水曜日, 4月 20, 2016

INTERVIEW: 糸井重里  第1回 自分で「やる」と決めたことは、絶対喜んでやる

 

「面白い」をビジネスにする方法:糸井重里さん

第1回 自分で「やる」と決めたことは、絶対喜んでやる 

 

 

糸井重里さんは、以前から、お話をうかがいたいと思っていた一人です。「ほぼ日刊イトイ新聞」を拠点とする活動はぐんぐん広がっているし、南青山に「TOBICHI」という場を設けて魅力的なイベントを行ってらっしゃいます。
 
クリエイターでもあり経営者でもある――まさに「ダサい社長が日本をつぶす」の対極を行くようなお仕事を重ねている。新しいモノ・コトを拓き続ける原動力はどこにあるのか、かねがね聞きたいと思っていました。


驚いたのは、事前の打ち合わせにうかがった時、糸井さんから「段取りなし、ぶっつけ本番で行きましょう」と言われたこと。オロオロする私を気遣って、「手弱女ぶってますねー」とからかい、「『楽しかったねー』と思える時間にすればいいじゃないですか」と励ましてくださいました。


からりとした温かさ。ぞくりとする鋭さ。ざっくばらんな緻密さ。それらが綯交ぜになった糸井さんの魅力に、初対面で「まいりました!」状態だったのです。


インタビューした後、糸井重里さんが「ほぼ日」で毎日アップしているコラム「今日のダーリン」で、自分たちの仕事について「夢に手足を。」というコピーを付けたことが、さまざまなところで話題に上りました。


そして再び、今回のインタビューを振り返ってみると、糸井さんはここで「夢に手足を。」とはどんなことなのか、さまざまな角度から語っていると感じたのです。


ではようこそ、イトイ・ワールドへ。




1948 年群馬県生まれ。「ほぼ日刊イトイ新聞」主宰。 1971年にコピーライターとしてデビュー。 「不思議、大好き。」「おいしい生活。」などの広告で一躍有名に。 また、作詞やエッセイ執筆、ゲーム制作など、幅広いジャンルでも活躍。 1998年6月に毎日更新のウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を 立ち上げてからは、同サイトでの活動に全力を傾けている。




川島:今日は「何でも聞いていい」ということなので、まずは、社長としての糸井重里さんの一日を聞いてみたいと思います。今日は、朝起きてからどう過ごしていらしたのですか? 今は午後5時です。

糸井:今朝は5時にようやく寝たのですが、10時半くらいに起き出して、ぶどうジュースを飲んで、メールをチェックして、読みかけの本を読んで、お風呂に入って、簡単な朝ごはんを食べて、それからまたネットの上でできる仕事をして。出勤はまったくデタラメです。何か仕事の約束があれば行くし、なければ行かない。今日は午後2時からミーティングがあって、それに間に合うように会社に行きました。

川島:社長なのに、行く日と行かない日があるのですね。

糸井:一応まんべんなく予定が入っているので、だいたい毎日行っています。ちなみに、僕の1日のスケジュールは、「ほぼ日」(ほぼ日刊イトイ新聞)の全社員――あ、うちでは乗組員って呼んでいるんですけど――が知ることができる仕組みになっています。「これはやる、これはやらない」は自分で決めますが、後は、乗組員たちの命令のままに動くという状況を作っていて(笑)。秘書が決めたスケジュールを、言われた通りやることにしているのです。

川島:社長としては「やるかやらないか」だけを決めると。

糸井:そういうことです。逆にいうと、自分でやると決めたことは、絶対喜んでやる。それ以外は引き受けないと決めている。だから今日、僕がここにいるということは、喜んでいる、ということでもあるわけです(笑)。

川島:わあ、嬉しいけどプレッシャーだなあ(笑)。じゃあ、さっそく質問です。マーケティングは、私が長年仕事にしてきたことなのですが、10年くらい前から普遍化とか合理効率化ということに疑問が湧いてきてしまって。そんな簡単なことではないのでは、とぐるぐる思っています。とはいうものの、「その人にしかできない」という仕事だと、属人的な話になっちゃうし。でも、魅力的な仕事って、たいがい「その人にしかできない」何かだったりするんですよね。


 

半分くらい伝えられたら、人に任せられる

 

糸井:「その人にしかできない」ことの中にも、僕は「普遍化できる」部分はあると思っているんです。

川島:それ、いちばん聞きたい話です。「普遍化できる仕事」と「その人にしかできない仕事」という文脈で言えば、そもそも糸井さんは「その人にしかできない」のかたまりみたいな方です。その一方で、糸井さんは、糸井重里事務所の社長さんとして、「ほぼ日刊イトイ新聞」というメディアを率いていらっしゃる。そうなると、糸井さんのアイデアをかたちにするとき、「その人=糸井重里にしかできない」では困るわけで、「普遍化して」ほぼ日の社員にやってもらわなければならないわけですよね?

