火曜日, 3月 29, 2016

INTERVIEW: 佐藤卓  第1回 目立たせようと思ったら「下手なデザイン」をすればいいんです

 

目立たせようと思ったら「下手なデザイン」をすればいいんです

佐藤卓デザイン事務所 代表 佐藤卓(1)

 

佐藤卓(さとう・たく)
グラフィックデザイナー
1979年東 京藝術大学デザイン科卒業、1981年同大学院修了、電通を経て、1984年佐藤卓デザイン事務所設立。「ニッカ・ピュアモルト」の商品開発から始まり、 「ロッテ キシリトールガム」「明治おいしい牛乳」などの商品デザイン、「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE」のグラフィックデザイン、「金沢21世紀美術館」「国立科学博物館」「全国高校野球選手権大会」等のシンボルマークを手掛ける。 また、NHK Eテレ「にほんごであそぼ」アートディレクター、「デザインあ」総合指導、21_21 DESIGN SIGHTディレクターを務めるなど 多岐に渡って活動。著書、展覧会も多数。

 



川島:佐藤さんは、ここ5年間、グッドデザイン賞の審査副委員長を務めてこられました。私も審査委員の端くれとして、ご一緒してきたのですが、グッドデザイン賞の対象範囲がどんどん広がっていますよね。プロダクトに限ったものではなく、建築やソフトウエアなども候補に上がる。「デザイン」の定義や範囲が、いまずいぶん広がっているような気がするのですが。

佐藤:思うに、東日本大震災がデザインにとって大きな転換点になったと思います。

川島:東日本大震災が?

佐藤:震災を機に、本当の豊かさとは何か、と誰しもが自問自答するようになった。モノがあふれていれば豊か、おカネを持っていれば豊か――。そんな価値観はそろそろ終わりじゃないかなあ、という感覚は多くの日本人の中にすでにあったと思いますが、震災を経て、はっきり表に出てきた。本来の豊かさは、物質的なものだけじゃない。自分自身の中にどんな豊かさを持っているのか。自分が何を豊かと感じ取れるのか。豊かさの基準が変わろうとしているわけです。となると、人々に豊かさをもたらす手段であるデザインも、変わっていかざるを得ません。

川島:そんな変化の中で、改めてデザインが果たす役割は?

佐藤:デザインとは、“やりたいことをやる”ことではない。“やるべきことをやる”ことだと、僕はとらえています。

川島:“やるべきことをやる”ことがデザイン?

佐藤: デザイナーが“やりたいことをやる”というのは、「デザイナー自身が作りたいものをデザインする」ってこと。対して、デザイナーが“やるべきことをやる”というのは、「人と人を含めた環境をつなぐ」ことです。

川島:「僕のデザイン」、「designed by ○○」って感じで、デザイナーが声高に主張しているデザインってたしかにあります。

佐藤:笑

川島:卓さんは、著名なデザイナーだけど、「俺様のデザインだっ」って打ち出し方、されませんね。

佐藤:デザイナーが“やりたいことをやる”じゃなく“やるべきことをやる”を突き詰めると、ユーザーが限りなく「意識しないデザイン」になっていく。デザインとは、デザイナーが自己主張するものじゃなく、むしろユーザーの無意識と共鳴するような存在だと、僕がとらえているからでしょう。

川島:「人がデザインを意識しなくなる」 ?

佐藤:ええ。これからもっと、「意識させないデザイン」が重要になってきます。20世紀は人間が自分のことばかり考えてきました。21世紀は、動物や植物、地球全体を視野に入れ、共に暮らしていかねば、次の未来はない。そんな時代に、オレがオレがのデザインはふさわしくない。デザイナーも、ただモノのデザインをしていればいいってもんじゃない。

川島:じゃあ、何をすればいいんですか?

佐藤:総体の中で交差点を見つけるということです。

 

 

人とそれを取り巻く環境を、どうつないであげるかがデザイン

 

川島:交差点? どういう意味ですか?

佐藤:僕が、ある企業の新製品のパッケージデザインを依頼されたとします。まず何をするかというと、その企業の理念にはじまり、製品の特徴、競合製品との違い、ビジネスとして目指すところなど、製品に関するあらゆる要素について知ろうとします。

川島:そこまではわかります。優秀なデザイナーはたぶん皆そうするでしょうね。

佐藤:ええ、でも、そこで終わらせたら、ただモノのデザインをするだけに終わります。
一方で、対象となるモノから離れ、今度は今という時代の中で、人々が抱いている価値観、地球環境を取り巻く課題などを、徹底的に調べてみる。最後に、それらを俯瞰して、最適なつなぎ方、つまり「交差点」となるべきところを見つけ、実際につなげるのです。

川島:へえ、面白いですね。でも、その「交差点」、どんな風に見つけるのですか?

