火曜日, 3月 29, 2016

INTERVIEW: 佐藤卓  第2回 「アート」になったら「デザイン」はおしまいだ

 

「アート」になったら「デザイン」はおしまいだ

佐藤卓デザイン事務所 代表 佐藤卓(2)

 

 

グラフィック、プロダクト、空間とデザインを分ける意味はあるのか?


川島:日本のデザインの世界って、グラフィックデザイン、プロダクトデザイン、空間デザイン、そして建築デザインと、それぞれの分野に専門デザイナーがいて、何となく枠組みができちゃっているんですが。

佐藤:欧米のデザイン教育の現場では、そういう分野の区分を、あまり感じさせないところもたしかにありますね。

川島:グラフィックもプロダクトも空間も、全部手がけるデザイナーがたくさんいますよね。この違いって何だろうって、ずっと不思議に思ってきました。日本のデザイン界はなぜ、分野ごとに縦割りになっちゃっているのかと。

佐藤:その縦割りの枠組みは、専 門性と言い換えることができるかもしれませんね。ゆえんがあってできあがってきたと思うので、僕は、それはそれでいいと考えています。ただ、専門から見え てくる全体観みたいなものは、どの分野のデザイナーも、持っていなければならない能力ではないでしょうか。

川島:どういうことですか?

佐藤:例えばグラフィックデザイ ナーが、パッケージデザインを手がけることは、特別なことではありません。当然のことながら、パッケージとは空間の中に置かれるものですから、デザイナー は空間を意識するわけで、そこで平面と立体がつながっていくのです。でもこういうことは、プロダクトにしても空間にしても、他の専門分野のデザイナーで も、同じことではないでしょうか。つまり、デザイナーとは、周辺環境との関係性の中でデザインを考える。これは、すべてのデザインに求められる要件だと思 うのです。

川島:ちょっと意地悪な質問ですが、そこまで広い視野を持っているデザイナーって、そう多くないんじゃないですか?

佐藤:でも、自分のテリトリーはここだけと決めているデザイナーの仕事は、言ってみれば、箱庭の中でデザインしているようなものです。

川島:つまり、グラフィックなら平面だけ意識していればいい、プロダクトならその製品だけに限定して考えればいいみたいなことですね。

佐藤:そうです。非常に狭い範囲 でデザインをとらえてしまっている。これと同じようなことは、ファインアート的な思考を持っているデザイナーにも言えることです。デザインをアート的にと らえてしまうと、自己表現が先立ってしまうので、それとの格闘が始まり、同じように箱庭的なデザインに陥っていく。だから僕は、アートになったらデザイン はおしまいと考えているのです。















川島:ちょっと過激なフレーズです(笑)。でもそれは、卓さんが最初におっしゃった「やりたいことをやる」ということですね。つまり、自分が作りたいものをデザインしてしまう。

佐藤:そう。箱庭的な世界の中で閉じこもってデザインしてしまうと、できあがったデザインは、いろいろ余計なものが付いてきてしまうわけです。

川島:「アート=美術」と「デザイン」は全く異なるものということですか?

佐藤:80年代は、アートとデザインが何となく融合していた時代でしたが、私はその頃も、ずっとおかしいと感じていました。アートにはアートでやるべきことがある、デザインにはデザインでやるべきことがあると思っていたのです。

川島:卓さんの中で、双方の関わりは、どのようになっているのですか?

佐藤:デザインはアートよりももっと大きな概念です。デザインとアートは、それぞれのやるべきことを明らかにすることで、大きな力を発揮するのではないでしょうか? 最初から何となく融合しているような状況からは、何も生まれないと思うのです。

川島:なるほど。

佐藤:例えばハイブリッドは、ガソリンと電気、そして今では水素があって、そもそも完全に分けられているものがひとつになることで、物凄い威力を発揮するわけです。最初から何となく融合するみたいな曖昧さは、一切ないわけです。

川島:そもそもの専門性が明快に分かれた状態で、合体するとか融合することで相乗効果が生まれるということですね。そのためには、そもそもの専門性の質が高くないといけないのでしょうね。

佐藤:そういうことだと思います。

 

 

企業が収益だけを大事にすると世の中を貧しくする

 