糸井:自分の過去を振り返ってみると、コピーライターの仕事を含め、僕はずっと個人でやっていたんです。1998年に「ほぼ日」を立ち上げる時にはじめて、「個人じゃなくて、チームで仕事してみよう」と決意した。そこに向かわせた理由は、自分が今までやってきたことは「人には伝えられない」と思っていたけれど、「半分は伝えられるかも」と感じたからです。








川島:そのままフリーでずっとやっていって、「糸井先生」みたいな扱いを受ける道という選択肢だってあったわけです。


 

面白いとは「共感性」+「意外性」

 

川島:会社の仕事が面白いってどういうことでしょう。みんな、本当はやりたくない仕事をやるより、面白い仕事をやりたいと思っているわけです。でも、会社で働いていると、大半の人は徐々にヤル気がなくなってしまう。仕事が面白くないって言い始める。




糸井:「面白い」っていうのは、主観ですからねぇ。「あれは客観的に面白かったね」ということはないわけです。
 
川島:主観ということは、まず自分が面白がるか、面白がらないかということですか?

糸井:それがまず大前提です。ただ、そこからもう一歩踏み込んで、何かを「面白い」と自分が感じる要素とは何なのか。これは、ある程度探っていけるはずです。恐らくひとつは「共感性」で、もうひとつは「意外性」です。

川島:ほー!

糸井:たぶん、当たり前のことを言ってるだけなんですけど。

川島:「共感性」と「意外性」、私にとっては、当たり前じゃなくて「ほー!」です。ああ、両方あって、面白い!になるわけか。

糸井:井戸端会議って、基本的には「共感性」の山なんです。「そうよねぇ、わかるわ」という言葉の乱発ですよね。ただ、「共感性」だけだと、居心地はいいけど「面白い」にはならない。そこに「川島さんは、今の時期のサンマはおいしくないっていうけど、こう料理したらおいしいのよ」という話が割り込んでくる。すると、会話は「え、そうなの?」という「意外性」に飛んでいく。

川島:そこではじめて「面白い」につながるわけですね。普通の井戸端会議って、人の話なんて聞いていないくらいの勢いで、お互い「そうよねぇ」のやりとりをしてるけど、何を話したかはだいたい忘れちゃう。そこに、「えっ、そうなの?」って話が割り込んでくると、そこだけ記憶に残ったりする。

糸井:たとえば、僕が今、夢中になっているのはラグビーなんです。昨年のワールドカップで日本代表の躍進ぶりをテレビで観て、ミーハーにはまっちゃったのですが。これまでちゃんと観たことがないから、いまひとつルールや醍醐味がわかってない。

でも最近は、競技場に足を運んでラグビーの試合を観るわけです。それで「全然わからないかなあ」と思っていたら、「おお、案外わかるじゃないか」となる。でも、ところどころで、「そのルール何?」「そのプレー何?」っていう「わからない」が飛び出してくる。つまり、僕にとって今、ラグビーには「共感性」と「意外性」が両方ある。だからすごく面白い。

川島:「共感性」+「意外性」=「面白い」。いろんなところで使える公式です。

糸井:人は「何かがわかる」、あるいは「何かができる」ようになったときの喜びって大きいんですよね。子どもは、はじめて何かができた時、必ず笑うんですよ。ハイハイしていた子どもが立ち上がったとき、「おお、すごいね」って言うと、ケラケラ笑う。これも「共感性」と「意外性」ですよね。大人になっても、子どものハイハイから立ち上がるようなことが毎日あれば、もっと面白くなると思うのですが。

 

 

解けるかどうかわからない「40点」を楽しむ

 

川島:糸井さんの中では、「面白い」が毎日続いているんですか。

糸井:僕自身はすぐに「退屈だ!」と思っちゃうんですよ。だから毎日面白くしようとする。

川島:それじゃ、凡人が「面白い」を見つけるにはどうすればいいんですか?

