可愛いの? 若いの? 仕事なにしてるの? 巨乳?」と聞き返される。彼女の魅力をボクはいつも説明できなかった。説明なんてする必要がないんだろうけど、にしても、どう説明しても「ブスのフリーター」にいつもショートカットされるのが悔しかった。そのうちボクは誰にも彼女のことを話さなくなった。

彼女から教わった音楽を今でも聴いている。彼女から勧められた作家の新刊は、今でも必ず読んでいる。港区六本木にいながら暑い国のことを考えるのは、むげん堂が好きだった彼女の影響だ。彼女はボクにとって、友達以上彼女以上の関係、唯一自分よりも好きになった、信仰に近い存在だった。
ボクが一番影響を受けた人は、戦国武将でも芸能人でもアーティストでもなく、中肉中背で三白眼でアトピーのある愛しいブスだった。



会社には休むと連絡したのに習慣とは怖いもので、結局、仕事場近くのいつもの喫茶店に入って、コーヒーを頼んでしまった。勝手にコンセントを使ってスマホを充電させてもらっている。
店主とはもう20年近い付き合いになる。店主が、カラコロンとドアを開けて外を眺めて「雨降ってきたよ、天気予報また当たったね」と声をかけてきた。「はぁ」とかボクは生返事をしながら、あの頃の思い出の余波に浸っていた。
コーヒーは、もうすっかりヌルくなっている。充電が済んで、スマホが復活した音を鳴らした。ヌルいコーヒーを一口やって、フェイスブックを開いた。

彼女への友達リクエストが承認されたという通知が表示された。



 

#8

バック・トゥ・ザ・ノーフューチャー


2016年まで生き延びた42歳のオッサンであるところの、ボク。1999年、ド底辺のお先真っ暗な二十代のガキであるところの、ボク。どっちもしょうもないけど、なんでだかあの頃が、最強に輝いて思える。夢もない、希望もない、ノーフューチャーなリアルに「最愛のブス」がいただけなのに――
燃え殻 @Pirate_Radio_ さんのいちばん長いつぶやき、最終回です。



「〝小沢(加藤)かおり〟さんが友達リクエストを承認しました」と画面上部に表示される。スマホを持つ左手がじわりと汗ばむ。目の端に、店主がレコードプレーヤーに針を落とすのが見える。ジッポの小気味いい金属音がして、カウンターの隅に座った細身のスーツの男が、煙草に火をつける。店内に音が広がり、煙草の煙がこの部屋の隅々まで行き渡る。この甘い匂いは、きっと国産じゃない。カラコロンとドアが開き、ランドセルをしょった店主の子が飛び込んでくる。細身の男性は大きく吸い込んだ煙を、口をほの字にして気持ちよさそうに吐き出す。鼓動がドクドクと聞こえる。この胸の痛みは、懐かしい。店主の子が、ボクを見つけて満面の笑みで近づいてくる。少年、キミもいつかはわかるだろうか、オジサンのこの焦燥と希望と絶望が。スマホに視線を戻す。彼女からそれ以外の反応はない。短いため息を吐く。ぬるいコーヒーを一気に飲み干した。

おしぼりで手をふくと、フェイスブックを閉じて、あてもなくLINEを開く。

大竹しのぶみたいになりたいと言っていた女の子から、ここ数日、毎日LINEがきていた。いつも夕暮れどきの写真が1枚、メッセージはなしという内容だった。何気ない、ただの空や街の写真だった。
昨日送られてきた橙色の雲を既読にした瞬間、LINE電話が鳴った。

「もしもし」ボクはフェイスブックの誤爆事件から逃れるように電話に出た。
「もしもし、わかる?」電話越しに駅の雑踏の音が聞こえてくる。
「わかるよ」
「わたしもね、わたしなりにね、考えたんだ。わたしの〝ナポリタン〟」
「え?」
「もう、わたし、27なの。5才もサバよんじゃった。ごめんね」
 ボクは彼女の告白を黙って聞いていた。
「わたしのお母さんは良い人じゃないけど、一人でわたしたち兄妹を育ててくれて。苦労 ばっかりかけたから」
「うん」
「わたしね、わたしはね、やっぱり女優さんになりたいんじゃない。わたしはね、いいお 母さんになりたい。へん?」
「へんじゃない」
「ありがとう」彼女の声が、後ろに聞こえる電車の音にかき消されそうだった。
「ごめん」思わず口からこぼれた。
「空の写真、ごめんね。毎日送っちゃって。同じ時間に送ってたの。会えなくても同じ空 の下にいるよって伝えたかった。うまくなくて、ごめんね」
「いや、ごめんじゃない」
「あと、わたしね〝サイトウ チヒロ〟っていうの」
 彼女を死ぬまで抱きしめる情熱がないことを、せめて悟られまいとボクは口をつぐんだ。
「さよなら」
どこかの駅構内のアナウンスが聞こえた。そしてすぐに、回線は切れた。