川島:企業のデザインチームの 方々と仕事していて感じるのは、物事を専門性の壁の中でしか見ていないということです。家電は家電の世界だけ、クルマはクルマの世界だけみたいな。一方、 それを使う人たちは、その製品と、暮らし全体の中で関わっているのが当たり前の状態にある。つまり、家電とクルマとは、暮らしの中でつながっているので す。

佐藤:僕も全く同じ意見です。

川島:卓さんにそう言ってもらえ ると勇気が湧きます(笑)。勢いを得て、もう少し言わせてもらうと、モデルチェンジしなくていい製品もいっぱいあると思うのです。無理して新製品を出し て、広告を打ったり、派手な謳い文句を付けて売り出す必然性は、使い手から見るとなくなっていると思うのです。これだけたくさんの新製品を送り出すこと に、矛盾を感じている人もたくさんいると思うし。だけど企業側は、新製品の大量生産という歯車を止めようとしない。卓さんはどうしてこうなっていると思わ れます? 

佐藤:企業って、やっぱり収益が大事なわけです。

川島:前年比○○%アップみたいなことですよね。その文脈で言えば、四半期決算の結果が問われるようになって、短期的な数字を追う意識が強くなっていると感じます。

佐藤:そうですね。そして短期化していけばいくほど、目の前の数字を上げていくことが目的化してしまうわけです。

川島:それって問題じゃないですか?

佐藤:そうです。だから、いま一度、立ち止まって考える時期なのだと思います。大きな意味で言えば、企業が存在する目的は何なのかを見つめてみるということです。そもそもの存在意義は、金儲けだけなのかと。

川島:そもそもですよね。

佐藤:そう。そもそも経営者の理 念はそうじゃなかったのかもしれない。しかし、組織として動き出してしまうと、いつの間にか、前年比を上げる、四半期決算を順守する、金儲けが目的化して しまったのだと思うのです。しかし、結果的にそれは、世の中を疲弊させてしまう、心を貧しくしてしまうのではないかと、僕はとらえています。

 

 

世の中を引っ張るのは文化で経済は付いてくるもの

 

川島:大企業の中で、疲れて暗い顔をしている方、結構多いと感じます。むちゃぶりな質問ですが、世の中をもう少し豊かにするためには、どうしたらいいと思われます?



佐藤:経済が世の中を引っ張るのではなくて、文化が世の中を引っ張る構造になっていくことが大事ではないでしょうか? 文化が方向を指し示し、経済は後から付いてくるというのが理想だと思うのです。自転車に例えると、前輪が文化で後輪が経済みたいな関わりです。

川島:自転車? なるほど。分かりやすい事例です。

佐藤:「前輪=文化」は進む方向 づけをして、「後輪=経済」は走るためには絶対必要なわけです。だから前輪と後輪、それぞれの存在意義は明快であり、人間が暮らしていくために必須な要素 ではないかと。文化と経済の関わり方がそのようになっていけば、世の中がもう少し豊かになると思うのです。

川島:そうですね。でも、その自転車の例えで言うと、デザインはどこに位置づけられるのでしょうか?

佐藤:前輪と後輪をつなぐ役割になります。

川島:車体でありチェーンであり、肝心かなめなところですね。

佐藤:そうです。さらに付け加えるなら、自転車には、いくつか機能が付いていますよね。例えばギアの段階調整によって、坂道でもスムースに運転できる、子供を乗せても安全にコントロールできる、そういう仕組みまで含め、考えていくのがデザインなわけです。

 

 

良いデザインはコスト低減につながる

 



川島:大事な存在な割には、企業の中で重要視されていない気がするのですが。

佐藤:そうかもしれません。ちょっと高くても、凄く素敵なものだから買いたい、使いたいっていう気持ちは、たくさんの人が持っているもの。そして、そこを担えるのがデザインです。それをうまくすくい上げる製品も、それをつくる企業も、もっと増えていいと思うのです。

川島:そうですよね。良いデザイ ンのものだったら、少し高くても手に入れて、長く愛用したいっていう思いは、暮らしを取り巻くあらゆるものに共通していると感じます。考えてみれば、アッ プルだってそうですし、エルメスなどのラグジュアリーブランドは、その最たる事例かもしれません。だから、企業はお金や手間暇を、もう少しデザインにかけ てほしい。低コストであまり良くないデザインのものを頻発するより、少しコストをかけても良いデザインのものをきちんと出せば、ロングセラーになって、結 果的にはコスト低減につながっていくと思うのです。
 
佐藤:その通りです。






(3)に続く