糸井:「わからないけれど、面白そうだからやってみよう」って思うことってありますよね。そういうものは何かしら魅力があるんです。試験問題を解く時、秀才のやり方というのは、すぐにできる問題を最初に片付けて、60点くらいは確保しておく。「答えがわからないぞ」という残り40点の問題は後回しにしますよね。

川島:学校でも塾でも、もしかしたら仕事でも、そういう風に教えられてきました。

糸井:たいがいの人がそうだと思います。だけど、わからない問題を解いてみたら、あっと驚く答えに行きつく可能性ってありますよね。ただ、そこで手間取ってしまって、他の問題が解けず、10点しか取れなくて終わっちゃうかもしれないけれど。でも、その答えに新しい魅力が生まれるかもしれない。あるいは、解いていく過程そのものに面白さがあるかもしれない。

実は僕、人が集まってくるのは、必ず解けそうな60点の方じゃなくって、解けるかどうかわからない40点の方じゃないかと思うんです。だって、60点の魅力を確保しても、それって皆が知っていることだらけ。結局は面白くなくなっていくわけですから。

川島:つまり、60点の方は「意外性」がすっぽり抜け落ちちゃうわけですね。でも、大きな企業にいると、まず、その60点をとることを求められちゃうんです。




糸井:コピーライターの仕事は、「人には伝えられない」「人には教えられない」仕事だから、僕個人にギャランティが払われる。僕の方も「俺が来たから大丈夫!」というふりをする(笑)。相手にそう思わせた方が僕としても得なわけです。

でも、根が悲観的な人間だから、そのうちだんだんダメになっていく自分を想像してしまったんです。どっかの会社に行って受付を通ろうとすると「もしもし?」って受付嬢に声をかけられて、「ワシを知らんのか、社長に会いに来たんだ!」とイバるジイさんになって、それで月々顧問料を数社からふんだくって、「私は何社も顧問やってるからね」と言っちゃうみたいな。そっちの道、目指せば案外なれちゃったかもしれないですけど(笑)。

川島:何社どころじゃなくて、もしかしたら何十社もやっちゃってものすごいお金持ちになっていたかも。

糸井:「お金はそんなになくても食える」っていうことを、僕は一方で知っているんです。みんなはよく「お金がないと食えなくなる」って言うけれど、それは押入れに隠している札束があるかないかって話。そんなタンス預金みたいな蓄えがなくてもやっていけるんです。僕はバツイチで家出人だった時代が長いし、その時は一銭もなくて暮らしていましたから。お金や物がなくなって気づくのは「そこまでして欲しいものって案外ないな」ってことでした。

川島:お金がなくなっても大丈夫、ということについては確信がある。

糸井:はい。ただ、その話と矛盾するようだけど、「欲しいものが思い浮かばなくなる」のはイヤだなと思っています。「世の中に存在するだけで嬉しい」ものもあるわけで、欲望そのものがなくなるのは寂しいですよね。ただ、自分1人の欲望が満たせればいい、というのはなんだか不自由な気がしたんですよね。

 

 

誰かとつながりながら動く

 

川島:それ、わかります。個人の欲望を満たすってわりと「小さな」ことだったりします。だからフリーであることを止めて、チームでやることを選んだと。

糸井:ひとりぼっちで考えるより、ひととしゃべりながら考えると、「あ、自分はこんなこと言ってるんだ」って気づかされることがあります。ひとりで閉じこもって考え込むんじゃなくて「誰かとつながりながら動く」。チームの仕事ではとても大事なんです。

それで、そうやってみると、「これは絶対他人には伝えられないと思っていたけど、俺、意外と伝えられているかも!」と思うようになる。しかも半分くらい伝えられたら、もう相手に任せられるんですよ。「半分くらい伝わった」チームと一緒にやるのは、「ものすごく楽しいぞ」って実感できるようになった。

川島:糸井さんがそう発言するとなんだか元気が出ますね。

糸井:「半分くらい伝わった」チームで、少人数で、足投げ出して、しゃべっている。こういう時のコミュニケーションが一番濃いんです。寝っ転がりながら、本当にやりたいことについて、顔の見える同士で話し合っていく。ものすごく面白いし、役に立つことなんだけど、ひとりじゃできない。

「ほぼ日」の社員の中にも、そういうチームが作れる人たちがどんどん育ってるし、加わっている。とっても嬉しいことですね。社員50人の「ほぼ日」くらいのこじんまりした会社でも、僕ひとりだけでは絶対に無理なことをやっていますから。