喫茶店の店主の子が、フロアを駆け回っている。少年は、顔見知りのボクの膝の上に乗ってきた。「なんで悲しいの?」変なシールをボクに貼り付けながら尋ねる。
「悲しくないよ、考えごと」彼のほっぺにシールを返した。

店主は、少年をボクの膝から回収しながら「コーヒーおかわりいる?」と聞いた。
「いいわ。行くね」500円玉をテーブルに置いて、カラコロンと店を出た。




歩きながらツイッターを開く。タイムラインを眺める。


「新宿のガードレールに座りながら空を見てる」というツイートが流れ、それを受けた徳島のコーヒーショップのオーナーが「今日は星がきれいらしいですよ」とリプライを送っていた。埼玉で趣味がセックスの女の子が「ファミレスの窓から見た夕日がきれい」とつぶやいた。千葉のサラリーマンはそのつぶやきに、「窓をあけて空を眺めている」とつぶやいた。
スマホを開いただけで会ったこともない人たちの生存確認ができる時代。知らない方がいいことも親指一つで知れてしまう時代にボクは生きている。

ボヤいている人がいる。はしゃいでいる人、怒鳴っている人、甘えている人もいる。みんな広い世界を覗いて、片手に収まる窓を開けて満足しようとしている。
ボクはときどき、急にその場所が息苦しくなる。見えない窮屈なルールを感じる。そして、決して自分と分かち合うことのできない並行世界に目を伏せたりする。
それでも、みんな「ここにワタシはいる」と瞬いているのが見える。一等星から六等星まで、その光の強さはそれぞれ違うけど、もっと早く、もっと深く、本当は、みんなどこかに繋がりたいのだろう。



円山町の坂の途中、神泉に近い場所に安さだけが取り柄のラブホテルがある。そこはかつてボクの唯一の安全地帯だった。

あの部屋の中で、彼女と一緒に過ごしていた時は、世界にふたりぼっちだった。

一度、大雨の夜に、どうしようもない不安にかられて、誰もいなくなったオフィスから彼女に電話をかけた。「不安でさ、この仕事をずっとやっていける気がしない、どうしよう」まくしたてるボクに彼女は「うんうん」と繰り返し話を聞いてくれた。そしてどんな愚痴でも、最後に「キミは大丈夫だよ、おもしろいもん」と言ってくれた。自分より好きになった人のなんの根拠もない言葉ひとつで、やり過ごせた夜が確かにあった。

スマホが何度も短く鳴っていた。
目を疑った。
彼女が、〝小沢(加藤)かおり〟が、ボクのページにタダ事ではない頻度で反応している。
「お知らせ」を開くと、どんどんと「ひどいね」が刻印されていく。

有名人とボクが肩を組んだ写真、恋するフォーチューンクッキーを知人のIT企業社長らと踊ってる動画、後輩たちがサプライズで祝ってくれたシャンパンタワーの写真。そのすべてにどんどん「ひどいね」が刻印されていった。彼女の健在ぶりに口元が緩む。そして自分のページの間抜けさ加減を、改めて思い知った。
一つだけ「いいね!」とコメントが押されていた。それは、だれも「いいね!」を付けていない最近の仕事場の光景の一枚だった。EXILEの等身大パネルの中で青白い顔したボクが横に並んで一人直立不動で立ってる写真だった。
コメント欄には「おもしろおじさんだ」と書かれていた。

ボクは何度か返事を打ちかけたけど、結局送信ボタンは、押せなかった。六本木駅の改札に向かっている。行くあてもないのに、恵比寿で乗り換えて渋谷に向かいたい気分だった。

夕方の六本木駅に向かう階段は行き交う人の多さで、なかなか前に進まない。海外の観光客が立ち止まって何組も写真を撮っていて、流れはさらに乱れていた。

こうしてる間にも、刻々と確定していく過去に仕上がっていく今日。達観した彼女の今日も、まだアップダウンを繰り返してるボクの今日も、先に続いているのは未来であって、過去じゃない。1999年に滅亡しなかった地球でボクも彼女もまだしぶとく生きていた。
「大人の階段」は上にしか登れない。その踊り場でぼんやりとばかりしていたボクも、手すりの間から下を覗いたら、ずいぶん高い場所まできていて、下の方は霞んで見えなかった。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で使われたデロリアンの生産を300台限定で始めるというニュースがヤフーニュースのトップで流れていた。
ボクが今、デロリアンに乗ったら〝1999.8.29〟そしてAM6:30と打ち込んでアクセルを踏む。行き先は、1999年の渋谷。あの円山町の坂の途中に、火を噴いたデロリアンを乗り捨てるだろう。



