木曜日, 6月 16, 2016

『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』|book

 

ハーバードのトップエリートが熱狂的に支持する「教え」とは?

 



~『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』(マイケル・ピュエット、クリスティーン・グロス=ロー著)を読む

 

「道」とはたえまなく形づくっていくもの

本書を読み終えたとき、高村光太郎の詩『道程』の有名な冒頭の一節が脳裏に浮かんだ。

 「僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる」


自分の進む先に決まった道があるわけではない。自分自身で切りひらきながら歩んでいくしかない。その歩みが人生という一本の道を作る。この一節には光太郎のそんな決意が込められている。

本書の原題は“The Path”。中国の思想家が「道」と呼ぶ概念からとったものだそうだ。

「道」というと何か固定されたものがそこにあるようなイメージを受ける。しかし著者は、「道は、自分の選択や行動や人間関係によってたえまなく形づくっていく行路だ」と書いている。光太郎が「道程」と題した詩の内容は、ぴったり本書の主題につながっているようだ。

本書の著者の一人、マイケル・ピュエット氏はハーバード大学東アジア言語文明学科の中国史教授。2006年より受け持つ学部授業の「古代中国の倫理学と政治理論」は、「経済学入門」「コンピュータ科学入門」に次いで学内3位の履修者数を誇っているそうだ。卓越した教授法により、ハーバード・カレッ ジ・プロフェッサーシップも受賞した人物だ。


もう一人の著者であるクリスティーン・グロス=ロー氏は、ウォール・ストリート・ジャーナルやハフィントンポストなどに多数寄稿するジャーナリスト。ハーバード大学でピュエット氏の講義を聴講し、東アジア史の博士号を取得している。

ハーバード大学といえば、言うまでもなくアメリカの次世代を担う者たちが通う大学だ。彼らエリートたちが熱狂的に支持する東洋哲学の神髄とは、いったいどんなものだろう。


東洋哲学は、定まらない世界を柔軟に生き抜くための思想


現在の世界は、グローバル化の進展に伴い、一つの真理や正義に従って全体が動いているとは、到底考えられない状態になっている。むしろ、たくさんの真理や正義同士が矛盾しぶつかり合って、にっちもさっちもいかない状態が続いているようにも感じられる。

インターネットの普及により「ネット社会」が生じたことが、その傾向にさらに拍車をかけているようにも思う。

2015年末の時点で、世界人口のおよそ半分に近い34億人がインターネットを使っている。今後もさらに利用者は増えるだろう。

そんな巨大なインターネットは、中心のないネットワークである。全体を設計し、運営している主体がどこかにあるわけではない。

むしろインターネットは誰もがつながることができるネットワークであり、誰かが新たにつながるたびに、その形を変えていくネットワークなのだ。全体的な秩序があらかじめ組み込まれているわけではなく、秩序はたえず揺れ動いている。

このように形の定まらないインターネットでは、一つの事象に関して、実にさまざまな立場から語られた情報がごちゃ混ぜのまま伝わってくる。そしてどの立場で語られた情報が「正しい」かどうかなど、もはや誰にも決められなくなっているように感じる。

そんな現在の状況は、本書で紹介されている東洋哲学の思想家たちが約2500年前に描いた世界観と、驚くほどよく似ている。

 本書には、紀元前500年頃を中心に中国で活躍したいわゆる諸子百家の哲学の中で、孔子・孟子・荀子といった儒家の思想と、老子・荘子の道家の思想などが解説されている。

彼らはいずれも、世界とは本来不安定なもので、複雑で絶えず変化しているものであると説いた。そんな世界の振る舞いすべてを司る真理や原理など、どこにもないものだ、と考えていた。

さらに、自分というものは不安定な世界に投げ出された存在であり、多様な特徴や性向を内側に秘め、さまざまな感情や願望をごちゃまぜに抱いているものだと考えた。
 
そんな自分だから、不安定で絶えず変化する世界と関わるたびに、異なる内面が違う方向に引っ張りだされ、翻弄されつづけることになる。

世界とそのように関わらねばならないとしたら、自分というものを一つに固定する生き方をしても苦しいだけだろう。結局、自分はどの道を進むべきだろうかと思い悩んでいても、そもそも解などないのだ。

ならば、それを受け入れた上で「僕の後ろに道はできる」、と勇気をもって一歩踏み出してこそ、人生は前に進んでいく。

本書で紹介されている中国の思想家たちは一様に、この一定しない世界で「賢明」な判断を下して歩んでいくためには、我々一人ひとりが「自分」に固執すべきでないと説いている。世界の動きに呼応して振る舞いを柔軟に変化させるべき、ということだ。そして思想家たちは、世界に一歩踏み出す、そのやり方をも示している。

たとえば孔子は、ものごとに感情のままに反応するのではなく、「礼」をもって相手にふさわしい応対をすべく、感情を修養することで「自分」をより良い存在に変化させることができると説く。

孟子は、心(=感情+理性)をバランスよく修養し、常に感情と理性が協調して働くようにすれば、どんな状況にも柔軟に、前向きに決断することができると考えた。一人ひとりが日々の小さな一歩の踏み出し方を改めることで、世の中を良くしていくことができるという考え方だ。

老子や荘子は、「強さ」ではなく、「弱さ」や「しなやかさ」で世の中に影響を及ぼす歩み方を説く。彼らの言う主体性とは、自己を主張することではない。自分を前面に出すのをやめて、心を開き周りの世界としなやかにつながり、感応しあいながら無理なく動かしていくことだ。そうすることがやがて大きな力につながるという。



「胡蝶の夢」のごとき現代社会を生き抜くには


西洋社会では、人間の判断は「知性」に頼るべきだとされている。そして幸せな人生とは、真理や正義といった枠組みの中で自分が何者かを理解し、「本来の自分」にふさわしい生き方をまっとうすることだ、と信じられている。

そのような西洋的価値観が支配的な社会では、まず「従うべき真理とは何か」「正義とは何か」といったテーマが議論の中心となる。そして「自分とは何か」と自分探しが始まるのである。

本書の著者は、人生を向上させるはずのこの信念が、現代人がより良く生きることの「足かせ」になると、問題提起をする。

情報社会が現実社会に覆いかぶさるように広がっていく過程で、インターネット上に形成されたバーチャル世界はどんどん現実世界の縮図のようになっていく。やがて現実世界がバーチャル世界を動かしているのか、はたまたバーチャル世界が現実世界を動かしているのか、そんな区別もつかなくなっていくので はないだろうか。

アメリカの若きエリートたちは、解を失った西洋的世界観で世の中を見ることに行きづまりを感じているのだろう。そして、このような不安定で定まらない、バーチャルとリアルの区別すらつかなくなった時代をより良く生きる「指針」を、東洋哲学に見出そうとしているのではないか。

著者は最後に、

「この世界を構築したのは私たちなのだから、私たちなら変えることもできる」

と結論づけている。

世界中が不安定であることを受け入れた上で、一人ひとりがインターネットでつながりながら、「礼」を持って感情と理性のバランスをとり、自己主張ではなく「しなやかさ」で周囲と自らを動かしながら、一歩ずつ進んでいく。それしか「道」はない、ということだろう。

すべての人が今後の人生を歩んでいく上で、多くの示唆を与えてくれる一冊だ。






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ハーバードの人生が変わる東洋哲学
マイケル・ピュエット、クリスティーン・グロス=ロー著(早川書房)