佐藤:人とそれを取り巻く環境をどうつなげばいいか、ずーっと考えながら全体を眺めていると、物事を結び付ける線が比較的集まっているところが見えてくるのです。その集まっているところを、必要最低限の範囲で、ちょっとつまんであげて、交差点をひとつ作る――。そんなイメージですね。僕の考えるデザインとは。やり過ぎちゃダメだし、やり足りないと、デザインにならない。ちょうどいいつなぎ方、結節点を創って行くということです。


















川島:となると、デザイナーの仕事とは、今あるものをつなぐということで、新しいものを生み出すことではないのですね。

佐藤:そうです。実際、新しいことなんて何もやっていないですから。

川島:本当にそうなんですか?

佐藤:例えば、僕がデザインを手がけた「明治おいしい牛乳」の場合、中身である牛乳のナチュラルテイスト製法は、クライアントである明治乳業(現・明治)さんがつくったもの。パッケージに用いた紙にしても、文字にしても、色にしても、すべて世の中に既にあったもの。以上を「編集」して、ああいうパッケージデザインにしたのが僕の仕事。ゼロから新しい何かを生み出したわけではないのです。

川島:その「編集」のプロセスが「ちょっとつまんで交差点をつくる」ということなんですね。でも、デザインするって新しいものを作る仕事だ、と思っている人、結構いると思います。

佐藤:デザインの「新しさ」って、「新しい」つなぎ方を見つける、「新しい」仕組みを作るということであって、「新しい」ものを作ることではない。世の中、そんなに「新しい」ものってないわけですから。例えば新しい数式が発見されたとします。でも、それって実は、宇宙の中には既にあって、いわば見つからずに眠っていただけの話でしょう?

川島:言われてみればそうですね。

佐藤:それを、天才数学者がある時、発見するわけです。見つけちゃうわけです。つまり、既にあるのだけれども気づいていなかったものに気づき、指し示すことが「新しい」につながる。これ、デザインにかかわらず、たいていのことがそうじゃないかな。

 

 

自分の個性ではなく、相手の個性を表現してあげること

 

川島:「ちょっとつまんで交差点をつくる」のがデザインの果たす役割とおっしゃいましたが、具体的なデザインワークの中で「これがどんぴしゃ、今できました!」みたいな感覚ってあるのですか?

佐藤:正直言ってないです。ただ、本当にやるべきことがやれると、意識の中から「デザイン」が消えるんです。

川島:「デザイン」が消える?

佐藤:みなさんの生活の身の回りにある大半のものは、目を引くデザインなんか必要ありません。僕はそう思っています。つまり、ごく当たり前のように日々使うものは、デザインが前に出ているのではなく、デザインを意識させない方が、デザインとして優れている。

川島:逆の商品、けっこうありますよね。パッケージが派手で店頭で目立つのだけど、家に置いたらダサくて困る。

佐藤:だから目立たせようと思ったら、「下手なデザイン」をすればいいのです。
川島:スーパーのチラシなんかがそうですよね。派手派手で目立つけれど、デザインとしては決してかっこいいものじゃない。




佐藤:ですから「派手派手」で「下手な」デザインも必要なんですよ。スーパーのチラシなども、見た瞬間に「お、これがセールなのか?」と目に留まらなければいけない。初めて見た瞬間に目に留まる。そして、そこからせいぜい数日間もてばいいデザインなわけです。

川島:中長期にわたって使うことは、想定する必要がないデザインもある、ということですね。ただ、ずっと長く使う商品や、企業のブランドイメージを決定するロゴのようなものは、ただ派手なだけ、つまり「下手なデザイン」では困っちゃいます。

佐藤:もちろんです。確実に、10年持つ、20年持つ、30年持つものでなければならない。その間に、世の中も人の価値観も変わっていくだろうけど、それでもびくともしないデザインが要されるわけです。僕らグラフィックデザイナーは、そのためのスキルを磨き、たとえば0.1㎜単位で目配りして、最適な判断をしていかなくてはならない。そのあたり、いわば職人と一緒。一生高みを目指して鍛え続けなければいけないのです。

川島:例えばロゴをデザインする仕事も、物凄い緻密さが要求されるのでしょうね。

佐藤:そうです。個性をきちんと把握した上で、最適なかたちで表現することが大事で、後はいらない部分を全部取り除いていく。グラフィックデザイナーの仕事とは、自分の個性ではなくて、相手の個性を表現してあげることなのです。

 

 

仕事を頼まれたら、必ず工場まで出かけていく

 

川島:では、相手の個性を把握するために、デザイナーは何をしなければいけないのでしょうか?