あの真っ暗な部屋に入って、早朝なのか昼なのか、ここがどこなのか分からなくなるような錯覚を噛みしめる。レベッカの『フレンズ』が小さな音で流れている。
身支度をしながらドライヤーをかける彼女。着替え終えていつものようにベッドにダイブするボク。彼女は「あ、待って待って」と、トイレに行く。

あの瞬間、ボクは彼女にどうしても聞きたいことがあった。フェイスブックによれば彼女はこの時すでに、今の旦那と出会っていたはずだ。最後の夜の彼女の涙の意味をどうしても聞いてみたかった。次の日、リップクリームを買いに行ったデートで「今度、CD持ってくるね」が最後になったわけを知りたかった。

ベッドに突っ伏したままサイドテーブルを見やると、彼女の手帳からカードがはみ出ていた。ボクは気になって、自分を抑えることができなかった。そのカードをスッと抜いてしまった。
それは「小沢さんへ」と書かれた、見知らぬ宛名のバースデーカードだった。ただ差出人の彼女の名前は、ボクの知ってる「かおり」じゃなくて「香帆」と書かれていた。トイレを流す音が聞こえた。焦りながら手帳に戻そうとするが、うまく入らず、手帳ごとサイドテーブルから落としてしまった。慌てて、そのカードだけを、彼女のコートの内ポケットに突っ込んだ。



六本木駅のホームに日比谷線が激しいブレーキ音と共に滑り込んできた。白線ギリギリにいた、サラリーマンがたじろぐ。車輪が軋む音と、あのホテルで聴いた雨風の打ちつける音がシンクロし、心臓がビートを刻み始めた。日比谷線が目の前を通り過ぎて風圧を感じて半歩下がった。

ボクが、底の底に押し込めていた記憶のフタが、風圧で吹き飛んでいった。



あの日、たしかに「香帆」という文字をボクは目にしていた。

「あ、あとわたしね〝サイトウ チヒロ〟っていうの」という別れ際のあの娘の言葉が、 リフレインしてくる。
彼女も、後に旦那になる小沢という男に「わたし、本当はひらがなで〝かおり〟っていうんだ」と涙したんだろうか。そして彼は、彼女を死ぬまで抱きしめる情熱でそれに応えたのだろうか。



六本木駅のホームで大勢のサラリーマンと外国人、若いカップルたちが交錯していた。



「キミは大丈夫だよ、おもしろいもん」どんな電話でも最後の言葉は、それだった。彼女は学歴もない、技術もない、ただの使いっぱしりで、社会の数にもカウントされてなかったボクを承認してくれた人だった。1999年のあの時、彼女に毎日をフォローされ、生きることを承認されることで、ボクは生きがいを感じることができたんだ。いや今日まで、彼女からもらったその生きがいで、ボクは頑張っても微動だにしない日常を、なんとか踏ん張ってこれた。

そしてあの年、ボクと加藤かおりは、別れたんだ。正確にはこっぴどくフラれたんだ。

きっとフェイスブックで再び繋がったのは、もう一度、彼女に向き合うためだったのかもしれない。



ホームのベンチに座る。ボクは、フェイスブックを開く。そして彼女に、メッセージを送ろうとした瞬間「今日は、〝小沢(加藤)かおり〟さんのお誕生日です!」という表示が飛び込んできた。

マークザッカーバーグという男は、本当に空気が読めないヤツだ。ボクはスマホを後ろポケットに入れて、とりあえず次の電車に乗ることにした。
白線の内側に立つ、遠くからライトが近づいてくる。けたたましい音が近づいてくる。あの風の強かったラブホテルの、あの朝の音とその音はどこまでもリンクした。





身支度をしながらドライヤーをかける彼女。着替え終えていつものようにベッドにダイブするボク。彼女は「あ、待って待って」と、いつも通りトイレに行く。もうすぐチェックアウトの時間だ。

ボクは彼女を待ちながら今日一日の出来事を振り返っていた。物語の最終回っていつもどんなだっけ?

いつの間にかトイレから出てきた彼女から「変態、行くよ」と声がかかった。その瞬間、背後からガバッと彼女が覆いかぶさってきた。ラッセンのジグソーパズルが飾ってあるのが見える。空調はいつも通り効き過ぎていた。

そして彼女は、いつものように言う。

「ね、ふたりで、海行きたいね」

ボクは、まっすぐ前を向いたまま、彼女に言う。

「ありがとう。さよなら」

その時、フロントからチェックアウトの時間を告げる電話が鳴るんだ。



 


第一部完









燃え殻
もえがら  
1973年生まれ。テレビ美術制作。企画、人事担当。社内で新規事業部立ち上げの責任者になり、社内にいることが激減。日報代わりに始めたTwitterがある時から脱線し続ける。結果、現在フォロワー数6万5千を超えるアカウントになる。 twitter:@Pirate_Radio_
 

 

ボクたちはみんな大人になれなかった |第二部