川島:普通の会社の会議って、大きな会議室で粛々と行われる儀式みたいなのってけっこう多い。そうじゃなくて、寝っ転がりながらっていうところが、いいです。そういう空気感が会社の中に漂っているだけで、働く気持ち、全然違ってくると思います。

糸井:だって、その方が面白いじゃないですか。

 

 

人の心が動くから仕事になる

 

糸井:その結果、ロボットみたいに仕事させられている気分になるわけです。仕事もつまんなくなっちゃう。計算できる60点の方じゃなくて、とれるかどうかわからない、答えの見えない40点のところを大事にしなくちゃ。もっと言えば、誰も解けない1%の難問みたいなところに、あえて突っ込んでいくプロセスが大切。結局、答えは出なかったけど、そのプロセスはものすごく「面白いゴミ」みたいなもので、それが後から大きな価値になることだってあるはずなんです。


たとえば、変な問題を解いている最中に、周囲の人たちが「何それ?」「どう、どう?」と人垣ができるようになったら、そこで入場料を取れますよね。お客の心は、「何か変な問題解いているぞ」ってこと自体に寄っていっているわけだから、それは「しめたもの」じゃないですか。答えを出さなくても仕事になっている。人の「心」がそこで動いている。つまり、心が仕事になっている。

川島:なるほど。「面白いゴミ」という答えは出てこなかったけれど、そのプロセスが面白かったことが、ちゃんとお仕事になっちゃう。それって、結局人の「心」を動かしているからということですね。

糸井:この間、中国のビジネススクールの人が来て、「『ほぼ日』で売っているものって、手帳ひとつとっても、真似できない要素は何もないですよね」って言うんです。「もしも大きい会社がやってきて、仕掛けてきたら危ないですよね。どう考えていますか」と質問がされました。

ただ、この質問には「心」の問題がまったく入っていないのです。質問したビジネススクールの人が言うように、ある大企業が「ほぼ日手帳」と同じものを作って、100倍の量を売ろうとしたとします。「『ほぼ日』よりもはるかに安くすればみんなが欲しがるよ」という図面が描けますよね。でも、その図面は間違いなんです。どうしてダメかというと、その安くつくった手帳には「心」が抜けちゃっているからです。

川島:「ほぼ日手帳」には、使い勝手がいいとか、デザインがかっこいとか、モノとしての良さもあるのだけれど、その周辺には、糸井さんのことも、「ほぼ日」のことも、目に見えないけれどきちんとあって、その価値を支えています。ファンだったら、自分が「ほぼ日手帳」を使い続けてきた思い出みたいなものが、手帳の周りに漂っている。いずれも「心」のお話です。大企業が真似して作った手帳は、安くて良くできていても、そこがごっそり抜け落ちちゃっているわけで、すると、値段が半分でも売れないと思います。


 

 

みんな、「いい時間」が欲しいんです

 

糸井:「心」の問題は、時間とも関係があります。映画って、中身がわかっているわけじゃないのに、「どうなのかな?」って見に行きますよね。その映画を見終わった時、はじめて「ああ、面白くて良かった」と思ったりする。そこで人は「いい時間」を手に入れるわけです。

そして「いい時間」というのは、「いい人生」のことです。10年間結婚していた人が、好きで好かれて一緒になったのに、最後は二度と会いたくないと思い、別れてしまったとします。その時、結婚生活の10年のうちの何年くらいが「いい時間」で、何年くらいが「悪い時間」だったかって、案外きっちりわかりますよね。

つまり、自分が過ごしている時間が「いい時間」がどうかを価値づけられるのは、物事の前と後であって、渦中ではない。前と後は、渦中にいたことを価値づけできる時間。だから素敵に見えるわけです。ジェットコースターもそうで、「きゃあ」と言っている渦中は、楽しいのではなくて怖いんです。でも降りてから「ああ、面白かった」と言う。

川島:「いい時間」だったかどうかは、渦中から解放されて後からわかるわけですね。辛い渦中もあるし、怖い渦中もある。でも、渦中に入る前のワクワク感とか、渦中が終わった時の達成感は、後から「いい時間」になっていく。仕事だってそうですね。

糸井:「夢中になれて楽しかった」ということもあれば、「嫌々だったのだけど、後で良かったな」と思えることもある。だから、渦中では「何が何だかわからない」というのが正解でしょうね。