佐藤:僕の場合は、さっきお話したように、徹底していろいろなことを調べます。企業の方からたくさんお話をうかがいますし、工場に行ったりもします。その企業の製品は、どんなモノ作りの工程を経ているのか、それを知らないで、デザインをするって失礼な話じゃないですか? だから、必ずモノ作りの現場に行くことにしているのです。

川島:カメラ用レンズなど光学機器で定評のある「シグマ」の企業ロゴも、卓さんが手がけています。当然、まずは工場に行ったわけですね。



佐藤:福島のシグマの工場に足を運んで、物凄く精密な製品を高い精度でつくっている企業であることを実感しました。現場で働く方々にとっては当たり前のことなのですが、僕のような外部の人間から見ると信じられないほど凄いことをやっている。シグマは、とても高性能なレンズと、実にユニークなカメラを作っていて、強い独自性と高い価値を持っています。熱烈なファンがいて、プロからの評価も高い。そこをきっちり表現することが僕の仕事です。シグマの精度、完成度を、企業の顔としてのロゴに反映させなければならないと、深く感じ入りました。

川島:ブランドロゴって大切ですよね。コーポレートアイデンティティーを示すロゴの出来が、社外に向けてのブランディングのみならず、社員のモチベーションを上げることにもなる。

佐藤:そもそもコーポレートアイデンティティーとは、外と内の双方を視野に入れなければならないもの。ロゴが変わる、メッセージが変わることで、企業で働いている方々の意識が変わってくる部分は確実にある。デザインが果たす役割は大きいです。また、シグマのケースが典型ですが、僕の仕事の中には、ある企業のロゴ、ブランドのロゴを見直す仕事がけっこうあります。ロゴをリニューアルする仕事は、その企業の財産の輪郭をはっきりさせる作業でもあります。何年もかかりますし、ロゴができておしまい、ではありません。

川島:シグマ以外にも、ブランドロゴのリニューアルを手がけたケースは?

佐藤:化粧品のポーラグループのオルビスを手がけました。すでに6~7年のおつきあいになります。ロゴも以前のものを微妙に変えているのです。



川島:ロゴのモデルチェンジって、がらっと変えられちゃうと、それまでのお客さんは見捨てられたような気がしちゃいますよね。でも、ブランドイメージは刷新しないといけない。少し変えるというのは、大きく変えるということより、実は難しいのでしょうね。

佐藤:オルビスの場合は、関わった早い段階で、ロゴを変えなければならないと、強く感じました。以前流行っていた書体をそのまま使っていたからです。それで「このままにしておくと、10年後、20年後に、時代遅れの恥ずかしいロゴになってしまいます」と、はっきり申し上げたのです。

 

 

同じ「顔」だけど前よりいい表情になった

 

川島:流行りの書体を使っちゃダメ?

佐藤:流行りを使ったら、絶対、古くなります。「流行り」の次には「廃り」が来ますから。ただ、僕が提案した新しいロゴは、実に少しだけしか変えなかったので、「何でそんな微妙に変える必要があるのか」「ぱっと見で、変わって見えないなら変えない方がいい」といった意見も社内から出てきました。でも、ロゴとは企業の「顔」です。もっとも重要なアイコンです。相手の「顔」が、ある日突然がらっと変わったりしたら、びっくりするじゃないですか。いつもと同じ「顔」だけど、なんだか前よりいい表情になった――そんな提案をしたわけです。

川島:卓さんのデザインはとっても精度が高い感じがするんですけど、一方でここ数年、デザインの世界には「ユルいデザイン」が流行ってますよね。

佐藤:「ユルさ」がその企業やブランドの“らしさ”を表している場合は、「ユルくする」ことが、その企業のデザイン精度を高めることにつながります。つまり、「ユルさの精度を高める」わけですね。

川島:「ユルさの精度を高める」? 

佐藤:例えば「ゆるキャラ」のデザイン。

川島:ああ!

佐藤:もちろん、たくさん登場している「ゆるキャラ」の中でも、精度の高低はあります。例えば「くまモン」は、「ユルさの精度」が高い。プロの仕事です。

川島:じゃ、人気ナンバーワンの「ふなっしー」はどうですか?

佐藤:あれは、ものすごく素人っぽいデザインを「これでいいのだ」とあえて押し出すことを楽しんでいる。「くまモン」の逆ですね。

川島:どっちもあり?

佐藤:ありです。

川島:問題は、それ以外の「ゆるキャラ」が、どっちつかずのデザインで、誰の記憶にも残ってないってコトかな……。

佐藤:そう。「ゆるキャラ」のデザイン問題は、普通の商品のデザイン問題と同じってことです。





(2)に続く