川島:理屈理論だけでなく、人の「心」を動かすことが大事なわけですね。そこから人は、ものを買ったり、何かを始めたりする。ただ、「心」のことって、パターン化やノウハウ化が難しい気がします。深くて個別のことだから、いわゆるマーケティング的なものが通用しづらい領域じゃないですか。

糸井:だから、「せめてわかるところだけでも考えてみようよ」というのがマーケティングですよね。

川島:ビジネス書の世界で、「こうすれば成功する」っていうマーケティング・ノウハウみたいなもの、氾濫しているじゃないですか。あれ、ちょっと気持ち悪いんです。糸井さんがおっしゃった「答えのわかっている60点の問題」が並んでいるみたいで。

糸井:何かでうまくいった人は、他の道を選ばなかったから、今のうまくいったところにたどり着いたわけです。八百屋さんをやってうまくいった人の本があった時、成功した八百屋さんのノウハウだけを読んでも、恐らくブレちゃうと思うんです。どうしてかというと、八百屋さんとしてうまくいった人は、他の道を選ばず「それだけをやってきた」わけだから。本を読んでいる人は、まだ何も選んでないわけですよね。その違い、ものすごく大きいと思います。

 

 

難しい問題を先送りすると、ふっと解決できたりする

 

川島:糸井さん、仕事とプライベートの区分けってあるんですか?

糸井:全然ないです。特に、コピーライターという頼まれ仕事ではなく、「ほぼ日」の主宰者という自分で自分に仕事を発注するようになってから、仕事とプライベートという区分けがなくなりました。ちょっとおおげさに言えば、今、やっている仕事は、関係する方々や、自分も含めた社員の生き死にに直にかかわるものなんです。

だから「ここまでできているから、うまく行っている」という考え方ができなくなった。だって、うまく行っている時って、その中にうまく行っていない可能性が含まれていますから。

川島:全部が仕事になって、かかわっている方や社員の人たちのことも考えて、そして面白くしていくって、何だかとても大変じゃないですか。




糸井:僕自身は、大変だと思ったことはないんです。ただ、自分のアイデアが価値を生み出さなければならないって思った時、必ずちょっとした苦しさがある。その渦中にいて「新しいこと、見つけられていないな」と思ったら、苦しいですよね。

川島:想像するだけで苦しそう。どうするんです?

糸井:逃げたり……(笑)。実はしょっちゅう先延ばしにしています。保留しちゃう。もっといいものができるまで保留しておく場所を作っておくんです。難しい問題を先送りすると、ふっと解決できるっていう時がやってきたりする。

 

 

「結局、糸井さんが全部やってくれる」が危ない

 

川島:そのやり方は、プロジェクトだけじゃなくて、社員に対しても同じなんですか。「新しいことを見つけられていない」社員がいたら、糸井さん、どうするんでしょう?

糸井:さっきの話と一緒で、社員が担当している仕事が終わった後で、「ああ、良かった」と思ってくれるかなというのは考えますね。つまり、渦中は苦しかったけど、終わってみたら「いい時間」だったと思ってくれるかなと。

川島:会社では、社長が現場に向かって「こういう風にしろ」と指示したのに、思うような成果が上がらなくて、「もっと頑張れ!」って檄を飛ばされること、ありますよね。あれはあれで、社員は辛い。社長のいうこともわかるだけに。

糸井:僕は社員に対して、「こういう風にしといて」ってのはあるけれど、「こういう風にしろ」というのはないですね。

川島:「こういう風にしろ」って命令で押しつけるんじゃなくて、「こういう風にしといて」っていうのは、仕事のハードルを社員に預けるんですよね。でも、それって自分で判断しなくちゃいけないから、ある意味でもっと難題だと思うんです。その結果、仕事が上がってこなかったら、どうするんですか?

糸井:まずは「案の定」って思いますよ(笑)。それで「いつできるんだろうなあ」って、ちょっと考える。あるいは「その仕事をその人にさせたことが、もともと間違っていたかもしれない」と思ったり。「一回、全部やめよう」ってこともあります。

川島:社長である糸井さんに、「案の定」って判断されちゃったら、その社員は相当、ショックを受けちゃいますよね。

糸井:むしろあぶないのは「結局、糸井さんが全部やってくれるから」みたいに社員から思われちゃうことなんです。社員が社長としての僕を全面的に頼ったりしたら危ない。だって、会社がクリエイティブでメシを食っていけるようにするのが僕の夢ですから。ということは、社員それぞれがクリエイティブじゃないと。






次回、「脳みそから血が出るほど考える」に続く